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2026.07.25
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カテゴリ: 坐禅
大智禅師偈頌講話 沢木興道




 松苗木を植える。松苗木を植えるということは、この世では正覚を得ないことじゃ。この世では正覚を得ない。あの木を植えるということぐらい、実に気の長い話はないわな。日光に行く途中に松並木がある。これはなんとかという大名が貧乏なものだから、他にえろう寄附ができんので止むなく杉苗木を植えた。ところが、今日ではあれが一番結構な杉並木になっておる。大したものじゃ。そうすると、この松苗木を植えるということは、これは自分が自分で収入を得ないことである。子の代、孫の代、ヒコの代、ヒコヒコの代に栄える。後になるほど栄える。そうすると、栽松道者ということは、何を象徴しておるか。われわれに何を教えているのか。縁に対せずして照らす。不可得とか、無所得とか、こういうことを象徴しておることは勿論である。

 わたしらなるたけなんにもならんことに一つ骨を折ろうと思って、なんにもならんことばかりをやっている。なんにもならんほど、これは網が大きい。なんぞになったときは、これは小さなものだ。で、栽松道者は自分の役に立っておらん。そのなんにも役に立っておらんことをしておったというのが、五祖大師の前身なんである。そこがすなわち工夫、実参実究すべきところであり、また本当のことでもあるんだ。
 それはわれわれでも、なんにもならんことをしただけがー。よそで講演して、お盆に乗せて持ってきた水引きかけたものを貰うて、それで棒引き。金を貰ったら、それでおしまい。先方は、歌うたいと同じように扱いよる。
 だが、なんにもくれんでも、一緒に坐禅するという人間ができたらいい。ところが、目くされ金の百円や千円くれて、それで日雇い賃を払うたという。日雇い賃をくれた。またその日雇い賃を取りに歩くのを商売にしている者がある。こいつはまた哀れなものじゃ。よそへ行ってもなんにもくれん。気持ちがいい。なんにもくれん。ただ働く。ただ働くということほど愉快なことはないんじゃ。どうぞしてただ働いて、食わんで死んでやろうと思って頑張っておるけれども、わたしらはまだ生きている。一生懸命に命がけでただ働く。おもしろい。これくらい愉快なことはない。目くされ金を、雀の涙ほどの、それでやったような顔をしよる。それを欲しさにやってくるものもある。これはまた、話にならん。
(大智禅師偈頌講話p.116-118)





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最終更新日  2026.07.25 02:00:05


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