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こちらは、天保年間に荒廃した青木村を再建した二宮尊徳の偉業を讃えて、明治31年にゆかりの地に村民たちが建立した碑です。場所は、青木堰から少し南に下ったところで、JR水戸線の踏切を越え、北関東自動車道の高架橋の下あたりになります。桜川市教育委員会の説明板がありました。立派な石碑ですね。「報徳先生之碑」とありました。考えてみると二宮金次郎というのは、単に堰をつくる技術を教えたのではなく、分度と呼ばれる生活思想みたいなものも含めて、江戸時代の疲弊した農村を復興しようとしたのですね。このあたり、自民党農林族のトップに立つ小泉新次郎議員にもよく勉強してもらって、このような施策で日本の農業や地方を立て直していただきたいです。さて、茨城県下には二宮金次郎の指導を受けて、農村の立て直し、藩の立て直しを行ったところは次の10カ所にも及ぶそうです。1 青木村(現真壁郡桜川市) 2 下高田村・高田村(下館市) 3 本郷村・堤上村(西茨城郡、岩瀬町) 4 谷田部藩(筑波郡谷田部町) 5 門井村・辻村(真壁郡協和村)他7か村 6 下館藩(下館市周辺の村々) 7 江戸崎村(稲敷郡江戸崎町) 8 大生郷村(水海道市) 9 中根村等5か村10 花田村(真壁郡関城町)【了】人気ブログランキングへ二宮金次郎の足跡(その2)
Feb 28, 2017
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81年前二・二六事件があった2月26日、東京マラソンが開催されました。今年からコースも新しくなり、江東区・墨田区を走るようになりました。ということで、MoMo太郎も沿道で観戦しました。オフィシャルカーはBMWでした。先導する白バイ、相当なテクニックが必要ですね。最初はペースメーカーの皆さん、快走ですね。優勝したウィルソン・キプサング選手ですね。早すぎてブレてしまいました。こちらは途中まで日本人トップだった設楽悠太選手。今後、期待ですね。ガンバレ日本人選手。日本人トップになった井上大仁選手です。こちらは一般参加のみなさんです。人気ブログランキングへ東京マラソン
Feb 27, 2017
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茨城県桜川市青木地区にある「青木堰」です。この堰はこのあたりの田畑のかんがい用に建設されているものです。堰の近くには、このような立派な石碑が建立されていました。「二宮先生築堰之蹟」セキのセキとは韻を踏んでするのですかね。江戸時代後期、桜川にかかるこの青木堰が大破し、用水不足で130軒あった家数が39軒に減少たため。地元の名主・舘野勘右衛門らの要請により,二宮金次郎の独創的な方法(尊徳仕法)で堰の再建をしたことに由来します。二宮金次郎が用いた築堰方法は、まず萱屋(かやや)を川の上に造り,その屋根を切り落として流れの中に落とし,流れを止めて堰を築くという独特の工法です。工事は10日ほどで完了したそうです。それまでの工事に比べかなり短い期間,少ない費用で成功したことに,遠近の人々は驚嘆したとのことでした。このような工法を採用したのは、河底の砂が細砂で流れやすく、堰を乗せても流されるので、茅により細砂の動きを止めたのではないかと思われます。また茅葺き屋根というくらいですから、茅で水も漏れない堰になったのでしょう。石碑の裏には「昭和9年10月20日、青木一同建之」と彫られていました。83年前に建てられた石碑なのですね。昭和9年といえば、先ごろお亡くなりになった藤村俊二さんの生まれた年ですね。こちらの黒御影の石碑は、平成21年、このあたりに二宮金次郎の遺徳を偲んで奈良県の吉野にある山桜を植えたことの記念のようです。このころになると世間もお金持ちになり、こんな立派な石碑を建てることができたのでしょうか。「報徳不忘」、大切な言葉ですね。二宮先生の教えです。この言葉忘れずにいたいものですね。この青木堰と二宮金次郎のことをもっと知りたい人はこちらをご覧ください。→→→よみがえる金次郎『二宮尊徳』【つづく】人気ブログランキングへ二宮金次郎の足跡(その1)
Feb 26, 2017
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つくばみらい市に行った時、ちょっと立ち寄ってみたかったのが、ここ「ワープステーション江戸」です。ここは、時代劇のオープンセットが建ち並ぶ、国内でも有数の野外型ロケ施設ということで、2000年に「歴史公園ワープステーション江戸」の名称で、テーマパークとして茨城県と当時の伊奈町が出資した運営会社「株式会社メディアパークつくば」によって開園したそうですが、赤字続きで、今はNHK関連会社のNHKエンタープライズがロケセットとして経営しているとか。入り口から見えるこの雰囲気、たしかに時代劇のロケには使えそうですね。テレビドラマの時代劇などでもよく使われているようですし、茨城県に来れば、時代劇のロケ地にも使えそうなところ多いですよね。しかし、規則で中の様子は撮影できないようです。まあ、もちろんセットを借りて自分でドラマでも撮影すれば、一応料金は→→→こちら一般の入場料は大人400円ですが、ただセットを見て回るだけで、大して面白くもないかも。京都の太秦映画村のように忍者ショーとかアトラクションがあれば、もう少し料金が高くても、人気が出るかもと思いますが、いかんせん交通の便が悪いです。最寄りの公共交通機関はつくばエキスプレスの「みらい平」駅。しかも駅から6.6キロ離れていて、タクシーしか利用できません。歩くと1時間以上はかかりますね。横綱、稀勢の里の出身地、JR常磐線の牛久駅からだと、裏道を使って、9.6キロかな、県道とかを利用すると11キロ、これもタクシー利用で、歩くとたっぷり2時間かな。まあ、茨城県の人ならほとんど車ですからね。そのあたりはハードルは低いかな。こちらのつくばみらい市立歴史館も併設されていて、こちらは無料で見学できます。人気ブログランキングへワープステーション江戸
Feb 25, 2017
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今日は、プレミアムフライデーだとか。でも、当番とかあってお休みはできないですね。それに休むのだったら、一日しっかり休みたいMoMo太郎です。さて、昼食に迷った時は、野菜がしっかりとれる。野菜炒め定食ですね。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 野菜炒め定食
Feb 24, 2017
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この写真は、つくばみらい市を流れる小貝川です。間宮林蔵記念館のそばを流れるこの川を下っていくと、このあたり一帯の農地に灌漑用水を取り入れる「岡堰」があります。この岡堰、同じ小貝川にある福岡堰、豊田堰と並んで「関東の三大堰」と呼ばれており、茨城百景にも選ばれている景勝地です。たしかに籍の背後にかすかに見える筑波山も含めて、絵になっていますね。岡堰については→→→こちら今では近代的な取水堰に改修されていますが、間宮林蔵が生きた時代には洪水の度に流されたりしたしたそうです。この岡堰の上流にあり、改修前の旧岡堰が作られていた川の中州に銅像があります。これが、間宮林蔵立像です。農民出身の間宮林蔵が、武士に取り立てられ間宮海峡の発見、石見浜田藩の密貿易を暴いた「竹島事件」、オランダ人医師シーボルトが伊能忠敬が作成した大日本沿海輿地全図を国外に持ち出そうとして、その地図を渡した幕府天文方・書物奉行の高橋景保ほか十数名が処分された「シーボルト事件」などの歴史に関わることになった、大きく人生を転換した出発点となったのが、この岡堰の建設工事だったのです。ちなみに、シーボルトは、樺太島と中国大陸間の海峡を「間宮海峡」と名づけ、世界に紹介した人物です。岡堰の建設工事に加わった16歳の林蔵は、幕府普請役下条吉之助に才能を認められ江戸へ修行に出ました。出府にあたり隣村狸淵の名主飯沼甚兵衛の養子となったそうです。江戸出府後は幕臣・村上島之丞に師事し、彼とともに日本各地で行われた治水、新田開発の仕事に従事しながら測量や土木技術を身に付けて行ったそうです。石碑には、倫宗(ともむね)と記されています。林蔵は通称で、号は蕪嵩(ぶすう)というそうです。こちら立像の測量鎖は、一部欠けていました。探検家、測量家、文化人類学者、幕府隠密、外交問題専門家など多くの顔を持つ、「世界地図に名前を残す唯一の日本人」の出発点が、この茨城の関東平野の真ん中だったのですね。【了】人気ブログランキングへ間宮林蔵(その6) 取手市、福岡堰にある間宮林蔵の立像
Feb 23, 2017
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さて、間宮林蔵の墓は、茨城県つくばみらい市上平柳の専称寺にもありますが、東京都江東区平野にもあります。間宮林蔵は江東区の深川(本所ともいわれています)あたりで没したそうです。つくばみらい市にあるお墓よりも立派ですね。確かにつくばみらい市にある間宮林蔵の墓は、蝦夷地の探査に行くときに作った決意のお墓ですが、東京のこちらは、功成り名を成した後にできたものですからね。間宮林蔵、生涯独身だったそうで子供がなかったそうです。農家としての間宮家(つくばみらい市の方)では親類の者が間宮の家を継ぎ。武士の家であった東京の間宮家は、養子をもらって家系のつないだそうです。その他にも、アイヌ女性との間に子供がいたのそうでこちらの方は「間見谷」という姓で北海道に在住しているそうです。墓石には「間宮林蔵蕪崇之墓」と刻まれていますが、水戸藩主・徳川斉昭の撰文だそうです。この墓は昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲で破損したそうですが、戦後の昭和21年5月に拓本を基に再建されたそうです。大正14年5月には史蹟に指定されていたようですね。こちらは、間宮林蔵の墓からほど近い同じ江東区平野にある日蓮宗の本立院です。もともと間宮林蔵の墓はこちらの墓所にあったそうです。本立寺の境内にある間宮林蔵の記念碑「間宮林蔵先生之塋域」です。建立された昭和30年(1955年)当時の総理大臣鳩山一郎氏の揮毫によるものです。【つづく】人気ブログランキングへ間宮林蔵(その5) 間宮林蔵の墓 東京編
Feb 22, 2017
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間宮林蔵記念館から、北の方へ約5分くらい歩くと、こんなお寺があります。金龍山光堂院専称寺というお寺で、山門の脇に経つ石碑には「第十番〇京都誓願寺、園光東漸慧成弘覚大師 専称寺」と刻まれています。ちなみに円光・東漸・慧成・弘覚とは、浄土宗の開祖、法然上人に対して、480年余の元禄10年(1697)に朝廷より円光の大師号を賜り、以来500年遠忌の行なわれた宝永8年以降、50年ごとに天皇より加謚(かし)されるようになったそうです。ちなみに、最後の「弘覚大師」は文化8年(1811)に加謚されたものです。大師号というのは、例えば空海が「弘法大師」と呼ばれるているようなものです。というような格式のありそうなお寺で、こんな観音像や立派な扁額のかかった本堂もあるのですが、このお寺にやってきた、最大の理由のひとつは、この間宮林蔵顕彰記念碑です。この石碑は、明治37年(1904)に正五位の贈位を受けたことを記念して明治43年(1910)に高名な地理学者の志賀重昂らによって建立された林蔵の顕彰碑です。なかなか、古色蒼然としています。顕彰碑には「間宮先生埋骨之處」(間宮先生の骨を埋めた所の意味)と書かれています。顕彰碑の後ろには、間宮林蔵の墓があります。写真の右が林蔵の両親の墓で、左が間宮林蔵の墓です。こちらが、間宮林蔵の両親のお墓です。こちらが、間宮林蔵の墓です。このお墓は、蝦夷地探査に先立って決死の覚悟を持って建てたとされています。墓が建てられた正確な年代はわからないそうですが、「間宮林蔵墓」と記されただけ質素に刻まれています。こちらは専称寺の境内と本堂です。間宮林蔵は、ここで遊びながら、幼少期を過ごしたのでしょうね。【つづく】人気ブログランキングへ間宮林蔵(その4) 間宮林蔵の墓
Feb 21, 2017
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間宮林蔵記念館に立つ「間宮林蔵立像」です。間宮林蔵像と「ぞうぞう」とはならないように立像としているのでしょうね。手に持っているのは、測量用の鉄鎖だそうです。鉄鎖は、両端を輪のように加工した長さ一尺の鉄線を60本つないだ鎖で、伸ばすと長さは十間となるそうです。誤差の出やすい歩測や伸び縮のある縄に比べて、正確に距離を測ることができたそうです。なぜ、間宮林蔵がこの測量道具を持っているかというと、間宮林蔵は寛政12年(1800)に函館にて「大日本沿海輿地全図」作成のために蝦夷地に来ていた伊能忠敬に出会い弟子になったそうです。これは佐原の伊能忠敬記念館にあった伊能忠敬の銅像です。そして、忠敬から測量を教わった間宮林蔵は、伊能忠敬が全ての蝦夷地を測量できなかったため、残りの蝦夷地測量を間宮が代わりに測量したそうで、大日本沿海輿地全図の蝦夷地北部宗谷附近に関しては、間宮の測量成果を使っているそうです。大日本沿海輿地全図については→→→こちらこの地図、日本の沿岸だけ測量しているようで、内陸部は測量していないようですね。間宮林蔵記念館の中は撮影禁止だったので紹介できませんが、100円という入館料に相応な見応えがある展示がされていました。【つづく】人気ブログランキングへ間宮林蔵(その3) 間宮林蔵立像
Feb 20, 2017
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間宮林蔵、あまり知られてはいないようですね。伊能忠敬と勘違いしていることもあるかもしれませんが、確かに二人の縁は深いので仕方ないかも。間宮林蔵は、文化6年、樺太(サハリン)が島であることを確認した人物として知られ、サハリンと大陸間の海峡最狭部の「間宮海峡」にその名が残されている探検家・地理学者です。そして、これが移築された間宮林蔵の生家です。こちらは、間宮林蔵生家の平面図です。この家は昭和46年にこちらに移築、復元されたそうで、もともとは間宮林蔵記念館の南西50mにあったそうです。間宮林蔵は、安永9年(1780年)に常陸国筑波郡上平柳村(今の茨城県つくばみらい市)にあったこの家で生まれ15~6歳までこの家で暮らしたそうです。8歳の頃から寺子屋に通い、算術が得意なよく勉強のできる子供だったそうです。できる子が育つ家とは、こんな広々した家なのでしょうね。ところで、間宮林蔵は一人っ子だったそうです。林蔵の父、庄兵衛、母、クマの間にはなかなか子供が生まれなかったため、林蔵の両親は、現在のつくば市樋の沢にある月読神社に、10年間、子授祈願を行った末にようやく林蔵を授かったという言い伝えがあります。これが月読神社です。この写真は2012年1月に撮影したもので、まだ震災の後が修復されていない時のものです。こちらの神社は今でも続く月待ちの講、「二十三夜様」が行われているそうです。二十三夜様は子どもの神様で、子どもの出来ない人が信心すれば、子宝に恵まれると言われていているそうです。「月読神社」と書かれた扁額です。【つづく】人気ブログランキングへ間宮林蔵(その2) 間宮林蔵生家
Feb 19, 2017
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茨城県つくばみらい市にある間宮林蔵記念館に行ってきました。間宮林蔵記念館は小貝川のほとりつくばみらい市上平柳地区にあります。ここからは紫峰(しほう)とも呼ばれる「筑波山」がよく見えます。そして、これが間宮林蔵記念館、平成5年6月3日(測量の日)に開館したそうです。こちらが記念館の入り口です。入館料は大人100円です。ここには、間宮林蔵の生家も移築されています。【つづく】人気ブログランキングへ間宮林蔵(その1) 間宮林蔵記念館
Feb 18, 2017
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江東区三好にある出世不動尊です。深川江戸資料館通りから近いので、入り口にある赤い文字に惹かれてお参りされる方も多いようです。この不動像は近江三井寺の始祖智証大師護持の像で、大師が唐に行くときに守護した霊験あらたかな像だったそうです。その後、この像は期妙法師が護持していたそうです。隅田川河口を埋め立てて霊巌島(今の中央区茅場町あたり)を築いた霊巌上人が京都知恩院に滞在していたとき、不動明王が期妙法師に霊巌上人が今年関東に大寺を建立する、霊巌上人に「我を誘い行くべし」と三夜続けて告げ、法師は上人にこれを告げ、明王を渡し、上人は出世不動明王と名付け、関東にたずさえて行き、霊巌島に霊巌寺を建立したそうです。明暦の大火(1657)の後、万治元年(1658)に霊巌寺がこの地に移転したときに一緒にこの白河の地に移転してきたそうです。今、この不動尊は長専院に併合されています。人気ブログランキングへ深川の出世不動尊
Feb 17, 2017
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荒川と隅田川を結ぶ小名木川です。この小名木川にかかる高橋を渡ると江東区の清澄白河になります。こちらは白河一丁目にある深川江戸資料館です。江東区役所白河出張所も併設されています。こちらが入り口です。ちなみに入場料は400円。区民でも割引はないようです。人気ブログランキングへ深川江戸資料館
Feb 16, 2017
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密かに目指している名代富士そば全店制覇。八街に行った帰り道、ついに千葉市まで行きました。食べたのはもり蕎麦300円とかき揚110円です。富士そば、千葉にいっても味は変わりません。ところで、このお店、二階席もあるんですね。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 千葉駅前の冨士そば
Feb 15, 2017
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バレンタインデーで、チョコをもらったら、お返しに、お宅に伺い、トイレ掃除、庭掃除、風呂掃除なんでいたします。八街からの帰りに千葉駅で途中下車しました。ホームの上にエキナカのお店なんかが並ぶフロアが出来たりして、なんか明るいイメージになっています。「花の都 ちば」にふさわしい玄関口になりましたね。人気ブログランキングへ明るい千葉駅
Feb 14, 2017
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八街駅から国道409号を成田方面に向かうと、妻戀稲荷神社というのがあります。なんとなく格のある風情です。ところで、神主さんは常駐しているのでしょうか?そして、ふと思ったのですが、神社とお寺、どちらが経営というか、神社やお寺を維持していきやすいのでしょうか。有名な神社やお寺は別としても、こういう村の鎮守的な神社はそんなにお賽銭も集まりそうにないし、定期的な収入として考えられるのは、結婚式くらいでしょうが、それは一回きりのことが多いでしょうね。それに対して、お寺であればお葬式に加え、その後のお盆やお彼岸の法要や〇回忌といったお布施を得るチャンスもあるので、お寺の方が収入が安定しそうな感じがしますね。人気ブログランキングへ八街にある妻戀神社
Feb 13, 2017
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千葉県にある八街(やちまた)市に行きました。ここが総武線の八街駅、一応、特急停車駅です(一日に6往復くらいかな)。いい天気なので、歩道のガードレールに留まったスズメも銀色に光ってました。もともと金属製か・・・。駅前から少し歩くと「けやきの森公園」というのがありました。確かにけやきの木が植えられています。ちなみに市の木は「キンモクセイ」だそうです。【つづく】人気ブログランキングへ八街駅前
Feb 12, 2017
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埼玉県ではよくみかける「山田うどん」。一度は入ってみたいと思っていたので、寄居町からの帰りに立ち寄ってみました。注文したのは、きつねうどん(380円)です。カツオの出汁が効いて、東京風の味でしたが、うどんはスーパーで売っている三玉パック100円のうどんにやや近い感じ? だからと言って、「まずかったから、もう二度と行きたくはない」というような味ではなく、「まあ、また食べに行ってもいいかな」という味です。つまり、店の看板の「やじろべえ」と同じで、値段と味はバランスしているってことですかね。ちなみに、人気メニューは日替わりセットでうどんと丼もの(カツ丼とか)がセットになったもので690円~790円の価格帯になっています。また、パンチと呼ばれているもつ煮込みも名物らしいです。そんなわけで、どちらかというと、ガテン系の人向けのうどん屋さんかな。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 山田うどん
Feb 11, 2017
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玉淀ダムの方へ行ってみました。ダムの近くには発電所の建設の際に殉職した作業員の慰霊碑がありました。玉淀ダムの構造を説明するやや古びた看板。玉淀ダムは1962~1964年にかけて、埼玉県によって建設された高さ32メートルの重力式コンクリートダムで、かんがい・発電を目的としているそうです。6門の巨大なローラゲートが並び、壮観な光景ですね。このゲートで水を堰き止めているのですね。ダムの方からみた末野大橋と折原橋・アーチの組み合わせがピッタリとはまったような演出は、なかなかオシャレな橋梁設計者がいたものですね。【了】人気ブログランキングへ玉淀ダム(その2)
Feb 10, 2017
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埼玉県寄居町にある鉢形城へ訪れたついでに、荒川の上流に向かって行きました。そして、この荒川に架かる折原橋というアーチ橋を渡ると、橋の上からは、また鋼アーチ橋とその下にダムが見えます。このダムは東京発電が管理する玉淀ダムというそうです。この鋼アーチ橋は「末野大橋」というそうですが、その下には古めかしい家屋がありました。ズームで撮影しました。何をしている家なんでしょう。この家のある辺りにいってみました。この看板がありました。おとり鮎を売っているのですね。【つづく】人気ブログランキングへ玉淀ダム(その1)
Feb 9, 2017
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とんかつを食べたくなったら、和幸に行きます。頂いたのは、冬の季節メニューの「ひいらぎ」。海老フライ、ひれの一口カツ、紅ずわいのクリームコロッケに茶わん蒸しがついて1,185円(税別)です。もちろん、和幸なので、キャベツ、ごはん、そしてお味噌汁はおかわり自由なので、キャベツ、ごはん、お味噌汁は一回お代わりさせてもらいました。この食欲、まだまだ自分も若いかもと思いました。ところで、お味噌汁の具にはシジミがついていましたが、人によっては、このシジミを食べないそうですが、MoMo太郎は小さい貝の身をお箸でつまんで食べていますよ。理由は、「シジミの味噌汁は二日酔いに効く」と俗に言われているほど、シジミには肝臓によいオルニチンという成分が含まれているのですから、捨てるのはもったいないですよね。人気ブログランキングへ孤独のグルメ まだまだ若いぞ
Feb 8, 2017
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本曲輪はやや小高い丘の上になります。荒川と深沢川に削りとられて残った台地の上に鉢形城はあります。天守閣などの遺構も残っていない鉢形城の本曲輪跡ですが、石碑が建立されています。石碑には「襟帯山河好 雄視関八州 古城跡空在 一水尚東流」と刻まれています。右端には「花袋作 實篤書」。意味は「秩父の山々と東に広がる関東平野、そして眼下を流れる荒川を見て、過ぎ去ったこの城が栄えた時のことを思っている」という感じですかね。本当の中国人なら別の意味を感じるかも。この五言絶句の漢詩風の作者は、この地を訪れた田山花袋。そして、この漢詩もどきの揮毫を武者小路実篤が行い、ここに歌碑が建立されているのでしょう。田山花袋(1872-1930)とは栃木県邑楽郡館林町(現在の群馬県館林市)出身の小説家でに、日本自然主義文学運動の中心として活躍した人だそうです。詳しくは→→→こちら武者小路実篤(1885-1976)とは、東京生れで、華族武者小路実世の第八子で白樺派の代表的作家として活躍した。詳しくは→→→こちらこの本曲輪の下は、荒川が流れています。荒川までは30m程度の標高差があります。木の根元に花が手向けられていますね。この絶景に見とれて足を滑らして、荒川に落ちて亡くなった人もいるのでしょうか。【了】人気ブログランキングへ鉢形城公園(その7) 本曲輪
Feb 7, 2017
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二の曲輪にある城山稲荷神社の鳥居です。参道沿いには、桜の木が植えられています。こちらが拝殿です。おそらく、この神社、鉢形城が築城された時から、こうやって奉られているのでしょうね。二の曲輪からいよいよ本曲輪へ向かいました。こちらが本曲輪への入り口です。やや錆びた標柱に「史跡鉢形城跡」と書かれています。1932年(昭和7年)に遺構の残存状況がきわめて良好な考古資料であり、関東地方の戦国時代の状況を示す文献資料も豊富に残されていることから、「鉢形城跡」はちがたじょうあと)として国の史跡に指定されています。【つづく】人気ブログランキングへ鉢形城公園(その6) 城山稲荷神社
Feb 6, 2017
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お城の防御に欠かせないものといえば、堀です。鉢形城跡では堀や土塁が良く残り、堀や土塁によって区切られた曲輪がわかるようになっています。堀も水のある濠とない堀があったようです。またこのように、堀の中に畝(うね)を作くり、堀を横断していることがあります。この畝の仕切りによって、堀の中の水位を保つ機能の他、敵が攻め込むためには、畝の道上の部分を歩く必要があり、それには、一列になって進むしかなく、守備側はその手前を重点的に守ればよいので非常に効率的な防御が可能となっているようです。 こちらは、三の曲輪と二の曲輪の境にある、堀と畝と土塁です。【つづく】人気ブログランキングへ鉢形城公園(その5) 堀と畝
Feb 5, 2017
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曲輪とは、城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域の名称です。鉢形城跡では堀や土塁が良く残り曲輪の様子をうかがい知ることができます。曲輪は軍事的・政治的な意図を持って、削平・盛土された城の中の平面空間ともいえるでしょう。曲輪には出入り口である虎口があります。これが復元された虎口です。発掘結果からこのような四脚門と想定され、門右手には土塀を想定し、左手には土塁が接していたものと思われます。この門を抜けると、土塁の表面に川原石を階段状に積み上げているのが特徴の石積土塁がありました。また、ここには池の跡が発掘され、このあたりには庭園があったようです。一月の下旬、寒い日が続いていたので、池の水も凍ってました。【つづく】人気ブログランキングへ
Feb 4, 2017
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節分の恵方巻き、太巻きだと食べきれないので、かっぱ巻きかかんぴょう巻で済まそうかと考えているMoMo太郎です。さて鉢形城の続きです。こちらの建物は、鉢形城歴史館。平成16年10月17日に鉢形城公園の開園と同時に、鉢形城歴史館・寄居町埋蔵文化財センターとして開館した施設だそうです。入場料は大人200円で、鉢形城の歴史や発掘してわかった往時のお城の姿などを展示しています。入場料200円、妥当な値段だと思いました。鉢形城の中心部は、荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれていて、天然の要害をなしています。この川が深沢川です。鉢形城歴史館からこの川を渡って、鉢形城跡にいくことになります。深沢川はこのように両岸が切り立った崖となっていて、容易に鉢形城には近づけなかったと思われます。城跡の中にある、町指定天然記念物のエドヒガンサクラです。樹高18m、枝張りは東西23.5m、南北21.8m、根回り6.5m。推定樹齢は150年を超えるそうです。そして、ここが平成9年度から13年度にかけて発掘調査が行われた「三の曲輪(くるわ)」です。【つづく】人気ブログランキングへ鉢形城公園(その3) 鉢形城歴史館
Feb 3, 2017
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「埼玉県大里郡寄居町にある鉢形城は、文明8年(1476)関東管領であった山内上杉氏の家臣長尾景春が築城したと伝えられている城で、その後、小田原の北条氏康の四男氏邦が整備拡充し、北条氏の北関東支配の拠点となった城です。しかし、天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めの際、豊臣方の前田利家・上杉景勝・真田昌幸等に包囲され、1ヶ月余りにおよぶ籠城の後に、北条氏邦は城兵の助命を条件に開城しました。 」といったようなことが、この看板に書かれています。こちらは、鉢形城公園の地図です。これは公園の入り口にある休憩施設。休憩施設の暖簾には、北条家の家紋が入っています。【つづく】人気ブログランキングへ鉢形城公園(その2) 鉢形城とは
Feb 2, 2017
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今日から如月(きさらぎ)、2月です。英語だと「February」。といことで、梅の花の写真を、今月もよろしくお願いします。人気ブログランキングへ
Feb 1, 2017
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