MM2022のブログ

PR

プロフィール

MW2022

MW2022

カレンダー

コメント新着

天国にいるおじいちゃん@ Re:打席に入る前に、バットを天にかざして、天国にいるおじいちゃんに『力を貸してくれ』(08/24) 天国にいるおじいちゃんについては、 089…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2023.01.28
XML
カテゴリ: 報徳
二宮先生語録巻の二【166】~【170】

チャールズ・シュワップは、一九二一年、U・S・スチールという鉄鋼会社の社長に迎えられた。彼は言った。

「私には、人の熱意を呼び起こす能力がある。
それは私にとって何物にも代えがたい宝だ。
他人の長所を伸ばすには、ほめることと、励ますことがなによりの方法だ。
上役から叱られるほど、向上心を害するものはない。
私は決して人を非難しない。
人を働かせるには奨励が必要だと信じている。
気に入ったことがあれば、心から賛成し、惜しみなく讃辞を与える。」

「私は、これまでに、世界各国の大勢の立派な人々とつきあってきたが、どんなに地位の高い人でも、小言をいわれて働くよりも、ほめられて働くときのほうが、仕事に熱がこもり、出来もよくなる。その例外には、まだ一度も出会ったことがない。」

二宮先生語録【1】~【25】 | MM2022のブログ - 楽天ブログ

【一六六】堯曰く。四海困窮せば、天禄永く終ると。天禄豈唯君のみならんや。民も亦各々天禄有るなり。何となれば則ち衣食居を論ずる無く、凡そ我が身を助る者、尽く天禄に出づ。故に天禄を尊で、其の恩を忘れざる者、困窮の患有る莫し。天禄を卑で其の恩を忘る者、困窮の患を免れざるなり。蓋し天下の政刑、神仏儒の三教、皆天禄を保つに在るのみ。故に黎民飢へず寒へざるを、王道の極と為すなり。我が道は則ち天禄の隳壊を修て、絶を継ぎ廃を興す者なり。豈亦大ならずや。

《訳》古代中国の聖王堯帝は言った。「四海困窮せば、天禄永く終る」(全ての人民が困窮するならば、天から授かった帝位もついには終るであろう)と。天禄はどうして君主ばかりのことであろうか。人民にもまたおのおの天禄がある。なぜかというと衣食住だけでなく、およそ私の身を助けるものは、すべて天から授かった恵みである。だから天禄を尊んでその恩を忘れない者に、困窮のわずらいがあることはない。天禄をいやしんでその恩を忘れる者は、困窮のわずらいを免れない。思うに天下の政治や刑罰、神道・仏教・儒教の三つの教えも皆天禄を保つためにある。だから貧しい民が飢えることがないようにし、凍えないようにすることを王道の究極とする。私の道もまた天禄が破れ壊れたものをなおして、廃絶した国や家を復興するものじゃ。なんとまた大きいというべきではないか。


【一六七】世道小を積むを貴ぶ。小を積み大と為す。日課索綯法の如き、人人疑はずして之を勉む。是れ天下の法と為すべきなり。若し夫れ高遠の事は、則ち人人企て及ぶべからずと為す。然れども是れ其の本を考へざるなり。今此に大家有り。是れ暴かに大家と為るに非ず。始め一耒一発の小を積み、終に大家を成す者なり。且つ夫れ芝中堂の両楹(はしら)、及び永代橋の梁柱の如き巨材と雖も、其の初め細子より生じ、幾百星霜を経、風雨を冐し寒暑を凌ぎ、日夜精気を運び、而して長大を成す者なり。豈止古の細子のみ此の如くならん。今の細子も亦然り。然らば則ち古の細子は、今の大木、今の細子は、後の大木なり。人宜く此の理を明弁し、大を羨まず、小を耻ぢず、速なるを欲せず。夙夜黽勉、以て小を積むの功を奏すべきなり。

《訳》世のなかの道として小を積むことを尊ぶ。小を積んで大となす。日課縄ない法のようなことは、人々は疑うことなくこれを勤める。これは天下の法則となすべきだ。高遠な事は人々は企画しても、及ばないと思っている。しかしこれは根本を考えないからだ。いまここに地主があるとして、これはにわかに地主になったのではない。初めは一鍬一鍬の小を積んでついに地主になったのだ。芝の増上寺の二本柱や、永代橋の橋けたのような巨材でも、その初めは小さな種から生じて、幾百年を経て、風雨をおかし寒さ暑さをしのぎ、日夜精気を働かして大きくなったのだ。そうであれば、昔の種は今の大木であり、今の種は後世の大木ではないか。人ははっきりとこの道理をわきまえて、大をうらやむことなく、小を恥じることなく、すみやかに功を挙げようとおもわず、朝晩よく努力して、小を積むことの努力をなしとげるべきだ。

【一六八】甘辛の味に於るや、甘は益々甘、辛は益々辛なるは、偏なり。偏ぜざれば、則ち其の真味を保つ能はず。然れども人口に適せず。故に甘辛調和せざるを得ざるなり。人も亦甘性なる者有り。辛性なる者有り。是れ亦偏なり。故に進む者之を退け、退く者之を進め、甘辛調和して、然る後世の容る所と為り、人の用る所と為る。然りと雖も、偏ならざれば、則ち其の真性を保つ能はず。譬へば醃菜を作る者、短食には則ち甘鹹相半ばし、長食には則ち鹹を専らにするなり。

《訳》甘い辛いという味におけるや、甘ければますます甘くなり、辛ければますます辛くなるのは偏りだ。偏らなければその味の本当の味を保てない。しかし人の口にはあわない。だから甘い辛いを調和しないわけにいかない。人もまた甘い性質の者があり辛い性質の者がある。これもまた偏りだ。だから進む者は退け、退く者は進め、甘い辛いを調和してその後に世の中に容れられるところとなり、人の用いるところとなる。しかし偏らなければその本当の味を保つ事はできない。たとえば漬物を作る者は、浅漬けには甘みと塩気と半々にするが、長く漬けるには塩ばかりでするようなものだ。

【一六九】粟地生ずと雖も、而も天より降るなり。何となれば則ち日光映射の功を積て粟と為る。故に春耕より春分を過ぎ、夏耘を経秋分に至るまで、試に度杖を以て之を計れば、一旬の日射は、則ち一旬度。三旬の日射は、則ち三旬度。粟気地中に積む。縦令後日冷雨有るも、既に積て地中に在るの度数は、其の粟必ず実るなり。然りと雖も人力を尽くさざれば、則ち実り少なく、人力を尽せば、則ち実り多し。蓋し深く耕し易して耨れば、則ち日光地に入る深し。故に秋実多し。勤めざるべけんや。


《訳》穀物は地から生ずるが、実は天からくだるのだ。なぜかといえば日光が放射するおかげで穀物となる。だから春に地を耕し春分を過ぎて、夏草をかり秋分に至るまで、試みにものさしで計るならば十日分の日射は十日分だけの分量、三十日分の日射は三十日分だけの分量があって、稲の生気はこの日射を地中にたくわえておくのである。かりに後日冷たい雨が続いても、それまで積んで地中にある分量だけは、その稲は必ず実る。しかし人力を尽くさなければ実りは少なく、人力を尽くすならば実りは多い。思うに深く耕してよく草をかるならば、日光が地中に入ることは深い。だから秋の実りは多い。勤めないでいられようか。

【一七〇】細民の富豪の下に棲息する者、其の家必ず絶つ。何ぞや。之に就き乞貸し、以て不足を補へばなり。縦令壻を納れ婦を娶るも、必ず子孫無し。譬へば小木大木の下に生じ、風雨を凌ぎ僅に花を発くと雖も、然も必ず実を結ばざる如くなり。若し大木の枝を伐れば、則ち小木日光を受け以て実を結び、富豪分内を譲り、以て之を細民に施さば、則ち細民必ず保存す。


《訳》貧しい人々が富豪の世話になって暮らす場合その家は必ず絶える。なぜかというと、富豪に借金して生活の不足を補っているからだ。たとえ婿をとり嫁をめとっても必ず子孫はできない。たとえば小さな木が大きな木の下に生じて風雨をしのいでわずかに花を開いたとしても必ず実を結ばないようなものだ。もし大木の枝を切れば小さな木も日光を受けて実を結び、富豪も生計の余分を譲って貧しい人々に施すならば貧しい人々の家も必ず保存する。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023.01.28 15:55:50


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: