フリーページ
創業者のひとりである柴田敬三氏は、小学館で数々のヒット作を放し、1986年に独立して出版社「ほんの木」を興す。現在の社長である髙橋利直氏も創業者のひとりである。
小学館時代からミュージシャンとの関係が深かった柴田氏。
創業記念にと人気絶頂のA嬢から写真集の企画を受ける。これが大ヒット。
次に日本の政治や儒教的な社会に風穴をあける雑誌「アップデート」を発行した。1988年、当時では先進的な雑誌として注目を集めた。その後も数々の政治経済、メディア、教育、市民運動などの先端を走る者たちの単行本を出版する。
親友、岡田正嗣氏らと企画会社「パン・クリエ-ティブ」を設立。他にもミュージシャンたちのマネージメントなどにも乗り出す。
1991年にはこの岡田氏が山形県米沢市にバードアルカディア計画なるゴルフ場開発を基盤にした“日本版シリコンバレー・・ソフトウェア中心よる新工業団地を企画〃したことで、私は岡田氏の紹介でほんの木柴田氏と高橋氏と出会うのだった。
1992年には通販事業「自然なくらし」を開始し、翌年には薬湯「芳泉」を発売し、これが大ヒット。ほんの木の屋台骨となる。
同時に柴田氏は当時の「政治改革」にも市民運動の立場から地方自治や国政に首長や議員候補を送り出す。また、産直会社らでいしゅぼーや生活クラブなどにも顧問的立場となる。
私たちは、阪神淡路大震災時に衆議院議員高見裕一氏らの要請で災害ボランティア「ボランティア山形」の結成。これにもほんの木は大きく関わっていた。
各方面に活躍を拡げていったほんの木も、柴田氏が物故されてからは教育方面と通販に特化していく。「社会運動」や地味ながらも確りと社会を築くために働いている人たちの著書を出版している。柴田氏は生前私に「歌や音楽で世界を変えることを真剣に考えていたこともあったんですよ」と照れながらも、真剣な眼差して言われたことがあった。柴田氏の原点だったかも知れない。
ほんの木はかけがえのない大切な教師的存在として私は支えていただいている。
さあ、次は45周年を目指して一緒に歩んで行きましょう。(2025年6月9日記)
世田谷区長 保坂展人氏 ながめやまバイ… 2023年11月08日
清酒錦爛きんらん 2020年06月26日
東日本大震災の災害ボランティアに応援を! 2011年03月23日
PR
キーワードサーチ
コメント新着