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大晦日には年越しそば。今年は小諸そばの月夜のばかしそば(大盛り500円)をいただきました。ちなみに普通盛りだと480円です。都内でよく見かける立ち食いそば屋さんといえば、「富士そば」、「ゆで太郎」といったところですが、千代田区、港区、そして中央区では「小諸そば」さんもよく見かけます。味の好みは色々でしょうが、MoMo太郎はちょっとだしの風味が効いていて、ちょっと甘めの小諸そばのつゆが好みです。孤独のグルメ 年越しそば人気ブログランキングへ
Dec 31, 2020
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NHKの朝ドラ「おちょやん」の主人公のモデルとなったのは、この人です。オロナイン軟膏は知っていても、この人を知らない若い人も多いと思いますが、芸名: 浪花千栄子(なにわちえこ)本名: 南口キクノ(なんこうきくの)生年月日:1907(明治40)年11月19日没年月日:1973(昭和48)年12月22日出身: 大阪府南河内郡東板持町(現在は富田林市)という方です。オロナイン軟膏の広告に起用されているのは「軟膏は効くの」のダジャレ???もちろん女優としても活躍されています。で顔をよく見てみるとMoMo太郎の家の人達は、「羽野晶紀のおばあちゃん!?」と言っていました。ということは、おちょやんの晩年はこの羽野晶紀さんが演じることになったりして。人気ブログランキング「おちょやん」のモデルは羽野晶紀のおばあちゃんではないですよ
Dec 31, 2020
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錦糸町で見かけたこの居酒屋さん(→→→こちら)お店のシステムとしては男性がお金を支払い(550~650円/10分)、女性は無料で見知らぬの者同志が相席して、まあ出会いを求めるということらしいです。ところで、うちの姉さんにみたいに還暦を過ぎた女性にも無料は適用されるのでしょうか。姉さん結構お酒好きです。そして、女子大生だった頃、志賀高原にスキーに行ったとき、ナンパされたことがあると、いつも自慢しています。人気ブログランキング年齢も無制限かな
Dec 30, 2020
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2020年10月31日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して御岳渓谷を歩いた報告です。この駅ハイキング、御岳渓谷の紅葉を楽しみにしてやって来たのですが、まだちょっと早かったですね。再び御嶽駅付近に戻ってきて、この建物に立ち寄りました。玉堂美術館(→→→こちら)です。川合玉堂といえば、こういう分野に疎いMoMo太郎も名前を耳にしたことのある近代日本画壇の巨匠の15歳頃の写生から晩年の作品まで幅広く展示されている美術館だそうです。駅からハイキングの参加者は、500円の入場料が100円割り引きになるという特典もあったので、見学することにしました。皇太子殿下も行幸されたようですね。館内の展示品は撮影できませんでしたが、美術館の庭園は撮影できました。枯山水の見事な庭園です。玉堂美術館を見学して、JR青梅線の御嶽駅に戻り、帰りました。【了】人気ブログランキングへ御岳渓谷を歩く(その10) 玉堂美術館
Dec 29, 2020
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2020年10月31日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して御岳渓谷を歩いた報告です。のんびりと川を下っていくラフティングの人たちを途中で見かけました。鵜の瀬橋を渡って多摩川の左岸側に渡ります。鵜の瀬橋の上からの下流側の眺めです。河床に岩が突き出していて、ここをラフティングで下っていくのは難度が高そうですね。橋の上流側も流れが速そうです。橋の真下もこんな流れで、ラフティングには確かに良さそうです。御岳渓谷遊歩道ぞいにあった「お山の杉の子記念碑」です。作曲者の佐々木すぐる氏が、戦争中にこの地に疎開されていたことから、この記念碑が建立されたそうですね。佐々木すぐる氏といえば、こんな歌も作曲されていましたね。こんな歌を子供が歌っていた時代があったんですね。【つづく】人気ブログランキングへ御岳渓谷を歩く(その9) ラフティングとお山の杉の子
Dec 28, 2020
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2020年10月31日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して御岳渓谷を歩いた報告です。次は寒山寺に向かいました。寒山寺に向かう階段の途中にあった鐘です。鐘にはこんな言葉と絵が記されていました。板碑がありました。刻まれたのは漢詩のようでした。寒山寺といえば、中国江蘇省蘇州市にある臨済宗の寺院が有名ですから、中国の寒山寺にある漢詩「楓橋夜泊」の石碑へのオマージュで設置したのでしょうか。そういえば、ここで多摩川に架かる橋の名前も「楓橋」というのもオマージュでしょうかね。寒山・拾得の碑というのがありました。寒山と拾得は共に詩僧、唐代の人物で、寒山寺は、この寒山が草庵を結んだ地とされる蘇州に創建されたそうですから、石碑ではその寒山と拾得の姿が描かれていました。こちらが寒山寺の本堂です。この寒山寺は、書家の田口米舫が明治18年(1885年)に中国の姑蘇城外の寒山寺を訪れた際、主僧の祖信師より釈迦仏木1体を託されました。帰国後、昭和5年(1930年)に青梅鉄道の経営などに携わった実業家の小澤太平氏の協力によって建立されたそうです。水位観測所がありました。途中でこの大きなマットを背負って歩く人に出会います。大きなマットは「クラッシュパッド」というもので、このように忍者修行、ではなくポルタリングをする時に、墜落した時の衝撃を和らげて怪我しないようするものです。御岳渓谷、忍者修行の場として有名なんですね。【つづく】人気ブログランキングへ御岳渓谷を歩く(その8) 寒山寺とポルタリング
Dec 27, 2020
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2020年10月31日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して御岳渓谷を歩いた報告です。 JR青梅線の沢井駅の南側、青梅街道沿いにある小澤酒造(→→→こちら)です。 門の看板にあるように「清酒澤乃井醸造元」です。日本酒「澤乃井」は数少ない東京の地酒です。お店でも買えますが、青梅市や中央線沿線の飲食店でも提供されていますし、浅草の大黒屋や葵丸進などの有名な天ぷら屋さんでも飲むことができます。 小澤酒造の酒蔵です。いつもは酒蔵見学もできるのですが、今年はコロナの関係で明日(11月1日)から再開しまいとのことでした。ちなみに蔵の前でお酒を飲んでいるのは従業員の方で、新酒ができたので、お祝いで飲んでいるとのことでした。 小澤酒造から青梅街道の下の地下道を潜っていくと小澤酒造が経営している「清流ガーデン澤乃井園」です。園内にある売店では、澤乃井の酒、わさび漬け、お豆腐などが売っていて、ちょっとお酒を飲みながら、多摩川の清流と御岳渓谷の自然を味わうことができます。 皇太子殿下(多分、今の上皇殿下)もここに訪れたようです。 こちらは「ままごと屋」という澤乃井直営の料亭です。豆腐、ゆば料理が有名らしいです。MoMo太郎の孤独のグルメ向きのお店ではないですね。 澤乃井園から多摩川に架かる楓橋を渡りました。 これが楓橋の全景です。もう少し紅葉が進んでいるとMoMo太郎の下手な写真でも映えたかもしれませんね。 楓橋から見た多摩川の下流側です。 こちらは上流側。 楓橋を渡って多摩川を下流側に進むとあるのがこの建物。 「櫛かんざし美術館」(入場料600円)です。まあハイキングに来ているのでこういう見学はパスさせてもらうことにしました。ちなみにここも小澤酒造さんが経営しているそうです。 【つづく】 人気ブログランキングへ 御岳渓谷を歩く(その7) 東京の地酒
Dec 26, 2020
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2020年10月31日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して御岳渓谷を歩いた報告です。沢井駅の前にあった石碑です。「道路竣工記念」。鉄道沿いの今まで歩いてきた道ができたことを記念して建立された石碑のようでした。今は集落の道が整備されたくらいではこんな石碑は建立しないでしょうが、昔はそれなりに地元の悲願の大事業だったということでしょうか。雲慶院と言う禅宗のお寺に立ち寄ります。隣の看板の三田保育園の「三田」というのは鎌倉時代から戦国時代まで青梅を拠点としていた武将の三田氏(→→→こちら)との関係があるのでしょうか。こちらがお寺の本堂のようです。境内に置かれた石仏。素朴な感じがします。お寺と言えば、やはり梵鐘は必須アイテムですね。本堂に掲げられた雲慶院の扁額です。雲慶院は、天寧寺六世九山整重を開山として野村豊後守高貞が開基となり天正14年(1586)に創建、寛文年間(1661-1672)には寺領7石の御朱印状を拝領したそうです。青梅線を越えて沢井駅の南東側に出ると、立派な石柱がおそらく雲慶院に関係したものだと思われました。次に訪れたのは、東京都指定有形文化財の福島家住宅(→→→こちら)です。こちらが福島家住宅。茅・杉皮葺き屋根が古い江戸時代の建物だと主張していました。福島家は江戸時代には名主、および水運を担う筏師の元締めであった家柄で、今は誰も住んでいないそうてすが、秋の東京文化財ウィークなどで一般公開される時や近くにある田畑の世話で青梅市に住む子孫の方が使われているそうです。こういう古い生活道具も大切に残してあるのが、文化財たる所以でしょうね。【つづく】人気ブログランキングへ御岳渓谷を歩く(その6) 雲慶院と福島家住宅
Dec 25, 2020
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2020年10月31日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して御岳渓谷を歩いた報告です。道端で見かけたこの小さな祠。この祠の横の坂道を登っていきます。山の上の送電線の鉄塔で作業をしているようでした。そして、この鳥居のある神社が青渭神社です。この神社は、御祭神は大国主命で、創建年代等は不詳ながら、崇神天皇の御代の創建と伝えられ、惣岳山頂近くにある真名井と称する霊泉(別名青渭の井)から社名が起ったといい、延喜式神名帳所載の青渭神社は当社だといいます。源経基をはじめとして三田、北条、徳川と厚く崇敬を受け、明治6年郷社に列格していました。だそうです。手水舎には柄杓がなく、この水で直接、清めるみたいです。新型コロナウィルスの予防対策ですね。社叢に囲まれた拝殿です。扁額の文字も青い色で書かれていました。参拝を終わって、山を下っていくと、こんな看板が。そして、これ。工事用の資材運搬をするモノレールです。山の上までレールが敷設されていました。先ほどの山の上の送電線の工事に使われているのでしょう。さらに行くとかんきつ類の果樹園が。これが、有名な沢井ゆず(→→→こちら)。その昔、江戸時代の参勤交代の際、江戸のお殿様に謙譲されていた代物。その香りは天下一品と評価されていたそうです。そして、青梅線の沢井駅が見えてきました。【つづく】人気ブログランキングへ御岳渓谷を歩く(その5) 青渭神社と沢井ゆず
Dec 24, 2020
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62020年10月31日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して御岳渓谷を歩いた報告です。 JR青梅線の山側にある道に沿って、御岳の手前の沢井に向かって歩いていきます。 石仏がいくつか置かれていました。 きれいに植林されていました。 森林再生事業と書かれた看板が、山があって森があるから、多摩川の水も枯れることなく流れているので、森林を守ることは大切でしょうね。 途中にみかけた、これは山での作業用のモノレールですね。 コスモスが咲いていました、秋桜ですね。 花びらが整然とバランスよく並んでいるので、コスモス(cosmos)という「秩序と調和の表われとしての宇宙」いう意味の名前がつけられたのでしょうね。 鉄道沿いの道なので、また撮り鉄気取りの一枚です。 ここは橋です。 青渭(あおい)橋という名前の橋でした。 「渭(い)」というのは川の名前の意味で、中国の甘粛省に源を発し、陝西省をほとんどまっすぐに東に流れ、洛水などをあわせて、陝西・山西・河南三省の境を接する地点で黄河に合流する渭水(いすい)という川のことです。 【つづく】 人気ブログランキングへ 御岳渓谷を歩く(その4) 森林再生事業とコスモス
Dec 23, 2020
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2020年10月31日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して御岳渓谷を歩いた報告です。東京都交通局の多摩川第三発電所を過ぎると、この心細くなる山道を進みます。そして、この神路橋(かみじばし)という吊り橋を渡って、多摩川の左岸へ。橋の上から上流側をみると、魚釣りをしている人たちが、こちらは奥多摩フィッシングセンター(→→→こちら)があるのですね。下流側に見えたのは、先ほど見た多摩川第三発電所の施設が見えます。これが神路橋の全景です。神路橋を渡って左岸側に出ると青梅街道、このあたりは国道411号線です。この道は奥多摩湖あたりから「大菩薩ライン」と名前を変えるようですね。この青梅街道に並行するJRの青梅線です。丁度、奥多摩行の列車が走ってきたので、撮り鉄気取りで撮影しました。しかし、東京都でもこんな山深いところがあったのですね。東京都民として通算11年。東京にもこんなところがあるとは想像もしていませんでした。山の斜面は、コンクリートでおおわれていました。のり枠工と呼ばれる斜面を安定させる工事だそうですが、ワッフルを連想させる構造物ですね。【つづく】追伸:「杣」は「そま」と読みます。人気ブログランキングへ御岳渓谷を歩く(その3) 巨大なワッフル
Dec 22, 2020
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2020年10月31日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して御岳渓谷を歩いた報告です。御岳渓谷で、カヌーというかカヤックというのかの練習をしている人たちです。「杣の小橋」を渡って、多摩川の右岸に出ます。(ちなみに右岸とは川下け向かって立った時に右側ある方のことですね)また、杣というのは木を植えて木材をとる山を指すそうで、それに従事する人を杣、または杣人と言い、採れた材木も杣、または杣木と言うそうですね。国語の試験に出そうなので覚えておきます。その「杣の小橋」の下には、ラフティングのゴムボートがあり。カヤックで急流と格闘している人も見えました。杣の小橋の下流側です。こちらは流れが緩やかですね。杣の小橋を渡り、右岸側を上流に向かって歩いて行くと、こんな施設がありました。東京都交通局発電事務所多摩川第三発電所(→→→こちら)です。二酸化炭素などの温暖化ガスを排出することがなく、水の循環サイクルによって再生可能な、自然の恵みを最大限活かした環境にやさしいクリーンエネルギーです。SDGs(Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標))ですね。東京都交通局というと都営地下鉄、都バスを思い浮かべますが、明治44年(1911)に交通局の前身である東京市電気局が発足し、東京市の路面電車を運営していた東京鉄道株式会社を買収した時に、引き継いだ3か所の火力発電所(品川、深川及び渋谷)の運営を開始したことに始まる発電の歴史も持っているそうです。こちらは、かつて発電所で使われていた水車と弁を展示していました。水車は多摩川第一発電所(→→→こちら)で使われていたもので、弁の方は多摩川第三発電所で使われていたそうです。平成19年に50周年を迎えたということは、交通局の水力発電事業は昭和32年(1957)から始まったわけですね。この鉄管は、上流にある白丸調整池ダム(→→→こちら)からこの第三発電所まで水を送っています。ちなみに、多摩川の上流には4カ所の水力発電所があって、交通局が運営しているのは、小河内ダムの直下流にある多摩川第一発電所、白丸調整池ダムにある白丸発電所、そしてこの多摩川第三発電所です。平成12年(2000)に完成した白丸発電所は、周辺の環境に配慮して、その大部分が地下に設置されています。そして、多摩川第一発電所と白丸発電所の中間にある氷川発電所です。実はこの発電所が一番古く昭和6年(1931)から水力発電を行っています。今は、昭和32年(1957)に完成した小河内ダム直下から導水路と経て氷川調整池に送られた水を使って発電しています。ところで、第一と第三があるのに多摩川第二発電所がないと思われますが、氷川発電所を東京都が買収して多摩川第二発電所となる予定だったのが、水利権の関係で東京電力の施設のままになっていたとか、さらに平成19年に、東京電力から子会社の東京発電株式会社に譲渡されています。【つづく】人気ブログランキングへ御岳渓谷を歩く(その2) 東京都交通局多摩川第三発電所
Dec 21, 2020
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百合子さんが「年末年始コロナ特別警報」を発出していますが、19日に浅草寺へ12月17~19日、今年も恒例の「浅草寺歳の市」、いわゆる羽子板市が開催されていました。仲見世も新年を迎える準備が出来ていました。そして、羽子板市らしく羽子板のお店が。でもやっぱり、百合子さんのコロナ特別警報もあってか、お店の数は少なくて、人出もいつもの年よりは少なかったような。しかし、和服を着てはしゃいでいるギャルも。コロナウイルスなんか怖くないって心意気でしょうか。人気ブログランキングコロナ特別警報の浅草寺歳の市(羽子板市)
Dec 20, 2020
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2020年10月31日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して御岳渓谷を歩いた報告です。中央線に乗って、立川を経由して、やってきたのは青梅。はじめてやって来ました。そこからさらに奥多摩行に乗り換えて、そして、ここ御嶽(みたけ)駅で電車を降りました。御嶽駅周辺の観光地です。風格のある木造建築の駅舎。さすが御岳山にある武蔵御嶽神社へお参りするための最寄り駅という感じですね。駅名の看板も凝った字体の筆文字で、雰囲気ですね。御嶽駅を出て、少し青梅街道沿いに東に行ったところにあるのが、御岳山登山ケーブルの駅に向かうバス乗り場。多くの人が御岳山に向かうために並んでいました。MoMo太郎はそのバス停を過ぎて、多摩川沿いに延びる御岳渓谷にやって来ました。石碑には「名水百選 御岳渓流」(→→→こちら)と刻まれていました。御岳渓谷を流れる多摩川の流れ、ここは急流ですね。広い河原です。多摩川の上流に向かって御岳橋の下をくぐって行きます。一級河川、多摩川、海からは71kmの地点です。泡立つ多摩川の奔流を見ながら、さらに上流に向かって歩きます。【つづく】人気ブログランキングへ御岳渓谷を歩く(その1) 海から71km
Dec 19, 2020
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東京の新型コロナウイルスの感染者数、来週には1,000人は超えるかも。東京都 新型コロナ 822人の感染確認 これまでで最多感染者の今までの推移をみてみると、こうやって見ると、今、第三波とか言っていますが、第二波が収束していなかったのかも。そんな中で、GoToトラベルとか、GoToイートとやっていたんですね。まるで坂道を下っている車でブレーキかけなきゃいけないところを、アクセルを踏んでいるようなものですね。GoToトラベルがどれだけ新型コロナウイルスの感染拡大に貢献したかはよくわかりませんが、鳥インフルエンザは渡り鳥がウイルスを運んで感染を拡大させますが、新型コロナは人間が運ぶものですから、人が動けば当然ウイルスも拡がるわけですね。そうそう、ニワトリで思い出しましたが、元農相の吉川貴盛衆院議員が、大臣在任中に鶏卵生産大手「アキタフーズ」の元代表から現金を受け取っていた件、どうなったんでしょう。その「アキタフーズ」、政界工作と同様に鳥インフルエンザ対策も万全なんでしょうね。そんなわけで、ガースー総理もGoToトラベルの全国一斉停止を決めたということを踏まえてでしょうか、MoMo太郎が毎日拝読させていただいているブログに、「GoToトラベル全国一斉停止になったので、年末年始の旅行取りやめました」という記事を書かれていたので、MoMo太郎が「GoToトラベル全国一斉停止で、旅行代金の割引が無くなったので、旅行とりやめとはみみっちいですね」とコメントしたところ以下のようなコメントをいただきました。言葉足らずで誤解されたようですが、私達は数年前からGoToトラベルがない時から年末年始は夫婦で5泊6日ぐらい旅先で過ごすようにしています。今年はGoToトラベルが全国一斉に停止になったので、全額自分たちのお金で旅行に行こうかとも思いましたが、あえて強行してこれだけコロナ感染者が増えている中で、感染して帰ってきたら周りに迷惑をかけるしどんな陰口を言われるかわかりませんからやめたんですよ。飛行機やホテルを予約した9月半ばではこんな風になるとは思ってもみなかったものですから年末年始にゆっくりしたかっただけです。なるほど、毎年、値段が高くなる年末年始に5泊6日出かけているという、優雅な生活を送っているので、GoToトラベルの旅行代金の割引なんか気にしない。でも世間体を気にしてということですね。MoMo太郎のようなさもしい生活を送っていると、そのような立派な考え方ってできません。やっぱり、お金のある生活って羨ましいです。それにしても第三波がこれだけ深刻なのに、PCR検査原理主義者の岡田晴恵先生とか、第一波の時に「8割おじさん」として活躍された西浦博先生も、最近は名前を聞かないですね。岡田先生はともかく、西浦先生、北海道大学から京都大学に移られたので、研究に忙しくなったんでしょうか。それともガースーは学術会議や科学者が嫌いなので、厚労省から切られのかも。ちょっと心配です。人気ブログランキング新型コロナウイルス感染者の拡大
Dec 18, 2020
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墨田区の北端というと、「鐘ヶ淵」という東武鉄道の駅があります。今は、墨田区墨田という町名ですが、その昔、明治の頃には、東京府南葛飾郡隅田村の通称・鐘ヶ淵と呼ばれていました。その鐘ヶ淵の地に、明治20年(1887年)に創立された東京綿商社が、後のカネボウ株式会社(鐘淵紡績、鐘紡)となりました。また、カネボウの非繊維事業を分離独立した鐘淵化学工業(現・カネカ)の工場もこの地にあったそうです。残念ながら、カネボウは粉飾決算を繰り返した結果の債務超過のため平成19年(2007)に解散しましたが、化粧品部門のカネボウ化粧品は、「カネボウ」の商標と共に「花王」に売却されたため、創業の地には、「カネボウ化粧品」の物流倉庫があります。このカネボウ化粧品の建物の裏手にひっそりあるこの公園。「カネボウ公園」と言う名前です。公園の中では、ゲートボール場となっていましたが、その片隅に「鐘淵紡績発祥の地」と刻まれた石碑が、雑草の生い茂る中にひっそりと取り残されたように佇んでいました。かっては、明治から昭和初期にかけて国内企業売上高1位を誇り隆盛を極めた紡績会社でしたが、やはり時代の流れの中で、会社が生き残るって大変なんですね。人気ブログランキング鐘淵紡績発祥の地
Dec 17, 2020
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榎本武揚像のある梅若公園には、謡曲「隅田川」(→→→こちら)のもととなった「梅若塚」があります。梅若塚にまつわる伝説とは、京の都から、かどわかされて連れ回され、衰弱して倒れた12歳の子ども梅若丸と、さらわれた梅若丸を捜し尋ねて狂女となった、母、花御前の悲しくも切ないお話てす。 12歳の梅若丸がいまわの際に「たづね来て とはゞこたへよ都鳥 すみだの河原の露ときへぬと」母が、自分を探して尋ねて来たら、隅田川の辺で息絶えました…と教えて欲しいと詠い、梅若丸は亡くなりました。その折、その死を哀れんだ出羽国羽黒山の高僧で下総の御坊忠円阿闍梨が里人と墓を築き、一本の柳を植えて菩提を弔ったのが梅若塚であると伝えられ ています。そしてその後、わが子恋しと梅若丸の行方を探し求めた母親が隅田川のほとりにたどり着き、渡し守から梅若丸の死を知らされたのは翌年、ちょうど一周忌の日のことでした。その晩、悲嘆の涙にくれる母とともに大念仏が催されているその時、一目でも会いたいという母親の願いが通じたのか墓から梅若丸の亡霊が現れます。しかしそれも束の間、再びその姿は消え去ってしまいます。 その後、塚のかたわらには庵室が営まれて母親はそこで暮らしていましたが、わが子が忘れられない母は、遂に浅茅池に身を投げてしまいます。石碑が建てられ、東京都指定の旧跡となっています。この円形に石が並べられているのが、「梅若塚」なのでしょう。人気ブログランキング梅若塚と梅若伝説
Dec 16, 2020
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墨田区の北端、墨堤通りに面した梅若公園にある榎本武揚銅像です。 榎本武揚(→→→こちら)についての説明が書かれていました。 戊辰戦争では旧幕府軍を率いて蝦夷地を占領したものの箱館戦争で敗北し降伏、東京の牢獄に2年半投獄された。その後黒田清隆の尽力により助命され、釈放後、明治政府に仕え、逓信大臣・文部大臣・外務大臣・農商務大臣などを歴任、子爵となったそうです。 豊臣秀吉に仕え、その後徳川家康に乗り換えた大名が江戸幕府を支えたように。歴史上にはそういう人物がいるもんですね。 それに新たに別の主君に仕えることになっても、その人物が能力があって使えるからこそ新しい主君も雇うというものでしょう。 そんな、榎本武揚の銅像がどうして墨田区にあるかというと、1905(明治38)年から没する1908(明治41)年まで向島で暮らし、墨堤を馬で毎日散歩する姿が見られたという。ことから武揚没後の大正2年(1913)5月に木母寺の旧境内である現在地に建立されたそうです。 しかし、長年この姿で立ち続けたせいか、若干色褪せてくたびれた感じですね。 人気ブログランキング 榎本武揚銅像
Dec 15, 2020
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2020年10月25日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して恵比寿から原宿にかけてを歩いた報告です。明治通りを新宿方面に向かって歩きます。東郷神社(→→→こちら)に到着です。池の向こうにある建物は「東郷記念館」(→→→こちら)、結婚式場としてよく知られていますが、東郷神社が経営しているのではなく、株式会社東日という会社が経営しています。池には、錦鯉。いよいよ東郷神社に参拝です。この神門の向こう側に拝殿があります。東郷神社といえば、日本海軍の指揮官として、日清戦争、日露戦争の勝利に大きく貢献した東郷平八郎元帥をお祀りした神社。東郷平八郎は、日露戦争の際に、当時世界屈指の戦力を誇っていたロシアのバルチック艦隊を相手に大勝利を収めた日本海海戦により、アドミラル・トーゴー(Admiral Togo 、東郷提督)としてその名を世界に広く知られています。日清戦争、日露戦争を勝利に導いた東郷平八郎を祀っていることから、勝利の神様として信仰が厚い神社です。こちらが拝殿です。参拝を済ませて、この狭い道、有名な竹下通りです。こちらが竹下通りの入口ですね、若い人がやっぱり多いですね。この通りでスカウトされて、芸能界入りしたっていう話をよく聞きますが、今日も何人かはスカウトされているのですかね。ということで、JRの原宿駅に着き、今回の駅からハイキングは終了です。【了】人気ブログランキング渋谷界隈街並み散策(その9) 勝利の神様 東郷神社
Dec 14, 2020
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2020年10月25日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して恵比寿から原宿にかけてを歩いた報告です。表参道を明治通りに向かって北上していきます。表参道、色々なお店が消えたり出来たりしているのですが、この外観のお土産物屋さん「オリエンタルバザー」、アジアンテイストなお土産品を扱っているのですが、ずっと前から、多分MoMo太郎が生まれる以前からここにあるみたいですね。こちらの表参道・新潟館ネスパス(→→→こちら)は、新潟県の物産が買える施設です。新潟県、表参道に出店するとは、なかなかやりますね。明治通りと表参道の交差点にある東急プラザ表参道原宿という商業施設です。屋上はこのように木が植えられていて、都会の中でもちょっぴり自然を感じられるようになっています。「おもはらの森」、表参道と原宿をもじった名前の森の名前をつけていますが、こんな小さな森でも鳥がやって来るようですね。屋上から渋谷方面を望むと、高層ビルが多いですね。【つづく】人気ブログランキング渋谷界隈街並み散策(その8) 表参道
Dec 13, 2020
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2020年10月25日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して恵比寿から原宿にかけてを歩いた報告です。六本木通りから、高樹町の交差点を左折して。高樹町通りを表参道に向かって歩きます。MoMo太郎は「高樹町通り」よりも「骨董(こっとう)通り」と言う方が馴染みがありますが、この通りに都電が走っていた頃から住んでいた人には「高樹町通り」という方がしっくりくるのかも。ちなみに高樹町という町名は、1965年(昭和40年)に住居表示が実施されて南青山の一部なって消滅しました。この通りにあったのが、紅ミュージアム。江戸時代から続く最後の紅屋「伊勢半本店」(→→→こちら)が運営する資料館。紅づくりの技と化粧の文化と歴史が展示されています。ちなみに入館料は「無料」です。宮内省御用達と記された看板。なんか宮内省御用達とあると有難味があると同時にちょっと手の出ない遠い存在のような気がしますね。青山通りにでで、表参道の交差点を渡ります。表参道といえば、この石灯篭。ずっと不思議なのが、上の方は白くてきれいなのに、下の台座は黒く煤けていること。誰かキレイに磨いたりしないのですかね。【つづく】人気ブログランキング渋谷界隈街並み散策(その7) 骨董通り
Dec 12, 2020
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2020年10月25日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して恵比寿から原宿にかけてを歩いた報告です。渋谷駅に到着。渋谷といえば、スクランブル交差点とこの大型ディスプレイですね。若い人が多くて、ちょっとMoMo太郎には場違いな、Out of Place でした。こちらの建物は、渋谷スクランブルスクエア。47階建ての高層ビル。屋上は渋谷上空229mから360度の展望が味わえる「SHIBUYA SKY」という施設になっていて入場料大人2,000円(WEB購入だと1,800円)となっています。当然のことながら、Time is Money 先を急ぐので、SHIBUYA SKY はパスさせてもらいました。そして、この明治通りをいったん南下しまして、渋谷国際皮膚科医院という医院を発見、「国際」というからには海外で罹患した皮膚病も治療してくれそうですね。明治通りを左に折れて、こちらに出ました。國學院大學(→→→こちら)です。旧字体で書くのが正式だそうです。学術メディアセンターというものもあるそうで、いわゆる、図書館の一種なのでしょうか。立派な建物です。國學院大學、これもMoMo太郎には場違いなOut of Placeで、どんな大学なのか良く知りません。ここを卒業すると神社の神主さんになれるという噂は聞いたことがありますが。スポーツ選手も多く輩出されていますね。こちらの胸像は芳賀矢一(→→→こちら)という方です。古典の先生のようですね。MoMo太郎も古典を高校で習いましたが、高校を卒業以来、古典の知識というものを使ったことも必要とされたこともないですね。國學院大學の近くにあったこの建物は「白根記念渋谷区郷土博物館・文学館」(→→→こちら)です。渋谷区区会議員を務められた故白根全忠氏から区に寄贈された宅地、邸宅をもとに、 渋谷区の歴史やゆかりの文学者を紹介しています。こちらのお屋敷、MoMo太郎の記憶が正しければ、ここは常陸宮邸だったと思います。常陸宮さまは、がんの研究家でもあらせられます。MoMo太郎も尊敬しています。そして、六本木通りに出ました。ここから青山に向かいました。【つづく】人気ブログランキング渋谷界隈街並み散策(その6) 渋谷はOut of Placeでした。
Dec 11, 2020
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2020年10月25日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して恵比寿から原宿にかけてを歩いた報告です。菅刈公園から旧山手通りに戻りしばらく歩くと、玉川通りとの交差点になります。玉川通りの上には首都高速の高架橋があります。そして、旧山手通りと山手通りの分岐点です。この陸橋が山手通りになります。山手通りからこちらの道に入ります。松濤(しょうとう)文化村ストリートという名前の道です。ちなみに松濤という地名は、かつてこの地に茶園「松濤園」があったことに因んでいるそうです。こちらの建物が渋谷区立松濤美術館(→→→こちら)です。区立という割には高級な感じの建物ですね。そして、若者の街、渋谷にやって来ました。【つづく】追伸:その専門家よ出てこい。自衛隊看護官ら、旭川で支援開始 クラスターの2施設ついに新型コロナウイルスの感染拡大で、自衛隊まで出張ってきた旭川市。これに対して、官房長官、旭川市は「緊急事態宣言の状況ではない」加藤勝信官房長官は8日夜の記者会見で、自衛隊の看護師と准看護師計10人を派遣することになった北海道旭川市を対象に緊急事態宣言を出す考えはないか問われ、「現時点で、緊急事態宣言を発出するような状況ではないと判断している。専門家も同じ認識と承知している」と述べた。だそうです。その認識をしている専門家って誰なんでしょうか。名乗り出てきて下さい。もう、旭川市に緊急事態宣言を出して、映画なんかでやっているように、ウイルスに汚染された地帯を封鎖する対策を、自衛隊へ要請した方がいいのでは。人気ブログランキング渋谷界隈街並み散策(その5) 松濤美術館へy
Dec 10, 2020
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2020年10月25日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して恵比寿から原宿にかけてを歩いた報告です。西郷山公園から台地を下ったところにある「菅刈(すげかり)公園」(→→→こちら)です。園内には芝生広場があって、周辺住民の憩いの場ですね。もともと、この土地は西郷山公園と一緒の西郷従道の邸宅のあったところで、明治天皇も訪れたようです。明治天皇行幸の石碑もありました。公園の中を散策している人も多いですね。こちらの門の中に入ってみました。明治時代に西郷従道の屋敷になる前の江戸時代には「荒城の月」で知られる豊後の岡藩の屋敷があったところだそうで、滝や池のある回遊式の大名庭園として、江戸時代の地誌に江戸の名所として紹介されていました。その庭園を復元されたそうです。その昔の大名家の庭園ってこんな雰囲気だったんですかね。やっぱり、大名庭園に欠かせないのは池なんですね。【つづく】人気ブログランキング渋谷界隈街並み散策(その4) 菅刈公園
Dec 9, 2020
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2020年10月25日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して恵比寿から原宿にかけてを歩いた報告です。旧山手通りにあるこの橋を渡りました。西郷橋という橋です。橋の下には野沢通りが通っています。上品な街並みですね。旧山手通りから延びる脇道です。この道が渋谷区と目黒区の境になっているようです。左手にある公園が西郷山公園(→→→こちら)です。西郷隆盛の実弟で明治期の軍人・西郷従道(じゅうどう)の屋敷跡に設けられた公園です。西郷従道、「つぐみち」と知られているそうですが、正式には「じゅうどう」と読むそうです。薩摩の生んだ有名人だけに、公園の整備にあたっては、鹿児島県の町から樹木が献上されています。この公園、よく「東京ラブストーリー」をはじめとするテレビドラマのロケ地などでよく利用されているのだとか。富士山が眺められる展望台がありました。ということは西郷従道さんは富士山の見える場所にお屋敷を構えられたということですね。でも、MoMo太郎は富士山が見えませんでした。西郷山・目黒川と一体の散歩道が設定されているのですね。ということで、西郷山公園から坂を下っていきます。【つづく】追伸:失職町議「告白は真実。裁判で明らかに」政治活動は継続性被害を告発した群馬県草津町の新井祥子町議(51)の解職請求(リコール)の賛否が問われた住民投票が6日に行われ、町の有権者は「解職」を選んだ。解職に賛成は2542票で有効投票の9割以上を占め、新井氏は失職した。当日有権者数は5283人で、投票率は53・66%だった。町長室でなにがあったか真実はわかりませんが、新井氏が黒岩信忠町長(73)から「町長室で性被害に遭った」と昨年11月に電子書籍で告白したことは、事実ですね。でも、投票率53.66%ということは、草津町民には関心が低かったのでしょうか。人気ブログランキング渋谷界隈街並み散策(その3) 西郷山公園
Dec 8, 2020
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2020年10月25日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して恵比寿から原宿にかけてを歩いた報告です。恵比寿駅を出て駒沢通りを西の方へ歩いていくと、旧山手通りに出ます。旧山手通り、「やまてどおり」と読みます。鉄道の山手線は「やまのて」と読むので、微妙に注意しないと。旧山手通り沿いにあるこちらは、重要文化財 旧朝倉家住宅(→→→こちら)です。旧朝倉家住宅は、東京府議会議長や渋谷区議会議長を歴任した朝倉虎治郎氏によって、 大正8年に建てられた大正ロマンの趣のある和風2階建て住宅と回遊式庭園があるそうです。なお、現在の所有者は文部科学省だそうです。ヒルサイドテラスという集合住宅・店舗の複合施設がありますが、その広場の角にある鳥居のあるこんもりとした緑地。これは渋谷区に唯一ある「猿楽塚」という古墳です。6〜7世紀頃、古墳時代末期築造と推定されている円墳。発掘調査はされておらず、詳細は不明なようです。旧山手通りの沿道には大使館が多くありました。これはデンマーク大使館。門の前に立つこの石像。わかりますね。エジプト大使館でした。こちらはマレーシア大使館です。そして、こちらは大使館ではなく、産業能率大学(→→→こちら)だそうです。もうこのあたり代官山になるんですね。【つづく】人気ブログランキング渋谷界隈街並み散策(その2) 旧山手通り
Dec 7, 2020
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2020年10月25日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して恵比寿から原宿にかけてを歩いた報告です。JR恵比寿駅前にある恵比寿さまの銅像です。ここから街歩きスタートです。恵比寿というからには、やっぱり恵比寿神社が鎮座されています。由緒が記された説明版が、 もともとは駅前にあった天津神社を、昭和34年(1959年)区画整理で遷座させた際、町名あるいはヱビスビールにあやかって兵庫県の西宮神社から事代主命(恵比寿神)を勧請してこれを合祀し、恵比寿神社に改名されたそうです。手水舎は、水ではなくアルコール消毒でした。ご時世ですね。掲げられた心願成就と美徳天道の文字。「美徳天道」とは徳は美しく天然自然の道理ということでしょうか。【つづく】追伸:色と欲との二筋道コロナ感染第三波、東京では飲食店では夜10時からの営業自粛とか、GoToトラベルは継続とか、感染防止もしたいし、経済活動も止めたくはないとの、「色と欲との二筋道」。なにがどうあれ、MoMo太郎はいつも通りに淡々と仕事するしかないですね。人気ブログランキング渋谷界隈街並み散策(その1) 恵比寿神社
Dec 6, 2020
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久しぶりに富士そばへ渋谷の玉川通りと明治通りの交差点にほど近い渋谷東口店です。ここで、紅生姜天そは(430円税込み)をいただきました。紅生姜のピッリっとした味が刺激となって、おいしくお蕎麦をいただけました。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 紅生姜天そば
Dec 5, 2020
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いよいよ、久留里城天守閣に向かいます。道の上に張られた縄に藁で作った飾りが吊り下げられているのは「道切り」(→→→こちら)と呼ばれるものです。これは、村に悪霊などが入ってこないように、村の境に、縄を張る、 又は、所によっては境を守る標を村の境に置く事をいうそうです。草鞋・桟俵・蛸・烏賊・酒樽・サイコロなどが吊り下げられていますが、藁であえて粗末に作ってあり、そのムラが貧乏で不具者ばかりで悪いものの侵入を諦めさせるためだそうです。また、酒樽・サイコロは酒・博打の戒めという意味だそうです。途中にある「男井戸・女井戸」です。奈良時代の天平年間、仏教普及の命で聖武天皇に遣わされた僧によって掘られたと伝わる井戸で、江戸時代、藩士の結婚式ではこの井戸の水を飲んだという伝承も伝わっており、正月には井戸の水を江戸屋敷まで運び、新年初めての水として用いたそうです。この丸太階段を登っていくと、久留里城の天守閣に着きました。天守閣の横にあった土壇。久留里城の天守閣は明治5年(1872)に廃城となり城の建物は解体されましたが、昭和53年(1978)に再建されたもので、元の天守閣はこの土壇の位置にあったそうです。天守閣の脇の木立の中にある石碑。久留里城再建記念碑で、当時の千葉県知事川上紀一氏の揮毫によるものです。この川上紀一氏は、副知事として1971年に行われた成田空港予定地の代執行では現地総指揮官として派遣され、また1978年の成田開港に際して田村元運輸大臣と協議してインフラ整備など多くの要求を国側に認めさせたほか。東京ディズニーランド建設においては、浦安町(当時)への誘致を実現した人物です。このたび勇退することになった鈴木栄治(森田健作)知事よりも遥かに県勢発展への貢献は大きい方かもしれません。天守閣からの眺望です。この眺めで、ちょっときつい坂道を登ってきた疲れも癒されました。【了】人気ブログランキングへくるっと久留里(その6) 久留里城天守閣
Dec 4, 2020
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久留里城址資料館、入場無料で展示物もなかなか興味深かったのですが、やっぱり館内撮影禁止で内容は紹介できません。しかし資料館の屋外には色々と面白いものがありました。これは江戸時代中期の朱子学者で、幕府のブレーンだった新井白石(→→→こちら)の銅像です。この方、幕府に使える前、もともとは上総久留里藩の藩士だったそうですね。これは上総掘り井戸(→→→こちら)の櫓だそうです。上総掘りとは、人力で掘り抜き井戸を掘削する工法で、千葉県君津市の小糸川流域や小櫃川流域で文政年間(1818~1830年)に開発されたもので、農業用水や飲料水の確保に利用され、明治20年(1887年)頃に技術的に完成し、竹ヒゴ利用により200間(360m)以上の掘削が可能となりました。この丸い大きな輪は、「ヒゴグルマ」と呼ばれ、竹ひごの先に鉄のパイプを結び付けて、鉄パイプの衝撃で井戸を掘り進んでいくのですが、その竹ひごを巻き取る装置になります。この神社は「雨城八幡神社」です。由緒などわかりませんが、やはりこの城の武士が信仰をしていたのでしょう。久留里城を巡って、戦国時代、里見氏と北条氏が戦争していた経緯が記されていました。元々は里見氏の本拠地で、その後北条方に奪われたりしたようですが、最終的に里見氏のものとなりました。しかし、天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐の際に当主の里見義康は参陣を命じられたが遅参したことから、この城を没収されてしまい、久留里城は徳川家康の重臣の大須賀忠政のものとなったそうです。こちらは薬師曲輪というところで、久留里城下を見晴らせる展望台になっています。木に括りつけられている藁の人形は、鹿島人形(→→→こちら)と呼ばれるもので、等身大で手を大きく広げ、刀や槍を携えた鹿島神(武神)の姿で、悪霊・疫病・悪い物事などを退散させると伝えられています。新型コロナウイルス退散にも活躍してもらいたいです。薬師曲輪からみた久留里の風景です。房総の田園地帯という風情ですね。【つづく】人気ブログランキングへくるっと久留里(その5) 新井白石、上総掘り、そして鹿島人形
Dec 3, 2020
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城郭には曲輪(→→→こちら)と呼ばれる場所があります。このように、地面を削って平らにしたお城の一区画のことです。久留里城にも曲輪がありました。久留里曲輪と呼ばれているいますが、ここには石碑が多く建立されていました。俳句が刻まれた石碑ばかりでしたが、有名な俳人の句というものではなく、俳句同好会のような団体が自費で建立したもののようでした。これはお玉ケ池というもので、籠城戦に備えて水を確保していた池だそうです。説明版にあった内容です。久留里城の二之丸は、水源がなく不便な場所でした。城主の里見義堯(さとみよしたか)は、家臣の兵馬に池を掘るように命じました。 ある時、兵馬が池を掘っていると、兵糧庫が焼失する事件が起こり、火の不始末の疑いで、兵馬は捕らわれの身となります。城将小川秀政の娘の「お玉」は、これを哀れんで、かわりに池を掘りはじめますが、兵馬は打ち首となってしまいます。その後、この疑いが解けると、お玉は髪を切り、兵馬を弔ったそうですここの二の丸跡にあるのが、久留里城址資料館です。君津市の歴史・民俗などの資料や久留里城に関する資料の収集、保管、展示 などをしいるところで、無料で入場できます。資料館の前では、子供たちが火を起こす体験をしていました。【つづく】人気ブログランキングへくるっと久留里(その4) 久留里城址資料館
Dec 2, 2020
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久留里という地名の由来については諸説紛々だそうです。 1)古文書『久留里記』によれば、平将門の三男が浦田の妙見(今の久留里神社)を参詣し、築城のことを祈ると「浦田の峯に城郭を構え、名を久留里城と呼ぶべし」との夢告があったとの記述があります。 2) また久留里市場の福徳山正源寺に伝わるところでは、同寺開山の他阿心教上人が当地に留まり念仏を広めたことから、以後この地が「生き仏様が久しく留まられた里」ということで「久留里」と呼ばれるようになった、 との説があるのだとか。 さて久留里城址に向かうにはこの狭い道を車でやって来ます。見えてるトンネル車一台分の幅しかない道です。対向車には注意しないと。 途中の駐車場で、MoMo太郎の愛車を止めて、この道を歩いて上ります。 秋の青空を見上げながら歩いて行きました。 今はこんな風に山を切り開いて道を造成していますが、 久留里城ができた頃は、道の上の山道をみんな歩いていたのでしょうね。斜面の上の方が切り込まれているのは、ここに防御のための堀が作られていていた痕跡だそうです。 久留里城の別名は「雨城」というそうですね。この山に振った雨が地下水となって久留里の自噴井戸となっているのでしょうね。 久留里城の歴史が記されていました。 【つづく】 人気ブログランキングへ くるっと久留里(その3) 久留里城址に向かう道
Dec 1, 2020
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