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池袋に向かって歩いています。春日通りです。ここはもう東池袋五丁目、池袋のエリアですね。もう少し行くと、尺八のお店がありました。容山銘尺八(→→→こちら)、結構、その道では有名なお店なんでしょうか?ビルの一階にあるお店です。アサヒ弓具(→→→こちら)です。この店もその道の人達には有名な店なんでしょうか。こういう特殊な道具を扱う店があるのも東京なんでしょうね。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(新大塚~池袋) (その2) 色々なお店
Sep 30, 2020
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新大塚駅から池袋駅に向かいます。新大塚駅です。ここから春日通りを池袋方面に向かって歩きます。これは春日通りの下をはしる丸ノ内線の通風口でしょう。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(新大塚~池袋) (その1) 春日通り
Sep 29, 2020
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今年、はじめてヒガンバナを見ました。近所の公園で毎年咲いているヒガンバナ、昨日はじめて花が咲いているのをみました。まだ蕾もあったのでこれからが見頃を迎えるのでしょう。ヒガンバナは球根性植物で、毎年同じ場所で咲くのです。MoMo太郎の田舎のお墓には、このヒガンバナが植えられていて、お彼岸の頃、お墓参りに行くといつもこの花がありました。祖母は「この花はご先祖様の魂が宿っていて、毎年、ちゃんとみんながお墓参りに来てくれるかどうか見張っているんだ」と教えてくれました。「だから、MoMo太郎がおばあちゃんが死んだ後も、お墓参りに来ているかどうか、この花を通してみているんだよ」と付け加えていました。ということは、長い間、お墓参りに来てくれないなと、おじいちゃんとおばあちゃんに思われているんだろうな。そのうち、おじいちゃんとおばあちゃんが枕元に来て、「MoMo太郎もそろそろこっちの世界に来なさい」と誘われるんでしょうね。亡くなった竹内結子さんのところにも、きっとおじちゃんとおばあちゃんが来て、そう誘われたのかな?でも、ちょっと残念なのは、おじいちゃんとおばあちゃんは天国だけど、MoMo太郎は地獄に行く予定なので、あの世に行っても二人には会えないかもしれませんね。人気ブログランキング今年はじめてのヒガンバナ
Sep 28, 2020
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「かつや」でカツ丼(梅)(539円税込み)をいただきました。ちなみに100円の割引券を持っていたので、実質支払ったのは439円でした。行けば翌月末まで有効な100円割引券をもらったので、また来月中には「かつや」にへ行くことになりそうです。人気ブログランキングへ孤独のグルメ かつやのカツ丼
Sep 27, 2020
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新大塚駅に到着です。新大塚駅に到着しました。こちらは池袋方面行のホームに近い方の出入口です。都バスが行こうとしている左側の道が春日通り、池袋方面です。右側の道を行くとJRの大塚駅に行けます。春日通りを渡ったところにある出入口です。こちらの出入り口は、銀座、新宿行のホームにつながる出入り口です。地下鉄の駅は中で池袋行きのホームも新宿行のホームも繋がっているので、それぞれのホームに近い出入口から入ろうとすると、春日通りを横断する信号機の待ち時間が長いので、かえって時間が掛るかもしれませんね。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(茗荷谷~新大塚) (その10) 新大塚駅
Sep 26, 2020
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新大塚駅まであと少し。大塚公園の近くには大きな白い建物があります。都立大塚病院です。最近の新型コロナウイルス感染症が流行するような状況だと、まずこういう都立病院が率先して感染患者の対応させられるんでしょうね。都立病院のような公立の病院があるってやっぱりいいことですよね。昨今はこういう医療施設の赤字が地方財政に負担となるので、大阪府のように地方独立行政法人(→→→こちら)にして採算性を重視するようですが、そうなると、儲けの薄い新型コロナウイルス感染患者の受け入れなんかしたくなくなるかもしれませんね。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(茗荷谷~新大塚) (その9) 都立大塚病院
Sep 25, 2020
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新大塚駅へ着実に向かっています。大塚公園の中を歩いて行きます。緑が濃くていい雰囲気の公園ですね。公園の中にある大噴水です。公園を出てこの道を進みます。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(茗荷谷~新大塚) (その8) 大噴水
Sep 24, 2020
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新大塚にはもう少しですね。大塚公園にあった井戸です。昔懐かしい手押しポンプ(ガチャポン)です。こちらの山小屋風の建物、木立の中の白壁がいい雰囲気ですね。この建物は、大塚公園集会所で大塚公園みどりの図書室(→→→こちら)も兼ねているのですね。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(茗荷谷~新大塚) (その7) 大塚公園集会所
Sep 23, 2020
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新大塚駅まではあと少しです。緑の濃い場所に出ました。このあたり、旧町名は「大塚仲町」というそうです。古くは、小石川村のうちであった。 延宝年間(1673~81)以前百姓町屋となり延享2年(1745)大塚仲町と称して、町奉行支配となった。(「御府内備考」) 町名は、大塚上町と大塚窪町の間、仲の町であることからであろう。(「小石川区史」) 明治5年、高源寺門前を併せ、同24年元小石川の内字吹上を除き、小石川大塚町飛地を加えた。本傅寺は、寺内に4院あったが維新後本坊に併合された。また、寺内には波切不動尊堂がある。 町内の大塚公園はもと松平家(白河藩)の屋敷跡で、明治29年養育院がおかれ、昭和3年この跡地を利用し、近代的公園となった。 また、現在大塚5丁目にある吹上稲荷社はもとこの町にあった。 文京区ここで、改めて気がついたのですが、山手線の大塚駅(→→→こちら)は、豊島区で、大塚という地名は文京区の地名になるのですね。ちょっとバンガロー風の建物がありました。大塚公園という名前です。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(茗荷谷~新大塚) (その6) 大塚公園
Sep 22, 2020
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新大塚駅に向かって歩いています。迷路ような住宅街の道を歩いています。小さな動物たちが集まっていました。ゾウ、カンガルー、ちょっとした動物園でしょうか。さらに住宅街の道を進みます。多分、この道路の下に丸ノ内線が走っています。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(茗荷谷~新大塚) (その5) ミニチュア動物園
Sep 21, 2020
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9月18日放送の「チコちゃんに叱られる」で取り上げられていた、「なぜ数学を勉強するのか」のところで、「ボーっと観ていてるんじゃない!?」と思ったので、ここに紹介します。三角関数、サイン、コサイン、タンジェントを説明するところで、富士山の高さの測り方を説明していましたが、その前提で、「富士山頂までの水平距離を地図で測って」と言っていましたが、そもそも地図があれば、富士山の標高3,776mは書いてあるので、地図を作くるために、どうやって富士山の標高を測ったかを説明しないと、サイン、コサイン、タンジェントのありがたみが伝わらないのではないでしょうか。ということで、ここで富士山やエベレストの高さを測る方法を説明します。そのカギは「正弦定理」(→→→こちら)です。上の図を観ながら、富士山の高さhの求め方を説明します。1. B点からA点と水平線の角度βを測る。2. B点からxだけ移動したC点からA点と水平線の角度δを測定し、角度γを求める。3. 三角形の内角の和は180度であるから、角度αも求められる。4. 正弦定理より5. よって、zの長さも求められる。同様に正弦定理からこのようにして富士山の高さhを求めることができます。まあ、これを番組の限られた時間で説明するのはできなかったのでしょうね。ちなみにこういう問題って、大学入試に時々出題されているようです。人気ブログランキングへ「チコちゃんに叱られる」をボーっと観ているんじゃない!?
Sep 20, 2020
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新大塚駅に向かって歩いています。大塚一丁目の交差点です。丸ノ内線は、ここで春日通りから離れて行きます。そして、この道の下を通って行きます。筑波大学付属小学校入口の交差点です。道沿いに、カンナの花が咲いていました。広い通りに出ました。丸ノ内線は、丁度、コンビニの下を通っているようです。この広い道は、不忍通りです。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(茗荷谷~新大塚) (その4) 不忍通り
Sep 19, 2020
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春日通りを新大塚に向かって歩きます。お茶の水女子大前にある歩道橋です。このあたり跡見学園女子大、お茶の水女子大などの女子大が多いエリアですね。もちろん、拓殖大学などの共学もありますが、そこにも女子大生が通っているはずなので、若い女子比率の高いエリアになりますねこちらの建物は桜陰(おういん)会館です。お茶の水女子大学と同大学院卒業生、および東京女子高等師範学校までの前身校ならびに付設教員養成所の卒業生の同窓会である一般社団法人 桜蔭会(→→→こちら)の所有する建物です。女子学院中学校・雙葉中学校と共に「女子御三家」といわれている桜陰中学校も、桜陰会が設立したものです。桜陰といえば、「このハゲ!」で有名な元衆議院議員の豊田真由子氏やタレントの菊川玲氏、三浦奈保子氏などの著名人も多いですが、最近は桜陰出身のドクターも多いですね。そして、桜陰会の会員になるには、このお茶の水女子大学を卒業しないといけません。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(茗荷谷~新大塚) (その3) 桜陰会館
Sep 18, 2020
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このところ、立て続けに芸能人の訃報がありましたね。三浦春馬さんや芦名星さんは、まだまだこれからという方で残念でしたが、8月28日に逝去されていた岸部四郎さん(享年71歳)や9月1日に逝去されたマモル・マヌーさん(享年71歳)らについては、MoMo太郎も子供の頃から知っていて、まだまだ生きていて欲しかったのですが、やはり天寿を全うされたというところでしょうか。岸部四郎(岸部シロー)さんは、最も成功したグループサウンズ、ザ・タイガースへトッポ(加橋かつみ)が脱退した後に参加されたメンバーです。そして、お兄さんは今は俳優として活躍されている岸部一徳(ザ・タイガースの頃は岸部おさみ)さんでした。ザ・タイガースといえばこんなアイドルっぽいバンドで、MoMo太郎のお姉さんなんかは、テレビのブラウン管に貼りつけた紙テープを握って「ジュリー!」とか「トッポ!」と叫んでいたました。知らない人も多いと思うので説明すると、リード・ヴォーカルのジュリー(沢田研二)の隣でギターとヴォーカルをしてるのがトッポ(加橋かつみ)、画面右のギターはタロー(森本太郎)、そして左画のベースを演奏しているのが、サリー(岸部一徳)、ほとんど映されていないのがドラムのピー(瞳みのる)です。ちなみに、岸部一徳がサリーと呼ばれていたのは、背が高くって、ロックンロールの名曲「のっぽのサリー(Long Tall Sally)」に因んでそういうニックネームになったそうてす。ビー、瞳みのるの本名は人見豊で読み方は同じ、彼はザ・タイガース解散後、慶応大学に入学し、その後慶応義塾高校で漢文の先生をしていたそうですが、退職後はかっての仲間と同窓会コンサートをやったりしています。で、トッポの代わりに入った岸部四郎ですが、こんな感じ、眼鏡をかけて、関西弁で話す、アイドルらしくないシロー。MoMo太郎のお姉ちゃんもちょっとガッカリしていたし、なんとなくシローの加入からアイドル路線から外れて行った感じでした。マモル・マヌーさんは、グループサウンズの中でも伝説的なバンド、横浜本牧出身のザ・ゴールデン・カップスのドラムス兼ヴォーカルです。帽子を被ってちょっと中年太りのおじさんがマモル・マヌー。この映像の途中に出てくる若者たちの中で、最後にグラスを持って笑っているのが、マモル・マヌーさん。歳月ってこわいですね。この映像だと、メンバー全員入っていないのですが、それにメンバーも変動が多かったのですが、一応全盛期のメンバーが入っている映像がこれです。リードヴォーカルがディヴ平尾、ギターがエディ藩(後に松田優作が歌った「横浜ホンキー・トンク・ブルース」を作曲)、ベースを弾いているのがルイズルイス加部、キーボードがミッキー吉野(後にゴダイゴというバンドでも活躍したので有名かも)、そしてドラムスがマモル・マヌー。みんな外国人みたいな名前をつけていますが、本当の外国人は、エディ藩(在日中国人)とルイズルイス加部(父親がフランス系アメリカ人、母親は日本人で本名は加部正義)です。多分、デビューに当たって、「ハーフのバンド」という触れ込みを作りたかったので、こういう名前にしたのでしょう。ちなみにデビューの時にミッキー吉野は参加しておらず、ケネス伊東というハワイ州オアフ島出身の日系アメリカ人二世が参加していたそうです。でも、こういう話は後から聞いたので、当時は横浜ってハーフが多い町なんだとMoMo太郎は思っていました。演奏を聞いて、ザ・タイガースとは月とスッポンと思いませんでしたか? エディ藩のギターはオーッていう感じだし、ルイズルイス加部のベースなんてこんな指使いなんて電光石火ですよ。そんな、テクニックの凄い彼らとしては、「長い髪の少女」のような歌謡曲ロックではなくて、英語でのR&Bやブルースロックの演奏を強く希望していたようで、そんな彼らの本領が垣間見えるのが、次の映像です。シブイですね。そして、もう一つ忘れてはいけないのが、アニメ巨人の星で使われた「クールな恋」これも実は、カップスの曲なんです。ということで、岸部四郎さんとマモル・マヌーさんのご冥福を心から願います。人気ブログランキング
Sep 17, 2020
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更に新大塚に向かって歩きます。さすが、文化の京(みやこ)と書く文京区。跡見学園(→→→こちら)もあります。跡見花蹊(あとみかけい)(→→→こちら)が創設した女子教育の殿堂、跡見学園の校門です。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(茗荷谷~新大塚) (その2) 跡見学園
Sep 16, 2020
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駅間歩き再開します。今回は丸ノ内線茗荷谷駅から新大塚駅に向かって歩きます。茗荷谷駅を出発します。春日通り沿いに大きな空き地がありました。大学の校舎が立つ予定ですが、多分ここは、むかし都バスの大塚車庫(→→→こちら)だったのでは。茗渓(めいけい)会館(→→→こちら)がありました。筑波大学およびその前身である東京教育大学、東京高等師範学校の同窓会・社団法人「茗渓会」の施設です。今は結婚式場、レストラン、カフェとして営業しているそうです。ちなみに茗渓会はつくば市で茗渓学園(→→→こちら)という学校も経営しています。また、「茗渓(めいけい)」とは、御茶の水の谷の意味であり、東京高等師範学校が明治の初め、昌平校跡(現在の東京医科歯科大学の台地)に設立されたことに由来し名付けられたそうで、茗荷谷とは関係ないそうです。「茗」という漢字には「茶」の意味があるそうで、御茶ノ水の旧称ということになるそうです。【つづく】【追伸 自粛&マスク警察ですね】マスク着用拒否の乗客 奥尻空港で降ろされる先日のピーチエアラインといい、北海道を飛ぶ飛行機会社って、自粛&マスク警察だったんですね。まあ、これが同調圧力ですか。確かに北海「道庁」が治めているだけのことはありますね。今のところ、マスクの着用は法律で義務付けられていないので、別件で逮捕みたいなものですね。人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(茗荷谷~新大塚) (その1) 茗渓会館
Sep 15, 2020
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御茶ノ水駅の近くにあるこの坂道。御茶ノ水ソラシティの南側を、「本郷通り」から「外堀通り」の方向に下る坂です。「幽霊坂」という名前がすごいですね。「江戸時代には火消役の屋敷があり、そこへ上る坂道でした。江戸時代の初めは緩やかなカーブで、埃(ごみ)坂あるいは光感寺坂とも呼ばれていました。のちに直線状に整備されて、紅梅坂へとつながっていましたが、大正時代の区間整理で本郷通りができたために2つに分かれた形となりました。このあたりは木々が繁っていて昼間でも薄暗かったことから、幽霊坂の名が名づけられています」と標柱には書いてありました。ちなみに「幽霊坂」という名前の坂道は、都内に結構あるそうで(→→→こちら)、それだけ江戸の町には幽霊が出そうな所があったということでしょうか。【追伸】先日、「チコちゃんに叱られる」で山手線は品川から田端の区間だと言われていましたが、うちの家族の間で「大阪環状線の区間は、どこからどこまで?」と話題になりました。今度、チコちゃんのお便りコーナーへ手紙でも書いて質問してみようかな。岡村は大阪出身なので正解を知っているかも。人気ブログランキング幽霊坂
Sep 14, 2020
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なかなか収束の兆しもみえない新型コロナウイルスの感染。外食するにもちょっと気をつける今日この頃ですが、東京都の発行する「感染防止徹底宣言ステッカー」が掲示されているお店ならいいかなと思っていますが、ここは神田の「やぶそば」。ステッカー貼っているのかなちゃんと貼っていましたね。こちらのお蕎麦屋さんも貼っていました。意外だったのは、こちらの鍼灸院。こういうお店にも「感染防止徹底宣言ステッカー」を掲示していました。しかし、この「感染防止徹底宣言ステッカー」、東京都のホームペーから誰でも手続きができ、感染防止対策をとっていれば、店舗名などが記入されたステッカーを、自分で印刷して店先などに掲示するということで、感染防止対策がしっかり行われているかどうかは、お店次第のようですね。はやく、こんな青空のように、新型コロナウイルス禍も晴れて欲しいですね。人気ブログランキング感染防止徹底宣言ステッカー
Sep 13, 2020
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久しぶりに牛丼の吉野家に立ち寄って、朝食の朝牛セット小盛(437円税込み)を食べました。サイズは並盛もあって、そちらは459円(税込み)なので、並盛、味噌汁、生卵のセットで頼むよりもお得ですね。ちなみに、小鉢はナマ卵になっていますが、他に半熟卵、納豆、ミニ野菜サラダが選べるようでしたが、初めて食べたのと、外国人店員から、「小鉢はナマ卵でいいですか?」と確認されなかったので、知らない間に不本意ながらナマ卵を食べることになってしまいました。ナマ卵が嫌いというわけではなく、やっぱり夏はナマモノは避けた方がよかったかも。という程度のことですが。それと、初めて気がついたのですが、吉野家で定食を頼むと、定食のご飯は24時間増量・おかわり無料だそうで、向かいのカウンター席に座っていた若い人は、MoMo太郎がこの朝牛セットを食べ終わるまでに、2回、ご飯大盛りのお替りをしていました。今度、吉野家に行くときは、体調を整えて、はらぺこツインズ小野姉妹とのデートに吉野家の定食に行ってみようかな。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 吉野家の朝牛セット
Sep 12, 2020
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茗荷谷駅を少し見学します。改札口です。明るくて広々していますね。ここには、駅ビルの「茗荷谷駅MFビル」があって、オフィスや店舗が入っています。東京メトロは不動産業でも稼いでいるのかな。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その30) 茗荷谷駅ビル
Sep 11, 2020
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やっと茗荷谷駅に到着しました。茗荷谷は、小石川台地と小日向台地の間の浅い谷には、江戸時代に茗荷畑が多かったので、「茗荷谷」となったそうです。茗荷谷、「みょうがだに」と「谷」の字が濁音で読むのですね。駅前には「餃子の王将」。学生も多いし、普通に住宅街でもあるし、そこそこ人気店では。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その28) 茗荷谷駅に到着
Sep 10, 2020
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いよいよ、茗荷谷駅。ここから、茗荷谷駅のホームが見えます。後楽園方面を撮影。茗荷谷駅、ここから地下に入っていきます。荻窪行き、トンネルから出てきました。【つづく】【追伸】 安倍政権「継承」是非が争点=石破、菅、岸田氏が立候補―自民総裁選が告示安倍首相の後継を決める自民党総裁選は8日告示された。菅義偉官房長官(71)、岸田文雄政調会長(63)、石破茂・元幹事長(63)の3氏が立候補し、本格的な論戦が始まりましたね。投開票は14日。でも、今のところ無派閥の菅氏が、二階派、石原派、細田派、麻生派そして竹下派の5派閥の支持を受けて、なんとなく、ほぼ当確みたいな雰囲気ですが、ちょっと驚いたのは安倍政権を「評価」71% コロナ巡る指導力、評価二分 朝日新聞社世論調査まあ、後継候補者の3名の顔ぶれをみて、まだ安倍ちゃんの方がましかなという国民の気持ちかもしれませんね。考えてみれば、憲法改正とか右っぽい政治家のイメージのある安倍ちゃんですが、もちろん「特定秘密の保護に関する法律」、安全保障関連法案(「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律」と「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律」などの右派的な法律も成立させていましたが、その一方で「障害者差別解消法」、「ヘイトスピーチ対策法」、部落差別解消推進法といった、内容はともかく左派向けの法律も成立させていましたし、高等教育や幼児教育の一部無償化もやって、リベラル派の皆さんにも忖度した政治を行っていたのが、長期政権維持に役立ったのかも。さて、次期総理が有力な菅氏ですが、秋田県出身で横浜市会議員からの「叩き上げ」というのが、要注意。県会議員からの叩き上げのDAIGOのおじいちゃん、リクルート事件の竹下晋元首相とか、それこそ叩き上げの今太閤から目黒の闇将軍、ロッキード事件の田中角栄元首相とか、叩き上げの政治家って汚職しますよね。そういえば二階幹事長も県会議員からの叩き上げ。みなさん胡散臭さがたまりません。そして、内閣人事局で各省庁の幹部職員の人事権を握って、忖度できる公務員の皆さんを作り上げた菅官房長官。ちょっと安倍ちゃん以上に危険な匂いがしますね。MoMo太郎が、最低の政策だと思うのは菅官房長官が総務大臣の時に作った「ふるさと納税」。子供の学校のことや、ゴミ収集、上下水道で日頃からお世話になっている市町村に払ってこその税金ですよ。それを縁も所縁もない地方の都市の産物目当てや、地元とは関係ない返礼品で、お金を巻き上げて、ちっとも地元産業に貢献しない泉佐野市に税金を払うなんて、社会に役立ててもらうために、いやいや税金を納めている国民を馬鹿にしていますよ。まあ、秋田から都会の横浜に出てきて、一旗あげて、故郷にお金を持って帰ろうという、地方出身者らしい発想といえば、発想ですね。といっても、MoMo太郎には「ゲル」こと石破茂氏や「キッシー」こと岸田文雄氏が今、総理にふさわしいかどうかは、わかりませんけど。人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その27) 茗荷谷駅のホーム
Sep 9, 2020
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茗荷谷駅に近くまでやって来ました。茗荷谷駅に近くにある気になるお店です。有名なギターのブランド「ギブソン(Gibson}」に因んだお店でしょうか?カラオケ・バーだそうです。低価格で有名だった「牛丼太郎」(→→→こちら)でしたが、今でも「丼太郎」として営業しています。学校服って、学校の制服のことですよね。今の学生服って、なんかオシャレですよね。「わしの焼き鳥」という店名。まさか「鷲」の肉の焼き鳥が出てくるわけはないですよね。【つづく】【追記】昨日の記事のコメントの中に>ちょっとバックしましたね(笑) とありました。これは8月6日の記事に「東京都社会福祉保健医療研修センター」があり、そこは8月7日の「播磨坂」より茗荷谷駅よりにあると思われている結果のようです。MoMo太郎は、後楽園から茗荷谷駅に向かって歩いているていたので、下の地図を見ていただければわかるように、「東京都社会福祉保健医療研修センター」の次に「播磨坂」となるので、バックはしていないのです。ということで、細かい地図で説明してみました。人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その27) 気になったお店
Sep 8, 2020
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茗荷谷駅は近いはず。播磨坂です。ここはお花見では有名なところで、桜の季節はこんな感じになります。来年は、ゆっくりお花見に来てみたい場所です。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その26) 播磨坂
Sep 7, 2020
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茗荷谷駅までもう少し。東京都社会福祉保健医療研修センター、福祉、医療関係の講習会が開かれる会場です。その東京都社会福祉保健医療研修センターの隣で、春日通りに面してこんな車の販売店やこんな車の販売店があります。文京区に住んでいる人にはこういう車が売れるのでしょうか?【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その25) 高級車のお店
Sep 6, 2020
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茗荷谷駅に向かってテクテク。本郷三丁目から後楽園に向かったように、再び春日通りに沿って北西方向に歩きます。春日通りに面して大きな建物があります。茗台(めいだい)中学校の校舎のようです。グランドもなかなか綺麗ですね。さすが文化の京(みやこ)の文京区立。立派な施設です。これは何を意味するのでしょうか。とにかく、かなり施設は充実している中学校のようです。ちなみに、この「茗台(めいだい」とは、茗荷谷に面して小石川の台地に 聳え立つ学び舎、ということから、「茗台中学校」の名称になったようです。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その24) 茗台中学校
Sep 5, 2020
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茗荷谷駅、段々近づいてきているのでしょうね。住宅街の中の道を歩いて行きます。ちょっと高級な感じの山手の住宅街というのでしょうか。ちょっとした子供向けの公園もありました。こちらは中学校の校庭です。そして、春日通りに出ました。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その23) 住宅街
Sep 4, 2020
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茗荷谷駅に向けて歩いています。また丸ノ内線を撮影できるポイントに来ました。しかし、この金網の隙間からの撮影となります。こういう時、コンデジの小さいレンズって便利ですね。池袋行が茗荷谷駅に向かって走り去っていきます。写真の左側は丸ノ内線の小石川車両基地になっています。今度は荻窪行がやってきました。写真にちょっと金網が被ってしまったのが、MoMo太郎の未熟さ故です。【つづく】(追伸) 安倍政権について思うことなんか持病の潰瘍性大腸炎が悪化して、安倍ちゃん総理大臣をお辞めになるそうで、ちょっと本人は心のこりでしょうね。また、森友学園、加計学園、そして桜を見る会のことも忘れられていくのでしょうか。まあ、公文書も改竄されたり、廃棄処分されたりしているので、この事件のことを研究したい未来の磯田道史さんのような歴史学者も困るでしょうね。で、意欲は大で能力は小の安倍ちゃん、総理大臣としてどうだったのかというと、まあ、それなりに選挙で勝つことで、権力を維持できたということは、民主主義で選ばれた人気があったのでしょう。かって、麻生財務大臣がナチスを見習って、ということを言っていましたが。確かにナチスは、もっとも民主的だったといわれたワイマール憲法の下で、選挙で勝つことで権力を得たのですから、安倍ちゃん学習はしていたのですね。そして、学習していない国民は、意欲は大で能力は小の総理大臣の下で、その大多数が、だらだらと安逸をむさぼれたということでしょうか。人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その22) 丸ノ内線を撮影
Sep 3, 2020
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まだまだ遠い茗荷谷駅ですね。国際仏教学大学院大学の脇の坂道を登って、春日通りの方に向かうことにします。国際仏教学大学院大学の校舎を見ながら、坂道を登って行くと、右手は金富小学校の校舎になります。この坂道の名前は今井坂(新坂)というそうです。『改撰江戸志』には、「新坂は金剛寺の西なり、案(あんずる)に此坂は新に開けし坂なればとてかかるなあるならん、別に仔細はあらじ、或はいふ正徳の頃(1711~16)開けしと、」とある。新坂の名のおこりである。 今井坂の名のおこりは、『続江戸砂子』に、「坂の上の蜂谷孫十郎殿屋敷の内に兼平桜(今井四郎兼平の名にちなむ)と名づけた大木があった。これにより今井坂と呼ぶようになった。」とある。 この坂の上、西側一帯は、現在「国際仏教大学院大学」になっている。ここは徳川最後の将軍、慶喜が明治34年(1901)以後住んだところである。慶喜は自分が生まれた、小石川水戸屋敷に近い、この地を愛した。慶喜はここで、専ら趣味の生活を送り、大正2年(1913)に没した。現在、その面影を残すものは、入り口に繁る大公孫樹のみである。 この町に遊びくらして三年居き寺の墓やぶ深くなりたり(釈 迢空) (この町とは旧金富町をさす) 文京区教育委員会 平成13年3月『現在「国際仏教大学院大学」になっている。』のところは後から修正したようになっていますね。つまり国際仏教大学院大学は平成13年以降に出来たもので、それ以前は「財務省の宿舎」だったそうです。さて、坂の途中で、また丸ノ内線を跨ぐのですが、その跨線橋の手前にまた看板が。ここが、「徳川慶喜終焉の地」だそうです。徳川幕府最後の将軍 徳川慶喜は、水戸徳川藩主斉昭(なりあき)の七男として、天保8年(1837)小石川の上屋敷(現在の小石川後楽園一帯)で生まれた。 その後、御三卿の一橋家の家督を継ぎ、ついで、幕末の動乱の中、長州攻めの陣中で没した第14代将軍家茂(いえもち)のあとを継ぎ、慶応2年(1866)第15代将軍となった。翌、慶応3年大政奉還し、鳥羽伏見の戦いの後、天皇に恭順(きょうじゅん)の意を表して水で謹慎、明治維新後、駿府(すんぷ)(静岡)に隠棲(いんせい)した。明治30年(1897)東京の巣鴨、さらに明治34年誕生地である旧水戸屋敷に近いこの地に移った。 慶喜は、のちに公爵、勲一等旭日大綬章を授けられ、大正2年(1913)11月22日、急性肺炎のためこの地で没した。享年76歳。寛永寺墓地に葬られた。文京区教育委員会 平成19年3月【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その21) 今井坂と徳川慶喜終焉の地
Sep 2, 2020
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まだ茗荷谷駅は遠いかな。旧町名が第六天町と呼ばれるあたりに来ました。この説明板の文章を引用すると。もとは豊島郡小日向村のうち。承応年間(1652~1654年)には既に百姓町屋があった。1713(正徳3)年に町奉行支配となり、以後町奉行・代官両支配となる。町名は土手上に龍門寺持ちの第六天社があったことによる(備考)。南は神田上水に面していた。前身の小日向第六天前町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、小石川称名寺門前、相模荻野山中藩大久保氏下屋敷、先手組屋敷等の武家地を合併。1872(明治5)年5月、「小日向第六天町」と改称。同年の戸数47・人口183(府志料)。1878(明治11)年11月2日、東京府小石川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市小石川区に所属。荒木坂、新坂等があり、明治30年代の町内には公爵徳川慶喜邸があった。1943(昭和18)年7月1日、東京都小石川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。住居表示の実施により、1964(昭和39)年8月1日に春日二丁目に、残余は1966(昭和41)年4月1日に小日向一、四丁目に編入となり消滅。ということで、徳川慶喜公の屋敷跡を探してみました。そして、この門の前にありました。江戸幕府第十五代将軍だった徳川慶喜(→→→こちら)。その屋敷跡という標柱がありました。ここはどこの敷地かというと「国際仏教学大学院大学」(→→→こちら)の敷地でした。随分「学」という字が多い校名ですね、かなり学ぶことが多い学校でしょうか。この敷地の中にお屋敷があったのでしょうね。やはり元とはいえ、征夷大将軍、大きなお屋敷に住んでいたのですね。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その20) 徳川慶喜公屋敷跡
Sep 1, 2020
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