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茗荷谷駅に向かって着実に。「水道通り」とも呼ばれる「巻石通り」を歩いていくと、金富(かねとみ)小学校という、お金持ちになれそうな名前の小学校がありました。このあたりの旧町名が「金富」というそうだったそうです。明治2年に、金剛寺の「金」と小石川富坂新町の「富」の頭文字を採ってできたそうです。1964(昭和39)年8月1日、住居表示の実施により、春日二丁目に編入となり消滅しましたが、小学校の名前としては今も残っているのですね。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その19) お金持ちになれそうな小学校
Aug 31, 2020
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後楽園駅から茗荷谷駅まで、のんびり見物しながら歩いてます。金剛寺坂をまた下って、元の道に戻りました。今まで歩いてきた道は「巻石通り」というそうです。この道路、ちょっと緩やかにカーブしているところもあります。「巻石通り」は通称「水道通り」とも呼ばれており、実はかって神田上水があった水路を暗渠にして道路にしたものだそうです。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その18) 巻石通り
Aug 30, 2020
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茗荷谷駅までまだ歩くのかな?金剛寺坂の途中で、丸ノ内線の線路を跨ぎます。こちらは、後楽園駅側。後楽園駅を出て地下トンネルに入って、また、茗荷谷駅へ向かう途中で地上に出てきます。こちらは茗荷谷方面です。ここから茗荷谷までは地上を走って行きます。丸ノ内線池袋行がトンネルから現れてきました。ところで、この丸ノ内線、線路の上に架線が張られていませんので、見下ろしても視界を遮ることがないので、いいですね。だからといって、丸ノ内線はディーゼルエンジンの気動車でもなければ、蓄電池式のACCUMと呼ばれる蓄電池駆動車というわけではなく、第三軌条集電方式を採用しているためです。第三軌条集電方式とは、走行用のレールとは別に、並行して第三の給電用レール(第三軌条)を敷設し、それを車両に取り付けた集電靴(コレクターシュー)が擦って集電する方式のことで、二つのレールの間にあるカーバーをつけた軌条がありますが、これが第三の給電用レールになります。直流600ボルトの電流が線路の横を流れているので、下手にホームから落ちて間違ってこの給電用レールに触れると、感電してしまうので危険ですね。もちろん保線の仕事で誤って触れてもいけません。東京の地下鉄では、この丸ノ内線と銀座線が第三軌条集電方式を採用しています。大阪の地下鉄だと御堂筋線、四つ橋線、谷町線、中央線、千日前線が採用していますが、阪急電車と乗り入れをしている堺筋線は架空電車線方式になっています。というと大阪メトロの中央線も近鉄のけいはんな線と乗り入れてるのに、なぜ第三軌条集電方式なのかと思われるでしょうが、けいはな線は後から中央線に乗り入れてきたので、先に出来ていた中央線に合わせて第三軌条集電方式になっています。小石川台地の下を通るトンネルに入って行く、2000系の車両。ひょっとして、丸ノ内線が最初に建設された1951年(昭和26年)の頃は、まだまだ日本も貧しかったので、工事費の掛かりそうな地下のトンネル工事より、工事費の安い地上区間があるような路線計画をしていたのかも知れませんね。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その17) また地上に出てきた丸ノ内線
Aug 29, 2020
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茗荷谷駅への途中です。こんな建物がありました。「本田労働会館」、自動車やオートバイのメーカー、本田技研の関連施設でしょうか。駐車場の車もホンダのクルマでした。この本田労働会館の前を進んでいくと、文京区、やっぱりお屋敷のある町ですね。この立派な石垣の家の前にある看板を発見。永井荷風生育地だそうです。つまり生家跡ですね。 永井荷風(1879~1959)小説家、随筆家。本名荘吉。別号断腸亭主人など。作品には、『あめりか物語』、『腕くらべ』、『濹東綺譚』や『断腸亭日乗』などがある。 荷風は、明治12年(1879)12月、すぐ左の細い道の左側20番25号あたり(旧金富町45番地)で生まれた。そして、明治26年飯田町に移るまで、約13年間住んだ。(その間1年ほど麹町の官舎へ) 明治19年には、黒田小学校(旧区立五中の地)に入学し4年で卒業して旧竹早町の師範学校附属小学校に入った。 『狐』(明治42年作)という作品に、生家の思い出がつづられている。 「旧幕の御家人や旗本の空屋敷が其処此処に売り物となっていたのをば、其の頃私の父は三軒ほど一まとめに買ひ占め、古びた庭園の木立をそのままに広い邸宅を新築した。・・・・」 小石川は、荷風の生まれ育った地で愛着が深く、明治41年に外国から帰ってくると、このあたりを訪ねて『伝通院』を書いた。「私の幼い時の幸福なる記憶も此の伝通院の古刹を中心として、常に其の周囲を離れぬのである・・・・」郷土愛をはぐくむ文化財文京区教育委員会平成5年3月とありました。ちなみに現在のこのお宅は永井という名前の家ではありませんでした。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その16) 永井荷風生育地
Aug 28, 2020
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茗荷谷に向かって、文京区を歩いています。ちょっと急なこの坂を登ってみました。登ってきた坂道を振り返ってみました。まだ、まだ、登っていけそうです。この坂道は「金剛寺坂」という名前です。説明板にはこう記されていました。江戸時代,この坂の西側,金富小学校寄りに金剛寺という禅寺があった。 この寺のわきにある坂道なので,この名がついた。小石川台地から,神田上水が流れていた水道通り(巻石通り)に下る坂の一つである。 この坂の東より(現・春日2-20-25あたり)で,明治12年に生まれ,少年時代をすごした永井荷風は,当時の「黒田小学校」(現在の第5中学校のあるところ,昭和20年廃校)に,この坂を通ってかよっていた。 荷風は,昭和16年ひさしぶりにこの坂を訪れ,むかしを懐かしんでいる様子を日記に記している。 文京区教育委員会 平成元年3月【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その15) 金剛寺坂
Aug 27, 2020
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後楽園から茗荷谷へ途中です。この道を歩いて行きます。住宅街の中の道です。文京区コミュニティバス「Bーぐる」のバス停を見つけました。トッパンホール印刷博物館という名前のバス停です。建て込んだ家の向こうに大きなビルが見えます。「TOPPAN」というロゴが目立ちます。ここが印刷博物(→→→こちら)です。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その14) バス停
Aug 26, 2020
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牛天神を出て茗荷谷駅へ歩いて行きます。牛天神を出るとこの坂道に出ました。途中から、大きくカーブした坂道です。安藤坂という坂です。坂の西側に安藤飛騨守の上屋敷があったことに因んで,戦前は「安藤殿坂」,戦後になって「安藤坂」とよばれるようになったそうです。 古くは坂下のあたりは入江で,漁をする人が坂上に網を干したことから,また江戸時代に御鷹掛(おたかがかり)の組屋敷があって鳥網を干したことから「網干坂」ともよばれたそうです。この坂道にあるマンションの入口に石碑があります。河中俊四郎碑とありました。この人はどんな人なんでしょう。この碑文です。河中俊四郎翁は明治21年広島県下賀茂村に生る。河中豊助四男。出版報国を念とし、大正5年良書普及会を創立。82年の生涯を終えるまで50有余年 唯一筋に良書の刊行を通じ 地方自治の振興と警察行政の発展に尽す。その功により昭和41年7月警察協力章を受け、特に同年11月勲四等瑞宝章賜興の栄に耀く。真摯誠実勤勉無比 翁の志は財団法人河中自治振興財団と共に長く世に伝えられよう 昭和46年10月 小林興三次撰という功績のある方のようです。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その13) Who is 河中俊四郎?
Aug 25, 2020
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茗荷谷への途中、牛天神北野神社(→→→こちら)へ立ち寄って参拝しています。牛天神の境内にある、こちらは御神木です。樹齢100年超の木斛(もっこく)。真剣に心をこめてお願いすると必ず願いが叶うといわれているそうです。こちらの石碑もありました。中島歌子(1844年〜1903年)の歌碑だそうです。中島歌子は、すぐ近くの安藤坂の歌塾「萩の舎」の塾主でした。門下には、梨本宮妃、鍋島侯夫人や、前田侯夫人など、上流、中流層の婦人1,000余人がいました。樋口一葉・三宅花圃らは、その門弟でありました。1903(明治36)年1月30日、60歳でこの世を去ったそうです。この石碑が中島歌子の歌碑です。どういうご縁でこの神社に歌碑が建立されたのでしょうか。牛天神の信徒だったのかもしれませんね。また、境内の中には天神様の梅の紋がついた立派なビルも。牛天神会館というそうですが、普通のアパートかも?こちらに牛天神北野神社の由緒が、「1182年(寿永元年)、源頼朝が当地にあった岩に腰掛け休息した際、夢に牛に乗った菅原道真のご神託を受け、1184年(元暦元年)頼朝がこの岩を奉り当社を創立した。」と伝わっているようです。こちらが、拝殿となっています。拝殿の裏から出て、この坂道を下りました。この坂は「牛坂」という坂だそうです。『北野神社(牛天神)の北側の坂で,古くは潮見坂(しおみざか)・蠣殻坂(かきがらざか)・鮫干坂(さめほしざか)など海に関連する坂名でも呼ばれていた。中世は,今の大曲あたりまで入江であったと考えられる。 牛坂とは,牛天神の境内に牛石と呼ばれる大石があり,それが坂名の由来といわれる。(牛石はもと牛坂下にあった) 『江戸志』に,源頼朝の東国経営のとき,小石川の入江に舟をとめ,老松につないでなぎを待つ。その間,夢に管神(菅原道真)が,牛に乗り衣冠を正して現われ,ふしぎなお告げをした。夢さめると牛に似た石があった。牛石がこれである。と記されている。』【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その12) 天神さまへ参拝
Aug 24, 2020
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埼玉県行田市への旅の紹介を終え丸ノ内線駅間歩きに戻りました。茗荷谷へ向けて着々と歩んでいます。夏詣の看板に引かれて、牛天神北野神社(→→→こちら)へ参拝することにします。こちらの坂道を登っていきます。東京の山手って坂道が多いですね。牛天神北野神社への入口がありました。北野神社と彫られた立派な石柱です。夏詣の提灯が吊られていました。結構な石段がありました。こういう石段を登ることが神信心の基本ですね。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その11) 牛天神
Aug 23, 2020
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床の上にあった蝉の骸。これが本当の蝉ファイナルでしょうか。人気ブログランキングセミ・ファイナル
Aug 22, 2020
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水城公園には、いくつかの石碑が建立されています。 この石碑は、田山花袋の小説「田舎教師」文学碑です。 「田舎教師」(→→→こちら)という小説は、この行田市や隣の羽生市が舞台となった小説で、石碑には田舎教師の一節が刻まれていました> 裏面に昭和36年に記された「碑陰の記」が記されていました。 この長い石碑は、「行田音頭」の石碑です。 作曲・中山晋平、作詞・西條八十により、昭和9年につくられた新民謡(→→→こちら)です。地元では「東京音頭」のように親しまれて歌われているのでしょうか。 最後にお土産として、行田名物の「十万石まんじゅう」を買いました。 十万石とは、旧忍藩の石高十万石に因んだもので、行田以外にも大宮駅の駅売店ほか、県内各地にある十万石ふくさやの支店でも購入することができます。 ちなみに、この十万石行田本店の建物は、国の登録有形文化財となっており、築100年を優に超す江戸様式の蔵づくりが特徴です。 埼玉県民には、テレビCMでもお馴染みとなっています。 【了】 人気ブログランキング 足袋の町、行田を旅して来ました(その6)水城公園の石碑
Aug 21, 2020
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行田市、埼玉県名発祥の地でもあったのですね。行田市大字埼玉(さきたま)にある埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)があるからでしょうか。こちらの池には、ホテイアオイのような水草が繁殖していますね。石造りの橋が雰囲気ですね。このレトロ感あふれる建物は、旧忍町信用組合店舗です。こういう信用組合が行田の足袋産業を支えてきたのかもしれませんね。今も信用組合として営業しているのではなく、建物をカフェとして利用しているようでした。【つづく】人気ブログランキング足袋の町、行田を旅して来ました(その5)旧忍町信用組合店舗
Aug 20, 2020
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2012年11月公開の映画「のぼうの城」(→→→こちら)の題材となった忍城。梅雨時期の水攻めによって本丸は水没しそうになりながらも、落城を免れました。忍城は水に浮かぶ城、難攻不落の浮き城。逆に言えば、この辺りは、根川と荒川に挟まれた沼沢地で水攻めにあいやすいところだったといえるでしょう。その面影を残すのが、忍城跡の南側にひろがる水城(すいじょう)公園です。忍城の外堀の沼を利用して整備された公園です。忍城が取り壊されたあと、外堀は忍沼と呼ばれていましたが、北部から次第に埋め立てられ、行田市役所や市立体育館が建設された。そして現在、水面が残る南端部が1964年(昭和39年)4月埼玉県内最初の都市計画公園である水城公園として開園しそれました。広さは約10.3haの広大な講演となっています。行田市の“天然記念物”に指定されている行田蓮(古代蓮)が植栽されている池があります。この古代蓮は原始的な形態を持つ1400年~3000年前の蓮であると言われています。このハスは市内の公共施設建設工事の際に、偶然出土した種子が自然発芽し甦り、池に開花しているのが発見されたそうです。開花時期ではありましたが、蓮の花は見ることか出来ませんでした。しかし、1400年から3000年前のもの蓮の花が現在も咲くというのは、ロマンを感じますね。【つづく】人気ブログランキング足袋の町、行田を旅して来ました(その4)水城公園の古代蓮(ハス)
Aug 19, 2020
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行田市は埼玉県で初めて「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」として文化庁の日本遺産平成29年(2017)に認定され、また「行田の足袋製造用具及び製品」が国登録有形民俗になっています。江戸時代中期には忍の名産品として知られていたのが「足袋」。近代にはミシンが使われるようになったことで生産が増大し、最盛期である昭和13年(1938)には年間約8,500万足、全国シェアの約8割を占めていたそうです。そのため市内には現在でも「足袋蔵」と呼ばれる近代化遺産も多いそうです。また2017年10月にTBSで放映されたドラマ『陸王』でも行田の足袋が全国に知れ渡りました。忍城址には、行田市郷土博物館が設置され、忍城、足袋などの行田の歴史を学ぶことができます(入場料、大人200円)。下の写真が郷土博物館です。また忍城御三階櫓は、この郷土博物館の一部となっていますので、この最上階に登って、行田の町を一望することかできます。【つづく】人気ブログランキング足袋の町、行田を旅して来ました(その3)日本遺産の町
Aug 18, 2020
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忍城址の中です。松と竹林があり、のんびりと散策できそうな庭園です。こちらは鐘楼です。史跡「忍城の鐘」です。おそらく江戸時代の建築物のようです。中に時鐘がありましたが、本物は行田市郷土博物館に展示されています。この時鐘゜は享保2年 (1717)伊勢桑名藩主松平忠雅によって鋳造され、文政6年(1823)に松平氏が桑名から忍へ移封されるのにともなって、忍城へ移された鐘だそうです。こちらは、復元された土塀です。鉄砲を撃つための狭間(はざま)も復元されています。【つづく】人気ブログランキング足袋の町、行田を旅して来ました(その2)忍城の鐘
Aug 17, 2020
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丸ノ内線駅間歩きを中断して、猖獗を極める新型コロナウイルスの下、こっそりと埼玉県行田市へ出かけてきました。その時の旅行記です。行田市といえば、やはり埼玉県指定史跡の忍城址(→→→こちら)ですね。映画「のぼうの城」やドラマ「陸王」の舞台になったことでも有名な城址公園です。こちらは、昭和63年(1988)に再建された鉄筋コンクリート造りの忍城御三階櫓です。おそらく、忍(おし)城には、天守閣がなかったと思いますが、北は利根川、南は荒川にはさまれた低平地だったので、この櫓で十分見張りができたのでしょう。戦国時代には関東七名城の一つといわれ、1590年(天正18年)に豊臣秀吉の小田原征伐に伴い発生した攻城戦の際、豊臣方の水攻めに耐え抜いたそうですから、防御に優れたお城だったのでしょう。ちなみに、忍城攻略の豊臣方の指揮を執ったのは石田三成だそうで、石田三成、やっぱり戦争には不向きの武将だったんですかね。落ちない城ということで、受験生のお城巡りにはお薦めかも。東門です。こちらから城内に入ります。忍城の由来が説明されてました。詳しくは行田市教育委員会のホームページ(→→→こちら)を参照して下さい。【つづく】人気ブログランキング足袋の町、行田を旅して来ました(その1)忍城址
Aug 16, 2020
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茗荷谷駅へ向かっています。この建物は、小石川税務署です。多額納税者となると、ここへ納税に行くとコーヒーとケーキでおもてなししてもらえるのでしょうか。この交差点に差し掛かりました。こちらを右に折れて行きます。「牛天神下」という交差点でした。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その10) 税務署
Aug 15, 2020
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後楽園から茗荷谷へ向かっています。特別名勝・特別史跡の「小石川後楽園」に隣接する「後楽公園」です。猖獗(しょうけつ)する新型コロナウイルスのため、子供たちが遊ぶ公園にもこんな注意書きが掲示されています。季節ですね。サルスベリの花が綺麗でした。公園には、少年野球場もありました。少年野球場というからには、大人の野球チームはプレイできないでしょうね。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その9) 後楽公園と少年野球場
Aug 14, 2020
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後楽園から茗荷谷へ向かって歩いています。道沿いに延びる長い、板塀。特別名勝、特別史跡「小石川後楽園」(→→→こちら)です。「小石川後楽園」は水戸徳川家の江戸上屋敷内の庭園です。寛永6(1629)年初代藩主水戸頼房が庭の造営に着手し、2代光圀(水戸黄門)に引き継がれたものです。園名の後楽園は中国の古典『岳陽楼記』の「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から、後楽園と光圀が命名したと言われています。そのため、このあたりの町名「文京区後楽」や、東京ドームが出来る前の読売ジャイアンツのホームグランド「後楽園球場」などに使われています。そして、この公園も「後楽公園」と名付けられているのですね。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その8) 小石川後楽園
Aug 13, 2020
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この道を歩いて茗荷谷駅に向かいます。この道に沿って歩きます。ここが後楽園駅前交差点になります。最近、この青い色に塗り分けられた自転車専用のレーン、普通自転車専用通行帯が増えてきましたね。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その7) 普通自転車専用通行帯
Aug 12, 2020
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駅間歩き、次の茗荷谷駅に向けて歩き始めます。駅を出て東京ドームの方に行く歩道橋を渡ると、地面の上にこんな装飾が。その先を見ると、変わった形の石のオブジェがありました。このオブジェは「ビッグエッグ開場記念モニュメント」1988年(昭和63年)3月18日に開場した日本初の屋根付き球場「東京ドーム」は出来た当時は「BIG EGG」(ビッグエッグ)と呼ばれていました。いつの間にか、ビッグエッグとは呼ばれなくなりましたね。石のオブジェには、1988年開場当時の12球団のキャップマークが掘り込まれています。ということで。MoMo太郎が子供の頃、入団を望んでいた読売ジャイアンツのマークの右横にあったのは、同じ西宮市内にあった人気があっても実力のない阪神タイガースに押されて、今は無くなった実力派あったけど人気が今一つだった阪急ブレーブスのマークが。こちらは、その阪急ブレーブスと合併したイテマエ打線、一度も日本一になることもなく消えていった近鉄バッファローズのマーク。焼肉屋さんのロゴではありませんよ。そして、野球は巨人、ガムはロッテのロッテオリオンズ。MoMo太郎の憧れは、阪神の村山・江夏かこのロッテにいた成田文男投手(→→→こちら)でした。こちらは、横浜大洋銀行ではなく、横浜大洋ホエールズですね。ということで、球団名が変わったり、フランチャイズが移ってしまったプロ球団のマークが残っていました。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その6) ビッグエッグ開場記念モニュメント
Aug 11, 2020
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駅間歩き、まだ礫川公園を楽しんでいます。礫川公園の上段にあるのは、「東京都戦没者霊苑」(→→→こちら)です。この戦没者霊苑は、さきの大戦における16万余にのぼる東京都関係戦没者の慰霊と都民の平和への願いをこめて、昭和35年6月に建立されたそうです。猖獗(しょうけつ)を極める新型コロナウイルスの感染防止でしょうか、訪れた時は閉園していましたが、終戦記念日が近づくこの時期、ここを訪れ『さきの大戦において、尊い犠牲となった東京都関係戦没者に対し、尽きぬ慰霊の誠をささげるとともに、平和を願う都民の強い決意を表す』ことが、平和を希求する都民として大切なことではないでしょうか。もともと、この場所は、小石川台地にあり、古くは水戸藩上屋敷の一部でした。その後、陸軍砲兵工廠・諸工伝習所敷地となり、戦後は、財団法人東京都慰霊協会が戦没者・戦災者慰霊施設として管理し、昭和28年に戦没者慰霊施設用地として、東京都に寄付されたものだそうです。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その5) 東京都戦没者霊苑
Aug 10, 2020
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後楽園駅前にある礫川公園にいます。礫川と書いて「れきせん」と読む。なかなかの難読地名ですね。このあたり一帯は、千川・江戸川や周囲の高台から流れ出た小川が合流する地帯で、それらに含まる川水に小石が多く含まれていたことから、「小石川」という地名になりました。礫川公園の「礫」の漢字は、れき・つぶて・こいしを意味しています。つまり、礫川の礫とは、小石(礫/れき・つぶて)が多い川「小石川」に由来して、川は「せん」とも読むことから、ちょっと洒落て「れきせん」と呼ぶようになったのでしょうか。礫川公園は、春日通りの冨坂という坂道に沿って作られているため、公園全体が2段に別れています。上の段から公園の全景を撮影しました。下段には花壇が広がっています。右手に見える白い建物は、東京メトロの後楽園駅になります。公園の下段と上段の間の崖の途中に、イタリア・ルネッサンス様式ブロンズの獅子や羊の彫刻が飾れています。このブロンズの獅子や羊の彫刻からは水が流れ出て、段差のある滝を下ってくる仕掛けでしょう。多分、大人の事情で水は流されてませんでした。半円形の花壇は、そこそこ手入れされていますね。下段には噴水と池があり、それを眺める子供の塑像があります。大人の事情で噴水から水は噴き出していませんが、それにもかかわらず、子供は噴水から水が出てくるのを待っているようでした。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その4) 礫川公園
Aug 9, 2020
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後楽園駅前にある公園を歩いてみました。東京メトロ丸ノ内線「後楽園」駅の北側にある礫川(れきせん)公園です。礫川公園にあった木ですが、説明板がついていました。木の方はこんな感じです。 幸田文ゆかりの「ハンカチの木」だそうです(→→→こちら)「ハンカチの木」というのは、4~5月に花が咲く頃に、苞(ほう)と呼ばれる蕾(つぼみ)を包むように葉が変形した部分が白い花びらのように見えて、あたかもハンカチを広げたように見えることから和名「ハンカチノキ」と名づけられたそうです。ハンカチの木の隣にも、説明板のある木がありました。こちらは、童謡「ちいさい秋みつけた」とはぜの木、だそうです(→→→こちら)。詩人のサトウハチロー氏が、自宅の庭にあったこのハゼの木の紅葉を見て、童謡「ちいさい秋みつけた」を作詞されたそうです。ハチローの没後に旧宅にあったものが移植されたそうです。でもこんな大木の紅葉をみても「ちいさい秋」を見つけた気分ではなく、「でっかい秋」を見つけたような気分になりますね。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その3) ハンカチの木とはぜの木
Aug 8, 2020
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駅間歩き、まだ後楽園駅にいます。ホームの茗荷谷寄りにやってきました。池袋行きが出発していきました。駅を出るとその先はトンネルになっています。留置線が2本あり、池袋方面の線路とつながっていました。この留置線があったので、ちょっと前まで、後楽園始発、後楽園終着の列車が設定されていました。後楽園駅では、南北線、都営大江戸線、都営三田線に乗り換えることができるのですね。改札口を通って、駅の外に出ます。次回からは、茗荷谷に向かって歩いていきます。【つづく】【追伸】新型コロナの感染で、お盆の帰省もままならないようなことで、何を今更「GoToトラベル」キャンペーンなのかとか、緊急事態宣言しないのか、今更アベノマスクかよ、とか不満に思っている人も多いでしょうが、よく考えてみたら、新型コロナが流行り始めた頃は、多くの国民のみなさんが「マスクがない」と不満だったので、アベちゃんとその仲間の人達も、おっとり刀ではなく、ノンビリ刀でマスクも準備して配ったし、少し新型コロナの感染者が落ち着いてきたら、ゴールデンウィークに儲け損ねた観光関連の業界の人を助けないといけないな、という国民の声を背景に「Go Toトラベル」をやる事にして、なんかボロボロでもやっと準備できたと思ったら、また感染が拡大して、ということで、アベちゃんとその仲間たちは、一カ月遅れくらいで、国民の希望に応え努力はしているようですね。まあ、藤井聡太棋聖のように何手も先を読んで、施策の手を打てない凡人、ヘボ将棋ということで、国民の多くも、将来こうなるかもしれないから、こういう施策を要望しようとか言わないもんだから、こんな有様だっていうことですよね。改めて、こういうことなんですね。「一国の政治というものは、国民を映し出す鏡にすぎません。政治が国民のレベルより進みすぎている場合には、必ずや国民のレベルまでひきずり下ろされます。反対に、政治のほうが国民より遅れているなら、政治のレベルは徐々に上がっていくでしょう。国がどんな法律や政治をもっているか、そこに国民の質が如実に反映されているさまは、見ていて面白いほどです。これは水が低きにつくような、ごく自然のなりゆきなのです。りっぱな国民にはりっぱな政治、無知で腐敗した国民には腐りはてた政治しかありえないのです。」「自助論」サミュエル・スマイルズ著人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その2) 後楽園駅の続き
Aug 7, 2020
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駅間歩き、後楽園からスタートです。丸ノ内線の後楽園駅です。駅の柱に貼ってあるこの乗り換え案内。いつも便利だなと思ってみています。後楽園駅の構内です。地上にあるので、他の駅に比べると明るい感じがしますね。ホームの端から、本郷三丁目方面を撮影してみました。地下トンネルの入り口まで見えました。池袋行きの地下鉄がやって来ました。向かいのホームから荻窪行きが本郷三丁目方面に向かって行きます。段々、遠ざかって行きます。やがてトンネルの入り口に差し掛かります。そして、トンネルに吸い込まれていきます。駅間歩きらしく鉄道の写真が撮影できました。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その1) 後楽園駅
Aug 6, 2020
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いつもの立ち食い蕎麦「ゆで太郎」の夏麺という季節メニューの中から、「太刀魚のちくわ天そば(560円税込み)」を食べてみました。太刀魚のすり身のちくわを天ぷらにしたものと大根おろしがのっている夏向けの冷やし蕎麦でした。太刀魚のすり身のちくわ、ふわりとしていて弾力のある食感で美味しかったですね。ところで、最近、そばについて気になることが、「生そば」をMoMo太郎は「きそば」と読むのだと思っていたのですが、平成生まれになると「なまそば」と読むそうだ。「生ビールを『なまびーる』と読むのだから」というのが、論拠だそうだ。しかし「灘の生一本」は「きいっぽん」だし、「生真面目」は「きまじめ」だから、混じりっ気のないものは「生(き)」と読むもの。つまり全てそば粉の十割そばは『生そば」となるのでしょうが、現在は小麦粉をつなぎに使った「㈡八そば」が広く使われているので、「きそば」を「きそば」というと誤解を生じることになるため、乾麺に対して打ち立てのそばを指す言葉として「なまそば」と読むこともを使うのが、平成生まれの気遣い、気配りなのでしょうかね。人気ブログランキング孤独のグルメ 夏麺、生そば、
Aug 5, 2020
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後楽園駅界隈を歩いてみます。東京ドームシティアトラクションズのサンダードルフィンです。後楽園駅につながる高架橋。鮮やかなグローイング・スカーレットの2000系車両です。後楽園といえば、ジャイアンツのホームグラウンド「東京ドーム」ですね。ちなみに、ジャインアンツ、野球協約第38条に書かれている構成球団は「株式会社読売巨人軍」、球団呼称は「読売ジャイアンツ」となっているそうです。後楽園駅は、駅ビルのメトロエムになっています。色々なお店も入って、便利といえば便利な施設です。後楽園駅の改札口、南北線のホームは地下になります。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(本郷三丁目~後楽園) (その10) 東京ドームとメトロエム
Aug 4, 2020
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いよいよ後楽園ですね。地下鉄丸ノ内線と講道館国際柔道センターの間の道を歩きます。文京シビックホールの裏口?楽屋口でした。ということはここで出待ちしているとシビックホールに出演した人に会えるのかな。そして、ここが東京メトロ丸ノ内線後楽園駅です。駅の入口には自転車が一杯。丸ノ内線と南北線の後楽園駅があるのですね。後楽園界隈、もうすこし歩いてむみます。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(本郷三丁目~後楽園) (その9) 後楽園駅
Aug 3, 2020
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いよいよ後楽園も近づいてきたようです。文京シビックセンターの手前にあるこの建物。言わずと知れた、柔道の家元「講道館」です。銅像は嘉納治五郎。その隣のビルは、講道館国際柔道センター。柔道ってやっぱり国際的なんですね。ここ道場があるようで、ここに来るれば、一流講師陣による柔道の英才教育が受けられるのでしょうか。日本柔道、頑張って欲しいですね。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(本郷三丁目~後楽園) (その8) 柔道一直線
Aug 2, 2020
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本郷三丁目から後楽園まで、歩いています。春日町交差点から、見えてきました文京シビックセンター(文京区役所)展望ラウンジから景色はいいですよね。いつか紹介してみたいです。そして、春日町交差点にあるこの小さなスペース。水をテーマにしたポケットパークだそうです。都営三田線と大江戸線の春日駅の入口です。地下鉄の4路線が乗換に使える便利な駅ですね。【つづく】【付録】2020年5月1日~7月31日のアクセスレポートです。毎日の変動が大きかったですが、多くの方々の訪問をいただきました。本ブログをご覧いただきありがとうございます。これからもよろしくお願いします。人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(本郷三丁目~後楽園) (その7) 春日町交差点
Aug 1, 2020
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