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167系:急行「ごてんば」急行「ごてんば」は、東京~御殿場を結ぶ列車として、昭和43年4月に誕生しています。当初は下り4本、上り3本が設定され、その後3往復体制、晩年は2往復となっています。東海道線区間では急行「東海」に併結され、国府津で解結が行われていました。使用車両は165系3連となっていましたが、昭和56年10月改正からは167系が使用されるようになっています。過去ログ『165系(モハ164-500番台):急行「ごてんば」』で、165系時代の急行「ごてんば」をご紹介していますが、たまたまレア車両であるモハ164-500番台を撮っていたものが「ごてんば」だっただけであり、真剣に撮影したことがありませんでした。昭和59年11月9日 国府津駅付近にて 急行「ごてんば3号」?東海道のEF66牽引ブルトレを撮りに行った際についでに撮影したものです。何でこんな場所に行ったのかと記憶が飛んでいたのですが、アルバムからEF58牽引のスロ81系お座敷列車の写真が見つかり、どうもこれを撮影するためにこの線路際に行ったようです。ブログを初めてから20年近く経ちますが、当時のISO1600フィルムの余りを使用して撮影したため非常に画質が悪く、とてもご紹介できるような写真ではなかったため、今まで一度もご紹介したことがなかったものです。今回は、プリントからスキャンした上で、出来る限りの補正を行って画像化しました。急行「ごてんば」は併結相手となる急行「東海」は12両貫通編成となっていたため、165系3連の時代でも東海道本線最長の15両編成となっていました。(急行「伊豆」の修善寺編成併結と同じ長さ)しかし、田町電車区から165系が撤退すると、後継となった167系は最短で4両編成となるため、東京~国府津間は16両編成となり、全国で最も長い編成長を誇る列車となっていました。急行「ごてんば」は、昭和60年3月のダイヤ改正により消滅しています。E231系:御殿場線
2026.05.24
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EF641000番台:EF641007EF64シリーズで、今回はJR貨物の1007号機です。平成22年2月18日 2071レ平成22年5月22日 大宮車両所にて1007号機は、事故廃車を除くと一番早く廃車となった1000番台でした。何故か遭遇率が低かったようです。1980.9.19 新製2012年度 廃車
2026.05.23
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JR貨物 DE101566DE10シリーズで、今回はDE101566号機をご紹介したいと思います。平成25年12月23日 北王子支線にて1566号機は、日本車輛製で、昭和47年8月30日竣工。門司機関区に配置されました。(度々香椎機関区と行ったり来ていたりしていた模様。)民営化直前の昭和61年10月24日付で品川機関区へ異動となり、民営化後もそのまま継承されました。その後は他のDEと同様に、川崎~新鶴見(川崎派出)の流れで平成27年度まで活躍したようです。1日限りの対面でしたが、同日に北王子線運用に入っていたため、『JR貨物:さよなら北王子線』にて当日の写真を掲載しています。
2026.05.22
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183系・189系:普通列車「妙高」平成27年3月14日ダイヤ改正において、長野~直江津間を結んでいた快速・普通列車「妙高」が廃止されることになりました。昭和33年に準急列車として運転されて以来、伝統ある信越本線の急行列車として使われてきた名称は、信越本線の長野県口の路線と共に運命を終えることになります。国鉄時代から何回かは利用したことのある路線でしたが、長野新幹線が開業してからは1度しか訪れたことがありませんでした。急行「きたぐに」を撮影した帰路に長野電鉄に寄り道するためにクルマで通過していますが、山岳路線であるがゆえに国道とは離れており、「妙高」の列車本数が少ないことから撮影していませんでした。もっとも、その時にはまだ北陸新幹線の開業などまだ先の話と思っていました。※撮影は、いずれも平成23年5月4日、直江津駅にて。帰路にたまたま立ち寄った直江津駅にて、発車待ちをしている「妙高4号」に出くわしました。編成ごと1枚しか撮っていなかったので、ヘッドマークをアップにしてみました。車両番号はクハ189-510と読み取れます。越後湯沢行きの「はくたか」が到着しました。この列車を接続して発車となりました。その後、この区間に撮影で訪れたことが無く、最後に訪問したくもクルマは冬対応になっておらず、重度の金欠病に陥ってしまったため、これだけしか記録することが叶いませんでした。最後の北陸撮影に行った際、往きの「はくたか」で直江津駅に到着すると、あさま色の「妙高」と国鉄色の「くびき野」が並んで停車していました。下車して写真を撮りたいところですが、途中下車の利かないフリー乗車券が仇となり、指をくわえているしかありませんでした。写真に残せなかったあの光景は、これから先も忘れることはできそうにありません。関連リンクEF621牽引:夜行急行「妙高」169系:急行「信州」EF62牽引:急行「越前」
2026.05.21
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東京都交通局:三菱エアロスターM MP218バスコレ第4弾で製品化された三菱エアロスターM MP218/MP618。当時はまだこの形式を知らなかったので、京王バスの同車のデザインを見てなかなか良いクルマだな、と思いました。デジカメを導入した頃でもあり、遠慮なくバスの写真を撮ることができるようになった矢先、バス雑誌で東京都交通局にもエアロスターMP218が居ることを知りました。しかも、最後の残党がA代車であり、同年中に廃車になるという情報でしたので、バス写真としては初めて迎え撃ちに行くきっかけとなった形式です。ちなみに、確かMP618の黒マスク車が千住(or南千住?)と渋谷にもB代車で残存していたようですが、こちらは迎え撃ちに行ったものの、巡り会うことができませんでした。撮影は、平成19年1月7日、渋谷営業所にて。A418A419A426渋谷駅東口で1時間ほど粘ったと思いますが、結局姿現さなかったため、渋谷営業所まで行ってきました。ここでMP218を発見した時は、それはもう嬉しかったものです。しかし、見た目には6台ほどのMP218が居たようですが、前向きに入庫している車両が多く、この3台しか撮影することが出来ませんでした。確かこの1~2ヶ月後に再訪したと記憶していますが、既に彼らの姿は無くなっていました。
2026.05.20
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211系1000番台グリーン車:サロ210+サロ213何があったかよく分かりませんが、5月17日の閲覧数が8076PVという数値が示されていました。楽天ブログでは詳細なアクセス解析ができないのですが、1日に1000記事以上見た方が2人、さらに800記事以上見た方が2人いらしたようです。楽天で再構成を始めてから4年くらいになりますが、最高閲覧数となりました。毎日沢山の方がご訪問くださり、嬉しく思います。ここから本題で、今日は211系ネタです。211系は、昭和60年、国鉄末期に導入された近郊型電車で、主に非冷房の111系、113系並びに115系の置き換えを目的に製作されました。このうちグリーン車だけの説明になりますが、東海道線への導入当初、平屋建てのサロ211+210が6組製造されています。東北・高崎線へのグリーン車転用に当たっては、これら平屋建ての車両が優先で転用されたため、全車とも1000番代に改造されました。サロ210は乗務員室が設置され、便所は相方のサロ211に設置されています。また、サロ213は、グリーン車の混雑が慢性化に対して着席率を上げるために製造された国鉄初の2階建て車両です。導入に当たっては相方となるサロ210に乗務員室が設置されているため、同車は便所を設置しています。また、東海道時代はサロ212とペアを組んでいたものもあります。東北・高崎線へは、乗務員室・便所の組み合わせを変えずに転用されていますが、連結順序をサロ211+サロ212に合わせたため、組み合わせたまま向きを変えて編成されました。平成20年11月22日 サロ210-1001平成20年11月22日 サロ213-1001平成22年12月24日 サロ210-1001+サロ213-1001平成24年4月7日 サロ210-1001+サロ213-1001平成24年5月20日 サロ210-1001+サロ213-1001平成24年7月8日 サロ210-1001+サロ213-1001平成24年7月15日 サロ210-1001+サロ213-1001平成24年11月4日 サロ210-1001+サロ213-1001平成24年10月6日 サロ210-1002+サロ213-1002平成24年5月20日 サロ210-1003+サロ213-1003平成24年7月16日 サロ210-1003+サロ213-1003平成24年6月2日 サロ210-1004+サロ213-1004平成24年8月8日 サロ210-1004+サロ213-1004平成24年6月15日 サロ210-1005+サロ213-1005平成24年7月15日 サロ210-1006+サロ213-1006サロ210、サロ213は、いずれも元番号+1000となっています。
2026.05.19
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JR東日本 EF8178(田端機関区)EF81シリーズで、田端機関区に所属していたEF8178号機です。EF8178は昭和48年8月22日新製の日立製で、酒田機関区に配置されたようです。EF80の置換えに絡み、昭和55年に内郷機関区へ転属、そのままJR東日本に継承されました。「北斗星」指定機となっていましたが、常磐線を軸とする貨物列車の牽引にも活躍しました。「北斗星」については既にEF8178牽引:寝台特急「北斗星」でアーカイブ済みですので、今回は貨物列車牽引の写真を集めてみました。平成19年7月30日 常磐線貨物列車平成20年10月6日 安中貨物一時期、安中貨物がコンテナ輸送等の他の手法に変更されるようなウワサがあり、その裏付けのようにコキが連結されたことがありました。平成20年10月19日 安中貨物平成20年11月23日 安中貨物平成22年4月10日 単機あまり良い感じの写真がありませんでした。最後の写真を撮った年の平成22年12月26日付で廃車になってしまったようです。
2026.05.18
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東海道本線:品川新駅遠景※本記事は、2018-09-17に投稿したもので、当時の表現になっています。報道でもかなり大きく取り上げられていますが、品川~田町間に新しい駅が設置されます。未だ名称は公募・検討中で、仮称が品川新駅としています。元々は品川客車区や田町電車区を擁していた一大車両基地であり、現在は数本の留置線を備えるのみと変貌していますが、さらに再開発と込みで新駅が設置されることになりました。品川新駅としつつも、元々品川駅自体が港区に存在しています。新駅名称の案の中には「北品川」が良いというシロート丸出しの案をぶつけてくる輩が多いようです。全くとんちんかんなことであり、品川区でもなく京急にれっきとした北品川駅が存在しているのだから、鉄道を知るものとしては絶対に口に出してはいけない案だと考えます。さて、以前に品川界隈の線路切換に伴う区間運休など大掛かりな工事について稚拙ながらレポをご紹介したことがありますが、上野東京ラインとしては新線切替後に乗車したことがあるものの、京浜東北線では初めての通過となります。切替えはまだ南行電車のみで、京浜東北北行と山手線は今後と言うことになります。せっかく品川まで出掛ける機会がありましたので、なんとか工事中の姿を撮ろうと思いましたが、スケールが大き過ぎてなかなか難しいですね。※撮影は、平成30年9月16日です。E231系 山手線現在、第3ホームが4・5番線として使用され、4番線が京浜東北線南行、5番線が東海道本線上りとなっており、以前から考えれば非常に変則的な配置となっています。第2ホームは京浜東北線北行の3番線のみとなり、旧4番線は工事でぐちゃぐちゃな状態です。京浜東北線北行電車時間の都合で泉岳寺方面まで移動することができず、駅近くの駐車場から。壁が高くて上手く撮れませんでした。品川駅を出ると海方向へ大きくカーブするため、品川新駅の進入方向が写る角度になってしまいます。全く手も足も出ない状況でしたので、仕方なく京浜東北線の車窓から撮ることにしました。103系時代なら窓を開けて撮っていましたけどね。今はそのような撮り方はマナー違反でしょうか?あまり良い画は撮れませんでしたが、線路が切り替わってしまえばこのような遠巻きに見る品川新駅も撮れなくなってしまいます。まして2024年開業の頃には高層ビルが建ち並んでしまうことも十分に想像が付きますから、ある程度に期間をおいて記録しておくのも良いでしょうね。※周知のとおり、本駅は「高輪ゲートウェイ」と駅名が決定し、応募上位でなかったことも相俟って「出来レースだったのでは?」と物議を醸しました。開業にあたって線路の移設も全て終わり、JRとしては落ち着いたようですが、次に京浜急行の移設工事が始まるようで、しばらくはガタガタの状態が続きそうですね。
2026.05.17
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東京メトロ 千代田線北綾瀬支線:6000系ハイフン車過去に何度かは訪れたことのある千代田線北綾瀬支線ですが、05系が導入される前はいつも5000系ばかりで、6000系ハイフン車に会うことはありませんでした。平成25年度以降、05系改の誕生により引退が見えてきた6000系ハイフン車でしたが、年度の変わった平成26年4月まで平常に運用されており、なんとかGWに訪問しようと思った矢先、運用から外れてしまったようです。4月・5月は一年中でも一番の繁忙期のため、休みのGWを待っていたので、毎日のように運用を追っていたのですが、戻ってくることはありませんでした。平成26年5月16日 6000系ハイフン車まだ業務多忙な日が続いておりましたが、体調不良により家を出遅れ、ついでにカメラを持って出た日のこと、昼休みか夕方か忘れましたが、運用をチェックすると、6000系ハイフン車が半月振りに運用に入りました。今後への安心感もあったのですが、偶然にもデジイチを持って出てますので、ここぞと思い、残業帰りにかなり遠回りで寄り道をすることになったのです。現地に着いたのは21時近くになってました。ここで初めて6000系ハイフン車とのご対面になったのですが、以後、3ヶ月が経過したものの1度も運用に入ることは無く、5000系同様に引退となってしまったようです。たまたま運用に入った日、偶然にもカメラを持って出た日、きちんと運用をチェックした日、夜だけど行ってみようと決めた気持ち、すべての偶然が重なって、最初で最後にハイフン車を記録することが出来ました。営団地下鉄 千代田線:6000系(非冷房時代)東京メトロ 千代田線:6000系東京メトロ千代田線:06系帝都高速度交通営団 5000系:千代田線・常磐緩行線209系1000番台:常磐緩行線203系:常磐緩行線207系900番台:常磐緩行線103系1000番台:常磐緩行線(千代田線代々木公園行き)
2026.05.16
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国鉄:EF651059EF65PFシリーズで、今回は国鉄物のEF651059です。1059号機は、昭和51年度に久し振りに生産が再開された後期型PF(PS22Bパンタグラフを搭載)です。昭和52年1月21日に落成した川崎重工・東洋電機製造製で、首都圏の旧型電機の置換え用として新鶴見機関区に配置され、終始新鶴見機関区で活躍したようです。昭和57年7月頃 大宮機関区にて国鉄時代、大宮操車場の通勤職員輸送列車内から撮影したと記憶しています。1059号機は、民営化後に大きなJRマークを配した試験塗装機に選ばれ、試験塗装解除後も他の僚機と同様に活躍しましたが、比較的早い平成21年3月31日付で廃車になってしまったそうで、残念ながらJR貨物になってからは遭遇しなかったようです。
2026.05.15
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祝 2,000,000PV2024年12月31日、引っ越しによるブログの立て直しから2年9か月くらいで1,000,000PVをいただきました。あれから1年半弱ですが、2026年5月14日未明に2,000,000PVを超えました。ブログネタを復刻するのに丸3年は掛かるという意気込みで1日1記事を処理してきましたが、ネタは順調に消化しているものの、国鉄形電気機関車やJR貨物のDE引退等により、アーカイブ数が細分化されて増えてしまいました。また、客車列車の廃止され、転職→退職により出歩く機会もなくなり、写真ネタも激減してしまった一方、また鉄道模型に比重がシフトしてしまったこともあり、以前よりネタ作りが多くなってしまいました。趣味として楽しまなければ意味が無いのですが、負担に思ってしまうこともあり、残念な気持ちです。さらに、また悪質ユーチューバーによる無断使用が明らかになったため、これの対策・手続きも必要になってアタマの痛いところ。こんなクソ相手になぜこちらが頭を痛めなければならないのか?本当に腹が立ちます。絶対に攻撃します。廃止になった車両を中心に、またしばらくは更新してまいりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
2026.05.14
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E257系0番台:集約臨中央東線の特急「あずさ」「かいじ」がE353系化され、交代余剰となったE257系0番台は、房総地区で捻出された500番台の一部と合わせて、特急「踊り子」及び185系に変わる波動用として活用されることになりました。捻出されたE257系は、「踊り子」用及び波動用についても改造により番台区分が新たに設けられることとなったため、廃車となってしまった付属編成を含め、0番台は消滅することになってしまいました。改造に当たっては、作業スケジュールについて労使問題にまで発展し、完全竣工とならずに運用に入ったり、作業が間に合わずに0番台のまま新たな職場で働く車両もありました。※撮影は、平成30年9月24日です。E257系 集約臨 8583M185系に代わってE257系の運用が始まってから早1週間。やっとその姿を捉えました。改造が間に合わない編成が発生し、特に「踊り子」に運用されない波動用の編成は0番台のまま運用された期間がありました。基本編成を使用しているので、前後で顔が変わってしまうのですが、その後は非貫通側の姿を捉えることが出来ないまま、すべての編成が改造されて0番台は消滅してしまいました。0番台の姿で集約臨に運用されたのはわずか2~3年程度であったと思われます。183系・189系:特急「あずさ」189系 M11編成(松本車):特急「あずさ」189系:臨時特急「あずさ銀嶺」183・189系 H81編成:団体列車「長野行き 懐かしのあずさ号の旅」E257系:特急「あずさ」E257系:特急「かいじ」253系1000番台:臨時特急「むさしのかいじ」
2026.05.14
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国鉄 直流型電気機関車:ED62(その2)国鉄 直流型電気機関車:ED62(その1)からの続きです。昭和58年2月23日 伊那本郷~飯島間にて ED628昭和58年7月1日 ED6212すでに旧型国電も終焉といった時期で、1日に2往復程度しか運用が残っていなかったと思います。定期運行の旧型国電にも、さよなら旧国のヘッドマークが取り付けられていました。それでも、貨物輸送については大合理化の前なので、定期スジの貨物はちゃんと走っていました。昭和58年7月1日 ED6217こちらも同じ場所で、比較的同じ時間に上下列車が交錯していたようです。写真の17号機は、廃車後も大宮総合車輌センターで保存されていました。昭和57年8月10日 ED625 大沢信号場にて時期が前後していますが、初めて大沢信号場を訪れた時の写真です。昭和57年8月10日 ED627こちらも同じ行程で撮った写真ですが、場所が特定できません。飯田線は、全線に渡り駅間距離が短いため、1回の撮影で5駅~10駅近くも歩いてしまうことが多いんです。ですので、細かい区間の特定が非常に困難であり、記録の残っていない今となっては、旧国データ泣かせとなっています。平成21年5月23日 大宮総合車両センターにて現在も同センターで保存されているED6217です。確か、ED62として最後まで残っていたカマだったと記憶しています。平成21年8月22日 佐久間レールパークにて佐久間レールパークにて保存されていた14号機。詳細な情報は確認できませんが、同園の閉園後に現地で解体されてしまったようです。マイナーな機関車にもかかわらず、保存車があると言うのは嬉しいことでしたが、大宮の17号機も博物館には収蔵されず、2021年3月に解体されてしまったそうです。国鉄型直流電機:ED60(大糸線)
2026.05.13
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私が遥かむかしに手に入れた、国鉄時代の交番検査票?と思われる紙切れをご紹介しています。国鉄で連結手をしていた時代、希少な車両などから記念に持ち帰ったもので、今となっては貴重なものです。鉄道部品というのは、大体が鉄やアルミなどの金属製又はプラ製で、サボ類で紙製のものを集めている方と言うのはまずいないと思います。まして、全体の大きな貨車にこのような検査票を取り付けていること自体が鉄道ファンでも知られていない筈ですので、これを持っている方と言うのは全国を探してもあまりいないと思われます。そんな「どうでも良い」鉄道の記録をご紹介してまいります。まだシリーズとしては途中ですが、ここまでコレクション館に公開したものをこちらでもご紹介いたします。是非リンク先をご覧ください。交番検査票? 国鉄貨車 オトキ23908: マル鉄コレクション館手に入れた経緯は、この記事でご紹介しております。交番検査票? 国鉄荷物車 ワサフ8800形(ワサフ8801): マル鉄コレクション館交番検査票? 国鉄客車 スエ3179: マル鉄コレクション館交番検査票? 国鉄貨車 トキ21004: マル鉄コレクション館
2026.05.12
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JR貨物 DE101666DE10シリーズで、今回はDE101666号機をご紹介したいと思います。平成23年8月14日 田端機関区にて平成26年3月14日 北王子支線にて1666号機は、日本車輛製で、昭和49年6月28日に佐倉機関区に配置されました。そのままJR貨物へと継承され、民営化直後の昭和63年4月13日付で品川機関区へ異動となりました。その後は他のDEと同様に、川崎~新鶴見(川崎派出)の流れで令和5年度まで活躍しました。
2026.05.12
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253系:特急「成田エクスプレス」(物井~佐倉編)253系特急「成田エクスプレス」の続きで、今回は総武本線物井~佐倉間(モノサク)で撮影したものをまとめます。この区間ではたった2回しか「成田エクスプレス」を撮影したことはありませんが、運転本数が多いこともあって、コマ数はありました。※撮影は、総武本線 物井~佐倉間にて。253系 特急「成田エクスプレス37号」253系 特急「成田エクスプレス39号」253系 特急「成田エクスプレス36号」253系 特急「成田エクスプレス41号」253系 特急「成田エクスプレス38号」以上は、平成20年5月3日に撮影したものです。朝から天気が悪く、銚子電鉄撮影から帰路に寄り道したものです。雨は上がったと思いましたが、非常に暗いままでコンデジには過酷な条件でした。以上は、平成21年1月3日に撮影したものです。列車号数は記録していません。京成AE100系撮影の前に、モノサクで臨時列車などを撮影した時のものです。東京~成田空港間では付属編成を備えた9両又は12両編成で運転されているため、特急列車らしい体裁でした。ただ、統一された形態はあまり面白みは足りなく感じました。ただ撮るだけの地元とは違い、障害物の少ない景色の中を行く姿はとても良いですね。天気に恵まれなかったのは残念でした。JR東日本 特急「成田エクスプレス」大宮~新宿間取り止め | マル鉄鉄道写真館2 - 楽天ブログ253系:特急「成田エクスプレス」(東海道編) | マル鉄鉄道写真館2 - 楽天ブログ253系:特急「成田エクスプレス」(地元編) | マル鉄鉄道写真館2 - 楽天ブログ
2026.05.11
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EF641000番台:EF641006EF64シリーズで、今回はJR貨物の1006号機です。平成22年5月16日 2073レ平成22年12月4日 8592レ平成22年12月4日 単2073レ?平成22年12月25日 ????レ平成23年2月25日 赤羽駅にて 2085レ EF641006+EF641016平成23年3月6日 2073レ平成23年8月14日 田端機関区にて平成24年4月29日 3055レ平成24年7月17日 8592レ平成24年7月28日 遅2080レ平成24年8月8日 2082レ平成24年10月13日 3055レ平成24年12月15日 8592レ1006号機は最後まで原色でした。そのためか、他に比べて多く撮影していました。1980.8.29 新製2016年度 廃車
2026.05.10
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453系・455系:普通列車(東北本線)国鉄時代末期、老朽化著しい戦前戦後型の客車列車が急速に淘汰されるようになり、路線によって電車化、気動車化、或いは12系・50系化されて行きました。個人的に馴染みのある東北本線の黒磯口では、東北新幹線開業に伴って余剰となった急行形車両や581系を改造した715系1000番台により電車化されることになりました。置き換え当初は急行時代のサロを含む6両基本編成も見られたようですが(福島・仙台地区だけかもしれません)、サハやサロからの先頭車化改造や165系からの改造によって短編成化され、3連の短い普通列車が行き来するようになりました。昭和60年9月10日 453系 普通列車 白坂~豊原間にて455系の普通列車転用にあたっては、随時塗色変更が実施され、いわゆるグリーンライナーとなって運転されましたが、引退が近かった453系に関しては、塗色変更されずにそのまま急行塗装で運転されていました。昭和62年6月14日 455系 普通列車 白坂~豊原にてこちらは民営化されて間もない頃。すでに453系は無くなっていたかもしれません。偶然ですが、写っていたのは先頭車化改造のクハ455。運転席直後のドア窓がタテに細長く、改造車である特徴が良く分かります。画像が不鮮明ではっきりとは読み取れませんが、車両の配置状況からクハ455-500番台とみて良いと思います。同車は、直流型電車であるサハ165からの先頭車化、交直流化が施行された改造車です。平成13年7月8日 455系 普通列車 須賀川~安積永盛間にて磐越西線のD51列車が珍しく夏運転となり、これまた珍しくも須賀川始発となったために撮影に出掛けた時のものです。客車普通列車が全廃、昼間の優等列車もなくなり、面白みがまったくなくなってしまいましたので、たまたま715系狙いで立ち寄った際に撮影したこの程度しか記録がありませんでした。455系 普通列車&快速「ばんだい」:磐越西線
2026.05.09
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JR東日本 EF81134(長岡運転所) EF81シリーズで、長岡運転所に所属していたEF81134号機です。平成21年9月5日 単機回送平成25年4月13日 DE101571の配給回送。平成14年8月17日 寝台特急「はくつる」青森時代の写真が1枚ありました。134号機は、昭和51年9月10日誕生の日立製。旧型車置換名目として登場した130~134号機のうちの1両で、酒田機関区配置となりました。その後、長岡運転所→青森運転所を経て長岡へと出戻りしていました。130~132号機は400番台となった中で、133号機は田端へと散り散りになっていました。同機は長岡出戻り後に双頭連結器を装備し、主に首都圏への新車配給回送などに活躍しましたが、機関車全廃の波にのまれ、令和7年7月29日付で廃車になっています。
2026.05.08
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EF510-515牽引:寝台特急「北斗星」今回は、EF510-500番台牽引「北斗星」シリーズの最後となります、515号機を集めました。メチャクチャあります。特記以外は、上り2レ「北斗星」で、南浦和~蕨~西川口間の撮影です。平成22年12月19日平成23年2月20日平成23年6月19日 蓮田~東大宮間にて平成23年9月3日平成23年9月11日平成24年6月3日平成24年7月17日平成25年1月5日平成25年12月8日平成26年2月19日平成26年4月29日平成26年3月23日平成26年5月10日平成26年8月20日ここまでは定期列車時代上り2レです。何故か、ここまででも結構当たる確率が高かったようです。平成27年4月11日 8007レ平成27年4月18日 8007レ平成27年5月19日 8007レ平成27年5月23日 8008レ平成27年6月6日 8008レ平成27年6月20日 8007レ平成27年8月9日 8007レ平成27年8月9日 8008レここまで臨時化後における「北斗星」。たまたまかもしれませんが、515号機の登板が異常に多いですね。平成27年8月23日 8008レ臨時化後における最終最後の上り「北斗星」です。これをもって50年以上続いた客車による寝台特急(いわゆるブルートレイン)の歴史に幕が下ろされました。いつもの歩道橋には鉄道ファンのみならず、大勢の人たちに見送られました。
2026.05.07
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EF651000番台(5次車):EF651050~1055EF651000番台は、先に誕生した0番台一般型や500番台の改良版として誕生したマイナーチェンジ車です。主な改良点は、寒冷地での使用に応えるために耐雪耐寒を装備しており、また、同じく寒冷地での重連運用を考慮して貫通扉が設けられ、すべての車両が重連仕様となっている点において、0番台一般型や500番台と大きく異なります。貨客両用の装備もあることから、PF型とも称されています。今回は5次車をまとめてご紹介。昭和46年度に製造された1050号機~1055号機が該当します。1050号機 昭和56年11月頃 川口~西川口間にて国鉄時代の1050号機。もちろんオリジナル。次位にDE10?を従えた単機回送。JR貨物にも継承されましたが、他機と比較して大きな変化があり、特徴のあるカマでした。1050号機については、既に単独でご紹介済みです。国鉄・JR貨物:EF651050(EF652050)1972.9.14 新製2022年度 廃車(EF652050)1051号機 平成21年10月17日 西川口~蕨にてこちらも白ナンバー仕様です。おおみや公開 入札ナンバー1972.9.21 新製2010年度 廃車1054号機 平成22年5月16日 蕨駅付近にて 2082レ1041号機と並んで未更新のままオリジナルに近い状態で活躍した1054号機。1972.9.21 新製2010年度 廃車1055号機 平成22年12月18日 田端操~隅田川間にて 遅2077レ?こちらも白ナンバーです。ピカピカのナンバーが輝くシーン。オリジナル塗装を望みたい車両ですね。1055号機 平成24年3月16日 回8283レ 廃車回送2000番台には引き継がれず、廃車となりました。1972.9.8 新製2012年度 廃車※EF651000番台(特に初期車)については、未撮影のカマが多いため、欠番表示は省略いたします。
2026.05.06
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真岡鐡道:モオカ63(その2)SLが走る第三セクターとして有名な真岡鉄道(真岡鐵道)。第3セクター切り替え時から使用していたモオカ63の後編です。平成13年5月4日 モオカ63-2ほか2連平成13年5月4日 モオカ63-2ほか3連平成13年5月4日 モオカ63 2連平成8年5月4日 モオカ63 2連いずれも「SLもおか」撮影の際に撮っていたものです。前回ご紹介いたしました写真では、単行が基本的な運用でしたが、GWで多客となるためか、写真のように2連、時折3連運用もあったようです。最後の写真はこいのぼりを入れて撮影できる場所で、真岡鐵道を訪れる方たちには有名な場所だったと思います。開業時から導入されていたモオカ63形でしたが、登場から15年くらいで寿命を迎えてきたようで、平成14年度から後継のモオカ14形に置き換えが始まり、平成18年度までに全廃となったそうです。真岡鐡道:モオカ63(その1)
2026.05.05
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京浜急行電鉄 デハ230形:デハ236(保存車)廃車以来、永らく川口市の青木町公園に保存展示されてきた京浜急行電鉄230形(デハ236)ですが、予算不足から放置され荒れ放題になっていました。里親探しで募集をかけたところ、元の所有者であった京浜急行電鉄が手を挙げ、保存が継続されることに決まりました。平成29年5月24日、陸送により工場に無事到着したそうです。2017-05-25に当時の記事をエントリしてから早9年になりますが、今般、京急ミュージアムを初訪問し、復旧されてキレイになったデハ236に実に19年振りに再会することができましたので、リバイバル内容を含めて改めてエントリいたします。※撮影は、平成19年7月8日、川口市立青木町公園にて。地元で子供の頃に遊びに通った青木町公園。長い間訪問したことが無く、娘の水泳大会で数十年振りに行くことになり、保存されていることを初めて知りました。こちらは道路側からの撮影です。陽当たりが良いためか、塗装がかなり劣化しています。※特に赤系塗装は紫外線に弱いとのことです。園内側からの撮影です。撮り易い角度、スペースとなっています。こちらは日中に日陰となるためか、比較的良好な状態でした。しかし、保存状態は良好とは言えず、いたずらにより破壊されている部分も見受けられました。子供の頃はなかったと思いましたが、昭和54年4月に譲渡されてきたようで、当時既に高校生になっており、保存車があるのは全く知りませんでした。令和8年5月2日 京急ミュージアムにてピッカピカに輝くデハ236。ビル内に収蔵したため、風雨にさらされて劣化する心配はもうありません。訪問内容はマル鉄回顧録にて公開します。(リンク貼り付けまでしばしお待ちください。)
2026.05.04
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EF58牽引14系客車:臨時特急「はつかり51号」まだ東北新幹線が開業する前、急行列車でさえ「優等列車」と呼ばれるにふさわしい速達性を発揮していた東北本線では、特急列車の需要が相当ありました。特にお盆や年末年始の帰省客輸送においては、昼間は増発の特急列車、夜は夜行急行といった図式が当てはまっていたと言えると思います。その中でも、特急列車については増発に対応する編成数には限界がかなり近かったと見え、昼間の「つばさ51号」「はつかり51号」、そして夜行の「ゆうづる51号」「あけぼの51号」には14系座席車が使用されていました。今回ご紹介いたしますのは、14系座席車を使用していた「はつかり51号」です。昭和55年4月27日 蕨駅にてEF58114が牽引して蕨駅横を通過する「はつかり51号」です。東北本線の14系特急と言えば「つばさ51号」と言われるくらい、その歴史は古く、多客期には必ず運転される名物の列車でしたが、当時2往復しかなくて供給が不足していた「つばさ」に対し、5往復も設定されていた「はつかり」に臨時が設定されたときはかなり意外でしたし、14系のテールマークの珍しさにときめきを感じました。120km運転のできる電車特急に比較して当然ながら鈍足となりますが、東北新幹線開業の間近まで運転されていたことは意外なところだと思います。当時の蕨駅では、駅別扱いの貨物を取り扱っており、狭いながらも貨物ホームや側線が複数ありました。バックに建つのは住友セメントの工場であり、工場の撤退後大きなマンションが複数建ち、現在に至ります。昭和56年5月 蕨~南浦和間にてEF58141牽引の「はつかり51号」です。14系客車は6連を標準固定としているため、基本的には6連×2の12連で編成を組んでも良さそうですが、なぜかこの列車は10連が定番となっていました。東北本線の有効長を考えれば12連でも何ら問題ありませんので、おそらくは勾配区間における牽引定数と速度維持の兼ね合いではないかと思います。「はつかり51号」は、宇都宮運転所のEF58が受け持っていました。同じく14系を使用した臨時特急「つばさ51号」はEF651000番台が牽引していましたので、列車スタイル的には好対照であったと言えます。何故このように牽引機が区別されていたのかは良く知りません。EF58の活躍も最晩年となり、全国的にもこの「はつかり51号」やイベント的に設定されていた臨時「踊り子」が最後の特急列車牽引となっていました。583系:特急「はつかり」その1583系:特急「はつかり」その2485系:特急「はつかり」583系仙台車:団体列車 リバイバル「はつかり」583系:特急「ふるさと」14系座席車:特急「つばさ51号」
2026.05.03
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DD1611:臨時快速「いいやま菜の花まつり号」JR東日本で最後まで残っていたDD1611ですが、令和3年12月24日付で廃車になってしまったそうです。殆ど出会ったことのないDD16なのですが、過去に金町のHさんからご提供いただいた飯山線臨時列車の写真を再編集によりアーカイブさせていただくことにいたしました。※平成21年5月2日、金町のHさん撮影。平成21年5月2~4日、長野~戸狩野沢温泉間においてDD16が旧型客車4両を牽引する臨時快速列車「いいやま菜の花まつり号」が運転されました。飯山線入線ということでDD1611が登板となっています。桑名川付近にて森宮野原駅にて信濃白鳥付近にて小さなディーゼル機関車が大型の客車4両を従える画は滑稽ながら、大変趣きのある光景です。元々小貨物用の機関車であり、SGを持たないことから客車列車を牽引することは殆どありませんでした。大糸線では、急行「シュプール」をDE10とプッシュプルで引いた実績はありましたけど。国鉄時代では考えられなかったと思います。客車が残存しているものの、肝心の牽引機が絶滅状態となってしまったJR東日本。もう「国鉄」を語ることはできなくなりそうですね。毎度貴重な写真のご提供、ありがとうございます。DD1611牽引:「パノラマ八ヶ岳号」JR東日本 DD16303牽引:チキ工臨JR東日本 DD1611牽引:チキ工臨国鉄 ディーゼル機関車:DD1620(大宮工場)
2026.05.02
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ひたちなか海浜鉄道(茨城交通):キハ205ひたちなか海浜鉄道で永らく活躍していたキハ205ですが、さすがに部品調達も難しくなり、メンテナンスコストの関係もあっただろうことから、引退を余儀なくされたようです。元は国鉄キハ20系として活躍した車両で、水島臨海鉄道へ払い下げ、その後に茨城交通にやってきました。キハ205は水島臨海鉄道時代に冷房化されており、茨城交通~ひたちなか海浜鉄道のキハ20系同属の中で、最も長く活躍できた理由でもあると思われます。平成18年4月30日 平磯駅にてキハ205を最初に撮影できたのは、まだ茨城交通だった時代。最初のデジカメを買って撮影に出た、最初の日の写真です。平成20年8月9日 金上~中根間にて平成20年8月9日 中根駅にて平成21年4月26日 勝田駅及びその付近にて平成21年4月26日 中根駅付近にて以降はひたちなか海浜鉄道になってから撮影したものです。3セク化後は新車導入までは出来なかったものの、JR等から使用実績の高い、設備としても見劣りしない車両が調達できたため、令和6年10月の運転をもって引退となりました。昭和40年製造ですから、私の年齢とあまり変わりません。気動車でも60年近く働いたのですから、悔いは無い筈です。
2026.05.01
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キハ20・40・45・58系:水郡線水郡線は、水戸~郡山を結ぶローカル線で、かつては急行「奥久慈」が走っていました。私はこの水郡線を完乗したことはなく、ローカル線として撮影に行ったことも無かったですが、水郡線にSLが走ったとき、列車又はクルマで数回行ったことがあります。今日ご覧いただくのは、SL撮影の合間に撮った普通列車の写真です。昭和60年4月30日 水郡線 撮影場所不詳築堤を行くDC普通列車。キハ40×2+キハ45×2の4連です。キハ45は、キハ20系以降、通勤・通学にもローカル運用にも使える車両として、キハ20系生産終了以後製造された車両です。しかし、間もなく新鋭キハ40系各種が誕生したことにより比較的少数の生産に終わってしまいました。昭和60年5月8日 水郡線 撮影場所不詳こちらは別の日に撮影したキハ45ほか3連。キハ45が先頭なので、顔が良く判ると思います。高運転台でユニットサッシを伴い、当時新鋭のキハ40と似た印象の顔となっていますが、車体幅がキハ20系時代と同じく狭いため、ちょうど合いの子のような感じです。いわゆる過渡期のスタイルであることが想像できます。昭和60年5月8日 水郡線 撮影場所不詳上の写真と同日に撮影したものですが、こちらはちょっとバラエティーで、右先頭からキハ28+キハ25+キハ40×2の4連です。キハ40系の投入により活躍の場が完全になくなりつつあったキハ20系ですが、、まだ少々運用が残っていたようです。凸凹な車両がランダムにつながれた、ローカル線らしい雰囲気の水郡線でした。
2026.04.30
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銚子電鉄:犬吠駅前 元相模鉄道モニ2022今回は廃車体ネタです。犬吠埼は千葉県でも有数の観光地であり、犬吠駅は超ローカル線の銚子電鉄の中でも駅及び駅前の造りがまったく様相が異なります。広い駅前には2両の廃車体を使用したお店がありました。※撮影は、平成20年5月3日、銚子電鉄犬吠駅にて。台車こそありませんが、パンタグラフも上がった、なかなか良い状態です。この写真を撮った時は銚子電鉄に在籍した車両だと思ってましたが、帰宅後に調べたところ当該電車は元相模鉄道のモニ2022ということで、さらに時代を遡ると元国鉄のクモハ11054だそうです。確かに車体の側面を見ると、モハ30を思い起こさせる窓並びになっています。写真では判り難いですが、左側のパラソルの向こう側には銚子電鉄のデハ501も利用されていました。海が至近なため塩害が激く、かなり頻繁に塗り替えなどの対策も行われていたようですが、平成24年7月に2両とも解体されてしまったということです。鉄道車両が保存されるというのはファンとしては嬉しいことですが、野天での保存には莫大な維持経費が掛かってしまい、長く保存されるケースは稀と言えます。朽ちた車体を見たり、解体された情報を耳にする度に心が痛みます。銚子電鉄:デハ301+デハ501 | マル鉄鉄道写真館2 - 楽天ブログ銚子電鉄:デハ801 | マル鉄鉄道写真館2 - 楽天ブログ銚子電鉄 デハ1000形:デハ1002 | マル鉄鉄道写真館2 - 楽天ブログ銚子電鉄 デハ1000形:デハ1001 | マル鉄鉄道写真館2 - 楽天ブログ銚子電鉄:700形(デハ701・702) | マル鉄鉄道写真館2 - 楽天ブログ
2026.04.29
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185系:特急「踊り子173号」(大宮始発)特急「踊り子」は、東京又は新宿発着として設定されていましたが、251系「スーパービュー踊り子」の新宿発については、大宮~新宿間の延長運転を行っていました。そして大宮始発「スーパービュー踊り子」は、251系が検査などで不足する際、185系による大宮始発「踊り子」が設定される時があり、地元を通る唯一の営業運転185系「踊り子」として見ることができました。今回は、地元で撮影することができた185系による大宮始発「踊り子173号」をまとめたいと思います。平成20年8月23日 A5編成平成21年1月17日 A3編成平成21年7月4日 A1編成このくらいまでコンデジのみの頃で、あまり写りが良くありません。スカートが強化型になる前で、オレンジと緑のブロック塗装のみ。所属も田町でした。平成24年3月20日 A2編成平成25年7月28日 A7編成しばらく撮影していなかったようで、3年近く空白がありました。この間にスカートが強化型に換装されています。平成25年3月に田町車両センターが廃止となったため、この2枚でも所属が異なっていますが、編成番号がそのままのため、外観の変化はありませんでした。平成28年2月14日 A1編成またしばらく期間が開き、185系の塗装が///と変化しました。「踊り子」用の車両すべてが大宮総合車両センターの所属となり、東京又は新宿への送り込みが必要となった訳ですが、あまりにも乗車率が悪いためか、この年を最後に大宮始発の「踊り子173号」の設定は消滅してしまいました。251系:「スーパービュー踊り子」EF651116牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」EF5868牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」EF5861牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」E259系:「マリンエクスプレス踊り子」(展示)185系OM08編成:臨時特急「上州踊り子」
2026.04.28
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国鉄・JR貨物:EF651058(EF652058)EF65PFシリーズで、今回はJR貨物のEF651058(EF652058)です。1058号機は、昭和51年度に誕生した増備車で、昭和52年1月19日に落成しています。首都圏では旧型電機がまだ多く残っていた時代で、EF13やEF15などの置換えを目的に誕生しており、久し振りの増備となった同型は、PS22Bパンタグラフを搭載し、新しい時代を感じさせる外観となっていました。国鉄時代は新鶴見機関区へ配置となり、首都圏の貨物列車全般に活躍していました。詳細は不明ですが、民営化辺りで高崎機関区へ転属となり、また新鶴見機関区に戻っています。同機に関しては、残念ながら国鉄時代の写真が見当たらず、JR貨物更新色後のご紹介となります。平成21年10月18日 2082レ平成22年3月20日 2082レ平成22年9月26日 4094レ平成22年9月30日 2071レ平成22年10月31日 2082レ平成23年1月18日 新座駅にて ????レPF牽引の貨物列車の写真を撮るようになった初期の頃は、3色更新色から2色更新色への切替が行われてきている時期でしたが、この辺りの番号はまだ3色のカマが残存していました。平成23年12月16日 7071レ平成23年12月24日 4094レ同じ平成23年ですが期間が開いていますので、この間に検査入場し、2色へ塗装替えがされたようです。そしてこの翌年に2000番台に変更されEF652058となったようですが、平成27年には廃車になっていますので、2000番台になってからは一度も検査を通すことなく、この世を去ってしまったと思われます。この間、3年ほどの期間があった筈ですが、運悪く2058号機としての記録は残念ながら残せませんでした。
2026.04.27
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183・189系田町車→大宮車:団体・回送列車昭和50年代の直流区間を席巻した直流特急型車両の183・189系も、平成30年に波動運用から撤退し、終焉を迎えました。過去ログでもいくつかの183・189系田町車を使用した団体列車・修学旅行用列車をアップしておりますが、その他団体列車や回送列車には触れておりませんでしたので、資料性はあまりありませんがまとめておきます。※地元以外の撮影地のみ、撮影区間を掲載しています。平成20年1月6日 新小岩~金町間にて H81編成? 団臨列車平成21年6月13日 H81編成 団臨列車平成22年5月22日 大宮~宮原にて H81編成 団臨列車平成22年10月16日 H101編成 団体列車平成22年10月22日 編成番号不明 回送列車平成23年1月16日 H101編成 回送列車平成24年4月28日 H102編成 団体列車「深谷パンダ号」回送 回9561M平成24年5月13日 H101編成 回9574M平成24年5月19日 H101編成 団体列車 9832M平成24年5月19日 H101編成 団体列車 9835M平成24年6月15日 H81編成 回送列車平成25年5月18日 H101編成 団体列車 9835M他線で臨時列車等に運用が忙しかったためか、6連のH61編成は殆ど記録がありませんでした。これでも撮影をシカトしてしまった場面が多くあり、それほど見ない日はないくらいに活躍していました。田町車両センターの解消により、平成25年3月16日付けで全編成が大宮総合車両センターに配属替えとなりましたが、活躍自体はそれまでと変わらない状況でした。しかし、それもおよそ1年ほどで大宮車両センターの183系・189系はすべて廃車又は転属となり、最終一番の大所帯配置区もわずか1年で0配置となってしまいました。183系・189系 田町車:修学旅行臨(集約臨)
2026.04.26
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EF8198牽引:寝台特急「北斗星」EF81牽引寝台特急「北斗星」シリーズで、今回はEF8198号機牽引の「北斗星」です。「北斗星」牽引用のEF81は指定制となっており、車体には流れ星マークを塗装してあるのが特徴となっています。平成20年1月14日 「北斗星2号」平成20年2月10日 「北斗星4号」平成21年5月23日 2レ98号機は、昭和49年3月16日新製の日立製。94~100号機に属するグループは、昭和48年度の最終製造で、95~100号機が富山第二及び酒田に3両ずつ配属され、この98号機は酒田機関区に配属となり、長岡運転所を経て田端運転所にやってきました。「北斗星」やJR貨物から委託された首都圏の貨物列車などで活躍し、EF510-500番台の導入さらにはJR貨物への譲渡後も「カシオペア紀行」や救援用として長く活躍し、令和6年6月8日付で廃車となっています。
2026.04.25
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マル鉄回顧録で、KATOから発売された415系セットの旧製品に関する記事を掲載しました。【Nステ:その11】KATO 10-417 415系「国鉄標準色」8両セット是非ご覧ください。
2026.04.24
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185系:特急「踊り子」(東海道線)特急「踊り子」シリーズで、今回は東海道線と新宿駅で撮影したものをプラスしてご紹介です。平成21年2月28日 横浜~東神奈川間にて A1編成これも寝台特急「富士」「はやぶさ」の撮影の際についでに撮れたもの。デジカメが入院していたため久し振りにF-1を使用したネガ写真ですが、残念ながらブレてしまいました。平成30年9月16日 品川駅にて C2+OM04編成 特急「踊り子102号」マクセルアクアパーク品川のチケットが手に入ったため、久し振りに家族で外出。品川駅に着くとちょうど「踊り子」の時間だったために撮影したもの。高輪ゲートウェイ駅の開業に向けた線路切替工事の過渡期であったため、記念撮影しておいたものです。平成29年5月9日 C2+A7平成29年6月9日 C2+A1平成29年6月22日 C5+A8列車はすべて特急「踊り子114号」です。2年間だけ大手町に通っていたため、東京駅で撮影する機会がありました。退社が少し遅れるとちょうど良かったので、東京駅へ寄り道しました。東京駅到着が17:45ですので、陽が長いとは言え夏至前後が限界です。走行写真も難しいため、アングルも毎度同じ。令和2年8月4日 新宿駅にて A7編成 「踊り子5号」令和2年12月24日 新宿駅にて A1編成 特急「踊り子5号」令和3年2月8日 新宿駅にて A6編成 特急「踊り子5号コロナ禍で時差通勤が続いています。本来ならちょうど新宿駅へ着く直前で発車してしまう「踊り子5号」ですが、東海道線のダイヤ乱れにより何回か撮影する機会がありました。185系:特急特急「踊り子」(伊東線)251系:「スーパービュー踊り子」251系:「スーパービュー踊り子」(回送編)EF651116牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」EF5868牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」EF5861牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」E259系:「マリンエクスプレス踊り子」(展示)185系OM08編成:臨時特急「上州踊り子」
2026.04.24
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マル鉄回顧録で、TOMIXから発売されたキハ181系セットの旧製品に関する記事を掲載しました。【Nステ:その10】TOMIX キハ181系セット(旧製品)是非ご覧ください。
2026.04.23
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東北本線:利根川橋梁の切り替え直後東北本線で、埼玉県~茨城県の県境には利根川が流れており、広大な川幅をまたぐ橋梁が掛かっています。おそらくですが、古くは単線非電化で、その後早いうちに複線化されたと推測されます。それは、上下線が離れており、架橋のスタイルが異なっていることから、ここに初めて行った時から想像が付きました。旧橋時代は、急カーブな上に上下線が大きく離れているため、有名撮影地として多くのファンが集まりました。近場の安直な撮影スポットでしたが、今となっては上下線の間に立ち入っただけで通報され、場合によっては逮捕されてしまいますから、隔世の感が否めません。ここに初めて連れて行ってもらったのが中学1年のとき。ただ、今のような簡単に写せるカメラではなかったため、ろくな写真がありません。昭和59年1月頃に撮影した利根川橋梁です。老朽化した鉄橋は新橋に切り替わり、カーブの解消と共に用済みとなりました。新橋は、直線で橋脚の少ない立派なトラス橋が架かりました。これらの写真は、かつてはあまり訪れたことの無い茨城県側となります。旧橋梁は、栗橋側の取り付け部では直線でしたが、古河側はややカーブしながら取り付いていたのを記憶しています。かつては旧型客車のデッキにドアを開けたまま座り、ガーターが足元に近づいてくるスリルを味わいながら乗ったものです。その頃はデッキから落ちて命を落とすような人は居なかったので、そのような行為をしていても注意を受けることはありませんでした。この写真を撮ったときは新線に代わって間もないですが、撤去工事の速さは凄まじいものでした。コレよりちょっと前に行ったとき、撤去済みのトラスやガーター橋の瓦礫の山積みが残っており、それらの写真もかなりの枚数で撮っていたのですが、それらのリバーサルが水難事故に遭い、すべて廃棄してしまいました。その頃は皆さんにお見せできる時代が来るとは思っていませんので、ためらうも思い切って処分してしまったのですが、数枚でも保存して置けば良かったと後悔しています。EF57と共に、多感な時期を一緒に歩んだ鉄道の光景でした。
2026.04.23
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山陽新幹線:100系「こだま」※本記事は、2012-03-13に投稿したもので、当時の表現になっています。新幹線100系は、昭和60年から平成2年に掛けて製造された車両です。0系に代わる車両として誕生した100系は、2階建て車両の連結、シートピッチの拡大など、サービス向上に貢献しました。300系の登場により、その任を次第に譲ることになり、短編成化のうえ長らく山陽区間の「こだま」として活躍してきましたが、その役目もいよいよ終焉を迎えました。平成22年7月25日 岡山駅にて初上陸となった岡山駅。ホームに上がると、既に100系が既に停まっていました。残念ながらリバイバル色ではありませんでした。しかし、こうしてN700系と並べてみると、車体断面の違いが一目瞭然ですね。平成22年7月25日 岡山駅にて久し振りというか、変わり果てた塗装になってからは初めて逢った100系でしたが、感慨に浸る間もなく、西へと発車して行ってしましました。これが最後のショットとなってしまうかと思うと寂しい限りです。反対側の一番奥のホームにも4両編成の100系が到着したのですが、初めての岡山駅で列車の動きの勝手が全く分からず、結局は撮り逃してしまいました。100系は、私が山口線とかに行かなくなってから誕生した車両のため、全然乗ったことがなかったんですよね。それこそ、100系の東海道からの引退間くらいの時、既に娘が生まれていましたが、初めて東京~熱海間を乗車しただけで、これが最初で最後となっています。もちろん、写真なんて1枚も撮ったことがないんです。つまり、この写真が100系新幹線のファーストショットであり、結果的に最後の写真となってしまいました。
2026.04.22
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EF641000番台:EF641005EF64シリーズで、今回はJR貨物の1005号機です。平成23年8月14日 田端機関区にて平成25年5月12日 2082レ昭和61年10月9日 蓮田~東大宮間にて 上り荷物列車 最後の写真は、荷物列車末期の運用です。短期間ながら、EF58の運用を受け継いで荷物列車牽引の最期を飾りました。1980.8.20 新製2022年度 廃車
2026.04.21
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JR東日本 DE111043DE11シリーズで、今回はDE111043号機をご紹介したいと思います。平成24年11月10日 尾久車両センター同センターの公開で、正式に公開されていたものです。1043号機は、昭和49年11月7日誕生の川崎重工製。登場当初は厚狭機関区に配置された暖地向けのカマ。民営化に向けた整理により、昭和61年10月27日付で田端機関区へ所属替えとなり、そのままJR東日本に継承、組織改編により田端機関区→宇都宮運転所所属となりました。同機は平成29年2月20日付で廃車となったそうです。
2026.04.20
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189系:豊田車波動用として豊田区に配置されていた189系。晩年は、M50~52の6両3編成が配置されており、「ホリデー快速」や団臨などに使用されていましたが、さすがに老朽化により引退となっています。今回は、既にご紹介済みの臨時列車以外の写真をまとめてみました。M50編成特急「あずさ」として長野オリンピック開催の頃から中央本線を象徴する塗装として活躍してきましたが、幕張車の引退後は最後の1編成となりました。平成20年7月9日 新宿駅にて M50編成 試運転当時、あまり興味も持っていませんでしたが、たまたま午後からの仕事の時に新宿駅で発見し撮った写真です。団体列車かと思ったのですが、ヘッドマークが「試運転」になっていました。平成22年5月16日 蕨駅付近にて 珍しく貨物線を通った回送列車それまで撮影した列車はモモずきんのステッカーがあったので幕張車かと思っていたのですが、編成札が無いことからM50編成であることが判明しました。平成30年1月25日、豊田区に所属する189系M50編成が廃車のために長野送りになり、その回送を利用して「さよなら 189系M50編成 富士急行線・中央線ラストラン」として最後の営業運転を迎えることになりました。189系 M50編成(豊田車):快速「ホリデー快速富士山」183系:189系:快速「ホリデー快速河口湖」M51編成M51は、国鉄特急色となっていた編成です。平成26年1月18日 大月駅にて 豊田M51編成 団体列車富士急の撮影に行った際、自分の後を追ってきた団体列車がM51編成でした。往年の西側スター同士の並びでしたが、ほんの少しの切り遅れで残念な構図になってしまいました。平成28年10月22日 189系 豊田M51編成 9529M地元ではなかなか見ることのできない豊田車。この時も記録ではM52編成の充当を期待していたようでした。結果的には国鉄色でしたが、地元でのキャッチは貴重な機会でした。M52編成に続き、平成30年4月27日、国鉄色のM51編成がラストランを迎え、廃車回送を兼ねた団体列車として長野まで運転され幕を閉じました。189系:臨時特急「わかしお82号」189系 M51編成(豊田車):快速「ホリデー快速富士山」M52編成平成27年10月8日 新宿駅にて 189系豊田車 M52編成説明会の講師として出掛けた午後、新宿駅で偶然に出会ったM52編成。自分一人であれば間違いなく隣のホームへ行ったところですが、相方が居たため仕方なくこのシーンだけ。それでも電車が頻繁に発着するため、ほんの数秒という時間で撮影したものでした。M52編成は、元田町→大宮を経て豊田にやってきたH102編成からモハ2ユニットを除いたものであり、平成26年11月にグレードアップ色に塗り替えられました。平成30年4月22日のラストラン団体列車運転をもって引退となりました。現役時代のグレードアップ車も、急行「アルプス」のグリーン車で南小谷まで乗車した1回のみで、「あずさ」の写真は1枚も撮ったことがありませんでした。最後に何回かトライしましたが、この塗装は何故か縁がなく、M52編成として遭遇できたのも結局はこの1回だけでした。
2026.04.19
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国鉄 交直流型電気機関車:EF811EF81シリーズ、今回はトップナンバー1号機です。1号機は、昭和43年12月21日落成の日立製で、北陸本線糸魚川~直江津間の電化開業用として誕生した先行量産車です。日本海縦貫線の電化が進み、交流60Hzの北陸本線と、直流区間及び50Hzの羽越本線が存在することから、交直両用機関車として初めて3電源対応を搭載した画期的な機関車でした。EF81は、基本番台が152両製造され、他にもステンレスボディの300番台、民営化対応として500番台及び450番台が少数ながら追加製造されました。(400番台は基本番台からの改造のみ)EF81も製造期間が長かったため、基本番台でもいくつかの形態差が発生しています。特にトップナンバー1号機については、タイフォン1機が前面に配されており、電気機関車全体の中でも非常に特異なスタイルとなっていました。※残念ながら、比較的早いうちに撤去されてしまいました。昭和58年4月16日 EF811 米原駅にて配置が富山第二機関区で、民営化後も富山を離れることがなかったカマであり、出会い自体がかなり奇跡的であったと言えます。富山港線から飯田線への移動の際、急行「きたぐに」に乗って米原で乗り継ぎました。「きたぐに」から下車した直後、機回し線か回送線か分かりませんが、EF81がゆっくりと走ってきて、トップナンバーだったために慌てて撮影したものです。それにしても、移動でしたのでカメラもバッグにしまってあった筈で、良くも素早く撮影したものだなと思います。あまり寝ないでボーっとしていたのか、この写真を見てもどの位置からどの角度に向けて撮ったものなのか、今の米原駅とは配線もかなり変わってしまったようで、まったく検証できませんでした。同車は、平成16年3月31日付で廃車になったようですが、今でも富山機関区で眠っているようですね。
2026.04.18
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EF641000番台牽引:東北本線訓練運転地元でまだブルートレインが辛うじて健在だった時代、少なくなっていた客車列車の運転のため、予備のブルトレ車両を使用した訓練運転が頻繁に行われていました。殆どはEF81によるものでしたが、時折EF651000番台が充当されることも有り、EF510の登場に伴ってこれに代わって行きました。平成25年9月、何故かこの期間に限ってEF641000番台が訓練運転の先頭に立つ姿が見られるようになりました。訓練運転の主体は田端区であることから、牽引機には「あけぼの」の牽引で上京したカマを間合いで使用する形態が取られたようで、毎回ナンバーの違うカマが充当されたようです。平成25年9月14日 EF641051牽引 回9502レ平成25年9月15日 EF641031牽引 回9502レ訓練運転の日数は飛び飛びですが、比較的に長い期間行われたようです。平日の設定が多いため、記録できたのはこの2日間のみ。「北陸」や「あけぼの」でも金帯車を牽く機会のあった同機ですが、金帯が揃った編成を牽くことはなかったので、非常に貴重なシーンです。これで編成端にカニが連結されるとより良い画になったのですが、私が記録している限りでもそのような編成は殆ど無かったので、贅沢を言えるものでもありませんでした。
2026.04.17
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EF510-513・514牽引:寝台特急「北斗星」今回は、513号機と514号機が牽引する「北斗星」を集めました。特記以外は、上り2レ「北斗星」で、南浦和~蕨~西川口間の撮影です。平成23年1月9日 EF510-513平成24年6月15日 EF510-513平成25年4月27日 EF510-513平成25年5月26日 EF510-513平成26年1月13日 EF510-513 王子駅付近にて平成26年3月23日 EF510-513平成26年8月16日 EF510-513平成26年11月3日 EF510-513ここまでは513号機牽引の定期列車時代上り2レです。平成27年6月13日 EF510-513 8007レ平成27年6月27日 EF510-513 8007レ平成27年8月1日 EF510-513 8007レここまでは臨時化後の下り「北斗星」です。513号機も最後まで残っていたため、臨時化後の遭遇率は高かったようです。平成22年11月13日 EF510-514平成24年4月8日 EF510-514平成24年10月14日 EF510-514平成25年11月24日 EF510-514平成27年3月14日 EF510-514514号機も第2弾の譲渡組となっていますが、何故か「北斗星」に関してはコマ数が少なめでした。編成向きが途中から変わっており、上り列車に対しオハネフが上野寄りに連結されるようになりました。写真を見ると、オハネフ25+オハネフ24500番台があり、日によってオハネフ25+オハネフ25の日も比較的に見られたようです。次回は515号機牽引「北斗星」をもって完結となります。
2026.04.16
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185系:特急「踊り子」(国鉄時代)昭和56年10月、それまで伊豆方面の優等列車を担っていた特急「あまぎ」に、急行「伊豆」を取り込んだ特急「踊り子」が誕生しました。特急「踊り子」用の車両として185系電車が製造され、それまでになかった斜めストライプのデザインは鉄道ファンに衝撃を与えました。急行列車用に使用されてきた153系も185系で置き換えることとなったため、ドア幅を急行形普通車と同じ1000mmとし、客窓も開閉できる方式としています。185系は昭和56年1月に竣工し、田町電車区に配置されています。ただし、充当は完成の都度となっていたため、運用初日は東京発下りの普通列車(基本編成10連)によるものとなっていました。※Wikipediaの記載とは異なります。一方、特急列車は昭和56年10月のダイヤ改正まで引き続き183系1000番台による特急「あまぎ」が継続して運転されていたため、普通列車及び急行「伊豆」に順次使用され、特に急行「伊豆」については専用のヘッドマークまで用意されました。前置きが長くなりましたが、国鉄時代の185系特急「踊り子」の写真です。あまり色調が良くありません。昭和56年10月頃 品川駅にて A1編成登場間もない頃の特急「踊り子」。昭和58年5月14日 保土ヶ谷~戸塚間にて A8編成昭和58年12月1日 早川~根府川間にて C2編成斬新なデザインで登場した185系でしたが、シートが少し前に誕生した新快速用117系と同様のもので、スピードも急行時代と然程変わらず、ファンからの評価は厳しいものでした。併行して使用されていた183系による「踊り子」は、昭和60年3月(東北上越新幹線上野開業)の改正で余剰となった185系200番台により置き換えが完了し、「踊り子」は15連、12連、10連、7連という多彩な編成で運用されるようになりました。追記185系の形態について。外観についての変化ですが、写真はすべて国鉄時代オリジナルの姿で、運転台側面下部に小さなJNRマークが設置されています。スカートは活躍末期になってから強化型に換装されています。さらに、屋上にはアンテナが設置されるようになり、正面がちからはホイッスルカバーが見づらくなってしまいました。251系:「スーパービュー踊り子」EF651116牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」EF5868牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」EF5861牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」E259系:「マリンエクスプレス踊り子」(展示)185系OM08編成:臨時特急「上州踊り子」
2026.04.15
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東京メトロ 日比谷線:03系 VVVF車昭和63年7月に運転を開始した営団地下鉄03系。それまでの日比谷線用3000系を置き換える目的で、平成6年度までに全42編成が製造されました。年度によって1次車~7次車があり、5次車の途中までがチョッパ車、これ以降がVVVF車、4次車までが字幕式サボ、5次車以降がLED式サボ、5扉車が3次車の途中~6次車の途中までと、ちょっとややこしくなっています。最後まで残っていた第36編成でしたが、令和2年3月4日、廃車のための回送が行われ、ここで東京メトロ03系は形式消滅となってしまいました。今回は、後半5次車途中~7次車までのVVVF車(第26~42編成)でまとめてみました。平成29年3月12日 姫宮~東武動物公園にて 第29編成平成29年3月12日 姫宮~東武動物公園にて 第30編成平成29年3月12日 松原団地駅にて 第31編成平成5年度導入の6次車で、直前の第28編成までが5扉車であったのに対し、ここからは3扉に戻されたのは、東武鉄道20070系と同様となります。平成29年3月12日 東武動物公園~姫宮間にて 第36編成最後まで残っていた第36編成です。平成29年3月12日 東武動物公園~姫宮間にて 第39編成平成29年3月25日 越谷駅にて 第39編成平成6年度導入の最終7次車で、形態・性能は6次車と同様です。令和2年2月末現在で、7次車第36編成が最後の1編成として残存するのみとなりました。ここでご紹介したほか、『東京メトロ日比谷線03系:東急東横線乗り入れの終焉』でもアーカイブ済みの写真があります。
2026.04.14
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DD51ディーゼル機関車:中京地区編DD51型ディーゼル機関車は製造数が多く、四国を除く各地に配置されたため全体数から比較してあまり写真を撮っていませんでした。そんなこともあって、出掛けていった地域で撮ったものをある程度の地域範囲ごとにご紹介しています。今回は、関西で撮ったものを含みますが、基点が亀山機関区辺りになるであろうことから、中京地域編としてまとめてみました。平成21年8月23日 四日市駅にて DD51857 2022年度廃車平成21年8月23日 四日市駅にて DD51892 2018年度廃車貨物列車撮影のために四日市へ出掛けた時に撮ったものです。現在最も一般的な塗装の更新機です。個人的にはあまり好きになれませんが、両数が激減している今となっては贅沢言っていられない状況になりました。この際に撮ったA更新機青塗装車にについては、過去ログ『DD51型ディーゼル機関車:A更新青塗装車(893号機、889号機)』でご紹介しています。平成20年5月24日 大宮車両所にて DD51856 2015年度廃車平成19年5月26日 大宮車両所にて DD51847 2015年度廃車いずれも大宮鉄道ふれあいフェアにおける公開時に撮影したものです。この頃は、西のDD51も大宮車両所にて全般検査を実施しており、時折このように地元では見ることができないDD51に出会うことがありました。しかし、DD51の検査は平成28年度をもってすべて終了し、もう見ることもなくなってしまいました。平成2年7月5日 紀勢本線 区間忘失 機番不明民営化されて間もない頃、紀勢本線の非電化区間遠征の際に撮った写真。目的はキハ82系「南紀」ですが、貨物列車も目的に入っていました。DD51の原色重連がワム80000を連ねる光景で、最後部にはタキ5450が1両だけ付いていました。当時は更新機など存在せず、当たり前の光景でした。昭和55年8月 京都駅にて DD511036 平成14年8月31日 廃車時は遡って昭和の国鉄時代。撮影したのは京都駅ですが、同車は新製時 から亀山機関区の配置で、平成3年に宮原に転属してきたようです。ということは、この時点では亀山機関区配置と言うことになります。関西の貨物事情には全く疎いので、東海道本線をこのようなDDの牽引が走っていること自体がピンと来ませんし、ましてや山陰本線の貨物列車であれば納得が行きますが、何故関西本線系の列車がここを走っているのか想像も付つきません。昭和52年3月30日 名古屋駅にて DD51713 1998年2月3日廃車 さらに遡り、名古屋駅で撮影したDD51の写真です。中京地区のカマと言っても、実際には昭和45年4月23日に新製され、佐倉機関区に配置された東の暖地仕様です。この写真は新製後たった7年後のことですから、かなり早い時期に名古屋地区へ異動となったようです。奥に停車しているのはおそらく関西本線の普通列車です。このDD51が牽いてきて機回しをおこなっているところかもしれません。それにしても、大都市名古屋駅のホームに屋根がなく、傘をさして列車から降りてくる光景というのも、今となっては想像を絶します。DD51ディーゼル機関車:DD511805DD51型ディーゼル機関車:A更新青塗装車(893号機、889号機)
2026.04.13
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EF651000番台(2次車):EF651018~1022EF651000番台は、先に誕生した0番台一般型や500番台の改良版として誕生したマイナーチェンジ車です。主な改良点は、寒冷地での使用に応えるために耐雪耐寒を装備しており、また、同じく寒冷地での重連運用を考慮して貫通扉が設けられ、すべての車両が重連仕様となっている点において、0番台一般型や500番台と大きく異なります。貨客両用の装備もあることから、PF型とも称されています。今回は2次車をまとめてご紹介。昭和44年度に製造された1018号機~1022号機が該当します。1019号機 昭和62年3月19日 蓮田~東大宮間にて初代レインボー塗装となったカマで、その後の2代目1118号機とはデザインが若干異なることは有名です。国鉄時代最末期、スーパーエクスプレスレインボーの誕生に合わせて塗り替えを実施いたいましたが、その内容はトップシークレットにしていたらしく、初日の運転まで誰も知らず、現地で構えていた鉄道ファンは度肝を抜かれたものです。写真はスーパーエクスプレスレインボーのお披露目運転の際に撮影したもので、同機同色としての初営業運転となった日のものです。1970.4.2 新製1998.9.1 廃車1020号機 昭和60年10月頃 蓮田~東大宮間にて画像がすごく荒れていて気分が悪くなります。(笑)ホキだらけの編成も、時代を感じさせます。1970.4.10 新製1997.9.2 廃車1021号機 昭和58年8月17日 大宮駅にてショボイ写真ですがご勘弁を。偶然撮っていた1021号機です。1970.4.16 新製1997.9.2 廃車1022号機 昭和57年7月頃 大宮機関区にてこちらも偶然写っていた1022号機です。昔はこんな風景でも「つまらない」と思って撮っていましたが、今となっては大変贅沢な光景ですね。1970.4.23 新製1999.6.7 廃車※EF651000番台(特に初期車)については、未撮影のカマが多いため、欠番表示は省略いたします。
2026.04.12
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京成電鉄3300形:標準色終焉京成3300形は、昭和43年に登場した通勤型電車で、車両の近代化により徐々にその数を減らして細々と運用されていましたが、最後に残った2編成が平成27年2月28日のさよなら運転を持って運用を外れることになりました。過去ログで数々の3300形をご紹介しておりますが、最後に、更新塗装の3300形の写真をまとめます。平成21年10月11日 津田沼電留線にて 3333平成21年10月11日 津田沼電留線にて 3344平成21年10月11日 津田沼電留線にて 3348青電編成を探しに行った際、津田沼で撮影したもの。京成津田沼にを訪れたのは昭和55年以来でした。平成22年11月9日 京成金町~柴又間にて 3341平成22年11月9日 京成金町~柴又間にて 3348平成22年11月9日 京成金町駅にて 3320外回りの仕事でJR金町駅に来ましたので、時間調整で撮影。平成24年1月16日 京成金町駅にて 3348平成24年1月16日 柴又駅にて 3337平成24年1月16日 京成高砂~柴又間にて 3337平成24年1月16日 京成高砂こちらも現場回りの際に撮影したもの。現場は京成高砂だったのですが、帝釈天に寄り道してみました。この日は赤電復活塗装と、こち亀のラッピング塗装車に当たりました。私から見た京成電車というのは、やはり3100~3300形の赤電そのものですが、私鉄の写真を撮り始めた高校時代の車両たちも、残党と言えるのは東武8000系とこの京成3300形くらいしか見当たらなくなりました。そんな思い出の車両もいよいよ引退となり、京成ではこの時点でも残るは北総鉄道へのリース車両北総鉄道:7260形(7261F)だけになってしまいました。関連リンク『引退 京成電鉄:3312 ファイアーレッド編成』『引退 京成電鉄:3356 青電編成』京成電鉄:赤電3100形(非冷房時代)京成電鉄:赤電3200形(非冷房時代)京成電鉄:赤電3300形(非冷房時代)京成電鉄 モハ700形:行商専用列車 京成電鉄:青電2100形・210形北総鉄道:7260形(7261F)
2026.04.11
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EF641000番台:EF641004EF64シリーズで、今回はJR貨物の1003号機です。平成23年1月8日 3071レ平成23年2月23日 3071レ平成23年12月10日 8592レ シキ611平成25年3月17日 3071レ1980.7.30 新製2022年度 廃車
2026.04.10
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国鉄貨車 ワム60000ワム60000は、昭和36~38年に掛けて8580両も製造されており、いわゆる「黒屋根」貨車の中でもメジャーな形式でした。外観は国鉄後期の形式の標準的なスタイルで、先輩に当たるワム70000や、荷重を増やしたワラ1と同様で区別が付きにくい貨車です。前期車と後期車では微妙に外観差があり、特に前期車は側板周辺に出っ張りが見られることから「額縁」とも言われていたそうです。私も大宮操車場で働いていた時代は、この形態に興味を持っていて、外観上の識別店として認識していました。ワム63091ワム63529+ワラ15149いずれも大宮操車場のハンプ入換廃止直前に撮影したもです。他にも撮っていますが、いずれも後期車ばかりで、残念ながら特徴のある前期車の写真は見つかりませんでした。実はここからが本題。ワム60000の模型化に当たって一番気になる点があります。これは、実際に貨車に乗ったことがある経験がないと実感がわかない部分だと思います。それが、添乗ステップの位置です。様々な貨車の中でもメジャーな存在で添乗機会の多いワム60000ですが、個人的に一番の差異を主張したい点なんです。近年模型化されたワム60000は、添乗ステップが他の貨車と同じ一般的な位置に表現されています。最新ではTOMIXからの発売となっていますが、過去にも河合商会やポポンデッタからも発売されており、同様の形態で製品化されています。では、どのように違うのか実車をご覧いただきたかったのですが、上の2枚の写真のように、反対側しか撮っていませんでした。遠目ですが、ブレーキ側が見える写真が見つかりました。1番右側に写っているのがワム60000です。ワム68181拡大すると不鮮明になってしまいますが、最後期の番号の車両で、添乗位置も何とか判るようです。模型を良く観察している方からすれば一目瞭然だと思います。車体下の白い部分が添乗位置になりますが、ステップが完全に妻板から飛び出しているのが判ると思います。そのため、添乗手すりの右側も、車体外側に曲げて飛び出しているのです。入換手にとって、この点が他の貨車と一番違うところに感じます。実はこれ、長く添乗するには良い位置で、身体が車体外に垂直に立てるため、非常に楽な姿勢で添乗できるのです。通常の位置ですと、車体より内側に入ったステップに立つため、後ろに身体を反って添乗する必要があります。添乗には楽ですが、ブレーキを掛けるときはブレーキてこが左にシフトするため、他の貨車と比較して不安定な姿勢になるのが難点でした。ワム64088 大宮工場配給車代用最後に貴重なシーンを見つけました。配給車代用のワム60000に先輩が添乗しているシーンです。他の貨車と違い、完全に車体の後側に添乗しているのが判りますね。添乗位置に特徴のある貨車は他にも存在しますが、日常的に添乗する貨車でこのような添乗スタイルになるのはワム60000くらいしか思い浮かびません。実際の添乗経験がある貨車であるだけに、模型化においてこの特徴が表現されているかどうか、やはり気になるところですが、結果的にどの製品にも反映されていないのは非常に残念です。しかし、ボディの外側にこのようなパーツを表現するのは非常に難しいのは理解できますし、別パーツにしようものならコスト増も計り知れません。ワム70000などと共通パーツにすることでコストが収まっている点もありますので、ここは妥協するしかなさそうでね。
2026.04.09
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