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鉄腕アトムの歌が聞こえる 〜手塚治虫とその時代〜【電子書籍】[ 橋本一郎 ]<前回のエントリーから続く>橋本一郎氏が、『週刊少年キング』の新連載を手塚治虫に依頼すべくプロダクション通いを始めてふた月。相変わらず手塚本人に直談判はできずにいたが、年の瀬も押し迫ったころにスケジュール表をのぞくと、「今日は月刊誌が6時まで。それから色紙、新宿へお出かけ。明日は早朝から万博の仕事で大阪」と書かれていた。橋本氏が目をつけたのは「新宿へお出かけ」のフレーズ。さっそくマネージャーに探りを入れると、新宿というのはコボタンという漫画マニアの集まる喫茶店。しかも、明日はどこの締め切りもないので、編集者がくっついてくることはないという話だった。「よし、この絶好のチャンスに勝負をかけてやると、私は気持ちが一気に沸騰しました」(橋本一郎氏『鉄腕アトムの歌が聞こえる』)橋本氏は、新連作に向けて手塚の気持ちを「のせる」べく、どんな話から入り、どうやって新連載の依頼までもっていくか、しっかり事前に戦略を練っている。早めに喫茶コボタンに到着し、ミステリーなど読みながら手塚治虫を待つ。9時すぎに手塚、登場。「自信に満ちた大股で手塚が現れると、不思議なまぶしさがあり、店内にいた7、8人の客に、『あっ、先生だっ』とどよめきが走りました」。(前掲書)コボタンでの予定された仕事を終えたころ、「あれ、橋本氏も来てたんですか」と気づく手塚。「はい、先生をお待ちしておりました」。そこで橋本氏が始めたのは、意外にも「クローン技術」の話から。ちょうど、イギリスでクローン羊が生まれたという話題が世界を席巻していたらしい。手塚治虫もリラックスした様子で、すぐに話にのってくる。このあたりの二人の会話は非常に知性的でおもしろい。そこから橋本氏は永井豪の『ハレンチ学園』の話題を持ち出し、新連載の青写真を手塚に提示していく。漫画の可能性にあくなき挑戦を続ける手塚治虫がいかにも興味をそそられるようなアオリを、ちゃんと会話の端々に散りばめて。詳細は『鉄腕アトムの歌が聞こえる』を読みましょう。一読の価値は間違いなくある名著だ。「分かりました。タイトルが決まったら連絡します」。天真爛漫な笑顔で手塚が答え、マネージャーからタイトルが『アポロの歌』に決まったと橋本氏に連絡があったのは、その2週間後だった。偶然なのか、あえてかぶせたのかは分からないが、『アポロの歌』はオリジナルの漫画版もテレビドラマ版も、大阪万博開催の年にスタートしたことになる。1970年の日本と2025年の日本。ずいぶんと変わった。人間の一生にたとえれば、あの頃はもがきながらも未来を見据えるエネルギーが渦巻く青年期。今は、なんとか滅びまいとあがいている老衰期だ。さて、1970年に話を戻すと、2ヶ月に及ぶ「粘り」ののち、新連載を勝ち取った橋本氏が、他の手塚番の編集者たちに「新連載が始まりますが、よろしくお願いいたします」とあいさつすると、「こちらこそお手柔らかに」といった答えが返ってきた。だが、「内心は、『クソッ、それでなくても多忙きわまりないところに、週刊の連載など突っ込みやがって』と煮えくり返り、ワラ人形に釘を打ち込みたい心境だったに違いありません」。(前掲書)手塚治虫の筆による、新連載への意気込みが『週刊少年キング』に載ったのは1970年4月19日号。「万博開会式の感激をかみしめながら、新連載のタイトルを『アポロの歌』と決めました」で始まるこの文章も名文だ。橋本氏の目論見どおり、「まんがの世界にまったく新しい分野を切り拓いていこうと、大いに意欲を燃やしています」と手塚自身もノリノリになっている。『鉄腕アトムの歌が聞こえる』を読んで思うのは、優れた作品の裏には、必ず優れた仕掛け人の編集者がいるということだ。これは手塚治虫に限らず、巨匠と呼ばれる漫画家の名作のほぼすべてに言えるのではなかろうか。
2025.02.27
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【中古】 鉄腕アトムの歌が聞こえる 手塚治虫とその時代/橋本一郎(著者)現在テレビ放映中のドラマ『アポロの歌』。1970年に『週刊少年キング』で連載がスタートした手塚治虫作品だが、この漫画の「仕掛け人」は橋本一郎氏。『鉄腕アトムの歌が聞こえる』『手塚治虫99の言葉』の著者であり、現在はYou TUBEでの配信もされている。ドラマ版の脚本・監督は1991年生まれの二宮健氏。「『アポロの歌』は、自分の礎を築いた手塚治虫先生の作品の中でも、特に心を揺さぶられた一作」なのだという。1790年発表の漫画を1991年生まれの映画人がドラマ化する。才能ある表現者に手塚作品が与える、時を超えた影響の大きさを改めて実感するエピソードだ。さて、その『アポロの歌』だが、『鉄腕アトムの歌が聞こえる』には、この隠れた名作を世に送り出すまでに編集者・橋本一郎がどれほどの忍耐と情熱をもって臨んだかが、余すところなく描かれている。当時、永井豪の『ハレンチ学園』が一世を風靡すると同時に、大人たちから激しい攻撃を受けていた。そんな時代背景のなか、『少年キング』の編集部にデスクとして迎えられていた橋本氏は、少年週刊誌としては後発組で発行部数も振るわなかった『少年キング』の知名度を押し上げるため、とびきりのビッグネーム・手塚治虫を起用し、『ハレンチ学園』路線の漫画を描かせたいと思いつく。「手塚が描けば、かつてないアッパーな切り口の作品になるに違いない。手塚にとっては初めてのジャンルだからリスクもあるが、思い切ってチャレンジしたい」と、編集会議で強く推したのだ。会議では反対意見は出ずに、橋本氏は手塚治虫に原稿依頼に向かうが、そこから実際に連載が始まるまでは大変な困難が待ち受けていた。橋本氏は、「手塚について書かれた本を見ると、すべてといっていいほど、『頼まれた原稿は絶対に断らなかった』とあります。だが、現実はまったく違っていました。何よりもまず、いかに原稿を頼むかが、きわめて大変でした」と書いている。執筆依頼をしたくても、手塚本人に会うのが大変なのだ。手塚身辺には、原稿待ちで殺気立った編集者が幾重にも「無言のバリアー」を張り巡らせて、新参者を入れまいと常に待機している。マネージャーに新連載の話をもちかけても、「××誌、●●誌に加えて、◆◆の仕事や、□□の企画が入っていて」「アシスタント7~8人が3班に分かれて8時間3交替体制を取っているけど、それでも毎日が修羅場で」「これ以上、手塚に無理をさせるわけにはいかなくて」と、困り果てた顔をされる。この「手塚治虫本人に会わせない」作戦で、仕事を頼めないでいた経験をもつ編集者には、ジブリの代表の鈴木敏夫氏もいる。彼は『アニメージュ』時代に、手塚治虫に原稿を依頼しようとして、マネージャーに手ひどくブロックされた苦い経験があり、のちに手塚治虫本人に、「どうしてあんな酷い人をマネージャーにしているのですか」と聞いたところ、「それでいいんです。(あとで文句を言われても)『どうしてボクに直接頼まなかったんですか?』って言えるでしょう」と返されたという。手塚治虫の「愛想のいい安請け合い」を本気にして締め切りを守ってもらえず、悲惨な目に遭った関係者は枚挙にいとまがない。本人に直接、簡単に頼めたら、スケジュールはパンクを通り超えてたちまち破綻してしまうだろう。それで原稿を落としまくったら、いくら才能があっても信頼は地に落ち、漫画家生命は断たれてしまう。頼まれると断れない手塚治虫の性格を見越して、マネージャーや手塚番の編集者が、新しい依頼者を手塚に近づけないようにしていたのだ。そして、手塚治虫本人もそれはちゃんと分かっていた。鈴木敏夫氏は手塚の返しを聞いて、手塚治虫が競争の激しい少年漫画界で長年「生き残って」これたのは、(純粋な漫画の才能以外の)さまざまな「戦略」があったことを理解したのだという。この現実を無視して、「手塚治虫は来る仕事をまったく断らなかったから、いつも締め切りに遅れていたのだ」という偽のストーリーが流布されている。実際には、手塚治虫に仕事を引き受けてもらうには大変な忍耐と根性と、時にはそのための戦略が必要であって、それをクリアすれば手塚は絶対に仕事を断らなかった、が正解なのだ。橋本一郎氏が、新連載を依頼すべく、手塚のもとを訪ねたのは1969年の秋。行くたびに、原稿待ちの手塚番編集者から「また来たのか」と露骨に嫌な顔をされた。だが、すでに過去に手塚治虫と仕事をして、状況を知っていた橋本氏はまったくメゲずに、業界の噂話や新人漫画家の話などをして彼らと溶け込むよう努力したという。橋本氏の努力が実ったのは、通いはじめてふた月が過ぎたころ。手塚治虫本人と直接話せるチャンスがあるという情報をつかむのだ。<続きは次回のエントリーにて>
2025.02.23
2025年1月31日のNHKで、1986年制作の『手塚治虫 創作の秘密』がオンエアされた。この番組はすでに何度か見ているし、You TUBEでも一部が見られる。とはいえ、改めて全編を見ての感想は、超人的なスケジュールをこなす(というか追いまくられる)天才・手塚治虫の日々はしっかりと伝わってくる。が、肝心の「創作の秘密」に関しては、個人的には少し不満があるのだ。これは初見だった1986年にすでに感じていたことなのだが、鈴木光明氏、うしおそうじ氏、永島慎二氏など、実際に「漫画の神様」の仕事ぶりを目の当たりにした、そして驚倒したプロの漫画家たちの証言を思い浮かべると、本当に追い詰められて執筆する手塚治虫の神業ぶりは、「あんなもんじゃないでしょ」と今もやはり思うのだ。この印象を補完するような作品も発表されている。『ブラック・ジャック創作秘話』だ。そこには原稿に食らいつくようにして執筆する手塚治虫のナマの姿が証言をもとに漫画化されているが、あちらのほうが実像に近いのではないかと想像している。テレビ撮影ということで、やはり手塚治虫自身、「撮られている」ということを意識している、ように見える。そして元来のサービス精神を発揮し、「まるで牛若丸のように(うしおそうじの表現)」原稿のあちこちに順不同でペンを入れたり、原稿を回してさまざまな方向からペン入れをするハナレワザの一端は見せてくれている。だが、本当のカミワザの真髄は、見せることを意識した映像には残せなかったのではないかと、そんなふうに思わざるをえない。実際に手塚治虫の神業を見た人たちに、この番組の制作映像の印象を聞いてみたいのだが、残念ながらその多くはすでに鬼籍に入っている。別の論点になるが、この番組が繰り返し再放送されることの意義と醍醐味は、呼ばれるゲストのトークにあると思った。前回、この番組の一部を見て感想を述べていたのは、浦沢直樹。神様の手首の使い方に着目したり、「(ひと仕事終わったと言いながら)『明日の朝までに32ページ(の仕事がある)」』って、あれはありえない(常人では、それだけで到底無理だという意味)」と、神様の短いコメントから、天才の仕事の速さを素早く感じ取ったりと、漫画を描くプロならではの視点が実に面白かった。今回は中田敦彦氏がゲスト。それを迎えるのが池上彰氏。高学歴の二人が「テレビを見ながらって、(ふつう)集中できないですよね」と同じことを言っているのが、あまりにありがちな感想で笑ってしまった。ながら作業はダメだと知っている、さすが高偏差値の優秀なる社会人。お二人の意見は「普通は」正しい。ただし、手塚治虫脳は普通レベルの優秀脳を超えているのだ。鈴木光明氏は、紙に漫画を描きながら、アシスタントにコマ割りを口頭で指示する手塚治虫の姿をみて驚愕している。普通、できませんよ、そんなこと。なんというか、脳の中に部屋がいくつもあって別々の作業を同時にできる…みたいな?また、外国から電話で、「XX(作品のタイトル)のXXページのXXを」と新作の背景を指定する、信じられない神業を目撃した人間もいる。なんというか、脳内にカメラがあって、パッシャパッシャっと撮った記録映像を必要に応じて引き出せる…みたいな?こんなことができる人間、手塚治虫以外にいるんですか? 世界中さがしてほかに一人でも?大いに共感し、「おお、同志よ!」と声に出したくなったのは、中田敦彦氏の「自分史上ナンバーワン漫画は『火の鳥 鳳凰編』。子供のころ読んで、一人の作家が描いたとは思えない、人智を超えた存在の描いた作品だと思った」「あれ以来、いろいろな漫画を読んだが、これを超える作品はない」というようなことを述べていたが、まったく同意。「今の自分は我王だろうか、茜丸だろうかといつも問いかけている」という中田敦彦氏には胸揺さぶられた。同時に、手塚治虫が読者の人生観に与える影響の大きさをまたも目撃したと思った。中田氏がYou TUBEで多くの人を、その知識と教養で魅了しているのも、こうした「精神の姿勢」の賜物なのだろう。『火の鳥』を読んだことがなくて、その人が大人なら、Mizumizuはまずは『鳳凰編』を読むことを勧める。これを読んで感性に引っ掛からないなら、おそらくその人は『火の鳥』向きの読者ではない。誰だったか忘れてしまったが、「演出家が『鳳凰編』をやりたがる気持ちはよく分かる。人間の業が深く描かれているから」というようなコメントを聞いたことがある。MizumizuはNHKの大河ドラマでやってくれないかな、と思っている。というのは、純粋な精神が悪に染まり、邪悪が聖へと昇華する人間の精神の計り知れなさを描いた大河ドラマをMizumizuは過去に一度見た気がするからだ。それは『草燃える』。茜丸=北条義時、我王=伊東祐之(このキャラクターはドラマオリジナル)。松平健と滝田栄の演技も素晴らしかった。Mizumizuは大河好きだったという手塚治虫が『草燃える』の影響を受けたのかと思っていたが、『鳳凰編』のほうが10年も発表が早かった。失礼しました。『火の鳥』を読んだのが遅かったので勘違いした。もしかすると、脚本家の中島丈博氏は『鳳凰編』を読んだのかもしれない。純朴だった義時青年が政治闘争を勝ち抜くうちに人格が変わり、澄み切った無欲な瞳を持つに至った琵琶法師の目を潰す流れは、茜丸の変遷そっくりなのだ。しかも、ドラマオリジナルの重要な女性キャラクター(架空の人物)の名前が「茜」だった。うう〜む。これは…話を番組に戻そう。中田氏をゲストとして迎えた池上彰氏は、いかにもジャーナリストらしく『アドルフに告ぐ』の先見性を挙げていた。今まさに私たちが見ているガザでの惨状。イスラエルとパレスチナの終わらぬ殺し合いを手塚治虫はすでに1980年代に描いている。最近、改めて読み直してみたが、ラストのイスラエルとパレスチナの対立は、「今」を見ているようだ。情報の可視化が1980年代より飛躍的に進んだ「今」だからこそ、読者により深く突き刺さってくるものがある。この作品を世界中の人たちに読んでほしい。けれども、紛争の当事者たちは決して評価しないだろうな。その理由は…書かないでおこう。
2025.02.01
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