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《求法用心集》より《一一三 頓教毀滅 》
御和讃に、「頓教毀滅のともがらは、生死の大海きはもなし」と。
今の後生を忘れ、これ迄に聞いたことを信じてゐる様なるは、頓教毀滅ぢや。
また油斷の二種。一つには、未だ真のことはないとは思へども、油斷するなり。
(ドコソコデハキコエルト云ウ心)二つには、吾はよく聞き得たと思ふからの
油斷も頓教毀滅になるほどに、「生死の大海きはもなし。」 可愧可恐 。
正像末和讃より(14)
菩提をうまじきひとはみな 専修念仏にあだをなす
頓教毀滅のしるしには 生死の大海きわもなし
(現代語訳:悟りを得ることができないであろう人々は、
皆ことごとく専修念仏を敵視する。
このように速やかに悟りに至る教え(頓教)を誹謗し、滅ぼそうとする報いとして、
迷いの世界(生死の大海)から抜け出すことができなくなる)
(AI による概要より)
親鸞聖人の『正像末和讃』にあるこの和讃は、真実の教え(専修念仏)を誹謗し、
自力に執着する者はさとりを得られず、迷いの生死を彷徨い続けるという、
末法における法難や人々の疑謗を悲嘆・戒めた歌です。
意味と解説
菩提をうまじきひとはみな:さとり(菩提)を得る因縁がない
(真実の教えを信じられない)人々は、
専修念仏にあだをなす:ただ念仏のみを信じて称える教え
(専修念仏)を憎み、邪魔をする。
頓教毀滅のしるしには:瞬時に救われるという急進的で真実の教え
(頓教)を破壊するよ()うな行為をする者は、
生死の大海きはもなし:迷いの世界(生死の大海)をいつまでも抜け出せず、
その岸にたどり着くことはない。
つまり、自力で悟りを得ようと執着し、他力(阿弥陀仏の救い)を否定する者は、
真実の救いから遠ざかってしまうという厳しい警告です。
頓教毀滅(とんぎょうきめつ)
「頓教(速やかに悟りに至る教え、ここでは浄土真宗の専修念仏)」を
「毀滅(そしり、ほろぼすこと)」するという意味です。
可愧可恐
恥ずかしく、かつ恐ろしいという意味を持つ表現です。
可愧(かき): 恥ずべきこと、恥ずかしい。
可恐(かきょう): 恐ろしいこと、恐るべき。
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