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2023.01.29
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三國隆志先生はアメリカ文学の中で特にユダヤ文学を研究され、ハシディズムにも造詣が深かった。イギリスにも留学されていた。
先生の学問のあとを継ぐ人はいるのであろうか?
わずかなりとも先生の業績を資料集にまとめたいとも思ったが遺族の方と連絡も絶えて了解いただくこともなく、残念なことに先生の高徳を慕う方も少なくなるばかりである。
あるとき「私の名前はあなたの著述の中で残るかもしれないね」と冗談ぽく言われたことがある。

そしてたまにこうしてブログにも三國先生のお名前を記す。





ポーランド南部のポドリア地方の小都市メジブズで、ラビ・イスラエル・ベン・エリエゼル、通称「バアル・シェム・トブ」(1700頃ー1760年)がユダヤ教の復興運動、ハシディズム(敬虔主義)運動を始めた。
バアル・シェムとは、護符師(病気などの場合にお守り札を書く)のことで、彼が書くお守り札は効能があるというので「バアル・シェム・トブ(良い護符師)」と呼ばれたのです。
彼はポーランドとトルコの国境に近いポドリア地方の小村オコピに生れました。幼くして親を失い苦労して生育しましたが、その前半生の詳しい事は不明です。
彼は愛をもって人々を励まし、感動をもって礼拝に臨むこと、神の身近さに感じながら日々の生活を祝い、敬虔(ハシッド)に生きることを教えた。そこで彼の運動はハシディズム(敬虔主義)と呼ばれた。

ハシディズムの信仰の基礎は 「全地は神の栄光に満つ」です。「神は世界中どこにでも存在する。それゆえに『神不在の場所はどこもない』」 と彼らは考えた。

バアル・シェム・トブは言う。 「もしどこに行くとしても神が一緒にいるのであれば、人は常に喜ぶべきである。彼は、自分を守るために、シェヒナー(神の臨在)が自分とともにあると思うべきである。全面的な信仰をもってそう信じるべきである。もし彼が創造主を見上げれば、神はほむべきかな、神は彼を見守る。
 創造主は自身が欲することは何事もなすことができる。もし神が欲するならば、全世界を一瞬のうちに滅ぼし、次の一瞬でそれを創造することもできる。 
 世界の中に存在するすべての善も刑罰も神に根ざしている。なぜならば、万物の中に神の聖なる流出と生命力があるからだ。だから、われわれは神以外の何者にも頼ってはならないし、恐れてはならない。」


バアル・シェム・トブの最初の賛同者は、彼の義兄、ラビ・アブラハム・ゲルションでした。ベルションは、ポーランド南西部の商業都市ブロディのユダヤ教法廷の主席判事で、クロイスというユダヤ教神秘思想求道会の会員でした。後にクトブに移住し、クトブのラビ・アブラハム・ゲルションと呼ばれた。
またコソブのラビ・ナフマンがバアル・シェム・トブの運動に加わったことも、ハシディズムの宣揚の助けとなった。彼もクロノスの会員でした。
ラビ・ヤコブ・ヨセフは最初にバアル・シェム・トブの弟子になった人物です。彼は1780年に『トルドット・ヤコブ・ヨセフ』を出版しました。これがハシディズムの教えを網羅した最初の本です。
バアル・シェム・トブが後継者に指名したのは、ラビ・ドブ・ベエルでした。彼は通称「大説教者」(マギッド・ハガドール)と呼ばれた。彼はユダヤ教神秘主義(カバラー)の研究家で、苦行のしすぎで神経衰弱になり、その治療でバール・トブ・シェブの助けを借りたことがハシディズムの出会いになった。彼はバアル・シェム・トブの死後、ハシディズムを教団化しました。ドブ・ベエルもバアル・シェム・トブも著作を残していません。語録を通して彼らの説教は伝わっています。

バアル・シェム・トブはアブラハム・ゲルションへの手紙で、自分の魂が天に昇った幻について説明しています。それは西暦1746年9月(ユダヤ教の新年)の出来事でした。
「私がそこ(メシアの天の宮殿)に滞在している間に学んだことは、三つの呪文と三つの聖なる御名である。それは学ぶことも識別することも容易であった。私が平静に戻ったとき、私はそれらを使えば、私の時代の人々も私と同じ霊的段階と水準に達することができるのだと悟った。つまり、人々は、今在るがままの状態で、私と同じように魂を高めることができるし、学び、また理解することができるということである。しかし、私がそれを明らかにすることは許可されなかった。そしてわたしはあなたのためにそれをあなたの教えることを特別に求めたけれども、許されなかった。私はここに誓ってそれを証明する。」

その頃、バアル・シェム・トムはコソブの神秘家ラビ・ナフマンと出会い、意気投合します。
その会話の中でラビ・ナフマンの実践を承認する形で自分だけの秘密の一部を明かした。
それは、神の名「YHVH(ヘブライ文字יהוה)」を終始思い浮かべるということでした。

ナフマン『イスラエルよ、きみは人々の思いが分かると言われているが、それは本当かね?』
バアル『ええ、そうだよ』
ナフマン『わたしが今何を考えているか、きみは分かるかね?』
バアル『あなたの考えが固定していないので、分からない。思いが一点から他の点にと迷い、移り変わり続けている。もしあなたが一つの事に思いを集中するならばわたしにはそれが分かるだろう』
ラビ・ナフマンが思いを固定するとバアル・シェム・トブは言った。
『神の名יהוה(YHVH)があなたの思念の中にある。』
ナフマン『きみはどっちみちそれがわかったはずだ。わたしがいつもこれを念じ続けているのだから。聖書に書かれているとおり、『わたしはわが主(יהוה)をわたしの前に常に置く』のだ。わたしがすべての思いを取り去って一つに集中する時はいつも、神の名יהוהがわたしの目の前にある。』

バアル『だが他にもいくつか聖なる御名がある。あなたはどれでも好きな名に思念を凝らすことができたでしょう。』
ナフマンがバアルが言うとおりだと認め、二人はトーラーの奥義について議論を交わした。

ヘブライ語聖書では、神の名は「יהוה」の4文字が記される。ヘブライ語は右から左へ子音文字だけで綴る。ユダヤ教ではこの名をみだりに発音することを禁止する。
この4文字をユダヤ教徒は「アドナイ(われらの主)」と読む。
日本語訳聖書では、この4文字を「エホバ」とか「ヤハウェ」と訳し、最近では「主」と訳する。

ハシディズムの人々が特に重視する聖書の一句は、詩篇16編8節の
「わたしは יהוה をわたしの前に常に置く」
(シャヴィーティ・יהוה・レネグディ・タミッド)
です。
原文の意図は、わたしは常に神と正面から向き合って生きているということです。
しかし、ハシディズムの人々は、文字通り、יהוהの4文字を目の前に置くという意味に解釈したのです。

ラビ・ナフマンの瞑想法は、4文字を思考するよりも、文字像を思い浮かべるものでした。

ラビ・ヤコブ・ヨセフは「トルドット・ヤコブ・ヨセフ」で報告しています。

「わたしは יהוה をわたしの前に常に置く」の一句について、わたしは、わが師ラビ・ナフマンから、これを理解することは難しくないと聞いている。神の名の文字が心に見えなければ、いつでも、心の中で御名を正確に映像化しなければならない。そうすれば祝福さるべき御方、神は常に神の思いの中におられるようになるであろう。」

バアル・シェム・トムは彼自身の瞑想法を漏らしませんでしたが、ナフマンの方法を承認し、激励しました。

「あなたは、神の御名を一体化すべく強く念を凝らせ。(略)そしてあなたは自分を聖名の文字に合体されるようにせよ

写真の点線が「わたしは יהוה をわたしの前に常に置く」にあたる。





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最終更新日  2023.01.29 10:55:28


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