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木村武雄伝承会発会式2025年5月25日日曜日に山形県米沢市では「木村武雄伝承会」発足式が行われました。木村武雄って誰?というくらい、米沢市民にも忘れられています。元衆議院議員でもあり、文筆家でもあり、書道家でもあった明治生まれの気骨のある政治家として名を残されています。特に戦前戦中戦後と中国や東アジアとの関わりが深く、本人自体は石原莞爾と共に「東亜連盟」を組織し、戦後はパージにあって衆議院議員にも立候補できない期間もありました。東亜連盟は今でこそ有名無実名存在ではありますが、当時は後の社会党委員長となる佐々木こうぞう氏や柔道家の牛島辰熊氏など日本だけでも10万人の組織だったといいます。東アジア各国の独立運動や解放にも影響を与えたといいいます。木村政治には「権力を作り、権力を倒す」という政治信条があり、日中国交正常化を実現するためには佐藤内閣に見切りをつけて、田中角栄を総理の座に。また、木村武雄は名誉よりも実利を執ることを重視し、表舞台には上がらずプロデューサー的な目立たない存在であったといいます。ただ一度だけ日中国交時には、右翼対策のために国家公安委員長に就任し、(同時に建設大臣にも就任するなど)日中国交に万全を尽くしました。小選挙区制になってからは党公認の候補者が多くなり、国民のための政治を行う人が少なくなっているといいます。官僚や役所の手先が政治家の本来の姿ではないという、強い信念の木村武雄の意思や政治観を知っている人がいるうちに、その意思や東亜連盟などの構想を学ぶ機会を作ろうと立ち上がった人たちで「木村武雄伝承会」を作りました。6月23日月曜日には山形放送テレビに木村武雄伝承会を紹介しながら木村武雄の偉業が紹介されます。「YBC ニュース・エブリィー」(夕方 6時15分から7時)『戦争の語り部』 木村武雄にスポットを当てた特集を放映予定「木村武雄伝承会」が米沢市で発足、会長に野村研三氏https://www.yonezawa-np.jp/html/newsmovie/2025_1H/20250529mov1.html木村武雄の功績、後世に・米沢出身の政治家「伝承会」発会式https://yonezawakojokan.info/2025/05/29/t9kimura-2/石原莞爾の遺徳しのぶ・初の「分骨記念碑」顕彰祭https://yonezawakojokan.info/2024/10/30/t9kimura-s39nomura/木村武雄伝承会が設立、石原莞爾分骨記念碑で顕彰祭https://www.yonezawa-np.jp/html/newsmovie/2024_2H/20241028mov1.html2025年6月19日木曜日 祖父 井上長吉の命日に書く。
2025年06月19日
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今日6月6日は「ほんの木」の創立記念日。40周年になりました。ほんの木通販サイト「自然なくらし」創業者のひとりである柴田敬三氏は、小学館で数々のヒット作を放し、1986年に独立して出版社「ほんの木」を興す。現在の社長である髙橋利直氏も創業者のひとりである。小学館時代からミュージシャンとの関係が深かった柴田氏。創業記念にと人気絶頂のA嬢から写真集の企画を受ける。これが大ヒット。次に日本の政治や儒教的な社会に風穴をあける雑誌「アップデート」を発行した。1988年、当時では先進的な雑誌として注目を集めた。その後も数々の政治経済、メディア、教育、市民運動などの先端を走る者たちの単行本を出版する。親友、岡田正嗣氏らと企画会社「パン・クリエ-ティブ」を設立。他にもミュージシャンたちのマネージメントなどにも乗り出す。1991年にはこの岡田氏が山形県米沢市にバードアルカディア計画なるゴルフ場開発を基盤にした“日本版シリコンバレー・・ソフトウェア中心よる新工業団地を企画〃したことで、私は岡田氏の紹介でほんの木柴田氏と高橋氏と出会うのだった。1992年には通販事業「自然なくらし」を開始し、翌年には薬湯「芳泉」を発売し、これが大ヒット。ほんの木の屋台骨となる。同時に柴田氏は当時の「政治改革」にも市民運動の立場から地方自治や国政に首長や議員候補を送り出す。また、産直会社らでいしゅぼーや生活クラブなどにも顧問的立場となる。私たちは、阪神淡路大震災時に衆議院議員高見裕一氏らの要請で災害ボランティア「ボランティア山形」の結成。これにもほんの木は大きく関わっていた。各方面に活躍を拡げていったほんの木も、柴田氏が物故されてからは教育方面と通販に特化していく。「社会運動」や地味ながらも確りと社会を築くために働いている人たちの著書を出版している。柴田氏は生前私に「歌や音楽で世界を変えることを真剣に考えていたこともあったんですよ」と照れながらも、真剣な眼差して言われたことがあった。柴田氏の原点だったかも知れない。ほんの木はかけがえのない大切な教師的存在として私は支えていただいている。さあ、次は45周年を目指して一緒に歩んで行きましょう。(2025年6月9日記)
2025年06月09日
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