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東京オリンピックに向けて、いろいろなモノが登場する、その年に、消える景色があることを心に刻む。建設中の八ッ場ダムを見に行った。2020年には、ダム湖となる。フッと、思い出した、亡き父の言葉。19歳のとき。妹は15歳。父から、『引っ越そうと思うが、どうだ?』と、ふたりは、訊かれた。事業拡大のために、『一駅下る』という話だった。土地スペースは、3倍以上に拡大するが、ほぼ感情だけで、この兄妹は、反対した。引っ越しに。私は、3歳から。妹は、生まれた時からの地所。子どもたちの意見を尊重して、諦めた父。たった『一駅下る』話にさえ、乗れなかった私。故郷を二度と見ることのできない7000人の中には、離れがたい気持ちを持つ人がいることは、当然だろう。そして、わが身を振り返ってみて、あの日の判断は、今の自分に、どう、振りかぶってきているか。結果論だから、わかる、プラスとマイナス。それでも、思う。たったひとつの『自分には変えられない』事象が、ほんの少し、神様の気まぐれで変わるだけで、私は、この『プラス・マイナス』に、違う解釈を与えるだろう。八ッ場を故郷とする方々の未来に、何が起きるかは、わからない。良い解釈のできる結果が待つことを祈るばかりだ。
2016.11.21
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7年ほど前、気に入って買ったカバン。年300日くらいは、一緒に過ごしている。かなり、高い価格設定のメーカーだが、ここの製品を3つ、続けて買った。僕は、この鞄製作所の大ファンだった。先日、取っ手の傷みが激しく、修理を依頼した。そして、僕は、ファンをやめた。僕が依頼した修理は、取っ手の交換。そして、内装に、Dリングを新たにつけること。取っ手の交換は、OK。Dリングは、NGだった。現在、僕のカバンと同じものをこの鞄製作所は、製作していない。僕のカバンの『後継機種』らしきものは、現在も販売されている。その『後継機種』には、Dリングが、ついている。7年間、2100日以上は、僕の傍らにいるカバン。僕にとって、使い勝手の良いこのカバンへの唯一の不満は、『鍵を探すとき』に感じている。だから、依頼したのだ。結論。技術的には、可能だが、会社の修理理念に反するからNG...だった。D管は、販売時には、付いていなかったものだから、NGだ。。。と。彼らに、その修理理念を尋ねた。『販売時に戻す』。。。だった。更に、質問した。会社のトップが語る『その理念』をあなたは、どう解釈しているのだ?と。私が、あなただったら、その理念を以下のように解釈する。と言った。自分たちが販売したものには、その寿命が尽きるまで、お客様に愛用していただきたい。だからこそ、技術的に修理できるのなら、どんな修理でも、承りなさい。たとえ、今は、使っていない材料でも、取り寄せて、販売時の仕様に戻しなさい。今は、使っていないミシンでの縫合が必要なら、手縫いしてでも、販売時の仕様に戻す気持ちで修理しなさい。可能な限り、可能な限り、販売時の輝きに近づけて差し上げなさい。お客様が、その費用を受け持つ限り。僕は、心の底から、そう思った。顧客満足が根底にない理念など、ないはずだ。ならば、『後継機種』についているDリングひとつのために、寿命半ばのカバンを『亡き者』にさせて、新しいものを買わせるような。。。そんな『顧客対応』を、トップが望んでいるはずもない。そんな主張をさせていただいた。反応は、残念なものだった。僕は、この鞄製作所のファンをやめた。カバンの取っ手は、修理してもらうことにした。いろいろな価値観があるだろうけれど、衝動買いはしない僕は、買ったものを大切に使う。服にしても、僕のワードローブの中には、44年前のジャンパー(母の形見)が現役だ。42年前のコートが現役だ。44年前のシャツ。僕はサイズの問題で着られなくなったが、妻のシャツとして、だけれど、現役だ。30年前なら、数えきれない。モノの命が尽きるまで、僕は付き合う。僕は、ものを買うとき、いつも、思う。ここのファンに、なれたら、いいな。。。と。
2016.11.19
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自分の未来をイメージする。学生時代の私が、それをすると、人に役に立ち、周囲から称賛されている自分がみえていた。いつのころからだろう。。。周りの人が、他の人が、社会が、幸せそうにしている姿を夢『みる』ようになったのは。もちろん、ただの一度も、自分がふんぞり返っている姿を『みた』ことはない。そういう人間が、大嫌いだから。豊かさは、誰の下に訪れるのか。なんだか、気づき始めたような気がする。今、イメージの近くをうろついているような感じがする。
2016.11.18
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フッと、思うことがあって、と言っても、『前向きな思い』ネ。杏里の『砂浜』を口ずさんでいる僕がいた。『みんな、見せかけの恋や形だけの愛ばかり もう一度、君に逢えたら、この海、みせたい』の歌詞に、文句をつけてきた人がいたなぁ。。。って、思い出していた。自分の好きな歌に対して、ズケズケと物言う奴に、腹立たしさを感じながらも、その『文句』にさえ一理あるからこそ、自分を笑顔にする解釈を手に入れられなかったな。あのころ。。。今、『もう一度、君に逢えたら』。。。その『文句』にも、笑顔の解釈ができる僕がいる。自分の成長を感じる。(笑)50歳になるころまでの僕は、まさに、『忙し過ぎる時間と、人と人の間で 落としもの、してきたような思い』だった。それを感じながらも、走り続けた。自分の望む生き方を歩んでいるとは思えなかった。苦しくて、苦しくて、僕は、父親が人生を歩み始めた。。。否、駆け出した、父にとっては、まさに、思い出の砂浜に立ち、『膝を抱えて、目を閉じて』。。。真夜中の誰もいない海岸で、声を枯らして歌った。45歳だったかな。。。漆黒の海。波音にかき消され、自分の心以外には、きっと、どこにも届かない大声。あれから、そろそろ10年だ。失くしていた『少年のころの思い』今、少しずつ実現してきた。
2016.11.12
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大学を卒業して、社会に出た。最初の職業は、『サラリーマン営業』卒業間近の春休み。めっちゃ不安だった。私の給料分まで含めて『買ってくださる』そんな殊勝なお客様がいるのだろうか?『買うけれど、お前の給料分は値引きしろ』と言われても、きっと、返す言葉がみつからない。無知な社会人一年生が、自分自身の価値を価格転嫁できる状況だとは思えなかった。そんな自分がいた。懐かしい、懐かしい、思い出だ。そして、今、思う。多くのいい大人の社会人が、なぜ、『稼ぐ』ことを『悪』のように扱うのか。誰もが『稼がず』には生きていけない。お客様にとって、支払う以上のモノを提供すれば、いい。なぜ、やましさを感じる必要があるのだ。私のところでは、冗談まじりではあるが、『お友だち価格』は、高いよ。と言う。『友達だから』と言って、友達から『割り引いてもらう』そんなことを考えている奴。そんな『友達がいのない』奴が、なんで友達って言えるんだ?友達だからこそ、ご祝儀相場で買ってやれよ。それとも、なにかい?お前さんは、自分自身の仕事では、友達から取らない分、友達ではない人から、余計に頂戴しているのか?ひどい商売だね。私は、受け取るものは受け取るけれど、それ以上のものを提供しているって思えるから、誰とでも、堂々と商売するよ。そうさ。支払った人が、支払った以上に喜んでもらえるって思えるからむしろ、大切な友達とこそ商売したいよ。『友達と商売するなよ』なんて言っている奴の頭の中は、友達付き合いを『利用』して、自分が得することばかりを考えている、言わば、『友達がいのない奴』だよ。いい大人なんだから、友達からは、高く買ってやれよ。そして、そんなふうに金を出せるように、友達を助けられるように、自分も、ちゃんと稼げよ。支払うお客さんが喜んでいる商売で、稼ぐことの、どこが悪なんだ?先日、家の修繕をした。同じ修繕の内容で依頼したが、200万、240万、390万、600万それぞれの見積額の差には、驚いたよ。そして、やってくれる仕事の内容を確認して最高入札額の業者に任せた。いい仕事をしてくれた。過去30年間を振り返って、修繕に関して、最高の仕事をしてくれた。気持ちよく支払いをした。修繕に関して、このレベルの顧客満足度を感じたことは、過去、一度もない。すごく、ありがたく思う。この業者は友達だったわけではないけれど、友達のように親身になってくれた。こんな仕事をする人とこそ、私は友達になりたい。建物の修繕で、いい仕事をしてくれる業者を探している人がいたら、本気で紹介できる業者だね。エリアは、関東地区に限られるだろうけれど
2016.11.11
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その場の環境に順応したものが生き残る。その場の環境に変化があれば、その変化に、いち早く順応したものが生き残る。全く、そのとおりだと思う。そして、突然の激変は、起きてしまう。マーフィの法則には逆らえない。一寸先の『抗うことのできない変化』その変化への順応は、強烈な苦しみを伴う。だから、私は、激変への対応を唱えない。なぜなら、誰よりも優れた順応力など、凡庸なる我が身に求めることに無理を感じるから。私は、事前に準備可能な道を選択している。収入源となるポケットの数と種類を増やしておくのだ。激変に見舞われ、崩壊するポケットを救出する能力を持ち合わせない私は、底の抜けたポケットの応急処置だけをして、ポケットの中身を速やかに別のポケットに移す。変化への順応など、私のような凡人には、無理だ。日ごろから、ポケットの数を増やしておくことだけが、私にできる唯一のリスクヘッジ。
2016.11.03
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