PR
Keyword Search
Calendar
Category
Shopping List
Comments
Free Space
《一蓮院秀存談合録》より
六、たのめと云うはお助けを届けたい為じゃ。
(一蓮院師仰せに、)たのめとあるも、雑行雑修自力をすてよとあるも、
其のなりで助けると云うことを届けたいが為じゃ。
・《一蓮院秀存談合録》より
十三、たのむものをお助けと、助かるまじきもののお助けと。
明信寺云く。帰むという事は、これが胸につかえるうちはまだ聴聞不足なり。帰む事の胸につかえるにあらで、反って楽しみになるが真実信心の得られた験(しるし)なり。 帰むという事を嫌うは、まだ帰まねばならぬ難儀が我が心に起こらぬが故なり。存云く。帰むばかりのお助けを心得たりとも、助かるまじきものを助け給う本願の尊さの知れざる人はなはだ多し。世上の学者多く然り。我もまたその一人なりき。
・《一蓮院秀存談合録》より
十五、信じ上手と助け上手。
雲渓師いわく。私のたのみようや信じようは下手でも、助けてくださる方が上手なり。唯助かりさえすれば本望なり。今日より阿弥陀仏のまことをたのみたてまつりて弥陀に助けらるべしと気のつきたるも我が力かは。
・《一蓮院秀存談合録》より
二五、たのめと云うは助かれ助かると云うことじゃ
香樹院師お言葉に、たのめとあるは助かれ、
また我が身を助ける助けるの勅命にしたがえと云うことじゃ。
《求法用心集》より《八 聞名信喜》(再掲) 2026.10.10
《求法用心集》より《四三 好人そで女》(… 2026.10.09
《一蓮院秀存談合録》より《たのむ》関連… 2026.10.08