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1月6日に仕込んでおいた、ローズマリー、アロエ、柚子のティンクチャーが完成しました。私はジンを使用してみました。ゴードンかタンカレーかボンベイサファイアが個人的には好きなのですが(飲むんじゃないんだって♪)…なかったのでBEEFEATERを使用♪ジャムの空き瓶に、庭からチョッキンしてきたローズマリーの生葉、業者さんがトラックでやっつけて、ポキンと折ってくれたアロエの株があったので…調度いいや♪これも使おう~♪と葉を剥がし、刺を削いで二枚に下ろしたもの、柚子の実に切り込みを幾つも入れたもの、などを入るだけ詰め込んで、ジンをこれまた入るだけ注ぎました。…で、3週間程ほおっておいたら綺麗な色になりましたので、こしてみました♪香りはローズマリーは微妙~(>_<)今度作る際にはローズマリーはホワイトリカーに漬けてみよう…。ジンの香りと喧嘩しちゃってます。このまま熟成させたらまろやかになるのかもしれませんが…。アロエはスッキリする香り。柚子の香りはこの中では一番素敵です♪柚子の香りをさらに清らかにした感じ♪♪これを何に使うかといいますと…化粧水を作るのです♪♪♪o(^-^)oお酒にはお肌の引き締め効果があります今日作ったのは…クエン酸…耳かき一杯グリセリン…小匙一杯生アロエをミキサーにかけて絞ったジュース…50ml精製水…30mlローズマリーティンクチャー…小匙一杯これをシートパックに染み込ませパックにしたり、乾燥してきたら手足に噴きつけています♪お肌にピンと張りが出て、でも柔らかくなって…今のところいい感じです。生アロエなので、とっとと使ってしまわないと…と思い、バシャバシャ使ってます(#^.^#)使いたい放題に使えてうれしいな~♪無くなったらまたすぐ作れるし♪♪これまで、エッセンシャルオイルやハーブ化粧品を購入することに強い抵抗感があったんです…。それは…「うちに原料がどっさりあるのに、なんで製品を買う必要があるんだ!?」という思いからくるもの…。ラベンダーもローズマリーもスペアミントもパイナップルミントもレモンバームやセージにカモミール、赤紫蘇&青紫蘇も庭で雑草と化しているし、柚子も蜜柑もレモンも花梨も梅も桃もラズベリーもブルーベリーもいちぢくも沢山実るのです…。アロエやウコンを始め、月桂樹もあるし、薔薇は四季を通じていろいろ咲くし、ジャスミンもどんどん増えている、タイムやオレガノ、バジル、レモングラスも毎年育てているしなぁ~(¨;)ちょっと野原に出れば蓬やドクダミがわんさか…。そういえば…甘~い香りの強いローズバーベナがでかくなりすぎて困ってたんだ…(-.-;)いっそオイル精製用の蒸留器を購入しちゃおうか、そしたらストレスは起こらない、と思い調べてみましたが…これがなかなかよいお値段(>_<)ならばいっそ自分で蒸留器作っちゃおうか…!ブロックと醤油缶とお煎餅の缶と金網で、薫製器作っちゃった自分なので…不可能じゃないぞ!!そんな時…ハーブティンクチャーを教えていただき♪これはいいぞ!と早速試作o(^-^)oそういえば昔…知り合いのお姉さんに教わった柚子とお酒の化粧水のレシピがあったことを思い出しました。『柚子とお酒の化粧水』柚子を搾ったジュース…1日本酒…1水…1全て同量を加え混ぜて完成。これを洗顔後の肌にたっぷりつけてしばらく置きます。しばらくすると乾いてきてつっぱるようなパリパリした感じになったら、水で洗い流します。ストレスで急に肌荒れのひどいのが出た方が試してみたところ…一日で治りびっくりしました!一度私も試してみて凄くよかったのですが、柚子を大量に搾るのが面倒になってやめてしまいましたf^_^;でもティンクチャーにしたら簡単だ♪柚子と日本酒の化粧水の感じからすると…ティンクチャーを水で割ったものをそのまま化粧水として使えるなあ~o(^-^)oそちらも試してみよ~っと♪他にも現在ラベンダーと紫ウコンのティンクチャーを仕込み中o(^-^)oティンクチャー…って結局のところハーブ酒ですから、熟成させたら美味しくなるの…かな???身の回りにすでに沢山あるものをもっともっと有効に利用してしあわせを増やしていきたいなぁ~と思いました(#^.^#)
2008.01.31
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2006年3月 南房総『海といふ 大いなる春の 音碧』 海と遊んでもらいました。ほんと…遊んで貰ってる~♪…という感じです(¨;)くねくねした綺麗な流木を見つけましたので、いただいて帰りました。これは、伸びてきたポトスを巻き付けたらかわいいぞ♪
2008.01.30
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2003年2月 南房総『春の日の 風をまとひて 遊びたし この世の富を 野にぞ探しつ』 近くのお寺にふらりと寄ってみたら、梅がよい感じになっていました♪噂によると…海岸沿いにあるお寺さんでは河津桜が開き始めたそうです。暇をみて、チョロッと様子を見てきます♪バタバタしているうちに見逃してしまうことが多いので、今年こそ!!!
2008.01.29
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2006年7月 貴船『この水に なりてこの世を 漱ぎたし』 出羽三山より戻った翌週、祇園~伊勢、の残りの三貴子の地&安井金刀比羅宮参拝の為京都入りしたのですが…(-.-;)神泉苑~鞍馬~貴船~にも行く流れに乗せられ…なんというか…う~ん(+_+)この時のことはあんまり語りたくない(語ると出羽三山以上に長くなる)ので句だけにさせていただきたく思いますm(__)m 2006年7月 貴船神社『てふてふの 黄色にひかれ 水参り』貴船神社 奥宮『しばらくは 無音の夏の 光かな』 まあなぁ~祇園会限定の青龍のご朱印がいただけたことと、鞍馬奥の院から貴船へ下りる途中で光る倒木に出会えたのはよかったからなぁ~うんo(^-^)o感謝して…母様に頼まれた、生八橋のソーダ味と桃味、ブルーベリー味をゲットして、近鉄で伊勢市へGO翌日、外宮から内宮を回るとなにやら川が騒がしい…報道陣もいっぱい…この日、伊勢では二十年に一度の『お木曳き』の祭が行われておりました。偶然ですが、この日は秋篠宮さまが参加された日でもあり…それでずらりと報道陣が待ち構えていた訳か…五十鈴川を曳かれてくる木と、木曳き歌や踊りを橋の上から楽しませてもらいました(゚▽゚)こんなふうにして、たくさんの人の想いが重なり、伊勢神宮を支えていることにふと感動し…ついに涙ぐむ…(・_・、)「みんなありがと~」と叫びたくなりました(^^ゞそれにつけても伊勢の方は親切です。お団子と抹茶ジュースを求めただけなのに、お店の裏にある観覧特等席に連れていってくださって…びっくりしました。そこでもしばらく見させてもらってから、猿田彦神社~月読宮~倭姫宮へ参拝しました。倭姫宮で伊勢市駅への道をたづねると…細かい地図を書いて最短路を教えてくださいましたなんでみんなこんなに親切なんだ暗くなりかけてきたので月夜見宮参拝は諦めていたのですが…ギリギリで到着無事参拝させてもらえました。(鳥居くぐった際に…よしよし…と頭撫で撫でが来たような…)帰りのバスまで時間があったので暇つぶしに駅前の花壇で草取りしていたら、(旅先でも、草取りする奴…f^_^;)地元の方がいらして少し話してその答えを与えて下さいました。伊勢は誰でも喜んで受け入れる土地柄。みなさんに来ていただいて成り立つ土地なので、旅行者やよそから来てくれた人を大事にする。とのこと。なるほど…謎が解けたぞありがとう~「また必ず伊勢に来るんだよ」そう言って散歩の道を帰っていった方も、数年前に移り住んだというお医者さんでした。 2006年7月 伊勢『なつかしき 道とぞ想う 夏木立』 写真はおととい豊玉姫さんちの裏で撮影したデゴイチくんです今日は日曜日でもあり最終日でもありましたので、たくさんの方が見に来てくれたようです。よかったねデゴイチくん私は、今日は見に行けませんでしたが…昨日までの間、たっぷり見させていただきましたので満足です(#^.^#)
2008.01.27
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石段を登り続けます。羽黒で二千五百段をこなし、月山~湯殿を踏破したことを思えば、軽い軽い。蝉塚を過ぎ、さらに登ると『弥陀洞』というところがあります。ここで天然の阿弥陀様にお会いしました。切り立つ断崖に高さ18mほどの阿弥陀如来がほんのりと浮かび上がっています。自然にそうなったのだとか。あまりのことにポカーン…。仁王門をくぐると奥の院まであと少し…ですが、途中の山内支院にも一つずつ参拝で…どの支院で見つけたのか忘れてしまいましたが…《おん にこにこ 腹立てまいぞや そわか》とここでは唱えるよう示した板を見つけました…(☆_☆)うはは…なんとなくこの山寺の人気の秘密がわかってきたぞ奥の院・大仏殿正面右側の奥の院は、慈覚大師が中国で修行中に持ち歩いていた釈迦如来と多宝如来を本尊とした如法堂。左側の大仏殿には、高さ5mを誇る阿弥陀如来が安置されています。~山寺ガイドブックより~まず如法堂に灯を点し、香を焚き、本尊の二尊に参拝すると…天俄かにかき曇り、慈雨来る…って、傘持ってきてないんだってば~(*_*)お手柔らかにお願いします…。阿弥陀様も光明を放ちつつくっきりとそこにありました。ずしりとした手応えのさすがの浄域です。絶景にして強力な五大堂、慈覚大師がともしたといわれる香り漂う開山堂、山内最古の建物であり山寺の象徴、納経堂、それぞれと親しく時を過ごし、小雨の中奥の院を後にしました。仁王門を出てすぐの処には紫陽花がありました。雨に濡れ光を受けて輝く姿がただ美しく、そして、今この瞬間がもっとも美しい盛りであることが一目で解りました。しばし足を止めて見惚れました。濡れてこそ輝く薄紫の珠。帰りは山形新幹線『つばさ』で東京へ…帰路、頭の中には、涼やかなる鈴の音が鳴り続けておりました。 2006年7月 山形『慈雨を得て 光の中へ 戻りゆく』
2008.01.27
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山寺…大盛況です休日故、親子連れもわんさか、カップルもぞろぞろ、句会衆らしき集団からツアー客まで…人でいっぱいお土産屋さんや食事処では荷物を無料で預かってくれたり、杖をこれまた無料で貸してくれたり、オリジナルの山内ガイドを手渡して下さったり…。至れり尽くせりf^_^;へぇ~こんなに人々に愛されている処になってるのかぁ~☆宝珠山立石寺俳聖・松尾芭蕉が山寺を訪れたのは旧暦の5月27日(新暦では7月13日…)「閑かさや 巌にしみ入 蝉の声」の名句はここで生まれた。「山寺」とは通称で、正式には宝珠山立石寺という。登山口から頂上の奥の院までは、約千段の石段が続く長い道程。上がった先には、標高500mからの見事な景観が広がる。~芭蕉が訪ねた蝉の鳴く山寺より~芭蕉さんのおかげですな~お寺の様子もいい感じです。参拝者を程よくほおっておいてくれます。それでいて、両手を広げて衆人を受け入れる体制が山全体に行き届いた、開かれた印象の寺院です。根本中堂延文元年(1356)に再建され、ブナ材建築物では日本最古といわれる。堂内には慈覚大師作と伝わる木造の薬師如来坐像が安置。1000年前に比叡山から移された法灯が今も守られている。~山寺ガイドブックより~しょっぱなから根本中堂で掴まって動けない~(*_*)足が痛くて…ではなく、空間が心地良すぎて~(;´・`)当初、蔵王と山寺の両方を巡る予定でしたが…蔵王は兄さんが行くというので(この兄さんに出会った瞬間…ワーイ私とおんなじことしてる人がいた~ヤッター、ほんじゃあ全部一人でやんなくていいんだラッキー…と思いました)…蔵王は任せ、私は山寺一本に照準を絞って正解じゃったわい…。ず~っとここにいたいぞぉ~うっとり浸っておりますと…後ろに立った背の高いおじいさんがお経を上げはじめましたよくよく聞いておりますと…「南無~薬師~瑠璃光~如来~、なにとぞ肩の~痛いのを~取って~下さい、ついでに腰の~痛いのも~取って~下さいお願いします~…」おじいさん…お経の節まわしでお願いごと奏上してます…(^^ゞとっても大きな声で、よく通ります。でも、こんなふうに素直にはっきり云われたら、お薬師さんだって叶えたくなるよな~☆うんうんと妙に感心。おじいさんの肩と腰が楽になりますようにm(__)m日枝神社~秘宝館をまわり、念仏堂にも上がらせていただきました。念仏堂は修行道場として参拝者に開放され、ミニ修行に参加できます。写経道具を揃え、やりたい方は自由にどうぞ~方式。(納経料千円)参詣者の多さにもかかわらず、境内はしんとした静けさに充ちています。芭蕉が讃えたこの地の持つ深い閑けさを、みなさん大切にされているのだなぁ~と感じました。山門をくぐり、千の石段をこれから登り、奥の院へと参ります足は、持ち主の意思とは関係なく、ここではサクサク動きますf^_^;これならきっと大丈夫o(^-^)o
2008.01.27
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2006年7月 立石寺『あじさいの 仏の色を くぐり行く』 翌日、予定通り芭蕉が訪れた山寺・立石寺に登ることにしました。慈覚大師円仁松島の瑞巌寺、平泉の毛越寺と中尊寺、山寺の立石寺は、いずれも平安時代に慈覚師大円仁(794~864)が開いた古刹です。円仁は、栃木の人。九歳で仏門に入り、比叡山延暦寺の最澄の弟子となった。835年には遣唐使とともに入唐し、天台宗の霊山の一つである五台山大華厳寺、長安の青竜寺などで天台密教の秘法などを得て帰国。第三代天台座主となると、弟子の育成、天台宗の普及、比叡山延暦寺の躍進に尽くし、死後、慈覚大師の謚号を贈られたのです。入唐時の九年半に渡る見聞をつぶさに記した『入唐求法巡礼行記』はアメリカの歴史学者・元駐日大使ライシャワーによって英訳、世界に紹介され、玄奘の『大唐西域記』(西遊記の元本)やマルコポーロの『東方見聞録』と並ぶ世界三大旅行記の一つとされ、注目されています。~四寺回廊より~出羽三山を辿り、出会ったのがこの慈覚大師円仁でした。かねてより御名と偉業は存じ上げておりましたが…三山を巡った結果ど真ん中に直球で飛び込んで来ましたので、まるごと受け入れるしかない…という濃ゆいモードに突入。調べてもとくに円仁が出羽三山を廻ったという記述は見付からなかったのですが、羽黒山には慈覚大師円仁ゆかりと伝わる寺坊がいくつか存在しますので、恐らく歩いたのでしょう。後に円仁展のパネル写真で見た五台山の光景が月山の稜線とそっくりで驚きました。山頂は岩場でありながら一面の花畑というところまで同じ。緯度もほぼ同じ…。山寺・立石寺860年、清和天皇勅願寺として開かれた立石寺。慈覚大師が比叡山別院として延暦寺の法灯を移した学問修行の山岳仏教の霊地。宗教文化遺産の山寺です。~四寺回廊より~三山の結界内ではスタスタ歩けていたのに…下界に降り立った途端、筋肉痛発動(*_*)いでででで…。杖が別の意味で手放せないf^_^;山形駅直結のお宿にしといてよかったよ(T_T)山形や 一足ごとの 痛さかな…(+。+)(コラコラ!)ホテルの方に聞くと、山寺駅からすぐ…とのことですので頑張って行くことに…。山寺がちゃんとした霊地なら…痛みは消えて私は歩けるはずだいずこよりわいてくるのかわからぬ妙な自信に支えられ…さて山寺駅へ到着~(^O^)/駅から山寺全体が見えまする中国の五台山の香り染み渡る仙崖境です。五台山は文殊菩薩の聖地、山寺は阿弥陀如来を中心とする霊場ではありますが…。
2008.01.26
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(出羽三山の話はまだ続きますが、ここで閑話休題)今日も(昨日も)見てきました♪SL。本番ではちゃんと黒い煙りをあげて、お客さんを乗せていました♪(当たり前か!)このデゴイチくんと客車は、八甲田山を走っていたものだそうです♪雲が出て、少し陰っていたのですが、デゴイチくん通過の一分前に日が射してくれました♪お日様ありがとう♪鴨川からデゴイチくんを追っ掛けてきたという女性や、三脚使ってカメラ構えて待ち受ける男性たちで、菜の花のこちら側は人人人…♪♪♪♪頑張って、頑張って、走れよぉ~♪
2008.01.26
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2006年7月 湯殿山神社『夏空に 丹き心を 定めたり』 かつては場所も秘され、地図にも載せなかったという湯殿山。含満の滝から歩いてくると、いきなり湯殿山神社の本宮入口御祓所に出ます。出羽三山奥宮 湯殿山湯殿山は、平成十七年に御開山1400年を迎えました。開山は崇峻天皇の御子である蜂子皇子です。皇子は、蘇我氏の難を避け、はるばる海路を経て由良の海岸に上陸し、出羽の国に入られました。そして三本足の霊烏の導きによって羽黒山に入り、難行苦行を積んで羽黒権現の御示現を拝し、次いで、月山、湯殿山を開きました。湯殿山は古来、出羽三山の奥宮とされ、「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた清浄神秘の世界です。湯殿山神社本宮は、清冽なる梵字川の流れのほとり幽玄なる峡谷中に鎮座しています。湯殿山神社本宮には社殿がなく、御神体は、熱湯の湧き出る茶褐色の巨大な霊巌で、大山祇命、大己貴命、少彦名命を祀っています。江戸時代には、西の伊勢参りに対して、出羽三山奥参りと称して、両方をお参りする事が重要な「人生儀礼」の一つとされていて、全国からの参拝者たちで賑わいました。中でも、湯殿山は特別に神秘的な山とされ、お参りする際には、あらかじめ厳重な精進潔斎をしなければなりませんでした。羽黒修験でも湯殿行を行わなければ、大願成就は達せられないとされてきました。羽黒山で現世御利益の御神徳に与り、月山の大神の下で死後の体験をし、慈悲深い湯殿の大神より、新しい生命を賜って、再び出生すると考えられていたのです。~湯殿山神社パンフレットより~本宮に参拝するには、まず素足になりお祓いを受けてから玉垣内に入ります。素足になる以外は月山神社と一緒です。おょ御祓い受けてる間に兄さんがふらふらといなくなっちゃったぞぉ~「出口」に、ゆらゆらっと吸い込まれていきそうな様子は見たけれど…やっぱり不思議な奴っちゃf^_^;彼には彼の人生がある…放っておこう~私は自分のことをする。寶前を拝し、流れ落ちる熱い湯の中で巌を踏み締めながら御神体に昇り、御神体の上から御滝神社の御滝(音は聞こえど姿は見えず…すぐ下らしいのですが)に意識を合わせる。御神体も素晴らしいものですが…多分私は御滝の方に用事があって来たのだと思えたので、しばらくここでいろいろとf^_^;あ~参拝者はみんな誰でも御神体に昇れますので御心配なく~月山でご一緒した鎌倉の子によると、湯殿には女巌と男巌があり、みな女巌しか拝さないので男巌も捜してみるように云われていたのですが…これかなてのを拝しておきましたf^_^;御滝神社湯殿山神社本宮、御祓所前の竜の手水の後ろ辺りから道ならぬ道に足を踏み入れ小道を分け入った所に長さ30m余りの鉄梯子があり、これを下りると御滝神社の滝壺に出ます。二条になって流れ落ちる滝は、梵字川の激流が御神体の脇から落下しているもので、雪解け水なので、真夏でも身を切るような冷たさですが、御参りの季節になれば、ここで滝の行をする行者も多く見られます。直務所脇から渓谷を望むと、遥か下方に、轟音を響かせて流れ落ちる滝の姿を垣間見ることができます。滝の右側にあるのが御滝から御寶前に登る為の鉄梯子です。~湯殿山パンフレットより~御滝神社の祭神は…瀬織津姫神とのこと…。黒だぞ!?瀬織津姫~?!梵字川沿いの神様たちは、江戸時代までは、権現・如来の像を安置し、御沢駆けと称して礼拝していましたが、神仏分離後、全て神名になった…そうですので…瀬織津姫なのでしょう。(んなこといったら御寶前の三神も?ですからf^_^;細かいことは言いっこなしよ~)御滝の水が梵字川なら、さっき上流で飲んだ水が滝になる水ですね(#^.^#)たっぷりいただきましたわちなみに、御滝はパンフレットには載っていますが、一般の方は御沢駆けの道には入ることができないそうです。御滝を下から間近で拝するには、修行体験に参加するしかない。おっ兄さん発見境内をあちこちまわっていろいろと活動している模様。御神湯湯殿山御開山1400年奉祝事業として、本宮入口脇に御神湯を設置しました。御神体より流れ出る御神湯に足を浸し、大神様の広大無辺なる御神徳をお授かり下さい。~湯殿山パンフレットより~神社に足湯~広くてなかなか気持ちよく、長いことつかってました\(^^:;)湯殿の御神体については語っちゃうと御神徳がいただけないそうなので、黙っときますが…観ると感動します特に私は上に登り、湯の湧き出る様子を見た時…こんなことって本当にあるんだ~(☆_☆)…と神仏の心の顕れに胸をうたれました。地球は生きているんだなぁ~とあらためて感じ入りました。 2006年7月 湯殿山『死を抱き 生まれし者よ 解夏の頃』 私は羽黒~月山~湯殿と、死と再生の道を歩きましたが、湯殿参拝だけなら今は手軽にできるように道が整備されています。参拝専用バスが本宮入口~大鳥居大駐車場まで運行されており、この区間は専用バスか徒歩での移動となります。大鳥居のそばには湯殿山参籠所、レストハウス、大鳥居茶屋、大駐車場もあり。開山期間は4月29日~11月3日ごろ。積雪期間は閉山。なにしろ高さ18mの大鳥居が積雪期は雪でかなり埋まってしまうのだそうです。大鳥居から湯殿山有料道路を約2km歩いて下り、湯殿山ホテル前からバスに乗り山形へ…。(予約無しでも乗れます)魂の再生…なったかどうか自分的には微妙ですが…とりあえず出羽三山奥参りの宿願達成でバンザ~イの気分ではある。\^o^/あんまりうれしいので、これからまだいくつも霊山を登る為にこのまま東北地方を北上するという兄さんに、月山下山をサポートしてくださった御礼にケーキだったかアイスだったかプリンだったか忘れたけれど、スイーツを御馳走させていただきましたm(__)mそして兄さんは山形駅から蔵王の方に向かって、ゆらゆらと歩いてゆきました。(歩いて行くらしい…月山も下から歩いて登ったようだし(-.-;))
2008.01.25
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翌朝、ご来迎を見ようとみんなで早起きするも叶わず。月山神社の開くのを待って、鎌倉の子と二人で早朝参拝に行きました。月山神社が開くのは朝5:00ご奉仕されている方たちは朝からキビキビしています。自分の誕生日に月山に登って一晩を過ごし、そこで(ある意味)一度死んでから翌日湯殿できっぱりと再生を果たす…というかねてからの計画が上手くゆくように再度お願いに上がりました本日も本宮社殿上空に珠として在り。なにとぞお力添えを~m(__)m玉垣内には本宮を取り囲み、ずらりと神様が祀られています。小さい祠ですが、一つずつ参拝。まだ暗い中での参拝は非常に清々しく、思った以上にすっきりしました。上手くゆくといいななにより無事に湯殿山に辿り着けますように。(修行用のハードな道を降りてゆくことになるのでちょっと心配)月山神社で、杖を求め、焼き印を押してもらいました。熊避けの鈴と月山Tシャツ(仏生池小屋でも販売しています)も手に入れました。どちらもより実用的な意味で必要なものですので…f^_^;(熊が出るそうですし、頂上では持ってきた服をあるだけ着てもまだ寒い)頂上小屋に戻り、朝食を取りながらリサーチしてみると…おっとりしたおじちゃんと不思議なお兄さん、福島のご夫婦、そして20人ほどの団体さんがここから湯殿に降りるらしい…。よ~かった~(゜▽゜)鎌倉の彼女は羽黒側に降りるので、見送ってから私もスタート☆横なぶりの雨霧の中を踏み出すも、すぐに風は弱まり、濃い霧だけになりました。晴れて欲しかったのですが…よく考えると見えない方が私にはいいのかも見えてしまうと足がすくんで動けなくなる可能性も高い。怖くないように視界をゆるやかに隠し、守ってくれているのだなぁ~と、感謝しながら鈴を鳴らしつサクサク降りる。5分ほどで鍛冶小屋の稲荷に到着ここはかつて刀工が名刀を鍛える為に鍛冶を行った場所であるという。月読命の本質を思うとなるほど…と納得。…と、ここでいきなりあらぬ方向からおじちゃん登場(多分鈴の音を頼りに見つけたものと思われ)しか~し、30分も早く出発していたはず…どこで何してたんだろ…f^_^;深く追求はすまい。しばらくおじちゃんと道連れになって進む。ほどなくしてお兄さんも追い付いて、結局三人でスタスタ進むことになりました。マイペースを保って、おいついたり離れたりしつつ…旅は道連れあ~有り難しm(__)m牛首のゆるやかな道にさしかかると、やや霧も晴れ、美しい花や景色を楽しみつつ進むことができました。「純粋」という言葉そのものを凝縮した色とりどりの高山の花たちいくつもの雪渓を越え、幾人もの人と挨拶を交わし、崩れた場所を迂回し、時には雪渓の下を潜り、杖をつき、鈴を鳴らし、ひたすら進む。おじちゃんは渓流釣りスタイル、お兄さんはジーンズ、私はハイキングレベル…f^_^;ある意味同類で妙な連帯感もわいてきます 2006年7月 月山『雪渓をゆく のどかなる 三人かな』 ところが、世の中にはもっと上がいらっしゃいました…半袖、短パン、ビーチサンダルで登ってきた外国人に遭遇!「こんにちは~」と元気に頂上に向かって登ってゆきましたが…大丈夫かなあ~あれで…(¨;)途中で地元の方たちにも出会い、採ったばかりの月山筍をどっさり分けていただきましたo(^-^)oうひょ~(゜▽゜)ラッキー☆地元の方によると、味噌汁や天ぷらにするよりも、そのまま焼いて、皮を剥いて、なんにも付けずに食べる方が美味しいとのこと(家に帰ってから試してみたら本当にそのとおりでした)月山の恵みを沢山分けていただき、有り難くお土産にさせていただくことにしましたm(__)m(登山者が勝手に採ると捕まりますのであしからず)地元の人たちは、月山の圧倒的な大自然の中にあっても、同じものでできているように情景に溶けこみ、生き生きしておりました。自然にそこに存在し、調和しています。水芭蕉を見つけ、おじちゃん捕まって動かないので、置いて先に行くことに…。別の場所でも、水芭蕉の大群生地を見つけました夢のような光景です。そこへおじちゃんも現れしばらくうっとり浸った後、三人で装束場といわれた避難小屋まで歩き、少し休憩。ここから先最大の難所がありますが…意外に平気でした(一人だったら駄目だったかも)おじちゃんはバスの時間があるので先を急ぐとのことで、ここでさようなら高度差250Mを鉄梯子や鎖を伝って一気に降り、水の中の道を歩き、濡れた石にずってんころりん…リンリンリン(転んでたのはほとんど自分ですがf^_^;)無事おいしいお水もいただきました(^O^)/いよいよ湯殿のエネルギーフィールドに入ります。ちょっと気を緩めると危険な区間がありますので…そこはひたすら集中o(><)oそして、ようやく魂の再生の地へ到着しました。 2006年7月 湯殿山『約束の 地に立つ我と 我が文月』
2008.01.25
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2006年7月 月山頂上小屋『一夜死の 懐の地に ねまるかな』 芭蕉も一夜を過ごし、俳人・黒田杏子さんも御先祖さまの声を聞いた…という山頂に泊。3時前に着いてしまい…暇~木の香りも新しい食堂で一人で俳句をひねっていたら、お姉さんがお茶をサービスしてくれました。(その前にコーヒー二杯注文している宿泊者ですのでサービスしていただけたらしいのですが、普通は有料です。水はヘリコプターで上げるので貴重品)食堂内にはご主人が撮影したらしい月山の風景や高山植物の写真があちこちに飾ってありました一つずつ丹念に見て歩く…。写真集もあるというので見せていただくと、四季折々の姿や植物動物たちがずらり。(月山山頂小屋で販売中希望者にはご主人がサインを入れてくださるそうです)その中に…月山兎ちゃん発見(☆_☆)目が大きくて清らかで~月山のイメージにピッタリ(写真では毛は茶色でしたが)月の山には兎がいるんだ~と妙に感動☆本物も見てみたいなぁ~そいえば小学生の時兎飼っていたよなぁ~(矮鶏や鶏も…どれも蛇にやられてしまいましたが…)そうこうしているうちに続々と宿泊メンバーが到着しはじめました乾燥室(靴や衣類を乾かしておく為の部屋)で意気投合した鎌倉からツアーできた女の子に…「私のお部屋に寝においで」と誘い、夕食までいろいろ話しこむ。相部屋のお客さんがキャンセルしたとのことで、私の部屋は私一人だし、彼女のツアー組の部屋は押し入れに寝る者もいるほどぎゅうぎゅうとのこと…ならばおいでお互い教育職でしたので、生徒の写メを見せあったり、情報交換したり夕食は席が決められており、私は個人で来た人々のテーブル埼玉から一人で初めて来たというおっとりしたおじちゃんと、福島からおなじく初めて来たというご夫婦と…そして、毎週のように来ているという男性と…この方、仏生池の小屋で会いましたf^_^;よき先達発見o(^-^)oここぞとばかりに聞きまくる。湯殿へのルート→(分かれ道があったら全部右へルートを取れば大丈夫…とのこと非常にわかりやすい説明です!)前日出会ったご夫婦が教えてくれた、おいしい水の飲めるポイント→(川に出たらちょっと上流に歩けばコップが置いてあるのですぐにわかるそこから湯殿の煙りがもう見える)これで安心して降りてゆけるぞ夕食は、一人ワンプレートのおかず(天ぷら他)と、1グループ(5~6人)ごとに好きなだけ取り分けられる山菜料理の大皿が二種類用意されていました。勿論ご飯となめこ汁も山菜が旨いのなんのここでしか味わえないものなので、みんな海老の天ぷらそっちのけで、山菜料理に夢中(自分も~)月山の恵みをたっぷりいただいて満腹(#^.^#)食事の後、小屋のママに湯殿までの道は大丈夫なのか聞いてみると…通れるよ…とのお返事ふと隣にいる人を見上げると…羽黒本殿で出会った不思議な兄さんだ……なんでここにいるんだ(山登りする様子には全く見えなかったし、現に私以上になめきったスタイル…)ま、それは置いといて…霧と風がすごかったので山頂から夕日を眺めるのは諦めていたのですが…キャー☆…霧が切れてちょっと見えてる~鎌倉の子とダッシュツアーできていたおばさまたちに山頂近くの黒百合の咲いている場所も教えていただきました両方みることができましたバンザーイ\^o^/夜はペルーやチベットやエジプトの話などで盛り上がり、一緒にちょっと瞑想して…みんな寝静まったので寝ることに…。でも、正直なところ…下界に降りたくない気持ち70%の状態でありました。寒いけど…もっといたいよぉ~(*_*)写真は帰ってから発見した、自宅近くの出羽三山の石碑。
2008.01.25
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2006年7月 月山九合目『水なぶる 行者返しに 怯まざる』 登山口の鳥居を一礼してくぐり、無量坂を登り始めてしばらく行くと雨はやや小降りになりました。体調すこぶるよしo(^-^)o前日の状態が嘘のようです。雪渓を進み、川と化した岩道を登り、一の岳と呼ばれる辺りにさしかかると、ふと雨が止み、霧が払われ、弥陀ケ原やレストハウスまで一望にすることができました。ほんの数秒でしたが、絶景月読さん見せてくれてありがとう~(゚▽゚)さらに登り、また歩み、雨と風がまた強くなり始めたその時に、折よく九合目の仏生池小屋に到着あつあつの月山名物「なめこ汁」を注文し、朝お宿の女将さんが持たせてくれた包みを開き、ここでランチ休憩にさせてもらいましたなめこ汁…美味い~(☆_☆)五臓六腑をかけめぐり魂にまで染み渡る旨さ~(*_*)外では雨風がビュービューぴしゃぴしゃ言ってるし…このままここに根が生えてしまひそう…(-.-;)そうも言っていられず、山頂目指して再出発。こんな雨の中…沢山の方が山頂より降りてきます。子供からおばあちゃんまで…そしてみんな非常に元気o(^-^)o行者返しも無事登り切り…頂上まであとちょっとp(^^)q行者返し出羽三山を開いた蜂子皇子を慕ってここまで登ってきた修験道の開祖の役行者が、蜂子皇子の霊に「まだ修行が未熟である」と押し返された場所であるという。役行者は湯殿山で修行しなおし、再度登ったという。~出羽三山、月山・湯殿山より~行者返しの祠に祀られているのは…衝立船戸神です。しばらくいくと…急になだらかな道になり、辺りは花畑ハクサンイチゲの白い可愛い花♪ここまでくると空気も大分薄くなってきて、さすがに息が上がってきました。まだ雨は止まないけれど…大の字に寝転んでしばし休憩。登り始めてから、ずっと不思議な感じでした。《完璧に護られている安心感》だから、一人っきりでこんなところでこんなふうにしていてもちっとも怖くないし淋しくもならないのです。月読さんに包まれて、溶けてゆくような…気分。雨に打たれながらそんなことを考えていると、突然、雲が割れてお日様が顔を出しました。よし、残りも頑張るぞ~ぴょんと跳ね起きてモックラ坂を登り、賽の河原を過ぎ、もはや視界は1M、寒さもいよいよ限界となった頃…着いたぁ~月山神社山頂に鎮座する月山神社本宮は延喜の制による名神大社で東北唯一の官幣大社であった。神階は従二位、古来朝廷をはじめ幅広く庶民の篤い崇敬を集めてきた。御祭神「月読命」は、月を象徴する神として、夜、海、魂や死後(命の再生、蘇り)の世界を司り、天下泰平、国土安穏、産業発展、五穀豊饒、大漁満足に霊験あらたかとされている。祖霊安鎮の山としても尊崇されている。~出羽三山奥参りより~月山神社の方たちは皆さんとっても親切でした。まずは参拝者控室で火にあたりあったまらせてもらいつつ、いろいろとお話を伺いました。月山神社は、入口でお祓いを受け(御祓料500円)ないと参拝できません。形代にケカレを移し水に放した後、お祓いを受けて玉垣内へ進み、参拝。はあ~来れたぁ~☆御神酒を受け、いろいろ物色し、ひとまず辞して今夜のお宿へと向かいました。 2006年7月 月山神社『月の香の 峰に禊ぎて すがすがし』
2008.01.24
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2006年7月 月山八合目 弥陀ケ原『やはらかき 光を雨に 月の山』 ~佐依~ 雨と霧で視界を遮られながらも、バスに揺られて月山八合目に到着前日、祓川でお会いしたご夫婦とは、宿の朝食の場で無事再会いたしましたf^_^;月山に登るのは三回目だというご夫婦に、バスの中でいろいろとお話を伺いました。ご夫婦は雨が強くなるようなら八合目の月山中之宮に参拝して帰るとのこと…。う~ん…ここまで来て諦めるのはな~…なんとか登りたいけど、どうしよう…。八合目駐車場では微妙な降り具合…ん~んなことより…なんだあのバスは雨の中、燦然と輝く「日東交通」の四文字に…ズルッ( ̄▽ ̄;)(…我が地元房総のバス会社です…)いよいよ月山に来たぞぉ~と感無量だったのに…f^_^;こんなところで房州人の集団に会うとは…いや、いいんですけどね駐車場の月山高原レストハウスから月山中之宮のある弥陀ケ原の御田原参籠所まで、湿原の中をしばらく歩きます。視界5Mほどの雨の中、木道を進んでゆくと、可憐な花をとりどりにちりばめた草原に、清らかな水を湛えた小さな湖沼が次々と現れます。ショウジョウバカマ、エゾイチゲ、ワタスゲ、トキソウ、サワラン、聖女のような高山植物たちが白い雨にうたれている光景は、阿弥陀浄土そのもの…この中を歩くことができただけでも来たかいがあった…と感じるくらい、どこまでも優しく清らかな情景でした。嬉しくて涙が出そう(ノ_・。)月山中之宮に到着し御田原神社に参拝。祭神は…奇稲田姫御田原神社脇の月山神社への登山口にはウサギの像がちゃあんとあります…(#^.^#)雨がやみそうにないので、月山中之宮の隣、御田原参籠所でしばし休憩させてもらいました。さぶくてさぶくて…熱いお茶がありがたいですそして…さらに強さを増す雨と風の中、ご夫婦や参籠所の方たちの制止を振り切って、といいますか隙をついて…山頂に向けていざ出発(^O^)/(よい子のみなさんは…決して真似しないでください…m(__)m)月山月山は標高1984M、出羽三山の主峰として秀麗な姿で聳え立っています。西側の断崖や急斜面は、近寄り難く、東側は緩やかな斜面で、高山植物が群生しています。霊峰とも呼ばれ、古くから人々の篤い信仰を集めてきました。夏の訪れとともに月山の山開きが行われ、白装束の参拝者の姿が見受けられるようになります。八合目の御田原は高山植物の宝庫であり、ニッコウキスゲ、ハクサンチドリ、イワイチョウ、ヒナザクラなど、その数は130種以上に上る。特に「いろは四十八沼」と呼ばれる池塘付近には、見事な群落が見られます。湿原の中に御田原神社があり、月山中之宮として祈祷・神札等を取り扱い、御田原参籠所として宿泊・食事等を供しています。~出羽三山パンフレットより~2006年7月 月山『乾坤(けんこん)の 行く手を漱ぐ 夏の雨』 ~佐依~
2008.01.24
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飛行機で庄内へ。雨の為、土砂崩れによりJRはストップし、道路も通行止めという事態だったらしいのですが…無事鶴岡入り(飛行機も前日は欠航だったとか)しかし…鶴岡に着いてみると、羽黒山行きのバスの便が…次は2時間後仕方なく鶴岡で時間調整のためお茶することに…。(タクシーで行こうとするといきなり体調不良に襲われたため、それは断念)こういう旅の時にはすいすいと難なく進むのが通例でしたので…凄く不思議。理由はわからねども(あとで判明しましたf^_^;)おとなしく流れに従い、駅前のミスドなどで2時間過ごしました。それにしても、鶴岡に入ってからひどい吐き気に襲われ続け、バスの中ではまるで救急車で搬送されている人の気分でした…(>_<)中止して帰ろうかと考えるとさらに酷くなるので…もう行くしかないおかしいなぁ~わたしゃなんかしたかしらん出羽三山の神様たちには歓迎されているのを感じたので、そちらを信じてひたすら前進することを選ぶ…ウゲウゲしつつ…f^_^;どんだけ具合が悪くても行かねばならんという妙な使命感がふつふつと…。本来はめんどくさがりなんだけどなぁ~(^^ゞ気持ち悪いので下から階段で登るのは諦めて、バスでそのまま羽黒山山頂へ。羽黒山今から約1400年前の推古元年(593)第32代崇峻天皇の第一皇子・蜂子皇子が(聖徳太子の指示によるものとの説もある)羽黒山を開かれたのが出羽三山の始まりである。羽黒山は三山の神を合祀するお山であると同時に、御開祖・蜂子皇子が創立された「羽黒派古修験道」の道場として今に伝える。~羽黒山パンフレットより~摂社をまわり、本殿に到着ほぼ同時に着いた不思議なお兄さんと二言三言会話し、お兄さんは本殿前の鏡池を参拝、私はそのまま階段を降りてゆくことに…鏡池と羽黒山の階段羽黒山合祭殿前の池は御手洗池であり、平安から鎌倉時代にかけて人々より奉納された銅鏡が埋納されていることから鏡池とも呼ばれています。この池は海と繋がっているという説もあります。羽黒山山頂に至る約2kmの参道には、樹齢300~600年に及ぶ老杉が生い茂り、石段は全部で2446段に及びます。~羽黒山縁起より~階段の途中には各所に社があり、それぞれ一つずつ参拝。(約50社)蜂が二匹ついてきましたが、蜂子さんのお使いかな?と嬉しくなりました(#^.^#)とはいえ、山頂ではおさまっていたウゲウゲが、おりる程に増してゆく~(*_*)しかも2446段の石段ですよ~途中、抜け道脇道ショートカットコースの一切ない、きっぱりとした一本道☆忘れてましたが…わたくし、階段が大の苦手でした…それなのになぜ降りてるんだろ…あはは…もう笑うしかないf^_^;おまけに雨降った後で石段が濡れて滑りやすくなってるし…。今回は芭蕉が滞在した南谷に寄るのは諦めて先を急ぐことにしました。時々差し掛けてくれるお日さまの光やすれ違う人々に励まされながら、なんとか祓川に到着石の橋を渡り、行場であったという滝のお不動様に参拝しました。疲れたのと、その場所の風情が気に入ったのとで…ぼ~っとしていたら…素敵な感じのご夫婦が満面の笑顔で橋を渡り挨拶してきました。疲れも吹っ飛ぶ奥様の笑顔天照さんみたいな方だなあ~旦那さまも優しい月読さんみたいな方だしお二方のおかげで残りもなんとか歩き通すことができましたお宿では、「いつもはお出ししないのですが、今日は手に入ったので特別に…」と…鰤カマの塩焼きを食べさせていただきました!(^^)!う、うれしい(/_;)頑張って歩いたかいがあったよウゲウゲをすっかり忘れ、ぺろりと平らげてしまいました。宿の女将さんは料理上手な方で、時々料理番組にも出ているのだとか。モチモチぷるるんとした胡麻豆腐も山菜の天麩羅もさすがの美味しさでした。参拝はハードでしたけれど、美味しいものに出会えたのでしあわせな一日となりました。2006年7月 羽黒山『深山に 登り向き合う おのがじし』同 羽黒山 鏡池『水鏡 くらきみづにぞ 水の花』 ~佐依~
2008.01.24
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昔話を…2006年7月半ばに一人で出羽三山に登ってきました。その三年ほど前に「湯殿山で待ってるよ~」という優しい声が浮かび、「誰かが待ってる行かなきゃ」と思い立ってより…月日はとく過ぎ去り、ようやく登ることができました。注)…呼ばれたところへ全部行っていたらキリがありませんので、実体で行くのは自分の気が向いた所のみです…(^^ゞ…で、会うべき人々にも出会いましたが、結局のところ待っていたのは神様たちでもあり、真の意味での自分でもありました。ま、それはともかく…五月に高野山に登り、根来寺にも参拝し、大量の句を生み出し整理した後は…山形のガイドブック開いて、山形産のさくらんぼ食べながら…「いくぞ月山!待ってろ湯殿~」気分はすっかり山形へ~でも…「あなた山登りに行くんでしょ身体鍛えとかなくていいの靴や装備はどうするの梅雨の時期よ…(><)」母様大層心配の様子f^_^;そりゃそうだ。なんとかなるじゃろ~といういつもの旅のノリですっかりなめきっている様子を見たら心配するのは当然だf^_^;修験道のお山だというのは分かっていましたが、鍛えとかなくても平気な気がして、なんにもしないまま山形入り。出羽三山奥参り出羽三山は、祖先の霊魂が鎮まるお山、生命の糧を司る山の神、海の神が鎮まるお山と人々から信仰され、厳しい修業で有名な「羽黒派古修験道」によって「疑死体験・蘇り」をはたす霊山、霊場として知られている。東三十三国はもとより、皇室、歴代の武将の篤き崇敬により、その地位は確固たるものとなった。太古の昔より現世に至るまで、親から子、子から孫へと敬神崇祖の精神を伝えている。男子十五歳になると「お山参り」「お山駆け」をする風習が各地に残っている。特に西のお伊勢さまに詣でることを「伊勢参宮」、東の出羽三山に詣でることを「出羽三山奥参り」と称して、重要な「人生儀礼」の一つとされ、民衆の生活の中に今でも息づいている。月山神社は天照大御神の御弟神である月読命、出羽神社は出羽の国魂である伊氏波神(一説には玉依姫)と稲倉魂命、湯殿山神社は大山祇命、大己貴命、少彦名命を祀っている。~出羽三山奥参りパンフレットより~密教では、羽黒山を…観世音菩薩月山を…阿弥陀如来湯殿山を…大日如来とし、羽黒山で現世安穏を祈り、月山で未来成仏の確証を得て、凡聖同居の関を越え、湯殿山の密厳浄土に至り、即身成仏の悟りを得るという。芭蕉が登り一夜を過ごしたお山に…我もいざ当時の写真は全て消えてしまったので…今日のお庭これを書いている途中外が騒がしいので出てみると…(☆_☆)母様が袋がけした甘夏柑の木がキラキラ…
2008.01.24
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…といいますから、当時わたしゃまだ生まれてないゆえ存じ上げませんでしたが…皆さん懐かしがっています(^O^)ここ数日「ボーッ」という胸のすくような音が毎日聞こえ…いてもたってもいられず…とうとう見にいっちゃいました♪SL機関車デゴイチくん♪去年大好評だった~JRと千葉県が一丸となってくり広げた観光大イベント☆~ちばDC『房総発見伝』~また今年もやるそうです!!千葉全域でいろんなイベント目白押しです♪大人気のイベントの一つ、SL機関車が館山~勝浦間を走りますo(^-^)o(去年は内房を走りました♪)本番は25~27日です♪♪♪全国の鉄道ファンの皆様も、ちょっくら観たいぞ♪のにわかファンも、懐かしいぞ~という方も、菜の花大好きなあなたも♪…ご都合が合いましたら今週末はぜひぜひ南房総へ~☆☆☆我が家の近く(JR南三原駅)では、午前9時45分頃に千倉方面からやってきて、午後3時頃に安房鴨川方面から帰ってきます。(遅れることもありますので詳しい時間はキャンペーンHPなどで調べてみて下さい)…で、ただ今試験走行を毎日のように行っておりまして…実は昨日も行ってまいりましたf^_^;初めてまじかで見た迫力満点のデゴイチくんのカッコヨサに感動し…撮影失敗(*_*)今日はリベ~ンジ!そしてなんとか撮ることができました(#^.^#)明日も走るそうなので、また見にいこうと思います。線路沿いには人がいっぱい集まっているのですが…意外にも子供の姿は少ないですf^_^;走ってるだけでみんなを幸せにしちゃうなんて凄いぞ☆SL♪♪
2008.01.22
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摂社の琴平社にも参拝すると…ここは非常にお喜びの様子♪以前は本殿と下の宮に参拝して帰っていた母様が、今日はぴたりとひっついて、各摂社も丁寧にまわり、祝詞上げても文句もいわず…静かに隣で合掌していますf^_^;嬉しいな♪下の宮の前の坂の途中に御神木の槙があります。こちらにも美しい麻の縄が張られていました。この木ねぇ~♪♪♪~大好きなんですよ~(#^.^#)いつも来る度に抱き着いたり、凭れてみたり、よしよししたり…♪今日は母様が先に御神木に抱き着いてはしゃいでいたので、撫でるのみにしておきましたf^_^;2005年 冬『初春や 凭れし虚の ほの温し』
2008.01.21
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本殿に一度参拝したら…薄めでしたので、厳島社の後にもう一度本殿に参拝しました。 他にもたくさん人がいますので、みんな怖がるといけないな~と思い…無音で奏上♪ 上空に風が起こり始めたので…よし♪♪♪ 無音でOKじゃん! と、また一つ学ばせていただきました。 次に、「祓詞」なら誰も怖がらないだろ♪ と思い、これは微音で奏上。 周囲で参拝している方たちのお願い事も聞こし食せと…恐み恐みと白す~♪ はあ~なんだかとってもいい気分♪ 充実いたしました(#^.^#) 安房国の神様が元気なら、安房国に住まう人たちも動物たちも植物も土も水も磐も空気も、みんな元気になるんじゃないかと思うので…そうなるように♪♪♪
2008.01.21
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安房神社境内にある磐座には市杵島姫命が祀られています。 市杵島の名称の由来が「神霊を斎き祀る島」なので、磐座にいるのは…いいのか! 天富命さんがよい麻を求めてやってきた場所だけあって、この厳島社のしめ繩は麻で出来ています。 つやつやしていて凄く綺麗♪ でも、本殿と他の摂社は、稲の藁のしめ繩が張られていましたけど…。 因みに「佐依」は市杵島姫さんの別称をもじって使わせていただいております。 m(__)m
2008.01.21
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小塚大師の後は母様の希望により、近くの安房神社に寄りました。 特別な日ではないにもかかわらず参拝されている方が大勢いらっしゃいました。大型バスが何台も並んでいたりして…驚きの人気ぶりです。 冬木立に囲まれた社殿も趣があってよいものです。 『安房神社』 安房の国一宮。 「古語拾遺」や「先代旧事本紀」といった書物によれば、安房神社の始まりは2660年以上前にさかのるという。 現在下の宮に祀られている天富命は、神武天皇の勅命により四国・阿波徳島の忌部一族を率い肥沃な土地を求めて旅立つこととなり、海路黒潮にのり房総南端のこの地に到着した。 そして上総・下総に進み麻や穀(かじ…紙の原料)といった植物を播殖して、その産業地域を広げていった。 開拓を終えた天富命は、無事成し遂げられたのも祖先の御加護によるものだと考え、祖父にあたる天太玉命をお祀りして、祖先の恵みに感謝したのである。 「安房忌部家系之図」によれば、元正天皇の養老元年(717)に現在の場所へと天太玉命を奉斎し、同時に天富命も下の宮に祀ったという。 上の宮の御祭神である天太玉命は、天照大神のそば近く重臣として奉仕し、天照大神が天岩戸にお隠れになった時には、中臣氏の祖神・天児屋根命とともに大神の出御のために活躍した神である。 また子孫にものを作る技術に長たけた神が多くいたことから、産業の総祖神としてその神徳を世に顕している。 「安房国一の宮 安房神社 略記より」 天太玉命は、『古事記』では「布刀玉命」、『日本書紀』には「太玉命」とある。 阿波忌部の系図によると天太玉命は、高木の神とも云われる高皇産霊神の子とされています。 また后神の天比理さんは阿波忌部の祖神である天日鷲(お酉さま)と兄弟神。 忌部一族は天太玉命を祖神とし、各地に別れ宮廷祭祀に必要な物を作り納める諸族を持っていた。 手置帆負命を祖神とする「讃岐忌部」は、御笠、矛、盾を造り納め、 彦狭知命を祖神とする「紀伊忌部」は、木材を調達し造殿の役割を持つ。 櫛明玉命を祖神とする「出雲忌部」は、玉を貢納する役割を持ち、 天目一箇命を祖神とする「筑紫・伊勢忌部」は、刀・斧・鉄や鐸・鏡を納める役目を持っていた。 天日鷲命を祖神とする「阿波忌部」は、麻や木綿などの布を納める役目を持ち…現在も大甞祭に際しては阿波忌部の直系子孫が大役を担い、現在に至っている。 ~古の「古語拾遺」の記憶~より 忌部に関してはきりがなくなるのでここでストップ!
2008.01.21
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今年は桜の花模様のお箸でした♪お護摩の前にお説法があります。最前列真ん中ちょっと右寄り(護摩の焔がよく見えるポジション)に座っていた母様と私の前にミニテーブルとお水が置かれ…ギョギョッ(゚O゚)お説法は埼玉の熊谷からはるばるご奉仕に来たという一山の住職さまでした。この方の話が面白いのなんの!東京駅から菜の花号(南房総への旅に便利な長距離バス)に乗って、アクララインを通り、途中休憩の海ホタルサービスエリアで海を眺め房州にやってきた話など、臨場感たっぷり♪地元民には親しみのわく話題を選ぶあたり慣れてるなぁ~♪坊主控室(堂内に幕が張られています)では、雪の為に人出が少ないのでは?と心配していたところ、ぎゅうぎゅう寿司詰め状態の境内と堂内を見て…「おい♪いっぱい来てるよ~♪♪」と大喜びo(^-^)o…なぁんていう内輪話を披露してほっこりさせてくださったり…一歳になる息子さんが悪戯ざかりで、目を放した隙に仏様に上げた水は飲むわ、仏像で鐘叩くわ…情景が目に浮かぶようで、場内大ウケ(☆_☆)どの話も『幸せを感じるには…』という話題の前振りとなっていました。楽しい話で心を引き付けて、ちゃあんと繋げてど真ん中に持ってゆく力量に感嘆♪♪最後は自然発生的に拍手が湧きおこり、住職さまは「護摩の時間がまいりましたので、このへんで漫談は終わりに致します…」といって、お大師様に敬意を表して一旦ひっこまれました…(^^)………漫談だったのか!!f^_^;小塚大師は真言宗智山派に属す密教寺院です『真言宗智山派』京都智積院を総本山とする真言宗の一派で、真言宗中興の祖、興教大師覚鑁さまの新義真言宗の流れを組んでいます。成田山新勝寺や高尾山薬王院、川崎大師などの大寺を多く傘下におさめています。智山派の教本を取り出してお護摩の読経に参加させていただきました♪♪お護摩は修する方の持つ力や特質によって壇の焔の姿や煙の流れ、堂内の空気が微妙に違ってくるのですが…今回はピシッと心が揃い、ハートからやわらかな風が吹くのびやかな読経の声が広がり、焔からきらびやかな光が十方に広がるような護摩でした。大変満足(#^.^#)修法していただいたばかりの護摩札を受け取り、お大師様に焼香して、堂内に残る護摩の煙にバッグをかざしたり(バッグ振り回して踊ってるように見えたかも(^^ゞ)して、さて、外に出ようとホカホカブーツを履いていると…側にいる知らないおじちゃんからほんわかした白い空気が流れてくる~♪なんじゃろ?ブーツを履き終わって顔を上げると、ニコニコしながら近づいてきたその人は…「ご利益がありますように♪」と言ってあったか~い白い思いをたっぷり分けて下さいました。なにか言葉をお返ししなきゃ~と思ったのですが、うれしさのあまり頭の中はあうあううにゃうにゃ…(ノ゚O゚)ノ「お互いに御利益がありますように♪」と咄嗟に思い浮かんだ言葉を口にすると、それを受け取った知らないおじちゃんは、またにっこり笑って一つ頭を下げて出て行きました。きっとさっきのお護摩や説法の様子を見ていた人なんだろうな…。お説法の中で熊谷のご住職様が問い掛けられた質問に…「幸せを感じるのに必要なものはなんでしょうか?」→「感謝」「幸せかどうかの基準はなんでしょうか?」→「自分」…という答えを示す機会を与えていただき(じいっと見てくるので思わず答えちゃっただけですが)…その度にご住職さまから握手を求められ…堂内大変盛り上がりました…f^_^;(菩薩さまのようなあったかい手でした♪)その後教本開いて読経に参加してたのもきっと見ていたのでしょう(^^)堂内にいる方たちに、お大師様と大日如来の光と加護が遍く降り注ぎ、行き渡り、満たし尽くし、それぞれの願いが叶うように…と思いながら参加していましたので、その思いが語らずとも通じたように感じました。ちょっと怖いくらいしあわせでした。(そんなこと云われたらもっともっと何かしたくなっちゃうじゃないの~o(><)o)心が通じた…と感じる瞬間、人は真に変わることができるのかも?と、思いました。
2008.01.21
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『小塚大師』曼茶羅山金胎寺遍智院、が正式名で、大神宮字小塚にあることから一般に「小塚大師」という名称で親しまれています。弘仁6年(815)に弘法大師により創建された密教の道場であり、災難・厄除けの霊場として広く知られています。弘法大師42歳の厄年に安房国に至り、衆生救済の祈願にあらゆる災難・禍の身代わりとして自らの木像を謹刻し、ご本尊として安置されています。西新井大師、川崎大師と並び関東厄除け三大師の一つでもあります。毎年1月21日は初大師、3月21日は春季大師が行われ、大勢の参拝者で賑わいます。 昨年は参加しなかったので、今年はぜひ行こう♪♪と家族で決めてありました。みんなでお出かけ~((o(^-^)o))祈祷をお願いすると、お供物にスティックシュガー、記念品としてお箸をいただくことができます。小塚大師でいただいたお箸を我が家では一年間使います。食事の度にお大師さんのことを思い出し…毎日美味しくごはんを食べられること、身体があって、食べるものがあること、に自然と感謝の念がわいてきます。なかなかよい記念品です♪♪♪小塚大師遍智院さんは、交通の便はあまりよくなくわかりにくい場所にあるのですが、この初大師の日ばかりは近在はもとより遠方からもどっと人が訪れます。安房地域の人たちはみんな行くんじゃないかって程の混みようです。雪の予報でしたので…出足は遅いだろうと予測した我が家は、混雑を避けて早めに出発!おかげでスイスイ~♪到着してみたらやはり人人人でぎっしりでした♪「どうして今年はどこも神社仏閣はいっぱいなんだろうね~」と、ふと呟くと…「政府が頼りにならないから、みんな神様仏様を頼りにしてるんじゃないの?」とは、母様の言。…にゃるほど。 2005年 冬『招福の 心をきめる 雪のふる』
2008.01.21
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井戸の近くに祀ってある、水神様の祠の裏の白水仙が、開いていましたので、切って飾ってみると…八重咲きの花でした!去年までは一重の清楚な花しかなかった場所なのに!自然の進化の突然変異となのでしょう。さらに可愛い花になってくれて、嬉しいことこの上なし♪♪薔薇の中の聖者として、パラマハンサ・ヨガナンダの著に紹介されている園芸家、ルーサー・バーバンクの言葉にこんなものがあったのを思い出しました。『植物の品種改良の秘訣は、科学的知識を別にすれば、それは愛です』パラマハンサ・ヨガナンダ「あるヨギの自叙伝」より以前、ルーサー・バーバンクさんが、とげのないサボテンを作る実験で、愛の念波を注ぎながら「ここにはお前の怖がるようなものは何もないよ。だからとげなど生やして身を守る必要はないのだ。私がお前を守ってやるからね」と話しかけているうちに、次第にとげのない状態へと変化していった…という話に感銘を受けて、母様に「愛情注いでたらサボテンが刺のない品種になっちゃったんだって!」と話すと…「そうだよ~知らなかったの~?」と返ってきましたf^_^;美味しく育つんだよ~♪と話しかけながら毎日世話しているそうです♪…さすがです母様!長年お米やお野菜や果樹たちを育ててきた方にはやっぱりかないませんわ♪愛の力は既に経験を通してご存じでした。う~ん…百聞は一見にしかず。
2008.01.20
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薬師堂から見下ろす石堂寺境内です。『石堂寺』神亀三年(726)聖武天皇の勅願を受けて、行基上人が来錫、鎮護国家を祈り、仏教を弘布するにふさわしい聖山として堂宇を建立、近江の阿育王山、上州の白雲山とともに、日本三石塔寺の一つに数えられてきました。文徳天皇仁寿元年(851)には、天台座主慈覚大師円仁がこられて、七堂伽藍を造営、この時から天台宗となり、偉容を天下に誇ったといわれています。しかし不幸にも文明18年(1486)、夜盗の災火によって全山を焼失、再建に努力すること五十年、ほぼ現在の姿となり、戦国時代は、足利・里見・丸氏の尊崇を集め、足利三代を養育、関東天台の雄として、その名をはせてきました。石堂寺縁起より南房総最古の霊地ともいわれています。織田信長の比叡山焼き打ちに際しては、退山の僧が伝教大師請来の天台大師御真影を護持してこの寺に逃れました。長く石堂寺にて供養していた御真影を、比叡山側の希望により1790年に還座。その功により総本山直末本山格に列せられ、今日に至っているそうです。雪がちらつく境内を、出店をぬって一つずつ参拝しました♪雪の日の縁日はなかなか風情があっていいものです。本尊の十一面観音も平安時代のものですが、薬師堂の薬師瑠璃光如来も平安時代の作で…残念ながら秘仏です。拝見することはできませんが、薬師堂の空間が大好きなのでここで休暇させてもらいました。本堂の裏手には梅林と菜の花畑が広がっています。そちらには花観音さんがいらっしゃいます。学校が早く終わってやってきた地区の小学生たちが境内にも、梅林の中の旧尾形家(藁葺き屋根の民家で国指定の重要文化財)の中にも、いっぱいにちらばって遊んでいます。尾形家の中では囲炉裏囲んで甘酒飲んでるしf^_^;一茶の…『雪溶けて村いっぱいの子供かな』そのままの世界でした。尾形家隣の緑色の花観音さんのまわりでは、ピンクの山茶花が満開。ちゃんと合わせて咲くんだね~♪縁日の頃に沢山の人に見てもらおうと…。梅はまだでしたが、菜の花も綺麗に咲き揃っていました(#^.^#)いい風情♪石堂寺境内に戻って、閻魔堂の閻魔さまたちと西国三十三観音さんたちにも挨拶♪仲良く並んだ弁財天、龍宮権現(玉ちゃん♪)、天満天神さんにもご挨拶!最後に山王様にも挨拶に寄ったら…おや!?いつも薄いのに今日は濃いぞ!!!本尊縁日ですから当然といえば当然ですが…!参詣者も増えて参りましたので、お土産に大判焼き買って帰ることにしました(^_^)途中で貴船神社に寄って…休憩♪やることやったし、これで一段落つけるかな?しばらくのんびり…あ…できね~や(-.-;)貴船の境内で大判焼きを食べてみたら(タカオカミさんと一緒に味わおうかと思いまして…)、皮も餡もびっくりするおいしさでした♪期待してなかったので…嬉しいぞ!!帰りには雪もすっかり止んでいました(#^.^#)
2008.01.18
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起きてみたら、ふわふわの雪が吹雪いていました。白山のお姉さんが来た♪とっさにそう思いました。でも、吹雪いて積もって一面真っ白で…これじゃあ今日の初観音のお護摩に行くのは無理かも?一旦あきらめるも、昼近くになると雪も止んで風もなく、積もったものもすっかり溶けておりました。やっぱり行ってきます♪♪???進みが悪いぞ、1時のお護摩に間に合うかしら?も、もしや…今回も???山門をくぐり、石段を登りまた登り、本堂に着いてお数珠を取り出し合掌したその瞬間…ドーン♪祈祷開始の太鼓が鳴りましたf^_^;どこに行ってもいつもこんなんです。ピッタリ(☆_☆)天台声明の韻律に浸るのは久しぶり♪本日は…長安山東光院 石堂寺の十一面観音さんに会いに来ました♪初観音の縁日ですので境内には出店も沢山出ております。護摩供が一時間に一回修せられ、私は1時の回に参加しました。祈祷が佳境に入り、元三大師の護摩の焔が一際高く燃え上がった頃…外ではまた吹雪!ひょえ~(*_*)お姉さんあんまり降らせないで~♪お護摩が無事終わり…よい機会なのでアショーカ王の仏舎利塔について、お坊様にお聞きしてみました。回答は…「秘宝ですのでお見せすることはできませんし、どこにあるのか、またあるのかないのかもお答えできません」とのことでした。ニッコリ笑顔で親切にお答え下さったお坊さま…ありがとうございました。納得いたしました。(^O^)『秘宝 アショーカ王塔』阿育王(アショーカ王:BC3世紀)は八万四千の宝塔を建立し、仏舎利を奉安して仏教の弘布につとめました。石堂寺はそれを秘宝として今も伝えています。今から約1300年前、奈良の僧恵命・恵照が秘宝アショーカ王塔を護持して当地を訪れ、草庵を結んでこれを祀ったのがはじめです。それ故かつては石塔寺と言っていましたが、中世から石堂寺というようになりました。石堂寺縁起よりアショーカ王塔は…宝塔部分が全て水晶でできています。
2008.01.18
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観音堂の後は、七福神堂~白寿延命地蔵ときて、次は裏山の『新四国八十八ヶ所お砂踏霊場』をひとめぐり♪♪ いくつものお大師様にそれぞれ込められた各霊場のお砂を拝します♪ 最後は…お大師様のいらっしゃる高野山奥の院の砂の上に立つことのできる場所が待っていますo(^-^)o 笑ったり、すましていたり、じっと見つめてきたり…いろんなお顔のお大師さまがいらっしゃいます。 どうしても、そのお頭に手を置きたく思い…また調度いいサイズなもので…結局全部撫でてきましたf^_^; (びんずるさんじゃないって…) 奥の院のお砂は、以前のように瞬時にトリップするほどではありませんが、 砂の上に立つとやはり御廟橋や玉川の気配が漂い、あのただごとならぬ浄域のトーンが徐々に湧き出てきました。 満願した方は本堂の寺務所に申し出るとお大師様の御姿の入った巡拝之証(千円)がいただけます(#^.^#) 裏山の一隅には水仙が咲きこぼれんばかり…。
2008.01.17
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千手観音さんの扉の上にはでっかい龍さんがいます。波の伊八の作品なのかな?流水の紋様が近い風あいだけど…。???パンフレットではここ観音堂が本堂になっていました!(本堂に至る男坂…のくだり)寺内にいくつかある説明板の内容もパンフレットに書かれているものも…それぞれ微妙に食い違いがあるので、私は地元の方から聞いたものを優先するといたしましょう(^O^)どっちが本堂かっていう細かいことよりその場の空気♪♪♪覆面千手観音様は御厨子が開いていなかったのでお姿を拝することはできませんでしたが、じっくり対話♪ここで用意してくださっているお線香は、黒くてひらべったい分厚いもので、焚くと灰に『南無大師遍照金剛』と浮かび上がります♪♪(仏現香とローソクのセットで100円です)おうちで焚いてみたくて…私は持って帰ってきてしまいましたf^_^;代わりに立木観音さんの香をあげてきました。おんなじ千手さんだし~♪♪♪神社仏閣を巡ってなにをしているかというと…叶えたい個人的な願いがあって参拝している訳ではなく、ほとんどの場合、その聖域の崇敬者の皆様の開運と、そこの神仏の威徳の上昇を願って終わりです。崇敬者の中には自分も含まれている訳ですから拡大解釈した自分の開運を願っている、ともいえます。神仏の力が増せばそれだけ自分にもたらされるものも増す、ということでもあります。み~んな商売繁盛して、富貴栄達して、良縁成就する…って本当は可能なんじゃないかなぁ~と思いますo(^-^)o大黒天前に『国家安穏 万民豊楽』というお札が立てかけてありますが…願いは結局これに尽きるかと…。そうなるように…♪♪♪
2008.01.17
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昨日…うっかり真野の大黒様のことを考えていたら…今日サクッと参拝する流れが用意されていて…(¨;)う~ん。真野寺本堂を過ぎてちょっと行くと立派な石段があります。この上が観音堂です。(参拝者の大半は観音堂と本堂をとりちがえており、本堂には寄らずに帰ってしまう方もいらっしゃるようです…)ここに本尊の覆面千手観音さんと、そして、真野寺を御利益絶大の超人気スポットに押し上げた『開運朝日大黒天像』がいらっしゃいます。ここの大黒さまは…立ってます!なにしろ立像ですから♪ま、たいてい米俵の上に立っているので珍しくはないのですが、なにより大黒様にしては足長くてちょっといい男入ってます♪(どちらかというと大国さん風味)『朝日開運大黒天像』清和天皇の頃(860年と伝わる)慈覚大師が真野寺を訪れ参籠していた旧正月の六日、朝日昇天の中に大黒天が出現され、慈覚大師はただちに「一刀三礼」(ひと彫りするごとに刀を置いて、三度礼拝する…大変面倒な方法ですが、慈覚さんは「一字三礼」で法華経を書写する「如法写経」を始めた方ですのでさもありなん)によりお彫りになられたもので、慈覚大師の御秘作であり、朝日開運大黒天と称えられ、爾来御出現を記念され、毎年二月六日に大黒天祭りが行われ、現在の大祭となって隆昌を極めています。五日の午前零時から緒方より参詣者が続き、六日の一日でその数三万人とも四万人ともいわれ、県下有数の参詣者で賑わいを見せております。(最近はそこまででもないかも?)大祭の祭に授与されるものに宝槌と柳守りがあります。宝槌は大黒天さまから一年間お借りするものです。この槌の中には大黒天が内在され、そこから世にも不思議な力を発してあらゆる幸せをもたらし、また、怠け者には頭を打って懲らしめるという言い伝えがあり、心眼が開けてくると、槌の中の大黒様が見えてくるともいわれています。(…!!!だからS君働き者なのかも?!真野大黒の近くの人たちは割と裕福な家も多い…)柳守りは、柳のように柔軟かつ強靭に、そして柳にぶら下がっているもち米のはね煎りの如く災難苦厄を撥ね飛ばし、八倍の繁盛をもたらすように、そして八十八歳以上長生きするようにとの願いが込められています。また、早く芽がふく、すなわち人よりも幸福が早く訪れる…という意味もあるようです。真野寺縁起よりこのお祭りに行くと必ず知らない子にやたらと懐かれるんですが…何故だ???
2008.01.17
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せっかく来たので、SUZUGENさんちのすぐ近くにある真野寺に寄ることにしました。毎年二月六日の大黒天祭には欠かさず参拝しています。その時お護摩が行われる真野寺本堂です。祭壇(?)の真ん中にあるのは実は金色の槌です。その奥に大黒天の掛け軸が掲げられています。真野寺も紫陽花の美しい寺で季節になると多くの方が紫の玉に惹かれて訪れて下さいます。躑躅も山内に広がり、初夏には輝くばかりの光景を見ることができます。今日は水仙がとりどりに咲いていました。大祭の日はすさまじい人出になりますが、今日はだあれもいないので、真野寺独り占め状態♪(#^.^#)心ゆくまで山内を堪能させていただきました。『高倉山 真野寺』聖武天皇の時代の神亀二年(725年)奈良時代の高僧、行基菩薩により開山された、真言宗智山派に属するお寺です。開山時は現在の地の東方1kmほどの高倉山頂上にあったそうです。建永元年十月(1206年)野火にあい焼失。建永三年、北条義時公が大黒天信仰厚く、私財を投じて現在の地に七堂伽藍を建立し、二つの御立像を安置したと伝えられています。二つの立像のうちの一つ、真野寺の本尊である「覆面千手観音立像」は行基菩薩の御霊作とされ(慈覚大師作との説もあり)お顔を隠した覆面の観音様はほかに例をみないものであり、御霊顕あらたかであるといわれるものです。素顔を拝めるのは丑年と午年に行われる観音開帳の折りのみです。真野寺略縁起より私はまだお顔を拝見したことがありませぬf^_^;
2008.01.17
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友人が経営している花栽培のハウスの中です♪今はストックやラナンキュラスの出荷時期故、忙しそうでした。『SUZUGEN』というブランドで市場に出しています。独特の見事なラナンキュラスなどがフローリストさんたちに人気があるとか…☆花や葉ものは、頼まれればなんでも探す人の良さ♪一説によると、「扱ってないものはないんじゃないか」と、同業者からいわれているとか…。ここの若旦那は私の友人で、親戚でもあります。今日は、知り合いにお花を送りたく思い直接注文せんと…ハウスで花を引っこ抜いていたS君に突撃してきました☆S君はいつ会ってもでんと構えて揺るぎなく、そしてほんとによく働く働く!!尊敬~(¨;)ハウスの中はあったかくて、ストックの香りがふんわりしています!
2008.01.17
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日運寺は、先代住職の手で境内全域に植えられた紫陽花によって『花の寺』として知られており、紫陽花の季節になるとびっくりするくらい観光客が訪れます。 去年は…前年にいろいろと工事をしていましたので、株を動かした為か、花数も例年より少なめで、あまり花色はよくなかったのですが、 今年はその分豪華に、綺麗に咲いて、たっぷり楽しませてくれるものと思われます♪ 紫陽花の季節にお近くにいらっしゃいましたら、ぜひ紫陽花の海に浸りに来てみて下さい♪♪ 紫陽花寺というイメージが強かったのですが…ほかにも花が沢山あったことに今日気が付きました♪ 今は山茶花が見ごろです! 旧本堂跡(今は一面の紫陽花畑)へゆく苔の石段では山茶花が満開でした。 (花びらごとにばらばらに散っていたので多分山茶花) 七面堂の近くの山茶花も美しく見惚れてしまいました。 最後に本堂の如来様たちにゆっくりご挨拶した後、下りてゆくと…水仙のよい香りが漂ってきました。 水仙も満開とは…! 白梅もほのかに咲き始めていましたし… 日運寺…なにげにあなどれん! 冬こそ花を…の方にはうれしい所です♪ そうそう、東屋の周辺には去年八重の枝垂れ桜を植えていたようですので、数年したらすばらしい光景が見られるものと思われます。
2008.01.16
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奥の院です!鳥居に「奥の院」と記されているのも不思議な気がしますが、ここも日運寺の境内ですので、確かに奥の院!七面堂の先にある経王大明神(賀茂大明神)を祭る社です。正木時通の墓から苔むした石段を上がり、旧本堂跡に行く途中の杉の木に、平成十八年九月二十七日に降りた大明神様である…そうです。その後、この奥の院を建立し祭った模様。杉の木はその時の落雷で傷み、今は切られています。(もしかしたらその杉の木でこの社を建てたのかもしれません…住職に確認していないのでわかりませんが…)場所が墓地のすぐ傍ですので…どうなんだろ?と最初は思いましたが、実際に参拝してみるとちゃあんと神様がいらっしゃいます!ここの住職様…凄い方だ!!尾根伝いの道をゆくと、裏側の賀茂神社本殿前にも通じています。どちらから来てもいいようにそれぞれの道に朱い鳥居があります。手製の葵紋もいい感じ♪♪しばらく浸らせていただきました。この後、母方の祖先の皆様の墓参りをしまして…むちゃくちゃ感動した出来事があったのですが…こちらは胸の内に秘めておきとうございます。m(__)m
2008.01.16
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本堂裏山の頂上付近に七面天女を祭る七面堂があります。『七面天女』建治3年9月頃、日蓮聖人が身延で説法をしていると、聴衆の中に美しい婦人がいた。南部実長はこの見覚えのない美女を何者であるか不審に思うと、日蓮聖人は婦人に「本体を皆さんに見せてあげなさい」と言われました。すると婦人は一丈あまりの金竜に姿を変え、「私は七面山にすむ七面天女で身延山と法華経の護法神です」と言って七面山に去ったというこです。七面天女は、本地は吉祥天とされ、(または弁財天、法華経第十二の八歳の龍女、普賢菩薩、八幡大菩薩などの諸説もある)天衣を纏い、頭には宝冠を頂き、左手には宝珠、右手には鍵(かぎ)を持つ。鍵は仏の宝蔵を開き衆生を救う為の鍵である。日蓮宗でお寺の守護神として祭られている天女様です。日運寺は寺域が広く、つまりかなり歩く訳で…途中の東屋でちょっと休憩させてもらいました。東側には太平洋が見えますし、南側には慈覚大師円仁が朝日の中に大黒天を感得したと伝わる山も望むことができます♪さていよいよ七面堂に参ります(#^.^#)向かって左の厨子が閻魔様、右の厨子には聖人、上人様方がいらっしゃいます。すんごい清らかなシャワーが来てびっくり(☆_☆)なんだ?!今日は!!!
2008.01.16
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日運寺の仁王門を入ったところにある樹齢約600年と推定される榧の木です。強風により倒れた為、根本保護工事を施したそうです。小さい頃、よく上に乗って遊びたくなりましたが…なんとなく気軽に触れない威厳があって、実行に移したことはなかった…はず!(多分)龍さんが這っているみたいでお気に入り♪♪榧の木の向こうに…慈母観音、お地蔵様、日蓮聖人御杖井戸が並んでいます。『御杖井戸の霊蹟』文永元年十一月、日蓮聖人当山止宿の折り、この地の井戸が飲料水に適さず、村人が非常に困窮していると聞き、大聖人自ら御祈願され、御杖をこの地に立てられると、不思議にも清水がコンコンと湧き出したと伝えられる。日運寺由緒より。さすが♪♪♪慈母観音さんとお地蔵さんにご挨拶し、日蓮大菩薩の碑にもご挨拶♪そして、開山日運上人でもある正木時通さんと歴代上人の墓にもご挨拶♪♪ここは惹かれるものがあって、いつも必ず時間をかけてお参りさせてもらっています。以前写真を撮った時、賀茂大明神が降りたという杉の木から時通さんの墓石に虹色の光が射している様子が写り込んでいました。時通さんは賀茂大明神と縁が深い方なのでしょう。因みに日運寺の裏(山一つ越えた反対斜面)に賀茂神社があります♪
2008.01.16
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今日は閻魔詣での日とされています。近くで閻魔様というと…七面堂にいらっしゃったはず!!ということで…勝栄山 日運寺に行ってきました。まず…閻魔詣でについて、江戸時代、一月と七月の十六日が『地獄の釜の蓋が開く日』として、閻魔堂に参詣するようになったそうですが…(´~`;)あれ?確か延命寺所蔵の絵巻によると違ったような…???『やぶ入り』やぶ入りとは、正月十六日と、七月十六日のことで、地獄の休日です。鬼たちも横になってくつろぎ、釜ゆでの釜もこの日はひと休みです。「地獄と極楽」より???……!同じことなのかも!?普段は煮えたぎらせて蓋をした釜が、お休みの日なので使わないから蓋が開いている…ということでOKかな?いずれにせよ閻魔様にまつわる祭日ということはまちがいなし!まずは父方の先祖のお墓参りをしてから、七面堂のある日運寺に向かいました。父方の墓前に中禅寺の立木観音香を上げて、御先祖様と我と先祖を共有する精霊様方にひたすら感謝m(__)mこの身が今ここにあるのは皆様の存在あってこそでございます。皆様が光の中にありますように♪みんなニコニコほっこりでいい感じでした。次に日運寺へ『勝栄山 日運寺』昔、勝栄坊と称する真言宗の小堂であったが、文永元年(1246)11月、日蓮聖人が鎌倉より故郷の安房小湊に帰る時、この堂に止宿。当時の堂主、行然法印を説得し、日蓮宗に改宗した寺である。これより約300年後、里見安房守義頼の老臣、正木重郎時通、故あって剃髪して僧となり(勝栄山日運上人)元亀二年(1571)この坊の再興をはかり、勝栄山日運寺と号し、当山の開山となる。日運寺由緒より写真は二十二世日忍上人が建立した仁王門。
2008.01.16
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先日、教室前の甘夏柑の木に母様が梯をかけて登っていました。木にはみずみずしい甘夏の実が鈴なりになっています♪♪♪その実一つ一つに、葡萄の袋をかけている…??(゚Q。)??なにをしているのか聞いてみると…「(天気予報では週末寒くなるから)こうしたら凍らないかな~?と思って…」…それでは何故一つだけ袋をかけずに残しておくのです???「凍ったらどうなるかな~?と思って…」実験…ですかf^_^;写真は裏山の橙の木♪♪♪こちらも鈴なりです。お正月のお飾りに使うものですが…我が家では絞ってポン酢にして使います。鍋よりも魚や野菜の酢の物を作る時にお酢の代わりに使うと、酸味がまろやかで魚も柔らかく、香りが特に素敵です♪♪♪御嶽山の神様を祭った祠の近くにあるせいか…ちょっと離れた位置から観ると、黄金の珠を咲かせた木々が周囲をぐるりと巡る、宝の山のように見える瞬間も…☆素敵だぁ~♪♪♪八朔の木も重そうに珠を抱いていますし、金柑の実も色づき始めましたし…(温州の木も去年植えたそうですし)o(^-^o)(o^-^)o今年は珠いっぱいだ♪♪♪後で聞いたところによると…シークヮーサーや日向夏も植えてあるそうですf^_^;
2008.01.15
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私の産土神である大好きな賀茂神社に挨拶に行って参りました♪最初は…「今日は11日だから、石堂寺の十一面観音さまに会いに行こう!」と思い、天台宗の教本とお数珠を用意して出かけたのですが…出かけてすぐに気が変わりまして…賀茂神社に行き先変更f^_^;でも、これが大正解でした☆☆賀茂神社☆二千数百年前、神武天皇御東征の先駆として活躍された賀茂県主族が、山城国久我よりこの地に移り、神託を仰ぎ、開拓し、村人を支配していました。元明天皇和銅五年(西暦712)八月、村中央の聖地に社殿を創建し、一族の守護神である、賀茂別雷神の御分霊を祭祀したのが本社の起こりである。…神社縁起より…こちらには草分十八社として村内に祭られていた、諏訪、御嶽、春日、八坂、神明、熊野、天、地、荒、八幡、稲荷、熱田、山、若宮、月山、白幡、正八幡、の各神社の神様が合祀されています。仲良しの神様がみんないらっしゃるわ…f^_^;参拝に到着してみると、明日12日が、合祀されている神様の中の十二社様のお祭りがあるのだそうで…ふうん。明日来た方がよかったかな?ま、これも縁。祭前日の境内を楽しもう♪♪♪石段を上っていくと…社殿周辺のみならず境内いっぱいによい気配が満ち満ちている(☆_☆)神様どっさりの空間での~んびり一時間以上遊んでから、下に下りてゆくと…明日のお祭りの準備に来た地区の役員の方々に遭遇しました!産土さんの神社なので、ここのお札が欲しいな~とずっと思っていました。そこで、その旨お願いしてみると…こちらの賀茂神社ではちょうど明日のお祭りの際に神主が神事の上、新しいお札を氏子に配布するとのこと!!!なんという奇遇☆氏子ではないのですが、血縁に免じて授けて頂けることになりました☆☆☆ヒャッホ~(^O^)/神様ありがとう♪♪♪元旦に参拝に来ることができなかったので今年は諦めていたのですが、ひょっこり手に入ることになってびっくりしています。神様はこちらが思いもよらない形で良い縁を用意してくれているのだなぁ~(#^.^#)しかも、思っていたものよりず~っとよい形でセッティングされているケースが多いので…恵みを受ける度に、感動のあまり、ただもうひたすら感謝するのみです♪♪♪
2008.01.11
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公園でよちよち歩きの小僧っ子がかわゆかったので見ていたら…真っ黒のつぶらなおめめでじいっとこちらを覗き込んで、魂の奥の奥まで見つめてきて…にっこ~(^O^)/ つられてこっちまで笑顔に♪♪ 子供らしい子供はかわいいな~☆ 公園は海沿いにあるので…ここにも寄り道♪ 今日は綺麗な色の海でした♪ 貝を拾おうと思っていたのですが、あまりなかったので海と遊びました♪♪♪ 今日は濡れなかったぞ♪
2008.01.08
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一条天皇の時代、長保三年七月朔日に海中より出現した大山祇命を祭った…といわれる海を望む高台にある神社です。 『夜中龍燈の輝きを見ることはなはだし有之故に社殿を建立し当村鎮守とす』 と手水社のところに由緒書きがあります。 一説によると… 順徳天皇の御代、ある時忽然として海湧き、雲が空を覆い、大風が砂を撒き散らし、人々は只只驚き地に伏していました。 しばらくして波が静まると、海は凪、一片の小船が海岸に漂っていました。 船からは光明が輝き、人々はなにごとかと集まり船を引き上げてみると、中には三体の神像がありました。 気高く威厳に満ちた像は長さ二尺余りで、生きているかのようであったといいます。 近在の人々は深く敬い、 一体を貴船神社、 一体を三嶋神社、 一体を子安神社、 として三祠を作った…とのこと。 近くまで来たので寄ってみました。 大山祇命さんは仲良しなので(…仲良しじゃない神様は今のところいないけど…)楽しみにして参拝してみると… やっぱりとってもいい気分♪ 写真は境内から見た太陽。
2008.01.08
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菜の花も咲いています♪蜜蜂も花から花へ…。陽射しが心地よいので、久しぶりに桜の下の芝生の上で瞑想…♪ここで瞑想すると、神様が見ている空の色…といわれている薄い黄緑がかった黄色の光(ライムジュースの色…)が眼の裏に浮かんできます。あとは全てお任せで…うっとりモードに突入~☆今日は奇しくも桜色のシャツですf^_^;シャツ一枚でも輝くお日様のおかげでポカポカ(昼と夜の寒暖差が激しいなぁ~)
2008.01.06
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霜の降りる朝が続いています。温暖な南房総では珍しいことです。一面…真っ白の景色が目新しくて綺麗。写真は躑躅の葉を彩る霜の姿♪朝日に溶けて消えるまでの、つかの間の美。
2008.01.06
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ゆうべはやたらと重くて参りました…(*_*)漬け物石を乗せられた白菜になった気分。仕方がないので早めに眠ることに…。今朝は3時にパチッと目覚め、打って変わってふんわりモード。真っ白~のやわらか~い真綿にくるまれてる気分♪♪まるで蓮の花の上にいるような。しあわせ~(#^.^#)せっかく早起きしたので朝日を見ようと海まで行ってきました!初日の出ではないけれど、結構見に来ている人がいてびっくりしました。サーファーくんたちも続々とやって来て波と戯れていました。(寒いのに…)今日の人たちはみんな上手に波に乗ってるな~気持ちよさそう♪マックスコーヒー片手に待つことしばし…。はぁ~やっと日の出が見れた!朝日の光を浴びるとパアーっと開けてゆくような気分になる♪o(^-^)o
2008.01.02
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妹からの、いただきものの写真ですが…初日の出です
2008.01.01
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