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《秀存語録》より《五五 直航、廻航》
三帖目第七通『御文』に云く、「あいかまえて自力執心のわろき機のかたをばふりすてて、ただ不思議の願力ぞと、 かく信じて、弥陀を一心にたのまんひとは、たとへば十人は十人ながら、みな真実報土の往生をとぐべし。」執心はひっつひて離(はな)れぬことなり。海上の船は三十里五十里も真直(まっすぐ)にゆげは一日の間にも往かる。それが、諸所(ところどころ)の港(みなと)や島(しま)に立ちよると手間(てま)が入る如し。和讃に「久遠劫より此世まで、あはれみましますしるしには、仏智不思議につけしめて、善悪浄穢もなかりけり。」この就くと云が、自力につかずして不思議の仏智にひっつけよと仰せらるるなり。仏智不思議につきた上からは、信後の身のたしなみには、悪の方へつかぬやうに善の方へつくべし。故に大経に云く、「仏語弥勒、世間如是、仏皆哀之、以威神力、摧破衆悪、悉令就善、棄捐所思、奉持経戒、受行道法、無所違失、終得度世、泥?之道。」
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《御文章三帖目》より《第七通・三業》
そもそも、親鸞聖人のすすめたまふところの一義のこころは、ひとへにこれ末代濁世の在家無智の輩において、なにのわづらひもなく、すみやかに疾く浄土に往生すべき他力信心の一途ばかりをもつて本とをしへたまへり。しかれば、それ阿弥陀如来は、すでに十悪・五逆の愚人、五障・三従の女人にいたるまで、ことごとくすくひましますといへることをば、いかなる人もよくしりはんべりぬ。
しかるにいまわれら凡夫は、阿弥陀仏をばいかやうに信じ、なにとやうにたのみまゐらせて、かの極楽世界へは往生すべきぞといふに、ただひとすぢに弥陀如来を信じたてまつりて、その余はなにごともうちすてて、一向に弥陀に帰し、一心に本願を信じて、阿弥陀如来においてふたごころなくは、かならず極楽に往生すべし。この道理をもつて、すなはち他力信心をえたるすがたとはいふなり。そもそも信心といふは、阿弥陀仏の本願のいはれをよく分別して、一心に弥陀に帰命するかたをもつて、他力の安心を決定すとは申すなり。されば南無阿弥陀仏の六字のいはれをよくこころえわけたるをもつて、信心決定の体とす。
しかれば「南無」の二字は、衆生の阿弥陀仏を信ずる機なり。つぎに「阿弥陀仏」といふ四つの字のいはれは、弥陀如来の衆生をたすけたまへる法なり。このゆゑに、機法一体の南無阿弥陀仏といへるはこのこころなり。これによりて衆生の三業と弥陀の三業と一体になるところをさして、善導和尚は「彼此三業不相捨離」(定善義)と釈したまへるも、このこころなり。
されば一念帰命の信心決定せしめたらん人は、かならずみな報土に往生すべきこと、さらにもつてその疑あるべからず。あひかまへて自力執心のわろき機のかたをばふりすてて、ただ不思議の願力ぞとふかく信じて、弥陀を一心にたのまんひとは、たとへば十人は十人ながらみな真実報土の往生をとぐべし。このうへには、ひたすら弥陀如来の御恩のふかきことをのみおもひたてまつりて、つねに報謝の念仏を申すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
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