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一。ここに愚老、当年満七十歳の懺悔あり。当年までも自分の信心の真偽は己を顧るほかなしと、謹みて相心得ておるおると思い暮せしが、近頃無始己来の初事に真の善知識の御実意がこの心中に徹入なし下されたるにや、創めて自ら己が不埒の心中が思いしらるる。 二。幼年の昔、弥陀の本願は我をたのむものを必ず助けんとある御誓なりとききて、我が心に徹到して有難く、かかる浅ましきこの身が如来の御助けによりて極楽に往生するとは、さてさて有難や南無阿弥陀仏と喜び称えたるばかりなり。
三。然るに大祖聖人板敷山の件、幼稚の時はこのこと聞くにつけても憎さも憎しと腹立て、或いは落涙に堪えかね、妄想ながらも我が一年分の報恩のために報償せんと思いしに、一年は一年その妄想も薄くなり、幼稚のすがたにもならばやと次第に昔恋しく思いしが、四十は四十、五十は五十、七十は七十、と年とるに随いて訳は委しくなれども内心の実情はうせはてたる有様、まことに浅ましくなり下りたると云うより外なし。
四。獲信の一念より報謝相続して臨終一念の夕にはかならず往生せしめ下されなば不可思議に有難たかるべしと領解して喜びくらすゆえ身一杯心一杯と思えども、その身一杯心一杯が煩悩具足の凡夫ゆえ、まことに喜びもせねば称えもせぬといわれても、一言の申し訳もなき恥かしさは我が身なりと、七十歳の今日まで相続し来たれり。
五。しかれどもこの心相続の相は千変万化、ある時は仏恩の忝なきことを存じ、師恩の深きことを思いては歡喜の涙に咽び、雨涙千行万行することもあり。ある時は口に称名すれどもとどまらず、妄念頻りに動きて仏恩も師恩も夢だにもしらざるもののごとくなる時もあり。またある時はかく前後転変する心何ぞ淳一相続の心ならんや、これぞ若存若亡の心なるべしと歎かるる時もあり。またある時は、かく前後転変すと云えども如来廻向の一心はこの中に歴然たりと聊か動することなく称名することもあり。種々無量にしてツイに七十歳を送れり。
六。就中、踊躍歓喜の心相の起ることは甚だもって希に、後世者にはあらざるやと怪しまるるの心はつねに多し。ことに年老の長ずるに隨いては、ますます疎略の相となりはてたるに似たり。浅ましと云うもおろそかなり。
七。かく心相は種々に転変すと云えども口称の念仏は転変するものにあらざれば、他力の往生は違うべきことなしと喜び存じて一生これまで送り来たれり、然れば有難いかなや他力の信と行とは幼年の昔よりすでに獲しめ給えり。この身なれば今にも臨終せば決定往生すべきこと何の疑いあらんや。その他力廻向の信行は如何にして得たるや。これひとえに真の善知識に逢い奉りし恩徳のあらわれなれば、その恩徳の深きことは、まことに弥陀の悲願にひとしきものかと常に厚く頂戴して、粉骨砕身すともなお足らぬと、尊慮に違わぬ様つつしみつつしみ年月を送れども、報謝の勤め勇ましきすがたもなく不冥加の心中と謝りはてて日を送り来たれり。
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