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木の実が熟す秋(3)私の朝の散歩道、その散歩道の道端に舗装道路の割れ目からたくましく芽をだし、勢いよく伸びて茂る葉っぱに隠れて1センチにも満たない小さな花をつけているイヌホウズキ誰の目にも止まらぬ程のちいっちゃな白い花イヌホウズキ(舗装道路の割れ目から、勢いよく育っているイヌホウズキ)でも、近づいて、アップにしてみるとほら、こんなに可憐で美しいナスの花を白くしたミニ版、ジャガイモの花にも似て、子供たちが通学路として行き交う道に、誰にも振り向かれることなく伸び続け、秋になると漆黒の実をつけるイヌホウズキイヌホウズキは別名バカナスビともいう。ホウズキやナスに似ているが人間さまの役に立たぬためこんな汚名を頂戴している。そして、全草有毒である。未熟な実を食べた子どもが死亡した例さえあるという。私たちの子供の頃のおままごとにはドングリやホウズキや落ち葉などが大活躍したけれどヒヨドリジョウゴ、マユミ、イヌホウズキの秋に熟す実は、濃い紅、薄紅、漆黒と色鮮やかで、おままごとには魅力的なものばかり、ごくごく身近な庭や道端にある実の数々を親たちに「これは恐い毒の実」などといつも教えられて遊んでいたっけ。遠い懐かしい日の光景今は子供たちに、その実が、その草が、その木がそこに在ることさえ気付かれずに、刈り取られたり、踏みつけられたりして、生きながらえている。《 花の名一口メモ 》イヌホウズキ(犬酸漿)(舗装道路の側溝の裂け目から生えているイヌホウズキ)ナス科の1年草。花期8~10月。畑や道端などに自生。日本全土、世界の熱帯から温帯に広く分布。日本には古い時代に渡来したものらしい。全草有毒であるが、漢方では竜葵(リュウキ)と呼び、解熱剤や利尿剤となる。ヒヨドリジョウゴもそうであるが、ナス科の野生植物は有毒植物が多い。
2006.10.30
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木の実の熟れる秋(2)私の朝の散歩道は、一段と冷え込んで木々の葉が色づき始めた。ニシキギ(錦木)(ニシキギの熟れた赤い実)まだ、夏のなごりを残した青々とした草の茂る川べりに、真っ先に紅葉を始めたニシキギの葉その紅の美しさはたとえようもない。分枝した枝につくコルク質の翼その枝から垂れて熟した濃い紅色の種皮が裂けて鮮やかな橙赤色の種が朝露に濡れて光る。(まだ青々と茂る夏草の中でひときわ鮮やかなニシキギの紅葉)同じニシキギの仲間マユミ(真弓)も赤い実を枝一面に垂らしている。(マユミの薄紅色に熟した実)マユミは古くは弓の材にされたという。こけしや将棋の駒などにも利用される材。『万葉集(巻7)』には「南淵の細川山に立つ檀(マユミ) 弓束(ユヅカ)まくまで人に知られじ」で、マユミの野生の木が描写されている。『源氏物語』の篝火の巻には「いと涼しげなる遣水(ヤリミズ)のほとりに、けしきことに広ごり伏したる檀の木の下に、打松おどろ」と書かれ、平安時代に庭でマユミが植えられていたことが知られる。日本の古来から人々が親しみ、数千年もの長きを、暮らしの中でともにいき続けてきたマユミ。そのマユミの実は11月頃になると、1センチほどの方形の実は裂けて、橙赤色の輝く種がのぞく。食べると、下痢、嘔吐、ひどい時には心臓麻痺を起こすという。《 花の名一口メモ 》ニシキギ(錦木)ニシキギ科ニシキギ。落葉低木。花期5~6月。北海道~九州、及び朝鮮半島、中国、千島、樺太に分布。山地や丘陵に自生。庭木としてもよく栽培される。種子には精油成分が含まれ、工業油としたりする。マユミ(真弓)ニシキギ科ニシキギ花期5~6月、花は径8ミリうす緑。果期10~11月。北海道から九州、及び朝鮮半島、樺太に分布。低山地に自生。
2006.10.29
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これは、わが家の息子が、未来の伴侶として選ぼうとしているお嬢さんのご両親に、私たち夫婦が書いた手紙である。 全く異なる家庭環境、生育暦の二人が出会い、新しい関係を作り出して、家族という単位で長く社会生活していくことは、人生の一大事業である。多くの困難、壁を乗り越えなければ、出来ないことである。 このような困難に出遭った時、今の若者の多くが、その前でたじろぎ、あるいは面倒に思い、避けて生きていこうとしている。お互いが協働の作業を通して、二人の前に立ちはだかるもろもろの困難を乗り越えたとき、人生のより素晴らしいパートナーとして、相手を認め、愛情を高めていけるはずだ。現代の若者の多くが、その達成感、その生きる充実を体験することなく、結婚に背を向けて歳を重ねている。面倒をさけ、気楽に楽しく(?)生きようとしている。 わが家の息子の未来の伴侶となるであろうお嬢さんは、現在、就職活動中である。昨年の12月、アメリカの大学を卒業し、帰国。その後、就職活動をしているが、中々思うようには進展していない。悪戦苦闘中である。 この悪戦苦闘は、日本の女子学生が一様に体験していることである。女性が働きつつ家庭を築いていく困難さは、並大抵のものではない。色々な社会支援が現在ではなされるようになっているが、実際の困難さ、厳しさは、私たちの時代と変っていない。女性が、子育てしながら、働きやすい社会。その実現への道程は、まだ遠く、厳しい。では、なぜそれまでして、女性が働き続けるのか。なぜ、働きつつ子育てしようとするのか。私自身も、この問いに対して、苦悶しながら、今日の齢を重ねてきた。若い人々は、この私たちの世代を、更に超えて生きていける社会的な変化、環境が整ってきている。その利点をいかして、さらに素晴らしい人間関係、愛情を育んだ夫婦や家族のあり方をぜひ追究して欲しい。 以下の手紙は、そんな私たちの思いをこめて、私たち夫婦が、議論を重ねて、到達した考えをまとめたものである。息子のお相手のご両親の心配に、少しでも応えることが出来ればと思い書いたものである。そして、それは私たち個人的な家庭の問題としてだけでなく、世の親たちが考え、悩んでいることでもあると思いあえて、公開することにした。 『私たち夫婦からの手紙』(以下の文面で、プライバシーに関る部分は削除、訂正した)ご夫妻さま 先日は、お休みのところ、ご足労頂き有難うございました。私どもは、ご夫妻にお会いでき、短い時間でしたが有意義な一時を過ごすことが出来ました。 ご夫妻が、お嬢さんを愛情をもって大切に養育されている様子が窺え、そして、娘を思う親心の深さ故に、色々心配、憂慮されている事も、娘を持つ同じ親として、同感の至りです。 ご夫妻のご心配を解消できないとは思いますが、私ども夫婦の考えの一端をお伝えできれば幸いと思い筆を取りました。 若い二人での人生をスタートするに際して、今、二人は色々な困難に直面していますが、私ども夫婦は、これらの困難を、若い二人が自分たちの力で乗り越え、生活を切り拓いて行くことを大切にしたいと思っております。 自立した社会人としての人格の確立、これを、今、あの二人は力を合わせてやっている所です。その子供たちの伸びようとしている力に依拠して、見守ることも親の務めであると、私ども夫婦は考えています。今しばらくは、彼らにそのための時間を与えて、親はあえて我慢して待つことも必要ではないかと思っています。 お嬢さんも、必ずその困難のなかで、悩みながらも考え、行動し、自分の身の丈にあった新しい生き方を見つけ出せるものと確信しています。息子もそのように主体的に物を考え、生活することのできる女性を望んでいるはずです。就職もその一環として起きていると思います。単に経済的利益や体面を保つためだけに、就職先の選別を厳しくしているのではないと思います。 息子は、お嬢さんが、将来、人間として、女性として、大きく成長していける場としての職業を考えて、勢い短兵急に厳しくなっていますが、これは若さ故の未熟さから来ているものと理解しています。その意味で、息子自身も、大人としてもう一回り成長して、お嬢さんに接することが必要ですが、今少し、時間が必要と考えます。親としましても、この点については、息子に成長を促す助言をし続けていくつもりです。 これからの女性が生きていく上で、子どもをどのように育てるかは、その母親がどのように生きているか、どのような家族関係を築けているかが、とても大切なことです。あの子たちが生きていくであろう社会は、今と大きく変っていくはずです。その社会で、充実した有意義な家族を造り上げていくという大きな目標に向かって、二人は歩み始めたばかりです。 お嬢さんの素直で飾らぬ人間性は、とても希少で優れた資質です。そのお嬢さんの良さを更に伸ばし、女性として自立した人格を完成させつつ家庭を築ければ、とてもやさしい心豊かな家庭が出来ると思います。お嬢さんは、まだ若く、色々な試行錯誤は当然であり、困難でもその壁を乗り越えて行くエネルギーがあります。お嬢さんは、まだ歩き始めたばかりです。その意味からも、おおいに悩み、苦しむことが、彼女の素敵な人生を切り拓く力に必ずなります。現実の社会で生き抜く力となります。これはとても素晴らしいことです。このような困難に出会わず、成り行きに任せて、楽にやっていくような家庭は、未来がなく、二人が望むものではないと思います。 息子は、私どもの夫婦のあり方をモデルにしているところがあるでしょう。お嬢さんは、自分の育った家庭をモデルにしているでしょう。その二人が出会い、一緒にやっていくことは大変な事業です。長い年月をかけて造り上げるものです。今、スタートにあたって出遭っている壁や困難は、その長い道のりを乗り切るための助走です。ここで問題点を曖昧にせず、直視して乗り切ることができたら、若い二人のこれからは、大丈夫。どんなことがあっても力を合わせてやっていけるでしょう。 その意味でも、今しばらく、じっと我慢の子となって見守っていこうというのが、私どもの当面の考えです。遠くから見守り、援助すべき時には、私たちの出来る限りの手を差し伸べていくつもりでいますのでご安心ください。 私たちの思いを十分お伝えできたかどうか心もとない限りですが、私たち夫婦はこのような思いで、二人を見守っている所です。以下略。
2006.10.27
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木の実が熟れる秋(1) 今日は24節気のひとつ霜降(そうこう)秋も一段と深まり、霜が降りるころ。我が朝の散歩道は、まだ霜が降りる程には冷え込んではいないけれど、木の実の赤が、朝の陽光にルビーの如くに輝いて一段と深まる秋。(熟れたガマズミの実)ガマズミの熟れた実は甘くたくさん集めて果実酒にすると、秋の熟れた香りがする。ヒヨドリジョウゴの実も(ヒヨドリジョウゴの実)夜来の冷えた雨にしっとりと濡れ透き通るしずくをしたたらせその実はいっそう深い紅に輝いてヒヨドリの来訪を待っている秋。でも、ヒヨドリの好物のこの赤い実は、実は毒性が強く、食べると下痢、嘔吐、のちに運動中枢や呼吸の麻痺を起こし、死に至る時もあるというから恐ろしい。でも、その花は可愛らしい。(ヒヨドリジョウゴの花)ヒヨドリジョウゴの花は、わずか直径1センチほど花びらは裂けて反り返り、ジャガイモの花のように可憐である。ヨウシュヤマゴボウも(ヨウシュヤマゴボウの実)実は、益々熟れて、濃い黒紫色に光る。その果汁は、古くから絹や紙を染める染料として用いられた俗にインクベリーという。空き地や道端にはびこる北アメリカからやってきた帰化植物ヨウシュヤマゴボウ(9月の始めに撮影したもの、花もさいているが…撮影出来なかった)ヨウシュヤマゴボウも毒がある。新芽や根(ゴボウの名を持っているのに)は、たくさん食べると下痢を起すという。その花は5ミリぐらいと小さい白い花。「ヤマゴボウ型の花」と呼ばれて、被子植物の進化を解く鍵が隠されているという。(洋種山牛蒡の花)私の朝の秋の散歩道は、朝晩の冷え込みが増すにつれて、木や野の草の実が、鮮やかに色づいて熟れる。《花名一口メモ》ヒヨドリジョウゴ(ひよどり上戸)ナス科、つる性の多年草。人家に近いやぶや丘陵地の林のへりに自生。日本各地、朝鮮、中国、インドシナに分布。和名、ヒヨドリジョウゴはヒヨドリが好んでこの実をついばむからという。有毒であるが、乾燥させた物は、白毛藤(ハクモウトウ)と呼ばれ、解熱や解毒剤として使われる。ヨウシュヤマゴボウ(洋種山牛蒡)(3メートル余りの高さとなり、木のように茂っているヨウシュヤマゴボウ。8月に撮影)ヤマゴボウ科の多年草。北アメリカ原産の帰化植物。別名、アメリカヤマゴボウともいう。道端や空き地など日本各地に分布。欧米ではリウマチの変質剤、吐剤として用いる。
2006.10.23
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偽装請負の働き方をさせられている若者たちの未来はあるか。 アメリカ流の新自由主義経済によって、あらゆる分野で規制緩和策がとられ、全てを新自由主義的な市場の競争に任せようという経済政策が取られるようになって、日本の社会はどう変化しているか。日本の働く現場は、今、グロバリゼージョンの名のもとに、その競争に勝ち抜く為に、なりふり構わぬ労働条件の劣化、奴隷状態さながらの職場が日常的に横行するようになっている。とりわけ、若者がそのターゲットになっている。 現代版・奴隷の労働形態のひとつに、偽装請負というのがある。では、偽装請負とは何か。その元で働く人たちはどのような日常であるか。派遣という労働形態も現代の仕事の仕方の一つになっている。その派遣と請負の違いはなんであるかから考えてみたい。 派遣とは、派遣会社が他社と契約を結んで労働者を「貸し出す」制度である。派遣先の会社が、派遣期間であれば、雇用責任を負わずに労働者を指揮し、使うことが出来るが、労働者に対する労働安全衛生に関る責任は負っている。更に、派遣期間が1年(2007年3月からは3年)を超えた場合は、労働者を直接雇用する責任を派遣先企業は負っている。 一方、請負とは、請負会社が発注元企業から業務の一部を任されて完成させる働き方である。労働者に対して雇用責任を負い、労働者を指揮、監督するのは請負会社。派遣と異なり、発注企業は、労働者に対して、一切責任持たない代わりに、指揮も出来ないのである。今、日本の大企業の製造現場では、この派遣と請負の制度を悪用して、実際は派遣なのに請負を装い労働者を働かせている。受け入れ企業は、労働者の雇用責任は、一切負わず、労働安全衛生責任もなく、「割安な賃金」「人員を素早く整理できる」労働者を大量に獲得することで、ぼろ儲けできる仕組みである。しかも派遣を請負と偽装し、更に、実際は、自分の企業の正規社員と入り乱れて働かせることで、自分の工場現場を指揮、監督するという違法行為をしている。(請負は指揮できない)製造業者にとって、労働者を一人雇えば、年金、健康保険料、福利厚生費を含めると、時給で約3500円かかる。これに対して、派遣会社から派遣してもらえば、約2500円なのである。受け入れ先の製造業者は1000円の儲けが発生する。更に、派遣会社は労働者に1000円しか支払わず、派遣会社も1500円の儲けが発生する。このような労働形態で若者たちを働かせる事は、正規社員に対しても、自分より劣悪な条件で働くものを見せしめにすることで、正規社員の賃金も低く抑える働きもしている。さらに、人間として、無権利な状態におかれ、尊厳を傷つけられていようとも、物言わぬ労働者を大量に作り出す場所でもある。もの言えば、即、クビである。補給するスペアの若者はいくらでもいるのである。(若者の失業率は9%前後と高い。さらにパート・アルバイトの1600万人もの予備軍がいる) 若者をこのように使い捨てている国。 このように若者を「働く大人へ」と育てない国。これが、いざなぎ景気を上回る好景気の期間が続いていると騒ぎ立て、浮かれている支配者が権力の座にいる国。世界の「負け組み」にならないで済んだと、「構造改革」の成功を自慢している国。それが今の日本なのである。 この若者たちの収入は、死なせず、生かせずの低いものである上に、将来の日本の年金制度を支えていくべき人たちであるのに、それさえからも落ちこぼれてしまった所にいる。 日本は製造業で栄えている国と言いながら、このような劣悪な奴隷状態の働き方をさせているのが、日本の製造企業なのである。このように働かせなければ、儲けが出ないというのが、アメリカ流の新自由主義経済の仕組みなのである。 先日、大阪労働局が、偽装請負をやっていた「人材派遣会社」コラボレート(クリスタルグループ)を摘発した。しかし、これは氷山の一角に過ぎない。 松下電器グループ (2700人) ・ キャノングループ(3000人)・ ソニーグループ(1400人)などなどは、このクリスタルグループから、100人以上の労働者を受け入れていた企業グループである。これは、あくまで氷山の一角。日本列島の製造企業の現場では、派遣を「請負」と偽って、働かせるやり方が日常茶飯になっているのである。 2003年労働者派遣法の改定により、それまで禁じられていた製造業への労働者派遣が可能になった。この改定で、一気に製造・請負の拡大を加速した。製造業務に派遣を労働者を受け入れると、労働局に届けた事業所の数は、04年度・630事業所、05年度・4337事業所、06年度・8016事業所なのである。04年度から06年度までの2年間に、派遣労働者で賄っている事業所は、何と13倍に増大している。まさに、これこそが規制緩和の行き着く姿である。それによって、庶民の暮らしはどう変化しているか。とりわけ、若者たちの生活はどうなっているか。彼らの未来はどうなのるのか。日々私たちが目にしているごとくの現状である。 その仕組みや、本質について、考えたり、見抜いたりする知性を育てることをしない教育、それが、今の日本の「学校」だ。 人として卑しめられていても、「声」を上げることもなく、刹那的にパチンコやゲームやパソコンなどのなかに逃げ込んで満足している「若者たち」を育てているのが、日本の学校だ。日本の家庭だ。 「学ぶ」ということ、「知性を育てる」ということは、人間が人として生きていく「生きる力」のおおもとである。 生きるエネルギーの源泉なのである。 そのような「学び」から「知性」が育つ。
2006.10.19
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昨日に続き、再度「いじめ」について。筑前町立中学校で起きた「いじめによる自殺事件」の学校側の釈明から浮かび上がる今の学校の姿、村社会の姿。 この事件は、この学校の学年主任で48歳の教師の言動が誘因となり、いじめやからかいが学校全体の日常茶飯事になっていたことが推察できる。 この教師は、他の生徒に対しても、イチゴの品種に例えて、高価な「あまおう」「とよのか」「お前は出荷できないイチゴ」などと、生徒をランクづけしたり、女子生徒には「君は太っているから豚」などと言っていたという。 さらに、消しゴムを拾った生徒には「偽善者」と言い、自殺した男子生徒が拾うと「偽善者にもなれない偽善者」と言っていたともいう。(子どもに容赦なくダメージを与え、徹底的にからかいの対称にする、低俗なテレビのお笑い番組ソックリ) 今の子供たちは、このようなふざけにノリがよく、ターゲットにしやすい子を選んで、集団で徹底的にからかったりすることが得意だ。3歳前後の幼児のごとく、自分が世界の中心におり、他人の人格を痛めつけているなどという認識はしていない。それでいて、自分は、ほんの些細な言動にも傷つき壊れる。極めてもろい。このような子供像が平均的な学校という場所で、この教師の言動は、あまりにも稚拙であり、お粗末としか言いようがない。テレビの低俗な番組さながらのショーを繰り返していたのではないか。このような人間の人格を、根底のところで卑しめるような言動が、繰り返し行われていた学校。その言動に対して、他のどの教師からも厳しい批判や、それについて日常的な討論も行わない学校。これが今の学校の姿だ。平均的な日本の学校の姿だ。 しかも、学校側は16日の全校集会で、「私たち教師が手をぬいたり、乱暴な言葉や甘えがありました。ほんとうに申し訳ありませんでした」と生徒に謝っている。一応、生徒の自殺の原因を教師側の不備として謝った。更に、校長は生徒たちに、「これからは『先生そんなこと言ったら傷つくよ』と話し、みんなで優しい人間になっていこう」とお説教した。更に、更に、生徒たちに「君たちがプレシャーを与える事があった。そのことに対して『ごめんなさい』と謝る気持が大切です」と訓示を垂れた。なんと、ひどい校長だろう。この認識では、学校は何も変らない。子供たちの心を「荒れ」させ、子供たちの集団を、からかいやいじめの巣窟にしたのは、学校側そのものだ。教師たちの集団全体が、その学校を作っているのだ。「教師が手をぬいたり、甘えがあった」などというものではない。もっと根源的な教育活動そのもののあり方に問題があって、今日の問題が発生しているという認識に立たない限り、この学校は何も変わらない。教師集団が、現実の子供たちの姿を深く分析し、そこからどのような学力をどういうやり方で身に付けさせるかを、日常的に研究し、自由な討論を通して、活発に教育実践が行われている学校だったら、このいじめを誘発しているような教師の発言や授業が、許される訳がない中学生たちの多くが言っている。「学校の授業はわからない。何を言っているか分からない」と。塾のわずかな時間数(1週3時間)の数学や英語のほうが理解できるというのは変だ。狂っている。このような現状は、全国何処でもみられる中学生の姿だ。 この事件が発覚しなければ、依然として、子供たちは、人としての尊厳や知性やおだやかさとは、無縁な思春期を通過して、学校を卒業して行くであろう。この事件が発覚しなければ、「この学校はいじめのない、良い学校」として、のうのうと存在し続けるであろう。いくら『いじめが在る』と親や生徒が申し出ても、この教師集団は「そのようなものは、何もない」と言い捨て、自己の保身を優先するであろう。いじめを見抜く能力もないのだ。さらに、この学校の会谷校長は、生徒たちに、「マスコミやインターネットで出ている学校と、(自分たちの学校が)違うと知っているのは、君たちと私たち。振り回されてはいけません」と発言したという。きっと、この人口3万足らずの小さな田舎町の住人の多くが、「遺書など残して自殺して、村に恥をかかせた。」と陰でこそこそ悪口を言い募っていないかと、私は危惧している。マスコミに向かって発言している自殺した少年の家族が、村八分にされ、いじめられ、孤立しないことを祈るばかりである。この事件は、筑前町に起きた事件ではあるが、日本の村や町に起きている日常なのである。日本の村とは、このように身内だけに閉じられた世界であり、そこで起きた真実を外部に漏もらさまいと団結している。そして、陰湿な陰口をたたきあっている。事が大事に至ると、村人全員が、事を荒立てないように口車をあわせ、何事もなかったようにするのが、長いムラの歴史のなかで、身についてしまっている。これが、日本の戦後の政治を支ええてきた一番の勢力である。しかし、この勢力も自壊しつつある。これが『美しい国』なのである。大人社会が、最も「いじめ」をやっている「国」なのである。
2006.10.17
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福岡県筑前町の中学2年生いじめによる自殺事件から 見え隠れする学校現場の姿について。 北海道滝川市で小学6年の女の子がいじめを訴える遺書を残して、教室で首をつったのは昨年の九月、意識不明のまま死亡したのは今年の一月。しかし、滝川市教育委員会がこの事件を公表したのは、1年以上すぎた今月の2日である。しかも、その2日の記者会見では、いじめを訴える遺書は握りつぶして、「いじめの認識は確認できていない」と、滝川市教育委員会は堂々と悪びれずに記者会見で述べている。その後、3日に公表が遅れたことに対して、伊吹文部科学相が「握りつぶすようなことがあってはならない」と批判した。市教育委には、抗議の電話やメールが相次ぎ、5日に「遺書の内容を踏まえ、いじめと判断する」と見解を変更。10日には安西教育長が「説明責任を果たした後、責任をとる」と辞意を表明した。このような事件が世間に公表された矢先に、福岡県筑前町の中学校で、中2の男子生徒が、いじめを訴える遺書をのこして自殺した。この筑前町立中学校の対応もひどいものである。自殺した生徒の両親が、学校に「1年生の時の担任教師に、いじめを受けていたのではないか」と訴えたのに対して、町教育委員会や学校側は15日「事実を認めた」合谷校長は、記者団に「そのこと(教諭の発言)が自殺につながった。一番大きな引き金になった。子供の一連のいじめも実際にあったが、おおもととなった。」又「教諭の言動で、その子が周りから見られる人間像が作られた。そのことによっていじめが生まれ、自殺に至ったと考えている」と述べた。しかし、この校長は16日未明の記者会見では、「遺族の思いを聞く余り、判断に冷静さを欠いた。担任教諭の不適切な言動と生徒の自殺との因果関係については、もう少し多くの情報を得て、もう少し丁寧に考えていかなければならない」と説明した。さらに今日16日のお昼のニュースで、この学校が、事件以来始めての生徒の登校日となり、全校集会で、「教師の暴力的な言動があり、甘えがあったことは、ごめんなさいと、生徒たちに謝った」と教頭がコメントするのを放映していた。さらに、無記名で教師にたいする全生徒のアンケートを実施した。それによって、さらに問題を分析したい、とも言った。(アンケートをとらなければ、何が起きているか分からないとは、情けない教師集団である。問題発言の教師は48歳で学年主任さえしている。) このような学校側の態度に、私は怒り心頭に達している。ここに見られる、教師側の対応、発言は、単なる大人のエゴ、身の保身しかみられない。常に、お上の方ばかりを見て、身の保身だけに明け暮れている人たちには、現代の子供たちの姿が見えないし、問題を深く掘り下げて見る能力が欠如しているのだ。この教師らは身の保身にかけては天下一品の才たけた集団だ。問題のすり替え、本質の隠蔽のうまさには凄いものがある。 親の言い分を、親の訴えを、専門的な立場から深く掘り下げ、その問題の根源を、生徒や世間に公表し、今後の学校教育の場にどう生かしていくかを示すことこそ求められている。子どもにアンケートをとったが、たいした問題はなかった、自殺生徒にも問題があったというすり替えで、その場を切り抜けようとしている。これが今までの彼らの手口だ。今回は遺書があったから、まだ問題となったが、遺書がなければ、悪いのは自殺した子どもといことになり、この事件は葬り去られる。親たちもできるだけ、子供たちに、その事を忘れさせ、何もなかったようにしたがっている。このどうどう巡りが今の日本の学校現場だ。なぜ、教師たちはその現実に毅然として立ちあがろうとしないのだろう。このような対応は、教育の現場で何百回何千回と繰り返している日常なのだ。 このような現場だからこそ、教師たちは、教育基本法の精神を実現する為に奮闘する教育などやっていない。子供の心に人間としての尊厳、プライドを育てる教育、知性を育てる教育活動をするために日夜苦しんでいるだろうか。苦しんでいる集団なら、「教師の側にも甘えがあった、ごめんなさい」などという、その場を濁して終ろうとする発言を、テレビカメラの前で、堂々とニヤニヤとして発言出来るはずがない。権力に擦り寄って、身の保身に明け暮れている。 私は、私の塾に来る子供たちと勉強していて、「このクラスは荒れているな」とか「この学年にはいじめが横行しているな」ということが感じれるときがある。子供たちの語らぬ言葉からでもそれはわかる。勉強の取り組み方からでも異変に気付く。毎日、長時間子どもと関っている学校現場の教師たちが、それをほんとうに気付いていないのなら、その学校のあり方、運営の仕方そのものが、教育をやる場になっていないということの証明にほかならない。最近の痛ましい大きな事件は、地方の町に多い。地方の一見、平和で豊かそうに見えている子供たちや家庭に、以前には、なかったような質的に深刻な矛盾、問題があふれ出そうとしている。地方の子どもが最も人として育ちそびれている。社会の矛盾の集中点にいる。そのことを何も考えない学校教師たち。その子供たちの現代的に先鋭化している問題を、深く掘り下げる研究や実践をしないで、学力など子どもに身に付けさせることは出来ない。官僚的な役人根性では、もう子供たちの問題は見えてこないのだ。「暴力的な言葉があった、先生たちも甘えていた、ごめんなさい」などと、のんきに話している教師集団なのである。この学校の教員室の雰囲気が私にはありありと浮かんでくる。
2006.10.16
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立花隆の思索紀行「エーゲ」の遺跡が私たちに語りかける歴史の面白さ深さ。「エーゲ」 永遠回帰の海 立花隆著:(写真)須田慎太郎 書籍情報社 この本は、ジャーナリスト・立花隆と報道カメラマン・須田慎太郎が、40日間8千キロに及ぶエーゲ海沿岸の古代遺跡を旅した思索紀行の記録である。 須田慎太郎の迫力ある壮大なスケールの写真をオールルカラーで掲載し、写真の迫力ある語りが、立花隆の深い思索と微妙に調和して、古代ギリシャ世界とは何であったか、歴史とは何であるのかを、大きなスケールで描き出している。 立花隆は、若い時に地中海周辺の国々をさ迷い歩いた。旅の目的はもっぱら古代の遺跡を訪ね歩くことであった。その時、数々の遺跡との出会いがあり、それは、それまでの立花隆の歴史観に大きく変更を迫る衝撃的な出会いであった。その感動を本の中で立花隆はつきのように述べている。「知識としての歴史はフェイクである。学校の教室で教えられた歴史。歴史書の中の歴史。歴史家の説く歴史。記録や資料の中に残された歴史。それらはすべてフェイクである。 最も正統な歴史は、記録されざる歴史、語られざる歴史、後世の人が何も知らない歴史なのではあるまいか。」 自分を圧倒する見事さで目の前に在る神殿は、記録された歴史の中から抹消され、その神殿がいかなるものか誰も知らない。そればかりか、その神殿にまつわる古代都市の途方もなく膨大な現実の集積は、記録されなかったという理由だけで、歴史の中からかき消されてしまっているという事実に立花隆は衝撃を受ける。そのことが彼を遺跡をめぐる旅へと駆り立てている。 更に、その思いは現代の歴史へと繋がっていく。 それは、今、世界中で日々起きていることであり、今この瞬間に世界で起きている無数の事象のほとんどすべてが、やがて歴史の虚無へと呑み込まれるという歴史観へと繋がっている。この本は 序章 エーゲ 永遠回帰の海 (この章は、写真家・須田慎太郎が撮影した写真で構成されており、その写真に、立花隆が文を書き込んでいる。写真がすごい迫力) 第1章 聖山アトスへ (アトスとは、世界で唯一の修道院自治共和国であり、ギリシャの憲法によって、修道院共同体の完全自治が保障されている。アトス半島には20の修道院があり、半島全体を分割領有している、ギリシャにとっても治外法権的な地域である。外国人、特に異教徒の入国は中々面倒で、女性の入国は禁止、動物といえども入国は厳しく制限されており、現代にあっても、中世さながらの自給自足の生活をして、修道僧が修業している山である。この地に入国を許可された立花、須藤両氏の紀行文の章) 第2章 アポロンとディオニュソス 第3章 聖なる神と性なる神 第4章 ネクロポリスと黙示録 第5章 終末後の世界 第2章、第3章は、先住民族の神々をギリシャの神々の中に繰り入れて体系化していく、神話時代の人々のエネルギーに満ち溢れた力強い神々の時代を遺跡の中から描き出している。 第4章から第5章にかけては、地方の一民族の異教に過ぎなかったキリスト教が次第に世界宗教として変貌して行く世界を追っている。 この本のギリシャ・ローマの古代世界についての深い思索は、私自身にも古代世界について再学習し、深く考える時間を与えてくれた。とりわけ、日本の古代史について、「古事記」や「日本書紀」の時代について、考える新たな視点を与えてくれた。歴史を長い物差しで、大きなスケールで考えることの凄さを教えられた。 折りしも今日本では、日本の天皇制をどう見るかに関して、「古事記」「日本書紀」を日本史のなかでどう位置づけるべきか、重大なテーマになっている。日本の学校教育現場で歴史をどう教えるかについて、厳しい、せめぎ合いをしているところでもある。遺跡の数々から古代史をどう構築するのか、物言わぬ無数の歴史を、どう私たちは、想像力でほんとうの姿に近づけることが出来るのか。教育の力が試される所でも在る。日本人としての誇りとは何か。この本は、戦後の歴史を自虐的でけしからん。日本人として、日本の歴史に誇りを持てという極めて政治的な主張の歴史観の卑小さを、彼方に追いやる壮大さがある。そして、ほんとうの歴史とは何かを、改めてこの本は、私に考えさせてくれた。とても示唆に富む歴史の見方を教えてくれた本でもある。この本は、観光案内的なガイドブックではないが、人生のガイドブックである。とてもスケールの大きな紀行書である。遺跡をめぐり歩く旅を通して、人が世界とどう向き合うかを語りかけている。写真も高価な美術書に劣らぬものが満載されており、見ごたえがある。しかも手ごろな値段なのである。(1500円) 遺跡めぐりの愛好家に読むことをお薦めしたい1冊である。若い人々にもぜひ読んで欲しい1冊である。(当ブログのDanjoseの写真花歳時記(トルコの古代遺跡)もあわせてご一読を)
2006.10.15
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Danjoseの花歳時記(外国編)-トルコに咲く花々(7)野の花の楽園ペルゲペルゲはトロイア戦争後、ギリシャからの移民によって紀元前10世紀ごろに建設され、紀元前2世紀にはローマの植民地として栄えたヘレニズム期の代表的な小アジアの都市。(アクロポリスへと続くメインストリートの入り口に聳える、ローマ門とギリシャ門遺跡)1万5千人を収容するローマ劇場や浴場、アクロポリスに続く列柱街道その街道にはアクロポリスの泉から水が流れる小川があり、街道に沿って商店が立ち並ぶ(競技場跡の列柱。瓦礫から芽吹いた雑草の緑を背景に菜の花やポピーが競って咲いている)人々が集うアゴラがあり、体育館があり、1万2千人を収容する楕円形の競技場がある。競技場のアリーナは長さ324メートル、幅34メートルに及ぶ巨大なもの。映画「ベン・ハー」のあの壮大な戦車競技がこの競技場でも、多くの観客の心を揺すぶり、わくわくさせたことだろう。人々で賑い、活気溢れた街ペルゲ。かくも壮大な都市が今は瓦礫となって、地下に眠っている。そして、その荒れるにまかせた競技場跡には、野の花々が溢れるように咲き乱れている。競技場跡の瓦礫の中から、菜の花やゼニアオイやポピーが咲き乱れ、その花の黄やピンクや赤色が若草の新緑と色のハーモニーとなって、やわらかな、やさしい春を奏でる、トルコの春、4月。 トルコは花の国、その花の種類は、ヨーロッパ全土に咲く花の数に匹敵するという。古代ギリシャ建築の石塊を覆い尽くすように、大理石の建物の隙間に根を張って咲き出す花々。花に溢れる4月のトルコ、エーゲ沿岸のオリーブで覆われた山々は新緑で鮮やかに燃えていた。数千年前に生きた人々もこの春のいのち溢れる芽吹きを眺めていたか。数千年前の人々の暮らしに思いを馳せるとき、その悠久のときの流れに繋がって生きる自己の不思議さにうたれる。古代の遺跡の数々が、今なお眠る大地。紙に書かれなかった歴史が風化して、大地に回帰している。その膨大な時間と、その膨大な人々の暮らしの堆積物そこにこそ真の歴史がある。遺跡の残骸は、今に生きる私たちに何千年という大きな尺度でモノを見る必要を静かに教えてくれている。トルコの花々(完)
2006.10.12
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Danjoseの花歳時記(外国編)-トルコに咲く花々(6)ベルガマのイチジクの木ベルガマ(Bergama)はアレキサンダー大王が、ギリシャ・エジプト・ペルシャにまたがる大帝国を建設し、東西文化の融合による古代文化が一段と円熟し、花ひらいた時代に築かれた古代都市、ベルガモン王国が繁栄した町。(紀元前241~前133)(現在のベルガマの町を見おろすようにある、古代ベルガモン王国のアクロポリス・急斜面を利用して造られた1万人を収容できる、劇場跡)ヘレニズム文化の中心都市として繁栄したベルガモン王国エジプトのアレキサンドリアと劣らぬ文化が栄えたベルガモン。ヘレニズム文化は古代ギリシャ文化をを継承し、さらに世界市民的な視野で発展させた文化とりわけ自然科学の発展はめざましい。数学や物理学の祖はこの時代に生きた人々なのである。アルキメデスやユークリッドなど、など、ベルガモン王国には、城砦ともいうべきアクロポリスに、華麗なコリント式の列柱の立ち並ぶ壮麗な神殿があり、世界的な文化、学術の都、アレキサンドリアに劣らぬ大図書館があり、アスクレピオンという一大医療センターを備えた都市であった。その規模は、現代の近代的な都市にも劣らぬものである。(アクロポリスの丘の瓦礫から、サルビアのような紫色の花々が咲き乱れる)紀元前200年ごろに、このような文化をもった人々がいた。2千年前に、このような都市で暮らしていた人々がいた。そして、その文化を担っていた人々の暮らしは地下に埋もれ眠ったまま2000年の時間が流れいる。(アクロポリスの丘の瓦礫から、ハーブの一種、アニスのたぐいの花がけなげに咲いている。)そのアスクレピオンの丘の回廊の大理石の列柱はニ千年の風雨に晒されても、なお白くエーゲ海の乾いた何処までも青い空に、溶け込むように華麗に立つ。その青と白を背景に溶け込んで自生しているイチジクの木々。イチジクは紀元前3000年にすでに栽培されていたという。紀元前2000年には、小アジアから地中海沿岸に広く行き渡っていた。ホメロスの「イリアス」や「オデュッセイア」にも、イチジクは数回、登場するという。さらに聖書にもアダムとイブが禁断の実を食べて裸身に羞恥を抱き、イチジクの葉をつづって腰に巻いたという「創世記」の説話以外にも、数多くイチジクが登場するという。そして、禁断の実はイチジクであるという説さえある。イチジクは、地中海沿岸に住んだ人々にとっては、古くから重要な食物でもあった。イチジクはかくも深く人々の暮らしの中で数千年の悠久の時間を生き続けてきた。そして、今も野の草花に混ざって、古代の人々が暮らし、滅んでいった大地に根を張って、イチジクはいのちを紡ぎ続けている。(アスクレピオンの遺構の土手に咲く、野の花々。トルコの4月は、花々が溢れるように咲く季節・風化して瓦礫となった地面からも野花が咲きこぼれる) 《花の名一口メモ》イチジク(無花果)(イチジクの断面、白い小花の集まりが外側からは果実のように見える)クワ科の落葉小高木。葉は互生し、肉厚く、枝や葉を切ると白い乳液を出す。葉腋(ヨウエキ)に花托(カタク)が壷状に肥大し、内壁に多数の白色小花を密生したいちじく花序をつける。外部から花は見えず、果実のように見えるので、イチジクに無花果の字をあてる。果実の成熟する時期が年に2回あり、前年に着生した幼果が越冬して、7月ごろ熟した夏果、新しい枝に着生して、その年の8~10月に熟したもの秋果という。(たわわに実る秋果)日本への導入は、寛永年間、ポルトガル人により、「蓬莱柿」(ホウライシ)の名で伝えられ、今日の在来種となった。名の由来は「和漢三才図絵」に「俗に唐柿という。一月にして熟すゆえに一熟と名づく」によるという。西洋では、イチジクは数千の長きに渡り、親しまれ、生活の中で結構なものとして祝福されてきたが、日本では、庭木にすると病人が絶えぬという迷信があって、嫌われてきた。
2006.10.11
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私の朝の散歩道は金木犀の香りがそこ此処にかおり、見上げればキンモクセイの大木が見事に花をつけて朝の陽光を浴びて金色に輝く今年の秋はキンモクセイの花つきがことのほかよく朝の散歩道はキンモクセイのほのかな香りに満ち満ちて秋の深まりを告げる。そして、秋は草木の実が熟すとき、住宅街のなかに、ぽっかりと浮かぶ小島のように取り残された藪地、そのわずか200坪あまりの空き地にもカラスウリの実が赤く熟して秋を彩る 生育条件最悪の空き地の林にも、息絶え絶えの状態で、酷暑の夏を過ごした野の草花にも、確実に実りの秋がやって来た。誰にも気付かれないで、病害虫に犯されても、へこたれず、いのちを繋いでいる。カラスウリの熟す寸前の実、縞模様がまさにウリそのもの。8月の半ばに、カラスウリは、日が暮れるとこんなにも繊細なレース状の花を咲かせる。そして、朝日の昇り始める頃にはしぼんでしまう。夜、活躍するガ・アブたちが蜜を求めてやってくる。(Mr.Danjoseが夜間の撮影に成功した写真です)密集した住宅地の点となった空き地の林にもこんな繊細な花が咲いた夜があったのだ。空調機の熱気でよどむ酷暑の町にもひっそりと、しかし懸命に咲いていた夜があったのだ。熟したこの赤い実が、こんな場所にもカラスウリの存在した夏があったことを私に知らせてくれる秋。
2006.10.09
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子育てフレンドリーな社会は、子どもをどこに導くか。 安倍首相は所信表明演説の中で、健全で安心できる社会の実現をめざすと言い、少子化を食い止める為には、「第2次ベビーブーム世代がまだ30歳代である、残り5年程度のうちに、速やかな手を打たなければなりません。内閣の総力をあげて少子化対策に取り組み、「子育てフレンドリーな社会」を構築します。」さらに「子育ての素晴らしさ、家族の価値を社会全体で共有できるよう、意識改革に取り組みます。」と述べている。そもそも「子育てフレンドリーな社会」とはどんな社会であろうか。 フレンドリー(friendly)などというカタカナ語を使うことで、その内容の本質を、国民の前からぼかしている。 オクスフォード(Oxford Advanced Learner's Dictionary)の英語辞書では、フレンドリーという語を次のように定義している friendly ; (a) behaving in a kind and pleasant way acting like a friend. (b) showing or expressing kindness and a helpful attitude. (c) ~ of a relationship in which people treat each other as friends. (d) not seriously competitive : not in conflict with each other; not enemies.このオクスフォードの辞書に見られるフレドリーという語の意味は、現代の日本の親子関係や教育のありよう、社会と子どもとの関りの特徴を端的に表している。 即ち、他人を傷つけないように優しく楽しく振舞う、深刻になるような争い事は避ける。友だちに接するように、お互いを気遣いつつ人間関係を構築する。このような人間関係を形容する言葉がフレンドリーの英語の意味であると、この辞書は定義している。 現代の親子関係、教師と生徒の関係は、まさにこの「フレンドリー」という言葉そのものである。とりわけ親子関係はフレンドリーそのものである。そして、その関係で育ってきた子供たちが、30代半ばに達しようとしている。子供たちに何が起きているか。すでに皆が承知している通りである。そして、さらに低い年齢の子供たちは益々、フレンドリーな親子関係のなかで育っている。そして、自立した人間として、社会の中に巣立っていけない子供たちが大量に作り出されている。 今の中学生などの進学進路の選び方を見ていると、親たちはできるだけ子どもに負担をかけない進路、楽をしていける進路を子どもに選ばせようとする。わが子が進路を選び取る時、リスクや子どもが自分の能力に挑戦する労苦を出来るだけ減らそうとする。その結果、子どもを面倒な事を嫌い、親の心を見透かして、なるべく楽なほうへ楽なほうへと傾いて、底なしなのである。そして、『個性を伸ばす教育』などという、分けのわからぬ美辞麗句の宣伝パンフレットで、ろくに勉強しないまま高校や大学に入学していく。とりあえず、社会に出る前の居場所を作るのである。 これではいけないと学力テストを全国レベルで行い、子どもを競争させて勉強させよと、「全国学力テスト]の実施や「学校を成績順に公表」して、競争させる学校再生プログラムを、政府は掲げている。この競争に負け、子どもが入学してこなくなった公立校には、予算配分も減らすという、脅しまでつけている。このようなやり方で競わせる勉強は、その親たちが経験してきた勉強方法だ。その勉強方法で学校を卒業してきた親たちは、その子供たちに「自分の親は中学の勉強もよく分かっていないのに生きていけている」と、親の学力のなさを見抜いている。だから、勉強など無意味と子供は感じて育っている。親たちの学力は、その程度の勉強でしかなかったのだ。親たちの多くは、勉強を「点をとること」に矮小化された勉強をいつも強いられてきた世代だ。そして、その勉強を子どもに押し付けている。その子供たちは、その勉強の仕方では、勉強する動機づけを見い出せず、低い学力にとどまっている。 そして、学力が低いだけではなく、その子供たちは、粘り強く基礎的な学力を身に付けるトレーニングに耐えられない、軟弱な体力、気力にしか育っていない。これでは、社会に出たとき、自分の足で立って生活できるわけがない。真の学びとは何か。子どもにどんな学力を身に付けさせるべきか、21世紀に生きる子供たちにはどんな能力が必要とされているか。 ここで、多くの親は、自分の生きざまを子どもにぶつけて、子どもと厳しく向き合わない。 親自身が厳しく、自立して生きた体験が希薄なのだ。結構なご身分なのだ。 フレンドリーに、差し当たっては生きていける親子たちである。その子供たちが大人になった時は、はたして、フレンドリーに生きていけるかどうか、定かではないが、とりあえずはフレンドリーに生きている。親と子、教師と子などは、決してフレンドの関係ではないはずだ。社会的な関係は、フレンドではないのに、フレンドとして振舞って生きている。大学生になっても、親と子が、楽しくお揃いでお買い物をして、親のお守り役をしている若者たちが多いのである。親のほうが若作りに化粧して、目を輝かしている。その傍らに、淀んだ目で疲れた娘がくっついている。どちらが母親かと見間違う事しばしばである。親子が常に仲良しなのである。まさにフレンドリーである。親子がお互い自立しないで、もたれ合って生きているのである。確かに、日々、気楽で楽しいご身分である。しかし、心は虚ろである。日本の中流と自認している階層では、このような意識、生活が蔓延している。このような社会に、更に「子育てフレンドリー社会」を提唱して、子供たちを何処へ導こうとしているのか。 「子育て」は深刻な世代間の格闘や、社会での深刻な階層間のモラルの格闘なしにはできない。 そして、その格闘の先に新しい創造的な人間関係が生まれる。 子育て支援策一つみても、子供が豊かに育つ施策は、企業や国家の理念と経済的な対立は厳しいものがあり、それとの戦いなしに、お上から降って湧いてくるものではない。そのことは、今までの私たち世代の子育ての歴史からも明らかなことである。 安倍首相の述べている、「家族の素晴らしさ、家族の価値を社会全体で共有できる為の意識改革」は、「フレンドリーな子育て社会」では、成功していないし、これからも出来ないのである。このまやかしを、私たちは、しっかりと見抜かなければならない。
2006.10.08
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安倍晋三が 再チャレンジ支援策で国民を支援してくれるとは有り難きや。 安倍首相は所信表明演説のなかで、「みんなが参加する、新しい時代を切り拓く政治、誰に対しても開かれ、誰もがチャレンジできる社会を目指し、全力投球することを約束いたします。」と国民に有り難いお約束して下さった。さて、どうやって誰でもチャレンジできるような社会にしてくださるのか。その中味は?今、日本の社会が直面している働く人々の問題は何か。格差が生まれ、定着しようとしている原因はどこにあるのか。安倍首相の演説は、この点に関して、何の分析もしていない。そして、小泉政権の行った改革によって、日本の経済は立ち直り、この改革を更に続けることが豊かな美しい日本を創る前提といっている。確かに、大企業はバルブ期の1.5倍もの利潤をえているという。そんなにも儲かっているのなら、なぜ非正規社員は3割にものぼり、(青年層では5割ぐらいになっている)70歳以上の高齢者に対しても、保険料や税金や医療費の負担をどんどんふやしているのか。更に、日本は経済大国として、「イノベーションの力とオープンな姿勢により日本経済に新たな活力を取り入れる」といっているが、このイノベーションやらオープンやらとカタカナ語を多用して、分けのわからぬことを言っている。わざと分けのわからぬようにしている。要するに、世界市場に勝ち抜く為には、何でもあり(open)であり、引き続きアメリカの新自由主義的な改革を断行していく(innovation)ので、儲ける為には、国民が犠牲になること当然。お国の為に闘えよ。それが出来ないモノは、社会のよどみとなって、くすぶっておればよい、ということである。日本は、資源のない国として、製造業による貿易立国として、戦後の経済を繁栄させてきた。しかし、今や輸出を担う製造業の大企業の労働者が日本の労働者に占める割合は5%に過ぎない。その上、輸出企業の労働者は、アジアの安い労働力と競争させられ、偽装請負などで不当な悪条件のなかで、働いている。国内の職場自体が極度に減少しているのに、どうやって再チャレンジするのか。コスト削減をしなくては、競争に勝てず、儲けも出ないのが現実の輸出企業の姿だ。政府や金融機関が円高を維持するために、ドルを買い支える莫大な資金も、もとを正せば、輸出企業に補助金を出して、輸出企業の増益を負担しているようなもの。更にアメリカの消費の下支えをやっっているようなもの。貿易立国としての輸出依存の経済政策が、国民の生活を豊かにする時期は終ってしまっている。即ち、輸出依存の経済の仕組みでは、日本の国民が豊かな暮らしを実感できなくなっている。大量にモノを作り、大量に消費して、使い棄てるというこの経済の仕組みそのものに、どこかで、楔を打ち込まない限り、格差は益々広まりこそすれ、縮まることはない。世界市場のコスト削減競争に勝たなければ、企業は成り立たないのだから、いくら再チャレンジを叫ぼうが、労働力のコストを絞れる限界まで絞らなければ企業自体が成り立たないのだ。アメリカ流の新自由主義経済の側に立っている限り、国民の再チャレンジなどありえない。この現実に全くメスをいれないで、再チャレンジ支援策などおこがましい。国民を耳障りのよい言葉で、現実を見る目を眠らさせる麻薬に過ぎない。国民に幻想を抱かせているに過ぎない。安倍首相を筆頭に、この政権は美辞麗句を並べ立ててはいるが、その並べられた言葉には、厳しい現実に鍛えられたエネルギーは皆無といっていい。彼らには言葉は飾り物に過ぎない。2世、3世の議員たちの多くは(全てでないが)、家柄や血統にたよれば、言葉など必要ないのだ。安部首相自身その自分の著作「美しい国へ」でも、父、安倍晋太郎。祖父、岸信介。大叔父、佐藤栄作であることを、再三再四、褒めそやし、誇っている。結構なご身分なのである。我々庶民が、這い上がる為に、チャレンジにチャレンジを重ね、這いつくばり、歯をくいしばり、侮辱され、頭を押さえつけられても頭をもたげ、、更にその親は、分不相応な莫大なお金を工面して、飢え死にしそうになっているのとは、、安倍晋三の世界は全くの異次元の世界なのである。(多くの庶民はあきらめて、チャレンジする意欲すら無くしているが。)その異次元の世界から「誰に対しても開かれ、誰もがチャレンジできる社会を目指し、全力投球します」と国会で作文を読んでくれただけなのである。
2006.10.03
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「美しい国」に潜む意図は何か。 (安倍首相の所信表明演説から透けて見えるもの) 9月29日に安倍新首相は国会で所信表明演説をした。美辞麗句の氾濫、英語を日本語に言い換えないカタカナ語の多用など文体論としては、「美しい日本語」の創造という点で問題点多いのではないか。「美しい日本」を標榜している首相が、このようにアメリカナイズされた単語の連発とは、驚きである。「アメリカの押し付け憲法論」を展開しているご本人なら、もう少し日本人として、美しい日本語の使い手としての範を垂れて欲しかったが如何なものか。しかし、演説の言い回しを、現代日本語の口語表現に近づけているのは、国会の演説としては、進歩したといえるかも。さて、では肝心の演説の中味はどうか。この演説の中で、「美しい日本」という言葉を乱発した(8回)。その中味は「文化、伝統、自然、歴史をを大切にする国、自由な社会を大切にする国、自由な社会を基盤とし、規律を知る、凛とした国」をあげている。そして、この「美しい国」を実現するには、次世代を担う若者の育成が不可欠です、と言い切っている。では、この美辞麗句の裏にある具体的な「美しい国」とは何か。その点での論及を巧みに避けている。国民の前にさらけ出すのを避けている。なぜ、堂々と自分の歴史観を主張しないのか。安倍首相が所属した森派の先輩・町村信孝・元外相は『月刊自由民主』4月号で 「『凛として美しい日本』を創る」という表題で、その「美しい日本」の中味を次のように述べている。町村氏は、戦後の日本は「すべてが凛としていない」と断言して、その理由は「我が国は、昭和20年を境に、戦前と全く異なる出発点を余儀なくされた。戦勝国は、日本のよき伝統や文化を否定し、折りしも台頭してきた唯物史観と呼応して、日本は誇りを忘れ、自虐的教育が行われてきた。」からだと述べておられる。さらに「戦前の官僚は『天皇陛下の官吏である』という意識があり、『恥ずかしいことをしたら天皇陛下に申し訳ない』という気持が強かった。それがある種の規範となっていた」と述べている。(恥ずかしいことをしたら天皇陛下に申し訳ない、と天皇を持ち出さなければ、人としての規範が守れないとは、情けない教育だ。)この独善的な歴史観は、安倍首相の憲法全文は「侘び証文」だとし、「戦後『レジーム』からの脱却」のための改憲をしなければ、戦前と戦後の歴史の「連続性」がないとの主張と全く同一のものである。町村氏の論文の表題「凛として美しい日本を創る」と、安倍首相の「美しい国」の目指すものは同じなのである。これは、いつか来た道、日本の山河を破壊し国民を悲惨と不幸に追いやった「汚い、おそろしい日本を創る」道である。過去の人類の歴史から何も学ぼうとしない独善的な歴史観である。安倍首相は、さらに踏み込んで、「個人の自由を担保するのは国家」であると強調している。この安倍首相の考え方は、「お国のため」なら「国民の自由」などは奪ってもよいということではないか。今、日本が直面している、混乱や退廃がどこに原因があるのか、日本人としてのモラル低下がどこから生じているか分析することもなく、乱暴に「長い歴史と独自の文化」とか、「それを取り戻す為には、規律(誰の為の規律?)が必用とか」宣伝して、問題の本質をぼかそうとしている。 近代憲法は、その長い人類の歴史の中から、「国家が人権を侵害する可能性があるという面を見据えて、個人にとって望ましい国家とは何かを議論し、国家権力の制限」を問題にしてきた。その成果の上に立った、日本国憲法は世界でも最も先進的な精神に貫かれた優れたものである。その両輪としての教育基本法も世界に誇れる先進性を有している。そして、時の国家の介入を厳しく制限している部分が、最も先進的な部分であるのに、この部分を自己の狭い階級的利害の為になくそうというのが改定論者たちの主張である。今の日本の子供たちの学力低下や、モラル低下は「教育基本法」のせいでない。モラル低下は「日本国憲法」のせいなどで断じてない。日本の戦後の教育の歴史は「教育基本法」をいかに骨抜きにするかの攻撃に絶えずさらされてきた。その精神を真に実効あるものにする教育などほとんど行われていない。部分的にはすぐれた教育実践もあるが、まだそれは、小さな点に過ぎない。どんどん世界は変化している。その変化に耐えうるより高い知性や人間としての尊厳を肯定する教育は、現代の極めて困難な創造的な課題である。個人の自立や尊厳を貫いても、なお社会として豊かであることが、私たちの目指すべきものではないか。その実現のために、社会が混乱に陥ることも在る。むしろ、いつも整然としている方がおかしい。お利口ぶっている方が問題がある。現実がおぞましいから、現実が悲惨であるから、手っ取り早く「天皇バンザーイ」で国家をまとめて突っ走ろう。(そして、この論理は結構大衆の心を掴む。自分で考える面倒がはぶけるから。お上、頼みである)目指すべき社会の実現が困難だから、国家という強権で子供たちを押さえ込んで、お行儀よくさせよう、というのが安倍政権のめざす「美しい国」である。時の権力がどのように変幻しようとも、教育がその権力から自立した営みでないような国は、これから先、自滅するのではないか。現代社会の変化のスピードはめざましい。その先に生きる子供たちにどんな能力、どんな人格を育てるべきか、それこそグローバルな高い視点が必要である。次回は、安倍首相の「再チャレンジ」について考えてみたい。
2006.10.02
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私の朝の散歩道は、お彼岸が過ぎたら一気に秋めいて秋の草花がにわかに咲き始め、朝の肌寒く感じる風に揺れている。秋の風にゆれるススキ数年前までは老夫婦が住んでいた屋敷、老いた主がいなくなった今は、空き地となって雑草が勢いよく伸び放題。その空き地に今年はススキの花がこんなにも咲き競う。数年前にはセイダカアワダチソウが屋敷一面を多い尽くしていたのにこの2年ばかりに、セイタカアワダチソウはススキと共存し始め、今年は、ススキがアワダチソウを駆逐しそうな勢いで豊富に茂り、花穂を秋風にゆらす景色となった。(セイダカアワダチソウは後退し、ススキが勢いよく繁茂し始めた空き地)日本中の秋をまっ黄色に染めて、日本の昔からの草木を駆逐したかのようだったセイダカアワダチソウ。今年の秋は、控えめに小ぶりになって繊細なススキの花穂と共に秋風にそよいでいる。セタカアワダチソウは、日本の四季に馴染んで、日本の草花と共存する術を身につけたのだろうか。自然の摂理の妙を感じる初秋の朝の散歩道。老いた主のいなくなった空き地の片隅でツユクサとオシロイバナも、暑かったあの夏よりも、更に勢いよくいきいきと花をさかせ、白露に濡れている。 ムクゲや芙蓉も一段と涼しくなった朝の冷気に真夏のときよりも花の色を一層、濃く鮮やかにして、朝露に濡れている初秋の朝。その主のいなくなった空き地にはこんなに可憐な野菊までもが秋を告げに草むらの片隅でひそりと咲いていた。老い行く町の荒れ果てようとしている空き地にも秋は確かにやって来て秋の野の草花にそのいのちの巡り来るのを知らせる。《花の名一口メモ》ススキイネ科の多年草。花穂を尾花(オバナ)といい、秋の七草のひとつ。平地または山地の日当たりのよい地に普通に群生し、北海道から沖縄、および朝鮮半島、中国に分布する。集落付近や焼け跡に豊富に自生するため、根元から刈り取って屋根を葺く材料とするために、古くから茅(カヤ)とよんで利用していた。万葉集(巻1)には屋根材としてのススキを「美草」と表記してその情景を詠っている。「秋の野の美草(ミクサ)刈りふき宿れりし宇治の京(ミヤコ)の仮いほし思ほゆ」ススキは日本人にとっては古来から馴染み深く、生活の中に密着して、人々と数千年にわたり、日本の大地に行き続けて植物である。近年、絶えそうになっていたススキが空き地や路地に勢いを増して、復活して来たその生命力の強さに驚かされる。踏まれても叩かれても根をはり芽をだし、生き続けています。
2006.10.01
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