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ドキドキの初出勤。今日は職員会議と、挨拶回りがあったけど、あとはいずこの幼稚園も同じく、新学期準備に明け暮れる。 先生たちはみんないい方ばかりだし、今度は一学年3クラスもあるので相談しながらやっていけそうだし、雰囲気はいいのでほっとはしたものの...。憂鬱なのは仕事の時間が長過ぎること~(TT) 朝は7時半にはみんなそろって働き始めているそうだし(ほんとの始業時間は8時半)、帰りは早くても7時。(ほんとは5時) その証拠に今日はまだ春休みだというのにみんな7時半から夜7時まで仕事していた。「今日は初日だから早く帰ろうね~」って言ってたけど、もう7時じゃん!) 1日に3~4時間は超過勤務!(ちなみに残業手当なんか出ない) 今までの園も朝は早くて帰りは遅かったけど、1日に2時間の超過勤務ですんでいたからなあ...。やっぱり大きい幼稚園は、打ち合わせもあるし何をするにも大掛かりだから時間がかかるのかしら...。 そんなわけで、今までより2時間以上長く働くはめになってしまったので、睡眠時間確保のために(^^;)、しばらく日記をお休みしようと思います。≦(._.)≧ ペコ 読んでくださっている皆様、また落ち着いたら&気が向いたら再開するかもしれませんが、しばしお別れを...。
2006.04.03
今の幼稚園ともお別れの日。この幼稚園は、田舎のせいか、とっても義理堅い。転勤するとなると、お別れに来てくださるお客さんがひっきりなし。今年来たばかりの先生は「まさかこんなにすごいとは思わなかった...。こんな幼稚園、他にないですよ!!」と目が点になっていた。 今日は50人以上来てくれた。花束、お手紙、クッキー、写真などもたくさんいただいたし、小学校の高学年になった子たちまで来てくれたし、仕事できず(^^;)一日中お別れを惜しんでいた。 といっても、わが教え子の三歳児ちゃんたちは、実はよくわかっていないらしい。 「まりか先生、いなくなるんだよ。」とお母さんが話すと、 「え~っ、やだ」と言ったあと、 「でも、年中組になったらまた来るんでしょ?」と言うらしい(^^;) 春休みが終わったら、「あれっ、まりか先生がいない!」とびっくりするんだろうなあ。 退任式に来たら、年中組さんの顔になっているかしら。
2006.03.31
昨日、私とフリーの先生のふたりが転勤することが公表されたので、今日は何人かが子ども連れで挨拶に来てくださった。 明日は最後の日なので、ひそかに集合がかかっているらしい(^^;) 新学期になってから退任式もあるのだけど、年度末に大挙してご挨拶に来てくださるのがこの幼稚園の人情に厚いところなのである。 しかし、お母さんたちは、子どもたちになぜか 「まりか先生、幼稚園をやめるんだよ~。」という説明をする。 辞めるわけじゃなく、ただ転勤するだけなんだけど~(^^;) お母さんたちにも、それはわかっている。次に行く幼稚園も知っているし、辞めるわけじゃないことはよく知っている。だけど、「幼稚園をやめるんだよ~。」という説明になってしまう。なぜだろう? たぶん、お母さんや子どもたちには、この幼稚園は唯一無二の幼稚園だからだろう。市内の幼稚園を転勤して回る私たち教員にとっては、たくさんある幼稚園のひとつだけれど、お母さんや子どもたちにとっては、この幼稚園に来ること、そして去っていくことだけが問題であって、「この幼稚園」を去っていくことは「やめる」ことなのだろう。 子どもたちにとってはたったひとつ、一生にひとつの幼稚園、一生のうちに1~3人しか出会えない幼稚園の先生。 唯一無二の幼稚園の先生になれてよかった。この幼稚園で出会えてほんとによかった。
2006.03.30
指導要録や担当事務は一区切りついたので、今日は一日中保育室の片付け・書類整理。 荷物が多いこと多いこと多いこと...。各季節の飾りもの、製作に使える自然物、遊びの道具、劇遊びの小道具、書籍、CD、画材道具、カーテンや敷物、収納家具にいたるまで...。それというのも、幼稚園が貧乏で、全然買ってもらえないからなのだ(TT) 私財を投入するしかない。ファイルやノートだって、全く買ってもらえないし。きっと仕事のためにトータルで百万円以上使ってるわ...パソコンやスキャナ、デジカメ、ソフトまで入れたら、いくらになるのやら...。何のために働いてるんだか(^^;) 私と同じく転勤することになった、二年目のフリーの先生まで、けっこう私物を投入していて、大きな荷物をまとめていた。 その膨大な荷物を、いったん家にもって帰り、また新しい幼稚園にもっていかなければならないので、今、家は引っ越し直後みたいに段ボールが積み重ねられて、一部屋つぶれている。 3月31日までには荷物を全部引き上げなければならないし、4月になるまで次の幼稚園に持っていくわけにもいかず、ほんとうに困りものだ。 どうせなら、「転勤引っ越し日」を決めて、直接、前の幼稚園から次の幼稚園に引っ越ししたいものだと思う...(^^;) さらに書類が膨大。指導案、研究資料、事務書類などなど、ロッカーは書類のファイルでいっぱい。 自宅のものはポンポン捨てる主義の私だけど、仕事関係の書類だけは、いつまでも参考になるのでなかなか捨てられない。仕事に関しては、シンプルライフからほど遠い私(^^;)
2006.03.28
修了式。 まっすぐ並んで静かに園長先生のお話を聞けるようになった3歳児ちゃんたちを見ていると、「立派になったなあ...」と思わずうるうる。 最後には、お迎えに来たお母さんたちに最後のご挨拶をする。...といっても、まだ人事のことは公表してはいけないので、あくまでも「今年1年間、ご協力ありがとうございました。」というご挨拶だ。 今年1年の成長を振り返りながらあいさつしていると、ついぐっとくるものがあったけど、ここで泣いたりしたら「まりか先生、転勤?!」とバレてしまうので、がまんがまん(^^;) 「先生、転勤しないですよね~?来年もよろしくお願いします!」 「担任の先生が変わったら、また慣れるまで泣きそうだから、年中組になっても面倒見てくださいね~」 「来年も3歳児ですよね!下の子を担任してもらいたいの!」 などという声をニコニコはぐらかしながら、内心ため息...。
2006.03.24
今年度の3歳児クラスの週案と反省や記録をやっと完成して、コピーして後継者の先生(まだ来年度の担任は全然決まっていないけど、予想で...^^;)に渡した。 毎日手帳にメモしていた記録を読み返していると、とってもなつかしい。 「Mちゃんが、雨なのに外で遊ぼうと靴をはいて飛び出そうとした。阻止されたことに腹を立てたMちゃんは大泣き!なかなかご機嫌が直らなかった。」とか、 「帰る準備をするように言うとTくんは『いやだ!まだ遊ぶ!帰らない!』と言ってカバンを放り投げて逃げていく。」とか、 「Sちゃんはおやつと紙芝居の時はちゃっかり部屋に入ってくるが、終わるとさっさと外に走り出ていってしまう。」とか、 「部屋のおもちゃを全部出して遊び、いざ『お片付けの時間よ~』と声をかけると、さ~~っと全員部屋から出て行ってしまった。」とか...。 春にはそんなだった3歳児ちゃんたちも、今はほんとに立派になった。 ほとんど先生が手伝わなくても自分たちでお片付けもできるようになったし、帰る時間になればちゃんと自分で準備をしてカバンをかけて先生のところに集まって来るし、お友達と会話しながら遊ぶしケンカをしても仲直りできるようになった。なんて大きく成長したことだろう。 春には年中さんの色帽子をかぶり、待望の「年中組」さんになるんだね~。その姿が見られないのはとても残念だけど...。
2006.03.23
異動することになったので、にわかにバタバタ。 うちの幼稚園は人数が少ないので、一人当たりの担当の事務がとっても多い。小学校なら一人ずつ担当者がいるような仕事でも、一人で○○主任、△△主任、××主任...とたくさんやっている。(主任ったって別に手当が出るわけじゃないけど(^^;) だから、引き継ぐのもすごく大変。新しく来る人が戸惑わずにできるように、整理したり書き残したりしていかないと...。どの園も同じようなことをやっているとはいえ、地域や今までの経過によって、やっぱりやり方が違う。 それから保育のことも...。年中・年長ならみんなベテランだからいいけど、3歳児保育が始まってまだ数年。今は私しか年少組の「経験者」がいない。うちの市の3歳児教育はちょっと特殊で、親子通園やグループ通園があったりいろんな決まり事があったりしてややこしいのだ。 私がいなくなってしまうと、去年の状態をもとに相談することができなくなってしまうわけだから、新しい3歳児担任は心細いだろうと思う。それで、1年間書いてきた週案に、参考になりそうなことを全部書き加えておこうと思ったんだけど...なかなか膨大な作業になりそうで...(^^;) 残される先生たちも「○○に関する書類、このメモリースティックにちょうだい!」「あの時の記録の写真、パソコンに入れといて!」「あの行事に使ったあれ、コピーさせて!」と思い出すたびに注文(^^;)。 私も「あれはあそこに置いてあるからね」「あれはデータ残しておくから見てね」「あれはもう手配してあるけど、これは新年度になったら連絡してね」...あれこれ遺言(^^;) とはいうものの、やはり書き残せることには限りがある。事務はともかく、保育に関しては、ある意味私たちって職人だなあと思ってしまう。ノウハウは経験を元に積み重ねられ、マニュアル化できない。同じようにしようと思っても、保育者やクラスのメンバーによっては、ちっとも同じにならない。いろんな情報を参考にしながら、自分でつくりあげていくしかない。新人は新人なりに、ベテランはベテランなりに...。
2006.03.22
まだ「内示」なんだけど、ついに転勤することになってしまった。今の幼稚園にはもう長くいるので、今年か来年、転勤になることはわかっていたんだけど、やっぱりショック~。 もうちょっといたかったなあ。なぜかって、3歳で担任した子たちの卒業を見届けることができないのが心残りで...(TT) 内示なのでまだ変わるかもしれないし、内密なんだけど、今度は結構大きい幼稚園。うわ~、やっていけるかどうか心配。今まで田舎の小さな幼稚園でほのぼのしていたからなあ...(^^;) フリーの先生も転勤することになり、残される先生もまたショックみたい。2人変わると2人しか残らないことになるので、小さい幼稚園にとっては、大異動でかなりバタバタすることになる。 今年度もあと10日。大掃除、修了式、指導要録、残務整理、引き継ぎ、引っ越し準備...と、寝る暇もなくなりそう(^^;)。
2006.03.20
トム・クルーズがめずらしく悪役で、殺し屋。 偶然殺し屋を乗せたタクシー運転手がジェイミー・フォックス。 ストーリーもおもしろいしアクションシーンもよかったけど、この正反対な二人の生き方、一晩一緒に過ごすうちに強く影響を受けていく様子が抜群。 親切でまじめなタクシー運転手のマックスは、高級リムジンの会社を作ることを夢見ている。「タクシーはつなぎの仕事」と言って、会社の計画を立ててはいるが、具体的に行動はしていない。十分なお金を貯めてから、できるだけリスクを少なく十分に準備してから、そう簡単にはいかないんだよ...と言うばかりで、いつまでたっても行動は起こさず一生夢で終わりそう。 そういうのってありがちな生き方じゃないかな。学校を卒業したら...仕事が落ちついたら...子どもが大きくなったら...生活に余裕ができたら...退職したら...と言いながら、したいことを先送りしていき、一生が終わってしまう。 反対に殺し屋の方は、みんな決まりきった生活を送っているが、10分先は誰にもわからない、どうして行動しないんだ、と言う。これから人を殺しにいくところなんだから、説得力がある(^^;)。そしてマックスは安全な生き方から、リスクをおかしても自分の本心に従って行動するように変わっていく。 人生はいつ突然終わるかわからないのだから...未来の安全のために生きるのではなくて、今現在やりたいことは先延ばしにせずにやらなきゃね。
2006.03.19
Aちゃんと Bちゃんがケンカ。 どうしたの?と尋ねると、 「だって、Aちゃんがバカって言ったんだもん!」 「だって、Bちゃんが仲間に入れてくれないんだもん!」 騒ぎを聞きつけて、集まってくる野次馬...いや心配して集まってくるクラスメートたち。 「困ったねえ。どうしたら仲直りできるかなあ?」 と問いかけると、 Cくんが、 「あのねっ!」と勢い込んで話し始めた。 「ごめんねってあやまったらいい」とか、「あくしゅしたらいい」とか丸く収まる意見を言ってくれるに違いない...と期待する担任の私。 Cくん、いきなり両腕を広げたと思うと、 「フォ~~!!」 一同爆笑。転げ回って笑う当事者と野次馬。大受けのあまりみんな笑いが止まらない。 確かに、「仲直り」の妙案であったようだ(^^;)
2006.03.16
今日は卒業式。年少組担任の私は、雑用係(^^;)。 仕事は、来賓受付、電報・メッセージ担当、会場準備、式中は「お別れの言葉」の時の背景プレゼンテーション係、証書盆運び、式後は花と花鉢ラッピング、花道セッティング、などなど。 その他、子どものコサージがとれたとか、保護者がスリッパを忘れたとか、手伝いのお母さんたちへの指示とか、突発事項も入り、くるくると走り回った1日だった。 雪がちらついた昨日までの寒さに比べれば、今日は暖かく雲一つない青空で、式も大成功に終わった。お母さんたちは号泣。ピアノ係の先生も涙でピアノがこけそうになり、若い男の用務員さんもハラハラ泣いてるし...(^^;) 私はといえば、年長さんが歌う「そしておめでとう」を聞きながらじ~んときたところで、保護者が連れて来ていた二歳の子が私の目の前で「ママ~外に行く!」「シッ!じっとしてなさい!」「パパのところへ行く~!」「パパはビデオ撮ってるんだから邪魔しちゃダメ!」という修羅場を繰り広げていたのに気を取られ、泣く機会を逃してしまった(^^;) 明日からは年長組さんがいないんだな~。年少・年中組は修了式までもうひといき!
2006.03.15
うちの市だけかもしれないけど、中学校はめったやたらに半ドンの日やお休みの日が多い。 先週、期末テストが終わったと思ったら、今週からもう給食なし。終業式まであと二週間もあるのに、給食なしで午前中で帰る。小学校だって幼稚園だって、終業式の2、3日前まで給食やお弁当があるというのに...。 そして明日は「卒業式の予行演習のため1、2年生は休校」だそうだ。何それ? 卒業式自体一日中かかるようなものでもないし、先生は50人もいるのだから、総動員しなきゃいけないということもないと思うのに...。 もちろん、卒業式当日も1,2年生は休校である。 その上、期末テストが終わったら、終業式まで2週間もあるのにもう授業はなく、レクリエーションだとか、映画鑑賞だとか、学級活動だとか...ばっかり。3学期だけでなく、1学期も2学期も、期末テストが終わったらいつもそんなふう。 それが悪いとは言わない。勉強ばかりでなく、レクリエーションもすればいいし、半ドンもお休みも、家庭で有効に過ごせばいいと思う。 先生も、テストの採点や卒業式の準備で忙しいというのもわかる。 ただ、解せないのは、新聞などに載っているのを見ると、週休二日になって授業時間数が足りないから行事を減らすだとか、二学期制にして始業式や終業式の無駄な時間をカットするだとか、よく書いてあるのに、どうしてうちの市の中学校は、こんなに半ドンやお休みや行事が多いのか...ということである。 別に普段の日に5時まで授業をしているわけでもないし、夏休みや冬休みが短いわけでもないし、土曜日も休みだし...。う~疑問。それで十分授業時間数が足りているというなら、それでいいんだけど...(^^;)
2006.03.14
「ロケット」の絵を描いた。私がロケットの形に切り抜いておいた色画用紙に、3歳児ちゃんたちが思い思いに好きな模様を描いていく。 窓を描いて自分の顔をのぞかせる子あり、宇宙飛行士が運転しているところを描く子あり、カラフルに塗ってきれいなロケットにする子あり...で、みんな個性的に楽しんで描いた。できあがると、「ぴゅ~ん!」「はっしゃ~!」と走り回って喜んでいる。 運転手や窓を描くのは男の子が多く、女の子は模様描き派。水玉模様を描いたり、虹を描いたり、ファンタジック。 「お星さまで~す。雨が降ってきました~。いろんな色の雨で~す。」 隣り合った2~3人でおしゃべりしながら楽しそう。 「ホットケーキ、いちごのホットケーキ~。これはバナナで~す。」 「夜になりました~。真っ暗で~す。夜~。」 夜?あっやばい! 他の子を見ている間に、A子ちゃんはきれいだったロケットを真っ黒に塗りたくってしまった! 「...よ、夜になったのね...。」 「うん、夜だよ~!」 A子ちゃんはうれしそうだけど、このロケットを紙袋に貼って「作品袋」(1年間の絵画製作の作品を入れる袋)にしようと思っていた私は内心がっかり...(^^;) しょうがないよね。子どもたちは「作品」を作るよりも、描いたり作ったりする過程そのものが楽しいのだから。 結果的に真っ黒のロケットになってしまったけど、それには星がきらめき、雨が降り、虹が出て夜になるというドラマが描かれてあるのだ。 ...しかし、肉眼ではドラマが見えない。残念だ(^^;)
2006.03.13
来年度、入園してくる子どもたちのために、プレゼント作りをした。作るのは3歳児ちゃんなので、たいしたものはできないけど(^^;)、お花の形のペンダントに絵を描いてできあがり。 「先輩」になるのがうれしい3歳児ちゃんたち、「作ってあげる!」「○○ちゃんにあげる!」と大張り切りで作った。 私「みんなも、幼稚園に入ったばっかりの時、こんなペンダントもらったよね?覚えてる!」 「覚えてる!」 「りんごだった!」 私「りんごのペンダントは、運動会の時でしょ?入園したときは、お花のペンダントだったんだよ。」 「りんごだった!!」 「りんごだったよな~!」 ...要するに忘れたのね(^^;) そこへやってきた年中組さんたち。 「何してるの?」 私「新しく来る子たちに、プレゼント作ってるの。みんなも、去年作ってくれたよね?」 「...うん。」 私「ほら、お花のペンダント。」 「...うん...。」 私「忘れたのね?」 「ごめ~ん、先生、忘れたあ!」 作ってあげた方も、もらった方も忘れてしまったとは...(^^;) 3、4歳児にとっては、1年前なんてすっごい昔なんだろうなあ。(私は昨日のことのようなんだけど) まあ、その時は歓迎の気持ちを込めて一生懸命作ったし、もらった子たちも喜んでくれたのだから、まっいいか。 幼稚園での経験なんて、ほとんどは忘れてしまうもの。でも、必ず心の奥底には残っていて、心の土台となってくれていると信じている。
2006.03.10
「お別れ遠足」で、近くの神社へ行った。今は梅の季節で、神社の梅園では白、ピンク、赤色の梅が咲き誇り、いい香りを漂わせていた。 「わあ、きれい~!」 「いいにおい~!」 と感動する子どもたち...ではあったが、忍び寄る別の誘惑...。 その梅園、山の斜面を段々にして作られているため、斜面だらけ。その魅力に気づくやいなや、大喜びで斜面を登るわ、駆け下りるわ、転がり落ちるわ...。 もちろん大切な梅園であばれてはいけないので、「お庭で走り回るのはどうかな?!」とクギを刺すことになるのだけど、でも、斜面を見れば登ったり駆け下りたりしたいのが子どもだよね。 子どもたちは、いろんな場面でハメをはずし、してはいけないことをし、「悪い」ことをするけれど、そこには必ず「子どもが心を動かされるシチュエーション」がある。 穴を見れば入りたい。砂があれば山を作りたい。山があればくずしたい。水たまりがあれば飛び込んでしぶきを上げたい。坂道があれば一目散に走りたい。高いところに登れば飛び降りたい。広いところがあれば「キャーッ!」と叫びながら駈け回りたい。狭いところには入りたい。 それは美しい梅を見て感動するのと同じで「感動」の表現。素晴らしいことだと思う。私には斜面を見てあれほどの感動を表現することはできない。 一見悪いことに見えても、子どものすることには、いつも「もっともな」理由がある。 ...でも、それをやってはならない場所でするのが子どもたちであるわけで...(^^;) 「とってもきれいだったね~」と締めくくりつつ、早々に梅園をあとにして下の広場に向かう私たちであった。(^^;)
2006.03.09
年長組で折り紙の「パクパク」が流行っている。 私も小学校の時よくやった、数を選んでパクパクして占いができるあれ。(わかるかな(^^;) 年長組の女の子「先生、どの数がいい?」 私 「3」 子「1、2、3」と指を入れた折り紙をパクパク。「目をつぶって、この中の一つを選んで」 私「これっ」 子「え~と、今日はラブラブの日です。素敵な人とラブラブになれるでしょう。」 私「うわあ、うれしいな。誰かな~?」 子「あのね、近くにいる人で、背が高い人よ。」 私「え~だれ?」(...近くにいて背が高い人?それってうちの夫さん?) 子「ほら~、あそこにいるじゃない。」 私「M先生?」 子「そうそう~!似合うよぉ~!」 M先生とは...!若い男の用務員さんである。 自慢じゃないけど、年が20近くも違う(^^;)。 息子と言ってもいいかも。 子どもには年齢のつりあいって関係ないのか?私の見た目年齢が若いってことか? 大恋愛の年の差カップルもあるし、子どもたちはやはり新しい考え方の持ち主なのか? 私は内心「わーい」だったけど、知らないうちにオバさんと勝手に結びつけられたM先生は災難かもしれない(^^;)
2006.03.08
お弁当のとき、マミちゃんいわく、 「せんせい、きょうは、マの日なのよ。」」 「??」 「あしたはユの日なの。」 「あー、わかった。マミちゃんの日とユウくんの日があるのね。」 「うん。みっちゃんはいつもお母さんと一緒に寝るの。」 「そうかあ。じゃあ今日はマミちゃんが一緒に寝るのね。楽しみだね。」 3歳児との会話はとても難易度が高く、意味を取るのは至難の業。その子の家庭環境や興味関心まで知ってることを総動員しないと解釈できない(^^;) マミちゃんは3人きょうだいで、小学生のお兄ちゃんと3歳児のマミちゃん、赤ちゃんのみっちゃんがいる。赤ちゃんのみっちゃんはいつもお母さんと寝ているが、もう片方の隣で寝るのをお兄ちゃんとかわりばんこにして、カレンダーに記入しているらしい。 2年生のお兄ちゃんと二人で、お母さんと一緒に寝るのを奪い合っている姿を想像すると、とっても可愛い~。お兄ちゃんもやっぱりお母さんと一緒に寝たいんだね。順番をカレンダーに書いて毎朝確認して楽しみにしているなんて、すっごく可愛い。 日本的川の字風景はほのぼのするな~(^^)
2006.03.07
もうすぐ卒業式。今週・来週はお別れ会がいろいろと予定されている。年長組と年少・年中組のお別れ会、全学年親子のお別れ会、年長親子と先生の「謝恩会」。 謝恩会とはいえ、ゆっくりもてなしてくれるわけではなく、先生たちには隠し芸が強要されている(^^;)。それで謝恩会といえるのかなあ~とブツブツ言いつつ、みんなそれぞれに芸を準備。 毎年のことなので何か新しい芸を...と思うものの、忙しさに負けて、私は今年も学生時代にやっていた「マンドリン演奏」。 何か特技があるって助かる~。 お別れ会ばかりで、だんだんと寂しくなる今日この頃。 私は、今の幼稚園にもう長くいるので、そろそろ転勤もあり得るドキドキの状態。お役所勤めなので転勤するのは仕方がないのだけど、今の幼稚園はほのぼのと平和ないいところだからもうちょっといたいと切実に思う。 転勤となると引っ越しも大変だし...(ビンボー公立幼稚園の先生ともなると、仕事のためにものすごく私財を投入するため、書籍、CD、教材、室内装飾品など、トラック一台分くらい私物を持ち込んでいるのである(^^;) 引っ越ししたくないな~。
2006.03.06
夕食を作ってくれていた娘が包丁で指を切った! 傷はとっても小さいものの、血がぽたぽたしているので、 「キャ~ッ!どうしたの~!大丈夫?!うわ~っ、痛そ~っ!」と騒いでいると、 「もう、お母さんはいつも大げさなんだから。こんなの大したことないんだから~。」とあきれ顔の娘。 だって、思い切り心配したいんだもの(^^;) 幼稚園では、私はいつも超・冷静。 たとえ子どもたちが縫わなきゃいけないような怪我をして、内心「うわ~っ!どうしよう!」と思っていても、頭を打ってこぶができて「ひえ~っ!大変だ~っ!」と血の気が引いていても、そんなことは感じさせもせず、ほんわかムードで 「あらあら、血が出ちゃったね~。痛かったね。大丈夫大丈夫。すぐ直るからね。」と落ち着いたもの。先生がおろおろしたり慌てたりしていては、子どもを不安に陥れるだけだということがわかっているから。 でもそんなふうにしていると、欲求不満になる?のか、家ではけっこう大げさ(^^;)。自分が指を切ったりしたら大騒ぎだし、家族が小さな怪我をしても大騒ぎ。(大きな怪我だったらきっと幼稚園と一緒で冷静になるのかもしれないけど) たまには大げさに心配するのも楽しい...と言うとさらに娘があきれていた(^^;)
2006.03.05
明日はひな祭り会。 今年は、保護者も招待して盛大にする予定。みんなで歌ったりゲームをしたり、お話を聞いたりして、おやつにひなあられを食べる。 しかし、園長先生に 「おやつを配るのに、あまりお待たせしないように、手早くしなさいよ。」とクギを刺された。 なんでも、この前、祖父母を招待した時に、おまんじゅうを配るのにとても時間がかかったので、待たせ過ぎだと思われたらしい。 でも...。 どうして時間がかかったかというと、子どもがひとつひとつ丁寧に配るからなのだ。手早くやろうと思えば、職員がちゃっちゃっと配ってしまえば簡単だ。だけど、子どもたちがお客様のために、お菓子や飲み物を配るという経験をさせたいと思ってあえてしているのに。 「とにかくお菓子がわたればよい」というのではなくて、「いかにして配るか」ということを大事にしたいと思うし、3歳や4、5歳の子が配るのだから、10分くらいかかってもしかたない、お客様もほほえましい姿を見ながら待ってくれるだろう、と私たちは思うのだけど...。 スピードが売り物のお店じゃないんだから、早けりゃいいってもんじゃないのになあ。 小学校の校長先生と兼務だと、このへんがピントはずれで困るわ(^^;)
2006.03.02
いきなり、園児のお父さんから抗議の電話が...。 「うちのがしょっちゅう、PTAだ役員だって出て行くんだけど、いったい何をやってるんだ?」 運のいいことにちょうどお帰りの時間で、まさにその奥さんが来られていた。 奥さんは旦那さんに、「PTA活動は先生にやらされてるんじゃないし、私たちがやろうって決めてやってることなんだから、先生に文句言ってもしかたないよ。」としごくもっともな説明をしてくれているのだけど、旦那さんはとてもご立腹の様子で、「幼稚園に行って話をする」とまで言っているらしい。 ひえ~、と思ったんだけど、お母さんは何とか阻止してくれた(^^;) PTA活動で夫婦が不仲になっては困るなあ~。でも、うちの幼稚園、そんなにものすごくPTA活動が多いというわけでもないのだけど...。 そのお母さん、若くてすごい美人。もしかしてその旦那さん、浮気の心配でもしているのかもしれないな~(^^;) 「奥さんの行動が気になるっていうのはいいことかもねえ。」 「うちなんか、私が家にいなくても、全然気にもしないもん。」 「心配されるうちが花かもねえ。」 ...と、オバさん先生たちはしみじみと話し合ったのだった。
2006.03.01
中学校区の保・幼・小・中の連絡会に行った。内容は今年度の報告や反省などだったのだけど、ある小学校の取り組みがいいな~と思った。 その小学校では、高学年が荒れていて、学校を引っ張って行くはずの六年生がまるで機能していなかったそうだ。そこで、秋から「縦割り清掃」というのを始め、一年生から六年生までのメンバーで同じ場所を掃除するようにしたら、それまで掃除を全くしなかった六年生がするようになったとのこと。 心の荒れた六年生も、低学年の前では掃除をさぼるわけにいかなかったらしい(^^;) 年齢の違う子どもたちのかかわりは素晴らしいな~と思った。きょうだいの数が減り、近所で群れて遊ぶこともなくなった今の世の中では、小さい子の世話をしたり、大きい子と一緒に活動したりする機会がない。それって子どもたちの成長を阻害しているんだなあと思う。 もうひとつ気になったのは、ある幼稚園の話。 発達障害の子がいて、子どもたちは障害のことなど気づいているのかいないのかごく自然に受け入れ助けながら生活していて、いい人間関係が築けているのに、保護者の理解が得られないという。 「あの子と一緒に小学校に行ったら、授業が成り立たなくて迷惑だ」とあからさまに言う人までいるらしい。 そんな保護者の無理解には驚くけど、その幼稚園と上記の荒れた小学校は隣接で、幼稚園の子はごっそりその小学校に入る。何だか、無関係とは思えない。 地域の子どもたちを受け入れられず、迷惑扱いするような保護者集団だったら、その子どもたちだっていつかはそうなってしまうだろう。 子どもたちを人間性豊かな子に育てたいなら、まず自分がそうしなければ。口ではきれいごとを言っても、子どもたちにはちゃんとわかってしまうのだから。
2006.02.28
「こんなに小さくても、世話したいものなんですねえ。」とお母さんがしみじみ言った。 毎日、お兄ちゃんについて幼稚園に来ている1歳になるかならないかのチビちゃん。テラスで飼っている子ウサギが大好きで、えさをやるのに余念がない。パンの耳を食べさせたり、背中をなでてやったり...。 自分はまだよちよち歩きを始めたばかりの赤ちゃんなのに、ウサギは自分より「小さい」と思うのか、世話しようとするんだよね~。 子どもたちは本来、とても世話好き。 4月から入ってくる新入園児たちが、保護者会やら体験入園やらで時々やってくるのだけど、3歳児ちゃんたちは、世話したくて仕方がない。 自分だってまだトイレに行くとズボンの上げ下ろしを手伝ってもらったり、帽子や靴を置き忘れて右往左往したりしているくせに、新人が来ると言えば、「教えてあげる!」「手伝ってあげる!」と大張り切り。 赤ちゃんは赤ちゃんなりに、3歳児ちゃんは3歳児ちゃんなりに、自分より小さいものを世話することで、自分の成長を感じ取っているのかもしれないなあ。
2006.02.27
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「過保護のススメ」(佐々木正美 著 小学館)を読んだ。 過保護はいいけど過干渉はいけない、という内容だけど、一般的には過保護と過干渉は同じ意味で使われることが多いと思う。 過保護は「子どもが望んでいることを望んでいる通りやってあげすぎること」過干渉は「子どもが望んでいないことをやらせすぎること」 でも、親には「子どもがほんとうに望んでいること」と「望んでいないこと」の区別がつかないことがまず問題なんだろうなあ(^^;)。それに、たとえ望んでいることでも、子どもが言う前から先回りしてやってしまうとやっぱり過干渉になると思うし。そのあたりが難しいところではある。 心に残った一節。 「待つことが喜びになったら、育児、ものを育てるというのはうまくいくと思います。(中略) 草花を育てるのも農作物を育てるのも、待つことに対する喜びではないでしょうか。」 ああ、そうだな~と思う。今の子育ては、「早く、早く」と結果を急ぎすぎる。その子なりのペースでやっているのに「早くしなさい」とせかす。学校に入ってからでいいことを小さい頃から習いに行く。失敗したり遠回りしたりすることが許されず、最短距離で目的地に着くことが求められる。無駄も許されず、「費用対効果」なんてことが子育ての世界でさえ言われる。 種をまいて、水をやって、日々大きくなる過程を楽しみながら、時には心配もしながら、育てること。楽しみながら待つこと、それができたらいいなあ。 過保護のススメ
2006.02.26
今日は「不審者対策」の避難練習をした。 避難練習も年間計画があって、「火事」「地震」「台風」「不審者」とそれぞれにしている。 ほんとうならリアルな訓練をするべきなのだろうけど、なにしろ恐がりな3歳児もいる。不審者役の人が出て来て先生と格闘なんかしたら、怖がってもう幼稚園に行かないなんて言いかねない(^^;)。 だから、「たとえ優しそうなお姉さんが来て、お母さんのお友達だよと言っても、お菓子やおもちゃをあげると言われてもついていったらいけないよ。」という話とか、それでも連れて行かれそうになった場合は、「たすけて~!」「いやだ~!」と大きな声で叫びましょう、という話をした。 年長組さんがモデルになって、先生に引っ張られて「たすけて~!!」と言う練習をした。 真剣に見ていた3歳児ちゃんたち。 ...それはよかったんだけど、その「劇」がよほど楽しかった?らしく、自分たちもやりたくてたまらない。 年少組の部屋に帰ると、友達同士引っ張り合って「たすけて~!」「やめて~!」「だめ~!」「キャー!」と楽しそうにやっている。 その上、「あっ、先生、あやしいおじさんが来た!」なんて大嘘八百を言い出す子まで...。 「そんなことを、遊びでするもんじゃありません!もしほんとうの時に、遊びだと思われたらどうするの!」と一喝するはめになった。 お迎えのとき、お母さんたちにも「今日、こんな練習をしたんですよ。」とお話しすると、 「ああ、それで...。手をつないだとたんに『たすけて~!』って言うんで、どうしたのかと思いましたぁ。」 まったく3歳児ちゃんたちはっ...(^^;)
2006.02.23
3歳児ちゃんたちは、紙で工作するのが大好きなんだけど、とにかく使い方がダイナミック。 細かく切り刻んだり、破ったり、細く丸めて剣にしたり、しゃくしゃにしてボールにしたり、...で、使ってぐちゃぐちゃにしては捨てる(^^;) 1日にしてゴミ箱がいっぱいになるほどなので、画用紙を使うにはもったいないため、主に使うのは広告紙。おかげさまで、我が家の新聞折り込みチラシは資源ゴミにしなくていいほど消費されている。 幼稚園にチラシを持って行くのを忘れると、「もうっ、先生、紙持って来てって言ったでしょ!」と叱られるし、たくさん持って行くと、「やったあ!」と小躍りする。こんなに喜んでもらえると、新聞チラシも本望であろう(^^;) 車の写真がたくさん載っていたり、おもちゃの広告だったりすると、奪い合いになることも...。 チラシなので、タダだし、思う存分使ってもらえばいいんだけど、子どもにとってはチラシも画用紙も色紙もたいした違いはないらしく、誰かがたくさん使っていたりすると、「先生っ!○○くんが独り占めしてる!」「○○くんがたくさん使ってる!もったいないよねえ?」と苦情を言ってくる。 「...そうだね、たくさん一度に使ったら、もったいないね。」と言いつつ、 チラシといっても立派な資源。やはり一枚ずつ大切に使うようにするべきか... チラシなんだから、思い切り創造力を発揮してもったいないなんて遠慮せず使えばいいのか... としばし悩んでしまった。 たくさん使うことに必然性があるのならいいし、チラシでもむやみに無駄遣いしたらいけない...とは思うけど、3歳児ちゃんの必然性ってよくわからないしなあ(^^;)
2006.02.22
3歳児ちゃんたちと外で遊んでいると、去年担任した子たち(今年中組)が「ひよこ組(仮名(^^;)のせんせい~!」と呼びかけてきた。 私 「あら、あなたたち、先生の名前、もう忘れたの?」 子どもたち「忘れるわけないよ~!まりか先生でしょ~。」 私 「ああよかった、忘れないでよね。」 子どもたち「忘れないよ、一生忘れないよ!」 ほんとに一生忘れないのね~?! 約束したからね? でもまあ、幼稚園の先生というのは...ましてや3歳児担任の先生なんてものは...普通、忘れられてしまうのよね(^^;) と思いつつ、何だかうれしい私だった(^^)
2006.02.21
幼稚園の保護者が園児を殺害した事件には衝撃を受けた。 どこでも起こりうる、と思ったからだ。 「グループ登園」というシステムがあったり、その保護者が外国の出身だったり、というところは同じではないにしても、幼稚園に「孤立する保護者」がいるのは決して珍しくない。 私が担任した子どもの保護者だけでも、そういう保護者は何人もいた。 子どもはちっともいじめられてないのに、心配して毎日「いじめられていませんか」と聞きにきたお母さん。いくら幼稚園での様子をくわしく伝えても、どうしても「いじめられている」という思い込みから抜けられないようだった。そのお母さんは、「幼稚園から帰っていると、近所の人が悪口を言う声が聞こえる。」とも言っていた。園長先生と一緒に、ずいぶん相談に乗ったなあ...。 年長組になってから、違う土地から引っ越して来たために、クラスのお母さんになじめなくて、「みんなが私をのけ者にしている」と言っていたお母さん。クラスのお母さんが意識的にのけ者にしてはいなかったと思うけど、とても疎外感を感じているようだった。よく夕方まで幼稚園のテラスでお話を聞いた。卒業する時にくださった手作りのミニテディベアは、それから10年、私の本棚に座っている。 とてもおとなしい性格で、みんなと親しくしたいんだけど、クラスの派手目なお母さんのグループに入れなくて悩んでいたお母さん。「あいさつしようとしても、知らん顔される」と言っていた。でも、途中から引っ越して来たお母さんと気が合って、それからは明るくなったのでほっとした。 大勢とワイワイするような活動が苦手で、親子で一緒にする行事がある時は、なぜか子どもが熱を出すか何かでほとんど休んだお母さん。小学校ではそんなに親同士つきあわなくてすむので、あまり休まなくなったみたいだけど...。 お迎えに来たお母さんたちは三々五々と集まっておしゃべりするのだけど、迎えに来ても木の陰に隠れてじーっとしていたお母さん。私が話しかけてもめったに話さなかったけど、卒業する頃にはちょっと笑顔が見られるようになったかな...。 同僚の先生とも話していたら、「孤立する保護者」は枚挙にいとまがない。その人たちは凶行には及ばなかったけれど、心情的には同じだったのではないだろうか。 それに、不安な気持ちを態度に出してくれる人はまだいいけど、表面上はニコニコしてつきあっていても、心の中では死ぬほど悩んでいる人だっているかもしれない。 私たち幼稚園の職員も、できるかぎり話しかけたり、相談に乗ったり、愚痴を聞いたりしてはいるけれど、それだけで救えたとも、救えるとも思えない。相談内容は嫁姑問題から夫婦関係、近所のつきあいまで多岐にわたるし...。保護者同士のことだと、仲立ちするのも難しい場合が多い。子どもどころでなく扱いが難しいのが保護者だから(^^;) PTA活動も、保護者同士のつながりを深めたり、助け合える友達作りの場にもなれば、ストレスの元になることもある。私たち幼稚園の職員に何ができるのか...職員室であれこれと話し合ったけど、結論は出なかった。
2006.02.20
今日は年少組の「発表会」。年中、年長は12月だったので、今日は私のクラスだけの発表会である。 合奏、劇、歌、踊りといくつかするのだけど、どれも、普段の遊びの中でしているものを、形を整えたくらいで、特別に練習というほどのものはしていない。しかし、ひとつひとつはいつもやっている簡単な歌や合奏とはいえ、それを全部続けてやるのはこの日一日だけ。果たして、集中力が続くのか、とっても心配(^^;) 運動会の時は、かけっこと踊りで出番は10分ほどだったけど、一クラスだけの発表会なのに10分で終わりというわけにもいかないしね~(^^;) 親たちは、我が子の初めての発表会、ものすごく楽しみにしている。ビデオとカメラが次々にセッティングされ、有名人の記者会見でも始まるのか?!という感じ(^^;) 予想に反して(?)、子どもたちは、しっかりと親の期待に応え、元気よく歌を歌い、楽しそうに劇を演じてくれた。お母さん、お父さん、おばあちゃんたち、うれしそうだったなあ。 「発表会って、お母さんへのごほうびよね。」と同僚の先生は言う。 忙しくストレスも多い子育ての毎日だけど、それが報われることって少ない。日々一生懸命子どもを育てても、別に誰もほめてくれない。 そんな中に、「発表会」というイベントがあって、「ああ、我が子もこんなに大きくなったのね。」と感動し、夫や家族と一緒にビデオでも見ながら、「我が子がこんなに上手にできて」と共感する。それは報われることの少ないお母さんへのごほうびになっているのだと言う。 それもなるほどな、と思うし、私は、どっちかというと「子どもたちのお母さんへのサービス」みたいな気がする。 3歳児ちゃんにとってみれば、ずっとお客さんの前に立って歌ったり踊ったりするのは、うれしい反面、とっても疲れたと思う。 それでも子どもたちががんばっていつにない集中力を発揮したのは、お母さんに見てもらって、喜んでほしいから。それは子どもたちの、お母さんへの「いつもありがとう」というお礼みたいな気がする。 それはともかく...。 プログラムの最後は、親子で一緒に触れ合う手遊びやリズム遊びを組んでいたのだけど、その時も必死でビデオを撮っている親がいるのには驚かされる。 片手にビデオを持ってファインダーを覗きながら親子でじゃんけん遊びをしたり、「お母さん、一緒にしようよ!」と我が子が手を引っ張っているにもかかわらず、「いいから、こっち向いて、撮ってるからね!」とビデオを回し続けたり...。「そうまでしてビデオ撮りたいか?!」と衝撃である(^^;) 子どもたちが舞台でやっている時には撮ればいいけど、親子遊びはビデオを置いてできないものかしらね。何が大事なんだか...?
2006.02.17
年長組さんが、「1日入学」に行ってきた。 午後、様子を聞くと、年長組担任が少しがっくりしている。 なぜかというと、一年生たちと一緒に机に座らせてくれて一年生気分を味わわせてくれたのはいいけれど、その時した「プリント」ができなくて、すごく落ち込んだ子どもたちが数人いたという。 どんなプリントかというと、薄く書いてあるひらがなを鉛筆でえどり、その横のマスにはそのひらがなを真似して(こんどはえどるのではなく)書くというものだったらしい。 「こい」とかならまだ書けても、「まめ」とかになると全然書けない子がいて、「...できなかった...」と涙ぐんでいた子もいたとか。 今時、入学前でも字が書ける子はざらだろうし、多くの子はできるだろう。でも、できない子もいる。小学校側も、「入学までに自分の名前は書いて読めるように」というくらいで、ひらがなが全部書けるようにしておいてくださいとは言ってない。それなのに、なんだかなあ。 1日入学というのは学校によって、というより先生によって千差万別で、バラエティに富んでいる。 遊んでくれるばっかりという場合もあって、そういうときは「せっかく勉強の気分を味わいたくて来たのになあ」と思うし(^^;)、授業を見せてくれるだけでもおもしろくないし(^^;)...。 ある時は学習発表会のときにしたという見事なピアニカの演奏を聴かせてくれて、音楽苦手な子が「あんなのしないといけないんだったら、学校行きたくない」と言ったこともある(^^;)。 学校の先生の身になって考えると、「1日入学」というのは難しいなあと思う。
2006.02.16
先日、3,4、5歳全部を連れて、「人形劇」を見に市民会館に行ったのだけど、気になったことがある。 この人形劇は人気の高い劇団がするもので、質もいい。生の演劇を見ることは子どもたちにとってとてもいい経験だと思う。私も毎年のように園児を引率して見に行っている。 しかしここ数年、やたら「怖い」と言って泣く子が増えた。 子ども向き人形劇といっても、悪役はいるし、暗い森のシーンとか、主人公が危険に陥るとかいうことはあるので、もちろん怖いところはある。怖そうに身を縮めたり、先生にしがみついたりということは昔からあった。 それでも、怖いシーンが終わればまた楽しいお話の世界を楽しみながら見ることができて、最後には「あ~、おもしろかった~!」と満足して終わることができていた。 しかし、ここ数年は、やたら「怖い」と泣いたり、外に出たがったりする子が多い。もちろんたいていの子は、怖さも含めて大いに楽しんで見ていられるのだけど...。 昔の子に比べれば、今の子どもたちは、普段からずいぶん怖いものを見ていると思う。「仮面ライダー」だって、すごく怖い。「ハリー・ポッター」だって怖い場面はたくさんある。子どもによっては、大人向けホラー映画を親と一緒に見ていたりもする。 私なんか、子どもの頃「バルタン星人」が怖くて、テレビのある部屋に近づけないくらいだった(年がわかっちゃう?!)けど、あんなの、今の子どもたちは笑い飛ばすほどチャチなのではないだろうか? にもかかわらず、人形劇に魔女が出てきたくらいで怖い、と泣くのはいったいどうしたわけだろうか?テレビと違って暗くて臨場感があるというのはあるだろうけど、感受性が強くて本当に怖いのとはちょっと違う表情で、ただ甘えているというか、少し嫌だったらすぐ逃げようとするというか...。何だか違うぞ、という感じなのだ。 個人差があるので感受性が強い子はいるだろうけど、劇団の方も何十年もやっているプロだから、そんなに恐ろしい演出をしてないと思うのだけど...。 怖いシーンあってこそ、それを乗り越えた主人公が輝くわけだし、ずっと楽しくて明るいだけの劇なんておもしろくない。楽しいシーンあり、手に汗握る場面あり、ハラハラドキドキする場面あり...でこそおもしろいのだ。大げさにいえば、それは人生も同じだろう。 それを少し怖いからと言って泣き、会場から逃げ出そうとする...というのは、情けない気がする。主人公も怖くても戦い、乗り越えるのだから、もうちょっと我慢して乗り越えてほしい。 それができない子が増えたのは、何にせよ我慢することなく育ってしまったためなのか、それともお話の世界を味わう体験が少ないためなのか...。
2006.02.15
もうすぐさようならの時間、という時、Mちゃんが、「私のティッシュがない」と言い出した。 うちのクラスの3歳児ちゃん、よく「私の帽子がない」とか「ハンカチがない」とか「上靴がない」とか言う。 たいていの場合、どこかに落ちたか、置き忘れたか...なのだけど、3歳児ちゃんというのは、自分が置き忘れたりちゃんと片付けていないことは棚に上げて、「ない」と言い出したら見つけ出してやらないと納得しないので、大捜索をすることになる。 どこかに落ちているだろうとはいえ、幼稚園中探すのはなかなか大変なのだ。ましてや、自分の行動をまったく覚えていないとぼけた3歳児ちゃんなので、予想外のところにに落ちていることもある。 探す時間がある時ならいいけど、今日みたいにもうすぐお迎えの時間、となると、かなり焦る。 「どこかに落ちていないかな?」と床やロッカーの下をのぞいてみたけどない。 「トイレに忘れていないかな?」とトイレを探してみたけどない。 「みんな~!Mちゃんのティッシュがないんだって~。探してくれる?青いティッシュなんだって。」とクラス総動員することにする。こういう時は、けっこう3歳児ちゃんは友達思いなので、一生懸命探してくれる。 ...のはありがたいけど、幼稚園中を駆け回り、下手すると目的を忘れて道草を食って戻って来なくなったりするので、収集がつかなくなるリスクもあるが(^^;) 「ぼくが見つけてあげる!」 「わたしも探してあげる!」 とみんなが臨戦態勢に入ったとたん、Mちゃん、 「あっ、あった。」 ...Mちゃんのポケットの奥の方に入っていましたとさ。
2006.02.14
うちの幼稚園は、20代ふたり、30代ひとり、40代ひとり、50代ひとりという、実に年齢構成のいい(?)幼稚園である。 気になるのはやっぱりお肌...じゃなくて、体力。 元気が資本の仕事なので、今はめったに病気もせず、常に子どもたちと動き回っているのだけど、いつまでも元気に動き回れるかどうかは誰しも気になるところ。 幸か不幸か、ウォームビズだとかクールビズだとかいうのとは無縁(いつも戸外で遊んでいるから(^^;)なのはいいけれど...。 一番年上の先生いわく、 「このごろ疲れやすくて、何とかしなくちゃと思って、A先生おすすめの○○社の△△を飲んでみることにしたの。」 A先生とは、幼稚園の園長を定年退職後も、私立幼稚園の園長としてバリバリ活躍中の、めちゃくちゃ元気な先生。 「わー、ほんとに効くんだったら、私も飲もうかな。」 「じゃ、先生がこれから何ヶ月かで、すっごく若々しくなったら、私も飲むわ!」 と盛り上がってしまった(^^;) ファッションやメイクの話では盛り上がらないのに、こんな話で盛り上がるのは、私たちってやっぱりオバさん集団なのかしら?? 生涯現役で子どもたちと走り回れるように、体力つけなくちゃなあ...とは思うのだけど、なかなか...(^^;) いい方法ないかしら。
2006.02.13
ペン習字を習い始めて一ヶ月。細々と練習しているのだけど、とっても楽しい。 先生は数々の著作で有名な山下静雨先生で、課題を提出したら丁寧に添削して返してくださる。自分の字のヘタさに絶望しながら清書を出すのだけど、先生の美しい字の温かなコメントを見たら元気が出て、また提出しよう!と思う。 自分の字じゃなく、お手本を一生懸命真似して書いたものを送っているつもり(^^;)なのに、私の性格を言い当てているようなコメントなのでまたびっくり。どうしてわかるのだろう??字は人を表すというけれど、本当なんだなあ...恐ろしいことだわ(^^;) いつも人に教えるのが仕事の私にとっては、「教えられる」という点でも貴重な体験になっているなあ、と思う。何を学ぶのでも、習い事であれ、学校であれ、塾であれ、一番大切なのはやはり「人」。尊敬できる師を持てたらほんとにラッキー。私も人を勇気づけ、元気が出るような教師でありたい。 でも、ほんとに字がうまくなるには3年、いや5年、いや10年かかりそうね...(^^;) まあぼちぼちがんばるしかないか。
2006.02.12
私のクラスの子たちは、紙や空き箱でいろんなものを作るのが大好き。 でも、3歳児だともちろん自分たちで満足のいくものは作れないので、リクエストに応じて80%くらいは私がせっせと作っていたりするのだけど...(^^;) 「ウルトラマンネクサスの変身するもの作って」と言ってきたSくん。 聞けば、お面じゃないらしい...剣でもないらしい...。 「手で、こうやって、変身するものなんだよ。」 と教えてくれるものの、Sくんは言葉が達者な方ではないので、それでなくてもイメージがよくわからない。どんな形なのか、どんな色なのか...とか、さっぱり要領を得ない。 試作してみるものの、こだわりが強く決して妥協しないSくんのイメージには合わないらしく、「ちがうちがう、だめだめ」と言い続け、とうとう「わあ~ん」と泣き出してしまった。 で、若い男性用務員さんに助けを求めてみた。 ...「ちがう」と言われた。 若い先生にも古い先生にも?助けを求めてみた。 ...「そんなのだめ」と言われた。 泣いているSくんを心配して、クラスメートが数人「ぼく、わかるから、作ってあげる」と言って作ってくれた。一生懸命作ってくれるけど、当然、Sくんのイメージには合わない(^^;) 年中組さんに助けを求めることにした。ウルトラマン大好き少年が、それはそれは精巧なのを作ってくれた。(家に帰ってからネットで実物を調べてみたら、ほんとにそっくりだった。) 輪ゴムをつけて、手にはめられるようにまでしてくれた。周りの年少組たち、「うわあ、すごい、いいなあ~(・o・)」とあこがれのまなざし。 しかし!!肝心のSくんは、 「そんなの、いらない」 万事休す。 「Sくんに作ってくれたんだけど、Sくんはいらないらしいから、欲しい人?」と聞くと、大喜びで手が挙がったので、年中組さんは気を悪くしなくてよかったけど...。 そんなに苦労してきた私たちを尻目に、Sくんはその話題に飽きてしまったのか、「紙ヒコーキ、作って!」 めでたしめでたし??
2006.02.10
出入りの児童書専門店さんが来てお話していた。 週に一回は「ノー・テレビ・デー」にしようというのを提唱している大学の先生がいるのだけど、一番の障害は子どもではなくて「お父さんが反対すること」なのだそうだ。 確かにそうかもしれないなあ...我が家でも、「テレビを見ない日にしよう」なんて提案したら、たぶん一番嫌がるのは夫さんだと思う(^^;)。 テレビの見方にもいろいろある。 私は、見たい番組は真剣に見る主義。始まったらテレビの前に座り、画面から目を離さず真剣に見る。セリフ一つ聞き逃すのもイヤ。お茶を飲んだりはするけど、何かをしながら見ることはめったにない。その番組が終われば、スイッチを切ってその場を離れる。もっとも、最近はテレビ番組を見ているのではなくて、WOWOWで録画した映画と海外ドラマばっかりなんだけど。 しかし夫さんは、とにかくのべつまくなしにテレビをつけている。帰宅したら寝るまでテレビをつけっぱなしで、リモコンを手に次々とチャンネルを変えて、どれを見るというわけでもなく見ている。しかも、テレビを見ながら新聞や本を読んでいたり仕事をしていたりもする。 そのテレビを見ていない私は、ちょっと離れたところでパソコンに向かっていたり本を読んでいたりするのだけど、聞いていないといっても音はどうしても耳に入るので、次々とチャンネルを変えられるのは意外とイライラする。 「いったいどの番組を見てるの?」と聞くと、「別にどれも見てない」と言うし、「どうしても見たいのじゃなかったら消したら」と言っても「でもおもしろいのをするかも」と言う。 何となくテレビの前に座っているなんて私には考えられないのだけど、夫さんにとってはテレビを見ながら(というかろくに見てない気もするが)のんびりするのが一番の疲れを癒す時間であるらしいので、むげに否定もできず、がまんしている(^^;) しいてメリットとして、私がテレビを見てなくても、夫さんを通じて世間一般の情報が入ってくるというのがあるので、しょうがないか~と思ったりして...。(夫婦とも私みたいだと、たぶん流行ものなんて何も知らない(^^;) ノー・テレビ・デーどころか、そんな状態の我が家なので、子どもたちの集中力に多大の影響を及ぼしているに違いない、と嘆かわしくなってしまう(TT) さて、うちの子たちは注意力散漫な子になってしまうのか、はたまた小うるさい環境の中でも何とかやっていくすべを身につけるのか...(^^;)
2006.02.09
私のクラスのFちゃんのお母さん、最近パートに出るようになった。幼稚園のお迎えに支障がないように午前中だけだけど。 お母さんは、久しぶりに仕事に出るのは楽しいし、労働の喜びを感じます!とうれしそう。 でも、幼稚園に預けたらすぐ出勤しないといけないので、朝は少しバタバタするようになり、Fちゃんがちょっぴり不満顔だったそうだ。 それで、Fちゃんにお話ししたそうな。 「あのね、お金がないと、Fちゃんがほしがっているプリキュアのパジャマも買えないんだよ。ママが仕事に行かなかったら、パジャマ買えないけど、いい?」 この説明でFちゃんは見事に納得し、「ママ、行ってらっしゃい!」とすんなり言えるようになったのだそうだ。 う~ん、なんだかなあ(^^;) 「ママが仕事するのはプリキュアのパジャマを買ってくれるため」と思われていいのかな~? そりゃあ、私も働いているのは、主に経済的理由だ(^^;) 子どもたちの教育にもお金がかかるし、私もいろんなものが買いたいし、海外旅行もしたいし、年金も破綻しそうで老後も心配だ。 どうせ働くなら今の仕事は好きでやりがいも感じるので、私にとってはベストだと思うけれども、もし経済的に何の心配もなかったら、たぶん働かないと思う。だって働くのはほんとに大変だもの(^^;) すごいストレスだし。 だからプリキュアのパジャマのために働くと言うことに抵抗を感じる資格は私にはないのだけど、それでもやっぱりひっかかってしまう。「仕事をして楽しい」「人の役に立ててうれしい」という気持ちを少しでも子どもに伝えたいと思う。実際、お母さんは仕事を始めて楽しいと思っているわけだし。 3歳児のFちゃんには「ママの生きがいで」働くというより「プリキュアのパジャマを買うため」の方がわかりやすいというのはよくわかるのだけど...(^^;) まあ、お母さんが生き生きと暮らしていれば、自然にFちゃんもお母さんの生きがいを感じ取ってくれると思う。
2006.02.08
今日は、「クッキー作り」という行事の日で、年中・年長組は朝からエプロンをつけ、型抜きクッキーに挑戦していた。一人一人、割りあての生地を伸ばしては型で抜いていく。 平行してオーブンで焼くので(用務員さんとフリーの先生はオーブンにつきっきり)、一日中幼稚園はクッキーの香りが充満していた。 年少組はクッキー作りには参加しない(明日のクッキーパーティで食べる)のだけど、隣の部屋で型抜きをしているのがうらやましくてたまらない。 邪魔をしたりほこりを立てたりしてはいけないので、「見るのはここから」と言われたところで人垣を作って、ギャラリー状態。香ばしいにおいは漂ってくるし、もはや遊びも手につかず、1時間くらい眺めていた子もいた(^^;) 「食べるのは明日」と言われているものの、「早く食べたい!」の大合唱。 すると、年長組の先生が、「たくさんできたから、焼けた分をちょっとだけあげようか」と言ってくれた。年少組、もう舞い上がって、万歳三唱!! もらえたのは、小さなサイズのクッキー一個。 指先ほどのクッキーを大事に大事に持って、「おいしいね~」と友達と顔を見合わせて感動しながら、食べるクッキーのおいしいこと。 この飽食の時代に、家では小さなクッキー一個でとうてい満足するような子どもたちでもあるまいに、この感動ぶりといったら。 食べ物というのは、こうでなければ...作る人、作る過程、食べる人、すべてがつながっていてこそのものなのだなあと、しみじみ感じさせられた。
2006.02.07
年少組は2月に発表会があるので、ぼちぼちと練習をしている。...といっても、私のポリシーは「無理せず、楽しく、元気よく」で、練習らしい練習はしない。普段遊んでいるものを、ちょっと形を整えてできあがり、という感じ。 劇は「さんびきのやぎのがらがらどん」 毎回、やぎになったりトロルになったり、好きな役になって楽しんでいる。一人一人の表現を見ていると、おもしろくて笑いがこみあげてくる。 Mちゃんは、トロルの役がお気に入り。背が一番小さくて、顔は人形のように可愛いので、化けもの?のトロルなんて似合わないように思うけど、実はすごいはまり役。 Mちゃんは顔に似合わず気が強く、言葉もきつい。「も~っ!Mちゃんがするんだからね~っ!とらないでよっ!」と友達に叫ぶ時なんか、もうトロルそのもの(^^;) 私も怖いくらい。 Mちゃんのトロルは迫力があり、「だれだ~!おれの橋をがたごとさせるのは!」と言われると、ぞくっ彡(-_-;)彡 地でやれるのね。 みんなそれぞれに個性あふれたヤギやトロルで、脚本&演出&音響&衣装の私が一番楽しませてもらっているのかもしれない。
2006.02.06
先日行われたPTA主催の講演会。...のことで主任の先生が落ち込んでいる。 PTA主催なので、あくまでも主体はお母さん方。会場準備をするのも、講師接待をするのも、託児をするのも、役員さんを中心にお母さんたちがすることになっている。もちろん職員もいろいろなお手伝いはするが、職員の役目も役員さんが割り振るわけで、仕切るのはお母さんたちである。それに、私たちは保育があるので、準備はともかく当日は何もできない。 でも、その辺の立場がわかっていないお母さんが多い。 準備にやってきても、他人事のように職員の指示を待っているし、当日の託児係の人は「先生、託児のおやつは何時頃食べたらいいんですか~?」という具合に計画も立ててないし、後片付けも、椅子を片付けただけで、演題は貼ったままだし、ペンやらガムテープやら出しっ放しだし、講師に渡すはずだった菓子折りも渡さずに忘れたまま(^^;) そりゃあ、慣れてないんだからそういうことはあるだろう。別にそのことを嘆かわしいと思うわけではない。私たちだって失敗はたくさんするし。 でも、PTA行事はPTA主催だから、責任もってするという気持ちだけは持ってほしい。...ということで主任の先生が最後まで責任もって確認してくださいね、というふうなことを言ったら、露骨にむっとされてしまったのだそうだ。 どうやら「したくもないのに役員やらされてるのに、文句言われちゃかなわないわ」って気持ちらしい。(^^;) その気持ちもわかるけど、責任とか社会性とか、そういうことは誰が教えたらいいんだろう?と思ってしまう。幼児教育の世界では、「親育て」が重要であると言われている。でも、苦言を言われたからといって腹を立てていては、学ぶことはできないだろう。 子どもを育てるのは好きだけど、親を育てるのは難しすぎる(^^;)
2006.02.04
楽しみにしている「豆まき」の日。 みんな自分の鬼の面を作り、豆まきするぞ~!と張り切っている。 うちの幼稚園では、「みんなの心の中には、泣き虫鬼、いじわる鬼、おこりんぼ鬼、いろんな鬼がいるよね、豆まきをしてやっつけてしまおう」ってことで、みんなが鬼になり、みんなが豆をまく。 由来を話したり歌を歌ったりしたあと、さあ豆まきをするぞ、というときに現れた園長先生。園長先生は隣の小学校校長との兼務なので、めったに幼稚園には姿を見せないが、今日は四月からの新入園児(4歳入園の子たち)を数人招待していたので、来てくださったのであろう。 「鬼は~そと!」「福は~うち!」とにぎやかにまき始めると、園長先生いわく、 「さあ、豆に当たらないようにしっかり逃げるんだよ~(^^)!」 ちがうでしょ! この豆まきは、「豆に当たって自分の中にいる鬼をやっつけよう」って趣旨なのっ! 「しっかり豆に当たろうね~!!」とフォローしたけど、子どもたちはすでに走り回って逃げるモードに入っているではないか。 「先生、ぼく、ちっとも当たらなかったよ!」と自慢する子までいる始末(^^;) あーあ。子どもには一言言うにも責任があるんだよね...。
2006.02.03
PTAの講演会があり、うちの幼稚園の元保護者だった方が講演に来てくださった。 そのAさん、一応「普通のお母さん」なんだけど、ボランティア活動に打ち込んでいる方で、近所の参加者を組織していろんなボランティア活動をしておられる。 講演会の後でお話していたら、今、一番心配なのは、お母さん方が追いつめられている、というか、病んでいるというか、輝いていないことだと言われる。お母さんたちが自分を「幸せだと思っていない」のだという。そんな人たちに育てられる子どもたちの未来がとても心配なのだそうだ。 う~ん、確かにそうかもしれない。 とはいえ、自慢じゃないけど、うちの保護者、はたから見るととても幸せな人たちである。郊外の新興住宅地で、ほとんどの人が家はピカピカの新築。ほとんどみんな専業主婦で、核家族で、経済的にもまあまあ裕福。田舎なので生活は派手じゃないけど、みんなおしゃれだし、映画や遊園地やテーマパークにはしょっちゅう行っている。子どもは少子化どころか、3人いるのが普通。この人たちが幸せでなかったら、いったい誰が幸せなのよ?!と言いたくなるような人たちなのだ。 でも、幸せと思えない、その気持ちもわかる気がする。輝けないつらさも、わかるような...。それは、経済的にも物質的にも恵まれて豊かな日本の子どもたちが決して幸せそうでなく、発展途上国の子どもたちの方がよほど生き生きしているのと同じような理由なのかもしれないと思う。 お金があって環境がよくても、不幸せになるのは簡単。 ...でも、どうしたらいいかっていうのは、結局自分で考えるしかないのかな? 私の好きな野田俊作先生の本の一節。(「続アドラー心理学トーキングセミナー」より) 「幸福な人間と一緒に暮らしていて、不幸でいるのはかなり難しい。」 だから、私は家族を幸せにするためにも、クラスの子どもたちを幸せにするためにも、自分が幸せでいようと思う。
2006.02.02
今日は幼稚園内でPTAの講演会があった。 3歳未満の下の子の託児のため、私のクラス(3歳児)は、講演会の間、保育室を「託児部屋」として明け渡すことになっていた(^^;) 託児担当はPTAのお母さんたち数人。 不運なことに雨が降っているため、外で遊ぶこともできず、年中組の部屋で遊ばせてもらうことにした。 「お部屋を小さい子たちに貸してあげたから、ここで一緒に遊んでもいい?」と言うと、年中組の子どもたちは「いいよっ!」と大張り切りで答えてくれて、一緒に遊んでくれたり、おもしろそうなおもちゃを出してくれたり、遊び方を教えてくれたり、至れり尽くせりで遊んでくれた。ちょっぴり狭かったけれど。 3歳児ちゃんたちは目新しいおもちゃに興味津々で、とても楽しく遊んだんだけど、やっぱり緊張しているのか、いつもケンカばっかりしている子たちも妙におとなしく、おりこうさんにして遊んでいるのがおかしかった。 おやつを一緒に食べる時も、いつもおしゃべりでにぎやかなのに、今日ばっかりは手をおひざにして、お口はチャック。「あらまあ、年少組さんのほうが、う~んとお行儀がいいのねえ」と年中組担任にほめてもらった。 でも、これはお行儀がいいというよりも、「借りてきたネコ」で、慣れたら絶対はじけるんだけどね。まあ、たまには緊張するのもいいかな。
2006.02.01
最近とみに正義感の強いTくん。 友達のしている「悪事」が気になって仕方がない。 「お片づけの時間なのにお片づけをしていない」とか、「積み木の上にあがったらいけないのにあがっている」とか、「廊下を走った」とか、幼稚園の「決まり」を守っていない友達を見つけたら、飛んで行くTくん。 「そんなことしたらいけないだろ~!!」と思い切り強い口調で言いながら、正義の「パーンチ!」相手は「わあ~ん!(TT)」 「たたいちゃだめでしょ~。」と言うと、 「だって、○○くんが悪いんだもん!」 「たたかないで、だめだよって教えてあげたら?」と言うと、 「だって、言ってもきかないもん!」 それはそうなんだよね~(^^;)。 優しくおだやかに「お片づけをしようね。」と言ったところで、聞かない。なんせ気が向けば何でもするけど向かなきゃ何にもしない3歳児。私が言ったって聞かないんだから、Tくんが言ったって聞くわけがない(^^;) それはそうなんだけど、相手が悪いならやっつけてもかまわないとか、言っても聞かないなら暴力に訴えるっていうの、どこかの国の戦争のやり方みたいだなあ(^^;) そういう「正義」がまかり通らない世の中を作るためにも、私がここでがんばらなければっ! 今はわからなくても、いつかはわかってくれると信じて、話し合いあるのみ。 Tくん、先生と一緒に、平和な世の中を作るためにがんばろうね!
2006.01.31
私のクラスで今、流行っているのはなぜか「妊娠ごっこ」。 誰かひとりが、セーターの下にぬいぐるみを入れ、「赤ちゃん」と言ったのがきっかけで、女の子がみんな(へたしたら男の子まで)ぬいぐるみをお腹に入れ、「おめでた」になっている。 その会話が笑える。 「あなた何月?」 「私は2月。あなたは?」 「私は3月なの。」 「男の子?」 「女の子と男の子の双子よ。ほら。」 (お腹の中が見えるので便利な赤ちゃんである。ネズミの姿をしているけれど...) 少子化なんのその、うちのクラスだけで春には十数人、赤ちゃんが生まれそうだ(^^;)
2006.01.30
「シックス・センス」の監督(M・ナイト・シャマラン)なので、おもしろそうだなと思って見てみた。 ただのスリラーだと思ってみていたら、意外な展開に!! 数々の謎の中に実に深い意味が込められていて、考えさせられた...。 19世紀の末、森に囲まれた村。森に入ることを固く禁じられている村人たち。掟を破って森に入ると魔物が村を襲ってくると言われているため、村は隔絶され、町へは行けない。 迷信に支配されて、村から出られず、薬が手に入らないため子どもが病気で死んでいく。薬を取りに町へ行きたいという若者は年長者たちに反対され...。 こんな因習に満ちた生活は嫌だなあ、と思って見ていた。 しかし、最後には、果たして私たちのいるこの「現代社会」は幸せなのだろうか、と疑問に思ってしまった。 ネタバレになると台無しな映画なので、詳しくは書けないけど(^^;)...。 確かに、文明はたくさんの恩恵をもたらしてくれる。わけのわからない魔物も迷信もない。でも、何かを得たということは、同じだけのものを犠牲にしているのかもしれない。 便利な機械を駆使し、病気を治し、世界中を飛び回ることができ、文明を享受しているのに、現代社会の人たちが決して幸せとは言えないのはなぜだろう? 科学と文明の中に暮らして、なお幸せであることは不可能なことなのだろうか? 一人一人がまともに幸せに生きようとすれば、それでいいはずなのに...。
2006.01.29
今、「いただきます論争」というのが盛り上がっているらしい。 きっかけは、「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と学校に申し入れた母親がいたという話。 最近は「お金さえ払えば何をしてもいい」「お客様なんだから何を言ってもいい」みたいな風潮があるから、こんな人も出てくるのでしょうね~。 でも、ほとんどの人は否定的な意見みたいだし、こういう母親みたいな人は少数派である、と思う。(思いたい) うちの幼稚園でも、おやつやお弁当の前には「いただきます」「ごちそうさま」を言う。 ただし、「手を合わせましょう」とは言わないし、教師自身が子どもたちの前で手を合わせることもない。手を合わせると宗教的になってしまって公立の幼稚園としては×だと思うので...。(もちろん、子どもたちが自分で手を合わせるのは自由。) 手を合わせなくて言葉だけでも宗教的かもしれないけど...(^^;) でも、美しい習慣だと思う。お金を払った人が誰であれ、料理を作った人が誰であれ、たとえ道ばたの野草を食べる時でも、命をいただくことに感謝して「いただきます」と言いたいと思う。 それとは少し話が違うけど、何であれ「あいさつ」はとてもいいことだと思うのだけど、強要はよくないとも思う。保護者の中には、黙って恥ずかしそうにしている子に対して「ほら、ごあいさつは?!おはようございますは?!」とうるさく言う人がいるけど、そういうのってイヤ(^^;) 言葉で言えなくても、目を合わせてにっこりするだけでもあいさつの気持ちがあればいいと思うし、無理矢理言わされて言われてもうれしくない。親や先生が気持ちよくあいさつをしていれば、強要しなくたって子どもは見て学ぶと思う。 やっぱりどんなことでも、親の考え方、態度を見て子どもは育っていくのだろうな。「お金を払っているんだから」と言う親からは、どんな子が育つのだろう...。
2006.01.27
末っ子(4年生)の担任の先生は、年度途中からの代理で、経験なしの若い先生。 秋頃にはいろいろ問題があり、学級崩壊か?と親から騒がれ、すったもんだしたけれど、今はまあ落ち着いている。 それはともかく、学級懇談のときに親たちが先生にいろいろ苦情(?)を言ったさいに、教育ママさんたちが「もっと宿題を出してほしい」と言った。その先生があまり宿題を出さなかったから。 (それを聞いた私は「ひえ~、なんてこと言うのよ~?!」と心の中で叫んだけど...。 ...で、どうなったかというと、その先生は、「これでもか、これでもか」というくらい宿題を出してくださるようになった(^^;) そりゃあ、親に要望されたら若い先生としてはそうせざるを得ないだろう。 勉強きらいで苦手なうちの末っ子なんかはいつも泣きながら宿題をやっている。 「お母さん~、宿題多すぎる~(TT)」 「先生は一生懸命宿題出してくれてるのよ。いい先生だねえ。」 と言いつつ、やっぱり宿題多すぎ...(^^;) 「宿題出してくれないと家で勉強しないから、もっと宿題出してください。」なんて言うお母さんたち、勉強させたかったら自分で計算ドリルでも問題集でも買ってきて自分の子どもにさせたらいいじゃないの~。うちの子なんか、前の少ない宿題でちょうどよかったのに...(^^;) 「宿題たくさん出してくれるようになってうれしい」という人もいれば、「宿題多すぎる!」と言う人もいるだろうなあ。どうやっても文句を言われる担任の先生、大変だろうなあとお察しするわ(^^;)
2006.01.26
今日は、午後から新入園児の健康診断。来年入ってくる子どもたちとの初顔合わせの日である。 待ちに待った入園で張り切っている子たちは、受付の30分も前から幼稚園にやってきて遊んでいた。かと思うと、二人目、三人目のベテランお母さんだと、待たないですむようにギリギリに到着(^^;)。 幸い欠席もなく、元気な新人ちゃんたちが集まった。 お母さんたちが説明などを聞いている間、うしろのおもちゃコーナーで遊ぶ子たちの相手をしていた。 近づくと逃げるシャイな子あり、しきりに話しかけてくる人なつこい子あり...。パズルやブロックで遊んでいて、隣の子が手を出すと「ダメっ!」と早くもケンカが始まる。 一緒に遊びながら、第一印象チェック。入園後が楽しみ。 この時の印象そのままの子もいるし、第一印象と違う子もいたりしておもしろいのよね。 1年前は、私のクラスの子たちもこんなに小さくて、わけわからない子たちだったのね...と思うと、感無量だ。今でも三歳児クラスは頼りないけど、それでもずいぶんと成長して、しっかりしてきたとしみじみ思う。 また4月から、振り出しに戻って、わけのわからない人たちをわけのわかる人たちに育てて行くのね...(^^;)
2006.01.25
Aくんが、Bちゃんを突き飛ばして泣かしてしまった。 「どうしてそんなことしたの?」と尋ねると、 「だって、Cちゃんと遊びたいのに、BちゃんがCちゃんとばっかり遊ぶんだもん。」 3歳児にとってはお友達もおもちゃと一緒みたいなものだからね~。 でも、大人でもそうやってじゃまものを排除してしまう事件が少なくないことを思うと、3歳児と一緒かな(^^;) 「そうなの。Cちゃんと遊びたかったんだね。 でも、人を突き飛ばしたりしてたら、Cちゃんは、Aくんを好きになるかな? Aくんと一緒に遊びたいと思うかな?」 「思わない。」 「じゃ、どうしようか。」 「ごめんなさいって言う。」 AくんもBちゃんも握手してにっこり(^^) やっぱり、この素直さは3歳児よね。大人もこうあればいいのに。
2006.01.24
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