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2025.04.01
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カテゴリ: 坐禅
青山俊董老師「今、ここから始めよう」(2013年12月)218-220頁
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人の尊卑は 行為による

尼僧と尼寺から始まった日本の仏教

 日本に仏教が始まったのは西暦552年、百済の聖明王が、仏像や経論を献上したのが最初とされています。
この仏教に帰依して授戒得度した最初の人は、司馬達等の娘の島女で、僧名を善信と称し、ついで豊女、石女の二人がこの善信尼の弟子となり、僧名を禅蔵、惠善と称し、あいたずさえて百済へ求法留学しています。
帰国してして住んだ寺が桜井寺で、法隆寺開創より十年ほどさかのぼる」ことになります。
 日本の仏教史上、最初の出家者はこの三人の尼僧であり、寺の始まりも尼寺であったということは特筆すべきことでありましょう。

 道元禅師がお出ましになるまでの約700年は、男性中心の仏教であり、女性は穢れたるものとして扱われ、日の当たらない場所へとおいやられておりました。
 この弊風に立ち向かわれたのが道元禅師でございます。


 日本国に一つのわらいごとあり、いわゆる、結界の境地と称し、あるいは大乗の道場と称して、比丘尼・女人等を来入せしめず、邪風ひさしくつたわれて、人わきまうることなし。」


礼拝得髄

第二十八祖、 門人 に謂て曰く、「時将に至りなんとす、汝等盍ぞ所得を言はざるや」。時に門人道副曰く、我が今の所見の如きは、文字を執せず、文字を離れず、しかも道用をなす」。祖云、「汝、吾が皮を得たり」。尼総持曰、「我が今の所解の如きは、慶喜の阿閦仏国を見しに、一見して更に再見せざりしが如し」。祖云、「汝、吾が肉を得たり」。道育曰、「四大本空なり、五蘊有にあらず、しかも我が見処は、一法として得べき無し」。祖云、「汝、吾が骨を得たり」。最後に恵可、礼三拝して後、位に依つて立てり。祖云、「汝、吾が髄を得たり」。果して二祖として、伝法伝衣せり。 『 正法眼蔵 』「 葛藤 」巻

髄をうること、法をつたふること、必定して至誠により、信心によるなり。誠心ほかよりきたるあとなく、内よりいづる方なし。ただまさに法をおもくし、身をかろくするなり。

無上菩提 を演説する師にあはんには、種姓を観ずることなかれ、容顔をみることなかれ、非をきらふことなかれ、行をかんがふることなかれ。ただ般若を尊重するがゆえに、日日に百千両の金を食せしむべし。天食をおくりて供養すべし、天華を散じて供養すべし。日日三時に礼拝し恭敬して、さらに患悩の心を生ぜしむることなかれ。かくのごとくすれば、 菩提 の道、かならずところあり。われ発心よりこのかた、かくのごとく修行して、今日は 阿耨多羅三藐三菩提 をえたるなり。


たとへば、 正法眼蔵 を伝持せらん比丘尼は、四果支仏および三賢十聖もきたりて礼拝問法せんに、比丘尼この礼拝をうくべし。男児なにをもてか貴ならん。 虚空 虚空 なり、四大は四大なり、五蘊は五蘊なり。女流も又かくのごとし、得道はいづれも得道す。ただし、いづれも得法を敬重すべし。男女を論ずることなかれ。これ 仏道 極妙の法則なり。

また、和漢の古今に、帝位にして女人あり、その国土、みなこの帝王の所領なり、人みなその臣となる。これは、人をうやまふにあらず、位をうやまふなり。比丘尼もまたその人をうやまふことは、むかしよりなし。ひとへに得法をうやまふなり。

また、日本国にひとつのはらひごとあり。いわゆるあるひは結界の境地と称し、あるひは大乗の 道場 と称して、 比丘尼 ・女人等を来入せしめず。邪風ひさしくつたはれて、人わきまふることなし。 稽古 の人あらためず、博達の士もかんがふることなし。あるひは権者の所為と称し、あるひは 古先 遺風 と号して、さらに論ずることなき、わらはば人の腸もたえぬべし。 権者 とはなにものぞ、賢人か聖人か、神か鬼か、十聖か三賢か、等覚か妙覚か。また、ふるきをあらためざるべくは、生死流転をばすつべからざるか。

いはんや結界のとき、灑甘露ののち、帰命の礼をはり、乃至浄界等ののち、頌に云、「茲の界は法界に遍く、無為にして清浄を結せり」。



*禅の尼僧 – 季刊『禅文化』269号 –

禅文化研究所発行の季刊誌『禅文化』269号は、特集「無外如大生誕800年 禅の尼僧」というものです。
無外如大という方は、一二二三年にお生まれになり、一二九八年にお亡くなりになっています。

京都にある真如寺の前身である正脈庵を創建された方であります。

また円覚寺の開山仏光国師から印可を受けられた尼僧でもいらっしゃいます。

どんな方なのか『禅学大辞典』で調べてみると、

「臨済宗佛光派。号は無外、別号無着。

城陸奥守(じょうのむつのかみ)泰盛の女。

初名千代野。



のち京都尼寺五山の一、景愛寺の開山となり、また北に正脈庵を開き子元の塔頭とした。

永仁六年一一月二八日示寂。世寿七六。

康永元年(一三四二) 高師直・師泰は、景愛寺と正脈庵を合し増構宏規して、子元祖元を開山とし、夢窓疎石を住持に迎え、額を万年山真如寺と改めた。」

と書かれています。

近年の研究によって、この「無着」は別人だと分かってきています。



如大尼には、悟りを開いた時の話が伝わっています。

満月の夜に井戸から木桶に水を汲み、その桶の底が抜けたと同時に悟りを得て一句を読んだのでした。

『禅文化』誌にある江上正道師の文章には、

とやかくとたくみし桶の底ぬけて 水たまらねば月もやどらじ

という和歌が記されています。

白隠禅師も千代野の画を残されています。

女性が水を汲んだ桶の底が抜けた絵に、

千代のふがたくみし桶の底ぬけて みづたまらねば月もやどらず

と書かれています。

この井戸は、鎌倉の海蔵寺の門前にあります。

私はこの鎌倉の井戸しか存じ上げませんでしたが、今回禅文化の特集で、巻頭に真如寺の江上正道和尚が書かれた「偉大なる禅尼 無外如大~生誕八〇〇年によせて~」によると、如大尼が住持となった景愛寺の旧境内地付近にあるとされる法華宗総本山の本隆寺境内の「千代の井」や、如大尼を開山とし修行地の一つとも伝わる美濃の松見寺の「悟りの池」があるそうなのです。

仏光国師の語録『佛光録』巻九には、如大尼のことが書かれています。

如大尼が、公案の修行をして応分の所得があったけれども、それを証明する人がいなくて、自分の得た心境を手紙で仏光国師に送ってきたのでありました。

国師は、黄龍の三関の公案で答えました。

更にまた如大尼は、その三つの問いに三転語をもって答えてきました。

その答えが国師の意にかなうものだったので、法衣を与えて証明したということなのであります。

『佛光録』巻八には如大尼に与えたと思われる号頌も記されています。

そもそも考えてみますと、仏教は、その始まりから、男女平等とは言い難いものでありました。

もともと古代インド社会における女性の地位は低かったと言われます。

そんな時代に仏教が生まれたのでした。

ブッダが、女性の出家を容易に認めなかったことはよく知られています。

仏教の歴史の中で最初に出家した女性は、マハーパジャーパティー・ゴータミーであります。

彼女は、ブッダの母マーヤー夫人の妹であり、ブッダを養育された方であります。

そんな女性が出家を願ってもブッダは許されませんでした。

三度お願いしましたが、三度とも断られています。

そこでブッダの侍者を務めるアーナンダからブッダにお願いしてもらったのですが、これもまた三度願いながらも三度断られてしまいました

アーナンダは、ブッダに女性は阿羅漢の地位を実現することはできないのでしょうかと問いました。

ブッダの教えは万人に通用するものであるから、この問いには、ブッダも肯定的に答えました。

その答えを聞いてアーナンダは、女性も阿羅漢果を得られるのであれば、出家を許されても然るべきではと言って、ブッダを説得したのでした

しかし、ブッダは女性の出家には、いくつかの条件を必要とされました。

仏教教団はその最初期から、男女平等とは言い難い状況でありました。

しかし、禅門において、古く唐代には、すぐれた尼僧が語録の中に登場しています。

尼僧ではないが、婆子と呼ばれる女性が、禅僧と互角の問答をしています。

時には稀代の禅僧も婆子にやり込められている例も見受けられるのです。

禅では「見性成仏」を説いているので、その「本性」には男性と女性の差別はないのであります。

その「本性」さえ明らかにしたならば、全く男性も女性も同等なのが禅宗です。

宋代になると、臨済の禅は、看話禅となって発展してきました。

古人の話頭を公案として看ることによって、自らの「本性」を明らかにするのです。

大慧宗杲禅師に最初に嗣法したのが、尼僧であると言われています。

大慧禅師のもとには士大夫や女性も参禅して嗣法を許されています。

日本の道元禅師も女人禁制には厳しい意見を持っておられました。

「日本国にひとつのわらいごとあり」と女人禁制の寺を批判されています。

無外如大尼は、円覚寺の開山仏光国師に嗣法されたのであります。

今回の禅文化には、如大尼をはじめさまざまな尼僧さんのことが紹介されています。

また現代に生きる尼僧として、不徹寺の松山照紀さんの記事もとても興味深いものです。

他にも連載として方広寺派管長の安永祖堂老師の誌上提唱『碧巌録』はとても分りやすく説いてくださっていますし、大乗寺の河野徹山老師の誌上提唱『大道真源禅師小参』は微に入り細に入り丁寧に講説してくださっています。

広くおすすめする内容であります。

横田南嶺





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最終更新日  2025.04.01 00:00:23
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