全19件 (19件中 1-19件目)
1
奴らは私を罵り、殴り倒し、勝者となり、略奪した。もし、私が奴らを恨み、己が心を怨念化させるなら、奴らの恨みはさらに燃え上がり、鎮まることがない。もし、私が奴らを恨まず、此岸と彼岸を捨て去ることが出来れば、奴らの恨みは消えてなくなる。奴らの恨みに対して、恨みを持って立ち向かうなら、この世において諸々の恨みが鎮まることはない。しかしながら、奴らの恨みに対して恨み無きを持って対処するなら、この世に戦乱の起こることはなく、諸々の恨みは鎮まる。こらは、「永遠の法」である。奴らはお互い、我々が滅び行く存在である事を認識しない。いかなる人といえどもいずれ死ぬ。それを認知できないゆえに人は傲慢になり、驕りたかぶり、この世に争いの種を撒き散らし続ける。人は滅び、消滅する定め、その事を知れば諸々の確執(争いごと)は鎮まる。以上は2600年ほど前に仏陀が言われた言葉であります。今の世の中、戦争あり、爆弾テロあり、全て恨みとそのリベンジですね?人は千年も万年も生きられるものではありません。たかが100年前後の短い人生ですから、せめて何が法で、真理で、本物か、を見極めて正しく命の花を咲かしたいものです。
2007年01月31日
コメント(0)
去年の電車の中での話ですが、若い男がシートに座って居眠りをしておりました。傍には荷物が置かれていた。その前で吊革にすがって立っていたお年寄りが、たまりかねて言った。「おい、その荷物をどけろ、俺は年寄りで、足が悪いのだ」目を開けた若者はしばらくきょろきょろした後、答えた。「嫌だね!人にものを言うときはもっと丁寧に言うべきだ。汚い言葉を吐くな、クソじじー」「なにー、くそじじー? それが年寄りに対する言葉か、全く情けない。 ・・・とにかく荷物をどけろ、俺は足が痛い」「いやだといっているんだ、お前、つんぼか」「お前、名前はなんと言う、訴えてやる」「おう、上等だ、警察でも、軍隊でも呼びやがれ!」そこへタイミングよく車掌が通りかかった。年寄りは彼を呼び止めて事の仔細を話した。車掌は大きくうなずき、若者に言った。「席はみんなのものです。すみませんが、その荷物を足元へ置いて、この方を座らせていただけませんか?」しかし、若者はかなりの偏屈者と見えて、それでも嫌だと拒否し続けた。次の駅で電車が止まったとき、若者はさっさと降りていった。荷物はそのままであった。車掌が慌てて声をかけた。「荷物、忘れていますよ」すると、若者は振り向いて答えた。「それ私のではありません。人のものを勝手に触ってはいけませんね・・・」「なぜ、それを最初に言わないのですか?」「なぜ? そんなこと誰も聞いていないからだ・・・」扉が閉まり、電車は走り出した。お年寄りは大きくため息をついた後、荷物の傍に座った。言葉は大切です。丁寧に優雅に使わねばなりませんね・・・?
2007年01月30日
コメント(0)
”ストリップ” という単語はどういう訳か男女を問わず、人の関心を引くようです。一昨日の日記でその単語がつく題名を付けて載せませたところ、なんと訪問者が5名にもなりました。普通ですと2人前後でありますが、この数字はそれの2倍以上となります。訪問者5名、皆様方の HP Visitor の数からはたいした数ではないのですが、私にとっては有り得ない奇跡的数字であります。・・・ということは私の日記はあまり面白くない、ということにもなります。・・・しかし、ご来訪してくださる方がいてくださる、ということは救いでもあり、私にはありがたいことでありますので、この場を借りて深く感謝の意を表します。土方の分際で偉そうなことを言うようですが、私の目的は、あくまでも人間的なものを超越した宇宙ハートへの接近です。身の程も弁えず、これからも偉そうに、くだらない日記を書き続けていきますので、寛大な皆様方、これからもよろしく~~~!という前口上はこれぐらいに致しまして、”ストリップ” という単語のつく題名の日記を今日も書くことに致します。これは英語の "strip" のことだと思います。しかし、これは動詞で ”裸になる” ”衣服を脱ぐ” という意味になり、名詞として取り上げますと ”板や布などの細長い片” あるいは ”急造滑走路” となる、と和英辞典に載っております。”素っ裸”という意味の名詞は "the nude" だそうですので、何かの参考にしてください。ようするに ”ストリップ” なんですが、男のストリップはあまり聞いたことはありませんし、誰も見たくないものだと思います。やはり、ストリップは女でないといけませんね? しかし、80歳以上のご婦人はちょっと・・・ですね? 世界にはそれがいいという方もおるようであります。インドで80過ぎの女性と25歳の男が結婚したのですから・・・。しかも、なんとご両人は祖母と孫の間柄なんです。インドの法律では孫と祖母、祖父の結婚は認めているそうです。また、暑い国の裸で暮らす人々は毎日ただで見ておりますので、ストリップには興味はないようです。裸を隠す、衣服を着る、それがあるためにストリップショウは流行るのだと思います。ところで日本で始めてストリップショウが行われたのは、いつの時代で、何処で、誰が、どういう経緯でやったかご存知でしょうか? 実はずっと大昔、神代の時代、天岩戸隠れ事件の時にあったのです。その年代はいろいろと言われておりますが、学問的な推察からはBC400年前後といわれております。インドでお釈迦様が生まれて苦行をし、悟りを開いて、それを伝えていた時代であります。日本神話を百科事典で調べてみますと、以下のことが分かりました。私のような土方は、百科事典とインターネットの検索がないと何も分からないのであります。それによりますと、この世の元始まりは天地の境はなくて混沌としていたそうです。それがなぜか天と地が分かれたのであります。澄んだ気と重い気が分離したということです。牛乳に酢を入れますと水と白い塊に分かれます。そのような感じでこの世は天と地の区別が出来たのでしょうね? あるいは重力が中心に出来て、重いのは下に、軽いのは上昇した、ということかも知れません。これは原始地球の頃、約40億年前を差していると思います。いずれにせよ、私にはそんな難しいことは良く分かりませんので、次に進みます。この天地の中心が高天原(たかまがはら)と呼ばれるそうです。そこに、5柱の神様が突然、次々と発生したのであります。アメノミナカヌシノカミ、タカミムスビノカミ、カミムスビノカミ、ウマシアシカビヒコジノカミ、アメノウトコタチノカミ、という発音しにくい神名をそれぞれはもっております。何処の誰が命名したのかは定かではありません。私なら、神a-1、神a-2、・・・b-1、・・・c-100、というように簡単に発音でき、理解できる名前をつけます。神代時代の名付け親、機転が利きませんね?今日の日記、余談が多すぎます。大変失礼致しました。それでも本題への道はかなり遠いので簡単に申し上げます。つまり、この5柱の神々は姿を見せることなくすぐに消えてしまったのであります。何故そうなったか、永遠の謎でございます。その後も神々は誕生するのですが、最後の7代目にイザナギノミコとイザナミノミコトが誕生いたしました。いろいろとその後のストーリがあるのでございますが、これをこと細かく述べておりますと膨大な時間とエネルギーがかかりますので省略いたします。このお二人は結婚いたしまして、淡路島と四国を手始めに次々と八つの島を生みまして、日本列島を完成させたのであります。その後、山や海の神々も次々と産みまして、最後にホノカグツチという火の神を生んだため、イザナミノミコトは大火傷をして死んでしまいました。男であるイザナギノミコト、凄い数の神々はもとより日本列島までも生ませたのですから、すごい精力家だったんですね?羨ましいかぎりであります。その後もいろいろとストーリがあるのでありますが、これも省略いたします。そのイザナギノミコトは男であるのですが、なんと3人の子供を産んだのであります。彼はある事情により、黄泉の国にいる妻のイザナミノミコトに命を狙われて追われ、命からがら逃げ帰ります。そして、九州の阿波岐原(あわぎはら)の清流に入り、黄泉の国で汚れた身体を清めました。これを禊祓(みそぎはらえ)と言うそうです。その時に、ナオビノカミ(鍋を直す神)などの多くの神を生んだのですが、最後に左目を洗って天照大神、右目を洗って月読神、鼻を洗って須佐之男神が生まれたということです。男が子供を産む、目や鼻に子宮があったのか・・・? とっても考えられないことであります。もちろん、そこに受精卵を移植すればそれが成長して何とかなるはずですが、そんな面倒なことはしないでもいいはずであります。で、ここで生まれたこの3柱の神様をイザナギノミコとは大変可愛がりまして、天照大神には高天原を、月読神には夜の世界を、須佐乃男尊には海を治めよと命じたのであります。ところがこの須佐乃男神は己の任務を放棄いたしまして、母のいる黄泉の国へ行きたいと泣き叫んだのでございます。それによって山々の緑は枯れ果て、川や海の水は干上がったのであります。・・・しかし、何かおかしいですね? だって、彼はイザナギノミコトから生まれたので、母はイザナミノミコトではなくて、乳、いや、父であるイザナギノミコと、ということになる。イザナミノミコトとは血の繋がりはないはずであります。それだのに何故、イザナミが母なのか? これも永遠の謎であります。また、また、横道にそれましたが、結局は須佐乃男尊の狼藉に大変立腹いたしましたイザナギが彼を地上に追放いたのであります。しかし、彼はその後もたいへん乱暴を働きましたので、姉である天照大神は悲しみのあまり天岩戸に閉じこもったのであります。いま、青少年の閉じ篭りが問題化しておりますが、根元はここにあるのかもしれませんね?天照大神は太陽の化身であります。その太陽が岩穴に隠れましたので世界は真っ暗闇となりました。これは一大事であります。第一、光合成で生きている植物が枯れることになる。そして、人も獣も生きる気力と体力を失っていったのであります。そして、魑魅魍魎が徘徊し、あらゆる災いが至る所で勃発した。困ったのが八百万の神々であります。これでは世界を秩序正しく治めることが出来ない。このままでは、この世は混乱し、悪に支配されてしまう。なんとしてでも天照大神を天岩戸から外に出すのだ・・・、という事でみなが集まって相談をすることになった。参考までに、ここで登場する主なる八百万の神々の名前を記しておきますので、何かの参考にしてください。、”天照大神、須佐之男神、天鈿女神、思兼神、天手力男神、天太玉神、天児屋根神、天目一箇神、石凝姥神、天羽槌雄神 (あまてらすおおかみ、すさのうのみこと、あめのうずめのみこと、おもいかねのかみ、あめのたじからおのかみ、あめのふとだまのかみ、あめのこやねのかみ、あめのまひとつのかみ、いしこりどめのかみ、あめのはづじおのかみ)天照大神をいかにして天岩戸から連れ出すか? 八百万の神々は天の安の河原に集合いたしまして、知恵の神、思兼神を参謀長官としていろいろと作戦を練ったのであります。その作戦とは岩戸の前でお祭りをし、天照大神が興味を注がれ、外の様子を覗くためにちょっと天岩戸を開けたその瞬間に、ヘラクレス顔負けの怪力の神様・天手力男神が一気に岩戸を開けて外に出す、という単純な発想であります。天香具山から根こそぎ引き抜いてきた榊の木を岩戸の前に立て、玉飾りや白と青の布を上の枝や中の枝に下げて天太玉神が持ちます。そして、天児屋根神が「天照大神様、どーぞ外に出てくださ~い・・・」 という意味の太祝詞(ふとのりと)を唱えます。そして、ニワトリがコケコッコ~、と鳴く。このニワトリは長鳴鶏と呼ばれ、日の神の使いとされております。そして、お祭りが始り、賑やかな神々の笑い声が闇の中に木霊しあっていった。ここでついに、日本最初のストリップショウが始ったのであります。なんと絶世の美女神・天鈿女神(あめのうずめのみこと)が豊満な乳房を露にし、腰を振って踊りだしたのであります。神々はほとんど男神でしたので、びっくり仰天、ボルテージが上がって絶叫、総立ちとなって拍手喝さいの狂喜乱舞となった。神といえども男はスケベーであります。そして、神といえども女はその武器を派手に見せびらかせたいものであります。踊り狂ううちに彼女はついに腰の紐を解き、ブラックホールを露出、男神たちは一斉に鼻血をナイアガラの滝のように吹き上げた。一方、閉じこもりの天照大神は外があまりにも賑やかですので不思議に思い、岩戸をそっと開いてその隙間に目を押し当てた。その瞬間を狙って、入り口の横に待機していた天手力男神が岩戸を一気に引き開けた。そして、素早く彼女の手を取って外に引き出した。すかさず、天太玉神が背後に回って、洞窟の入り口に注連縄(しめなわ)を張り、「今後一切、二度と再び中に入りませんように・・・」と大神にお願いしたのでございます。天手力男神は大神が納得したのを見届けて、天岩戸を山ごと持ち上げて、下界へ放り投げた。おっそろしい怪力であります。この山は長野県に落下したそうです。今では戸隠山と呼ばれていて、神社があります。いつか行ってみたいと思います。というわけで世界は再び光を取り戻し、魑魅魍魎は退散し、平和が訪れたのであります。世界を闇の世界から救ったのは、BC400年の ”天岩戸ストリップショウ” であったといえます。(・・・ここまで来るまでが大変でした。あー、疲れました~~~!)今日はこれにて失礼致します。長々とくだらない日記にお付き合いくださり、ありがとうございました。では、また明日・・・!
2007年01月29日
コメント(0)
渋滞の道路をノロノロ運転していて、ふと、前方を走る車のプレートNOを見ると、4444、であった。日本人は何故か4の数字を嫌う。それは「4=死」とも読めるからだ。 迷信を信じない私ですが、やはり、あまりいい感じはしない。その車の外車線を走る車を見ると、なんと、それも4444となっていた。・・・あれ? 私は急いで対向車を見た。するとそれは、427であった。そして、その後続車も427・・・、つまり、死にな! という意味か? それから、泊港の近くの信号が赤になったので信号待ちとなった。前の2台の車は4444、そして、対向車線で信号待ちしている2台の車を見ると、な、なんと、全く同じの4444が並んでいた。ぎゃ~~~! これは、俺が死ぬという前知らせなのか~~~! いや、俺は絶対に迷信なんかは信じない。これはあくまでも偶然の一致、統計的に絶対にありえることだ。私はゆっくりと首を回し、斜め後ろに止まっている車を見た。それは7909であった。 私はほっと安心した。この数字は何の意味もない。わははははっはっはっはっはっはははは~~~、しかし、車を走らせて、ぎよっ、となった。その7909は、今、私が運転している車と同じ番号ではないか。 偶然の一致、それは、宇宙の誕生の根源でもあります。今宵は静かに、何も考えないで寝ることにします。
2007年01月28日
コメント(0)
伊能忠敬は56才から測量の技術を学んだそうです。その頃の56才といえばいまの90才である。何しろ人生40年といわれた時代ですから……。 ですから66才というのはその頃に換算すると20才となる。ぐわっはっはっはっっはー……。 というわけで私はまだまだ若いと思っているし、頭はハゲかかってはいるが鋭く冴えている。それできょうは、別に意味はありませんが哲学の勉強をしたのです。 紀元前642年~546年頃、イオニアのミレトスにタレスという偉い人がいた。いつも涎を垂らしていたからタレスではないのです。彼は全てのものは水から生じて水へもどっていくとしたのです。 このタレスの弟子で、アナクシマンドロスは、万物の原理をアペイロン(無限なるもの)と考えたのです。アペイロンは不滅にして神的なものであり、全てを包括し、全てに秩序を与える、としたのでございます。あとは次の機会に述べますが、私の祖先が素っ裸でイノシシやウサギ、魚などを捕って生活している原始時代に、こんなに高度な頭脳で世界を見つめていたとはビックリであります。
2007年01月27日
コメント(0)
6,7歳の頃、食糧難時代であった。主食は沖縄イモで、それに生味噌をつけての一日2食であった。時々、アメリカからミルクや缶詰、小麦粉などの救援物資があったが、現金に変えられて口にすることはほとんど無かった。 その上、衣類の物資も乏しく、年中同じ半袖の上着を着けて、4キロほど離れた小学校へ素足で通っていた。帰ってくると休む間も無く野良仕事へ狩り出される。 南国沖縄といえども真冬は風が強くて寒い。子供達は半袖姿で紫に変色した唇を震わせながら働かされたのであります。 しかし、それでも子供達は明るかった。互いに相撲をとったり、裸馬に乗って競争したり、海に潜ってシャコガイなどの貝や魚、蛸などを取ったりした。 子供達にとって最も嬉しい時は正月であった。何故ならその時だけ、米のご飯が食べられるからであった。その上、カマボコがあり、餅があり、豚肉が出される。一年に一度の動物性蛋白源摂取可能の時でありました。子供達は無我夢中で食べた。そして、食べ過ぎて苦しくなり動けなくなる。 その後は全員集まって凧揚げでありました。各自手作りの凧を持ち寄り、その出来栄えを自慢し、競いあった。形はほとんど長方形で、両サイドに三角形の紙の羽根を十数枚つける。それが上空で、風を受けて波立たつ様は壮観でありました。 ある正月、市会議員の祖父が偉い方々を集めて新年会をしていた。泡盛の肴は鯖の缶詰であった。私は二人の姉と共に離れた所で待機していた。目的は空き缶を回収して、その底に残った汁を舐めて飲むことであった。それだけ鯖の缶詰は当時としては大ご馳走だったのです。 母が空き缶を回収し、台所の隅に置いた。三人は脱兎のごとく飛び出してその空き缶を奪い合った。しかし、一番上の姉が強く、独り占めにして逃げた。次女姉と私は懸命になって彼女のあとを追った。「待てー、泥棒―、欲張りの馬鹿野郎―、ひとつぐらいよこしてもいいだろうー・・・」 泣き声の叫びに長女姉は立ち止まり、二人に一つずつ分け与えた。そこで3人は、近くでよろめく飢えた野良犬を無視して、空き缶の汁を舐め続けたのであります。・・・これは信じられないような昔の話です。今では贅沢、ご馳走が有り余って、正月といえども、喜びが昔ほどこみ上げてこない。 貧乏と苦しみ、逆境を乗り越えられる人が100人いるとするなら、豊かさと平和を人間らしく乗り越えられる人は、1人ぐらいかもしれない。最近の日本を見つめたとき、そういう思いが致します。
2007年01月26日
コメント(0)
古代ギリシャにおいて、都市国家・アテネが成立した年代はBC800年頃といわれております。建国者はテセウス王子であると百科事典には載っております。 当時、そのような都市国家は数多くありまして、アルゴス,コリントス,テーバイなどは有名であります。その都市国家の中に小高い丘がありまして、それを ”アクロポリス” と呼び、国を守護するための神殿が設けられておりました。 アテネの神殿はあの有名な ”パルテノン” であります。しかし、1687年のトルコとベネチアの戦争で破壊されてしまいました。今、残っておりますのはその残骸であります。 ギリシャ神話によりますと、そのパルテノンの神様になろうとして、女神アテナと海神ポセイドンが戦ったそうです。このポセイドン様はクロノスとレアの子供であります。 そのクロノスは神々の元祖であるウラノスとガイアの子供でありまして、何と父であるウラノスを金属バットでたたき殺しまして、姉のレアを妻にしてしまうのであります。 親父を殺したので、自分は天罰として子供に殺される、という予言を信じまして、生まれてくる子供を片っ端から飲み込んでしまいます。 姉でもあり、奥さんでもあるレア様はかんかんになって怒りまして、最後に生まれたゼウスをクレタという山の中に隠して育てたのであります。 成長したゼウスは力を得て、クロノスを主神の座から追放した。そのゼウスの子供が女神アテナであります。そのアテナの誕生も奇怪であります。ゼウスはこともあろうに妻メティスを飲み込んでしまい、その額から完全武装のアテナが生まれたということです。 ごちゃごちゃとギリシャ神話はこんがらがって行きますが、ようするに、女神アテナとポセイドンの戦いは、叔父と姪っ子の戦いであったということになります。 叔父と姪が戦う、これは戦争反対以前のあきれた問題であります。それに、アテナからすれば、母親レアはおばでもあるわけであり、父ゼウスは叔父でもある、というややこしい関係が成立いたします。 このアテナ様は知恵、戦争、学芸、工芸を司る神様で、永遠の処女であります。つまり、男嫌い症候群だったことになります。二人の戦いも可笑しなものでありまして、ポセイドンは三又槍で大岩を砕き、噴出した塩水を美しい馬に変えたのであります。 それに対して、アテナは荒地に槍を突き刺し、オリーブの木を出現させた。その戦いの判定を下したのが庶民であります。彼らは塩水よりもオリーブの実が美容健康によいということで ”アテナの勝ちー” としたのであります。 ということでギリシャの首都アテネは最初 「オリーブ」 という名前だったのです。 歴史の流れ、・・・恐ろしいことを取り除きながら辿っていきますと、楽しいことがいっぱいですね? 世界一列兄弟姉妹、悪い心を捨てて国境を越え、仲良く助け合っていきたいものですね? 戦争なんって馬鹿げている。北朝鮮の偉い方も、めんつと、独裁、野望を捨てて、日本、そして世界と仲良くしていただきたいものです。
2007年01月25日
コメント(0)
廏戸富聡耳皇子(うまやどのとよとみみのみこ)。訳の分からない漢字ですけど、辞典で調べてみると聖徳太子の名前でありました。上宮太子(うえのみやのみこ)という名前もあるそうです。 574年~622年を生きた偉いお方で、用明天皇の第二皇子であります。その彼が富士山の頂上に初めて登った人間、と山梨市の言い伝えに残っている。その時の愛馬が「クロ」だそうです。 しかし、よく考えてみるとこれはおかしい。人類の歴史は約500万年前に遡ることが出来るのだから、その間、誰も富士山の頂上に登った人がいなかった、とは考えられない。 そして、彼は神として至る所で祭られている。つまり、優れた人間は神となるのである。中には、どうでもいいような人間や、体のある一部が、神として祭られているところもある。 一体、ホントの神とはなんでしょうか? アダムとイブは禁断の実を食べたために神の怒りを買い、産む苦しみと働く苦しみを与えられ、泥で固めた地上に追放された。それから人類の地獄の苦しみが始まったのだ。 その神様、残酷だとは思いませんか? アダムとイブは赤子みたいなもの、うまそうなものがあれば当然手を出してしまう。神は馬鹿ではないはず、そんなことを十分に知りながら手の届くところに禁断の実を実らせたのだ。なぜ、金網で囲うとか、番犬を置かなかったのだ。 これは、人間を地獄の苦しみに陥れて、その苦しむ様を見て楽しもうというずる賢い罠だったのだ。つまり、虐待の始まりを作った最初の存在ということになる。しかし、聖書とは所詮、人間が書いたもので、正真正銘の神の意思によるものかどうか定かではありません。旧約聖書創世記の編集に関しては、いろいろな資料の伝承が根本になっておりますが、五書資料文書の一つ、祭司資料によると、神は男と女を同時に造り、祝福して地上に住まわせ、子孫を増やさせた、と明記しております。つまり、禁断の実などで人間を罠に陥れるようなどす黒い陰謀は一つもなかった、ということです。上記の創世記は虐待人間が勝手に書いた脅迫聖書と言えるものであります。何が本物の神で、何が偽者か、一般庶民はだまされてはなりません。禁断の実の話は、昔、 ある優れた人間が、無知無教養下にあった大勢の人間を奴隷化するために、夜も寝ないで昼寝して作ったマインドコントロール書であると言えます。ホントの、真実の神とは森羅万象であり、天地大自然、宇宙の無限性であるということを見逃してはなりません。 諸君、目を覚ませ! 真実の神は教団化しない。この世の一切が神であり、全てが愛と正義に包まれて、互いに助け合って進化するようになっているのです。……ん? 私はなんと恐ろしいことを書いているのでしょうか? しかし、私はあくまでも真実の神を尋ねて3000億里の旅を続けているのです。決して神を冒涜しているのではありません。今日の私はどうかしています。 何でこうなるのでしょうか? あー、つかれた、きょうはこの辺で、またあした。
2007年01月24日
コメント(0)
ここまで生きてきて良く分かったことは、人間50歳までの顔かたち、体力、体調などの肉体上の機能、要素は、ご先祖や親の責任、つまり、遺伝子や運命的なものが70%ほど影響を及ぼしている、ということであります。 ようするに、50歳までの人間は、生命誕生ビックバンの加速上にあるということです。しかし、50を過ぎた途端、その加速度が止まり、落下を始める。これが老化の始まりなのであります。 何を申し上げたいのかと申しますと、50歳をボーダーラインと致しまして、若さは肉体機能の責任から精神機能の責任に委ねられる、ということであります。その精神機能は愛と正義と思いやり、神、悟り、実践などによって高められていきます。 その神と愛と正義は集団規律と煩悩が生み出した幻想である、と主張される方がおられますが、これは確かであります。野生の集団生活をする動物にはボスがおり、規律があり、保護がある。これが「神と正義と愛」という幻想であると思います。 その精神機能はこういう幻想によって高度化し、強められる。幻想は精神メカの潤滑油であります。それがなくなれば人間は磨耗し、枯渇して宇宙永住権が奪われることになります。永遠の若さと繁栄、進化発展、全て精神力、精神機能、幻想にかかっております。 しかし、その幻想でもマイナス思考に基づくと逆効果であります。自己破壊が見えざるところで進行し、見るもの聞くもの、触るもの全てが嫌になって絶望、憎悪、妬み,怒り、という醜い心になります。それは顔に刻印され、大衆に公開されることになります。 やはりプラス思考が一番いいですね? 金も無ければ家も無く、今宵のパンに事欠いても、空気は無限にあり、公園に行けばいくらでも水道の水がある。水を飲めば水の味がする、この健康のありがたさ、ああー、ありがたい・・・!そして、ここには死を宣告された病人が横たわっている。しかし、彼はプラス思考であった。「人間にとって最大の幸福、それは死という安らぎである。死んだ後は好きな酒をいくら飲んでもアルチュウにならず、タバコをすっぱすっぱ吸っても肺がんにはならない・・・、もうじきその最大の幸福が訪れる、おれは幸せだー・・・」という事になりますね・・・?・・・ん? 何を書いているのか訳が分からなくなりました。精神年齢が謎の青春のままであるという証拠であります。 私はこれからも年を取っていく。しかし、心一つ、精神一つの世界に突入した今、チャレンジ精神は旺盛であります。己の煩悩を制御し、愛と正義と思いやり、そして神を大切にしていく。 目標は150歳まで、現状の若さを維持したまま土木作業員として働くことであります。その後は? そのときからは宇宙時代です。500歳誕生日の祝いに、150億光年の最果ての宇宙空間へ、超光速宇宙船「タキオン号」で宇宙ツアーに行ってきます。
2007年01月23日
コメント(0)
土木職人のMさんは、仕事仲間だったが、親しい間柄ではなかった。無口で必要以外のことはしゃべらず、表情の乏しい顔にときどき寂しげな笑みを浮かべていた。暗い影がつきまとい、痩せた体をやや前かがみにして歩く。細面は、皺が多くて浅黒く、年齢以上に老けて見えた。3年前、私が運転免許証を更新した翌日、仕事帰りの車の中で「3年後の更新まで生きていられるかな」と冗談混じりで言うと、彼は助手席で、一升瓶を強く握って白髪頭を降った。 「マジで言う。とうてい無理だ。それまでは絶対生きていられない」冗談で言ったのか、悪意で言ったのか、私は彼の真意がわからず、内心穏やかではなかった。酒が入ると、男はときどき獣性を発揮する。悲しみと自己嫌悪の成せる技なのかもしれない、そう思うと、怒る気になれなかった。彼は19歳の時、親に勘当されて各地をさすらい、飯場を転々とするうちに、酒と賭事なしには生きられない男になっていた。親はすでになく、彼はあの時、59歳という年齢にふと気が付いて強い衝撃を受けたのかもしれない。 三年後の今年、私は前の職場に電話をかけた。そのときMさんが一ヶ月前に亡くなったことを知らされた。競馬で金が入り、飲み仲間数人で酒場を明け方まで飲み歩いた後、4畳半のアパートに戻り、そのまま横になって静かに旅たったという。62歳だった。
2007年01月22日
コメント(0)
沖縄へ来てから2ヶ月半にもなりますが、ほとん毎日、曇り、雨の天気が続いております。沖縄の冬は天気が悪いですので、沖縄への観光旅行を計画される方は、その事を十分に考慮された方がいいですね。 それにしても今日の雨は物凄い。築55年の我がボロ家は、トタン葺ですので轟音のような雨音が響き渡っております。野良猫が産み捨てて行った白い子猫が、怯えて床下に隠れております。 私は自分で言うのもなんですが、優しい思いやりのある良い男ですので、その子猫の面倒をみております。毎日、高価なキャットフードを与えております。自分は食べなくても猫に餌を与える優しい心、みなさん、私を見習って愛と思いやりと正義の味方となってください!・・・こんなことを平気で言う私を皆さんは馬鹿であると思うでしょうね? しかし、残念ながら、私は決して馬鹿ではありません。IQは500を軽く突破している超天才であります。・・・え? ほんとの天才はそんなことは言わない、ですか? なるほど、よくわかりました。くだらない話はこれ位にして、きょうの雨はとにかく激しくて物凄い。トタン屋根に穴が開くのでは、と心配しております。子猫は声が出ないのですが、鼾をかいて床下に設置したダンボールのベットで寝ております。 そして、靴箱の上には、東京から持ってきた白と赤の、月下美人の鉢植えを置いてあります。葉っぱを挿しただけですので、果たして根付くかどうか心配ですが、植物も主の優しい心で育つといいますから、きっと根付いてくれると思います。 今年は無理だと思いますが、来年はきっと紅白の月下美人が咲き乱れることでしょう。その時、その艶やかさをデジカメに撮ってご紹介いたします。
2007年01月21日
コメント(0)
昨年の12月31日、沖縄タイムス朝刊のオピニオン欄に私の投稿が載った。題名は「働く意欲」で、副題が「一瞬一瞬を懸命に生きる」でした。内容は行き倒れ寸前のホームレスにおにぎりとお茶を与え、千円札を与えた。その後、2ヶ月ほどして、そのホームレスが働く意欲を持ってリヤカーを引っ張っているのを見て安心し、喜んだ、という内容のものでした。 豊見城市渡嘉敷に住んでおられる宮城恒彦はエッセイストクラブの会員で、元校長であります。青少年の道徳、倫理教育に熱心な方で、人類を救い、支えている数少ない愛と正義の味方であります。 その宮城様が私の投稿に感動いたしまして、糸満市立西崎小学校2年1組の担任、富永眞智子先生にその投稿文を紹介したのであります。富永先生はさっそくそれをクラスで読み上げ、生徒たちに感想文を書かせ、それをまとめて私に送ってくれたのです。 26名の生徒たちの一人ひとりの感想文を読んでいるうちに胸が熱くなりました。皆、心に真実の愛の輝きを放っていて、純粋無垢で豊穣な人間性がこの時空の隅々に広がって行くのが見えるようです。その一つを紹介します。「“働く意欲“ を聞いて、なかまよしかつさまは、髪の毛や、ひげをのばしほうだいの男の人に、よしかつさんのかばんから、おにぎりをあげたんですね。2日目は男の人がくるしそうにしてたんですね。お茶とおにぎりをあげたんですね。わたしは、よしかつさまは ”すごい“ とおもいました。 西ざき小2年1くみ みやぎしおん 」わたしはこれから生徒一人ひとりに返事を書きます。人類の未来に輝く愛と正義と思いやりの光を見ながら・・・。2006年12月31日の沖縄タイムスに載った投稿文 二年前の冬、東京多摩地区のある工事現場で整地作業をしていた。ふと歩道の方へ目をやると、投げ捨てられた弁当箱を漁っている男がいた。汚れて、染みの付いた破れコートを着け、髭は伸び放題で、ボサボサの頭髪は糊で固められたようになっていた。 弁当箱は数日間も放置されていたもので、たとえ食べ残しがあったとしても腐敗して食えるような代物ではない。それでも男は執拗に指先で残飯を漁っていた。私はバックからおにぎりを取り出して彼に近づいた。汚れた皺だらけの黒い顔、痩せ細った手足、強烈な悪臭、同じ人間であるのになぜ、という悲痛な思いが込み上げた。 彼は数回の呼びかけでようやく私に気づき、差し出したおにぎりを躊躇った後で受け取った。私は彼に頭を下げた後、作業に戻った。 翌日、男は再び現れた。道端に座り込んだ彼は喘ぐような息づかいをし、肩を落として今にも崩れそうであった。私は作業車の座席に置いてあったおにぎりとお茶を取って近づき、彼の足元に置いた。男は黙っていたが頭を下げた後、おにぎりをむさぼり、ペットボトルのお茶を飲んだ。それから四つ折にした千円札を手渡すと眼を潤ませて 「ありがとう」 と言った。 「とんでもありません。こちらこそ受け取ってくれてありがとう」 私はそう言って現場に戻った。 翌日、男は現れなかった。そして、次の日も、そのまた次の日も、それっきり姿を見せなくなった。どこかで行き倒れとなったのだろうか? ダンボールの中で凍死していないだろうか? 病気で倒れたのだろうか? 心配は次々と沸きあがってきた。しかし、二週間もするとそのことをすっかり忘れて仕事に追われる毎日となった。 それから二ヵ月ほど経ったある日、作業車を運転しての帰りに、踏み切りで一時停車した時、リヤカーを引く男が横をすれ違った。その顔を見た私は驚いた。おにぎりと四つ折の千円札をあげたあの男であった。リヤカーの中にはアルミ缶や屑鉄が積まれていた。相変わらず髭は伸び放題で、ボロを着ていたが、その眼は生きていた。働くという意欲が全身に漲っていた。 彼に明日はない。しかし、それは命ある者すべてに言える事ではないだろうか? 何不自由なき者が一瞬にして事故で、病気で死んでしまう。富める者が幸せとは限らない現実。大切なことはこの一瞬であり、心の持ち方ではないのか? 野生の動物が一瞬一瞬を懸命に生きているように、あの男も今の今を懸命に働いて生きる努力をしている。 踏み切りを過ぎてバックミラーで男の姿を見ると、夕日に輪郭を輝かしながら長い影を引いて遠ざかっていくのが見えた。私は思わず「がんばれ!」 と心の中で叫んだ。
2007年01月20日
コメント(0)
1月16日に東京へ行き、18日に沖縄へ戻ってまいりました。用事は一人で居る22歳のせがれが、どういう生活をしているのか、心配なのでその様子を確かめるためでありました。しかし、意外と家の中は綺麗に整理整頓がされており、食生活も良いようなのでひとまず安心しました。「一人で居るのは寂しいだろうけど、もう立派な男、大人だ。日日を人間修行だと思って頑張るのだぞ・・・!」せがれは素直にうなずいた。私はこれで安心した。・・・しかし、私は飛行機恐怖症であります。行きも帰りも飛行機の恐怖に狂わんばかりであった。飛行機、私に言わすれば空飛ぶ棺桶である。行きは高度11887mを平均時速1188km(秒速=330m)で羽田ー那覇間の1555kmを2時間足らずで飛んだ。追い風が到着時間を30分以上も早めたのだ。帰りは高度11582m(38000フィート)を平均時速588km(秒速=163m)で飛んだ。気流が悪く、機体は時々、不気味にゆれた。怖いですね~~~! そして、2時間後の16時25分、機は着陸態勢に入った。那覇の天候は雨で大荒れであった。そのせいだと思われたが、機は通常のコースとは逆のコースにむかった。本部半島から島を横断し、台湾方向へと飛んだあと、大きくUターンし、那覇空港へ向かった。激しい揺れ、私はこれで死ぬと思った。高度はどんどん下がり、速度も落ちていく。高度800m、時速414km、高度138m、時速231km、そして、高度38m、時速200km、ぐわー、もうだめだーー、と観念した時、機はガタンガタンとゆれながら無事に着陸、逆噴射して速度を大幅に下げた。アー、よかった~~~~! もう2度と飛行機には乗りませ~ん! ・・・と言っても乗らざるを得ない事態は必ずあるでしょうね? あ~~~、神様、お助けくださ~い!
2007年01月19日
コメント(1)
戦争中、私は母に手を引かれ沖縄本部半島の山々を逃げ回っていた。昼は洞穴に隠れ、夜は飢えを満たすために畑に忍び込んで芋を掘ったり、激しい銃砲撃の中を懸命に逃げたりした。洞窟の前で行われる銃撃戦や白兵戦の怒号、大勢の米兵たちの鬨の声を岩肌にへばりついて震えながら聞いたこともある。ある雨の深夜、洞窟の前にズシーンという大きな音がして、強い衝撃が走った。 「しずかに……」 母は脅える姉と私に声をかけて落ち着かせ、息を殺して朝になるのを待った。翌朝、恐る恐る外に出ると、洞窟から数メートル離れた赤土の地面に大きな穴がぽっかりと開き、火薬の臭気を放ちながら幽かな煙を上げていた。中をのぞき込むと底は真っ暗で何も見えなかった。大型の砲弾が落下して爆発せずに出来た穴だった。母はしきりに首を傾げていた。爆発していたら三人はバラバラに吹き飛ばされて即死していたことになる。もしかすると、私は60数年前のあのときすでに死んでいて、生への執着が一瞬の次元に作り上げたドラマと、幻覚の中に存在しているだけ、ではないのだろうか。沖縄戦が最も激しかった今頃になると、時々そう思ったりする。
2007年01月18日
コメント(0)
小学2・3年の頃の思い出である。学校から帰ると、家には食べ物が何もなかった。空腹に耐えかねて、少し離れた本家の鶏小屋まで行き、卵を2個盗んで、ゆで卵にして食べた。それがバレて祖父に捕まり、ムチで何度も打たれた。祖母やおじたちも集まってきた。「大泥棒の恐ろしい子供だ。将来はきっとろくな人間にはならん」と、柱に縛られた私に言った。夕方、行商を終えた母が帰ってきた。母は何度も頭を下げて謝り、私を連れて帰った。無言の母の後ろを、私は惨めな思いで歩いた。その晩、私の目の前にお皿いっぱいの玉子焼きが出された。母が隣家から、なけなしの金をはたいて買ってきたのである。「ごめんよー、あんたは少しも悪くないよ。みーんな母さんの働きが悪いせいだ。ああ、お父さんさえ生きていてくれたら。 ・・・でも、母さんはきっと頑張るから。許しておくれ」私はその時、母が泣くのを初めて見た。そして、もう2度と悪いことはするまいと、心に誓った。
2007年01月17日
コメント(0)
「一刻を争います。警察を呼んでください」というときの「一刻」は、元来、秒単位の時間を意味するものではありません。中国で一昔前まで使われていた時間の単位で、一日を100刻としておりましたので、1刻は14分24秒ということになります。 それで中国では、1時15分を1時1刻と言ったり、1時45分を1時3刻と言ったりするのであります。ただし30分に対しては刻は使いません。そのときは~半を使います。つまり、1時30分は1時2刻ではなくて、1時半と言うのでございます。外に、未来永劫の「劫」という時間の単位があります。これは仏教用語として中国から日本に入ってきた時間の単位ですが、根源は古代インド仏教哲学にあります。国語辞典で調べてみますと、劫は想像できないほどの長い時間、とあります。想像できない長い時間とはどういうことをいうのか、想像できないので古い書物を調べてみました。すると、下記のようなことが分かりました。一里(約4キロ)四方の巨岩があって、4年に一度、天女が天下ってきてその羽衣でサーッと撫でる。つまり、オリンピックの年ごとに天から舞い降りてきて、そのドレスの裾で岩を一回、撫でるわけであります。その摩擦によって磨り減り、この巨岩がなくなるまでの年限が「劫」であります。なぜ、天女がそうしなければならなかったのか? 私にはよくわかりません。くだらない話はこれぐらいにして、あと一つの説は、一里四方の大きな穴があって、4年に一度、天女がケシ粒を一粒づつ入れていき、それがいっぱいになるまでの時間、ということです。これもまたほんとに気が遠くなるような時間であります。ケシ粒の実の直径を0・5~1ミリと致しますと、およそ100億となりますね? 1劫=100億年、・・・これは想像しても想像しかねます。頭がおかしくなりましたので(もともとおかしい)、きょうはこの辺で失礼致します。では、みなさん、元気で明日も頑張りましょう! 参考のために数の単位を紹介しておきます。一、十、百、千、万、億、兆、京、垓、杼、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数(いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、おく、ちょう、けい、がい、じょ、じょう、こう、かん、せい、さい、ごく、ごうがじゃ、あそうぎ、なゆた、ふかしぎ、むりょうたいすう) 分、厘、毛、忽、微、繊、沙、塵、挨、渺、漠、模糊、逡巡、須臾、瞬息、弾指、刹那、六徳、 虚空、清浄(ぶ、りん、もう、し、こつ、び、せん、しゃ、じん、あい、びょう、ばく、もこ、しゅんじゅん、しゅゆ、しゅんそく、だんし、せつな、りっとく、きょくう、せいじょう)
2007年01月16日
コメント(0)
中村ハル、85歳、1922年生まれは2年前、呼吸困難を起こし救急車で病院へ運ばれた。緊急手術が行われ、喉に穴を開けて、管を気管支から肺へ挿入して、機械によって呼吸が出来るようにしている。彼女と会うのは厳密に言えば20年振りである。 その間、元気な時に1度は会っていますが、ほんのわずかな間で、職務中の私は急いで東京へ戻らねばならなかった。その彼女が痩せ細った、変わり果てた姿でベットに埋まっている。喉からは管が出ており、いろいろな器具や電子機器につながっている。私は彼女の手を握って言った。「親神様、おやさまは必ずあなたを助ける。どんな難しい病でも、親神様、おやさまにおすがりしておれば絶対に助けます。いま、あなたが苦しんでいるのは、中村家の悪因縁を一身に被っているからです。全てを親神様にゆだねる、人間思案を捨て心を無にする。ただひたすらに親神様、おやさまにもたれきる、それだけでいいのです。悩まず、心を苦しめず、先案じせじに一瞬一瞬を生かしている、親神様のご守護を感謝の眼で見つめてください。あなたは絶対に助かります・・・」声の出ない彼女は顔を歪めて泣いた。涙がこぼれる。握った彼女の手に力が入り、私の手を握り返した。それから、おさずけを取り次がさせていただいた。「あしきはらい、たすけたまえ、てんりおうのみこと、・・・・・・・・・」・・・病院を出ると堪えることが出来ず、涙が止めどもなく零れ落ちた。 私は駐車場への坂道を歩きながら心の中で祈った。 「親神様、おやさま、何卒、中村ハルをお助けくださいますよう、お願い申し上げます・・・!」
2007年01月15日
コメント(0)
最近、猟奇的な殺人事件が相次いでいる。昨年十二月十二日、渋谷区で、早朝帰宅して酔寝している夫の頭を妻がワインの壜で殴り殺し、その遺体を切断して路上や、民間の庭先に捨てた。同じく渋谷区幡ヶ谷で、十二月三十日、兄が妹を木刀で殴り殺し、その体を包丁とのこぎりで十数個に切断した。さらに、今月の一月十一日、茨城県坂東市の矢作河川敷で、男性の上半身が、ゴミ袋に入れられて捨てられているのが見つかった。凄惨な殺人事件が増加の一途をたどる昨今、異常人格と精神の奇形化に、将来への不安と絶望がますます募るばかりである。悪魔でさえも震え上がる残虐な殺戮、一体何が原因で、これ程までに狂った人間が次々と出て来るのか? そういう狂気を生み出す土壌の堆積は何処から来たのか? 日本人は今、真剣に考えねばならない緊急時期にあると思う。今の日本を見つめた時、経済優先の金権政治が道徳倫理を都合よく湾曲し、汚職と享楽、怠惰を蔓延させているように思える。それを制御し、正して行くのが政治家や学者、宗教であるはずだが、残念ながら彼らのほとんどは大衆の救済を怠り、あるいは搾取し己の勢力増大を図るのみである。 日本の宗教人口は文化庁の「宗教年鑑」によると神道系、仏教系、キリスト教系、その他を合わせて二億千五百万人となっており、日本総人口の二倍近くとなっている。もし、これほどの宗教信者がそれぞれの教えに徹し、真実の愛と正義を発揮するならば悪が栄え、見るに耐えない残虐な殺人事件が続発するはずがない。 しかし、現実は、煌びやかな、豊かな日本という虚飾のステージで、身に光華を放つ階層の独演のみが特権を行使し、根底から日本の心を操り、抹殺している。破壊された人格と異常精神の氾濫はまさに、人間性の尊重とその救済を黙殺する彼らに起因する。猟奇的な殺人者、わが子を殺す親、親を殺す子供、全て人格と精神を破壊された者であり、ある意味では、彼らは救いを求める被害者かもしれない。加害者は、愛と人間性を破壊し続ける世間体、学歴優先、金権主義ではないのか? 彼等の救いは人格と精神の構造改革、無条件の愛を置いて他には無い。周囲の思いやりから出る言葉と励まし、彼らが求め続けているのは、ただそれだけである。 肉体の致命傷なら、その苦痛は死が解決してくれる。しかし、心と人格の致命傷は死を与えない。悶え苦しみ続けたあげく、最後は精神構造と人格が破壊されて猟奇殺人を犯す、という最悪の事態へ突入してしまう。つまり、言葉による殺人は、刃物で肉体を殺す以上の残虐な殺人、ということになります。 悪口雑言で庭木が枯れ、美辞麗句で萎れた庭木が蘇ったという話がある。真偽のほどは判りませんが、的を突いていると思う。
2007年01月13日
コメント(0)
1月12日はスキーの日だそうです。エスポート・ミズノという人物が、1994(平成6)年に勝手に制定したのです。 1911(明治44)年、オーストリアのレルヒ少佐が新潟県の高田陸軍歩兵連隊の青年将校にスキーの指導を行い、日本人が初めてスキーを行った、という訳でスキーの日となるのであります。さらにまた、1914(大正3)年、鹿児島県の桜島で、史上最大の大噴火が始った。 35人の死者を出し、流出した熔岩によって対岸の大隅半島と地続きになったのです。それで、この日を桜島の日と制定しています。 さらにさらにまた、1月12にはパンの日でもあります。1842年1月12日に、伊豆韮山の代官であり、軍学者でもあった江川太郎左衛門が、作太郎というパン職人に日本で初めてパンを作らせたのであります。作太郎は長崎の外人屋敷でその技術を学んだそうです。【誕生花】 にわなずな(スイートアリッサム)、花言葉は“優美”【誕生石】 翡翠(jade)
2007年01月12日
コメント(0)
全19件 (19件中 1-19件目)
1
![]()
![]()
