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2009.04.22
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1月30日のエントリー

父方から神聖ローマ帝国皇帝の、母方からノルマン・シチリア王朝の血を引き継ぎ、多くのイスラム教徒が官僚として仕えていた王宮に育ち、自身9ヵ国語を操り、聖地エルサレムを交渉によって――一時的とはいえ――その手中に収めさえした フェデリコ2世 (1194-1250)。

中世のヨーロッパ社会では絶対的な権威をもっていた教皇と真っ向から対立する一方で、そのたぐいまれな知性と教養でヨーロッパ・イスラム両文化圏の知識人を驚嘆させた、真にコスモポリタンな皇帝。後の歴史家は政治家フェデリコ2世の合理的精神に瞠目し、「玉座に座った最初の近代人」と評した。

フェデリコ2世を「世界の驚異」たらしめたものは何だろう? 血筋、教育、つまりは彼が生まれ育った環境… こうした天才が出るためには、何よりも相応の環境が必要なのだ。

フェデリコ2世がこの世に生を受けたのが1194年。そのちょうど20年前に、パレルモにほど近い モンレアーレ に建設された大聖堂は、「世界の驚異」を世に送り出したノルマン・シチリア王国の当時の文化的特異性をあますところなく披露する。

中世建築の傑作と呼ばれるモンレアーレ大聖堂。
モンレアーレ1


モンレアーレ

もちろん威風堂々と参拝者(今では大半が観光客だが)を圧するのは、キリスト像だ。
モンレアーレ

ドゥーモ内部は、まごうことなき、完全なキリスト教世界。ところが、教会付属の中庭に出ると、そこはいきなりイスラムの世界に変わる。

雪のキオストロ1
「雪のキオストロ」と呼ばれる回廊をめぐらした中庭。

細い円柱が涼やかさを誘う。柱には、エレガントなモザイク装飾が細かく施されている。

雪のキオストロ4

この回廊で息を呑むのは、南国の日差しを浴びた中庭の明るさと、それゆえに際立つ回廊の陰の空間の対比の鮮やかさだ。

雪のキオストロ5

そして、200本以上の円柱の作り出す「あやかしの空間」。
雪のキオストロ2

特段複雑な作りの回廊ではないのに、林立する華奢な柱の区切る無数の空間を見ていると、迷路に入り込んだような錯覚に捉われる。

雪のキオストロ3

こうした美意識はまぎれもなくイスラムのもの。眩暈がしそうなくらいに美しい。類似のイスラム風回廊はアマルフィにもある(通称「 天国のキオストロ 」)が、芸術性の高さでは、アマルフィの「天国」はモンレアーレの「雪」には到底及ばない。

何より、アマルフィにはモザイク装飾がない。

日本では長い間、ヨーロッパ中世を「暗黒の時代」だと教科書で教えていたらしい。今でも、近代の始まりとされる――一見――華やかなイタリア・ルネサンス時代に対し、教会支配の強かったヨーロッパ中世を否定的にとらえる日本人は多い。中世という語の響きには、魔女裁判のような迷信やペストに代表される疫病の流行といった暗いイメージがある。



ヨーロッパで中世史の研究が進むにつれ、イタリア・ルネサンスに始まると考えられていた古典文化の復興活動が、実は中世にすでに見られることが明らかになってきた。その代表例がパレルモを中心に興った「12世紀ルネサンス」であり、こうした時代に生まれてきたのが、「世界の驚異」フェデリコ2世なのだ。

逆に中世を特徴づけると思われていた魔女裁判などの非理性的な迫害や都市の人口が激減するような疫病の突発的な流行は、中世以降もヨーロッパでは長く繰り返されたことが指摘されている。

そして、キリスト教徒とイスラム教徒のケンカは根深く、今に至るまで対立と衝突はやむことがない。

モンレアーレの真にキリスト教的なドゥーモ、そして純イスラム風の教会付属の中庭の回廊を見ると、2つの文化のもつ、相容れない美意識の違いが明確に知覚できる。

だが、その相容れない強大かつ強力な文化が、ほんのほととき、この南の島にかつてあった強大な国家の王の庇護のもとで共存し、共栄した証拠を、人々はモンレアーレの大聖堂に見るだろう。



宗教の対立が再び人類共通の大きな問題になってきた今の時代だからこそ、この建築、この人物が、新たな意味をもつように思う。












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最終更新日  2009.04.23 04:44:19


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