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人間が美しく見られるとき 昭和59年1月6日 沖縄タイムス 読者から 植物の種子が発芽して地上に現れ、2枚の子葉が合わさった形は、合掌して祈りをささげているようにも思える。生命体の働き、成長過程には見えざる自然の力が複雑、巧妙に及ぼされており、自然は生命の根源の親と言える。その親に対し、感謝と生かされる喜びを表現しているのが、この合掌のような姿ではないだろうか。 生命体の全てがその活動を開始するとき、必ず、何らかの形で根源の親に対する祈り、合掌を行っている。体内の胎児も合掌のポーズであり、蝶やトンボ、蝉などの昆虫が羽化する光景も、祈りがささげられているように見える。知能や知性のない昆虫や植物と言えども、その生命活動には理屈を超越する「何か」を感じさせられる。 ”初心忘れるべからず” という世阿弥の言葉がある。能という己の芸を通し、その悟りの頂点から出た言葉と推察するが、それは受ける側にとっては、いろいろな意味に解釈される。 初心は生命の親、自然への感謝から始まり、己を厳しく見つめながら自己を超越し、人間完成への鍛錬と実践の決意、まで及ぶと思う。 生かされていることへの感謝と喜び、それが生命体の根底には生命の活力源として存在する。人間の美しさは虚飾にはない。自然の素晴らしさを知り、専心一意で祈る時、心の底から発せられる誠真実の輝きにあると思う。
2007年04月30日
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心広き人間となれ 昭和59年1月5日 沖縄タイムス 読者から 連日連夜の突貫工事からようやく開放され、体を引きずるように家に帰ってくると、家の中は隅々まで綺麗に掃除され、テーブルの上には花が飾られていた。珍しいことがあるものだと思いながら居間の腰掛に座ると、隣の部屋の襖が開き、子供たちが一斉に現れて叫んだ。 「お父さん、お誕生日おめでとうございまーす !」 中3の長男が代表者となってリボンで飾られたプレゼントを手渡してくれた。12月31日は私の誕生日だったが、仕事に追われてすっかり忘れていたのである。私に似て、学校の成績はあまりよくないが、素直さと心の清らかさだけが取り得の子供たちである。私は懸命に涙をこらえて笑顔を作った。 それからハッピバーデイの歌を聴き、子供たちが注いでくれるビールを飲み、小さなケーキをカットして皆で分けて食べた。雑談の後、長男が質問した。 「父さんは人から裏切られたり、悪口を言われ、馬鹿にされてもなぜ怒らないのですか?」 そこで、自分自身に言い聞かせるように答えた。 「君たちがどんなことを言われても、びくともしない広い心の人間になってほしいからだ。右の頬を殴る者がおれば、左の頬を出すのではなく、逆に殴ったその手を取り、痛くありませんでしたか、骨折はしませんでしたか、殴らせるような私ですみません、どうかお許しください・・・、と詫びられるほどの寛大な人間となってほしいからだ」 子供たちはしばらく首を傾げていたが、やがて、顔を見合わせて大笑いとなった。 「そんなことが出来るのは、キチガイか大馬鹿でーす!」 「大馬鹿は神が好く。みな、神に好かれる人間となれ~~~!」 これにて一件落着、私は精神年齢18歳の誕生日を迎えたのであります。
2007年04月29日
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中央分離帯の植樹に工夫を 昭和60年9月17日 沖縄タイムス 読者から 浦添の短い伊祖トンネルを抜けると朝日がまぶしかった。中央分離帯の木々はかなり成長し、その根元には雑草が繁茂していた。道路の緑は視神経を穏やかに刺激するものである。 ところが早朝のそう快な気分が突然、破壊された。人の背丈を越える中央分離帯の木々の間から、老人が道路に下りたのである。まさかそんな所に人がいるとは思ってもいなかったし、予測の術もなかった。その間の距離はわずか20mたらず。制限速度を守っているとはいえ車は1秒間で20mは進んでいる。 老人を発見してブレーキを踏むまでには、反射神経に自信のある私でも0・5秒はかかる。それから車が完全に止まるまでには4・5秒かかるはずである。したがって車は30m余り進んで止まることになる。 ”間に合わない” 私は懸命にハンドルを左に切りながら、急ブレーキをかけた。老人の白い影が右フェンダーすれすれにかすめていった。 車は激しくタイヤの軌音を上げ、横向きとなって止まった。老人と私はしばらくぼう然としたのである。幸い通行車両はなく、事故にはならなかった。問題は中央分離帯の木々が人の姿を完全に隠すことにある。人の背丈を越えて成長する樹木は、間隔を縮めて植えるべきではないと思う。道路管理関係者の配慮を願います。
2007年04月28日
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月の美しさ 昭和60年9月6日 沖縄タイムス 茶のみ話 月には月齢によっていろいろな呼び名がある。外郭線だけが微かに明るい晦日ごろの新月、三日月、十三夜、満月、宵闇月、そして、二十三夜などと16種の姿があるらしい。 夜空にかかるその一つ一つの姿は、いずれも宇宙の神秘に光り、内面に眠る穏やかな野生を静かに刺激する。 太古の夜は人間にとって危険であった。彼らは火を囲み、闇の恐怖に震えながら互いに身を寄せ合った。その時、夜空にかかる月はそれがどんな形であれ、彼らの心をほのぼのと照らしたに違いない。獣性の猛々しさと死の恐怖、それを忘れさせたのが月の神秘性であり、穏やかな野性を人間の本能に宿してくれたのかもしれない。 月を仰ぎ、月に祈る、そこに人間は神を発見し、信仰を築きあげる事が出来たとも言える。太陽の下で鮮やかな色彩に輝く自然より、月光に照射されるモノクロの自然に、野性なるものが揺れ動くのはその為かも知れない。孤影悄然と月の浜辺を歩く時、太古の穏やかな野性が目覚める。月の光を反射する海面には銀色の線が幾筋も浮かび、波打ち際に寄せて返す波の音が静寂を柔らかく破るだけ。 その超然とした気配が支配する海と砂浜とのコントラストは、絵画的でもあり幻想的でもある。太古からの月の美しさは今も変わらない。
2007年04月28日
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子供たちよ、共に歩もう.. 昭和60年8月17日 沖縄タイムス 読者から 突貫工事から帰ってくると6人の子供たちが、背の高い順に、一列横隊となって居間の畳に正座していた。何かあるな、と私は直感した。 「これはお珍しい。父上の帰りを丁寧にお迎えくださるとは、さすがお父さんの子供たち、えらい!」 私は先手を打った。だが、子供たちの表情は冷たくて硬い。そして、高2の長男が代表して言った。 「父さんはいつ、山や梅へ私たちを連れて行ってくださるのですか。夏休みは、もうすぐ終わりです。ハワイ旅行へ行った友達もいるのです」 私の心は痛かった。土方には日曜、祭日、盆も正月もないのだ。地獄の生活苦と背中合わせの毎日なのである。私は心を鬼にして言った。 「甘えるでない。アフリカの子供たちを見よ。一日に何万人という餓死者が出ているのだ。その暗黒の悲惨な現実を横目に、お前たちは平気で海や山へ遊びに行けるのか」 しかし、子供たちは納得しない。 「それでは私たちも、アフリカの子供たちのように惨めになれ、ということですが」 「そうではない。生きることの厳しさを知ってほしいのだ。青春とは遊びではない。努力なのだ」 すると、中2の次女が言った。 「青春とは地獄だ」 それは鋭い皮肉だった。 「地獄は青春だけではない。大人はそれ以上の地獄だ。だが、それは、もっと強く、もっともっと強く、さらに強くなれ、という天が与えた試練なのだ。だから、ともに地獄の苦しみを苦しみとせず、地獄の鬼どもを片っ端から退治して、心広々と喜んでいこうではないか」 子供たちはあきれたようにそれぞれの机に散った。 翌日、私は仕事を休んだ。そして、北部の海へ子供たちを連れて行った。青い空と青い海、美しい自然の広がりに、子供たちの喜びに弾む声がこだました。
2007年04月27日
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名蔵湾海底と海中発掘調査 昭和60年7月12日 沖縄タイムス 読者から 今、石垣島沖で海中発掘調査が行われている。主催は日本水中考古学界、朝日新聞社で、沖縄タイムス社、九州朝日放送が全面協力している。中国と日本、沖縄の交流史を探る上で大変、興味ある事業だと思う。15世紀ごろ、沈没した中国の貿易船を対象に行われるとの事で、現場は名蔵湾、ひょっとすると金銀財宝が出てくるかも知れず、楽しみである。 しかし、素人考えだが、名蔵湾の海底にはそれ以上の何かがあると思う。というのは1771年、旧暦3月10日、マグネチュード7・4という地震のあと、午前8時ごろから大津波が石垣島を襲ったからである。嘉崎浜海岸からの波は85・4mの山頂を一気にクリアーしたと言うから驚きである。 震源地は白保崎から南南東40キロのところで、宮良湾から侵入した波は大奔流となって山中深く逆上し、轟川河口から猛然と入ってきた波と合流して川原、開南、ヘーギナーで高々と盛り上がり、進路を西にとって低地を伝わり、名蔵湾に轟然と流れて行ったという(八重山の明和の大津波、牧野清著より)。この津波で死亡した島民は9490人、沖縄歴史最大の大津波である。 以上のことから名蔵湾の海底には当時、島民が使用していたいろいろな生活器具が流されてきて、埋まったままになっていると思うが、素人考えで当てにならないかもしれない。
2007年04月27日
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世の中何かが狂っている 昭和60年7月1日 沖縄タイムス 読者から 夜間工事の最中、パトカーと暴走車のカーチェイスが良く見られる。逃げるのは必死で、タイヤを軋ませ、轟音を上げ、狂ったように猛スピードで走る。それを追うパトカーも必死である。だが、さすがにプロである。ハイテクニックのハンドルさばきで、ぴったりくっついて離れないのである。 そういうことは、もう慣れた目で見るようになっているが、つい最近、奇妙な追跡シーンを見てあ然とさせられた。なんと50ccの原付で悲鳴のようなエンジン音をあげ、パトカーに追われてきた男がいたのである。しかも、前には3歳ぐらいの子供を乗せていたのだ。 男はその子の父親なのかどうかは分からないが、けたたましいサイレン音と赤色の回転灯のきらめきの追跡をものともせず、じぐざく運転、思わず涙がこぼれそうになった。子供のことを思うと、追跡を止めてほしいという思いすらした。 もし、事故でも起こせば大怪我はまちがいないのだ。これには仕事仲間全員があ然、その行方をしばらく見つめた。その後、どうなったかは知る由もなかった。翌日の新聞にそういう関連の記事が載っていなかったため、子供は無事だったと思う。 最近、人間一人一人が異常のように思えてならない。航空機事故、ハイジャック、爆弾テロ、汚職、殺し屋、その他いろいろで、とれをとって見ても大ショックになることばかりである。一体何が狂っているのか、人類は果たしてこれから先、まともに存続していけるのか、不安材料があまりにも多すぎます。
2007年04月26日
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あれほど期待していた赤い月下美人の蕾は、燃えるかのように真っ赤になった後、落ちてしまった。誠に残念であります。なぜ、3cmまで伸びた後、急に成長が止まって落ちたのか? いろいろと考えてみましたが、訳が判らない。第一、今頃、月下美人は蕾を出すはずがないのである。東京にいるときは、9月から11月にかけて蕾が出て、そして、見事に開花してくれたのです。 それは、赤ではなくて、白い、普通の月下美人なんですが、赤は、お隣さんから葉っぱの一枚を頂いて、沖縄へもって帰った、というわけであります。 今、赤い月下美人と白い月下美人の鉢植えを並べて軒下に置いてあります。その赤い月下美人が蕾を出して、枯れて落ちたのでございます。 そして、今度は白い月下美人が蕾を出したのであります。これは大変勢いがあります。だが、心配であります。赤い月下も最初は大変勢いがあって、力強く輝いていた。・・・ということは、この白い月下美人も、同じ運命をたどる恐れがある。 なんでだろう、と考えたあげく、ふと、あることに気がついた。沖縄では絶えず風が吹いている。その上、最近は異常気象が続いて強風が吹き荒れております。その止むことのない風に煽られ続けるために蕾の成長が阻害されて、ついには力尽きて枯れたのではないだろうか。 昼夜の別なく風に吹かれる。原因はそれだ、と私は判断した。さっそく、その防護策を練った。風が当たらぬようにするには、透明のビニール袋をかぶせればいいのだ。もちろん、空気が出入りするための穴は必要である。それは反対側にして、風が入らなければよいのだ。 そして、その作業は完了した。気のせいか、蕾は元気が出てきたような気がする。そして、驚いたことに、小さな蕾があっちこっちから顔を出しております。しかも、赤い月下美人までもです。 これでまた、楽しみが出てまいりました。今度こそ、赤、白の月下美人を見事に咲かせて見せます。
2007年04月25日
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久茂地川と黒いデイゴ 昭和60年6月4日 沖縄タイムス オピニオンのページ 晴れた日、沖縄の空は青のまぶしさがどこまでも広がる。その下で県花・デイゴの花が満開である。5月のさわやかな緑の風に花びらが散り、紅の色彩が空間を埋め尽くして乱舞する。それが久茂地川沿いを、燃えるかのような派手な輝きで彩る様を眺めると、沖縄は素晴らしい、という思いがわきあがる。 インドや太平洋諸島にも分布するデイゴは、リュウキュウ松が県木となった同じ年の1968年に県花に選ばれたのであるが、台風にもろくとも、その生命力と繁殖力は抜群で、沖縄を象徴するには文句のない花木だと思う。 私は年甲斐もなく、川沿いからデイゴの魅力に取り憑かれて、そのまぶしい花を見上げようとした。ところが久茂地川のどす黒い水面から、強烈な悪臭が私の鼻に襲いかかってきた。 せっかくの深紅に輝く花々がたちまちイメージダウンし、黒く汚れた泥土の花となってしまった。私はあわててその場を離れた。せっかくの美しい花がだいなしである。私はそのとき、沖縄の厳しい現状を思い知らされた。 沖縄の観光資源は空の青と海の青、そして、汚染されていない自然の美しさであるはずだ。沖縄の玄関で悪臭を放ちながら、黒々と流れる久茂地川は、その印象を著しく傷つけるものではなかろうか。 清流にデイゴの花びらが浮かび、大小さまざまな魚が迂回する、そういう久茂地川は夢のまた夢であろうか。(現在の久茂地川は綺麗になっております)これがデイゴです
2007年04月25日
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我慢忍耐が救いの神にも 昭和60年4月12日 沖縄タイムス 読者から 金が入ると男は、世界を征服したような気分になる場合がある。見えざる本性の奥に、支配者たらんとする野望が根強く存在するからだ。そして、無意識の幻想の中で世界の王、宇宙の絶対的支配者としての己を確立している。男がソーキ骨(肋骨)たらん、といわれるミスをしでかす原因がそこにあるように思える。給料が入ると理性のブレーキなど問題ではない。男は天下を手中にしたような広い心となり、夜のネオン街にさっそうと出かける。 「ナポレオンをもって来い」 男は豪放な破顔で美女たちにウインクをする。そして、断末魔の悲鳴を上げてカラオケを歌う。その挙句の果てに、軽くなった財布が理性と後悔を呼び戻す。男は強い決心をする。二度と再び、飲みには行かない! しかし、男を賭けたその決意は、給料が入るともろくも崩れ去るのである。 実は、何を隠そう、恥ずかしいながら、かく言う私も、そういう時代があったのである。誘惑の衝動に対し、理性と我慢が効果的なブレーキとなったのは、子供が次々と生まれたからである。 男は外に出ると、7人の敵がいるという。その一つが道楽で、その誘惑の微笑みは男をボロボロにしてしまう。それがハシカのようなものであれば幸いであるが、長引いて慢性化すると命取りとなる。我慢、辛抱、忍耐という嫌なこと、それが最大にして、ほんとの、自分の味方であると思う。
2007年04月24日
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男女同権 昭和60年4月10日 沖縄タイムス 茶飲み話 男は、ミスター、だけだが、女は、ミス、ミセス、と未婚、既婚を分けているのはどういう訳か。これは明らかに男尊女卑の現れであり不公平、自由主義国家としての大きなミスだ、と騒いだのが、ウーマンパワーが日本よりやや強い感じのする、米国のある婦人団体だった。なるほどごもっとも、と男の偉い方々は寛大な理解を示し、早速その二つを一つに統一、"ミシス" という新しい敬称を作り上げたのである。 しかし、ミス、ミセス、の区別敬称の習慣は根強く、いかにマスコミ関係でミシスを使っても、一般には浸透せず、線香花火のように消えてしまったのである。 私はミス、ミセスを統合するよりも、ミスターを分離するほうがうまくいったかもしれないと思う。つまり、未婚者はミスター、既婚者はミセスター、などとすればOKだったかもしれないのだ。それによって、ある種の自動制御装置が男にかかることにもなる。 その点、日本は進んでいると思う。ミス、ミセスに当たる敬称がないのである。強いて言えば、ミスに当たるものとして、00嬢とか、**姫などが上げられるが、これは一般的ではない。ミセスに当たるものとしては、△△夫人、ぐらいのものだが、日常生活においては使われない。 どうしても、人妻であることを知らす必要がある場合は、おくさんとか、古くはご新造さん、ですまされる。男尊女卑の色彩が強いと言われた日本だが卑弥呼に始まる歴史から、案外、女が強かったかもしれない。その証拠に、「かかあ天下」に類する言葉は外国にはなく、日本だけである。
2007年04月23日
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あっぱれな市長の行動 昭和60年2月5日 沖縄タイムス オピニオンのページ 親泊那覇市長は、恐れながら、目の悪い私が見てもハンサムではない。しかし、最近その顔が神々しく、まぶしく見えるようになった。男は顔ではなく、心である。党派に関係なく、市長の中の市長として褒め称えたい。 沖縄県民の生活安定のために、というフレーズで国家予算をいかに引き出すかも、政治家として大切ではあるが、現実の不況の嵐を安全地帯から眺め、政治手腕の手柄話をするだけでは、これからの県民は納得しないと思う。地球船に乗り込み、それがどこへ進んでいるかを無視し、ただ、金儲けの策だけを考えるだけでは政治家として失格である。地球船の沈没は全ての滅亡であり、その可能性は大きいのである。県民が安定した生活をするためには、国家予算を多くもらい、いろいろな事業を行うことも欠かせない一つであるが、それ以上に核兵器のない世界平和と崇高な精神、そして、徳性が必要ではなかろうか。人間の心が、その頭脳の発達に比例するかのように凶暴化し、乱れていく原因は何か。精神文化を無視し、経済成長だけに集中した日本国家にあると思う。その中にあって、米ソや中国、仏などの核保有国に対し、堂々と核兵器絶滅の要請文を出し、人類の悩みに真っ向からメスを入れようとする親泊那覇市長に対し、拍手を送り続けたい。
2007年04月22日
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末っ子の逆襲 昭和60年12月24日 琉球新報 声 子供たちがまだ幼く、純真無垢だったころは、父親としての自己誇示を、その特権と威厳に包んで発揮できた。そして、子供たちも絶対的存在として、父親としての私を慕い、崇めてくれた。 「ねー、お父さん、お話して」 夜になると、子供たちは私の寝床に潜り込んできてお話をせがむ。桃太郎、浦島太郎、かぐや姫、そして、話の種が尽きるとアドリブで話す。子供たちは満足し、そのまま眠ってしまう。その純心さに私も満足して寝てしまうのであった。 ところが中学、高校となり、背丈が私を追い越してしまうと、その頭脳は鋭く研ぎ澄まされて冷たい光を放つようになり、理屈にも立派な筋が出て手に負えなくなる。 1人取り残されたような寂しさに耐えられず、庭で、遊びに夢中になっている小学1年生の末っ子を呼んで話の相手をさせた。だが、最近の子供は馬鹿に出来ないのだ。「ヨシナオは、父さんと母さんと、どっちが好きかな?」 という私の愚かな問いにチビは答えた。「どっちも好き」 だが、私の孤独感はいじめの快感を求める。 「それではだめだ、必ず、どちらが好きかを決めて答えなさい・・・」 チビはしばらく困った顔をしていたが、やがてその眼光が鋭くなった。そして、逆襲に転じたのだ。 「では、父さんは、母さんとボクとどっちが好き?」 私はびっくり、目を白黒させて歌をうたった。だが、チビは許さない。 「ネエー、どっちが好きかはっきりして~~」 私は平身低頭、あやまった。そして、見事に小遣い1000円を巻き上げられてしまったのだ。しかし、久しぶりの泡盛が一段とうまく、喜びがあふれてくるのはどうしたわけであろうか。
2007年04月21日
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迫りくる「核の冬」 昭和60年10月25日 琉球新報 論壇 花の蕾がふくらみ続け、最後に開花する。それが朝露のきらめきと共に太陽を仰ぐ様は、まぶしくて美しい。知性のない花々といえども物象の原理、仕組みをそのまま活用しており、そこに神秘的な律動を感じる。 もし知性が、事象物象の奇蹟を賞賛し、その原理仕組みの律動を、さらに躍動させていくものであれば、生命体の進化発展は、宇宙の無限性と共に未来永劫へと続く。 しかし、知性体の頂点に立つ人間は、残念ながら現段階では、その優れた知性ゆえに、絶滅への道を確実に歩んでいる。核戦争の勃発は一触即発、ちょっとした弾みで大爆発という状況にまで追い詰められている。 全面核戦争となれば生命体のほとんどは絶滅、世界中の都市は廃墟と化し、地球という宇宙で最も美しい惑星は、焼けただれた醜い星と化してしまう。 なぜ、それを十分に知りながら、核保有国の偉い人々は核兵器を捨てきれないのか。なぜ、死の商人たちは、狂信者グループやテロリスト、そして、中東、アフリカ、などに核兵器を売りさばき、人類滅亡の加速度を早めるのか、私には彼らが悪魔に魂を売った、としか思えないのである。 全面核戦争から生き残れる術は一つもない。ただ、確実な絶滅しかない。ソ連や米国、スイスを初め、ある国々は核戦争に備えて、地下深くに核シェルター都市を作っているという。だが、そういうものは核爆弾の破壊力の前には、何の役にも立たないのである。 第二次世界大戦で使用された爆弾の総量は、TNT火薬にして6メガトンと言われている。現在、米ソが保有している核兵器は一万三千メガトンと推定されている。それだけでも第2次世界大戦を、約2200回以上も繰り返し行うことが出来る。 広島、長崎に投下された原爆は0・015メガトンと、0・02メガトンであった。ところが現在の核兵器には、たった一発で6メガトン以上のものがざらにあるのだ。 1メガトンの核爆弾の破壊力は想像を絶する。その一発で深さ100メートル、広さ120平方キロメートルの巨大なクレーターが出来てしまう。総面積が1201平方キロの沖縄本島は、6メガトンの核爆弾一発で海面からわずかに姿を見せる岩礁群となり、2発目で跡形もなくなってしまう。 もし、全面核戦争が起きたとした時、米ソの保有する一万三千メガトンの核兵器は海と空、地上、あるいは宇宙から一斉に発射される。核弾道ミサイルは、めまぐるしく錯綜する光の筋を空いっぱいに描きながら、各国の主要都市や軍事基地に飛んでいく。 東京には10メガトンが打ち込まれ、嘉手納基地には潜水艦や軍事衛星からの核ミサイルが襲ってくるはずである。急上昇するファイアーストーム、地上に広がる大火炎、宝石のように美しかった水の惑星、地球は断末魔の地獄と化す。 そして、全てが廃墟となったとき、核の冬が訪れる。生き残った人間は暗闇と絶望の地獄の中で、確実に迫ってくる死の足音を聞く。 オゾン層は破壊され、強烈な紫外線や宇宙線が容赦なく地上に降り注ぐ。厚い煙の層は空を隠し、地上は零下40℃にもなる。人々は断末魔の一瞬、けいれんの硬直を残し、次々と死んでいく。生き残るのはゴキブリとかネズミなどの昆虫や怜悧な小動物だけ。 そして、何百万年か後、彼等の子孫は進化してより高度な知性を持ち、かって存在して威張っていた、人間という愚かな動物を、哀れみの目で見つめるであろう。ちょうど我々が6500万年前に絶滅した恐竜を観るように・・・。
2007年04月20日
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日本語の美しさ 昭和60年9月6日 琉球新報 声 言葉、文章にはその人の心、感情、そして人格の香りがある。日本語の場合、特にそれが強いように思われる。その表現はたいへん細かく、デリケートで美しい。それは日本人の、繊細な感受性の強さから来るのかもしれない。 名作といわれる文学作品を読むと、そのことが一層強く感じられるのである。もちろん方丈記、枕草子、徒然草などのような古典文学と、現代の文学作品とは語句や様式の違いが見られるが、しかし、その底流で脈打ち続ける日本語の美しさ、素晴らしさに変わりはないのである。 鴨長明の方丈記 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、・・・」 そして、琉球の万葉集とも言われるおもろそうし、「天にとよむ大ぬし、あけもどろのはなの、さいわたりあれよ・・・」。じつに素晴らしく心に伝わる陶酔の波動がある。 それに対して、目まぐるしく変化する流行語がある。それが良いか悪いか知らないが、それにしてもおもしろい。 「オカルトブスにかぎって北方領土よ、早くワープしないかしら」とか、「今、彼とキャンキャンなの、おしんしてニャンニャンになろうかな」、これは国語の先生でもきっと分からないと思う。 北方領土とは、カラオケマイクを握って離さない人、ワープは疲れて寝ること、キャンキャは喧嘩、ニャンニャンは仲良くなる、おしんは・・・、分かりません。誰か教えてください。
2007年04月19日
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互いに助け合う世界を 昭和60年8月22日 琉球新報 論壇人体は60兆個の細胞から出来ている。大きさは100分の1ミリから10分の1ミリで、顕微鏡でしか見えないとのことである。人間がいかに万物の霊長として宇宙を征服したとしても、その無数の細胞の働きとそれぞれの機能のおかげであって、それ故の人間であり、それ故に行動の自由が可能となっている。人体は見えざる世界で、細胞が何らかの仕組みで互いに助けあい、それによって正常に機能し、規則正しい生命のリズムを奏でている。思えば、細胞の一つ一つが神秘の光に輝いているのだ。世界の人口は45億といわれている。60兆個という1人の人間の細胞からすれば、数的にははるかに少ない。私はよく思うのであるが、この無数の細胞は、さかのぼっていけば、10分の2ミリという1個の受精卵にたどり着く、ということから、45億の人間もその祖先をさかのぼっていけば、一つになるのではないかと・・・。したがって人間はすべて一つの根源から分かれた兄弟姉妹であり、国や人種に関係なく平等なのだ。細胞たちが互いに助け合うように、人類の発展と幸せのために人間もまた、互いに助け合わねばならない、と思うのである。一つの細胞が病んだ時、その苦痛を他の全ての細胞がキャッチし、救助のために互いに協力し合い、それぞれの機能を発揮して動き出す。それがなければ肉体は病原菌の独壇場となり、あるいは病変は全身に広がり、一人の人間の、あの世への孤独の旅たちとなる。互い助け合いは、全体が正常に生きていくために、絶対的に必要なことであり、人間社会にも立派に通用している自然の法則であると思う。最近のニュースに接するたびに心が痛む。航空機事故やハイジャック、戦争、内乱、核実験、爆弾テロ、汚職、サギまがい商法、その他いろいろで、どれをとってみても大きな社会問題であり、ショッキングなことばかりである。一体何が狂っているのか、人間社会を動かしているメカの主軸に、重大なひずみが出来たのであろうか。互い助け合うことに盲目となり、他人と自分はなんの係わり合いもございません、とする人間の冷たい、残忍な姿、そこにあるのは絶望のみである。現実を正しく美しく生きていくことは難しい。それぞれ自分の身を守ることに精いっぱいなのである。しかし、そこで他が病んでいることに無関心で、何らかの救いの手も差し向けなかったとき、その病変は運命の波をめぐりめぐって己の身に降りかかってくるのである。そして、人間はただ、黒い不吉な影に怯え、その吸引力に逆らえず、巨大な汚濁と混乱の渦に巻き込まれていくだけである。互い助け合いとは、必ずしも金や物を与えるだけではない。励ましの言葉と思いやり、そして、助けを必要としている人のために、何らかの働きをすることだと思う。金や物に依存する心に真の幸福は訪れない、ことを知らしめるのも大きな救いとなる。それぞれが互いに浄化しあい、明るくて楽しい人間関係を築きあげていくことこそ、全人類の頭上に黒く渦巻く不吉な影を払いのける切り札だと思う。しかし、世界情勢と人間の心の姿を全体的に見つめたとき、その進んでいる方向は絶望と恐怖のように思えてならない。それを希望と喜びの世界に向けるには、それぞれの国をリードする権力者や指導者、政治家の舵取りにかかるところが大である。私は、60兆個の中の一つの細胞として叫びたい。世界は一列兄弟姉妹、互い助けあい、争うことなかれ!All of you throughout the world are brothers and sisters. There should be no one called an outsider.浦添市民会館の駐車場で撮影。名前は調査中(4月17日)
2007年04月18日
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3女との会話 昭和60年7月11日 琉球新報 声梅雨が明けると沖縄は真夏、ガジュマルやアコ―、琉球松などの亜熱帯植物のうっそうとした森や林からは、蝉の大合唱が聞こえてくる。沖縄の夏は騒々しくてにぎやかである。その蝉の鳴き声を聞きながら小学5年生の3女が尋ねた。「どうして、セミと言うの?」単純で子供らしい質問に私は苦笑、「さあて・・・」と首をかしげた。3女はニコニコして言った。「それはね、いつも幹や枝葉に止まって背中を見せているから、せ、み・・・」なるほど、立派に筋の通る理屈である。以前に 「法隆寺を立てたのは誰?」 と訊かれて、「聖徳太子だ」と答えて笑われたことがある。「法隆寺を立てたのは大工さんたちや、お父さんと同じ労務者たちでーす」と一本取られたことがある。そこで今度は逆襲することにした。「蝉を捕ると死刑になるよ」3女は目を大きくしてびっくり、「ほんと? どうして?」と尋ねた。「蝉のことを英語で、シケイダーと言う。だから、蝉を捕ると死刑だー」3女は大声で笑った。それを今度は兄や姉に言ってまわり喜ぶ。ピアノを習い始めて2年目になる3女、私に一番なついてくれる子供である。 "乙女の祈り" が弾けるようになったとき、それを聴きながら泡盛を一杯やれる日が楽しみだ。
2007年04月17日
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理に対する宗教と科学 昭和60年6月14日 琉球新報 論壇 小学5年生の男の子は自転車で交差点を通行中、大型ダンプカーの右後輪に轢かれた。右大腿部と左ヒザ骨折、そして、動脈、静脈は切れ筋肉はばらばらの重体となった。病院側は急いで輸血、手術の準備をした。男の子の血液はすでに半分が出血し、一刻を争う事態だったのである。だが、輸血は親の同意がなければ出来ないことになっている。 医師はさっそく両親にその同意を求めた。親であれば誰でも同意するはず。ところが意外にも両親は拒絶したのである。理由は? それは両親の信仰にあった。 この世は罪悪として否定、ただ聖なる神とその救いの奇蹟にすがろうとしたのである。医師の4時間近くの説得にもかかわらず、ついに同意は得られず、幼い尊い命はその炎を消されたのである。親の崇高であるはずの信仰は皮肉にも、子供の生きるチャンスを断ち切ってしまったのだ。 この世は罪悪だけの絶望の世界ではない。打てば響く自然の理法が支配する場であって、心一つ、行い一つによって地獄ともなり、極楽ともなる世界であるはずだ。日は東から昇り西に沈む。水を熱すれば蒸気となって空に上がり、雲となり雨となる。 そういう狂いなき理法の効力を地獄に向けるか、あるいはユートピアに向けるかは、判断一つ、考え方一つにかかっており、理法を歪め、否定しての奇跡というのは絶対にありえない。つまり、理そのものが奇蹟であり、神と言えよう。 昔、ガリレオが地動説を支持し、強大な権力を持つ教会と対立、そのため自宅に軟禁されて一生を終わったのであるが、今日では、どちらが正しかったかは常識として明白である。そこに、理法をまげて、誤ったことを真理としてしまう信仰の傲慢さを思い知らされるのである。 逆にガリレオのような科学者が別の見方をすれば、宗教以上に正確、かつ鋭く神を見つめており、忠実な理法、つまり、神のしもべとも言えるのである。 私は神とは理法である、と思っている。それはいろいろな次元において、狂いなき効力を発揮するものであり、全宇宙を構成、維持しているからだ。 物質を作っている基本粒子は30兆分の1センチというクオークである。その極小の世界から、想像の領域をはるかに超越する広大無辺の宇宙の果てまで、厳然と光り輝いているものは何か、それこそが森羅万象を操っている理法であり、強烈無限のエネルギーではないのか? 各宗教の創始者、教祖はその理法に基づいて教えを説いたのであり、宇宙全体の調和と秩序を厳正な目で見つめ、それを制御する理法の絶対性を肌に感じたはずである。それぞれの属する信仰は信者たちに取っては光であり、命でもある。 しかし、それが理を曲げて、互いに争い、悲惨な戦争を起してしまっては何にもならないと思う。盲目的で弾力性に欠け、岩石のように固まった信仰ではなく、自然のふところの中で、生命の炎を燃やす人間が何を見つめ、何を守っていくか、高度に発達した頭脳にふさわしく、正解を出しても良い時代ではなかろうか。
2007年04月17日
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危険な戦略防衛構想 昭和60年5月16日 琉球新報 論壇 西暦二千??年、米国防総省は全軍に対しデフコン1(国防緊急体制1)を発令した。皮肉にもそれはSDI、すなわちスターウォーズ計画が実戦配備を完了した日であった。S国のICBMとIRBM多数の噴炎を早期警戒衛星が、いち早くキャッチしたのである。「なぜ、こんな事になったのだ~~~!」と大統領が国防長官に怒鳴った。「これは筆者の自由発想ですからどうでもいいことです。そんなことより、早くGOサインを出してください~~~!」国防長官は蒼ざめて言った。「一つ残らずたたき落とせ~。迎撃システムコンピュータの全回路を開け~、GO~!」大統領は全軍に命令を出した。地球周回軌道上にある数百の軍事衛星がコンピュータの指揮下に入った。原子力発電機を搭載したX線レーザービーム衛星、反射ミラー衛星などが噴炎加速中の核ミサイル群に照準を合わせ、一斉に攻撃を開始した。反射ミラー衛星は直径数メートルの反射盤を開き、地上から25キロメガワットで送られてくるレーザーをキャッチして直接反射したり、あるいはリレー方式によってそれを反射、敵ミサイルを次々と撃墜していった。この間、わずか3分前後である。それによって敵ミサイルの99%が破壊された。しかし、生き残りの核ミサイルはブースターを切り離し、マッハ28という超高速で迫ってきた。それを赤外線探査衛星がキャッチ、その飛行方向を測定し、地上レーダー施設に伝えた。地上基地からは間髪をいれず、複数の迎撃ミサイルが発射された。それらは途中で無数の子衛星に分かれ、敵ミサイルに吸引されるように衝突し、爆破したのである。しかし、悪運の強いものはどこにでも存在するもので、2,3個の敵ミサイルは、その防衛網をかいくぐり大気圏内に突入してきたのだ。コンピュータは最終段階としての迎撃を指令した。超重量級の地上設置ビーム砲、そして、最後の迎撃ミサイルが狂ったように発射された。数10キロ上空で敵ミサイルは完全に撃墜されたのである。これが良いか悪いかの議論で世界中が注目しているSDI、すなわちスターウォーズ計画による、敵核ミサイル撃滅の段階的手段である。しかし、私には、これだけで敵の核ミサイル攻撃を、完全に封じ込めるとは思えないのである。ICBMは30分で目標地点に到達するが、IRBMの場合はたったの7分である。しかも、それが複数の地点から同時多発的に発射された場合、SDIがいかにテクノロジー最先端の産物、とは言え完全防衛は不可能である。さらに洋上からの巡航核ミサイル、そしてレーダー波を完全に吸収し反射しない特殊塗料(磁性酸化物)を塗ったミサイルや爆撃機をどう迎撃するか、不安材料があまりにも多い構想ではなかろうか。SDI機構の局長ジェームズ・アムラハムソン氏は 「これが新しい抑止力となり、世界平和が維持できる」 と言う。もちろん科学技術が向上し、不況にあえぐ世界経済が、その一兆ドルの予算で息を吹き返すかもしれない。軍需産業やエレクトロニクス産業は活気に満ち溢れ、日本経済をも潤すはずである。しかし、それ以上に不吉な影が、その背後にまつわりついていることを見逃してはならないと思う。ソ連も黙ってはいないはずで、先制攻撃を目的としたスターウォーズ計画が行われるかも知れないのである。中曽根首相がなぜ、レーガン大統領にぺたぺたくっつき、何でもOKとするのか納得できない。人類の未来を見つめ、恒久平和の確実性がどこにあるのか、それをしっかり見据える必要があると思う。
2007年04月16日
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優秀な頭脳だけではだめ 昭和60年5月15日 琉球新報 声米司法省の公表によると、米国人が犯罪により全生涯を通じて殺される確立は、133人に1人、黒人の男性だけなら21人に1人になるという。背筋が冷たくなり、クーラーの要らない夏となりそうである。すべてにおいてアメリカ化していく日本が、人間の心の問題に警笛を鳴らさねばならない事態だと思う。日本の殺人事件も年々増加しており、その手段も、残虐性を帯びてきているように思える。今の若者たちを見つめたとき、その黒い汚濁に染まりつつあるような気配が感じられ、日本、特に沖縄の未来に不安を抱くものである。一体、何が狂っているのか、どのような手段で人間の心を浄化すべきか、それらを解明し、人間の徳性の向上に力を注がぬ限り、日本の未来は真っ暗である。県教育長は那覇H高の設立に力を注いでいるところであるが、優秀な若者たちの頭脳をさらに研ぎ澄まし、沖縄の発展をその頭脳に委ねる構想は素晴らしいと思う。しかし、いかにそういう立派な頭脳が数多く現れたとしても、現在の米国のように、殺人が平気で行われる島になったら意味がない。今の流れを見るとその可能性は大きい。頭脳と人間の徳性、その両輪の動きが沖縄の未来を素晴らしいものにする。
2007年04月15日
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父親の面目にかかわる 昭和60年4月5日 琉球新報 声 どういうわけか、私の6名の子供たちは皆、音痴である。歌わすと一直線のリズムでお経のようになってしまう。リズム感に欠陥があるのだ。 「きっとお父さんに似たのだ、責任を取れ」 と子供たちは私に八つ当たりする。ところが私は音楽好きで、学生の頃、ピアニストになることを夢見た事もある。子供たちは私を、労務しか出来ない色黒い父親で、上品な音楽とは程遠いとみなしていたのである。 このままでは、スーパーマン的存在、でなければならない父親の面目にかかわる。そこで泡盛を一杯やり、何でも屋から、3女の懇願で買ってきた古いオルガンを弾いて見せることにした。 しかし、10年余りも鍵盤に触れたことのない指は、労務仕事で硬くなっていて、自由に動かないのだ。焦れば焦るほど間違いだらけとなり、子供たちは大笑い。 私は惨めな思いで、その場を退散した。それから仕事の合間に、子供たちがいない時を見計らい、懸命に練習を続けたのである。 そして、ある土曜日の夜、私は子供たちを集めて、「早春賦」と「冬景色」を弾いた。子供たちは、流れるような鍵盤上の私の両手を見つめ、驚きの目で静まり返ったのである。 翌日、仕事から帰って来ると私の机の上に、一輪ざしのバラの花と高級泡盛が置かれてあった。子供たちのお詫びと、私への賞賛のしるしだったのであろうか。
2007年04月14日
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生かされる喜び 昭和60年3月3日 琉球新報 論壇 ある小雨の日、ナメクジの親子が庭をはっていた。私は邪念のままにその周囲に塩をまいた。親ナメクジは懸命に出口を探し回っていたが、それが絶望的であることを確認すると、驚いたことに塩の中に入り込み、子ナメクジをその体の上から通したのである。 私は無残にも溶けていく親ナメクジの姿を見たとき、頭の中で何かが大爆発したような気がした。単純で、卑小な下等動物であるはずのナメクジ、それにも劣る己の醜い心の姿をその時、鋭く、痛く思い知らされたのである。 それまで私は、人間をやめたいと自暴自棄的に思ったことが何回もあった。人間は何のために生きているのか、百年前後の短い人生をただ生活のためにだけに働き、生きるということに、いったい何の価値があるのか。 しかも、いろいろな人からの裏切りや毒気、生活苦、働く苦しみ、病苦、あるいは世界情勢から核戦争の恐怖と絶望、それらを思うと右を向いても左を向いても嫌なことばかりである。 人間はただ本能の衝動に支配され、その表し方を、より上品な、そして高度な体裁と虚飾の光に輝かしながら、空しい自己主張を続けているだけではないのか。人間の一生というのは、夜空を高速で飛んで消える流星の、ほんの一瞬のきらめきのようなものだ、と思うと、人間などやめてしまえ、というやけっぱちな気になったりした。 しかし、親ナメクジの高次元の反応を目の当たりにした時、そういう考え方は、己の卑賤な徳性からの黒い投影であった、ということに気づいたのである 人間は、本性や感情のそれぞれの度合い、あるいはいろいろな次元で人生を見つめ、対象なるものを判断、区別する。怒りは怒りの波紋を広げ、不平不満の感情は、全てを欠点だらけの世界に変えていく。つまり、人間は己の本性の色のままにしか、人生を見つめることが出来ないのである。 そこでは己の知識、経験、特技、あるいは力なるもの全てが、その支配下に置かれる。人生を暗く、低く、見つめるか、あるいは光明の素晴らしい世界として見つめるかは、人間の徳性の各次元と、本性の色彩によって決まると言える。 人間は生きているのではなくて、生かされているのだ。人がそれぞれの知恵と力を活用でき、あるいは働けるのは、この世があるからであり、この天地、宇宙という壮大なステージが、人間のドラマのために存在するからである。 親が自らを犠牲にして子を守るという親心が、いろいろな形で、すべての生命体の本能の中に根強く宿っているという事実は、根源の親心、不滅の愛が全宇宙の隅々にまで充満し、光り輝いているからだと思う。そう悟った時、私の人生観は根底から、一瞬にして変わったのである。 他人から罵声を投げられようが、病苦、生活苦、あるいは愛する人が浮気しようが何しようが、減るものではないし、すべて己の徳性の価であり、その刺激は、己の本性を改造せよ、との天の声ではなかろうか。 生かされる人間として大切なことは、己に厳しく、他人に寛大となることだ。そこから喜びがわき上がり、すべてが感謝の光の中で輝く。喜びは喜びを誘導し、邪心は獣性を誘導する。それが人生だと思う。
2007年04月13日
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映画グレムリンを観て 昭和60年1月16日 琉球新報 声 雨の日、映画グレムリンをご観覧なされるという6人の子供たちのお伴をする。6600円が涙のお別れ、再開の絶望とともにむなしく消えた。子供たちは、家の厳しい経済引き締め策の苦労も知らずに、好奇の目を輝かせてスクリーンに食い入る。そのうち、単純馬鹿な私もいつの間にかスクリーンの虜となってしまった。だが、終わってみると、なんとなく後味が悪い。 イエローモンキーのようなこのグレムリンは、憎悪と警戒心が作り上げた醜い小悪魔、日本人に外ならないのである。外国の経済不況の中へたくみに根強く、しかも確実に浸透し広がっていくメイド・イン・ジャパン、それによる外国企業の苦慮、倒産、失業者の群れ、それは性質の悪い防衛不可能なグレムリンの冷暗からの侵略なのだ。 追い詰められた先進国は、中東やその他の戦争国への兵器輸出によって、かろうじて経済不況を乗り切る。日本の繁栄は外国への毒液であり、予想もしなかった経済侵略による世界征服の可能性を持つものである。 グレムリンの大群がシンデレラ館を占領、そこで展開される狂乱の酒宴、まさに日本人への強烈な皮肉であり、その魔性を暗示している。 日本の爆発的な繁栄は水、すなわち石油であろう。それはシンデレラの魔法がとける時、外国側が貧しくなった時、食を得てさらに繁栄する。助かる道はただ一つ、それは光、つまり核爆弾である。 そこまでこの映画は日本を警戒しているのだ。エコノミックアニマルから、平和の使者としての日本になってほしい、と願う者である。
2007年04月13日
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花の青春 昭和60年1月31日 琉球新報 声 昔は人生40年、今は80年となり、40年も人生の長さは大幅アップされている。44歳となった小生が花の青春のまま、土方一筋で汗の人生を歩めるわけがここにある。 儒教の創始者・孔子は2500年前に言われた。「われ十有五にして学を志す、30にして立つ、40にして迷わず、50にして天命を知る・・・」と。しかし、科学文明が発達し、平均寿命が過剰に伸びた今日、少し訂正する必要があると思う。つまり、それに40年をプラスして 「われ70にして立つ、80にして迷わず、100にして天命を知る・・・」となっても立派に通用する時代であると思う。心身ともに健康で、絶えず活動しておれば、人間の脳は80代でも知的に発達し、その機能は退化することなく、500年の可能性を持つ、とアメリカの老年医学会では主張している。人生の荒波の中で、その厳しさをまともに受けて老化し老け込むか、あるいはそこに花の青春のエネルギーを燃やし、爆発させて立ち向かい若々しく生き抜くか、気の問題であり、心ひとつだと思う。
2007年04月12日
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わが娘よ 昭和59年11月2日 琉球新報 声 時は流れて、あなたはいつの間にか中学2年生。まぶしい青春の光の中で、まだ青い光彩が恥らいながら、女らしさを醸し出したばかり。成績が悪いのは、決してあなたのせいではありません。毎日、時間をさいて勉強を教えなかった私が悪いのです。父さんが夜遅くまで働くのは、あなたのため、そして、過去の失敗の傷を一日も早く治すためです。そのことだけが先走りして、数学や英語、社会などの難しい問題を、あなたにお付き合いして、悩んであげられなかったことが悔やまれます。あなたが友人の家に出かけて、夜遅く帰ってくるようになったのは、ごく最近からです。そして、ついにあなたはその友人の家に泊まってくる、と言い出した。その娘さんが家庭の事情で夜は一人ぼっちなので、あなたのやさしさが同情を強く刺激したのだと思います。でも、父として許すわけにはまいりません。理由は? と反抗的に聞かれても困るのですが、同情よりも厳しさのほうが友人のためになるからです。あなたの心の奥には、悪い成績による強烈な自己卑下が存在しています。その毒念は毒念を広げ自分を破壊するものです。人間にとって成績以上に大切なものがあります。それは明るい心の姿です。そして、あなたの未来に光り輝く人間の徳性なのです。
2007年04月11日
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元気になった小鳥 昭和59年12月24日 琉球新報 声 6年生の息子が小鳥を友達からもらってきた。青と黄の色彩豊な美しいセキセイインコであった。ところがオスであるこの小鳥、元気がないのだ。しょんぼりとし、居眠りをする。ご主人様となった息子は、はた目にも痛々しいほどの心配ぶり。学校から帰ると、かばんを玄関に放り投げて鳥かごをのぞきこむ。 「きっと、一人ぼっちで寂しいのよ、ガールフレンドが欲しいんじゃないの」 中学生の娘が笑いながら言った。それを聞いた息子はメスのインコを買ってくるようにとさかんにせがむ。ところが夜間工事の続く私は、そんな煩わしいことは出来ない。 「そのうち・・・」 と言いながら睡眠をとることに懸命である。しかし、息子は泣き声で頼み続けるのであった。仕方なく私は重い腰をあげることにした。まず、ホットコーヒーを一杯、それから久しぶりにラジカセで早春賦を聴いた。 その時、あら不思議、奇蹟が起こったのだ。今まで元気のなかったインコ君、そのラジカセから流れる美しい歌声に合わせて、威勢よくさえずりだした。しかも、飛んだり跳ねたりのダンスつきで。息子の悩みはこれで一気に解消となった。 そう言えば、会員ではないが、アマペンクラブの忘年会に招待された時、酔いの勢いで恥もなく早春賦を歌うと、会場の美しいレディたちが敏感に反応、大合唱となった。美しい歌は、美しいものに元気と熱情、感激を与えるものですね? しかし、それでも息子はメスを買って来て、とせがむ。しかたがない、私は小鳥屋さんへと車を走らせた。
2007年04月11日
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昨日、宮古島へ行き、きょう、帰ってまいりました。行きは、那覇空港発11時30分、宮古島着が12時10分でありました。私の生まれ島ですが、幼少期の数年を過ごしただけで、あとは沖縄本島、奈良、東京がメインの住処となっている。 帰りは宮古島発、13時40分で、那覇着が14時45分であります。これは相当遅れております。普通は30分から45分かかるのですが、1時間余りというのは異常であります。 遅れた原因は那覇空港が混んでいて、着陸許可がなかなか下りなかった、ということらしい。帰りの1724便、何かあったのでは、と思うのですが、乗客のパニックを抑えるためにそれは知らされなかった、と疑っている。 というのは、この飛行機、高度を物凄く下げて、海面から約300メートルほどを揺らぎながら飛び続けたのです。遅れているわけを説明するスチャーデスの言葉も落ち着きがなく、どもりがちであった。 しかし、何事もなく無事に着陸、凄腕のパイロットに救われたかもしれませんね?
2007年04月10日
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男勝りの母は今も若く 昭和59年11月15日 琉球新報 声 草深い片田舎で厳しい農家の長女として生まれた母は、男勝りの手のつけられないジャジャ馬だったらしい。戸主以外は女だけの家族だった為、長女としての責任がその性格を男気性に変えたと思われる。 炎天下の畑を耕したり、ツルハシを振り上げて岩だらけの原野を開墾したり、女ながら男以上の働きをし怪力の持ち主だった。裸馬にまたがり、同級生の男たちと競争したり、相撲やレスリングのような格闘をしたりで、負け知らずであったとの事である。 今なら女子プロレスのチャンピオンになれたと思う。しかし、それでいて美人、色白い背の高い父と16歳で結婚した。おかげさまで長女、2女のあと私が生まれたわけで、物心ついたときは、地獄の戦場と化した本部半島の山々を命からがら逃げ回っていたのである。砲煙弾雨の中を母は私を背負い、スーパーガールのように走った。 ジャングルの中をイノシシのように駆けたり、米兵に追われて岩と岩の間の絶壁をジャンプしたりで、地獄の戦場を奇跡的に生き延びたのである。もし、母が上品で弱々しい女性らしさを発揮する女だったら、生きてはいなかったと思う。母の男勝りが命を救ったのである。 その母も今では70歳、しかし、どう見ても40代の若さでしわ一つない。命の恩人としていつまでも大切にし、親孝行をしたいのだが・・・。
2007年04月10日
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青春の汗と涙 昭和59年11月3日 琉球新報 論壇 古い柱時計が静寂を破り、鉦を5回打ち鳴らした。午前5時、それまで私は寝付かれず、一晩中、寝床の中で冴えた眼をパチパチしていた。仕方なく私は睡眠をあきらめて起きだし、味噌汁を作ることにした。 ワカメ、豆腐、ネギ、それに鶏卵を3個かき混ぜて入れ、沸騰させて適量の味噌を入れてかき混ぜればOKとなる。そして、ゴマ油少々と、ダシの素を入れてやると 「お母さんの味噌汁よりおいしい~~~」と高一の息子よりおほめのお言葉を頂くのである。 寝付かれなかった理由は、そのひょろ長い体格の息子が、こともあろうに第5回OTV杯小中高柔道大会に、選手として出場するためであった。 身長175cm、体重54キロというという体格はどう考えても頼りなく、弱々しい印象を受ける。しかも繊細な神経の持ち主で、気の弱い面もあり、柔道という、荒々しい格闘技などの出来るはずがない、思っていたのである。 試合場で無残にも畳みに叩きつけられ、顔を歪める息子の哀れな姿が見えるようで、不安と絶望に襲われるのであった。 しかし、親馬鹿は時として冷静に見つめねばならない現実を、幻想に変えてしまうもので、強烈な危惧の念に拘束されながらも、痩身長躯で、弱々しいはずの息子が、姿三四郎のように相手をバッタバッタと投げ飛ばして見事に優勝、次のオリンピックの金メダルは確実で、百年に一人出るか出ないかの名選手として、琉球新報に載ってしまったらどうしよう~~、などと馬鹿げた空想をしたりする。 カロリーを計算しての朝食の準備が出来ると、心を静めるために、まだ薄暗い庭に出た。天空の重みに圧縮されて、その濃度を強めたような闇が地上に広がっていた。東空には三日月が、清浄な薄明かりの中にあった。私は思わず合掌して祈った。 「息子が負けても勝ちますように!」 朝食を終えて息子が出かけるとき、私は息子の心理状態を安定させるために言った。 「柔道とは勝つためのものではない。負けて強くなるためのものだ。勝つと思うな、思えば負けよ・・・」 息子は素直にうなずいた。 「どうせ、負けるから、応援になど来ないでください・・・」 息子はそういって出かけた。私は親ばかながら責任を感じた。それでじっとしておれず、試合場の興南高校の体育館へとこっそり行ったのである。 会場は青春の強い熱気に充満していた。私はなるべく目立たないように会場の隅っこに立って観戦した。 待つこと十数分、ついに、やせた息子が出た来たのである。「はじめ!」 主審が叫ぶ。息子の相手は筋骨隆々の大男。こんな大男なら、私でも勝てない、と思った。ところが、ひょろ長い息子は怖じける様子は微塵も見せず、敢然と、そして、敏捷に動き回ったのである。 汗が飛び、気合が怒号となって会場に響き渡る。私は意外だった。あの気の弱いとばかり思っていた息子が、これだけやるとは、これは現実か幻か、・・・いや、夢ではない、現実だ。 電光石火の早業で、息子の体がくるりと回り、相手の懐深くに潜り込んだ。次の瞬間、巨漢の相手が空中で一回転して畳みに叩きつけられたのである。「一本!」 主審の右手が上がった。なんと、息子の一本背負いが見事に決まったのだ。私はただ呆然、これは夢か幻か、思わず頬っぺたをつねったら痛かったのであります。だが、2回戦は、小さな相手に苦戦した。そして、あっという間に巴投げで一本負けしたのである。 ・・・アジャー、パー、なんたるちや~~~、私は絶句した。 私は顔を被った手の平の隙間から、息子を見た。意外にもそこには、晴れ晴れとした息子の姿があった。それは、あまりにもまぶしいものであった。その時、息子がすでに私の膝元から離れていることを悟った。 青春とは勝利の栄光が目標ではないと思う。いかに苦しく、いかに納得出来ない社会であっても、たくましく努力することが大切だと思う。汗と涙に汚れた時、青春の光は鋭く未来を照射する。息子よ、頑張れ~~~!
2007年04月09日
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沖縄の雪に対する史書 昭和59年9月23日 琉球新報 声 真冬、一月における平均気温が摂氏16℃とい常緑の島・ウチナー。そこに昔、雪が降ったなどと言えば容易に信じられないのが当然である。 なんの証拠もなく作者、年代不明の得体の知れない琉歌を引き合いに出して、昔、沖縄に雪が降った、などと言うと平田俊雄氏が指摘されるとおり、非科学的であり、地球物理学的視野からすると毒にも薬にもならない話となる。 那覇での気温の観測が開始されたのは1891年・明治24年1月からであるが、それから大正15年までの36年間の、2月における最低気温だけを抜き出し、その平均を出すと、摂氏8・06度となっている。 大正7年の摂氏4・9度がこの36年間のうちで最も低い気温となっており、残念ながら降雪の観測事実は皆無である。 しかし、1745年から1876年の間に、琉球王府によって編纂され、書き継がれてきた史書「球陽」に降雪のあったことが記載されている。1815年から1857年の間が特に集中したようで、大きさは唐豆のごとしでもある(むかし沖縄でも雪が降った・高良初喜より)、という記録がある。科学データー以上にこの史書は信じられると思うがいかがでしょうか。ヒゴの新芽です
2007年04月08日
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キラー衛星 昭和59年9月12日 琉球新報 論壇 高度300kmでソ連上空を横切る米国の偵察衛星サモス、厚い雲の下や、隠されたミサイル基地はおろか人間を識別出来る写真をも撮ることができるという。あらゆる無線信号をキャッチ、民間の電話さえも盗聴できる。 さらに赤外線センサーでロケットの噴煙をいち早く補足して、警報を発するミサイル探知衛星ミダス。米ソを中心とする東西対立の緊張は、攻防の本能に、焦りと極度の不安感を与え、それが生き残りへの強い執念となって、高度な頭脳の結集とも言うべき、軍事衛星打ち上げ競争を激化させている。 研ぎ澄まされた硬質の非情な冷眼は、一秒も休みなく世界中を監視、地上の全ての核ミサイル発射ボタンと直結しているのである。 軍事衛星はその性格上、詳細は明らかにされず、隠密を第一として打ち上げられているのであるが、1960年代初期から80年代初期にかけての米ソが打ち上げたその数は約1850基になるという。それらは情報任務衛星と支援任務衛星の2種類に大別できる。 前者は写真偵察、早期警戒、海洋監視が目的である、後者は航法衛星、通信衛星、気象衛星、測地衛星と呼ばれるもので、軍事活動を有利に導くためのものである。いずれにせよ、偵察と警戒を任務、目的とするもので直接戦闘する、という種類のものではない。 だが、ここで不気味に思えるのはソ連が1967年から地上攻撃用核衛星や、他の軍事衛星を攻撃破壊するキラー衛星を繰り返し、何回も打ち上げ実験をしているという事実である。それらはすでに実用段階に入っていると言われている。そこに人類の不吉な黒い紋様を見るようで、なんとなく肌寒くなる。もちろん現段階では核搭載衛星とか、キラー衛星なるものが公然と地球周回軌道上にある訳ではない。またそのことは、1967年の宇宙条約第4条、あるいは米ソの軍事衛星条約によって禁止されている。だが、ソ連のキラー衛星、核衛星の一連の実験打ち上げ、そして有人大型宇宙ステーション打ち上げ計画が、なぜこれらの条約にきわどく接する中で強行されているのか。それは双方にとっては条約なるものは、国力のバランスが破れた時、何の効力も持たなくなってしまう性質のものであるとの考えに立っているからであり、宇宙空間で軍事的に有利に立った方が、生き残る確立が高いと思っているからだ。 キラー衛星が不気味さの影にあるのは、人類の滅亡か、存続か、の核戦争のキーを握っているからである。 キラー衛星には2種類あるという。衝撃型攻撃衛星と指向性エネルギー型衛星である。前者は体当たりか小火器の弾丸で敵衛星を破壊しようとするもので、後者はレーザー、粒子ビーム、電磁波ビーム、プラズマビームなどを兵器とするものらしい。 米国が総予算一兆ドルをかけて今世紀末までに、弾道ミサイル防衛システムを完成させようとする計画は、宇宙条約に反しないたくみな宇宙核戦術の一環かも知れず、いざとなれば核搭載キラー衛星に変身できるという。こういうシステムはソ連にもあることは疑う余地もなく、むしろ米国以上に進んでいると断言できる。 いま、米ソは緊迫した危機の中で渇きにも似た激しい先制核攻撃衝動にかられているのである。これを救うのは日本かもしれない。平和的人間交渉に立ち上がり、世界各国に働きかけ、米ソを一つにし仲良くさせることこそ、日本の責務と思うのだが。
2007年04月08日
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世界一の古木 昭和59年9月10日 琉球新報 声 紀元前2800年から1600年の間に、古代エジプトで王族の墳墓として立てられたのがピラミッドであるが、その頃から今日まで、ずっと生き続けてきた生物が存在する、というと、誰も信じないかもしれない。 ところが現実には、考えられないことが豊富にあるもので、カリフォルニアのホワイト山脈、標高2700mの所に生きているメトセラと呼ばれる松は、何と、4600歳にもなると言う。しかもあと400年は生きられる、とのことで、世界3大美女の一人、クレオパトラをも高い所から眺めたかもしれず、その生命力のたくましさにはただ、驚くばかりである。 しかし、その4600年間の生命活動が、恵まれた自然の好条件の中で温かく守られたわけではない。むしろ、土壌はやせていて、雨はほとんど降らないところであり、他の植物はあまり見られない不毛の地である。寒波に襲われたりで自然はこのメトセラに対し、あまりにも冷酷非情であった。自然の厳しさの中で黙々と生きる生命の強かさをメトセラに感じる。 人間、貧しいか、社会が冷たいという厳しさを嘆くことはないと思う。200分の1グラムしかなかったその種子が発芽し、自然の厳しさゆえに成長し、4600年も生き、なおかつ未来に向かうたくましさに、人間として何かを感じさせれる。
2007年04月07日
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フォークランド紛争について 昭和59年8月31日 琉球新報 声 面積1万2千平方キロ、人口1,800人という小さな島、フォークランド。その領有権をアルゼンチンが主張し軍事占領を強行したのが1982年4月2日だった。物欲では男より女が強いと言われるが、サッチャー首相が美しい顔を引きつらせて怒った。さっそく、大機動部隊を派遣し同島の奪還に全力を注ぐことになったのである。英国がフォークランドを失うことは、そこに埋蔵されている石油と、南極大陸に領有権を主張する足がかりをあきらめる、ということになる。一方、調停に当たっていたアメリカ合衆国はどういう訳か4月30日、英国支持を発表した。1947年に調印された米州相互援助条約を完全に無視した訳である。米国資本と地主の保守勢力に対立するペロン派が、アルゼンチンの政権を握っていたためとはいえ、国家間の条約の無意味さが痛感される。英国は4月26日、南ジョージャー島を奪回、5月20日、フォークランドに上陸、そしてついに6月14日、アルゼンチンは降伏となる。しかし、8月24日の新聞を見てびっくり、英国はあの時、見せしめのために、工業都市ゴルドバを核攻撃する予定だったと言う。もし、あの紛争で英国が不利だったなら、あるいは・・・。何となく身の毛がよだつ。何十万、いや何百万という罪なき人々が、大虐殺されるということを知っているのだろうか。話し合いがつかねばすぐ戦争、というのは高度な生き物のすることではないと思う。
2007年04月07日
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沖縄の雪について 昭和59年8月19日 琉球新報 声 沖縄では晩秋から冬にかけて色さまざまな菊の花が咲き乱れ、清らかな香りを漂わせる。昔、沖縄はこのころから木枯らしが吹き、霜が降りたようである。芭蕉布の短い着物をワラ縄の帯で締め、鍬を担いだ農民夫婦が肩を寄せ合い、霜を踏みながら田や畑への道を歩くさまが見えるような気がする。 冬が深まると時々アラレが降り、寒風の中で粉雪が舞ったりする。鉛色の厚い雲が空に広がり、太陽を何日も隠したりすると、静かに雪が降り続けたりしたかもしれない。松やガジュマルなどの枝葉に積もった雪は純白の花のように輝き、神秘的な美しさを放つ。 と言うと、沖縄の異常気象の予言を、でたらめにやっている、と誤解されるかもしれない。だが、これは過去において沖縄に見られたほんとの光景である。 勿論、太陽が照り付けると今日のように夏でも冬でも暑くなったと思う。次の古い琉歌から沖縄に昔、雪が降ったと断言できる。「木枯らしの風や菊の上に吹くな、すぎ去りし秋のかたみだいもん」「雪につめられて梅や匂ましゆい、つらさ思忘て節よまたね」「木草枯れはてる雪霜の降ても、ときわなる松やもとの姿」
2007年04月06日
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沖縄差別に思うこと 昭和59年7月28日 琉球新報 声人類は全て兄弟姉妹、国や肌色が異なってもその身分に上下の差があってはならない。男女同権にして人間は皆平等だ、と叫んでも利害関係の弱肉強食下にある人間社会を生き抜くということは、理想どおりには行かない。 そこには損得をかけての争い、ののしりあい、憎しみあいなどがあって無意識の人種差別や地域差別が出てくる。40をちょっと過ぎた今、小生は色黒く上品でない顔つきとなってしまったのであるが、本土に住んでいた若かりし頃は痩身で、背が高く色白く、今ほどはヤナカーギーではなかった。 しかし、それでいて、「おきなわか!」 という冷たい差別の言葉を投げられたのである。これは小生にとってうれしい事であった。沖縄本島では「離島出身か!」と差別された小生でも、本土では平等に「おきなわ人か」と沖縄内部の差別を統一してくださり、人権の格上げをされたからである。 しかし差別する人ではなく差別される人間でよかったと思っている。なぜならいつでも低い冷静な心でいられるからだ。沖縄の評判は今でも悪い。蔓延する悪質な青少年の非行、それが沖縄の印象を悪くしているようである。 そのことで「おきなわか」と言われても仕方がないのだが、やはり何となく悔しいのは私一人だけであろうか。
2007年04月06日
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地球人の未来が輝いた 昭和59年7月15日? 琉球新報 論壇 頭髪が薄くなり、ハゲかかるという現象をもって恐怖の老化の初期症状と判断し、絶望させることは罪であり、医師の誤診の元ともなる。はげと老化現象は関係ないと青年気分に浸っていた時、高1の息子が同情と哀れみの眼差しを露骨に現して言った。 「お父さんの頭、ハゲかかっている。おかわいそう。もう年だね」 その一言は鋭く私の胸を刺し、地球人なら必ず味わう惨めさを痛感したのである。しかし、いつまでも失望してはおれない。そこで考え直した。一つだけ老化しないものがあるではないか。それは精神年齢で、まだまだ若く、17、8歳の花の青春なのだ、と。この長男は、二男が丸坊主に徹し、武士道の厳格さのような性格を持っているのに対し、色白く、スラリとした痩身長躯で、たいへんなおしゃれ、それでいてデリケートな正義感を持っているために始末が悪い。その息子が中学時代のクラス会を土曜日の夜、浦添城跡公園でやるとのことで、会費2000円を請求してきた。私は内心穏やかではなかった。生徒たちの狂乱の酒宴の光景や、数珠つなぎとなって警官に補導されるさまが小さな視神経に宇宙的な広がりの映像となって投影されたのである。しかし、私は息子とそのクラスの生徒たちを信じることにした。浮世のチリや汚濁の中へ落としても、それに染まらぬ泥中のハスとなれるような教育と、それに対する親としての生き方をしてきたはずだ。私は、そうした自信に戸惑いながらも、ぎこちない笑顔で息子を送り出した。そして、その後を追ったのである。高台の公園広場で数十人の生徒たちが、芝生に輪となって座り、夕焼け空と頭上まで広がる濃紫の光彩の元で友情の美しい触れ合いを始めたところであった。私は良心の呵責に耐えながら、ハブの出そうな岩陰から頭を突き出して偵察した。もし、丸ハゲであったら夕日にきらめいて、すぐ、私の存在がばれただろうと思う。女生徒が10人、男生徒が5人でジュースとコーラ、菓子類、そしてビールがあった。私が高校、中学の頃は男子は弊衣破帽の荒々しさが男らしいとされ、女生徒と話をしたり、手を触れたりすると他の男生徒たちからいやしみの眼で見られたものである。しかし、目の前の光景は、何と解放的で伸び伸びとしていることか。甘美な時間と清純さが無垢の光芒を放ち、壮麗な星空に溶け込んでいく。そこには大人のイヤ味が全くなかった。生徒たちは一人一人立ち上がり、現在の状況を話し、将来の希望を告げる。その度に拍手が起こった。 「宇宙飛行士になる」とか「私は00のお嫁さんになる」などと言う生徒もおり、笑いの渦がどっと上がったりする。・・・そのうち、「ビールを飲もう」と一人の生徒が言い出した。生徒たちの目はビールにくぎ付けとなり、深い沈黙が続く。しばらくして、息子が遠慮がちに立ち上がった。「大人のまねは悪いと思う。ぼくには愛する父と母がいる。二人のためにも酒、タバコは成人するまで絶対やりたくない」沈黙が急に破れ、大拍手が起こった。私は救われたような思いがした。このグループが、大人たちの汚濁にいつまでも染まらないことを祈りたい。そして、私には地球人の未来がまぶしく輝いて写った。
2007年04月05日
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人間らしさ 昭和59年7月14日 琉球新報 声 最澄は酒は飲むなと言い、空海はいっぱいなら、許す、とした。このいっぱいは2百ccコップのいっぱいではなく、一本のササを酒に浸し、それを打ち振っての飛まつ集合である。厳しい戒律と禁欲主義に徹した二人が、タイムマシンで現代に来て人相悪きわれわれがドンちゃん騒ぎで酒を飲み、奇怪な声でカラオケを歌う、という狂乱じみた光景を見た場合、み間のしわをけいれんさせ、地獄へ落ちたと勘違いして卒倒するかもしれない。 二人の厳しさの残光を古代から照射されると酒が飲めなくなる。二人は命がけで唐へ渡り、密教を学んだ。尊敬しあう親友同士であった。 ところが、最澄のまな弟子、泰範が空海の下へ去ったため、二人は仲が悪くなってしまうのである。そこに人間的なものを感じ、酒がまた飲めるようになった。 その二人に対し、室町中期の一休宗純には人間臭さが強い。庶民とのつながりが広く、もし現代へ来たとするならともに酒を飲み、、お経がわりにカラオケに心酔すると思う。70歳を過ぎて若い美女と結婚となると、今でも人が犬に噛み付いた以上の大ニュースとなる。宗教の対立や禁欲主義を好まなかった一休和尚は、何と78歳で盲目の美女、森さんと再婚している。厳しさを超越した人間らしさだと思う。その一休に魅力を感じるのは酒が飲めるからではありません。
2007年04月04日
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禁煙とのたたかい 昭和59年7月1日 琉球新報 声 たばこは健康に悪く寿命を縮めるもので、百害あって一利なし、といわれても私のように、一日に3箱というヘビースモーカーには、たばこなしの人生は考えられなかった。20年間、体内に蓄積されて来たニコチンとのお別れは、恋女房に三下り半を投げ渡す以上の苦しみとなる。 健康上どうであり、禁煙による精神的苦痛、障害のほうがそれ以上の恐ろしいことで有害である、と勝手に考えていたのである。ところが子供たちが激しく抗議してきた。私の吐く息が、ヤニの強烈な臭気でもって、毒ガスのように部屋中まき散らされ、息苦しいとの事である。私はただちにわびて禁煙を誓った。 しかし、禁煙がこれほど苦痛であるとは夢にも思っていなかった。後悔しても後の祭り。地獄の苦しみとの戦いが始まったのである。精神は混乱し、たばこへの衝動が激しく錯綜し、気も狂わんばかりであった。 眼を閉じると薄い網膜に欲望のたばこが強大な映像となって投影される。理由もなく怒り、血が逆流、すべてが悪く思える。それをじっと我慢し耐えぬく苦しみは想像を絶する。10日間は半狂乱のような毎日だった。 それ以後になると苦しみが次第に消えていくのが感じられる。そして、2ヶ月過ぎた今、草木や土、自然の懐かしい香りがよみがえってきた。禁煙してよかったと思う。しかし、闘いはまだまだ続くはずだ。
2007年04月04日
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心と魂の浄化 昭和59年6月7日 琉球新報 論壇 私はある宗教の信仰者であるが、その唯一絶対性と教義に固執して、他を排除する者ではない。むしろ、いろいろな宗教の高度な教えに心を強く打たれるのである。 一切は悉有仏性を持つということを認め無常、無我の原理を高踏な修行を通して悟りつつ、禁欲に徹し、快楽を否定して自らの実践の道を歩んだ釈尊、神の愛の無限性と平等を説いたイエスキリスト、その古代に輝く教えの残光に照射された時、心から納得と感動に身が引き締まる思いがする。 しかし、あらゆる宗教が真理を説き、宗派の広がりを図りつつ、その正当性と唯一絶対性を主張し合うという対立の長い歴史を見つめた時、全人類の安全に対し、どれだけの効力があったのか、乱れ切った世界情勢を目の前にした時、疑問に思えるし、教祖あるいは創始者の信者の偏見に歪められた姿を見せ付けられるのである。 勿論、煩悩の闇の中を手探りで歩む者に灯を差向け、その心を希望へ導く信仰の尊さは素晴らしく思える。だが、数え切れないほど存在する宗教が、人類救済を唱える中で、なぜ世界が今日のような人類滅亡の危機に直面しているのか、またなぜ世界終末論や末法思想、預言者たちの絶望的な世の終わりという予言が人類の頭上に恐怖の黒雲となって渦巻いているのか、不思議でならない。 人類は果たして地球の異常という不吉な前兆に照応して、このまま滅亡への道を直進するのであろうか。またそれに対する神の意図は何か。それを変える最後の切り札は、人類に残されていないのか、と私は考えたりする。 神とは何か。私にとっては自然であり、秩序、森羅万象を司る根源のパワー、天理である。その一寸狂わぬ厳正な動きと相互作用、そして、無限の可能性を内に秘める絶対的根源としての広がり、外輪のない果てしないその勢力圏内に、すべてが包有され、実在の一つ一つが万能の理法の光を受けて自己主張に輝くという事実、その共通にして同一性の母体の中で、なぜ人間はそれぞれの神を作り上げ、他の神を排他して対立するのか。真理の根源に鈍感となり、それに盲目となる恐ろしさがそこに存在する。 生命体としての動きが始まってから内外の刺激に反応しつつ、経験を通し脳髄のひだに刻み込まれてきた知識、記憶情報などの、凝縮の枠内に閉じ込められ推論、判断、認知という小さなのぞき穴から未知なる無限性見つめ、勝手にその全てを手中にしたかのように、思い込んでいるのが、今の人間の姿ではなかろうか。 その枠内から抜け出て、内外の二つの本性が互いに見つめあい、微妙に照応しあった時、本性に強い粘着力をもってこびりついている、黒い汚濁を発見することが出来る。その重圧に息苦しく悶える全ての人間の悩みが、今の混乱した世界情勢を作り上げていると言える。 人間の本性に悪という汚濁が付着している限り、正しいと信じる働きは、時として災いの効力となってしまう。宗教の真の人類救済はこの悪に鋭いメスを入れることであり、心と魂の浄化ではなかったのかと思う。世界終末論、末法思想が黒い広がりで人類を包んでいるのは、その汚濁の絶望的あきらめからくる。 しかし私は、自然の冷酷と思える厳しさは、万物を生成せんとする温かさに根ざすものと信じる。人間が冷たい息と温かい息を吹き分けることが出来るように、自然の息は人間が心と魂の浄化に目覚め、その動きを始めたとき、温かい息吹に変わるはずである。
2007年04月03日
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茫漠無限な青春の痕跡 昭和59年5月31日 琉球新報 声 両手を下におき結跏趺坐(けっかふざ)する奈良の大仏、通称・本尊盧舎那大仏(ほんぞんるしゃなだいぶつ)を見上げるのは20年ぶりであった。西暦749年、8度の鋳造を経て完成し、753年、開眼供養が行われた大仏は世界最大の鋳造仏像で高さ16・2メートルである。 仏像には不思議な力がある。その神秘的な表情の前に立つと、異次元の空間にその身体と頭光部、身光部がまぶしく光り輝くようであり、俗世界にあって、悩みと汚濁にあえぐ己を忘れ、陶酔の無限の広がりへ吸い込まれていくような錯覚に陥る。 松や杉、ヒノキの古木は虚空に高々と伸び、厳粛な静けさの中にあって古い神社仏閣、仏像は20年前と変わらず、古代文化の栄華を誇っている。 その奈良で労務などをやりながら学生生活を続けていたのであるが、気がついたとき、いつの間にか卒業していた。悔いが残るような、間然とした茫漠無限の中へ、放り込まれたような寂しさが青春の痕跡として、古木の幹の一つ一つに、強く刻み込まれているようで懐かしさでいっぱいであった。 苦しみに耐えかねて大学を中退する決意をしていた時、心をふるい立たせたのが大仏の神秘性であった。煩悩を鎮め真理の中に趺坐(ふざ)する巨大な如来像は、暗闇の中に突然現れた生命の強い光であった。
2007年04月03日
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かかあ天下・万歳 昭和59年5月24日 琉球新報 声 男がいかに男らしさの全ての条件を備え持ち、空気を小刻みに微動させる威厳の中で亭主関白を誇示したところで、人類存続という偉大な功績の前には、全女性に対し頭を下げざるを得ない。 しかも、男の全てが女から生まれた、という事実を否定することは出来ず、その始原が男の責任にあったとしても、産み落とす苦しみと育て上げるという大事業の中では、男の人類創造に対する働きの痕跡は無に等しい。 そういう偉大な女性が、なぜこれまで男尊女卑という差別の中にあったのか、男として罪悪を感じ "ソーキ骨(あばら骨)たらーん" 男のわがままと横暴さを痛感させられる。と言うと亭主関白族をはじめ、女房の尻の重みに断末魔の悲鳴を上げるあらゆる男たちの、抗議と反発の渦が宇宙的広がりとなって打ち寄せてくるかもしれない。 しかし、私は女尊男卑を主張しているのではない。子供の数に比例して、尻の重みを増していく女房様をほめたたえているのである。また、男として女房の尻に敷かれることなど痛くもかゆくもない。 一つの星が果てしない宇宙のほんの一点であるように、私の無限の広がりの心に、女房は宝石のごとく輝き浮かぶ地球のような存在である。男たる者、地球を包有する宇宙の無限性を宿し持つ事だと思う。そして、私は女房に言う、かかあ天下万歳と。
2007年04月02日
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非行化は大人の醜さの投影 昭和59年5月4日 琉球新報 声 最近の子供たちは口だけは達者であるが、弱々しく、なっとらん、と大人たちは言いたがる。しかし、おかしなことに、そのような言葉は原始人たちも言っていたことが、考古学の分野から知られているのである(洞窟の岩肌に刻まれた象形文字から)。いつの時代においても大人たちは己の狭い視野で勝手に子供たちを "なっとらん" と決めつけてしまうもので、伸びようとする幼い芽に平気で傷つけるのである。 しかし、そういった大人たちの無責任な言葉や、冷たい目を無視するかのように現代っ子は、鋭い頭脳と高度な科学知識、想像力のたくましさで、これまでの子供たちとはどこか異質の世界を築き上げしまっている。 非行化が大きな社会問題となっているが、それをもって子供全体をそういう眼で見るということ自体、大人の子供軽視と言わざるを得ないエゴを感じるのである。非行少年は大人たちの醜さの投影だと思う。 むしろ、大人たちは子供たちから軽視され、非難されるにふさわしい、ということを知るべきだと思う。 新報ホールで琉舞のちびっ子大会を見たことがある。大勢の子供たちの伸び伸びとした踊りを見ると、汚染されていない清流の威勢のいい動きを見るようで、このままの清らかさで大人になってほしい、と祈りたくなる。 現代っ子が大人たちにかけている何かを持っていることは確かであり、大人がそれを何であるかを知るのは不可能かもしれない。
2007年04月02日
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憲法記念日に思う 昭和59年5月3日 琉球新報 声 酒は泡盛、花ならデイゴ、真紅のデイゴの影で琉球新報を読みつつ泡盛を静かに飲む。憲法記念日は余裕と知性あふれる男らしさを発揮させ、ゆっくりとくつろぎたいものである。 しかし、現実は厳しく、昔はいとしかった女房様は稼ぎが足らん、と声を張り上げ、仕事へ追い立てる。戦後女が強くなったわけは、初めて婦人参政権が認められ、1946年、憲法改正案が可決されたからだと思う。 したがって、新憲法は男尊女卑の長年の恨みとうっぷんを晴ら核爆弾のようなものであり、さらに改正されれば男にとってはこの世の最大の恐怖、地獄となる女尊男卑が実現するかもしれないのだ。 そういう意味からも憲法改正絶対反対と叫びたい。しかし、昔は美人だった女房は憲法をよく理解している。その3大義務は納税、勤労、教育となっており憲法記念日の祭日にも、仕事へ追い立てる立派な理由が厳然と光り輝いているのである。 妻がいるということは、0歳から150歳に到る世界中の25億人の全ての女性を諦めることでもある。したがって自由と幸運の女神の、魅力あるウインクをも諦めねばならない男の惨めさを痛感するのでありますが、日本が憲法の御蔭で平和であることを思えばありがたいことです。 さらに申し上げれば、ポツッダム宣言の趣旨に基づき戦争放棄、封建制度の一掃を原則とする平和憲法樹立の基礎を作った米国には感謝したい。だが、皮肉にもその米国が軍備増強を日本に強要している矛盾には納得がいかないのである。 太った女房の尻にしかれつつも働き続けることが出来、琉球新報の声の欄を読める平和がいつまでも続くことを願い続ける。
2007年04月01日
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息子の質問にたじたじ 昭和59年2月16日 琉球新報 声 子供が成長するに従い、その質問もだんだん難しくなってくる。「神様はほんとにいるのですか」 と中3の息子から尋ねられ、うかつにも 「神様はいる」 と答えてしまった。 「では、どうして人間が悪いことをしようとするとき、神様はとめないのですか」と来た。 なるほどそれもそうだ。と回転の鈍い頭脳を悩ませるはめに陥ったのであるが、名回答が出ない。 宗教上の対立で戦争が今なお続いている。戦争して人を殺せ、という神はいないはずである。何ゆえその時、神様は戦争をやるなと言わないのか、息子の言う事にも一理ある。 そこで苦し紛れに、「神様はガミガミ言わないことにしているからカミ様という、ガミ様では品が落ちる」 と言った。たちまち息子の目つきが軽蔑に変わってしまったのである。そこで汚名挽回のために付け加えた。 「空気とか風、暑さ寒さ、そして心、愛というのは目に見えないが存在する。暑さ寒さは肌で感じるものだが、神様の言葉は良心で聞くものだ。自然界の一切が神であり、神の声である。神の声に従うか、あるいは逆らうかはその人の心一つにかかる。心の自由は人間の特権だが、その使い方による結果は神が与える」 息子はようやく納得した。しかし、次はどういう質問が来るのか、恐怖を感じる
2007年04月01日
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