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「ユマニチュードへの道」イヴ・ジネストp.41 ユマニチュードはなぜケアのマニュアルではなく、哲学なのでしょう? ユマニチュードとは、いわばコンセプトです。「人間らしさ」とは何かをつねに問いながら、それを実現させるための手段として技術を使います。その技術は、「ジネスト・マレスコッティのケア技法」と呼ばれるマニュアルとして存在し、基本的な哲学とともに400ほどの技術で構成されています。 どの技術をどんなときに、どのように選び、どんなふうに組み合わせるかを決める際、「なぜ自分はそのケアをおこなうのだろうか」「ここで大切なことは何だろうか」「いま優先すべきことは何だろうか」と考える、そのよりどころとなるのがユマニチュードの哲学です。 哲学があるからこそ、技術が生きます。この2つを切り離すことはできません。ケアの現場における点滴や清拭、与薬、食事介助などは、ともすると単なる「業務」のように済ませてしまいがちです。しかし、ユマニチュードでは、ケアの現場でおこなわれるすべての行動やその環境に関して、つねに「人とは何か」という哲学に立ち返ります。 ケア技法・ユマニチュードは、「自分が大切にしている価値」つまり哲学と「自分が実際におこなっていること」つまり行動と一致させるための手段なのです。映画『急に具合が悪くなる』公開記念特別座談会〜濱口監督×松田プロデューサー×ジネスト先生×本田先生が語る、映画とケアの未来〜濱口 この映画を観た方から、よく感想として「ユートピア的だ」と言われることがあります。ある種、否定的なニュアンスで「こんなキレイごとの施設は現実にはないよね」と。ただ、私は実際に施設を見に行っていますが、そこは今回映画で描いた施設よりも、ずっとユートピア的に見える場所でした。ですから、勿論、ここの施設によって置かれている状況は違うにしても、決して不可能なことではないと確信しています。その実践に励まされたからこそ、みんながそこにたどり着くプロセス――この現実と、一見ユートピアに見えるものとの間を埋めるような映画にしたいと考えました。
2026.07.31
福山瀧助翁 第七章 養嗣子虎之助に家督を譲り報徳仕法に専念す弘化元年二十八歳にて独立してより、四十二歳になるまでおよそ十五年間は実に幸福な日々は送ったが、気の毒にも同年夫人を失い翌安政元年には寵愛比なく育てた三歳になる男児に先立たれたのであった。そのところに養嗣子虎之助を迎え家督をゆずり、多喜蔵なる名をも譲り自らは改名した瀧助といった。こうした重ね重ねの不幸にもいよいよ翁の報徳熱は盛んにこそなれ、決して衰えなかった。これより先、翁は既に小田原社の重世話人となっていたが、隠退後、閑散の身となったので、これから後は一意専心報徳の道の為に心を尽し、小田原社のみならず近在の各社の世話を進んでなし、かたわら心学の勉学に余念がなかった。この心学は梅岩先生石田勘平を始祖とするものである。梅岩先生は丹波国に生まれ、二十三歳の時、京都に上り一商家に仕え、四十三歳に至るまで二十年間、丁稚(でっち)、番頭として送った。その間に修養を続け、遂に晩年一派をなし心学を起し、平民の教師として世人を開発した人である。彼の学問は朱子学より出て、一心の練磨が取りも直さず学問であった。この心学と報徳とは精神において相通ずるところがあり、この心学による精神修養こそ、翁の報徳実践を本当に信念にまで到らしめたものであろう。人間信念にまで行った程強力なものはない。こうして翁の日常生活そのままが報徳の教えにかなうようになってしまった。孔子の「己の欲する所に従うも則を越えず」の域に達したものであろう。そのため先生には報徳の実践が決して苦しい事ではなかった。小田原社の某社員が「福山翁は楽しんで報徳を行う。我々は苦しんでこれを修めている」といっているが、これを見ても決して翁の報徳が観念的なものでなく、いかに深く体得していたかがわかるであろう。その頃、報徳の教えは二宮先生の郷里なる足柄の平野、長年仕法に従事された上野国のみならず、山のかなたの駿河、遠江、の国にも既に行われ始めていた。慶応三年三月遠江より師としての懇請を受けたが、なかなかの大事であることを思い承諾しなかったが、福住正兄先生の重ねての依頼により遂に死を決して遠江の仕法をなさんと決心し同地に赴かれたのである。時に先生五十一歳、この新しい門出より逝去されるまでの二十六年間の遠江における粉骨砕身、不惜身命の仕法こそ我々郷土後輩をして奮い立たせるものがある。特に明治維新に当り、世は転変著しく民心定まらず、表面四民平等とはいうものの、長い間、国民の脳裡に深く彫刻された封建制度の階級的観念の消えやらない時に、一町家の次男より身を起し、遂に他国の仕法に出て行かれる事になった。翁にはいよいよ敬仰の念を深くせしめられるのである。
2026.07.31
大智禅師偈頌講話 沢木興道百丈野狐の話 その2【百丈野狐の話】 迦葉佛時先百丈 (迦葉仏の時先百丈)分明今日野狐精 (分明なり今日野狐精)諸方若是覆盆下 (諸方若し是覆盆下ならば)此話更参五百生 (此の話更に参ぜよ五百生)「迦葉仏の時先百丈、分明なり今日野狐精」一体いうたら、三世十方の諸菩薩も皆これお化けでなければならん。われわれもまた毎日化けねば駄目である。化け方の足らん単調な顔をしておったら駄目である。いつもかも同じような顔をして、作り人形みたいな顔をしておってはー。朝から晩まで化けねばー釈迦も一代、これは化け変わりの名人である。歴代の祖師も皆お化けである。だから、われわれは化けて化けて化け散らかす。 朝から晩まで化けんならん。赤ん坊に対するのと先生に対するのと同じではない。こちら向いたらこう化ける。あちら向いたらああ化ける。毎日われわれの顔つきでも、別な顔つきばかり出しておるのである。顔つきでも毎日化けておる。人の前で内緒ごとをする小僧は、これは怖い和尚だと思っておる。それだから、わたしを三人の人が見る場合は三人とも違う。「沢木さんは好々爺」と思っているやつがいる。また「恐ろしいド爺」と思っておるやつがある。いろいろある。それでよい男前というものもあるし、悪い男前というものもあるし、恐ろしいというのもあるし、いいオッチャンというておる人もある。それはなにも、われわれ朝から晩まで、単調な顔をしておるのではない。朝から晩まで違う顔をしておる。別な顔をしておる。だから、人間一生化け変わるのである。(大智禅師偈頌講話p.125-126)
2026.07.31
66報徳外記(現代語訳) 第二十 教化(中) 行と教は一つである。たとえば稲の草のようである。種子が、芽を生じてワラとなり、ワラが、穂を生じて稲の実となる。稲の実は稲の実を生ずることはできない。ワラはワラを生ずることはできない。行ってその後に教え、学んでその後に行う。そもそも行って後に教え、学んでその後に行う。だからその成功は必ず身を修め、家をととのえて天下を治めるに至るのである。いやしくも学んで行わない、行わないで教えるのは、口と耳の学問である。自分の身ですらなお修めることはできない。まして人民を治めるのはなおさらである。孔子は言われた「之に先んじ、之に労す」*と。また言われた「倦むこと無し」と。自分が、朝早く起きて、その後にこれを人民に推譲し、自分が、倹約を行って、その後にこれを人民に及ぼす。自分が推譲して、その後にこれを諭し、自分が孝悌忠信であって、その後にこれを導く。すべての行いは皆な同じである。そうであれば人民がなお実行しない者が有るとすれば、これは自らの心が誠実ではないためである。昔、延喜の帝は、寒い夜に着ていた衣を脱いで、人民と寒苦を同じくされた。この時に当たって、天下の貧民は着るものが無くても、寒気を覚えなかったという。どうして厳寒に寒気が無かろうか。天子はよろしく綾錦(あやにしき)の着物をかさねたまうべきなるを、しかも貧民と寒さを同じくされる。万乗の尊きにあって、なおこのようである。それなのに庶民においては、重ね着はなく、もともとそのような境遇である。この心が一度定まれば、寒気を覚えなかったのである。至誠におられること、神のようである。誰が感動しすすり泣きしない者が有ろうか。ああ、衰村に臨んでその民を治める者は、必ずまさに自ら誓うべきである。村中もしカヤのない者が有るときには、私もカヤを張るまい。夜中になってももしまだ休まない者が有るときには、私も寝につかない、もし法をおかして罪に陥る者があるときは、こう言う。国君が、私をして子供らを守らさせたのに子供が井戸に落ちる、これは子供の罪ではなく、子どもを守る者の罪であると。誠と実で毎日と心力を尽すことが久しくしかも倦まないときには、民がこれに応じることは音と響きのように、感動し発奮しない者はいない。もし心がここにあらず、口と耳だけでこれをさとし、、偽りの方法でこれを率い、刑罰でこれをおどかせば、夜をおわるまで心力を尽しても、また終いに人々を感化する実績を見ることはできない。かつて平凡でつまらない役人が有った。衰村に臨んで早起きを導くのに、わたくしに禁令を立て村民を起こすに夜明けとした。従わない者が有るときは、縄ないを課してこれをつぐなわせた。一旦は効果が有るようだったが、役人が過ぎるをうかがって、火を焚いて早起きのようにした。これは縄ないの責めを免れるためだけだった。これはいわゆるこれを導くのに政を以てし、これを斉(ととの)うるに刑を以てし、民は免れて恥じることが無いというものである。私の興復の方法は、怠惰を振い起すのに、夜明けに回村することを急務とし、これに応じるのに誠実を以てし、これを導くのに自ら努めることを以てする。これはいわゆる、これを導くのに徳を以てする者である。村民は、感動し奮起して、心から自らの怠惰を恥じて、朝早く起き、夜遅く寝て一生懸命勤労し、終いには廃家を回復し、衰村を復興するようになる。このようであれば、なお米と藁とが互いに生じるように、行いと教えが並び行われ、その後に教化の功積を見るべきである。* 子路問政。子曰、先之、勞之。請益。曰、無倦。子路しろ政まつりごとを問とう。子し曰いわく、之これに先さきんじ、之これを労ねぎらう。益まさんことを請こう。曰いわく、倦うむこと無なかれ。 第二十 教化(中) 行と教は一なり。譬へば稲草の如く然り。種子、芽を生じて藁となり、藁、穂を生じて粟と為る。粟は粟を生ずること能はず、藁は藁を生ずること能はざるなり。行ひて而る後教へ、学びて而る後行ふ。夫れ行ひて而る後教へ、学びて而る後行ふ。故に其の功必ず修斉より以て治平に至る。苟も学びて行はず、行はずして教ふるは、則ち口耳の学問なり。一身すら尚ほ修む可からず。況んや民を治るに於てをや。孔子曰く、之に先んじ、之に労すと。又曰く、倦むこと無しと。我、夙に興きて而る後之を民に推し、我、倹を行ひて而る後之を民に及ぼし、。我、推譲して而る後之を諭し、我、孝悌忠信にして而る後之を導く。百行皆な然り。然り而して民尚ほ作らざる者有らば、是れ我が心の誠実ならざるのみ。昔在は延喜の帝、寒夜に御被を推したまひて民と寒苦を同じうしたまひき。是の時に当たりてや、四海の貧民被無くして而も寒気を覚えざりきと云ふ。豈に厳寒に寒気無けんや。天子は宜しく錦衾綾被を襲ねたまふべきなるに、而も貧民と寒さを同じうしたまふ。万乗の尊きにましまして尚ほ是くの如し。而るを況んや細民に於てをや。被の無き、固より其の所なり。此の心一たび定まらんか、寒気を覚えざりしなり。至誠にましますこと神のごとし。誰か感動歔欷せざる者有らんや。吁。衰邑に臨みて其の民を治る者、必ず当に自ら誓ふべし。邑中若し蚊幬無き者有るときは、則ち我も蚊幬を張らず、夜三更に至りても若し未だ休まざる者有るときは、則ち我も寝に就かず、若し法を冒して罪に陥る者あるときは、則ち謂ふ。君、我をして孺子を守らしめたまふに孺子井に陥る、孺子の罪に非ずして守る者の罪なりと。以て誠、以て実、日月と心力を尽すことの久しくして而も倦まざるときは、則ち民の之に応ずること景響の如く、感発興起せざる者莫きなり。若し夫れ心焉に在らず、口耳を以てのみ之を喩し、、詐術を以て之を率へ、刑罰を以て之を威さば、則ち夜を畢るまで心力を尽すとも亦た終ひに風化の功を見る可からざるなり。曽て俗吏有りき。衰邑に臨みて早起きを導き、私に禁令を立てて民を起こすに鶏晨を以てす。従はざる者有るときは、則ち索綯を課して以て之を贖はしめたり。一旦は効有るに似たりと雖も、而も吏の過ぐるを窺ひて、火を焚き以て早起きの如く表し、苟も索綯の責を免るるのみ。是れ所謂之を導くに政を以てし、之を斉ふるに刑を以てし、民は免れて恥づる無き者なり。我が興復の法は、怠惰を振起するに鶏晨回邑を以て急と為し、之に応ずるに誠実を以てし、之を導くに躬行を以てす。是れ所謂之を道くに徳を以てする者なり。民、観感興起して、中心より自ら怠惰を耻ぢ、夙興夜寐して励精勤業し、終ひに廃家を復し、衰邑を興すに至るなり。夫れ是れの如くんば、猶ほ粟と藁と互ひに生ずるが如く、行と教と並び行はれ、而る後教化の功以て見る可きなり。
2026.07.31

「ユマニチュードへの道」イヴ・ジネストp.39 Q「ユマニチュード」とはどんな意味ですか? ユマニチュードとは、フランス語で「人間らしくあること」を意味します。 哲学的には、「ユマニチュード」という言葉は、フランス領マルティーニ島出身の詩人であり政治家のエメ・セザールが1964年に提唱した「ネグリチュード」という概念に由来します。セザールは「ネグル」という黒人奴隷を意味する言葉から「ネグリチュード」という言葉を生み出しました。 本来、「ネグル」は屈辱的な言葉ですが、そこから生まれた「ネグリチュード」は、植民地に暮らす黒人たちが自らの黒人らしさを取り戻そうという誇りに満ちた活動となりました。 その後1980年に、スイスの作家フレディ・クロプフェンシュタインが思索に関するエッセイのなかで、人間らしくある状況をネグリチュードを踏まえて「ユマニチュード」と命名しました。 身体的な機能が低下し、他者に依存しなければならない境遇になったとしても、人は最期の日まで尊厳をもって暮らし、生涯をとおして人間らしい存在でありつづけることができるはずです。もし、社会から切り離され、誰からも愛を受け取れず、他者との絆を失っている状況があるなら、その人は「ユマニチュードの絆が断たれた状態である」と私は考えます。 人間らしく扱われなくなった人を、もう一度人間らしい世界と招き入れるために、ケアする者はケアを受ける人に対して何をすべきでしょうか? 「私はあなたという人を大切に思っています」というメッセージを相手が理解できるように発信しつづける必要があります。 つまり、その人の人間らしさをつねに尊敬しつづける状況こそが、ユマニチュードの状態であると定義できます。映画『急に具合が悪くなる』公開記念特別座談会〜濱口監督×松田プロデューサー×ジネスト先生×本田先生が語る、映画とケアの未来〜濱口 ジネストさんから見たこの映画に対する率直な感想をお聞かせいただけますか。ジネスト先生 この映画に関する私の感想は、本作を拝見したすべてのフランス人、そしてユマニチュードを知っているフランス人たちが感じたことと全く同じです。みんな私に「この映画はユマニチュードに関する映画だね」というメッセージを送ってきました。しかし、私は必ずこう答えるのです。「いや、これはユマニチュードについての映画ではないんだよ」と。確かに、環境としてのユマニチュード――優しさ、自由、人間と人間との関係性――はそこに存在します。ただ、先ほど「ユートピアのようで実現できないもの」という言葉がありましたが、今回撮影された介護施設は、まだユマニチュードの「認証」を受ける前の、導入の初期段階にある施設です。すでに認証を受けている本物のユマニチュード施設では、本当に完全に自由です。入所者の方は好きな時に、たとえ真夜中の午前2時であっても自由に出入りができます。ご家族もお母様に会いに来て、そのまま一緒に添い寝をすることだってできる。自分の飼い猫を連れて入所することもできますし、お金がある方は食事の時にブルゴーニュワインを楽しんでいます。たとえおむつをつけなければいけない状況であっても、ご夫婦で同じベッドで寝ることだってできるのです。ユマニチュードの認証を受けるためには、「人間としての権利がすべて尊重される状況」が不可欠です。今回の映画は、そのユマニチュードに取り組もうとしている、素晴らしい「導入のプロセス」を撮影してくださいました。心から感謝しています。「ユマニチュード道」です。
2026.07.30
福山瀧助翁 第五章 小田原社の再興 小田原町の報徳社は天保十四年に創立されたが、その行うところの五ヶ年賦法は町家においては、長期に過ぎたためか、嘉永元年にはもはや著しく衰退し、二宮先生よりの善種金も次第に減って社員も数少なくなったので、翁はけつぜんこれを挽回しようと図り、収支を明らかにしたところ、余すところ僅かに八百四十文であった。 翁兄久蔵、小田原町の留次郎、酒匂村の新兵衛、川村の覚門と計り、まず五ヶ年賦法を短縮して、十八ヶ月賦法に定め八百四十文を基にして小田原の社再興に粉骨尽力したところ、始めは社員も前記の五人だけであったが、先生を中心とする燃えるがごとき努力に小田原社は次第に興隆し、これを見て入社する者も多くなった。後に先生の遠江国、遠譲社創立するに当り小田原社では、百二十円を貸与し、うち二十円は無利息据置とし、他の社の創立を援助指導するような立派な社となった。翁は遠江、三河の両国に仕法に赴いて後も、春秋二回は必ず帰省し、小田原の社の帳面を見て指導するのを例としていた。自らは小田原町報徳年寄り(遠譲社の文書には重世話人と見える)という役につき、養嗣多喜蔵は社長を永く勤めていた。 こうした翁の一身を捨てての努力は小田原町報徳社の興隆を来らしめたのである。この報徳社に加入し報徳の仕法をよく守って経営した店はぐんぐん栄え、添田呉服店、江島茶紙問屋等の現在小田原市内の大きな店舗はほとんど全部といえる程、報徳仕法によって地歩を築き上げたのであって、その今あるは全て翁の報徳社再興の賜物であり、翁の力の致すところであるといわなければならない。
2026.07.30
福山瀧助翁 第六章 福山家を継ぎ独立する 弘化元年、二十八歳の時、兄より二十両の資を受け独立し、新宿町に一戸を構えた。小田原町報徳社これを聞き、翁の独立を喜び、先年の約束として金十両を貸与した。しかしこの頃は新しく分家する事は規則をもって差し止められていたので福山なる潰れ小家を継ぎ、これより(里見から)福山と改姓したのである。 翁一戸を構えその経営法を考え、ある日資本金三十両を一割、利倍の法により、六十年の積算を見たところが驚くなかれ、その額九千百二十四両の大金になった。翁これを見て大いに喜び、これこそ自分の取りて以て行うべき道である。折角兄よりまた報徳社より受けたる資本金、下手な商売をして一時になくすよりも危急の場合の準備金として手をつけず、自分は一生懸命に働いてその勤労の余徳によって生活してゆこうと考えた。 そうしてその意を兄に告げ、同意を得、資本金三十両を一割で兄に預け、自分は相変わらず日雇いをうけて、兄の製造する菓子を背負い近在を売り歩き、雨の日は兄の家の菓子製造に余念なく働いた。その頃の翁の生活を見るに、実に質素なものであった。間口三間半の店半分を一ヶ月十二文で借り受け、三度の食事は兄の家に依頼し、こうして独立してより一ヶ年後、現金は少しも余すところがなかったが、その間に買い求めた下駄、傘等の日用品だけが残った。それらを金額に見積もったところが約七両、これでは妻を迎えても生活してゆけるだろうと、ある人の媒酌により、明くる年弘化二年四月大工町某の女(むすめ)を娶った。二十九歳の時である。そこで間口三間の家に移り、自ら菓子製造業を始めた。報徳趣法により薄利多売主義を取り、百文につき一文の利を見て売ったところが店頭市をなすというありさまで終日寸暇もなかった。 これより先生年々一定の時に収支を見るに、いつも一割利倍以上になっているが、開業八年目、翁三十五歳の年、思わざる失費多く一割利倍の計算より三両程不足を来した。翁はこの一割利倍の法の行いやすく見えて行い難いのを思い、他の法を考えるに至った。この時分は年々六、七両の剰余金を生じたので、この中六両を天分と定め、この金を年に報徳社に加入することにした。そうして無利息五ヶ年賦法により貸付を行い元恕金(六年目に出すお礼の意味の金)を一ヶ年分とすると、六十年後にはその高六千四百八十四両となる。これは一割利倍の法には勿論及ばないが、一割利倍の法はただ自家を富ませるだけの事である。この法は自分の剰余金を他に押し譲りて社中を潤す。ひいては国を潤す。これが本当に報徳の精神に合致するものであると考え、決然この法によろうと決意した。この年より翁四十五歳の年まで十一年間年々金六両ずつ加入し、その他余裕がある年は、その金額をも加入したが、生活に困難を生じた事はなかったという事である。後に加入金は二割せよと教えられているが、これはこうした自分の長年の尊い体験よりの法である。
2026.07.30

<2026年熊本地震>がれきの山から「助けて」 消防隊員「必死に掘った」 緊迫の日本製紙八代工場7/29(水) 巨大な煙突が建物にめりこみ、複数人が生き埋めになった日本製紙八代工場(熊本県八代市十条町)の被災現場。最初に救助を担当した八代広域消防本部の隊員らが29日、熊本日日新聞の取材に応じ、「がれきの中から要救助者の声が聞こえ、十分な機材がない中で必死に手で掘った」と緊迫した現場を振り返った。 発災から約1時間半経過した28日午後6時過ぎ。八代広域消防本部の隊員4人が通報を受けて現場に到着した。直径3~4メートルの煙突が建物の真上に倒れて激しく損壊。2階では日本製紙の従業員8人が勤務中だったという。 第1陣で到着した隊員らが細く急な階段を上り、ドアを開けると、がれきの中から「助けてくれ」と、かすかに聞こえた。状況把握で駆けつけたため、専用の救助機材を携えていなかった。「頑張るから」と声を絞り出す要救助者。隊員らは後続を待たずに動き出した。がれきを一つ一つ取り除き、大きな固まりはバールで動かした。むき出しの鉄筋はニッパーで切り、助け出す空間を確保した。 余震のたびにドカッ、ドカッとコンクリート片が落ち、粉じんが舞った。さらに建物が損壊した場合に巻き込まれるのを防ぐため、隊員らは安全な場所に避難しながら15分ほどで50代男性を助け出した。 続けて「大丈夫か」と呼びかけると、一番奥から返事があった。天井近くまで積み上がったがれきの向こうに頭がかすかに見えた。要救助者に水を飲ませ、暑さで体力を消耗しないよう体にもかけた。増援が加わり2人1組で交代しながら掘り進め、午後7時10分過ぎに60代男性を救助した。現場を指揮した40代隊員は「十分な照明や油圧器具がなく、できることを必死でやった」 一夜明けた29日、県外からの緊急消防援助隊や熊本県警の機動隊、自衛隊などと救助活動を続けた。八代広域消防本部の北田浩信消防長は「がれきを重機で撤去したいが、2階に続く階段は狭く急傾斜で簡単には投入できない。マンパワーが必要だ」と難航の理由を説明。午前6時現在、総勢200人超で対応しているとした。 工場敷地内では本事務所も倒壊。午前8時、そばでは日本製紙の社員ら約30人が被害状況の把握に向け、複数人で行動して油漏れなどの被害写真を小まめに撮影するよう申し合わせた。日本製紙本社の広報室は報道各社に「状況を把握中」と述べるに留めた。 午前9時前、取引企業で物流業「MATSUKI」(八代市)の松木喜一会長(76)は工業都市・八代を象徴する工場の被災に「言葉がない。安否不明者のことが心配だ」と表情をこわばらせた。
2026.07.30
大智禅師偈頌講話 沢木興道百丈野狐の話 その1 次に「不落不昧の話」。それから「百丈野狐の話」。これは前後互い違いにするという古来の口伝である。はじめの則に「百丈野狐の話」、次に「不落不昧の話」、読んでみるとそうなっておる。で、まずはじめに百丈野狐の話―。 百丈野狐というのは、昔百丈山で懐海禅師が説法しておると、そこにいつも一人の老人が説法を聴いておる。あるときに説法がすんでも、いつまでもあとに残っておる。一日去らず。そこで「面前に立つ者は何ものぞ」そうすると「非人-人間じゃありません。わたしは過去迦葉仏のときにこの山の主人で、あなたのように説法しておりました。あるとき人が問うていうのに、大修行底の人還って因果に堕すやと、そのときわたしは『不落因果』と答えた。するとそれから五百年野狐精に落ちました。和尚、どうか一つ引導を授けてください」そこで「もう一遍問うてみい」こういうとこの非人、「大修行底の人還って因果に堕すや」そうすると、百丈いわく「不昧因果」そうするとその者は言下に野狐精を脱した。と、こういう則がある。それを今ここに持ってきた。 仏教というものを論理で片づけようと思う。また言葉で片づけようと思う。しかしいつまで経っても言葉というものは輪廻する。尻尾と頭が引っついてしまう。「因果の道理歴年として私なし、造悪の者は堕ち修善の者は陞(のぼ)る」という。それで見て来たように。それをその通り憶えたのなら、それは常見外道である。近ごろの言葉でいえばこれは右翼である。そうすると、因果というものはないというか。それだとこれは断見外道である。で、因果に落ちず、因果をくらまさず。そんなら不落因果が悪いかというに、そうでもない。不昧因果もこれを担うたら、やはり一荷になる。どれも悪いのじゃない。どれもいいのじゃない。ここに「百丈野狐の話」を参究せんならん。(大智禅師偈頌講話p.123-124)
2026.07.30
67報徳外記(現代語訳) 第十九 教化(上) 教養は先王が人民を治めるゆえんである。そしてあるいは先ず養って、その後にこれを教え、あるいは先ず教えてその後にこれを養う。なぜならば、貧困の人民は衣食が常に乏しく、いつもは一回だけでも飽きるまで食べたい、暖かく過ごしたいと願うだけである。一たび秋の実りを得るときには、その飽きるまで食べたい、暖かく過ごしたいという気持ちを逞(たくま)しくして、次の年を顧みるいとまなどない。このような者には、先ずこれを養ってその心を満足させなければ、欲念が胸中に充満して、教えても入ってくることがない。遊んだり怠けたりする人民はその念は多く心がねじけて常に飲食・賭博をしている。このような者は、先ずこれを戒めて、その悪念を断たなければ、悪い行いが増して、また養うことによっては施すことはできない。教養もその順序を失うときには、なお寒さに向かって種を播き、耕さないで肥料をほどこすようなもので、最終的にその成功を得ることはできない。ああ、そもそも教養の人民に対するのは、なお人が二本の足におけるようなもので、互い互いに足を出して、その後に行くことができる。そしてこれを教えるのは、自ら行うことによって、これを導くのでなければ、また行われない。今、役人があって、朝早く村里を巡り行き、庄屋は先に立って案内する。下弦の月が無く、暗く空を覆う雲は雨を帯び、闇が深く少し先も見えない。ただ庄屋に従って行く。庄屋は道に明るく誤らない。言う「左」、言う「右」、言う「溝」、言う「橋」と。つき随って巡行を全くする。もし庄屋が自ら道を案内するのでなければ、夜中じゅう村の図面をひろげて順路を説いても、また数歩もどうして行くことができようか。しかし巡行することが数回であれば、道を熟知することはなお庄屋と同等になろう。衰村の人民は、生まれてから貧困で怠惰で不精なので、朝早く起き夜早く寝ることが、どういうことかを知らない。ましてや孝弟忠信の意義についてはなおさらである。自ら身をもってこれを導くのでなければ、耳を引き寄せ、面と向かって教え諭して日を重ねて、いよいよ久しくしても、またどうしてこれを異なるものとなしえよう。だから衰村の人民を導くには、朝早く回村することを先務とするのである。その村里を行くときには、早起きを問うことなく、遅く起きるのを咎めない。寒いときも暑いときも雨や雪のときも、一朝も怠らない。それでも遅く起きる村民は、どうして私が早朝に回村をしていることを見ることができようか。たとえたまたまこれを見る者が有ってもも、必ず言うであろう。役人がまた通る。なぜしばしば私の宅地を通り過ぎるのであろうかと。また回村をどうしてやるのかを知らない。これを箸で盥(たらい)の水を回すのに譬えるならば、その始めにこれを回らすときには、箸と水とは別々で、水は箸を回しても回らない。その回し続けて止まないときには、水と箸とが回ることは限りなく、終いには箸を投げても、水が回る所となるに至ることは、自然の勢いである。だから回村はこれを久しく怠らないときには、雪が薄く降る朝、私の足跡を見る者があって言う。「誰が私の宅地を過ぎたのだろう」と。あるいはたまたま早起きをして私が朝早く行くのを見る者があったとしよう。役人は言う、「回村を行なっている」と。一人が唱えれば衆人が同じく言う。村民はこぞって互いに言い合う。「国君が、恩恵を与え、役人に農業を勧められるのはなぜか。自分の勤労で自分の生活を安らかならしめようと願われるのである。役人は寒いときも暑いときも、日夜と無く、風雨や霜雪をおかして回村を行なうのはなぜか。私に私の家を保全させようと願うためである。それなのに自分は一日中怠けて不精で終夜安眠して役人が行き過ぎることを知らなかった。これ国君の至仁の恩を忘れて、至愛の教えに背くものである。どうして自ら天地の間に立つことができようか」と。これは夜明けの清らかな大気、良心を発見して互いに羞恥を生じて、村を挙げ率先して朝は早く起き、夜は早く寝て明日の仕事に備え、一生懸命に勤労に励み、終いに板を叩いて夜が明けたことを告げて、怠惰を互いに戒めるやかましく叫ぶ声が、役人の夢を破るようになるのも、また自然の勢いである。誠にこのようになれば、行いと教えと並んで行われる。その後に孝弟忠信を導くこともでき、倹約・推譲の教えを施すことができる。 第十九 教化(上) 教養は先王の民を治むる所以なり。然して或いは先づ養ひて而る後之を教へ、或いは先づ教へ而る後之を養ふ。何となれば、則ち貧困の民は衣食常に乏しく、平生一たびは飽暖を得んと欲するのみ。一旦秋実を得るときは、則ちを其の飽暖を逞しくして来歳を顧みるに暇あらざるなり。此くの如き者は、先づ之を養ひて其の心を厭足せしめざれば、則ち欲念胸中に充塞して教への以て入る可き莫し。遊惰の民は其の念多く奸悪を醸して常に飲博を事とす。此くの如き者は、先づ之を戒めて其の悪念を断たざれば、則ち悪業増長して、亦た養ひの以て施す可き莫し。教養苟も其の序を失ふときは、則ち猶ほ寒に向かひて播種し、耘ずして糞培するがごとく、終に其の成功を得る能はざるなり。嗟、其れ教養の民に於けるや、猶ほ人の二足に於けるが如く、互ひに相ひ須ちて而る後行く可し。而して其の之を教ふるや、躬を以て之を導くに非ざれば、則ち又行はれず。今吏有りて鶏晨に邑里を巡行し、里正嚮導を為す。下弦月無く、陰雲雨を帯び、闇黒咫勺を弁ぜず。唯だ里正に従ひて行く。里正は路に熟して謬たず。曰く左、曰く右、曰く溝、曰く橋と。従行して以て巡行を全くす。若し其れ里正親ら路を引かざれば、則ち終夜して邑図を展べて順路を説くも、亦た数歩も豈に行くことを得んや。如し巡行すること数回なれば、則ち熟すること猶ほ里正の如し。衰邑の民、生まれて貧困偸惰にして夙興夜寐の何事為るかを知らず。況んや孝弟忠信の義に於てをや。躬を以て之を導くに非ざるよりは、耳提面会誨して日を累ること弥々久しきも、亦た何を以てか此れを異ならしめん。故に衰邑の民を導くは、鶏晨回邑を以て先務と為すなり。其の閭閻を行るや、早起きを問わず、晩起を咎めず、寒暑雨雪、一朝も怠らず。然りと雖も晩起の民、何を以て我が早行を見るを得ん。縦ひ偶々之を見る者有るも、必ず曰ん、吏又た過ぐ。何ぞ数々吾が宅地を過ぐるやと。亦た回邑の何故為るかを知らざるなり。之を箸を以て盤水を回らすに譬ふれば、其の始めて之を回らすや、箸と水と異にして、水為めに回らざるなり。其の久しくして止まらざるに及ぶや、水と箸と回ること極まり無く、終に箸を投ずれば、則ち水の回らす所と為るに至るは、是れ自然の勢ひなり。故に回邑之を久しくして怠らざるときは、則ち薄雪の朝、我が履迹を見る者有りて曰く、誰か吾が宅地を過ぐる者ぞと。或いは偶々早起きして我が早行を見る者有り。吏曰く、回邑を為すなりと。一人倡ふれば則ち衆人和す。民挙りて相ひ謂ひて曰く、君、恩沢を布き、吏をして農を勧めしめたまふものは何ぞや。吾をして吾が生を安ぜしめんと欲したまふなり。吏寒暑と無く、日夜と無く、風雨霜雪を冒して回邑を為すは何ぞや。吾をして吾が家を保たしめんと欲するなり。然るに吾終日偸惰し終夜安眠して吏の過ぐること尚ほ知らざりき。是れ至仁の恩を忘れ、至愛の教へに背くものなり。何を以てか自ら天地の間に立たんやと。是れ平旦の清気、良心を発見して互ひに羞耻を生じ、挙邑相ひ率ゐて夙興夜寐して励精勤業し、終ひに板梆の暁を報じ、怠惰相ひ戒むる喧呼の声、吏の夢を破るに至るも、亦た自然の勢なり。誠に是くの如くなれば、行と教と並び行はる。而る後孝弟忠信導く可し。倹譲の教へ施すべし。
2026.07.30
東京科学大学・中島淳一教授:一番注意すべきは、日奈久断層帯のさらに南側です。今回の地震でもまだ割れ残っている場所がありますので、南側に注意が必要だと思います。日奈久断層の南側は有明海の下にありますので、もしその場所で大きな地震が発生した場合は、津波にも注意が必要になってきます。中島教授は、今回の地震が10年前の熊本地震の震源の南側で発生した地震だと指摘し、今後、マグニチュード7クラスの地震が、有明海で発生した場合、津波に注意が必要としています。
2026.07.29

「ユマニチュードへの道」イヴ・ジネストp.29 どういうきっかけでユマニチュードを考案したのですか? 私は・・・・・・体育学の教師になろうと思い、大学に入りました。 フランスの体育学のトレーニングには、外科医とほぼ同じレベルの解剖学を学ぶコースがあります。その他にも心理学、生理学など、サイエンスに基づくさまざまな分野を学びました。 体育学を7年間教えたのち、私は新しい分野に踏み込むことにしました。病院です。病院で働く職員の腰痛を予防するための研修をしてほしいと、フランス文部省から依頼を受けたことがきっかけでした。私は同僚のロゼット・マレスコッティとともに病院を訪れました。 研修先の病院では、患者さんのなかでとくにケアをおこなうことが困難な人を10人選んでもらい、その方たちのケアを職員と一緒にやってみることから始めました。私自身はつねに健康で元気でしたから、それまで病院とほとんど縁がありませんでした。この仕事がきっかけではじめて、重い病気の方々にお目にかかることになったわけです。 私にとってはじめての患者さんは半身麻痺で、自分ではまったく動けないという、体重が120キロもある方でした。私たちが病院を訪れる前の週に、その患者さんを移動させようとした2人の看護師さんがぎっくり腰になってしまい、職場に来られなくなってしまっていました。 病院に足を踏み入れると、ひどい臭いが充満していました。看護師さんたちは、便にまみれたその男性患者さんの身体の向きを変え、オムツを替え、シーツを取り替えるという作業を手際よくおこなっていきます。そのケアを見ながら私は感銘を受けると同時に、心配になりました。というのも、このケアが終われば私の仕事の出番だからです。 私の仕事というのは、ベッドで清拭(せいしき)を受けた患者さんを椅子に移動させることでした。フランスでは1日中ベッドで寝たきりで過ごすことは許されず、ケアが終わったら椅子に座ってもらいます。それを私がやらなければならないかと思うと、ドキドキしてきました。こんな重い人をどうやって動かせばいいのでしょうか。 困った私は、その男性は目を閉じていたので、私は男性の正面に立って、こうお願いしたんです。「申し訳ないですが、椅子に移っていただきたいので手伝ってくださいませんか」 すると、その患者さんの目がパッと開き、私のほうに手を伸ばして動こうという意志を見せてくれたのです。そして自分の片足で立とうとし、わずかな援助で椅子に座ることができました。 その光景を見た看護師さんたちは、驚愕しました。なぜなら、それまで医師や看護師が何をやってもまったく反応せず、協力してくれたこともなかったからです。しかし彼に何かをお願いしたこともありませんでした。 医師も看護師も、この患者は半身麻痺で反応がなく、何もできないのだと思い込んでいたのです。ところが私が出会って20分後には、彼は自ら起き上がろうとしました。 病院の初日に、私は多くを学びました。医師も看護師も、私の生み出した状況を見て「奇蹟」だと言いました。でもなぜ私にこんなことができたのでしょう。 私自身が病院の文化をまったく知らなかったことがその理由だと思います。「患者は何もできないから、私たちが全部やってあげる」という病院の文化を知らなかったので、私は彼にお願いし、彼はそれを聞き届けてくれました。「自分は何も知らないから、学ばなければならない」という謙虚な気持ちがいかに大切であるかを、私はこの日に学びました。映画『急に具合が悪くなる』公開記念特別座談会〜濱口監督×松田プロデューサー×ジネスト先生×本田先生が語る、映画とケアの未来〜イヴ・ジネスト 私とロゼット・マレスコッティがこのケアの取り組みを始めた1980年代当時、私たちは長期療養型の病院や施設、精神病院で教えていました。そこで目にしたのは、本当に恐ろしく、凄惨な現実でした。ロゼットと私は毎晩のように泣いて過ごしていました。 床に横たわった10人もの人々に、ホースで一斉に水をかけてシャワーを済ませるような光景や、精神病院でありながら、まるで牢屋のように鉄格子があり、壁には患者を拘束するための鎖が設置されている空間を、私たちは実際に見てきたのです。1987年6月23日でした。本当に、押さえつけていたんです。看護師さんが麻酔をかけずに、患者さんの褥瘡のケアとして、肉を切り取るところを。痛みで苦しんでいる患者さんを、私は押さえつけなければならなかった。私とロゼット(ユマニチュードの共同考案者)は、自分たちがやっていることに、まさに傷ついていました。毎日仕事が終わった後で泣いていたのです。しかし、この日を境に、私たちは自分たちを変えていかなければいけない、と決意しました。松田広子プロデューサー 実際に慶應義塾大学病院などで行われた研修に私も参加させていただいたのですが、インストラクターの指導のもとで看護師さんたちが学び、実践していくと、患者さんの反応が1日目、2日目で明らかに変わっていくんです。それを見た看護師さん自身や、ご家族の変化を目の当たりにして、感動しました。私たちが映画を通してユマニチュードをご紹介できることを誇らしく思いました。濱口 まさにその研修のプロセスそのものが映画のようでした。研修を受けて、ユマニチュードの基本的なコミュニケーション技術を使ってケアをし、普段は反応のなかった患者さんから反応が返ってきたとき、ケアをする側の看護師さんが「反応してくれてありがとう」と言ったんですよね。擦り切れるような現場の中で、相手からの反応という「贈り物」を受け取った瞬間、自分たちの仕事の価値を再発見し、スタッフ自身が活性化していく。その幸福な循環をそこで見ました。本田 ボルドー大学の先生方と「ケアにおける話す要素」についての研究を進めています。ユマニチュードのトレーニングを受けると、現場でケアをする側から「ありがとう」という言葉が劇的に増えるというデータが出ています。私たちが一方的にケアを施すのではなく、ケアを受け取ってくれた相手からの反応をより鋭敏に受け取れるようになります。ジネスト先生は、これをケアの分かち合い、と呼んでいらっしゃいます。ケアギバー(ケアを与える人)ではなく、ケアシェラー(ケアを分かち合う人)。これによって双方向の変化が生まれ、それを受け取ることでお互いが嬉しくなる。まさに「贈り物」の交換です。また、ユマニチュードは「ジネスト先生のような巨匠だからできる名人芸」だと思われがちですが、決してそうではありません。先生から学んだ日本のインストラクターが、現場の看護師さんに教え、そこでも同じように変化が生まれています。「誰でも学び、実践できる再現性のある技術」であるというところが、何より重要で、ぜひ多くの方々にまずは試してみていただけたらと思います。ジネスト先生 これはすべての人間関係に有効です。例えば、奥様と喧嘩をしたときにどうするか。黙って部屋に閉じこもったり、テレビで(スポーツの)試合を観て現実逃避したりするのではなく、「話す」ことです。「あなたが私を傷つけようとしているなんて思えません。今何かがうまくいっていないから、一緒に直していきましょう」と言葉をかける。ただそれだけのことなのです。実際にユマニチュードを学んだ看護師さんは、学ぶ前に比べてコミュニケーションの量が「24倍」になるというデータもあります。それは私たちが特別な心を授けたからではなく、具体的な「コミュニケーションの方法(技術)」を提案したからなのです。
2026.07.29

ケイコ・フジモリ氏、ペルー初の女性大統領に就任 中南米の右傾化広がる7/29(水) [リマ 28日 ロイター] - 南米ペルーの国会で28日、大統領就任式が開かれ、故アルベルト・フジモリ元大統領の長女で右派のケイコ・フジモリ氏(51)が初の女性大統領として就任宣誓した。犯罪や経済成長の鈍化、政治不安に有権者が不満を強める中、中南米各国では保守系指導者が相次いで誕生しており、同氏もその系譜に連なる形となる。ケイコ氏は大統領就任後初の演説で「私は統治に必要な毅然(きぜん)とした姿勢と、国民の声に耳を傾け傷を癒やすために必要な繊細さの両方を持ち合わせている」と表明。不正疑惑が飛び交った選挙戦後の和解を呼びかけた。4度目の挑戦となった大統領選では、対抗馬の左派ロベルト・サンチェス元貿易・観光相と接戦となり、サンチェス氏が不正があったと主張し、開票結果を認めないと表明する事態となっていた。ケイコ氏は2016年以降、ペルーで10人目の大統領となる。この間、政治的分断や財政上の課題などを背景に、5年間の任期を全うした指導者は一人もいなかった。ケイコ氏の就任は中南米全体で進む右傾化の流れをさらに広げるもので、最近選出された指導者らはいずれも米国との関係強化や犯罪対策の強化を掲げている。
2026.07.29

「ユマニチュードへの道」イヴ・ジネストp.35 私が日本ではじめてユマニチュードのケアを行ったときの話 自宅で介護を受けていた進行した認知症の患者が、誤嚥性肺炎で入院してきた。寝たきりで自発の言葉もなく、まったく反応がありません。 私はこの女性の顔を近づけ、視線をつかみにいきました。20センチほどの距離まで近づいてアイコンタクトをとります。しかし彼女は、何かを注視することがすでにできなくんっています。「反応することはないだろう」とみんなに思われていますから、この女性と目を合わせて話そうとする人は、もう何年もいませんでした。「この人に話しかけても返事はないかもしれない」 そう思っても、自分がケアをする人に対しては必ず「この人はわかっている」という前提で私は話をします。それはなぜか。私は誰に対しても必ずそうする、と決めているからです。これは相手の尊厳を尊重するためでもありますが、何より私の人間としての尊厳を守るためでもあるのです。・・・・・・ 私は彼女の清拭を始めました。身体の部位に触れるときには適切な順番があります。顔や手などの鋭敏な部位からではなく、できるだけ触覚の感度が鈍くニュートラルな部位にまず触れます。ニュートラルな部位とは、社会的に触れていい場所といってもいいでしょう。具体的には背中や肩から始めます。 私はこのときも背中からスタートしました。手伝ってくれる看護婦さんには「アイコンタクトをしっかりとってください」と伝えてあります。看護師さんは見ているつもりですが、顔の方を見ているだけで、アイコンタクトはとれていません。何度も「アイコンタクトをとってください」と伝えるうちに、ようやく看護師さんも「あ、いま目が合いました」と自覚しました。すると患者さんの視線が動きました。看護師さんとアイコンタクトが成立した瞬間です。 この瞬間に患者さんの脳にスイッチが入った、と私は考えます。「ご本人の目をずっと見てください」と私は看護師に言い続けました。そうしないと、看護師さんは患者さんの顔の方は見ていても、目と目をしっかりと合わせつづけることができなかったのです。ケアにおいて「見る」ことを学ばなければならない理由は、ここにあります。 アイコンタクトが取れていにときには患者さんからの反応はありませんでしたが、もう一度「目を合わせてください」と言って顔を寄せ、相手と目が合っているときには、自分の言葉に対して患者さんが反応してくれることを、看護師さんは経験しました。相手との距離が非常に近くなければアイコンタクトが成立しないことも体感しました。 つまりこの看護師さんは、アイコンタクトがないときににコミュニケーションしようとしても、相手にうまく伝わっていかないという経験をしたのです。 背中を拭き終わった後、看護師さんがご本人の瞳をとらえた状態で「次は手を伸ばしてください」とお願いしました、すると彼女の身体が反応しました。お願いを理解しているようです。「動かしてください」と言われて手が動くとき、それは外部からの声の情報が末梢の感覚神経から中枢神経に行き、中枢神経からの命令が末端の運動神経に伝えられていることを意味します。こうした反応が相手からあった場合、大切にすべきこと?私たちは具体的な行動をとる必要があります。このときいちばん大切なのは、この女性に届ける私からの情報がすべて、ポジティブなものであることです。 アイコンタクトによって、言葉によって、触れることによって、「あなたが大好きです」という一連の愛の情報がこの女性に届けられていきます。この情報が彼女の脳に届き、理解されたことで、彼女は誰からの介助も受けずに手を伸ばすことができたのです。 これが40年のあいだ私がおこなってきたユマニチュードの基本です。みなさんにお伝えしたいのは、ユマニチュードの基本的な考え方をもって患者に接することで、患者の状態をよりよくできるという事実です。「急に具合が悪くなる」で濱口監督がケアの技法を題材にした理由とは2026年6月18日 フランス語で「人間らしさ」を意味するユマニチュードは「見る」「話す」「触れる」「立つ」を四つの柱に掲げる。 介護施設の施設長マリー=ルー(ビルジニー・エフィラ)はユマニチュードを浸透させようとするが、人手不足やリスクに懸念を抱く現場のスタッフと衝突する。思い悩むなか、がん闘病中の演出家、真理(岡本多緒)の舞台を見に行く。偶然出会った2人が対話を重ね、関係を深めていく物語だ。 体育学の教師だったジネストさんは1979年から看護師の腰痛対策に取り組むようになり、寝かされたままケアを受けている認知症の高齢者が多いことに衝撃を受ける。ケアをする側は「起きて下さい」と働きかけることもなく、抵抗する人を「攻撃的」だとみなし、押さえつけていた。目線を合わせ、話しかける ジネストさんは同じく体育学の教師だったマレスコッティさんとともに、「立つことは人間の尊厳に関わる」と位置づけ、ユマニチュードを開発。目線を合わせて話しかけ、これから何をするか説明し、背中や肩から優しく触れることで、「あなたのことを大切に思っている」と伝える。 濱口さんは「よりよくケアすることによって、ケアする側の尊厳が保たれる」というユマニチュードの考え方に共感したという。取材のために参加した研修では、「患者さんが反応してくれたときに、看護師さんが『ありがとう』と言っていた」。ジネストさんは「私たちもケアを必要とする人に頼っている。頼ることで人とのつながりが生まれる」と語った。ジネストさんはマレスコッティさんとの共著「『ユマニチュード』という革命」のなかで、私たちが「自分の感情を正直に表現すること」「相手に近づくこと」を恐れているとしたうえで、「よいケアは自由な二人の出会いそのもの」と指摘している。映画『急に具合が悪くなる』公開記念特別座談会〜濱口監督×松田プロデューサー×ジネスト先生×本田先生が語る、映画とケアの未来〜1. 映画とユマニチュードの出会い本田美和子先生(以下、本田) 濱口監督、松田さん、この度は本当におめでとうございます!ジネスト先生もカンヌ国際映画祭のライブ配信をずっとご覧になっていて、本当に喜んでおられました。 濱口監督にお伺いしたいと思っていたことがあるのですが、かなり前のことになりますが、『ドライブ・マイ・カー』公開時に書店「文喫」で開催された「ある映画のための補助線、映画『ドライブ・マイ・カー』をめぐる複数の本」濱口監督の選ぶ10冊」という企画で監督の選書として、10冊のうちの1冊に『ユマニチュードという革命』を選んでいただき、それが私どもが監督とやり取りを始める最初のきっかけになりました。もしよろしければ、あの時にこの本を選ばれた理由を教えていただけますか?濱口竜介監督(以下、濱口) あの選書は、映画(『ドライブ・マイ・カー』など)を作る上で自分自身がインスパイアされた本を選ぶという企画でした。実はそれより前、5年ほど前から『ユマニチュード入門』書を読んでいて、非常に興味を持っていたんです。 ユマニチュードは「ケア(介護・医療)」の業界のお話ですが、私たちが働いている「映画・映像」の現場とものすごくつながるところがあると感じています。現場において、どうすれば俳優の感情的な仕事を尊重し、一人の人間として尊重できるか。それを考えたとき、既存の構造の中には、それを十分にさせてくれない構造があるのではないかと。ユマニチュードでは、認知機能が低下した方々に対して、その弱った部分を補完するようにコミュニケーション(見る・話す・触れるなど)を取ります。それによって、一見見えなくなっていた相手の知性や精神が活性化し、再びつながることができる。この「構造を外側から見て、本質的な部分にアプローチする」という方法論が、映画の現場にも持ち込めるのではないかと非常に参考になりました。 何より、「人をよりよくケアすることによって、ケアする側の尊厳も保たれる」ということが本当だと思えた。これをどうやって現場に持ち込めるかが、強い興味を持った出発点でした。本田 それを伺って本当に嬉しいです。ただ、その後に松田プロデューサーから「映画を作りたい」とお問い合わせをいただいた時、最初は濱口監督のお名前が伏せられていたんですよね(笑)。メールでのやり取りを経て、後から「実は濱口監督の作品です」と分かって驚いたのを覚えています。それからは、私たちの研修にもたくさんお越しいただきましたね。ご一緒くださり、ありがとうございました。2. 「フランコ・バザーリア」との繋がり、そしてケアの原点濱口 せっかくの座談会ですので、私からもジネスト先生にお聞きしたいことがあります。今回の作品の中で、ユマニチュードのジネスト先生、本田先生に監修として入っていただいて、脚本から読んでいただいておりますが、ある時、演劇の要素として「フランコ・バザーリア(※イタリアの精神科医、精神病院廃止運動の先駆者)」を取り入れました。脚本段階でジネスト先生にお見せした際、バザーリアの名前に「ああ、バザーリアか」という感じですぐ反応されましたよね。日本ではまだ一般的に広く知られている名前ではないのですが、ジネスト先生がバザーリアの思想をどう知ったのか、またユマニチュードとの影響関係があるのかを伺いたいです。イヴ・ジネスト先生(以下、ジネスト) こんにちは。私とロゼット・マレスコッティがこのケアの取り組みを始めた1980年代当時、私たちは長期療養型の病院や施設、精神病院で教えていました。そこで目にしたのは、本当に恐ろしく、凄惨な現実でした。ロゼットと私は毎晩のように泣いて過ごしていました。 床に横たわった10人もの人々に、ホースで一斉に水をかけてシャワーを済ませるような光景や、精神病院でありながら、まるで牢屋のように鉄格子があり、壁には患者を拘束するための鎖が設置されている空間を、私たちは実際に見てきたのです。私たちは、そこにいる医師や看護師たちに、これまでとは異なるケアの方法やアイデアを提案し始めました。ある日、南仏のリムーという町にある精神病院を訪れたのですが、そこの指導部や管理側の人々は「世界を変えたい」と言っている、ある意味で熱狂的な、素晴らしい人たちでした。私たちが提案をすると、「よし、やろう」と一つずつ実行に移してくれたのです。 そんなある日、彼らに招かれて一本の映画上映会に参加しました。それが、イタリアのバザーリアの思想と実践に関する映画だったのです。バザーリアはイタリアで精神病院を廃止することに成功した人物です。リムーの病院も同じことをしようとしていました。彼らは大きな病院を6つの小さな施設に分割し、それまで一生を閉じ込められて過ごしていた患者さんたちを、街中の普通の住居で暮らせるようにしていったのです。 住民の理解を得るための上映会では、物事は簡単にはいかないという象徴的なエピソード(※住民とのハプニング)もありましたが、こうした歴史的・地域的な地続きの経験のなかで、私たちはバザーリアの精神に触れていました。濱口 今のお話を聞けてとてもよかったです。バザーリアの思想とユマニチュードの関係性交点が、ジネストさんのキャリアの初期時点であった、ということですね。自分の中で非常にすっきりと繋がりました。 私が『ユマニチュードという革命』を読んで最も信頼できると感じたのは、まさに先生方が現場で「暴力的な介護をしてしまうことで、自分自身の尊厳をも傷つけてしまっていた」という、実感を伴うご自身の痛みの経験が出発点になっているということです。映画に絡めて言うと、ジネストさんが道を開いてくれたのはある種の偶然です。強制的な介護に心ならずも参加しているそのとき、ドアが開いていて、そのドアの向こうに薬箱が見えてて、自分が子供のころ捻挫をしたらその薬を用意してもらってケアしてもらっていたが、自分は今そうしていないということ。それが、日付も覚えていて、まさに分岐点になったということ。ジネスト それは、1987年6月23日でした。本当に、押さえつけていたんです。看護師さんが麻酔をかけずに、患者さんの褥瘡のケアとして、肉を切り取るところを。痛みで苦しんでいる患者さんを、私は押さえつけなければならなかった。私とロゼット(ユマニチュードの共同考案者)は、自分たちがやっていることに、まさに傷ついていました。毎日仕事が終わった後で泣いていたのです。しかし、この日を境に、私たちは自分たちを変えていかなければいけない、と決意しました。3. 「頼ること」が生み出す人間の絆と自由本田 今回、この作品を観て、私は「この映画があるから、これからもこの仕事を続けていける」と心から思いました。誰もが現場で経験したことのある、小さな積み重ねが映画の中に詰まっているからです。「これは私の経験だ」と、ケアに携わるすべての人が自分を重ね合わせて観ることができる。 そして同時に、ケアの仕事をしていない方々からも、「ユマニチュードは単なるケアの枠を超えた、私たちが生きていくための行動の礎となることを感じる映画だ」という感想が寄せられているのを読みました。ジネスト 本田先生、そして皆さん、本当にありがとうございます。私も全く同感です。濱口監督は、単に優れた映画作家であるだけでなく、感覚的な意味において卓越した「哲学者」であると思います。人間にとって何が重要かという価値観を、とても重視されている。 哲学とは、「人間とは何であるか」「自由とは何であるか」「ケアとは何であるか」という問いに誠実に答えることだと思います。私たちがユマニチュードの哲学を構築した際、いくつかの価値観を大切にしました。その一つが「人に頼る(依存する)」ということです。 近代社会の多くは「インディペンデンス(独立・自立・人に頼らないこと)」を美徳として追及しますが、私はそれは半分間違っていると思います。例えば、今私は通訳の方に頼って会話をしています。人は互いに「頼ること」によって、人と人の間に「絆」や「つながり」を生み出すことができるのです。今回の映画でも描かれていますが、ユマニチュードにおける最大の学びの一つは、「最も弱い立場にある脆弱な存在(フレイルな人々)から、私たちは最も素晴らしい贈り物(感謝や人間らしい反応)を受け取る」ということです。私たちはケアをしているようで、実は彼らに頼り、生かされている。 弱い立場にある人々に対して、私たちがどのような価値観を持って接するかによって、そこが全体主義的な依存関係(支配)の場になるか、あるいはお互いに「自由」を与え合える関係になるかが決まります。私たちは「自由」を選んだのです。4. 誰でも実践できる技術、そして「ハート」のあり方松田広子プロデューサー(以下、松田) 実際に慶應義塾大学病院などで行われた研修に私も参加させていただいたのですが、インストラクターの指導のもとで看護師さんたちが学び、実践していくと、患者さんの反応が1日目、2日目で明らかに変わっていくんです。それを見た看護師さん自身や、ご家族の変化を目の当たりにして、感動しました。私たちが映画を通してユマニチュードをご紹介できることを誇らしく思いました。濱口 まさにその研修のプロセスそのものが映画のようでした。研修を受けて、ユマニチュードの基本的なコミュニケーション技術を使ってケアをし、普段は反応のなかった患者さんから反応が返ってきたとき、ケアをする側の看護師さんが「反応してくれてありがとう」と言ったんですよね。擦り切れるような現場の中で、相手からの反応という「贈り物」を受け取った瞬間、自分たちの仕事の価値を再発見し、スタッフ自身が活性化していく。その幸福な循環をそこで見ました。本田 そうなんです。ちょうど今朝、連絡があったのですが、ボルドー大学の先生方と「ケアにおける話す要素」についての研究を進めています。ユマニチュードのトレーニングを受けると、現場でケアをする側から「ありがとう」という言葉が劇的に増えるというデータが出ています。私たちが一方的にケアを施すのではなく、ケアを受け取ってくれた相手からの反応をより鋭敏に受け取れるようになります。ジネスト先生は、これをケアの分かち合い、と呼んでいらっしゃいます。ケアギバー(ケアを与える人)ではなく、ケアシェラー(ケアを分かち合う人)。これによって双方向の変化が生まれ、それを受け取ることでお互いが嬉しくなる。まさに「贈り物」の交換です。また、ユマニチュードは「ジネスト先生のような巨匠だからできる名人芸」だと思われがちですが、決してそうではありません。先生から学んだ日本のインストラクターが、現場の看護師さんに教え、そこでも同じように変化が生まれています。「誰でも学び、実践できる再現性のある技術」であるというところが、何より重要で、ぜひ多くの方々にまずは試してみていただけたらと思います。ジネスト先生 一つ強調したいのは、ユマニチュードは皆さんに「新しいハート(心)」を売っているわけではない、ということです。ハートは、皆さんがすでに心の中に持っているものです。 しかし、もろく困難な状況にある人々をケアする現場には、様々な「落とし穴(罠)」があり、その困難さゆえに、持っているはずのハートが見えなくなってしまう。ユマニチュードは経験を通して、その落とし穴がどこにあるかを明確にし、具体的な解決方法を提案しているに過ぎません。これはすべての人間関係に有効です。例えば、奥様と喧嘩をしたときにどうするか。黙って部屋に閉じこもったり、テレビで(スポーツの)試合を観て現実逃避したりするのではなく、「話す」ことです。「あなたが私を傷つけようとしているなんて思えません。今何かがうまくいっていないから、一緒に直していきましょう」と言葉をかける。ただそれだけのことなのです。実際にユマニチュードを学んだ看護師さんは、学ぶ前に比べてコミュニケーションの量が「24倍」になるというデータもあります。それは私たちが特別な心を授けたからではなく、具体的な「コミュニケーションの方法(技術)」を提案したからなのです。5. 映画が現実と理想の間を埋める架け橋に松田 映画の中で「目線を合わせる」という場面があります。文字で読むと簡単そうですが、いざ実際にやろうとすると、照れくささもあり非常に難しい。本田 だからこそ「見ることを技術として身につけるための訓練」が必要なのだと思います。ユマニチュードの技術の基本は好きな人には本能的に行っているコミュニケーションの要素を、プロフェッショナルの技術として誰に対しても意識的に行うことで、それには訓練が不可欠なんです。濱口 先ほどジネストさんがおっしゃっていた「罠(piège)」というのは本当にあらゆる場所に潜んでいると感じています。「ずっとこうしてきたから」「これまではこれで上手くいっていたから」という慣習が形骸化して残っていたり、表面上だけ取り繕ってやり過ごしたり。こうした状況は介護業界だけでなく、本当にありとあらゆる業界にあると思うんです。人によっては、『急に具合が悪くなる』の原作とユマニチュードが関係ないのではないかと言う人がいるかもしれないが、それは我々が「人に関心を寄せるための時間や余裕」を持つことを阻むような、共通の構造への抗いだと言えます。 介護の業界でも映像業界でも、この他者に「関心」を寄せることの困難さは、共通の構造から生み出されている問題のはずで、映画の中でもそれを指し示すような場面を描きました。一体どうしてこのような悪循環を生み出してしまうのか、ユマニチュードからその構造へのアプローチについて、私自身も非常に多くを学びました。本田 本当にありがたいなと思います。私たちがよく現場で耳にする「時間がかかる」とか「シフトを組むのが大変だ」といった課題が、映画の中でも非常に象徴的に描かれていました。例えば「猫を飼う」というエピソード。最初は「部屋から出しちゃいけない」「そんなの無理だ」と言われていたのが、だんだんと猫の存在を通して自由な暮らしが徐々に確実に生まれていく。あの猫一匹の存在は、映画の中で「自由が確立されていく象徴」のように見えました。言葉を超えて、ユマニチュードの考え方が現実のものとなっていく過程を見せていただき、自分もそれを一緒に経験しているような、もの凄く濃密な3時間でした。6.「ユートピア」と現実の間を埋めるプロセス濱口 この映画を観た方から、よく感想として「ユートピア的だ」と言われることがあります。ある種、否定的なニュアンスで「こんなキレイごとの施設は現実にはないよね」と。ただ、私は実際に施設を見に行っていますが、そこは今回映画で描いた施設よりも、ずっとユートピア的に見える場所でした。ですから、勿論、ここの施設によって置かれている状況は違うにしても、決して不可能なことではないと確信しています。その実践に励まされたからこそ、みんながそこにたどり着くプロセス――この現実と、一見ユートピアに見えるものとの間を埋めるような映画にしたいと考えました。本田 予告編で「理想の介護を追求するマリー=ルー」という言葉を見たとき、私は「理想の介護はすでにここにあります」と勝手に心の中で答えていました(笑)。先ほどおっしゃったように、実際のユマニチュード認証施設ではすでにそういうことが起きている、ということをお伝えしたいな、と思います。また、去年のカンヌ国際映画祭の時期に、フランスにお伺いし、俳優の方々へユマニチュードのトレーニングをする機会をもちました。そのとき、参加していた俳優の皆さんが口を揃えて「こんなに自分たちを大事にしてくれた映画はない」「私たちのような主役ではない役者に対しても、これほど丁寧にトレーニングの機会をくださる監督は過去にいなかった」とおっしゃっていたのが印象的でした。みんな濱口監督のことが大好きで、共に作品を作ることに大きな喜びを感じていらっしゃることを知ったのは、本当に素晴らしい経験で、ご一緒する機会をいただいたことを、心から感謝しています。7.ユマニチュードは「建物」であり「料理人」である濱口 改めて、この座談会でまだお聞きしていなかったので、ジネストさんから見たこの映画に対する率直な感想をお聞かせいただけますか。ジネスト先生 この映画に関する私の感想は、本作を拝見したすべてのフランス人、そしてユマニチュードを知っているフランス人たちが感じたことと全く同じです。みんな私に「この映画はユマニチュードに関する映画だね」というメッセージを送ってきました。しかし、私は必ずこう答えるのです。「いや、これはユマニチュードについての映画ではないんだよ」と。確かに、環境としてのユマニチュード――優しさ、自由、人間と人間との関係性――はそこに存在します。ただ、先ほど「ユートピアのようで実現できないもの」という言葉がありましたが、今回撮影された介護施設は、まだユマニチュードの「認証」を受ける前の、導入の初期段階にある施設です。すでに認証を受けている本物のユマニチュード施設では、本当に完全に自由です。入所者の方は好きな時に、たとえ真夜中の午前2時であっても自由に出入りができます。ご家族もお母様に会いに来て、そのまま一緒に添い寝をすることだってできる。自分の飼い猫を連れて入所することもできますし、お金がある方は食事の時にブルゴーニュワインを楽しんでいます。たとえおむつをつけなければいけない状況であっても、ご夫婦で同じベッドで寝ることだってできるのです。ユマニチュードの認証を受けるためには、「人間としての権利がすべて尊重される状況」が不可欠です。今回の映画は、そのユマニチュードに取り組もうとしている、素晴らしい「導入のプロセス」を撮影してくださいました。心から感謝しています。「ユマニチュード道」です。濱口 ありがとうございます。最後に付け加えると、脚本の段階でジネストさんに意見を求めた際、「アドバイスやおかしいと思うことは言うけれど、これはあなたの作品なんだから、あなたが信じることをやりなさい」と言っていただけて、本当にありがたいと思いました。おっしゃる通り、劇中の施設はユマニチュード導入の初期段階なので、すべてが上手くいっている状況ではありません。でも、その「発展途上のプロセス」描くことを許容し、励ましていただいたからこそ、この映画はできました。本当にありがとうございました。
2026.07.29
タウリンが「老化細胞」を除去 大正製薬が研究成果を発表7/28(火) 魚介類などに多く含まれる「タウリン」が老化細胞を取り除く働きをするという研究結果が発表されました。 タウリンはアミノ酸の一種で、牡蠣やシジミ、イカなどに多く含まれています。 大正製薬によりますと、免疫細胞にタウリンを加えたところ、正常な細胞には影響がなかった一方で、人為的に老化させた細胞だけが減少したということです。 加齢や酸化ストレスなどで生じた「老化細胞」が体内に残り続けると、体の不調や様々な疾患の原因になるとされています。 大正製薬は「タウリンが加齢に伴う体の不調に効果を発揮する可能性を示唆している」としています。〇タウリンは、以下のように私たちの身体で様々な生理作用がバランスよく働くように、調整する働きを持っています。肝臓、心臓の機能強化血圧値の正常化胆汁を生成しコレステロールや中性脂肪の代謝コントロールインスリン分泌促進抗酸化作用網膜の育成の補助食材 100g中に含まれるタウリンの含有量(mg)を比較していきます。牡蠣:1,130mgほたて:769mgあさり:664mgたこ:520mgたら:300~450mgいか:350mgひらめ:171mgくるまえび:150mgかつお:80mgめばる:30mgいわし:20mg出典:「コレステロールを下げる100のコツ」辻啓介主婦の友社 (2004/1/1)タウリンは貝類に多いことで知られていますが、実際に100gあたりのタウリン量で比較してみても、牡蠣に圧倒的に多く、イワシの57倍もの量を含んでいます。
2026.07.29
p.139 Q4 人が少ない夜勤帯でも、ユマニチュードを実施することは可能でしょうか? 老人ホームや療養型の施設で、入所者100人に対して夜勤のスタッフが2~3人ということもありますね。たしかに今の段階ではいろいろな面で足りないものもあるでしょう。 でもわたしは、現実離れした、誰もできないことを提案しようとしているのではありません。あれもこれもすぐに達成できると言うつもりもありません。ユマニチュードの導入に際しては、その状況で何がいちばん重要なのかを判断し、優先順位をつけて学んでいけばいいのです。 ユマニチュードを導入することによって、ケアが効率的に行えるようになり、時間が節約できます。立位をとってもらうことでシャワーの時間が短くなりますし、ベッドでの清拭の時間も短縮されます。もちろん、時間の節約がユマニチュードの目的ではありません。患者さんにケアで気持ちよくなってもらうのが第一ですが、業務全体の効率化が図れるのも事実です。 さらに、わたしだったら夜中に巡回に来てほしくないですね。睡眠は認知機能が低下している人にとっても重要なものです。 むしろ問題は、ベッドから出て倒れるのは、夜間の見回りの後というケースが圧倒的に多いことです。つまり、寝ているときに巡回で起こされたことによって、中途半端に覚醒してしまう可能性があるのです。本当に2時間ごとの見回りをしなければならないのかを検討する必要があると思います。病院や施設での職員による睡眠の妨げは、すでに重要な問題として論文もたくさん書かれています。 ユマニチュードの導入と同時に、旧来のケアに関するシステム全体を見直していかなければなりません。簡単なことではありません。ですからわたしは「革命」と申し上げているんです。なぜ、日本は寝たきり老人(推定50~60万人)が多いのか、制度・経済面から考える。1.日本と欧米の「寝たきり老人数」の推定・日本: 病院・介護施設等の寝たきり老人は約50万〜60万人(推定)と言われています(正確な数字は不明)。・北欧: 「寝たきり老人はほぼいない」と言われています。これは数週間以上の長期にわたって寝かせきりにすることが倫理的に「虐待」とみなされるため、徹底したリハビリや離床が行われるからです。・アメリカ: 日本の1/6程度と言われています。2. なぜ欧米には「寝たきり」が少ないのか欧米で寝たきり老人の数が圧倒的に少ない理由は、医療方針と倫理観の違いにあります。・「食べる力」がなくなれば自然な死: 欧米では、自力で食事ができなくなった高齢者に対し、日本のような「胃ろう」や「点滴」による強制的な栄養補給を行わないのが一般的です。・緩和ケアの重視: 延命よりも「残された時間のQOL(生活の質)」を優先し、自然な看取りを行うため、寝たきりのまま数年も生き続けるというケースは稀です。・リハビリの徹底: スウェーデンなどでは、たとえ体が不自由でも「椅子に座る」「車椅子で移動する」ことを重視し、日中に寝かせきりにすることを避けるケアが徹底されています。3.医療制度・経済的理由日本で「寝たきり老人」が欧米に比べて多い背景には、死生観の違いだけでなく、日本の医療・介護制度特有の経済的・構造的理由が大きく関わっています。(1) 患者・家族側の経済的負担の軽さ日本の国民皆保険制度により、高齢者の窓口負担が非常に低く抑えられていることが、長期療養を経済的に可能にしています。・低い自己負担率: 75歳以上の後期高齢者は原則1割(現役並み所得者は除く、生活保護対象者は無料)の負担で済みます。・高額療養費制度: 月々の支払いに上限があるため、どれほど長期にわたって高度な医療(点滴や胃ろうなど)を続けても、家族への経済的負担を低く抑えています。・欧米との比較: 欧米では民間保険が主流だったり(アメリカ)、公的な医療予算の削減が進んでいたりするため、日本ほど安価に長期の延命治療を継続し続けることが経済的に困難な場合があります。(2) 医療機関側の経営上のインセンティブ(診療報酬)日本の病院経営において、長期入院や特定の処置が収益源となっている側面があります。・療養病床の存在: 急性期を過ぎても入院し続けられる「療養病床」が日本には多く存在します。病院にとっては、空床を作るよりも延命措置を行いながら入院を継続させる方が経営が安定しやすいという構造があります。・処置の点数化: 胃ろうや点滴、経管栄養などの処置を行うことで診療報酬が発生するため、経営上の理由からこれらの延命治療が積極的に提案されやすい傾向があります。(3) 社会的入院の構造自宅で介護を行うよりも、医療保険や介護保険を利用して病院や施設に預ける方が、家族にとって経済的・心理的負担が軽くなる場合が多くがあります。・介護・福祉リソースの不足: 欧米(特に北欧)では在宅ケアの人員が手厚い一方、日本は対高齢者人口比でのリハビリ職やケアワーカーが少なく、結果として「一度入院するとリハビリが進まずそのまま寝たきりになる」というケースが生じやすくなっています。(4)法律の制約・訴訟リスクと延命: 日本では「延命治療を中止する」ことに対する法的根拠が不十分なため、医師が家族からの経済的・感情的な要望を断りきれず、訴訟を恐れて治療を継続せざるを得ないという構造があります。(5)年金と家族側の経済的負担「寝たきり老人」となった人の年金受給額が入院および介護の費用を賄って余りある場合は、「延命治療を中止する」選択は採られない可能があります。これらの要因が重なり、日本では「食べられなくなっても人工栄養で数年単位の延命を行う」ことが一般的となり、結果として寝たきり高齢者の数が多くなっていると考えられます。💛日本人の死生観(家族が胃ろうや点滴、経管栄養などの処置などで延命を願う)と制度的・法律的欠陥(2~5)改善への動き日本慢性期医療協会は2026年2月12日に定例記者会見を開き、橋本康子会長が2026年度診療報酬改定に言及。「在宅復帰・寝たきりゼロ」という日慢協の訴えや取り組みが加算の新設などの形で反映された改定と評価した。橋本会長は加算算定には一定の負担を伴うとした上で「寝たきりゼロを前に進めるためにリハビリを強化する」「医療の質を向上させるために積極的に取り組みたい」と意欲を示した。次期改定では、急性期から慢性期、在宅まで一貫してリハビリテーションを強化する方向性が明確になった。急性期では「寝たきりを作らない」ための早期リハビリの評価が見直され、「休日リハビリテーション加算」が新設。慢性期では回復期リハビリテーション病棟入院料と摂食嚥下機能回復体制加算において在宅復帰の障壁となる「排泄」「摂食」を重視する見直しがそれぞれ行われる。退院後においても生活を見据えたリハビリを強化するため、疾患別リハの実施上限が緩和されるなどの見直しが行われる。病棟以外での評価・指導が可能になり、公共交通機関の利用など、より実践的な生活訓練を行いやすくなる。こうした点を踏まえ、橋本会長は「自由度が上がり、患者さんのためになるような改定だと思う」と好意的に受けとめた。橋本会長は、改定率についても言及。次期改定を通してすべての病院の赤字解消には至らないものの、「医療の質向上のための積極的な取り組みをしている病院にとっては追い風の改定」との認識を示した。
2026.07.29

ミラクル福山 春夏通じて初の甲子園!小田監督就任4カ月で公立高校導いた 広商撃破 人間的成長が一番「ついでに勝とうね」最高の結末7/29(水)「高校野球広島大会・決勝、福山4-3広島商」(28日、マツダスタジアム) ミラクル福山だ。決勝戦が行われ、福山が広島商を4-3の逆転で下し、1975年の創部以来、春夏を通じて初めての甲子園出場を決めた。1-2の六回に松井湧心捕手(3年)の中前2点適時打で逆転し、逃げ切った。監督として西条農と総合技術で計3度、甲子園に導いた小田浩監督(62)が4月に就任。公立高校を、わずか4カ月で聖地に導いた。 マウンドにできた歓喜の輪。抱き合い、最高の笑顔でマツダスタジアムの空を力強く指さした。広島商を逆転で下し、たどり着いた頂点。小田監督に導かれた福山ナインが、創部52年目で春夏を通じて初の甲子園出場を勝ち取った。 21年ぶりの公立対決。三回までに2点をリードされたものの、焦りは一切なかった。五回に1点をかえすと、六回無死二、三塁で松井が逆転の中前2点適時打。「日頃から練習している中堅への打撃ができた」。七回にも福島悠杏内野手(3年)の左越え適時三塁打で加点し、逃げ切った。 これまで16強が最高。8強以上の戦いは未知の世界だった。終盤で逆転し、勝利をつかみ取るのが“小田野球”。快進撃を続けるごとにナインはたくましさを増し、決勝の舞台でも力を発揮した。小田監督は「一番驚いているのは私。本当に選手のおかげ。ありがとう」と感謝した。 4月から福山の監督を務める。西条農、総合技術で計3度、甲子園に導き、2011年夏を最後に現場を離れていた。定年まで1年を残し、監督就任の打診を受けた。「人生100年時代。そういうタイミングで話をいただいた」。西条農、海田、総合技術に次ぐ、公立4校目の監督を引き受けた。 就任直後に選手、保護者らを集めて1時間半にわたり語ったのは「勝利至上主義」からの脱却だった。「全国で勝てるのは1校だけ。誇り高い敗者、謙虚な勝者になろうと話した。でも、ついでに勝とうね、と伝えた」。勝敗に加え、人間的な成長を重視する姿勢がチームの土台となっている。 その象徴が激戦の合間に見せた選手の姿だ。準々決勝後から準決勝までの3日間、3年生全員が練習後に夕方まで模擬試験を受けていた。福山は進学校でもある。文武両道を体現し、厳しい日程も前向きに乗り越える姿に、グラウンド外での確かな成長がのぞいた。 広島商OBで3年時の夏の甲子園では準優勝も経験している小田監督。母校を破っての優勝となり、福山を含め、甲子園に導いた3校とも公立高校だ。聖地での戦い方を問われると「イメージは全然湧かなくて。渡辺主将をはじめ、選手から良い提案が上がってくると思う」と目尻を下げた。 「ついでに勝とうね」から始まったドラマは最高の結果を迎えた。「ワンチャンあるぞ」と選手を信じ、頼もしく成長した選手とともに踏む甲子園の土。福山の新たな歴史が幕を開ける。〇“小田マジック”福山初甲子園 小田浩監督100日間の意識改革「“スケール感”を意識しながら指導してきました。こうなるとは夢にも思わなかった。高校生って、こういうことがあるんですね」今年4月に就任したばかりの小田監督は、選手の成長に目を丸くした。総合技術高での指導から15年ぶりの現場復帰。高校野球の環境は大きく変わっていたが、校長などを歴任した教育現場での経験によって監督として自然とアップデートされていた。就任から夏の大会まで約100日。「100日しかないと思うのではなく、まだ100日ある」。練習時間を長くしたり、新たな練習法を取り入れたりしたわけではない。選手個々の意識改革を行った。主将の渡辺雄介内野手(3年)は「来られる前にネットで調べると“寡黙で怖い人”という情報があったのでビクビクしていた」と笑顔で振り返る。初対面時には「気さくに話しかけてくれてびっくりするくらい優しかった」とイメージが一変。ミスを指摘されるのではなく、ミスを受け入れることから始まり、走攻守での安定につながった。それまでは1つのミスから大量失点につながっていたが、ミスの連鎖がなくなったことで無駄な失点が激減。勝利につながり、選手が自信を深めていった。今大会、1イニング複数失点は1度もなかった。福山 17点コールド発進 甲子園3度の小田浩監督62歳が意識改革「大人の野球」で大勝 広島に新旋風7/11(土) 「高校野球広島大会・2回戦、福山17(五回コールド)0油木」(10日、ぶんちゃんしまなみ球場) 2回戦11試合が行われた。福山が油木を17-0の五回コールドで破り、初戦を突破した。先発全員となる計17安打。投手陣は3投手が無失点リレーを決めた。4月から過去に他校で3度、甲子園出場経験がある小田浩監督(62)が就任。ナインに説いた「大人の思考」と「シンプルさ」が大量点をもたらした。 一気呵成(かせい)に攻めた。初回は5四死球に3安打を集め5得点。三回は打者11人の猛攻で7点を奪った。4月から就任した小田監督は「普段やっていることを、やろうと話をしました」。つなぎの意識が実を結んだ。 監督就任直後から意識改革に取り組んできた。「練習ではいろいろと考えさせるけど、最終的には、できるだけシンプルな形に落とし込んで、やっていこうと言っていた」。重圧がかかる夏だからこそ、極限までそぎ落とす重要性を説いてきた。西条農、総合技術で計3度、甲子園に導いた名将がたどり着いた境地だ。 打席では「しっかりスイングする」「球に食らいつく」という原点に立ち戻る。極限状態で迷わずバットを出せるように背中を押してきた。 この教えが冷静さにつながった。渡辺雄介主将(3年)は「入れ込みすぎず、客観的に大人の余裕を持ったプレーをしろと言われている」と明かす。この日はチームで狙いを「高めの浮いた球を打つ」とした。シンプルで明確な共通認識が、大量点の要因だ。 クリアな頭脳で戦う「大人の野球」。小田監督が目指すチーム像だ。 「3カ月、監督をやってきて、すごい吸収力を感じています。やることが整理できているし、浸透していると思う」 “小田イズム”を体現する福山が、広島の夏に新たな旋風を巻き起こす。
2026.07.29
福山瀧助翁 第四章 翁二宮先生に教を受く 翁は二宮先生の高弟の一人である。しかし何としても徳川時代の末期で、現代の如き教育の方法によって教を受けたのではない。前後数回にわたり江戸に出ては二宮先生を、小田原藩邸に訪問し教えを乞うたのみである。本居宣長はその師賀茂真淵に直接教を受けたのは松坂の一夜のみで終生再びその機会を得る事は出来なかったがその国学研究の本流を真淵より立派に受け継ぎ、遂に国学を大成している。 福山翁も江戸の小田原藩邸において親しく教を受けた事は数度に過ぎなかったが、その間に立派に二宮先生の報徳の真髄を体得しこれを実践している。またこれにより身をおさめたのみでなく、社会教化に全力をそそぎ、小田原、遠江、三河等に偉大なる足跡を残し、今もなおその偉大なる精神がその土地の人口に伝承されている事を思うと今更ながら、翁の偉大なる人格に感歎せざるを得ないのである。 始めて翁が二宮先生にまみえる事が出来たのは、天保十四年八月の事である。この頃、小田原社の人々は商用等で江戸に出た時には必ず小田原藩邸に二宮先生を訪問し教を請うのが例であった。二宮先生も喜んでこの郷土の人々に面会をされた。福山翁も一度二宮先生に親しく面会の機を得て教えを乞わんとしたが、なかなかその良き折がなかった。天保十四年小田原社の世話人小島忠次郎はるばる江戸の二宮先生を訪ねんとするのを聞き、無理に依頼して、共に小田原藩邸に二宮先生に逢い、教えを受ける事が出来たのである。 この時、門人およそ十四、五人机を並べて座っていたが、その首席は相馬中村藩の家臣富田高慶で、次席は戸田侯の家臣波多八郎であった。湯元の福住正兄もこの中にいた。二宮先生はちょうどこの時、鏡に向ってしきりに髪をくしけずっていたが、その終るのを待って、接見した。 すると二宮先生は初対面の挨拶もしない中に「一体そなたの家業は何であるか」と問うた。翁が「菓子職です」と答えると二宮先生は門人達に「菓子の菓と因果の果と違いがあるか」問うた。すると福住正兄が答えて、「草冠の有ると無いの違いがあります」と答えた。するとまた重ねて「しかし音は同じで形も似ているではないか」問うれたのに対し、福住正兄は「その通りです」と答えた。そこで二宮先生は翁を顧みて「何事でも第一に肝要な事は形である。形が似ていなかったならば、精神の同じ事を表す事が出来ない。この故に人もし我が道を修めんとするならば、先ず形よりは入らなくてはならぬ」と、菓と果の二字は、音は同じでも草冠の有無によって、その意味が変って来る。人も形によって精神が変って来る。身を端正に保てば精神も端正になる。服装乱れれば、心も乱れる。報徳を行わんとするならば、先ず形より始めよという、報徳実践の方向を明示したのであろう。この教えこそ報徳実践の根本理念であり、大きく考えれば、東洋風の学の行き方である。翁はこの教えをよく守り、難しい理論は先ず置き、形を示し、その通り実行せしめこれを実施している間に、その原理を得しめるという方法を取っている。その後も翁は小田原の社の世話人等の先輩に伴われて数度二宮先生の教を受けている。ある時こんな事があった。これは竹本屋幸右衛門と共に先生に面会した時の事であった。幸衛門は小田原の世話人であったので、小田原社の現量鏡、土台帳を持参して近況を報告したところ、二宮先生つまびらかに現量鏡を見て「金二分入用」と記入しているのを見て「これは何の入用であるか」と問うた。幸右衛門「世話人の入用であります」と答えると、先生顔色を変え、声を励まして「その方どもの身分として、彰道院様(大久保忠真侯の法名)の御仕法を勤めるだけでももったいない事ではないか。その方どもの家がこれがためにたとえ潰れても仕方がないではないか」と言う。幸右衛門は返す言葉もなく、ただ黙々として退去したということである。この二宮先生の教え、即ち報徳社の世話人は必ず自費自弁でなくてはならぬとの事は、この時、翁の心に深く銘せられた事であろう。この後、数十年間の翁の仕法の跡を眺めるに自費自弁でないものはない。
2026.07.29
大智禅師偈頌講話 沢木興道 栽松道者その6【栽松道者】 寸苗拈向钁邊栽 (寸苗拈じて钁辺(かくへん)に向かって栽う)祖意親參活句來 (祖意親しく活句に参じ来たる)雲鎖雙峯千仭勢 (雲は鎖す雙峯千仭の勢い)莫云借宿女兒胎 (云うこと莫れ宿を女児の胎に借ると)「雲は鎖す雙峯千仭の勢い」雙峯、二子山になってる山がある。これは牛頭山の雙峯。これを雙峯という。常住不変の山である。無心の山である。雲は鎖す雙峯千仭の勢い、というて、宇宙の絶対をこれで歌ったのである。人生には、奥には奥がある。その奥にはまた奥がある。そうして、過去現在未来、常住不変の真理がある。人間が思うように、功利的に現金ですぐこれだけやったら、これだけ貰う。こうしたら、こうなる。と、そう行くものではない。 世の中も変った。だから本当に、日本中の人間がことごとくこれ栽松道者にならなければならん。ここには雲は鎖す雙峯千仭の勢いというが、この大自然の天地いっぱい。ここにこの無限というもの、それはわれわれが意識することもできん。けれども真実は一つである。この一つの事実を本当に信じて掴むこと、そしてこれを踏むことのみが、われわれの、最大にして、また、最後の仕事である。 それを人間は中途で入るところから、途中で聞いた伝説やら、聞き憶えやら、二三冊の読んだ本やらで概念を決めようと思うから、ここに「云うこと莫れ宿を女児の胎に借ると」周氏の娘の胎に宿って、生まれかわって来たのが栽松道者だ。聞いて来たような小説話をいうなよ。云うこと莫れ宿を女児の胎に借ると。「従来することもなく、また去るところもなきが故に、如来と名づく」これが栽松道者の正体、同時にまたわれわれの一挙手一投足でなければならん。どこから来るということはない。本当にこれさえ毎日やったらいい。眼の先の安い日雇い賃ではない。眼の先の利害得失ではない。ここに栽松道者、寸苗を拈じて钁辺に向かって栽う、祖意親しく活句に参じ来たるじゃ。(大智禅師偈頌講話p.122-123)
2026.07.29
67報徳外記(現代語訳) 第十八備荒(下) 衰廃の国は、飢饉に備えた備蓄が十分でなく、一度飢饉の年にあって、老人は路傍で倒れ死に、壮年の者は四方に離散し、餓死者の死体は道に満ちる。これはもともとは国君の失政によるが、これを哀しまい者がいようか。もし正しい道にかなった国君が、余った穀物を譲って隣国に及ぼそうとすれば、その救助するに道が有る。まずその領内の村において飢えに迫る村を投票させ、その村を挙げて、分って三等に分け、上を無難とし、中を中難とし、下を極難とする。明らかに上等の無難の者に諭していう。汝、無難の民は、この凶作にあたり単に飢渇を免れただけでなく、穀物の価格が上昇したために利益を得たのは、普段から勤勉・倹約したことが報いた所である。極難の民は、飢渇に迫って飢え死にを免れないのは、常日頃の遊び怠ったことに応じた所である。勤勉・倹約で幸福を得て、遊び怠って禍いを得る、これ理の必然である。そうであれば貧困や飢えに迫る者は、自ら招いた天の罰であってあわれむに足らないといえる。しかしながら、昔から村を同じくし、同じ水を飲み、同じ風に浴し、病気があれば助け合い、葬儀のときは弔いあい、苦楽を共にすることは、一朝一夕ではない。かつ乞食のようなものは、もとから無頼の凶人であって財産を失いさまよっている。どうして憎むべき者であろうか。なおかつ一銅銭を施し、一つかみの米を与えるのは、人として常の情である。どうして同じ村の民を、立ったままでその死を見る道理が有ろうか。汝はそれこれを救済することを欲しないか。同村は同体であってなおその死を救済する心が無いならば、私がどうしてこれを救済する道理が有ろうか。汝らが、これを救済することを欲するならば、私は無利息の穀物を貸しだすであろう。しかしながら、朝か夕に命を失いかねない困窮の人民は、そうしてその債務を償還できよう。だから無難の民は、日ごとに五銭を積んで、中難の民は、日に三銭を積んで、極難の民は、日に一銭を積んで、五年で償還するがよい。五銭三銭の僅かな金は、これを物乞いの子供に施すことができよう。来年もし穀物が稔るならば、汝の村が施さなくても、また物乞いの子供も飢えないですむだろう。これが未来の豊作によって現在の飢渇を救済する方法であると。このように諭し終わってその村に臨んで、毎戸にその貯えた穀物を調査し、一人当たり一日五合を基準として、その足らないことはこれを足し、あるいは孝行な者は富んだ家に下僕とし、壮者で強健である者を荒地を開墾させて、食を得られる職に就かせる。あるいは老人・子ども・虚弱な者には草刈をさせて養い、明くる年、麦が実って米や金銭を与え、家に帰らせる。このようにして無利子貸付、飢饉救済の方法を施すならば、一国の人民は生活を全うすることができる。はたしてよく五年で償還することを得るときには、倉庫は穀物を損ずることなく、国は一人の人民を失わない。ああ、これはやむを得ないときの方法に出たものである、またどうして平時の予備があることにまさろうか。 第十八備荒(下) 衰廃の国、備荒全からずして一度饑歳に遇ひて、老贏は溝壑に転び、壮者は四方に散り、餓莩は塗に満つ。是れ固より邦君の失政に因ると雖も、誰か之を哀しまざらんや。若し其れ有道の邦君、余粟を譲りて以て与国に及ぼさんとす、則ち其の之を救ふに道有り。先づ其の封邑をして飢に迫るの邑を投票せしめ、以てその邑を挙げて、分かちて三等と為し、上を無難と為し、中を中難と為し、下を極難と為す。明らかに之に諭して曰く、汝無難の民は、此の荒歉に啻に飢渇を免れたるのみならず、穀価翔貴の為利を得るは、平素勤倹の報ずる所なり。其れ極難の民、飢渇に迫り餓莩を免れざるは、生平遊惰の応ずる所なり。勤倹以て福を得、遊惰以て禍を得、此れ理の必然なり。然らば則ち貧困飢に迫る者、自得の天譴にして以て恤れむに足らざるなり。然りと雖も、世々邑を同じうし、同水を飲み、同風に沐し、疾病相ひ扶け、死葬相ひ弔し、苦楽相ひ倮にすること一朝一夕に非ざるなり。且つ乞児の若きは固より無頼の凶人にして産を失ひ漂蕩す。豈に悪む可き者に非ずや。猶ほ且つ一孔銭を施し、一掬米を与ふるは、人の常情なり。豈に同邑の民をして、立ちて其の死を見るの理有らんや。汝、其れ之を済ふを欲せざるか。同邑同体にして尚ほ其の死を済ふの心無ければ、則ち我に於て何ぞ之を済ふの理有らんや。汝、即ち之を済ふを欲せば、則ち我が無息の粟を賑貸す可し。然りと雖も、朝に夕を謀られざるの困民は、何を以て其の債を償はん。故に無難の民、日に五銭を積み、中難の民、日に三銭を積み、極難の民、日に一銭を積み、五年を以て償還す可し。其れ五銭三銭の微、之を乞児に施す可し。来歳若し稔らば、則ち汝が邑施さざるも亦た乞児飢ゆべからず。是れ未来の豊登を以て見在の飢渇を済ふの術なりと。諭し畢りて其の邑に臨み、毎戸に其の貯穀を検し、一口一日五合を以て率と為し、其の足らざるは之を足し、或いは孝弟なる者をして富家に僕とし、壮強なる者をして荒蕪を墾きて以て口食に就かしむ。或いは老小羸弱なる者をして之を草廠に養ひ、明年麦秋に及びて米銭を与へ、以て家に帰らしむ。則ち是くの如くして賑貸救荒の術を施さば、則ち一邦の天民全活を得。果たして能く五年を以て償還するを得るときは、則ち廩は一粟を損せず、国一民を失はざるなり。嗚呼、是れ已むを得ざるの術に出づ、又た何ぞ平時の予備あるに若かんや。
2026.07.29
福山瀧助翁 第三章 小田原報徳社創立と翁の美挙 この頃、小田原の小島屋忠次郎、竹本屋幸右衛門、百足屋 七の三名は、報徳の教が世に稀な良い法なるを思い、同志を糾合し、たちどころに十九名を得た。 天保十四年に三名は江戸の小田原藩邸に二宮先生を訪れ理由を告げ仕法を懇請したところ、先生はその志を賞し、仕法を組立、更に善種金百六十金をも下さった。これが小田原報徳社のはじまりである。この小田原社の仕法は社員をして日課縄索(なわない)の業をなさしめ、余裕あるものは加入金をなし、これを社員に無利息貸付を行う仕組になっていた。 小田原社の創立を見て早くより報徳に関心をもっていた翁の兄久蔵と共にいち早く入社した。しかし翁はいまだ分家独立も出来ず、兄の家業を手伝っている身であったので、金を得る道がなく、他の人々のように加入金が出せなかった。しかし報徳社創立に熱意を持っていた翁は何とかしてこの加入金を得たいものと考え、思いついたのが毎年夏冬の二回兄より受ける仕着(しきせ)のことであった。これをいつもの如く衣服の支給の代りに相当の額の現金を受けて、加入金にあてんと思い、その意を兄に申し出て、快く承諾を得、金二分を受けることができた。この外、二分で求めたという江戸製秘蔵の煙草(たばこ)袋を売って得た六百文を合わせて二分六百文の金こそ、真に貧者の一灯であった。これは創立の年、即ち天保十四年五月の事である。 同じ年十二月今度は直接必要でない衣服、日用品を全部売却して加入金としようと決心し、これを兄久蔵に告げたところ、兄は翁のたまり身の上を考え、あれやこれやと思いためらい、容易に許さなかった。しかし翁の矢の催促にたまりかね、小島屋忠次郎にはかったところ、「人には分限があり、天の定むるところがある。御身の弟が日常用いない衣服を売って加入金とするのは自己の分限を押し譲るもので、報徳の道にかなった行いであるから、その志に任せることがよかろう」との事であった。 そこで兄は翁をその夜、一室によんでこれを許し、さらに合羽、 一枚ずつを翁に与えた。母と兄嫁もこれを聞き、この志を助けようとそれぞれ小袖一枚ずつを添えて贈った。翁は自己の意見がかなったばかりかこの母、兄嫁等の肉親の温情に接し、喜びの涙をとめられなかった。そしていよいよ報徳の道に専念する決意を固くするのであった。翁は自分の衣服と兄母等より受けた衣類を合わせて二十四枚を携えて竹本屋幸右衛門方に至り、事情を話し、売却の事を依頼した、たまたま麹屋七兵衛がいあわせて、その志に感心し、早速一枚一枚手に取って見たところ の見積もりであった。そこで翁は幸右衛門に万事を依頼して帰宅した。幸右衛門は他の世話人と相計り、社員の 半兵衛が古着屋をしていたから、これを依頼して競売せしめたところ、七両二分の大金を得る事が出来た。翁はその全額を加入金とした。 小田原社ではこれらの加入金を入札によりじゅんぐり無利息五ヶ年年賦返還で貸付ける事になっていた。この年、翁はその撰に当り十一両の大金を借り得る事になったが、翁はいまだ独立していないので差当り十一両の大金を借りる必要もなかったので他の人々に譲ろうとした。小田原の世話人もこの翁の美挙を有難く受け、他に譲り、翁にはやがて独立の暁に無利息貸付をなす事を約し、感謝状を贈呈した。この加入金の事、入札の事は実に報徳の分度、推譲の実践であったのである。
2026.07.28
大智禅師偈頌講話 沢木興道 栽松道者その5【栽松道者】 寸苗拈向钁邊栽 (寸苗拈じて钁辺(かくへん)に向かって栽う)祖意親參活句來 (祖意親しく活句に参じ来たる)雲鎖雙峯千仭勢 (雲は鎖す雙峯千仭の勢い)莫云借宿女兒胎 (云うこと莫れ宿を女児の胎に借ると) で、それを「寸苗拈じて钁辺(かくへん)に向かって栽う」つまらん小さい苗木を植える。これがまたなんになるか。なんにもならん。一生なんにもならず。寸苗拈じて钁辺(かくへん)に向かって栽う。植えておきさえすればいい。誰のためになる。持ち主はなんにもない。昔、持ち主のなんにもないところへ松苗木を植えておいたのじゃ。われわれの一生がこの寸苗拈じて钁辺(かくへん)に向かって栽う。これはわれわれの非思量の修行である。 妄想分別なし。ただする。只管、仏道修行もただするものでなければばらぬ。よう坐禅して何になるか、と問いに来るやつがある。坐禅まで日雇い賃がつかなければできんのか。坊主はお布施がなければお経は読まん、と思っておる。ただお経を読む。だからお布施をくれる。寸苗拈じて钁辺(かくへん)に向かって栽う。 それを「祖意親しく活句に参じ来たる」それが最上の真実人体。活句に参ずるというのはー。われわれの信ずるのは、絶対を信ずるのでなければならん。われわれの小さいがま口の中に入っておるこの個人持ちの料簡を離れて、祖意親しく活句に参じ来たる。この活句に参ずる。天地同根、万物一体、われわれの信ずるのはこの天地同根、万物一体。ただ道がひろまる。ただこの人間に福祉を与える。それで死んだっていいじゃないか、本当のことをいうたらー。 この人間に福祉を与える。これがために死んでもいいじゃないか。われわれはためにするのではない。われわれはこの魂でする。われわれは物を欲しがってはできん。われわれはこの魂でする。われわれは物を欲しがってはできん。祖意親しく活句に参じ来たる。この日本中の坊主、あるいは仏教者。これが本当に、いっせいにわたしら以上に道心を起して、命がけで無駄骨折って、一生懸命にやるならば、どれだけ力があるか。食うために坊主をしておったら駄目である。食うためではない。われわれは道のためにー。ただこの真実のために、この絶対の道のためにわれわれは身心を投げうって、ただ働く。この覚悟を持っておったら、どれだけ役に立つだろうか。それを、これを商売にしておるから、餌箱にしておるから、このごろ寺院規則がやかましい。だが、われわれみたいに寺を持たんであるとなんでもない。餌はどこにでも落ちている。(大智禅師偈頌講話p.121-122)
2026.07.28
67報徳外記(現代語訳) 第十七 備荒(上) 30年ごとに小さい飢饉が来る。50年で大きい飢饉が来る。これは天変の自然の数である。国家を保つ者は、上下おのおの王制四分の法にしたがって、平時は必ず備蓄を広め、その変事に備える。これが守中に永盛をたもつ道である。なぜならば豊年に飽食する者は、必ず凶年に飢える。豊年・凶年を均しくするならば豊えがあっても心配ない。そもそも、百畝の田は、十年の収入を調べて、その中をとって分度を制定し、耕やす三年ごとに余分に一年分を貯蓄する法を守るならば、大飢饉は論ずること無く、不慮の災害など重ねて襲っても、またどうして憂える必要があろうか。たとえ、毎年その十分の一を蓄えても、また四十年で一年の食料を得て、飢渇を免れることができる。しかし、愚かな人民がどうしてその法を知って、そして予めこれを備えることができよう。豊年のときは、米穀を糞土のように見て、口を大きく開けて飯を食べ、音をたてて流しこむ。凶年のときは、一合や一勺を珠玉のように見て、大声で泣き叫んで悲嘆する。天下はとうとうとして皆このようである。だから国君は、政教を施して、予めこれを防ぐのでなければ、どうして国民に飢えのわずらいをなくすことができようか。だから私の復興の方法は、一村が全く回復するならば、一人前一日粟五合を定めとして、各戸の人口を計算して、現在の実数を給付し、備蓄とするのである。そしてそのこれを備蓄するにあたって、倉庫は土壁とし、これを林の中に建て、樹枝で屋根を覆うのがよい。穀物は稲を刈って天日で乾かして、包んでこれを備蓄する。これは腐ったり、虫を防ぐためである。かつ禁令を立てていう、大飢饉でなければ、決して開けてはならない。穀物の売買で利がとれる場合でも、また決して許してはならないと。豊作が数年続くときには、必ずや飢饉のわずらいを忘れて、その空しく穀物が収蔵されて、腐ったり虫害があるよりは、むしろ高く販売して、安く買って、あるいは古い物を貸して新しいもの取ろうとする。ただ目前の利を計るのは、人の常の人情である。いやしくも一たびこれを動かすなら、凶歳になって備蓄の倉庫は必ず空しくなって、この用をなすことができない。だから当初、上等の穀物を選んでこれを蓄え、禁令を厳しくして大飢饉を待つならば、四五十年を経ても、また動かすことが無くてよい。よくこのようであれば、あるいは腐ったり虫害の損耗を免れなくても、大飢饉になって果たしてその用をなすのである。質問した。これを平時に蓄えて饑饉に備える。政教、まことにそのようでしょう。今、衰廃の国は、たまたま饑饉にあうときにはどのようにしてこれに対応すればいいでしょうか。先生は言われた。国君は人民を管理する者である。平時、政教がそなわらないで、しかも凶年に人民を死に至らせる、管理する職は、どこにあるか。そのことをどのようにして天に謝罪しよう。まして家老や郡官は、君を助け人民を管理する者であって、しかもその人民を飢えさせて死なせる。人民を管理する任務はどこにあっろうか。またどのようにして人民に謝罪しようか。国君、家老・郡官はおのおのその罪を知って、自らその身を責めてことごとくその財産を差出し、飢饉を救済する資本とし、困窮する人民とその衣食を同じくすれば、民もまた自らの過ちを知って、他に求めることがなくなるであろう。いやしくも他に求めなければ、貧富は互いに助けあい、財産の有る者も無い者も互いに融通しあい、そのほかに食べられる草木を食ってもまた飢渇を免れることができよう。伝にいう、患難に素して、患難に行うと。国君が、いやしくも饑饉に素して、饑饉に行い、あるいは飲酒を禁じ、薄いおかゆを用いるようになれば、救済にあたっての救荒の政は、命令しなくても行われる。庶民がこれにならうならば、一人一口の食糧を余らせるようになるのも、簡単であろう。いやしくも一人一口分の食糧を余すならば、百人で百人を養い、千人で千人を養い、万人で万人を養う。これを資材が無くて、しかも民を養うという。またどうして飢渇のわずらいが有ろうか。 第十七 備荒(上)三十年にして小凶臻り、五十年にして大凶臻る。是れ天変自然の数なり。国家を保つ者、上下各々王制四分の法に循ひて、平時は必ず儲蓄を広め、以て其の変に応ず。是れ守中持盈の道なり。蓋し豊年に飽く者は必ず凶歳に餒ゆ。豊凶を均しくすれば則ち何の豊凶か之有らん。夫れ、百畝の田、十歳の収を校べ、其の中を執りて以て分度を制し、耕三余一の法を守らば、則ち大祲は論無く、不慮の災患輻輳するも亦た何ぞ憂ふるに足らんや。仮令、毎歳其の十一を蓄ふるも亦た四十年にして一年の食を得、以て飢渇を免るべきなり。然りと雖も、惷愚の民焉んぞ其の法を知りて、而して予め之を備ふるを得ん、年豊かなるときは、則ち米粟を糞土視して放飯流歠、年凶なるときは、則ち合勺を珠玉視して哀號悲歎す。天下滔々として皆是なり。故に国君、政教を施して以て予め之を防ぐに非ざるよりは、安んぞ国民をして飽餒の患莫からしむることを得んや。故に我が興復の法、一邑全く復するに及べば、一口一日粟五合を以て率と為し、戸口を通計し見在の実数を給し、以て儲蓄と為すなり。而して其の之を蓄ふるや、廩は則ち土を以てし、之を叢林の中に建て、樹枝の屋を蔭ふを善と為す。粟は則ち美稲を刈りて笐曬存芒、包みて以て之を蓄ふ。是れ紅腐陳蟲を防ぐ所以なり。且つ禁令を立てて曰く、大祲に非ざるよりは、必ず発くこと勿れ、糶糴利を計らんも、亦た必ず許すことなかれと。豊穣なること積年に及ぶときは、則ち必ず饑饉の患を忘れ、其の空しく蔵せられて腐螙せしめんよりは、寧ろ貴糶して、賎糴し、或いは陳を貸して新を執らんとす。只だ目前の利を計るは是れ人の常情なり。苟も一たび之を動かさば、則ち凶歳に至り倉廩必ず空しふして之が用を為さざるなり。故に当初美粟を撰みて以て之を蓄へ、禁令を厳にして以て大祲を待たば、即ち四五十年を経ると雖も、亦た動かすこと無くして可なり。能く是くの如くなれば、則ち或いは腐螙の損耗を免れずと雖も、大祲に至り果たして其の用を為すなり。曰く、諸れを平時に峙して以て饑饉に応ず、政教宜しく然るべし。今衰廃の国、偶々饑饉に遇ふときは何を以てか之に応ぜんやと。曰く、邦君は民を牧司する者なり。平時政教具はらずして而も凶饑に民を死に至らしむ、牧司の職、何くにか在る。其れ何を以て天に謝せん。況んや執政大夫及び郡官、君を佐け民を牧す者にして、而も斯の民をして飢えて死せしむ、牧民の任、何くにか在る。亦た何を以て民に謝せん。邦君大夫郡官、各々其の罪を知り、自ら其の身を責めて悉く余財を出し、以て救荒の資と為し、困民と其の衣食を同じふせば、則ち民も亦た吾が過ちを知りて他に求めざるなり。苟も他に求めざれば、則ち貧富相ひ助け、有無相ひ通じ、其の余は草木を食ふも亦た以て飢渇を免る可きなり。伝に曰く、患難に素し、患難に行ふと。邦君、苟も饑饉に素し、饑饉に行ひ、或いは飲酒を禁じ糜粥を用ふるに至らば、則ち救荒の政、令せずして行はるるなり。庶民之に效はば、則ち一人一口糧を余すこと、豈に易々たらざらんや。苟も一人一口糧を余さば、則ち百人を以て百人を養ひ、千人を以て千人を養ひ、万人を以て万人を養ふ。此を之れ財無くして而も民を養ふと謂ふ。亦た何ぞ飢渇の患有らんや。
2026.07.28
ホワイトソックス村上宗隆7月26日本拠地アストロズ戦「2番・一塁」スタメン出場復帰後初アーチ21号2ラン5打数3安打メジャー自己最多6打点この日初めて自身のボブルヘッド人形が来場者にプレゼント試合開始前両親が始球式に登場村上が捕手役記念写真に収まった村上宗隆の母は「針の穴を通す制球力」 始球式でファン称賛…OBも驚愕「お父様よりいい」7/27(月)【実際の様子】村上宗隆の母親に米ファン衝撃 始球式で「針の穴を通す制球力」シカゴが大歓声に包まれた。ホワイトソックス・村上宗隆内野手は26日(日本時間27日)、本拠地でのアストロズ戦に「2番・一塁」で先発出場。試合前には村上が両親とともに始球式に登場し、自身初のボブルヘッドデーを盛り上げた。なかでも母・文代さんが投じた1球は米ファンの注目を集めた。 この日、ギャランティードレートフィールドに来場したファンには、村上のボブルヘッド人形が配布された。初の冠試合に日本から両親が来場。ホワイトソックスのユニホームを着た村上親子がグラウンドに現れると、スタンドは大歓声に包まれた。 村上の母・文代さんは、父・公弥さんと横並びの形でグラウンドに立ち、捕手役の“息子”に記念の一投を投じた。地元放送局「シカゴ・スポーツネットワーク」も始球式に注目。実況のジョン・シュリフェン氏が「ムラカミのご両親が始球式を務めました。(映像は)パパとママ(の投球)です」と伝えると、母の投球後には「ノーバンドでストライクですよ!」と感激の声を届けた。 解説のスティーブ・ストーン氏も「(村上のお母様は)お父様よりいい球を投げますね」と絶賛。それを聞いたシュリフェン氏は「ハハハ」と爆笑すると、「(村上の)身長は(ご両親の)どちらから受け継いだんでしょうね?!」とユニークな問いかけで、母・文代さんの偉大さを表現した。 親子3人の始球式は米ファンの間でも話題に。SNS上には「彼の両親は完璧な始球式を投げることができる」「なんという始球式」「彼の野球の才能はお母さんから受け継いだ」「お母さんの針の穴を通す制球力」と、放送席同様に文代さんへの称賛が数多く寄せられた。 村上は始球式直後に迎えた初回の第1打席で、左中間に復帰後初アーチ。5月27日(同28日)のツインズ戦以来となる豪快弾を両親に“プレゼント”した。
2026.07.27
福山瀧助翁 第二章 始めて報徳の教を聞く 翁は毎日降っても照っても菓子を背負って近隣の村々へ歩いていたが、一日ある村に行ったところ、全く菓子が売れなかった。これを不思議に思い、その故を問うと村人はたちどころに「我が村に報徳が行われているからである」と答えた。報徳の意味と知ろうとした翁はその後、聞くことができず、その日はそのまま帰宅した。いつか機を得て、この報徳というものについて誰かに聞いてみたいと考えていた。ところが翁の隣家に浜田某という家があった。その家の出である高木治左衛門というもの栄進して小田原藩の重臣某の家臣となり、その頃は山本家の家政を執り扱うまでになっていた。この高木治左衛門が度々浜田家に見えたので、その来るのを待って報徳について問うたところが、高木氏は親切に二宮尊徳の人となり、その事蹟の大要と報徳の道について諄々と説いてくれた。この説明を聞いて先生は暗夜に灯を得たごとく喜び、かつ感動して「これこそ身を修め、家を興し、世に尽し、国を安きに置く良法である。人としてどこまでもこの報徳の道を実践しよう」と思い立つにいたったのである。
2026.07.27
大智禅師偈頌講話 沢木興道 栽松道者その4一月二円五十銭。肥後の大慈寺にいたときには、衣資料一月五円。それは神代時代にはない。徳川時代ではない。大正五年の好景気時代。日本が一番浮かれ瓢箪になった好景気の前世界大戦の真っ最中。その時分に衣資料一月五円で命がけで働いた。しかし、それはなんのためにということはない。われわれは、ただ仏道修行するつもりで坊主しておる。坊主みたいなことを商売にしておらん。商売するなら、もっと悪い事をして、うまいことをして、金儲けて、今時分は妾の五人ぐらいおいてチャンとやっておる。そんなボヤボヤしておらん。坊主みたいな、不景気な商売をするものか。坊主になって損をしようと思ってやっておる。身体を仏法に寄附したつもりでやっておる。ここにわれわれの覚悟は栽松道者。無駄骨を折る。無駄骨を折ったときが無駄骨なんだ。無駄骨を折ったときが利益、そんなことはない。無駄骨を折ったときが無駄骨なんだ。それが栽松道者なのだ。われわれはなるべく損をせんといかん。ええ、うまいことやりよるやつがおる。うまいことをやったらいかん。なるたけわれわれは縁の下の力持ちをやることだ。なるべく損をする。そんなことをいうと、要領の悪いやつは余計要領が悪うなるであろうが、わたしら大体黙って放って置いたら、要領はいいんだから、うまくやるのは大概なノロマに負けやせん。ところが、余程ノロマをやらんと得をしてしまう。「アッ、おれのためになった」と思ってがっかりすることがある。「人にただやるつもりであったが、くれやがった。ええい、畜生、こんなつもりでなかった。無念口惜しい。おれもしかし男じゃ。取るときは取っておけ」そこで、この栽松道者の参究というものは非常に面白い。この無駄骨という要領に、このごろはつくづく味が出て来た。この栽松道者という味がー。いかにもどうも世の中は不思議なものである。次の「詩栽松道者」でもある。(大智禅師偈頌講話p.119-120)
2026.07.27
「ユマニチュード入門」ℚ3 そうは言っても転倒したら困るのですが・・・A(イヴ・ジネスト) 医療の安全面を考慮したうえで、わたしたちがどうすべきなのかはたしかに大きな課題です。しかし、自分自身が90歳になったときに、転倒の危険があるからといって、無条件にベッドに縛り付けられたいと思いますか? 転倒のリスクはあります。医療訴訟の不安もあります。それに十分理解できます。しかしそのとき、「ケアの専門家」として、ケアを受ける人が得るものと失うものを本当にきちんと天秤にかけて考えているでしょうか? 今わたしたちが抱えている問題をオープンにして、社会に訴える努力をしていくべきだと思います。そうした試みを続けていくことによって、「よりよい健康状態を保つためには、転倒もそのなかで起こりうることのひとつである」という社会的な合意が得られる日が来ると、わたしは信じています。💛映画「急に具合が悪くなる」の吾郎さんの一人芝居のあと、質疑応答があった。真理の回答にマリー=ルーが真理に向けて「不可能が可能であることを見せつけられて、苦しくなりました。ただ自分が、足りないだけだと思って。本当に、不可能なことは可能だと思いますか?」真理「不可能なものは不可能です。でも、可能になるまでは、です」日本の寝たきり高齢者は推定50万〜300万人で、施設入所者と在宅寝たきり者を含めると世界でも突出した数とされる。推定人数と割合厚生労働省の「介護保険事業状況報告」や関連研究によると、2025年時点で65歳以上人口は約3,500万人で、そのうち要介護・要支援認定者は約700万人です。施設入所者や介護医療院の状況から、要介護認定者のうち寝たきりに近い状態の高齢者は50万〜60万人と推定され、全体の約2%にあたります 。つまり、95%以上の高齢者は日常生活を自立して送っています。一方で、専門記事や過去の調査では、施設入所者だけで300万人以上が寝たきり状態にあると推計されており、自宅で寝たきりの高齢者を含めるとさらに増えるとされています 。この数値は国際的に見ても突出しており、日本以外の国では長期間寝たきりで生存する高齢者はほとんどいません。背景と要因日本で寝たきり高齢者が多い理由として、医療現場で「とにかく生存させること」が優先され、点滴や胃ろうなどの延命治療が標準的に行われることが挙げられます。現在、胃ろうを受けている高齢者は約25万人と推計され、意識がないまま生存しているケースも少なくありません 国際比較1989年の報告では、日本の施設入所者の寝たきり率はアメリカの約5倍、在宅居住者ではイギリスの約3倍、デンマークの約6倍とされ、世界で最も高い水準でした 近年の調査は少ないものの、依然として日本は寝たきり高齢者の数で世界一と推定されています。以上のデータを見ると、日本において「そうは言っても転倒したら困るのですが・・・」という質問が繰り返し出る背景が理解できる。日本社会全体の意識改革が必要なのである。本作では、エフィラさんがユマニチュードの導入に情熱的に取り組む介護施設の施設長を演じています。イヴ・ジネスト先生、ロゼット・マレスコッティ先生、本田美和子代表理事は台本の第一稿段階より制作に携わり、劇中で描かれるケアのあり方やユマニチュードの実践について全面的に協力・監修を行いました。「不可能なことは、不可能です。でもそれは、可能になるまでは、です。」ユマニチュードの哲学と技法がどの病院や施設でも標準となり、人間が尊厳をもって生存し、死んでいける社会となりますように!
2026.07.26
「ユマニチュード入門」p.137ℚ2 目を離したすきにひとりで動き出してしまい、自分で転倒することをどう防ぐのですか?A(イヴ・ジネスト) 私なら「まだバランスがうまくとれないので、自分では絶対に立たないでください。近くに誰かがいるときに一緒に立つようにしてください」と伝えます。場合によっては、家族に相談して可能な範囲で見守ってもらうことをお願いします。 この回答を聞いて「それくらいでは、転倒防止にはなりません」と思う人はたくさんおられることでしょう。しかし私が強調しておきたいのは、倒れることを恐れるあまり、一時的でも抑制してしまうと、高齢者の健康はひどく損なわれてしまうということです。 紐、柵、鍵などを用いて抑制すれば、必ず高齢者に害を与えます。ユマニチュードの中で抑制を認める唯一の例外は、その害を相殺できるプログラムの実施と組み合わせる場合だけです。抑制すれば血行は悪くなり、筋肉量は減少し、カルシウムは骨に定着しにくくなります。だからその代わりに「一日30分はわたしと歩きましょう」と提案しなくてはなりません。 また転倒防止を重視し過ぎると、抑制しなくとも、一日中座ったまま、寝たまま過ごすことを強制してしまうことに気づいてください。日本においても一部の病院や施設ではできるだけ立ってもらう、歩いてもらうように取り組んでいるところがありますが、多くの病院や施設では、安全の立場から転倒予防をより重視しているのが現状でしょう。この改善には時間と労力がかかることは言うまでもありません。💛映画「急に具合が悪くなる」を知人も見たという。私は「自閉スペクトラム症の智樹を演ずる黒坂煌代(こうだい)さんの演技が自然で、役者が演じているように見えなかった」というと、彼は最後「希望の園」で、「智樹が認知症の高齢者と走るところをハラハラして見ていた」と語った。見るところは、人それぞれだなあと思った。黒崎:東田直樹さんの本は以前から読んでいました。大学の授業でも扱われていたんです。その後、施設を訪ねたり、当事者の方々のお話を伺ったりしました。黒崎:どんな役でもそうですが、「黒崎煌代が演じる」という事実を受け入れることです。今回それを学びました。それを無視すると、結局「なったつもりの人」になってしまう。そうなると、そこにいるのは「自閉症になったつもりの人」「智樹になったつもりの人」だけになってしまいます。だから智樹を自分の感覚とすり合わせて、なるべく自分の内側にあるものとシンクロさせていこうと考えました。そもそも「つもり」で演じて通用する脚本でも監督でもないので、最初はすごく怖かったんです。ですが、リハーサルを重ねる中で、その感覚を学んでいったと思います。濱口監督:智樹という架空のキャラクターを“つもり”で演じるのではなく、黒崎煌代という人の振る舞いや発言が、智樹としか見えない状況をいかにして作るか。それを考えていました。──黒崎さんを起用した決め手は何だったのでしょうか。濱口:「この人を選ばなかったらきっと後悔しそうだ」とオーディションで感じたからですね。「選ばない」という選択肢を消された感じです。そんなこと、あまりないんですよ。彼がカメラの前で何かを感じて確かに「存在している」ことは、カメラを通してわかる。それはすごいことで、多分黒崎さん自身が何かを見たり聞いたりして、何かを感じているからでしょう。実のところ観客は、何かを感じてそこにいる俳優というのを見る機会が少ないものだと思います。それが映っているということの素晴らしさを、黒崎さんから感じていただきたいと思います。いつも「この人で、本当によかった」と思いながら見ていました。
2026.07.26
福山瀧助翁福山瀧助翁 小田原市城内国民学校 編 目次第一章 翁の生立第二章 始めて報徳の教を聞く第三章 小田原報徳社創立と翁の美挙第四章 翁二宮先生に教を受く第五章 小田原報徳社の再興第六章 福山家を継ぎ独立す第七章 翁養嗣子虎之助に家督を譲り報徳の仕法に念ず第八章 遠江三河両国の仕法一、 翁遠江国へ報徳の仕法に赴く二、 遠江国の仕法を始む三、 遠江国の報徳を再興す四、 福山翁起草に成る報徳社仕法遠譲社本社則五、 遠州にのこせる偉大な業績六、 三河国報徳社創立第九章 翁の面影と感化一、 仕法から仕法へ二、 蓑笠で暮らせ第十章 遺徳尊崇一、 翁の逝去二、 従五位を贈らる第一章 翁の生立 福山翁始めの名は多喜蔵、後に瀧助といい、文化十四年四月二十八日我が郷土小田原町古新宿一丁目里見勘兵衛の次男として生まれた。現在も翁の実家は当主を里見喜之助氏といい、同町にあり、その子孫は幸町二丁目に栄え、当主安之助氏は翁より五代目に当たる。 里見家は父勘兵衛にいたるまで父祖四代代々東海道にあった。同地において菓子製造販売業を営んでいたが、勘兵衛父祖の業をつぎ、家も裕福であったが、天命はいかんともしがたく十二歳になったばかりの長男久蔵と四歳の翁を残して文政 年十月十八日に夭折した。 三人を失った里見家は次第に家業が衰えて来たが、翁の母は亡き主人に替り、二人の子供の成人を楽しみに家業を続け、翁は兄と共によく母に仕え、いよいよ成人しては製造した菓子を背負って近郷を売り歩いたのであった。 翁生来忍耐強く、暗記力に富み、また真面目で人々が「多喜蔵には冗談もいえない」と言うほどだった。 長じて二十八歳に至り、隣町新宿の福山某の亡跡を継いで、文久元年家督を養嗣子虎之助に譲り退隠して改名し明治十五年頃よりは倹翁とも号した。 幼時よりの幾多の苦難はよく翁の天賦の性能を育成し、偉大な業績をのこすに至らしめたのである。1 『福山先生小伝』内藤才治郎著には「里見九蔵四男幼名瀧蔵という」とある。「翁を二男と称する者ありと雖も、翁自ら四男という」と付記している。『小伝』には一つの報徳との初めての出会いのエピソードが記されている。「天保十三年某月某日常のごとく近在の所々をまわり、菓子をひさがんと欲すれども、いたるところ報徳報徳と唱え多く売れず。よってこれをあやしみ、帰途ある商家に立ち寄り、そのゆえんを問う。主人答えて曰く、それは他にあらず。即ち報徳の趣法にして二宮尊徳先生の案出せられし法なり。その法たるや実行すと雖も、決して菓子・酒等一切買売すべからずというにあらず。商人たるものただ営利に汲々として信義を重んぜざるを戒むものなり。故にその法や薄利以て信義を旨とし、いわゆる元手商とて仕入れし品を多く元金にて売り、ひたすら信用を得るにあり。信用だに得ば、その利自ずから至るなりと種々懇篤に報徳の談話をなせり。翁おもえらくその法たる利欲の念薄くして真意趣味あるに似たりと。家に帰り、その趣法を聞かんと欲する意禁ずるあたわず。あたかもよし、隣家に浜田屋(郷宿)という家あり。その家より出でて小田原藩の陪臣たる高木治左衛門(小田原藩大久保加賀守家老山本某知行千二百石の臣)氏よく報徳の大意に通ずと聞き、同氏の浜田屋に至るを待ちて面会し、その趣法を聞かんことを請う。高木氏その篤志を喜び、徐々説いて曰く「そもそも報徳の趣法は天理自然に基づき五倫の大道を説き、勤倹貯蓄の重んずべきをさとし、推譲を以て本とし、廃れたる村を興し、衰えたる国を隆にし、懦夫(だふ)をして起たしめ、貪夫をして廉ならしめ天下の人心をして善良に、これ振起するの教を布き、以て専ら篤行を奨励し躬行実践にあるなり。また徳に報るの心を失わざる為に日課金を集め、無利息助貸の法を設くるなり。その趣法に説くところ、ことごとく至誠に出で、あえて偏頗(へんぱ)あることなし。その引く所の証論は神仏儒の三教に則りて、よく人情に適合するものなり。故にこの法を実行せば、一代に土蔵の四棟くらいの建築は出来得るものにして、これを二分し、二棟を建て、他の二棟の分を陰徳積善のために人に推譲するときは、現に建設せし陽徳、多福のものと相頼るを以て子々孫々まで永く朽ちざるべし」と縷々(るる)詳細にその趣法を説き諭されたり。これにおいて翁慨然としてますますこの道に従事せんことを誓いたり。」
2026.07.26
大智禅師偈頌講話 沢木興道 栽松道者その3ここに栽松道者というものがいかにも奥ゆかしいか。ちょっとよそによばれても「ヘエ、昨日よばれたから、これだけお返ししましょう」なんぞ物を持ってくる。こいつはよばれるときはまっすぐによばれる。「ヘエ、昨日は配給米をよばれた」これをこの世で持って来る。そんなことをせんでも、この世でできなければ未来、未来でできなければ一万年、十万年、百万年、で行く。昨日貰ったのを今日きっと返す。そんなことはしたくない。貰うときはいさぎよく貰う。貰うときはさっぱり貰って「ああありがたい。ただ貰った」こう思っておる。一万年、いや一生貰っておる。その代わり本当に必要なときには、ごそっと出す。必要があるまではこっちは貰っておく「おおきにお世話になりました。ああありがたい」それで棒引きにした。貰ったから出す。「これだけ働いたからこれだけやる。持っていけ」日本人は気が小さいやつでも潤いがある。自分一人出して「いや、いいよ。そんなに固くせんでも、お互いだ。ないときはまたよばれる」それがまたずるいやつは人の懐中を当てにして「飲もうか」「飲もう」それが皆帽子の裏につけておる五銭玉よりなかったということがある。そうなって来るとまた人のはらが見えすくな。持っておりもせんのに、人の懐中を当てにしてー。そういう具合に皆に飲ませるときは、こっちがなければ、やたらに入るものではない。蒲団、オーバーを質において、身受けしに行かんならん。そこで日本の人は、だいたいにおいてそういう勘定が非常にいい。互いによばれる。まっすぐによばれる。中には「またお世話になりますな。またこの次にはー」いらんことをいわんでも、よばれるときにはただよばれる。「おおきにー」それは本当におおきにである。わたしら坊主で多年ヨバレ慣れておる。よう知っておる。決してヨブつもりでヨバレておらん。よばれるきり。その代わり自分の役に立つことは力いっぱいやる。だいたいわたしは今日までただ働いてきた。一番はじめに松原の養泉寺、単頭さんの衣資料一月金二円五十銭。それで、朝の二時から起きて頑張る。その時分にわたしについておったのが、わたしの寝姿を見たことがない。二時に起きると、チャンと本を読んでおる。十二時に点検に行ったら、チャンと起きておる。横にもなるものではない。横になんかなっておったら、勉強できない。人のためではない。(大智禅師偈頌講話p.118-119)
2026.07.26
67報徳外記(現代語訳) 第十五 助貸(上) 国家の病患は負債より甚だしいものはない。負債というものは、年々その利息分を出さざるを得ない。いやしくもその利息分を出さなければ、利息中に利息を生じて、ついには必ずや国を滅ぼし、家を亡ぼすに至る。今、負債一万金であるときに、二割の利息でこれを計算するならば、60年間の合計は、五億六千三百四十七万金となる。これは国家を滅ぼすものでなかろうか。たとえ年々その利を清算しても、また二千金はこれを歳入から出さざるを得ない。いやしくもこれを歳入から出せば、租税の額が減ずる荒れ田と同じである。これを救済する方策はひとり私の助貸法があるだけである。これを名付けて報徳金という。その資金に利息をつけない、そのかつて出したところの利息をとどめて、これを償還させる。わずか五年で借入金を精算することができる。ここにおいて二千金の租税の収入は自分のものとして扱うことができる。実に荒地を開墾するのと同じである。これを鋤や鎌を用いないで、座上の荒地を開拓するといってもまたよい。そもそも報徳金の徳とは、なお太陽や月が大地を照らすと同じである。そもそも天地の間に生まれるものは、太陽や月の徳を被らないものがあろうか。朝、太陽が登れば、草木は花をひらき、虫は飛んで魚は躍り、鳥はさえずり、獣は走って、おのおのその生を遂げる。まして人間においてはなおさらである。諸侯から庶民に至るまで、おのおのその道を守ってその生活する事業を勤め、一家、一国、天下まで治まる。なぜなら太陽や月が大地を照すとき、大昔以来年々歳々、万物を生みだして、しかも太陽や月は多きを加えず、光を減らすことなく、大昔から一つであるだけである。かつ父母が子を育て、農夫が農事を行なう、ともにその費用を顧みることなく、だから報徳金はこれにのっとって利息を起こさない。そもそも太陽がめぐるのに、卯(5時)に出て酉(17時)に入って、その大地を照らすに別けて六時とする。だから万物は発育する。もし朝に出て朝に入るならば、一物も発育するものなどあろうか。これにのっとって、年をおって微納する。冬の短い日にもとずいて五年とし、夏の長い日にもとずいて十年とし、春と秋の二分の節にもとずいてその中をとって、七年とする。いやしくもこれによってこれを行うときには、負債が有る者は負債を償還し、その分の利息分を得る。あるいは質入れしていた田畑を買い戻して、耕作して秋の収穫の利を得る。あるいは荒地を開墾して、米穀を得て家道をゆたかにしよう。あるいは田畑が無い者は田畑を得、山林の無い者は山林を得、家の無いは家を得、衣食が無い者は衣食を得、馬が無い者は馬を得、農器具や家財が無き者は皆これを得、その家業を勧め、その生を安んずる。その資金は、あるいは百金、あるいは千金、あるいは万金であって、助貸が循環して60年に至るならば、諸人とその苦しむ所から免れ、諸人とその利とする所を得て、しかも資金は増すことも減ることもなく、太陽や月が大地を照らすのと同じである。人がもしこれにならって、贅沢を省いて節倹を守り、余った資金を譲ってその法を行うときには、これが民衆を救済する事であって善行はこれより大きいものはない。人がもしその助貸を受けても、また家業を勤めて、これを償還すれば、その償還する所の資金は直ちに他に及ぶ。またこれ人を救済することになる。かつ末世の弊害は、主君はむごい課税を利益とし、人民は租税を納めないことを利益とし、富む者は金貸しして利を得ることを利益とし、貧しい者は負債して償還しないことを利益とし、富む者はますます富を求めて贅沢にあふれ、ついに滅亡を免れない。貧しい者はますます貧に陥って怠惰に流れ、ついに流民となることを免れない。これが国家が衰廃する本である。その衰えたものを挙げ、その廃れたものを復興すること、他でも無い。その弊害を矯正することにある。これを矯正する方法もまた助貸法にある。その法が行われれば、国君は分を守って民に恵み、民は農業を勤めて貢税を納め、富む者は贅沢を省みてこれを貧者に推譲し、貧しい者は怠惰を改めてその徳に報いる。貧富が共に和して資材はその中に生ずる。天地が共に和して万物を生じ、男女共に和して子孫を生ずると同じである。ここにおいて、富者の奢りと貧者の怠惰の二つの弊害は、いつのまにか消え去り、天下の貧民は窮乏を免れて富裕になれば、国家が復興することを、どうして他に求めることがあろうか。しかしながり、利に走って、恩恵をしたう小民は、どうしてその徳を視ることができよう。国君が国民をあわれむ費用を惜しむことがなく、零細な庶民が安らかであることを利益とし、父母は育児の費用を顧みず、子どもが生育することを利益とし、農夫は培養の費用を顧みることなく、五穀が豊熟することを利益とする者であって、その後に始めてその徳を視ることができる。だから私の道は天下においては国王や諸侯の任務とし、群村においては郡長・庄屋、一家においては一家の主人、要するにその主となるものが行うべきである。 第十五 助貸(上) 国家の患は負債より甚だしきは莫し。負債なるものは年々其の利を出さざるを得ず。苟も其の利を出さざれば、則ち利中に利を生じ、遂に国を滅ぼし家を亡ぼすに至るや必せり。今夫れ負債一万金なるとき、什二の利を以て之を計らば、一周度の積、五億六千三百四十七万金に至る。是れ国家を滅ぼすに非ずして何ぞ。縦ひ年々其の利を清するも、亦た二千金は之を歳入より出さざるを得ず。苟も之を歳入より出さば、則ち租額の減ずる蕪田と同じきなり。其れ之を済ふの術は独り我が助貸の法あるのみ。之を命けて報徳金と曰ふ。其の財に息を起こさず、其の嘗て出せし所の利息を留め、以て之を償はしむ。則ち僅々たる五年にして而も清債の功成るなり。是に於て二千金の租入は我の有つところと為る。実に墾荒と同じきなり。之を鋤鎌を用ひずして座上の荒蕪を開拓すと謂ふも亦た可なり。抑々報徳金の徳たるや、猶ほ日月の大地を照らすが如きなり。夫れ両間に生々するもの、誰か日月の徳を被らざらんや。朝陽升れば、則ち草木花を発き、虫飛び魚躍り、禽は囀り獣は走りて、各々其の生を遂ぐ。況んや人倫に於てをや。王侯より以て庶民に至るまで、各々其の道を守り其の業を勤め、家国天下以て治まる。蓋し日月の大地を照らすや、万古以来年々歳々、万物を生々して、而も多きを加へず光を減らさず、終古一輪なるのみなり。且つ父母の子を育み、農夫の農を為す、惧に其の費を顧みず、故に之に法りて以て息を起こさざるなり。夫れ日の行くや卯に出て酉に入り、其の地を照らすや六時と為す。故に万物発育す。若し夫れ朝に出でて朝に入らば、則ち一物も発育するもの有らんや。之に法りて以て年を逐ひて微納す。乃ち冬の短日に本づきて五年と為し、夏の長日に本づきて十年と為し、春秋二分の節に本づきて其の中を執り、以て七年となす。苟も此を以て之を行ふときは、則ち負債有る者は之を償ひ、以て其の利贏を得ん。或いは典する所の田畝を復し、耕耨して以て秋穫の利を得ん。或いは荒蕪を墾き、米粟を得て以て家道を優にせん。或いは田畝無き者は田畝を得、山林無き者は山林を得、居室無き者は居室を得、衣食無き者は衣食を得、馬匹無き者は馬匹を得、農器家財無き者は皆之を得、以て其の業を勧め、以て其の生を安んぜん。夫れ其の資金は、或いは百金、或いは千金、或いは万金にして、助貸循環して一周度に至れば、則ち諸びとと其の苦しむ所より免れ、諸びとと其の利とする所を得て、而も資金は増さず減らさず、日月の大地を照らすと一般なり。人若し之に効ひて、奢侈を省き節倹を守り、余財を譲りて以て其の法を行ふときは、則ち是れ衆を済ふの事にして善行焉れより大なるは莫し。人若し其の助貸を受くるも、亦た業を勤めて以て之を償はば、則ち其の償ふ所の財は直ちに他に及ぶ。亦た是れ人を済ふの域に入れるなり。且つ夫れ叔世の弊たるや、君は聚斂を以て益と為し、民は欠租を以て益と為し、富者は放債にして利を得るを以て益と為し、貧者は負債して償はざるを以て益と為し、富者は益々富を求めて以て奢侈に溢れ、遂に亡滅を免れず、貧者は益々貧に陥りて以て怠惰に流れ、遂に流氓を免れず。是れ国家衰廃の本なり。其の衰へたるを挙げ其の廃れたるを興さんは、他無し、其の弊を矯むるに在り。之を矯むる術も亦た助貸法に在るなり。斯の法苟も行はるれば、則ち君は分を守りて以て民を沢し、民は農を勤めて以て貢を納れ、富者は奢を省みて以て之を貧者に推し、貧者は惰を改めて以て其の徳に報ゆ。則ち貧富相ひ和して貸財其の中に生ず。天地相ひ和して万物を生じ、男女相ひ和して子孫を生ずると同一般なり。是に於てか、富奢と貧惰の二弊、蕩然として銷鑠し、天下の貧民は窮乏を免れて富優を得ば、則ち国家の興復すること、豈に他に求む可けんや。然りと雖も、利に奔り、恵を懐ふの小民、安んぞ其の徳を視るを得ん。独り国君恤民の費を顧みず、黎庶の安息を以て益と為し、父母は育児の費を顧みず、児子の長育を以て益と為し、農夫は培養の費を顧みず、五穀の豊熟を以て益と為す者にして、而る後始めて其の徳を視る可きなり。故に我が道の天下に於けるや、王公の任と為し、群邑に於けるや郡長里正、一家に於けるや主人、之を要するに其の主為る者自りして行ふ可きなるのみ。
2026.07.26
67報徳外記(現代語訳) 第十六 助貸(下) 国家の憂いは、荒地と負債とにある。その憂いを除こうと望むならば、貧民を豊かにすることにある。貧民を豊かにしようと望む者は、資材を貧民に施すのでなければ豊かにできない。そしてみだりにこれを施すときには、資財が尽きてしまい、広く救済することができない。これが私が助貸法を創設した理由である。そもそも助貸の徳というものは、欲が有るのではなく、欲が無いのでもない、損が有ることも無く、益が有ることが無いとはどういうことか。十金を貸して十金を受け取り、百金を貸して百金を受け取るからである。僅かな一百の資金も、助貸が循環することが60年に及ぶときには、その貸した金額は一万二千八百五十五金になり、しかもそれによって荒地は開墾され、負債は償還され、貧民は富み、衰村は復興し、廃国は興る。ああ、その資金は増すことなく減ることがなく、しかも広く救済の功が成就する。恵んで費さず、欲して貪らないものということである。しかしながら、その方法を行おうと望む者は、貧におらず、富におらず、借りる者の心を察しなければならない。貧民というものは、借りる時の心と償還する時の心と食い違う。なぜならば、家を富ませ、財を豊かにする道は、人事を尽して天命を得ることに在ることを知らないで、いたずらに借りる所の財を費やしてその求める所を得ることができない。人事を尽さないで人をとがめ、天命に背いて天を怨み、ついに仇(かたき)を以て恩に報いるようになる。これは誠に嘆くべきことである。世の人は、種を播く時に当たって、種子を借りる者は、秋の収穫を得るに及ぶときは、損益を計らないでこれを償還し、厚くその徳に報い、ますます親睦をなすことは必然である。いやしくも助貸を行う者は、よろしく明らかにこの理をわきまえ、予め借りる者の心を察してその生計を利するゆえんを図らなければならない。ここに貧民が有るとする。数々の不慮の災いに罹って、負債によってこれを補い、そしてこれを償還しようと望んでも、ただその利息を出すだけで元金を償還するに至らないことを遺憾とする。ここにおいて、私の助貸の資本を借りて、旧の負債を償還することを願い出る。すなわちその負債の元金・利子、あるいは田畑山林の収入、及び一年間の経費を細かく調査をして、天命の分度を探って、その利息及び贈答の礼物にかかる費用、五年あるいは七年、もしくは十年の支出を通算して計算し、助貸の額とする。もし旧の負債を精算するのに足らないときは、山林及び不要不急の衣服や器物を売り払うべきである。なお足らなければ、債権主の昔からの恩情を慕って、数年の後にこれを償還すること願い出、そして奢りや怠慢を改めて、倹約と勤労を守り、一年の仕事が終わって後に、更に助貸を願い出てその古くからの負債を清算すべきである。それ人の糞尿を論ずること無く、あるは馬糞・魚油、あるいは酒かすや醤油かす、もしくは腐草・朽葉、もろもろの不清浄の物で田畑を培養して、穀物や野菜・果実など清浄の物を生じさせる。地においては荒地、人においては負債、皆、家道を腐敗させるゆえんのものである。今は荒地を開墾して穀物を生じ、負債を精算して利息をとどめ、その憂える所を除いてその安んずる所を与える。これがまた不清浄の物を用いて、清浄の物を生ずると同じである。ああ、荒地の憂いを除いて田畑に変え、負債の憂いを取り除いて債務を精算させ、貧窮の憂いを取り除いて富裕とする。ああ、助貸の徳というものは、またなんと大きいではないか。 第十六 助貸(下) 国家の憂ひは、荒蕪と負債とに在り。夫れ其の憂ひを除かんと欲すれば、貧民を賑はすに在り。、貧民を賑はさんと欲する者、財を施すに非ざるよりは能はざるなり。然り而して猥りに之を施すときは、則ち財尽きて而も広済の功廃せらる。是れ我が助貸法の創設せらるる所以なり。夫れ助貸の徳為るや、欲有るに非ず、欲無きに非ず、損有ること無く、益有ること無きは何ぞや。十金を貸して十金を取り、百金を貸して百金を取ればなり。僅々たる一百資金も、助貸の循環すること一周度に及ぶときは、則ち其の貸額一万二千八百五十五金に至り而も荒蕪墾かれ、負債償はれ、貧民は富み、衰邑は復し、廃国は興る。嗟呼、其の資金は増さず減ぜずして、而も広済の功成る。恵みて費へず、欲して貪らざるものと謂ひつ可きなり。然りと雖も、其の法を行はんと欲する者は、貧に居らず富に居らず、以て借者の心察せざる可からざるなり。貧民の若きは、則ち借りる時の心と償ふ時の心と齟齬す。何となれば則ち家を富まし財を優にするの道は、人事を尽して以て天命を得るに在るを知らず、徒に借りる所の財を費やして其の求むる所を得ること能はず。人事を尽して以て天命を得るに在るを知らず、徒に借りる所の財を費やして其の求むる所を得ること能はず。人事を尽さずして而も人を尤め、天命に背きて以て天を怨み、遂に仇を以て恩に報ゆるに至る。是れ誠に歎ず可きなり。世人、播種の時に当たり、種子を借りる者、秋実を得るに及ぶときは、則ち損益を計らずして之を償ひ、厚く其の徳に報ゐ、益々親睦を為すや必せり。苟も助貸を行ふ者、宜しく明らかに此の理を弁じ、予め借者の心を察して以て其の生計を利する所以を図るべし。此に貧民有り。数々不慮の災ひに罹り、負債して以て之を補ひ、而して之を償はんと欲すと雖も、唯だ其の利を出すのみにして本金を還すに至らず、以て遺憾と為す。是に於てか、我が助貸の資を借り、以て旧負を償はんことを請ふ。乃ち其の負債の母子、或いは田畝山林の入、及び一歳の経費を細査して、以て天命の分度を探り、其の利息及び贈遺の礼物に係るの資、五年或いは七年、若しくは十年の出を通計し、以て助貸の額と為す。若し夫れ以て旧負を清くするに足らざるときは、則ち山林及び不急の衣服什器を散鬻すべし。猶ほ且つ足らざれば、則ち債主の旧情を慕ひ、約するに数年の後之を償ふを以てし、而して奢怠を改め、倹勤を守り、歳課畢りて後、更に助貸を請ふて以て其の旧負を清くす可きなり。夫れ人の屎尿を論ずる無く、或いは馬矢魚膏、或いは酒糟醤粕、若しくは腐草朽葉、諸々の不清浄の物を以て田畝を培養し、以て穀粟菜果清浄の物を生ぜしむ。蓋し地に於ては則ち荒蕪、人に於ては則ち負債、皆家道を腐敗せしむる所以なり。今は荒蕪を墾きて以て穀を生じ、負債を清くして以て利息を留め、其の憂ふる所を除きて其の安んずる所を与ふ。是れ亦た不清浄の物を用ひて、以て清浄の物を生ずると同一般なり。吁、荒蕪の憂ひを取りて以て田畝に易へ、負債の憂ひを取りて以て清債に易へ、貧窮の憂ひを取りて以て富優に易ふ。吁、助貸の徳為る、亦た大ならずや。
2026.07.26

「ユマニチュード入門」p.136ℚ1 転倒リスクの高い人に立ってもらったり、歩いてもらうのはA(イヴ・ジネスト) 倒れる可能性のない人なら、そもそも介助はいらない。介助がいるのは、転倒リスクが高い人だから。 立位をとる目的は、すぐにその人に自立してもらうためではない。健康状態を維持・改善するために、立って、歩いてもらうのです。歩いていれば少なくも褥瘡はできない。一日のうち20分間立っていられれば、寝たきり状態になることはない。場合によって、介助者は1人でなく、2人、3人と必要になるかもしれない。すると、人手がかかりすぎるという意見が必ず出てくる。 しかし、立たせようか、それともやめようかという迷いや疑問は、わたしにはない。高齢者をケアするということは、高齢者にどうやって立ってもらおうかと考えるのと同じだと思っている。 したがって、「ここにやってきたときにはすでに寝たきりだっかたから、この人は立てない人です」というような評価は間違っている。今この人にどれだけの能力があるかを、清拭やストレチャーバスを行ないながら評価する必要がある。 清拭の際に足の裏でわたしの手を押すことができれば立つことができる。ベッド上で自分で足を上に持ち上げることができれば歩行できるかもしれない。そうであれば、清拭やシャワーの機会を使って、その人の筋力や関節の動きについて、必ず確かめてから、立位や歩行の介助を実施します。〇p.75 立つことの生理的メリット・骨・関節系・・・・・・骨に荷重をかけることで骨粗鬆症を防ぐ。・骨格筋系 ・・・・・・立位のための筋肉を使うことで、筋力の低下を防ぐ。・循環器系 ・・・・・・血液の循環状況を改善する。・呼吸器系 ・・・・・・肺の容量を増やすことができる。〇p.75 多くの場合、歩けないのは医原性 現在病院や高齢者施設で寝たきりになっている人は、「レベルに応じたケア」を受けていたならば立つことができたかもしれない。その人の能力を生かさないケアによって歩けなくなっているのなら、それは医原性といっていい。 ケアが必要な高齢の人には、あえて一日20分間程度、立って歩く機会をつくる必要があります。・・・・・・ 一日に行うケアには、着替え、歯磨き、洗面、清拭などがあります。それぞれの時間を合計すれば、リハビリテーションとして独立した時間をとらなくても、一日に20分間程度立位を含めた時間を確保することができます。このように立位を保持する時間をとることができれば、その人が寝た切りになるのを防げるのです。💛日本では、病院や介護施設が寝たきり老人を作り続けている!?ユマニチュードの哲学を日本全国民の基礎素養にする必要がある!!<図表は、日本の「寝たきり高齢者人口」を100としたときの、各国の数字との比較>
2026.07.25

NY沈黙させた佐々木朗希の94球「今夜の主役はこの男」 LA放送席賛辞、204勝OB「個人的に…」7/25(土) 米大リーグ、ドジャースの佐々木朗希投手が24日(日本時間25日)、敵地メッツ戦に先発登板。7回3安打1失点の好投で4勝目を挙げ、地元放送局からは感嘆の声が漏れた。 佐々木は2回、ロベルトに先制のソロ本塁打を浴びたが、その後は隙を見せなかった。 6回には3者連続空振り三振。1-1の7回に大谷翔平の中犠飛で勝ち越すと、その裏をきっちり三者凡退に仕留めた。94球で7回3安打1失点、9奪三振の好投だった。 ドジャース地元放送局からは賛辞が相次いだ。実況のジョー・デービス氏は、「今夜の主役は何と言ってもこの男、ロウキ・ササキだ。彼のキャリアの中でも指折りの素晴らしい登板だった」と話した。 前回登板のヤンキース戦ではメジャー移籍後自己最速となる101.8マイル(約163.8キロ)をマーク。この日はそこまでの球速はなかったが、メジャー通算204勝を挙げた解説のオーレル・ハーシュハイザー氏は「個人的には、あのヤンキース戦の登板よりも今夜のピッチングの方が気に入っている。前回の好投に続いて結果を残したという点もだが、球速は少し抑えめだったものの、コントロールが本当に抜群だった」と称えていた。〇佐々木朗希の“判別不能”な魔球 MLB最新機器が誤計測?…206億円男斬りの「510」7/25(土)「ピッチング・ニンジャ」の愛称で知られる投球分析家のロブ・フリードマン氏は自身のX(旧ツイッター)を更新し、「ロウキ・ササキのえげつない89マイルのフォークボール」として映像を公開した。 注目したのは、初回1死一塁で迎えたボー・ビシェット内野手との対戦だった。初球はスライダーで見逃しストライク、2球目は98.8マイル(約159キロ)のフォーシームでファウル、そして3球目。強烈なフォークで3球三振に仕留めた。「ベースボール・サバント」の表示上ではスライダーだったが、フリードマン氏が指摘するように、回転数(510回転/分)を鑑みればおそらくフォークだと思われる。3年総額1億2600万ドル(約206億円)の契約を結ぶビシェットですら、完全なボール球を振らされており、その切れ味は抜群だった。〇佐々木朗希「配球も含めてよかった」「しっかり仕事はできたかな」7回1失点で2か月ぶり4勝目にホッ7/25(土) 朗希「前回ほどスピードは出ていなかったですけど、スプリットがいいところに決まってくれて、その中で試合全体を通してラッシングにもいいリードをしてもらって、その要求に応えられたかなと思います。(スプリットは)落ちもよかったですし、投げているコースもよかったので、ただひたすらそこに投げ続けたというところで、うまく配球も含めてよかったのかなと思います。しっかり仕事はできたかなと思います」
2026.07.25
「ユマニチュード入門」p.118 洗濯機ではありません 保清は、ある目標を達成する手段にすぎません。たとえばあなたが患者として、シャワーを浴びる理由はあなたが汚いからでしょうか?汗をかいたり、泥だらけになっているわけでないあなたをシャワーにお連れする理由は何でしょうか?それはあなたに喜んでほしいからです。清潔にするためだけではないのです。第一の目的はそこにはありません。あなたに楽しいと思っもらいたい時、生きる勇気を取り戻してもらわないといけないとき、私はあなたを洗いながら、あなたを見つめながら、あなたに触れながら、「あなたの事が大切です」と伝えます、これって保清でしょうか?単に綺麗にするだけなら洗濯機です。短い時間にツルツルに仕上げるならば、自動洗浄機かもしれません。でも看護師・介護士という職業は、そんなことよりずっとずっと大事な仕事をする人なんです。洗濯機なんかよりずっとあなた方は大事な存在です。ずっとずっと大事!!💛「介護の現場では、入居者を「野菜のように」効率よく洗う手法になって現れる。転倒率、給付金、研修コスト、労働時間。すべてが数字に換算され、数字にならないものは、なかったことになる。」マリーがオムツを汚した老婦人をシャワーできれいにしようとする。「真理、私のやっていることを解説して」真理は老婦人の視野に入る場所に立って、そっと肩を触りながら、やさしい口調でマリーが洗っているところを実況する。老婦人はされるがままにおとなしくきれいになっていく。真理はユマニチュードの何かを体験しつつある。そして急に具合が悪くなったあと、人間として死ぬために、マリー=ルーの「希望の園」に入居する。
2026.07.25
今春センバツ出場校が東西で明暗 近畿勢6校全滅は33年ぶりの異例事態 決勝進出も0校 関東勢は6校中5校が生き残る7/24(金) 高校野球兵庫大会・準決勝で神戸国際大付が明石商に敗れて、近畿勢は今春のセンバツに出場した全6校が決勝に勝ち上がれないまま姿を消した。近畿勢の春夏連続出場校ゼロは1993年以来33年ぶりの異例の状況となった。 一方の今春センバツに出場した「関東・東京」の6校のうち佐野日大(栃木)、花咲徳栄(埼玉)、専大松戸(千葉)、横浜(神奈川)、帝京(東東京)が勝ち上がっており、敗れたのは山梨学院だけだ。 ネットでは「センバツ出場した近畿勢全滅するとか誰も予想してないだろ」「本当に一発勝負って難しい」「センバツ出場した近畿勢1個も夏戻ってこないの確定してエグい」「夏の甲子園出場は難しいね」などと驚きの声が相次いだ。 なお今春センバツ出場校の今夏の成績は以下の通り。◆滋賀学園 滋賀大会準々決勝◆近江 滋賀大会準決勝◆大阪桐蔭 大阪大会4回戦敗退◆神戸国際大付 兵庫大会準決勝敗退◆東洋大姫路 兵庫大会5回戦敗退◆智弁学園 奈良大会3回戦
2026.07.25
大智禅師偈頌講話 沢木興道 栽松道者その2 松苗木を植える。松苗木を植えるということは、この世では正覚を得ないことじゃ。この世では正覚を得ない。あの木を植えるということぐらい、実に気の長い話はないわな。日光に行く途中に松並木がある。これはなんとかという大名が貧乏なものだから、他にえろう寄附ができんので止むなく杉苗木を植えた。ところが、今日ではあれが一番結構な杉並木になっておる。大したものじゃ。そうすると、この松苗木を植えるということは、これは自分が自分で収入を得ないことである。子の代、孫の代、ヒコの代、ヒコヒコの代に栄える。後になるほど栄える。そうすると、栽松道者ということは、何を象徴しておるか。われわれに何を教えているのか。縁に対せずして照らす。不可得とか、無所得とか、こういうことを象徴しておることは勿論である。 栽松道者。なんにもならんことをする。このなんにもならんことをしただけが、これが絶対のものなんだ。「銀行へこれだけ預けておきましたら、利子がこれだけつきました。それでこれだけになりました」これだけー。それはなんでもない話である。われわれはすることのうちで、なんにもならんことをする。自分の利益には、なんにもならん。 わたしらなるたけなんにもならんことに一つ骨を折ろうと思って、なんにもならんことばかりをやっている。なんにもならんほど、これは網が大きい。なんぞになったときは、これは小さなものだ。で、栽松道者は自分の役に立っておらん。そのなんにも役に立っておらんことをしておったというのが、五祖大師の前身なんである。そこがすなわち工夫、実参実究すべきところであり、また本当のことでもあるんだ。 それはわれわれでも、なんにもならんことをしただけがー。よそで講演して、お盆に乗せて持ってきた水引きかけたものを貰うて、それで棒引き。金を貰ったら、それでおしまい。先方は、歌うたいと同じように扱いよる。 だが、なんにもくれんでも、一緒に坐禅するという人間ができたらいい。ところが、目くされ金の百円や千円くれて、それで日雇い賃を払うたという。日雇い賃をくれた。またその日雇い賃を取りに歩くのを商売にしている者がある。こいつはまた哀れなものじゃ。よそへ行ってもなんにもくれん。気持ちがいい。なんにもくれん。ただ働く。ただ働くということほど愉快なことはないんじゃ。どうぞしてただ働いて、食わんで死んでやろうと思って頑張っておるけれども、わたしらはまだ生きている。一生懸命に命がけでただ働く。おもしろい。これくらい愉快なことはない。目くされ金を、雀の涙ほどの、それでやったような顔をしよる。それを欲しさにやってくるものもある。これはまた、話にならん。(大智禅師偈頌講話p.116-118)
2026.07.25
岡田無息軒翁一代記 岡田淡山17、浜松県第三大区集会所取扱掛りとなる 明治五年壬申(みずのえさる)、六十一歳にして浜松県第三大区集会所取扱掛りとなる。翌年二月に至りて罷(や)む。この時、静岡藩を廃して浜松県を置く。遠江(とおとおみ)全州をその管轄となす。管下を分ちて、三大区となし、一大区毎に二十七、八小区を置く。いわゆる集会所は、小区戸長の事務集会所たり。政令の布達を頒布し、下情を上達することを掌(つかさど)る。すでにして集会所は廃せられ、大区役所を置く。ここにおいて罷(や)む。その辞令に曰く、「その方儀、従来窮民救助の方法相立ち、一村の世話向き、篤(あつ)く行き届き、随って風俗淳美の趣きに相聞こえ、奇特の事に候。就いては今後とても御用の趣きにより、大区長より申し談じの義もこれあるべく、老年の事には候えども、なおこの上尽力致すべき事。明治六年二月二十七日。」
2026.07.24
大智禅師偈頌講話 沢木興道 栽松道者その1『大智禅師偈頌』のうちの「栽松道者」、これはよい山があって、松の苗木を植えておるところが絵に書いてある。中国には、九江の対岸に黄梅というところがあり、そこから七里行ったところに、四祖五祖といっておる霊場がある。つまりその辺の小庵に四祖が入っておった。そこには今でも寺がある。 わたしは中国へ行ったとき、その寺に行こうと思ってが、そこは土匪の巣窟であったので、大分押し問答をしたが行けなかった。わたしは中国を旅行したときには、今でも持っておるが、半畳敷きぐらいの袋をこしらえて、それを常に持って歩き、夜はその中に入って、キチンと紐をしめて寝ることにしていた。それは身体いっぱいのマスクでもある。それでその霊場へ行こうとしたときも、夜中時分に刑事がやって来て、とうとう調べられた。「どこへ行く」それで「その四祖、五祖へ参禅に行く」「行かずにおいてくれ」「いや、やってくれ」これは全部筆談であって、その筆談したものが今でも残っておる。「わたしはこれ仏者。だから、お寺に参るのに、なんの差支えがあるか」ところが「先生はこれ仏者、われもまた仏を信ず。共にこれ仏を信ずるのみ。然りと雖も、かしこは既に土匪の根拠地にして、わが政府の保護の及ぶところにあらず。乞う。やめよ」こういう塩梅である。仕方がない「それならこっちも帰ろう」といったところが、「以て可となす」仕方がない。それからまた引き返したのであるが、そこがつまり四祖、五祖の霊場である。 ところが、昔ここに四祖大師が教化をなさっておると、そこに松の苗木を植えておる老人がおった。この老人が四祖大師に「法道聞くを得べきやー道を聞くことができますか」こう尋ねると、四祖大師がいうのに、「お前は余り年が寄っておる。道を得ても、あまり先が長くない。作り変えて来い」そこで「ハイ」というて行くと、着物を洗っておる娘がおった。そこでその娘、すなわち周氏の娘に「お前の宿を貸してくれ」「わたしは父や兄があります。どうぞ父や兄にいうてください」そうすると「いや、お前さえ承知してくれればいい」と、そうすると、その月から腹がだんだん大きくなってきた。 そこで父や兄が、父なし子を孕んだというので、その娘を放り出した。そこで賃仕事をして、その辺をうろついて、そうして子供を産んだ。子供を産んで、こんな子は不祥じゃというて、川に捨てるというと、逆流して沈まない。山へ捨てると、昼は鳥が来て養う。夜は狐や狸が来て乳を飲ます。そこでこれは不思議じゃというので、拾って育てた。これがつまり五祖。黄梅山の五祖大師である。そうして、四祖のところへ行って法をついだところが破頭山(はずさん)、一名牛頭山(ごずさん)ともいう。そしてその老人がすなわち五祖の前身で、ここにそれを栽松道者という。(大智禅師偈頌講話p.115-116)
2026.07.24
67報徳外記(現代語訳)第十三 開墾(下) 天下の利は、開墾より大きいものはない。そして天下の患は、荒地より甚だしいものはない。そもそも田畑段を荒らすときには穀物二石を失い、一町を荒らすときは二十石を失う。十町を荒らすときには二百石を失う。二百石は一日ニ万人分の食料である。荒地を開墾して耕すときには、二百石の穀物を生じ、二万人の人民の命を活かす。これを廃して荒地のままにするときには、とたえ百年を経ても、また二百石の穀物は土中に存しない。二百万の人民の命はここにつながる。これは兵を用いずして、人をそこなうものではないか。荒れた田が大きなわざわいであることはこのようである。荒地は開墾しなければならない。お尋ねした。昔から今日まで原野を廃する理由は、生活する人民が足らないからです。天が人民を生ずるのにもとより限りが有ります。たとえ開墾を欲しても、耕作する人民が無いことはどうにもできません。先生は言われた。食物を皿に盛るならば、蠅が必ず集まる。二皿に盛るならば二皿に集まり、三皿に盛るならば三皿に集まる。そして一皿を除けば一皿分の蠅は去り、二皿を除けば二皿の蠅が去る。どうして一皿二皿だけに止まろうか。数十・数百皿であってもまた同じである。食は本である。蠅は末である。だから食を置けば、無数の蠅が集まり、食を除けば蠅は散って一蠅も残らない。生活する人民もまた同じである。食が有れば、戸口は増し、食が無ければ、戸口は減ずる。今、田畑を開いて食を足らす。どうして耕作する民の無いこと憂えることがあろうか。お尋ねする。生活する人民が限りが有ることを、器と水にたとえるに、器を傾ければ左右増減する。しかし一つ器はもとから増減有ることは無い。他の土地から民を招いて、これを開墾すれば、その土地を荒地とする。彼の地が増せば、此の地が減る。そうであれば国において何の利益がありましょうか。これはまた理を知る者ではない。そもそも国が初めて生れてかつて繁茂していないことがあろうか。神聖は国を造られて、数えきれないほどの苦労を経て、田畑はようやく開墾し、人民はどうして繁茂にゆくのか。ただ食に在るだけだ。食は人民の本である。だから食が余っていれば、人民は従って増し、食が足らなければ人民は従って減る。上国は人民の数が多いのは食は余り有るからである。下国は戸口の乏しいのは、食が足らないからである。そもそも食は土地に生ずる。治平が久しくなると、天下はズンズンとして奢りの風が行われ、人民が遊惰に流れて土地の徳を忘れ、本業を捨て末作にはしる。これが土地が荒地に帰する理由である。今、恩恵をほどこし、怠惰な者に土地の徳を知らせる。人民がいやしくも土地の徳を知って、農事に勤めるならば、一戸が一段を増耕するのもどうしてたやすくないことがあろうか。一戸ごとに一段を増すならば、百戸で十町、千戸で百町、万戸で千町を得ることになる。もし一戸ごとに二段を増すならば、これに倍する。我が村がその法に従って、その機を考察して、開墾に従事し、一年で五百町を開墾すれば、他の地から一民をいれず、一戸も増さないで、農民の余力が有る。かつ加賀や越州の二州は人民が極めて多く、その地の民を招いて新らしい家を立てる。まだ二州が荒地となって小高い丘の廃墟となったということを聞かない。余りあるところを不足に移す。国においてどれほどのことがあろうか。これを器に盛る水を倍増しても、また大丈夫だと言えようか。ああ、国家をたもつ者が、分度を守って、廃地や荒地を挙げ、人民に資材や食料を支給して、田野を開墾させれば、農業は日に日に盛んになって穀物が水や火のようになる。もし穀物が水や火のようになれば、国を富まし民を安らかにするのもたやすい。国君はよろしく荒地の大患を除いて、開墾の大利を興して、天下の生活する人民を全うすべきである。第十三 開墾(下) 天下の利開墾より大なるは莫く、而して天下の患、荒蕪より甚だしきは莫し。夫れ田畝一段を蕪らすときは則ち粟二石を失し、一町を蕪らすときは二十石を失ふ。十町を蕪らすときは二百石を失ふ。二百石は即ち一日ニ万口の民食なり。之を墾きて耕すときは則ち二百石の粟を生じ以て二万の民命を活す。之を廃して蕪らすときは則ち就令百歳を経るも亦二百石の粟は土中に存せず、二百万の民命焉に繋がる。是れ豈に兵を用ひずして人を害ふものに非ずや。蕪田の大患たること是くの如し。荒蕪は其れ墾かざる可けんや。曰く、古往今来、原野の廃する所以は、生民の足らざる故なり。天の民を生ずる固より限り有り。従令開墾を欲するも耕民無きを如かんせんと。曰く、食を盂に盛れば則ち蠅必ず集まり、二盂に盛れば則ち二盂に集まり、三盂に盛れば則ち三盂に集まる。然して一盂を徹すれば則ち一盂の蠅去り、二盂を徹すれば則ち二盂の蠅去る。豈に一二盂のみに止まらんや。数十百盂と雖も亦た然り。食は本なり。蠅は末なり。故に食を置けば則ち無数の蠅集まり、食を徹すれば則ち散じて一蠅も存せず。生民も亦た然り。食有れば則ち戸口増し、食無ければ則ち戸口減ず。今田埜を開き以て食を足す。何ぞ耕民無きを憂へんや。曰く、生民の限り有ること之を器水に譬ふるに、器欹てば則ち左右増減を為す。然れども一器固より増減有ること無し。氓民を招き此を墾けば則ち彼を蕪らす。彼に増せば則ち此に減る。然らば則ち国に於て何の益か之有らんやと。此れ又た所謂る理を知る者に非るなり。夫れ国初生歯未だ嘗て繁庶ならざるや。神聖邦を造りたまひ、千酸万辛したまひて田埜漸く闢け、生歯何を以て繁きに之く。唯だ食に在るのみ。食は生歯の本なり。故に食余り有れば則ち生歯随ひて増し、食足らざれば則ち生歯随ひて減る。上国生歯の繁きは食余り有る故なり。下国戸口の乏しきは食足らざる故なり。夫れ食は土地に生ず。治平の久しき、天下駸々乎として奢風行はれ、民遊惰に流れて土徳を忘れ、本業を捨てて末作に奔る。是れ土地の荒蕪に帰する所以なり。今恩沢を布き遊惰を作して土徳を知らしむ。民苟も土徳を知りて南畝に勤めば、則ち一戸の一段を増耕する、豈に易易たらざらんや。一戸ごとに一段を増すを以て之を計らば、則ち百戸にして十町、千戸にして百町、万戸にして千町を得るなり。若し夫れ一戸ごとに二段を増さば則ち之に倍す。我が邑其の法に遵ひて、其の機を察し、開墾に従事し、期年闢く所五百町、一氓を納れず、一戸を増さずして農余力有り、且つ夫れ加越二州の如きは生歯極めて繁く、其の氓を招徠して新戸を立つる。未だ二州蕪れて丘墟と為るを聞かざるなり。則ち有余を以て不足に移す。国に於て何か有らん。之を器に盛るの水増倍すと為すも亦た可と謂はんか。嗚呼、国家を有つ者、分度を守り以て廃蕪を挙げ、資糧を給し以て田野を闢かしめば、則ち農業日に盛んにして菽粟水火の如し。若し菽粟水火の如し。若し菽粟をして水火の如くならしめば、則ち富国安民豈に道ふに足らんや、国君宜しく荒蕪の大患を除き、開墾の大利を興し、以て天下の生民を全活す可きなり。
2026.07.24
兵庫県議、芦屋市議に計6千通超の悪質メール「今年は誰が自殺するのか」7/23(木) 兵庫県議会の丸尾牧県議(無所属)と芦屋市議会の孝岡知子市議(無所属)が23日、何者かに悪質メール数千通を送られたとして、威力業務妨害容疑などでの被害届の提出を視野に、県警に相談する意向を示した。両氏によると悪質メールは2種類。県の告発文書問題に関連し、死亡した元西播磨県民局長と元県議の顔写真を添付し「今年は誰が自殺するのか」などと記されていた。丸尾県議には1月上旬、孝岡市議には6月下旬からほぼ連日、毎回異なる送信元アドレスからそれぞれ届くようになった。 7月上旬には、実在する政党や労働団体、報道機関から問い合わせ確認の返信メールが相次いで届いた。これらは各団体ホームページの問い合わせ専用フォームに書き込んだ際に自動送信されるメールで、第三者が両氏のアドレスを悪用したとみられる。孝岡市議は計約5900通、丸尾県議は数百通を受信したという
2026.07.23
「ユマニチュード入門」p.101 時間がない?時間を捻出することは、万国共通の永遠の課題です。もし勤務しているスタッフが1人しかいなければ「人手不足でユマニチュードは実践できません」と言われてしまうでしょう。2人配置されているところに行っても、答えは同じです。3人いたとしても、「私達にそんな時間があると思いますか?」と。 しかし誰しも忙しいのです。だからこう考えるべきではないでしょうか?時間がないことが問題なでなく、その時間内にどんな行為を《選択》しているかが問題なのだと。 患者さんと一緒に歩く時間はない。はい、わかりました。でもパソコンに向かう時間はあるわけですね。ベッドサイドを整備したりテーブルを拭く時間はあるんですね。わたしがもし自分の父のケアをお願いするとしたら、こう言うでしょう。「とにかく歩かせてほしい」と。テーブルは汚くていいから歩かせてほしい。 つまりこれは選択の問題であり、ケアの優先順位の問題なのです。選択には常にリスクがともないます。リスクをとることを許さない社会であってはならないと私は思います。💛映画「急に気分が悪くなる」で、高齢者介護施設長マリー=ルーと看護婦ソフィと対立が前半繰り返し描かれる。マリー=ルーは、ユマニチュードという介護手法を取り入れていこうと職員に研修を課していたが、職員の一部からは負担が増えるという不満が出ていた。ある日、ベテラン看護師のソフィについ強硬な態度をとってしまう。ソフィは看護士という専門職に誇りを抱いており、マリー=ルーに謝罪を要求する。「人手不足でユマニチュードは実践できません」「私達にそんな時間があると思いますか?」「患者を立たせ、歩かせるのは転倒の危険が伴います」ユマニチュードを施設全体で研修し実践しようとするとき、必ずそういう声があがるということかも。イヴ・ジネストさんはいう。「これは選択の問題であり、ケアの優先順位の問題なのです。選択には常にリスクがともないます。リスクをとることを許さない社会であってはならないと私は思います」
2026.07.23
『遠州報徳の師父と鈴木藤三郎 』(報徳の師父第1集)の本が新潟県で4図書館の蔵書となっている五泉市新発田市南魚沼市敬和学園大学「訳注静岡県報徳社事蹟」(報徳の師父第2集)が1図書館で蔵書になっている敬和学園大学『二宮先生語録』(報徳記を読む第5集)が5図書館の蔵書となっている新潟県立図書館新発田市敬和学園大学南魚沼市新潟市
2026.07.23
「いつかこういう事が…」住民恐れていた隣人トラブル 男が金属バットで隣に住む男性を殺害か 兵庫・南あわじ市7/23(木) 22日未明、兵庫県・南あわじ市の住宅で、81歳の男性が隣に住む男に殺害された事件で、男性は今年4月、男とのトラブルを警察に相談していたことが新たに分かりました。 益永佳奈記者 「午前8時29分です。殺人の疑いで逮捕された武田容疑者がいま南あわじ署から出てきました。これから神戸地検へと身柄が送られます」 23日朝、送検された、兵庫県・南あわじ市の無職・武田守弘容疑者(54)。 警察によりますと、22日午前5時ごろ、隣に住む武市勝治さん(81)の頭を金属バットで複数回殴って殺害した疑いがもたれています。 事件が発覚したきっかけは、武市さんの妻の電話を受けた、息子による通報でした。 武市さんの息子 「『父が亡くなっている』と母が言っている」 通報を受け、現場にかけつけた警察は、1階の和室であおむけで頭から血を流して倒れている武市さんを発見。病院に搬送されましたが、その後、死亡が確認されました。 益永佳奈記者 「近くの防犯カメラには武田容疑者が棒状のものを持って歩く姿が映っていたということです」 警察が武田容疑者の自宅を訪問すると…。 武田容疑者の話 「金属バットで12回から13回殴った」 警察は、武田容疑者を緊急逮捕。容疑を認めているということです。 武田容疑者の自宅から見つかった凶器とみられる金属バットには、武市さんのものとみられる血痕がついていたことも、新たにわかりました。 近くに住む人は―。 Q.いつか、こういうことが起こるなと? 近所の人 「そういうことが起これへんかなと恐れていました」 警察によりますと、武市さんは2024年、自宅の倉庫が壊されたほか、車のタイヤがパンクさせられたなどとして警察に被害を相談していて、警察は、24年12月、器物損壊の疑いで武田容疑者を逮捕していました。 さらに、2026年4月には、武市さんから警察に「武田容疑者が自宅の小屋に石を投げてくる」という趣旨の相談をしていたことが新たにわかりました。 近所の人 「(近隣でも)トラブルは結構ありましたね。(自分も)石を投げられたりとか、パンクさせられたりとか、窓を割られたりとか。それから(自分は)防犯カメラを付けた」 益永佳奈記者 「閑静な住宅街にも関わらず多くの家に防犯カメラが設置されていることが確認できました」 近所の人 「うちもここに(防犯カメラを)付けている。みんな付けている」 警察は、武市さんからの相談を受け、2人の自宅周辺のパトロールを続けていましたが、 その最中に事件は起きてしまいました。 警察は、武田容疑者が今回の犯行に至った経緯などを詳しく調べています。近所の住民は武田容疑者について。(近所の住民)「その辺の車のガラスを割ったり、そんなことを何年か前にもしたことがある。あんまり話したくもないし、近寄るのが嫌だったという感じがみんなあると思う」
2026.07.23
p.33 何が中心にあるべきかユマニチュードの理念は絆です人間は相手がなければ存在できませんあなたが私に対し、人として尊重した態度をとり人として尊重して話しかけてくれる事によって私は人間となるのです私がここにいるのは、あなたがここにいてくれるからです逆に、あなたがここにいるのは、私がここにいるからです 私が誰かをケアする時、その中心にあるのは「その人」やその人の「病気」ではありません中心にあるのは、私とその人との「絆」です映画「急に具合が悪くなる」の中のマリー=ルーと真理の関係はこの「私がここにいるのは、あなたがここにいてくれるから。あなたがここにいるのは、私がここにいるから」の魂の「絆」であって、それこそが、原作「急に具合が悪くなる」の哲学者・宮野真生子と人類学者・磯野真穂(原作者2人も「真」が共通で、それが映画の2人のマリになったのかも?)はじめに 抜粋最終的に生と死をめぐるドキュメントと、その中を共に生きる人々との出逢いの物語になりました。病に面した一哲学者が「魂の人類学者」に寄り添われ、生まれてきた言葉の記録と言いかえてもいいかもしれません。その言葉はつねに磯野さんという伴走者がそこにいて、受け止め、引き出してくれたからです。彼女は、訳もわからず私が「急に具合が悪くなっていく」状況に立たされ、巻き込まれていってくれました。・・・ つねに不確定に時間が流れているなかで、誰かと出会ってしまうことの意味、そのおそろしさ、もちろん、そこから逃げることも出来る。なぜ、逃げないのか、そのなかで何を得てしまうのか、私と磯野さんは、折り合わされた細い糸をたぐるようにその出逢いの縁へとゆっくりと(ときに急ぎ足で)降りながら考えました。 宮野真生子💛映画はフランス人の認知症高齢者施設の施設長マリー=ルーと演出家真理子の「出会ってしまうことの意味」(2人の主演女優賞)を、一見、原作と離れた設定なのに、「マリー=ルーは、真理子が「急に具合が悪くなっていく」状況に立たされ、巻き込まれていってくれました」という共通の課題の中で、施設の「ユマニチュード」と吾郎さんの一人舞台の「イタリアの精神科医フランコ・バザーリアの精神医療改革ー患者を人間として尊重する」を副次のテーマとして演出される。
2026.07.23

米長官、日中関係悪化に憂慮 南シナ海情勢で中国けん制7/22(水) ルビオ米国務長官は22日、東南アジア諸国連合(ASEAN)関連外相会議が開かれているマニラで、日中関係の悪化について「憂慮している」と語った。また、南シナ海でフィリピンに対して威圧的行動を強める中国に関し「非常に好ましくない動きだ」と指摘し、けん制した。中国の王毅共産党政治局員兼外相との会談後、記者団に語った。 ルビオ氏と王氏は会談で、9月に予定されている習近平国家主席の訪米計画などを協議した。5月の米中首脳会談では「建設的戦略安定関係」の構築で合意している。 トランプ米大統領は現在、自身が敗北した2020年大統領選に中国が介入したと批判を強めているが、ルビオ氏によれば、会談でこの問題は取り上げられなかった。
2026.07.23
岡田無息軒翁一代記 岡田淡山16、幡鎌村、中野村の仕法を行う 明治三年庚午(かのえうま)、五十九歳にして、静岡藩の命を受けて、佐野郡幡鎌村、山名郡中野村、旧復の法を施す。 幡鎌村は当時掛川支庁の所轄たり。村高三百四十七石、戸数四十三にして、借財金三千百両に達し、中野村は中泉支庁の所轄にて、村高五百九十三石、戸数九十二にして、借財金五千七百両に及び、両村ともおのおの水旱の被害しきりに至り、ために衰退窮迫もっとも甚だし。これをもって先の領主のときより、しきりに救恤を歎訴すると雖も、時は維新の変革に際会し、上下騒擾の中にあって、いずれの国君もまたこれを顧みるにいとまあらず。ここに至ってこれを静岡藩庁に切願す。藩庁はもと二宮尊徳の法あるを知る。而して清忠のこれを篤信してやまざるを聞き、二村の請願をゆるし、清忠に命じて、これを治めしむ。清忠年老すと雖も、敢えて屈せず。曰く、「われ二村をもって、わが業の終りとせん」と、まず幡鎌村に臨み、ついで中野村に及ぶ、諭すに徳をもって徳に報いるの道をもってし、励ますに勤倹の業をもってし、その借財の額を詳らかにし、毎戸の生計を予算し、日掛縄ないの法を立て、勧農の田を置き、その租財を弁償し、毎年入札して力作者に作徳せしむ。債主に懇説して、金額を減損し、旧債を一洗して地を掃う。このとき私金をもって、低利貸付するもの、幡鎌村へ四百三十二両余、中野村へ七百両、各々年賦償還をもって完済を期することとした。 また官庁は幡鎌村へ報徳金を貸付くること、千百両(二割元済六年賦)仕法年限中に悪地余荷金を年々金百四十八両を下与された清忠はまた別に勤農の田、地価十五両を幡鎌村へ、百十両を中野村へ出して譲田となす。数ヶ月にして方法整理なる村民大いに歓躍して、また奇特の譲田を出すもの数名に及び、隣里もみなその法の厳にして、かつ仁なるを歎称せざるはなし。爾来数年にして両村の民風儀一変して、志を家業に励み、生計日に安く、貢納期を移さず、民費の賦課徴集、日を期して至る。而して二村今に至ってますます進歩するものは中野村を最とす。 けだしその社中に深見村伊藤七郎平、戸長秋野貞次郎の両人の勧奨怠らざるの致すところなり。清忠の法を施す多しと雖も、その全く功を奏するもの、中野村をもって大尾(たいび:最後)となす。この年九月、上下一具、ラシャ二反を藩庁より賜う。幡鎌村の功を賞するなり。明年正月また白木綿二十五反を賜う。中野村の功を賞するなり。
2026.07.23
大智禅師偈頌講話 沢木興道 偶作その2【偶作二 首】 萬兩黄金散面前 (万両の黄金面前に散ず)千條翠柳鎖輕煙 (千条の翠柳軽煙を鎖(とざ)す)娑婆世界無寒暑 (娑婆世界寒暑無し)七佛遺蹤在竺乾(七仏の遺蹤(ゆいしょう)竺乾(ちくけん)に在り)「千条の翠柳軽煙を鎖(とざ)す」この万両の黄金面前に散ずる、尽十方世界が黄金であるけれども、それが、千条の翠柳軽煙を鎖(とざ)す。そこにモヤがかかっておる。そこで、黄金か、黄金でないか分らん。そこで岐路に入るが、仏教という立場から見たら、万両の黄金面前に散ず。「娑婆世界寒暑無し」無自性である。寒暑無しというが、娑婆世界はこのままでは寒暑がある。どんなかというたら、シベリアみたいな寒いところもある。南洋みたいな暑いところもある。寒暑無しではない。寒暑ありじゃ。 ところが、娑婆世界寒暑無しというのは、一体そこが無自性皆空。どんなのが幸福、どんなのが不幸というきまりはない。腹が減ったらなんでもうまい。わたしなどは味ないものは食うたことがない。 わたしは、かぼちゃは好きと思うたことはないけれども、どこやらでかぼちゃを食うたときはうまかった。それは腹加減による。そう、ジャガタラ芋を食いたいと思うたことはないけれども、入院しておるときに、ジャガタラ芋の裏ごしをちょっと出された。それがうもうてしようがない。唇を鳴らすと、シュッとのどの中へシミこんで行ってしまう。そうすれば、うまいとか味ないとかいうのは、そのときによる。 娑婆世界寒暑無し。幸、不幸とかいうことはない。好き、嫌いということはない。うまい、味ないはない。よしあしはない。大きい小さいはない、無自性皆空。この無自性皆空の真っただ中に立って、ここにわれわれは寒いとか、暑いとか、好きとか、嫌いとか、うまいとか、味ないとか、いいとか、悪いとか、これは煩悩と業とによって見える相が、即ちこのわれわれの感じである。 われわれの感じは、修行の足らないその内面から見ると、この世界が、やれ暑いとか、やれ寒いとか、やれうまいとか、それはいろいろなことがある。善いことがあれば、その裏には悪いこともある。そうすると、どこがいいか訳は分らん。 ちょうどネズミが自分の娘の婿さんを探し歩いたという。自分の娘の婿にはなにがいいか。それはお天道さんがいい。お天道さんは雲が覆うから、雲の方がいい。いや、雲は風は吹くと散るから風の方がいい。風は壁がさえぎるから壁の方がいい。壁は鼠が穴をあけるから、やはり鼠の婿さんがいい、ということになったという話がある。「七仏の遺蹤(ゆいしょう)竺乾(ちくけん)に在り」過去七仏の跡方がインドにある。竺乾というのは、インド、天竺ということだが、天竺ばかりでない。人人具足個個円成。過去七仏は毘婆尸仏(びばしぶつ)大和尚・尸棄仏(しきぶつ)大和尚・毘舎浮仏(びしゃふぶつ)大和尚・拘留孫仏(くるそんぶつ)大和尚・拘那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)大和尚・迦葉仏大和尚・釈迦牟尼仏大和尚。この七仏の遺蹤竺乾にあり。道は近くにあり。遠方を見たってありはしない。それでこの遠方の黄金を、われわれの足下に引戻した偶感である。(大智禅師偈頌講話p.113-114)
2026.07.23
67報徳外記(現代語訳) 第十二 開墾(上) 国が国である理由は田が有るからである。田が田である理由は農民があるからである。だから農業が盛んであれば田が開墾されて国が富み、農業が衰えれば田が荒れて国が貧しい。しかし国に上・下があり、土地に肥えているか瘠せているかがある。上国は肥えた地で常に富んでいて、下国は瘠せ地で常に貧しい。その理由は何か。肥えた地は利が多く、瘠せた地は利が少ない。利が多ければ農業に精励する。人民が農業に精励すれば、土地は荒れはてるわずらいがある。これが下国の瘠せ地は免れない理由である。その衰えたものを挙げ、その廃れたものを興す。よろしく荒地を開墾し、地力を尽すべきである。その荒地を開墾するには、先後・得失がある。水田はよく肥えた近い地を先きにし、畑は瘠せた遠い地を後にする。水田は耕うん利便であって、そして肥えれば収穫が多く、畑は鋤耕に労して、そして瘠せていれば収穫が少ない。耕うんに便利で収穫が多ければ、人民は利を得る。人民が利を得れば、土地の徳を知る。いやしくも土地の徳を知るならば、遠地の瘠せ地もしたがって挙がる。鋤を使い耕うんに苦労して収穫が少なければ、人民は利を失う。人民が利を失うならば、土地の徳を忘れる。いやしくも土地の徳を忘れるならば、近地で地味が豊かな土地もまたしたがって廃れる。その先後を明らかにし、その得失を理解して、人民にこれを開墾させ、資材・食料を支給する。やさしい土地一段につき金一両、あるいは二両を給する。困難な土地一反、三両から五両とする。もし至難の地であればよろしく数十両を支給すべきである。なぜならば太陽や月の照らす所、霜や露のおちる所、よくその土地の力を尽すならば、どうして五穀が生じない土地が有ろうか。もし五穀が生じない土地には竹や木を植えるべきである。もし竹や木が生じない土地は、草場とするべきである。このようであれば、国に廃地や荒れた地が無く、山林が繁茂し、百穀が満ち足りる。これが富国安民の道である。質問した。耕すのが困難な土地を開墾すれば、数十金を給するのは、段田での収穫が、数十年かかっても、収入は支出を償うことはできない。そうであれば何の利益がありましょう。開墾しない方がまさるのではありませんかと。先生は言われた。国君は国民の父母である。父母が子供を育てるときに、誰が損益を論じよう。父母であれば、皆、その子どもが生長すのを楽しんで、その費用を顧みない。国君が国民を養う、どうしてその費用をおしもう。田というものは民を生かす本である。田が無ければ国民はどうして生きていけよう。だから開墾されているか荒れているかを論ずること無く、あるいは客土で瘠せ土を変じて肥沃な野となし、あるいは灌漑施設を築き、水路を開設し水利を興す。およそ人民を利するものには其の費用をおしまない。いやしくも人民に利があるならば百金を一つの畔になげうつこともまた行うべきである。たとえば貨幣のようなものだ。一銭を鋳造するのに、工費は必ず数銭を用いる。これ銭が至宝である理由である。もし一銭を費やして数銭の利益を得るならば、いまだ至宝とするに足りない。百金をなげうってその租税が僅かに一金を得る。国益がこれより大きくないのはなぜか。廃地・荒地で瘠せ地がひどいのは、国君が資材や食料を支給せず、古来から開墾が無いからである。いったんこれを開墾して良田となし、人民はこれを耕して穀物を生ずるならば、人民はこれを利益歳、国君もまたその利益を受けることは、なお子供が成長すれば、父母に孝養を尽す事は自ずからその中に存するようなものである。どうしてこれが国の利益・至宝でないことがあろうか。しかしながら、国で使う資金を失い、負債でこれを補うことは断じて行うべきではない。なぜならば、負債は償還しなければ利益を生ずることは極まり無い。その収穫は単に元金を償還できないだけでなく、その利を償還するに足りない。ああ、これが私の道が分度を尊ぶ理由である。 第十二 開墾(上) 国の国為る所以は田有るを以てなり。田の田為る所以は農有るを以てなり。故に農業盛んなれば則ち田墾け国富み、農業衰ふれば則ち田蕪れ国貧し。然り而して国に上下有り。地に肥瘠あり。上国は肥地にして常に富み、下国は瘠地にして常に貧し。其の故は何ぞや。肥地は利多く、瘠地は利少なし。利多ければ則ち民農を力む。民農を力むれば則ち土地荒蕪の患ひ有り。是れ下国瘠地の衰廃を免れざる所以なり。其の衰へたるを挙げ、其の廃れたるを興す。宜しく荒蕪を墾き以て地力を尽すべきなり。其の荒蕪を墾くや、先後得失有り。水田膏腴の近地を先きにし、白田瘠薄の遠地を後にす。水田は耕耘便にして、而して肥えば穫多く、白田は鋤耕に労して、而して瘠せれば穫少なし。耕耘に便にして穫多ければ則ち民利を得る。民利を得れば則ち土徳を知る。苟しくも土徳を知らば、則ち遠地瘠薄随ひて挙がる。鋤耕に労して穫少なければ、則ち民利を失ふ。民利を失はば、則ち土徳を忘る。苟も土徳を忘れば、則ち近地膏腴も亦随ひて廃る。其の先後を明らかにし、其の得失を弁じ、民をして之を墾かそいめ、給するに資糧を以てす。易地一段に金一両、或いは二両を給し、難地一反、三両より五両に至る、若し夫れ至難の地は宜しく数十金を給すべきなり。蓋し日月の照らす所、霜露の墜つる所、能く其の地力を尽さば、豈に五穀不生の地有らんや。若し夫れ五穀不生の地は以て竹木を種う可きなり。若し夫れ竹木不生の地は以て草場と為す可きなり。夫れ斯くの如くなれば、則ち国に廃蕪無く、山林暢茂し、百穀豊足す。是れ富国安民の道なり。曰く、至難の地を墾くに数十金を給すは、段田の産粟、数十歳を積むと雖も、而も入は出を償ふ可からず。然らば則ち何の益かあらん。豈に不墾の愈れるに如かんやと。曰く、国民は民の父母なり。父母の児を育つるや、誰か損益を論ぜん。父母為る者、皆其の児の長ずるを楽しみて、而して其の費を顧みず。国君の民を養ふ、安んぞ其の費を吝む可けんや。田なるものは生民の本なり。田無くんば則ち民何を以て生を為さん。故に闢荒新墾を論ずる無く、或いは客土を以て瘠土を変じて沃野と為し、或いは陂塘を築き溝渠を鑿ち以て水利を興す。凡そ民を利する所以のものは其の費を吝まず。苟も民に利あらば百金を一畔に擲つも亦た為す可きなり。譬へば銭貨の若き然り。一銭の鋳造、工費必ず数銭を用ゆ。是れ銭の至宝たる所以なり。若し夫れ一銭を費やして以て数銭の利を得ば、未だ以て至宝と為すに足らざるなり。則ち百金を擲つて其の租僅かに一金を得。国益焉れより大なる莫きは何ぞや。廃蕪瘠薄の甚だしき、国君の資糧を給するに非ざるよりは、終古開墾の期無ければなり。一旦之を墾いて以て良田と為し、民之を耕して以て穀粟を生ぜば、則ち民之を利して而も君も亦た其の利を受くこと、猶ほ児長ずれば則ち父母の奉養自づから其の中に存するがごときなり。豈に是れ国益至宝に非ざらんや。然りと雖も、国用度を失ひ、負債以て之を補ふことは断じて為す可からざるなり。何となれば、負債は償はざれば則ち利を生ずること極まり無し。産粟啻に本金を償ふ能はざるのみならず、以て其の利を還すに足らざればない。嗚呼、此れ我が道の分度を尊ぶ所以なるか。
2026.07.23
『遠州報徳の師父と鈴木藤三郎 』(報徳の師父第1集)の本が長野県で3図書館の蔵書となっている県立長野信州大学長野市「訳注静岡県報徳社事蹟」(報徳の師父第2集)が1図書館で蔵書になっている信州大学「現代語訳 安居院義道」(報徳の師父第3集)が12図書館で蔵書となっている。県立長野信州大学『安居院庄七と鷲山恭平』(報徳の師父第4集)が2図書館で蔵書となっている。県立長野信州大学『二宮先生語録』(報徳記を読む第5集)が3図書館の蔵書となっている信州大学安曇野市長野市
2026.07.22
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