国鉄時代の82系「北海」の画像をありがとうございました。
懐かしさで震えてしまいます。
北海道在住でしたので、小学生の時、生まれて初めて乗車した特急列車が、上り函館行き特急「北海」でした。1973年の夏でした。札幌で乗車すると、小樽を発車してから白い麻の盛夏服に蝶ネクタイをした乗客専務車掌の車内検札があり、長万部付近で連絡船乗船名簿を受け取りました。真夏でしたので、混雑しており、指定席入手には苦労しました。その時は立ち席特急券で乗車している方も大勢いました。青函連絡船「大雪丸」に乗り継いで、青森から485系「いなほ2号」で東能代に向かいました。大阪行き「白鳥」への乗り継ぎを希望しましたが、満席で「いなほ2号」になりました。

それ以来、特急「北海」には何度も乗車しました。「北海」は指定券の入手が千歳線経由の「おおぞら」よりも容易で便利でした。下りの場合、食堂車の営業が旭川到着直前まででしたので、札幌から旭川にまで「北海」の食堂車を利用して行くことも可能でした。停車する駅のホームでは運転助役が特急「北海」を待ち受けていました。鉄道公安官もホームに来ていました。昭和の特急はやはり、特別な列車でした。
(2023.02.02 15:40:59)

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2023.01.26
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テーマ: 鉄道(25417)
キハ82系:特急「北海」



特急「おおぞら1号」とともに函館駅で青函連絡船の第1便を受け継ぎ、北海道の特急としては唯一函館本線山線経由で旭川まで走破していました。また、多客期には網走まで延長運転されたこともありました。

晩年は札幌~旭川間が電車化により廃止となり、晩年は急行の格上げで2往復体制となっていました。




昭和56年3月 滝川駅にて 

旭川まで運転されていた頃の特急「北海」を電化区間の滝川駅で捉えたものです。
史上でも唯一となる、函館本線(函館~俱知安~旭川間)を走破する特急でした。
※ちなみに、急行では「宗谷」(函館~
稚内間)がありました。




昭和56年3月19日 張碓~銭函間にて

北海道の特急としては、山線であると同時に、唯一日本海に面した場所を走ります。


昭和56年3月 撮影場所不明

何処で撮ったかわかりません。特急停車駅ですが閑散としています。おそらくですが、深川駅ではないかと思います。



昭和58年9月6日 小沢~倶知安間にて 特急「北海1号」

「北海」自体が晩年の頃です。このときは、キハ183系の「北海」と1往復づつの計2往復が運転されていました。キハ82系の頃としても晩年になります。

北海道旅行が航空機にシフトしていく時代になり、残念ながら北海道の特急の中でもいち早く消滅してしまいました。


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最終更新日  2025.10.01 23:57:09
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Re:キハ82系:特急「北海」(01/26)  
mitaka さん

Re[1]:キハ82系:特急「北海」(01/26)  
mitakaさんへ
ご訪問・コメントありがとうございます。
時代背景が浮かぶ昔の貴重なお話、ありがとうございます。
当方は子供の頃に長旅をしたことが無く、母親の実家へ行けたくらいでした。当時はお金もなく、距離もそれほど長くはなかったので急行くらいしか乗ったことが無く、自分が特急列車に乗りたくて親にせがんで「ひばり」や「はつかり」に乗ったくらいでした。
北海道へ行くようになったのは高校生になってから。しかし、当然お金はありませんので、ワイド周遊券でタダで乗れた急行自由席ばかりで、特急に乗るようになったのは社会人になってからでした。
国鉄末期~バブルの頃は、どの特急列車も9~1両編成でグリーン車も含めて満席でも珍しいことはありませんでした。比較的に空いていたのは「オホーツク」くらいしか記憶がありません。
「北海」は山線経由で一見して不便そうですが、かつては本州連絡の重要な列車でしたね。食堂車の存在は当たり前、優等列車には白服の専務車掌が乗務し、青函に近づくと乗船名簿を配布した。私は内地側でしか経験がありませんが、そんな当たり前の光景が昭和と共に無くなってしまったことは非常に残念です。
そんな思い出を持っているのも、我々の年代が最後かもしれません。
まだ北海道ネタはありますので、コメントお待ちしております。 (2023.02.05 03:15:01)

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