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無糖ヨーグルトを適量・適切なタイミングで摂取することで、血糖値の急上昇を抑え、糖尿病リスクの軽減に役立つ可能性があります。血糖値への影響ヨーグルトには乳酸菌やビフィズス菌などの善玉菌が含まれ、腸内環境を整えることでインスリン感受性を向上させ、血糖値の安定に寄与します。また、乳酸の作用により食べ物の消化・吸収が緩やかになり、食後血糖値の急上昇を抑える効果があります さらに、腸内環境の改善はメンタルヘルスにも好影響を与え、ストレスによる血糖上昇を防ぐことも期待できます 糖尿病リスクの軽減研究によると、毎日ヨーグルトを摂取する人は2型糖尿病の発症リスクが18〜28%低下することが報告されています これは、低GI食品であることやプロバイオティクスによる腸内環境改善が主な要因です。効果的な摂取方法種類の選び方:無糖・プレーンタイプが最適。加糖ヨーグルトは血糖値を上げやすいため注意が必要です。高タンパクヨーグルトは食後血糖の上昇を緩やかにする傾向があります 摂取量:1日100〜200g程度が目安。過剰摂取は糖質や脂質の過剰摂取につながる可能性があります 食べるタイミング:食前や間食として摂ると血糖値の急上昇を抑えやすく、朝や夜の置き換えとしても有効です 組み合わせ:食物繊維や低GIフルーツ(ベリー類、リンゴ、キウイ)と一緒に摂ると善玉菌の効果が高まり、血糖値の安定化に役立ちます 注意点甘味料や砂糖が多く含まれるヨーグルトは避ける。過剰摂取はお腹の不調や血糖値上昇のリスクになる。ヨーグルトは、腸内環境改善や血糖値管理のサポートとして非常に有効ですが、無糖・適量・適切なタイミングで継続的に摂取することがポイントです。ヨーグルトには血圧を下げる効果が期待でき、特に低脂肪・無糖のものを毎日摂取することで高血圧予防や管理に役立つ可能性があります。血圧に良い理由ヨーグルトには、血圧を調整する以下の成分が含まれています。カリウム:体内の余分な塩分を尿として排出し、血管を拡張することで血圧を下げる作用があります。研究では、カリウム補給により収縮期血圧が約4.5mmHg、拡張期血圧が約3.0mmHg低下したと報告されています カルシウム:血管の壁を強化し、血圧を下げる効果があります 乳酸菌(プロバイオティクス):腸内環境を整え、血管の健康や血圧のコントロールに寄与します これらの成分が複合的に作用することで、ヨーグルトは血圧管理の補助として有効と考えられています。摂取のポイント量:1日あたり100〜200gが目安で、朝食や昼食、夕食と一緒に分けて摂ると腸内環境を安定させやすいです 種類:低脂肪または無脂肪、無糖のヨーグルトを選ぶことで、余分なカロリーや糖分を避けつつ継続しやすくなります 継続性:毎日摂取することが重要で、生活習慣全体の改善(減塩、野菜・果物の摂取、運動など)と組み合わせるとより効果的です 注意点腎臓機能が低下している方や糖尿病の方は、ヨーグルトの摂取量や種類に注意が必要です まとめヨーグルトは、カリウム・カルシウム・乳酸菌などの成分により血圧を下げる補助的な効果が期待でき、特に低脂肪・無糖のものを毎日摂取することが望ましいです。高血圧予防や管理には、ヨーグルトの摂取を生活習慣改善の一部として取り入れることが有効です
2026.08.06

大谷翔平、今季初の1試合2HR 25号先頭弾&26号も空砲…ド軍は今季ワースト6連敗8/6(木) 【MLB】カブス 7ー6 ドジャース(日本時間6日・シカゴ) ドジャース・大谷翔平投手が5日(日本時間6日)、敵地で行われたカブス戦に「1番・指名打者」で先発出場。今季初の1試合2本塁打を放つなど5打数3安打の活躍を見せたが、チームは今季ワーストとなる6連敗を喫した。 初回は今永昇太投手と対戦し、いきなり豪快なアーチをかけた。カウント3-2から高めフォーシームを捉え、右翼手・鈴木誠也外野手の頭を越えてスタンド最前へ。飛距離は376フィート(約114.6メートル)、角度は20度の低弾道だった。 第2打席では内角スプリットに空振り三振。第3打席では外角スライダーを中前に運び、マウンドの今永は悔しそうに首をひねった。 7回先頭の第4打席ではファーガソンの前に空振り三振。そして8回2死一塁で迎えた第5打席ではゼファジャンから左中間スタンド最前列に飛び込む反撃の26号2ランをマーク。1試合2本塁打は今季初となった。 ドジャースは先発したラウアーがクロウ=アームストロングに2本塁打を浴びるなど、4回までに6失点。8回には大谷の本塁打などで5点を奪って1点差まで詰め寄ったが、あと一歩及ばなかった。レッドソックス、カブスと連続でスイープを食らい、連敗は今季ワーストを更新する6に伸びた。大谷翔平が25号先頭打者弾!今永昇太から初アーチ 超低弾道に球場騒然 イチローの日本人記録へあと28/6(木)◇ナ・リーグ ドジャース―カブス(2026年8月5日 シカゴ) ドジャースの大谷翔平投手(32)が5日(日本時間6日)、敵地でのカブス戦に「1番・DH」で先発出場。カブス先発の今永昇太投手(32)と対戦した。初回の第1打席で先頭打者本塁打を放った。 初回先頭の第1打席。初球は内角高め、捕手もとれないボール球に思わず今永に笑顔を向けた大谷。1ボール2ストライクからボール球を見極めてフルカウントとなった6球目、真ん中高めの92.2マイル(約148.3キロ)の直球を振り抜いた打球はライナー性の打球だったが、右翼を守る鈴木誠也の頭を越え、右翼最前列に飛び込んだ。 打球速度は110.2マイル(177.3キロ)、打球角度は20度で、飛距離は376フィート(114.6メートル)。本塁打球はグラウンドに落ち、右翼の鈴木が拾い上げて審判へ渡した。本塁打は7月31日(同8月1日)のレッドソックス戦で放って以来、5試合ぶり。25号でブルージェイズ・岡本和真、ホワイトソックス・村上宗隆を抜いて、日本選手単独トップに立った。 先頭打者弾は今季11本目で、通算35本目。日本選手歴代最多のイチローの37本まであと2本に迫った。 今永とは過去、通算13打席の対戦があり、12打数3安打、打率.250で0本塁打、0打点で、1四球、3三振。本塁打は対戦14打席目で初アーチとなった。今季は4月26日にドジャースタジアムで対戦し、2打数2安打1四球と大谷が今永を打ち、試合も6―0で勝利している。
2026.08.06
「ユマニチュードへの道」イブ・ジネストp.53 ℚ どうしてコミュニケーションが大事なのか? 生まれてから愛情を受けられずに成長した子どもたちが、ルーマニアにいました。1989年の共産党政権崩壊後に見つかった、ある孤児院で育った子どもたちの例を紹介しましょう。 その孤児院は、60人の子どもに対し、ケアをするスタッフがひとりだけという人員配置のもとに運営されていました。生物学的にはみな正常に生まれてきた子どもたちでしたが、圧倒的な人手不足のなかで、誰かに見つめられることも、話しかけられることも、触れられることもないまま、食べ物だけが与えられる状況で子どもたちはすごしていました。 誰からも「あなたは人間ですよ」「あなたは大切な存在ですよ」と伝えることがなかった結果、子どもたちは「人間らしい」特性を失ってしまい、まるで自閉症のようにつねに身体を前後に揺らす常同運動を繰り返す子どもたちや、身体が拘縮してしまった子どもたちで、施設はあふれていました。 フランスの医師が孤児院を訪れたとき、彼らはルーマニア側から「子どもたちは全員が先天的な障碍者である」との説明を受けました。子どもたちの何人かをフランスに連れて行って脳のCTを撮ると、確かに前頭葉が非常に萎縮していました。 しかし担当した精神科医のポリス・シルルニック氏*は、「この子どもたちは、周囲から与えられる情報が極端に不足した、いわば感覚遮断状態で生育されている」「この環境がこの子たちの脳の発達を阻害してしまっている」と主張し、子どもたちをフランスの里親に出しました。 養子に迎えられた子どもたちが愛情に満ちた里親との家庭生活を送り始めて6か月後、もう一度脳のCTを撮ると、大きな変化が起きていました。脳の成長が進んで萎縮は改善しており、自閉症に似た症状も消えていました。シルルニック医師の主張が証明されたのです。*ボリス・シリュルニク(仏: Boris Cyrulnik、1937年7月26日 - )は、フランスの精神科医、精神分析学者、神経学者、動物行動学者、著作家。ボルドー出身のユダヤ系フランス人であり、ユダヤ人一斉検挙のサバイバー。児童精神医学ならびに外傷後ストレス障害の専門家として活躍する傍ら、フランス国内のみならずアフリカ諸国や東欧などで、恵まれない子供たちの支援活動にも取り組んできた。2015年10月に初来日し、立命館大学、東京国際フランス学園、日仏会館で講演を行なった。日仏会館では、ノンフィクション・ライターの最相葉月と対談した。1930年代にフランスに移民したユダヤ系の両親のもとに生まれる。父はウクライナ生まれで、抗ナチス・レジスタンス活動に関わっていた。ヴィシー政権が1942年から実施したユダヤ人一斉検挙の際に逮捕された両親は、アウシュビッツ強制収容所に送られて命を絶たれた。ちなみに、フランスでは、7万6千人のユダヤ系フランス人(そのうち、子供は1万1400人)が犠牲になった。1942年7月、逮捕される危険を察知した母親は、その前日に5歳のボリス・シリュルニクを孤児院に預ける。その後、孤児院や匿ってくれた人々の家を転々するが、1944年1月、6歳のとき、ボルドーで実施されたユダヤ人一斉検挙の際にフランスの警察に連行される。しかし、一時的に収容されたボルドーのシナゴーグから脱出し、強制収容所送りを免れる。終戦までは、ユダヤ系であることを隠すために偽名を使い、ボルドーから70キロメートルほど内陸にあるポンドラという小さな村の農場で、住み込みで働く。戦後、孤児院を転々とした末、パリで暮らす母親の妹ドラに引き取られ、高校の途中まで一緒に暮らす。11歳のとき、戦中の強烈な体験から「人間の心を理解したい」と思い立ち、精神科医になると決意し、苦学の末、パリ大学医学部に進学する。フランスでは、心理学で用いるレジリエンス(へこたれない精神)という概念を一般に紹介したことでも有名である。1980年代まで、戦時中の自身の経験を公に語ることはなかった。警察からの脱出劇を語っても周囲には信じてもらえず、生い立ちを封じ込めるようになったと、後年インタビューで語っている。1980年代に入りモーリス・パポンの裁判が行われるようになると、徐々に自身の経験を語るようになった。パポン裁判に関してシリュルニクは、「裁判には居心地の悪さもありました。裁判は罪を犯した人間を裁くものです。あの時代、罪を犯したのは(国の)システムでした。(ヴィシー政権下で)地方の役人だったパポン氏は、体制に寄り添って生きてきた。ナチスに協力する病んだフランスのシステムに絡め取られていたのです」と語っている。2007年、サルコジ大統領の要請によって発足された、ジャック・アタリを委員長とする通称「アタリ政策委員会」のメンバーに選出され、政策提言に関与する。2014年、フランス政府からレジオンドヌール勲章のオフィシエを受勲する。2015年1月に起きたシャルリー・エブド襲撃事件および11月にパリで発生したテロ事件後、フランスのテレビTV7に出演し、この実行犯の心理や社会的背景を説明し、フランス国内で大きな反響を呼ぶ。現在、執筆の傍ら、世界中を巡り、人道支援、講演、啓発活動などを行っている。虐待された「ルーマニアの孤児」
2026.08.06
大智禅師偈頌講話 沢木興道 仏成道 その4 仏成道(一)【佛成道】 歴劫操持成法身 (歴劫を操持して法身を成ず)體如明鏡浄無塵 (体は明鏡の如し浄くして塵無し)老僧用箇翳晴術 (老僧箇の翳晴の術を用いて)教儞面南看北辰 (儞をして南に面して北辰を看せしむ) そこで「体は明鏡の如し浄くして塵無し」この明鏡というのは、前からだけ見るので、裏から見たら、うつらんというような鏡ではない。四方八方玲瓏透明なる鏡である。玲瓏透明なる鏡だから、もはやこれなら前から見ても、縦横無尽透明である。体は明鏡の如し浄くして塵無し。塵無しということは、もはや煩悩の垢はない。十方から見て、もはやどこにも隙間がない。それが法身なのである。それならばこれは、大円鏡智を表現している。 仏の智慧に大円鏡智というものがある。それは「遠いところから拝んでおると立派だけれども、台所へ入って見るとさっぱりじゃ」それではどうにもならん。どこやらに「寺は本堂」までという標語があるが「台所に行ったらサッパリどうもならん。信心がさめる。本堂へ行って『なんまんなんまん』というたらいい。寺は本堂までや。台所へ行ったらもうあかん。坊んさんも生活を見たらもう一遍にどうもならん」それでは明鏡の如くではない。 ところが、歴劫操持して法身を成ず。体は明鏡の如し浄くして塵無しと。こうなれば台所へ行けば行くほど、風呂場へ行けば行くほど、雪隠へ行けば行くほど。禅寺へ行って、雪隠へ入ってはじめて本当の信心が起こる。「ウワー、きれい」昔はそうであった。今はどうか知らんが、昔は雪隠に入って恐縮しよった。雲水は大勢おるが、知らん間に掃除してある。きたないところほど掃除する。(大智禅師偈頌講話p.132-134)
2026.08.06
世の中はこんなもの(余はいかにして逆境に処するか) 日本醤油醸造株式会社々長 鈴木藤三郎(商業界,10(1),1908-07) まず生きているうちが順境 人が生まれれば、おめでとうといい、死ねばご愁傷さまという。察するところ、そのおめでとうというは、人生大順の境に入(い)りたるを祝(ことほ)ぐ言葉であって、そのご愁傷さまというのは、人生大逆の境に入(い)りたるを悲しむ言葉ではあるまいか。もし果たして、そうとすれば、人いやしくもこの世にあって、その生命をだに完(まっと)うしているうちは、まず人生の人生大順境に立てるものと観念して可(よ)いはずである。何も少しばかりの出来事に遭遇して、ヤレ逆境に陥っただの、やれ悲運に傾いただのと、大騒ぎに騒ぎまわるにも当るまいではないか。既に人生の人生大順境に立てるの幸福を有していながら、あえて騒ぎまわるというのは、まことに欲張った話である。考えても見るがいい。いかに富んだ家で生まれたおのでも、またいかに貴い家で生まれたものでも、その生まれたままでは、全く素っ裸ではないか。それが生長して、ともかくも着て食って行くというのは、実に幸福千万な次第である。 おめでたいはご愁傷さまの裏 人生をかく楽観している余には、その順逆の境あることをすら認めることが出来ない。理屈の上から言っても、そうであろう。人が生まれるのは、なるほどおめでたいには相違ないが、そのいわゆるおめでたいというところの生まれるという事実がなかったならば、したがってそのいわゆるご愁傷さまなる死ぬという事実が無くてすもう。して見れば、そのおめでとうといううちには、短かければすぐにも長くても八十年百年の後には、やがてご愁傷さまを言わなければならぬ意味を含んでいるのである。こうなってくると、順境といい、逆境というのは、果たして那辺(なへん)よりして始まるのであるか、それが解らぬ。三歳にして死ぬるはご愁傷さまだが、八十歳にして死ぬのは、かえっておめでたいおいうことが出来るならともかく、いやしくもそうで無い以上、やはり順逆の境は解らぬのである。解らぬくらいならば、むしろそういう面倒臭い区別を立てるにも当らず、順中逆あり、逆中また順ありくらいに心得ていて、ただ平々凡々に処していく方が、かえって順境逆境に迷わぬ秘訣らしい。 世俗のいわゆる順境と逆境 しかし、ここに世俗という事がある。既に、人間生存の事実をもって一大順境と認めたる上は、その後に起る現象に順とか逆とかあろう道理が無いのは前に述べたところであるが、世俗のいわゆる順境、世俗のいわゆる逆境に処する法はと問われたならば、余は以下の各項のごとく答えるものである。 雨が降れば合羽(かっぱ)を着よ およそ、世に処し、事をなして行くうちには、往々世俗のいわゆる逆境なるものに陥ることがあろう。が、それはあたかも天候にでも譬えるべきで、雨が降って困るといって嘆息していたところで始まらぬ。ふるものはふる。人力でドウともしかたは無いが、ただふられても差支え無いような防備をして、そしてやるだけやりとげるという決心が肝要である。世俗のいわゆる逆境なるものに処するの途(みち)は、降雨に際して猶予なく合羽を着るの心がけもその一つであって、もしこの心がけがなく、雨が降るからとて、いたずらに逡巡して日をかさねたならば、ついに無為におわるの羽目に陥らねばならないのである。 解らぬ事は役に立たぬ 時運の趨勢にかられて、人生もまた日に複雑に赴くとは、よく人の口にするところであるが、人生というものは、古今を通じて一理であって、古え単調に解釈できたごとく、今もなお単調に解釈のできるものである。人生の理は一つである。しかるに、近来その理のもとに屈なるものをくっつけて、理屈と称し何事にも妙にやかましく解釈するようになって、ややもすれば万有不可解などと勿体ぶって華厳行きをやらかす徒などを出すに至ったのである。元来、世の中には、解らぬと決まったようなものを、強いて解らせたところで、格別役に立ちそうも無い。一例を挙げてみれば、地球から月までどれだけの里程があろうと、懸命研究の結果、万一それが解ったとして何の役に立つか。こんなことは、まあそれぞれの専門家にまかせておき、お互いにはただ手近の日常生活のことなどについて一応の知識をもっておれば沢山である。 人生は極めて単純なり 日常生活の事といえば、われわれが今食べている飯はドウして出来るものであるかというくらいの程度であって、それはたいていの人には解釈が出来る。すなわち、その米は、前年農業者が作ってくれたもので、それが商人の手を経て、われわれの家に入り、またその薪(まき)は、どこの山あたりから出て、ドウしてわれわれの手に渡ってきたものであるかと、チャンと解る。こういうふうに解りやすいことが、かえって人生とは密接の関係を保ち、かつ有用であるものであるから、その世俗のいわゆる順境であろうと、逆境であろうと、それにうまく処して行くのには、努めて人生を単調に解釈して、解らぬことは解らぬと締め、それよりもまず解りやすいことを解らせるに限るのである。 事業家は案外皆凡人 また、世の中では、少し異なった事、大きい事をやった人間に対して、すぐ超凡だとか、豪傑だとかの敬語を呈する悪い癖がある。あの事業は、あの人にして始めて出来る。彼は超凡の才があったから、かのごとき偉業を遂げたとか、かのごとき鴻業(こうぎょう)をなしたとか、その人に限ってその事業が出来るようにいいなすものであるから、自ら凡人を持っており、不才を許している青年は、自分には先天的偉業、鴻業は奏し得られぬかのごとく締めてしまうのである。こういうふうに吹き込む先輩も先輩であるが、後進たる青年も今少しく奮発するがよろしい。事業は、なるほど到底凡人に金で及ばぬように見えるような立派な事業であるが、その事業を為した人物には、案外凡人が多い。偉業、鴻業をなしながらとて、その人は必ずしも超凡奇才を有せる人、非常に豪傑とのみは限らぬ。 秀吉もまた凡人の一人 余をもって観れば、かの一布衣(ほい)より起って終に天下を取り、豪傑中の豪傑、天才中の天才として、古今人の渇仰(かつごう)止まない豊臣秀吉は、やはり一個の凡人たるに過ぎなかったものである。事蹟の上から論ずれば、無論古今東西を空しうした大豪傑大天才とも見えるが、静かにその経歴を考えて見ると、その始め草履つかみの卑賤より、だんだん拾うがごとくに経上って来て、ついに天下を取るに至ったのであって、何もいきなり天下を取ったのではない。極端にいえば、むしろ凡人以下の仕事をしながら、ただ根気よく、至って平凡に歩み来った一人である。秀吉にして既にしかりであるから、余は推して知るべく、真に超凡の人物といったらならば、古今指を屈するにも足るまいと思う。 蟻塔は矢張り蟻が作る 諸君、試みに蟻の塔の大(おおい)なるを見て、その塔を作った蟻の小ささを考えてみたまえ。かの蟻にして、ドウしてかの塔を作り得たか。ほとんど想像も及ばぬであろう。しかし、やはり自分で拵(こしら)えたものに相違ない。世の偉業といい、鴻業と称せられるもの、また畢竟(ひっきょう)蟻の塔のようなものではあるまいか。その業が偉なりとて、 鴻(こう)なりとて、これを建てた人間が、必ずしも非常な豪傑であり、また超凡の才子であるとは限らぬ。ただ根気よく、飽くことなく、倦(う)むことなく、その業に熱中し、たどるべき途(みち)を誤らず踏んで来た結果にほかならないのである。世人は何と言おうと、余は古来東西の事蹟に鑑(かんが)み、ドウもさように違いないと固く信じて疑わないのあるから、世の自ら凡人を持っており、不才と許している青年に対して、徒(いたず)らに先人の偉業、鴻業にくらまさるることなく、一と奮発せんことを望んで止まないのである。しかして、これがまた逆境に処する一要訣であるのだ。 世に称せらるる成功者 今日、よく成功者というような文字が世間に流行するが、その意味は甚だ当を得ていない。ただ現在の状態を見て、少しく地位あり金があれば、すぐに捧げるに成功者の讃辞をもってするというふうで、その地位を得るに至った経路や、その金を拵えた手段など多く問うところで無いから、たまたまそのいわゆる成功者なるものがあって、経歴に如何はしい跡を止めていれば、己れもまた権道を採って、そのひそみにならおうとような間違った考えを起こすものがある。権道はどこまでも権道で、とにかく岐路や凸凹の多いのを免れぬ。したがって、世俗のいわゆる逆境に陥るべき原因を繁くするのであって、到底正道の平坦にして岐路少なきにしかない。真正の意義における成功をこいねがう世の青年、望むらくは、かの形の上のみなる成功者をうらやむことを止め、正道をたどって、おもむろに成業を期せんことを。かくて、始めて世俗のいわゆる逆境に陥ることも少なきを得るのである。依るに権道をもってして、ついに逆境に陥るがごときは、それを自業自得といわなければならぬ。 寝勘弁などいう事無し かつて十三年の苦心に成った建物と機械とを、一朝(ちょう)にして烏有(うゆう)に帰した惨憺たる歴史を有する余に、もしその当時の心事を問はば、なるほど辛かったには辛かったが、辛いとて、あせったからとて追いつかぬとの観念を起こし、人生もここまで落ちればモウ落ち行く底が無いから、これからはただ昇るほかは無い。そうなると、自分は今やまさに幸運に向かって首途(かどで)の境遇にあるものだと締めたので、気も清々しく、一層の努力をもって事をやろうとの決心が出た。爾来(じらい)、余はいたずらに過去の出来事を追想するような真似を止めて、ただ全精力を尽して現在に処して行くに決めた。かく悟りを開いてみれば、世の中に考え事というものは無く、寝てはすぐ眠り、目覚むる片時も働かずにおられ無いというふうに習慣が出来て、ついぞ不快を感ずる事が無い尾。世の人がよく寝勘弁などというが、それはつまり諦めの悪い人間のたわごとに過ぎないのであると信じておる。ついでにいうが、余は深く二宮尊徳翁の報徳の教えに感化を受けたもの、これがまた、余をして今日のごとくしかく無我に働かしむるに、あずかっておおいに力あると。
2026.08.06
齋藤高行先生事歴(漢字を新漢字とし、旧かなづかいを改め、一部かな・語釈等を施し読みやすくした) 一、生立(おいたち) 齋藤高行、字(あざな)は伯順、通称は久米之助、齋藤完高の長子として文政二年十月二十二日中村城下に生れた。 祖父は嘉隆と言い、相馬三代に奉仕して忠勤の士と称せられたばかりでなく、児孫の訓育にも意を用い、一門の学徳衆に勝(すぐ)れして、一藩の亀鑑(きかん:模範)とさえ噂(うわさ)された。 即ち、長子完高は博覧強記、学徳兼備、今孔子の評があった程で、その著「奥相志」及び「相馬衆臣系譜」二百数十巻は公務の余暇になったものであるが、今に至るまで世人の驚嘆し尊重する所であり、次子高慶は幼時既に衆童に超え、長じて富田家を起し、二宮尊徳の門に入り、遂にその高足(こうそく:門弟の中で特に優秀な者)となって相馬仕法を発業した。 高行もまた、よくこの一族の気風を体し、夙に(つとに:ずっと以前から)剛邁(ごうまい:気性が強く人よりすぐれていること)沈毅(ちんき:落ち着いて物に動じないこと)、文芸を好み、卓識をもって知られ、天保六年九月、年十七歳にして諸士系譜助調を命ぜられ、系図百余巻を完成した。藩主充胤公、その才を嘉し、これを抜擢して江戸留守書役に任じ、書道を攻究せしめた。 天保十一年、高行すなわち坂川平学(芝泉堂晹谷)の門に入り、日夜寝食を忘れて勉学すること数年、ついに斯道(しどう:この道)の蘊奥(うんのう:奥義)を極め、溝口流書法伝、脇本氏書法伝を受け、墻泉堂晹鶯と号するに至った。藩主深くこれを称したという。 二、二宮入門 これよりさき、叔父富田高慶相馬藩復興の志に燃え、二宮尊徳の門をたたき、営意[原文ノママ]黽勉(びんべん:努め励む)、業おおいに進みたるも、たまたま病に臥(ふ)したので、高行行きてこれをみとり、初めて二宮尊徳の謦咳(せいがい:尊敬する人のお話)に接し、その大徳を仰ぎ慨然として、報徳に入る志を立てた。 既にして、相馬に仕法発業の事決し、高慶、尊徳に代って帰国し、これを実施する事になった。 然るに尊徳の仕法雛形の創作はいまだ完成しない。 高慶の不在中誰かこれに当るものが必要である。ここにおいて尊徳は、書道研修中の高行を招こうとし、その旨を告げて相馬侯に依頼した。 相馬侯においても、このたび大業を発して仕法を講ずるに際し、高慶を助くるものの必要を感じ、ここに高行をして尊徳の門に入らしめた。 時に弘化二年九月二十二日である。 それ以来七年の間、高行は江戸又は桜町において、鋭意尊徳の仕法発業に従事し、入りてはその述作に参じ、出でては村邑(そんゆう)撫育(ぶいく: 大切に 育てる)の実務に服し、嘉永四年十一月老母体面の故をもって帰国した。かくて高慶の指揮を受け相馬の仕法に努力することとなったので、相馬藩はこれを重用しようとしたが、高行は固辞して応じなかった。 三、行績 相馬の仕法は着々と進行した。 しかるに安政三年尊徳は今市に歿(ぼっ)した。 尊徳の逝去後、今市の仕法用務中には高慶の手を要するもの多く、高慶は従来の如く相馬の仕法に専念することが出来ない。 すなわち尊徳の嗣子尊行は高行を高慶の代人として相馬の仕法にあずからせることとした。 よって相馬の家老熊川兵庫は藩主の命により、高行を仕法頭取、奉行格とし食録五十石を給しようとしたが、これまた高行は固く辞して受けない。 やむをえず職録が見合わせ、依然高慶の代理として仕法用務を統(す)ぶることを命じ、入用として年々五十俵を与えた。 高行はこの中より年々十俵の飯米と一両二分の雑用を頂戴し、残り全部は、仕法種金としてこれを推譲したので、ここに高行の特別推譲金が出来た。 これによって安政四年より明治三年まで貸し付けた総額は千百六十八両余の巨額に達した。 安政四年、相馬侯が高行を重用せんとした時、高行は病と称して出仕しない。高慶は留守である。 伊東発身、静慮庵慈隆等こもごも懇談したが頑として応じない。 家老熊川兵庫も落胆の余り「君得て臣とする能(あた)はずとはこの男子の事にこれあり候かなと歎息つかまつり候」と今市に訴え、慈隆もまた「流俗に沈溺せず、万牛牽かずの節操」と感嘆したということである。高行の平素極めて寡言であるが、その所信を枉(ま)げざること、かくの如くであった。 爾来、明治維新に至るまで仕法の実務を統(す)べ、維新後は相馬の興復局総裁に任じられ、少参事に叙せられたが、これも受けず、ただその格をもって勤務し事業を継続した。 当時相馬の仕法は一百余か村に及び、殊に戦乱後のため、その実務は容易なことではなかった。 高行はこれを双肩に担って活躍し、ますます拡張せんとしたが、廃藩置県は中村藩の事業を磐前県に引きつぎ、仕法任務もここに終結した。 それで上京してその旨を旧主に報告した。 時に西郷参議、伊地知左議院長等二宮仕法を鹿児島に施さんとしつつあったので、島津侯は親しく高行に道を聞き、かつ高行を政府の大官に挙用せんとした。 高行、逃れて国に帰り、使者後を追うもついに及ばなかったという。 四、晩年 後、高慶と興復社を創立し仕法を福島県下に施行し、推されて副社長となったが、間もなく尊徳の孫、尊親の長ずるに及んでこれに譲った。 これより退隠して世に出でず、居を中村に卜し旧興復館跡に一小屋を営み、筆をとって報徳の教えを記述し、夜をもって日に継ぎ、孜々(しし)として懈(おこた)らなかった。 晩年、中村の草屋を出で、大原村の山中に隠れ大原山人と称した。 終始、陋屋(ろうおく)、綿衣、粗食に甘んじて節を変えず、明治二十七年六月十二日七十六年の生涯を終えた。 中村町蒼龍寺東同慶寺の墓所に葬る。 高行生前自ら謚(おくりな)して無能院糞直了愚居士という。 後世、高行を富田高慶、福住正兄、岡田良一郎と併せて二宮門下の四大人と称する。 五、著書報徳外記 全篇二巻、命文、分度、盛衰、興復、勧課、挙直、開墾、治水、助貸、備荒、教化、全功、報徳の十三目二十五章からなっている。 その内容は報徳仕法の理論と方法を略叙したもので、報徳仕法の教科書として誠に恰好(かっこう)のものである。二宮先生語録 全五巻四百七十章。その立論と批判と説明とよく尊徳の口調を髣髴(ほうふつ)せしむるばかりでなく、他の関係書に見ることの出来ぬものも尠(すくな)くない。 高行は儒学に精通すると共に仏学にも深透しており、尊徳がその大見識をもって儒仏を籍(か)り、報徳の本旨を提唱する時、よくその本旨をつかんで紙上に展開する高行の手腕は実に妙を得たものである。 福住正兄の『二宮翁夜話』が世に出た時、尊徳の門下に、漢文を草し得るもののあったことを証するもよかろうとこれを公にされた由、以上の二書ともに漢文で書かれている。
2026.08.06

世界3位・張本美和がフルゲームの熱戦を制する! 最強カットマン橋本帆乃香を下し初戦突破!【卓球 WTT横浜】8/5(水) <8月4日(火)~8月9日(日)WTTチャンピオンズ横浜@横浜BUNTAI>8月5日、女子シングルス1回戦で張本美和(18=木下グループ/世界ランク3位)が橋本帆乃香(28=デンソー/同13位)をゲームカウント3-2で下し、2回戦に駒を進めた。【LIVE配信】卓球『WTTチャンピオンズ横浜2026』8月4日(火)〜9日(日)開催!日本戦全試合を独占ライブ配信世界3位で世界トップクラスの攻撃選手・張本と、世界最強カットマンと呼ばれる橋本。その2人がいきなり初戦でぶつかった。国際大会での戦績は張本の3勝1敗で、3連勝中。対する橋本は初対戦のWTTスターコンテンダーバンコク2024以来の勝利を狙った。張本はツッツキを多用し、チャンスボールをミドルを中心に攻めて11-5で先制。第2ゲームは橋本が積極果敢な攻撃を見せ、5連続得点とともに11-5で取り返す。だが2ゲーム目の最後で橋本の足がスリップし、足の治療でメディカルタイムアウトとなるもプレー再開。そこから橋本はカットの変化でミスを誘い、第3ゲームを11-9で奪取する。4ゲーム目は橋本がカットからの攻撃を決め5-1とリードするが、張本がバックサーブからのバックハンドを決めて11-9と逆転で奪う。ツッツキからのドライブでミドルを突く張本と、カットで粘る橋本。最終ゲームも4-4まで競るが、ここから張本が正確な攻撃で5連続ポイント。最後はフォアドライブで決め、熱戦にピリオドを打った。続く2回戦では、世界ランク12位の陳熠(21=中国)と対戦する。<WTTチャンピオンズ横浜 女子シングルス1回戦>張本美和 3-2 橋本帆乃香11-5/5-11/9-11/11-9/11-5
2026.08.05
百日草残照の苑になほ燃ゆ百日草 松元末則 百日草千日草も刹那かな 高橋将夫 留守の家百日草の咲きつげり 伊藤公子試歩の目途百日草へ百歩ほど 酒井秀郎供花適ふ百日草の子沢山 園田雅子 しをらしと言はれてみたき百日草 北川英子 見くびりし残暑を癒す百日草 時澤藍 千日紅粗壁の乾燥やすみ千日紅 山田六甲 絵手紙の千日紅に紅を溶く 斉藤裕子 歯一本抜かれて帰る千日紅 岩本紀子 雑貨屋の角に咲きをり千日紅 井口初江 晩節のいよいよ盛ん千日紅 蓮尾みどり長寿とは美しきこと千日紅 和田華凛
2026.08.05
トマトジュースと血糖値トマトジュースはリコピンと食物繊維の作用により、血糖値の上昇を緩やかにし、糖尿病予防の補助として活用できます。血糖値への影響トマトジュースに含まれる赤色成分のリコピンは強い抗酸化作用を持ち、インスリンの働きをサポートすることで血糖値の急上昇を抑える効果が期待されます。また、水溶性食物繊維や有機酸が糖の吸収速度を緩やかにするため、食後の血糖スパイクを抑制することが報告されています。実際に、糖尿病患者が無塩・無糖のトマトジュースを1日200ml、1年間継続して摂取した研究では血糖値の低下が確認されています 適切な摂取量とタイミング血糖値管理のためには、1日あたり200ml程度を目安に摂取するのが推奨されます。特に効果的なタイミングは朝食の30分前で、空腹時に摂取することでリコピンの吸収率が高まり、食後血糖の上昇を抑えやすくなります 製品選びのポイント無塩・無糖の100%トマトジュースを選ぶこと果糖ぶどう糖液糖などの添加物が入っていないことを確認糖質量は100mlあたり約3.3g、200mlで約6.6gと比較的低めであることを目安にする効果を高める工夫リコピンは油に溶けやすいため、オリーブオイルや乳製品と一緒に摂取すると吸収率が向上します。また、トマトジュースをスープやリゾット、ドレッシングに活用することで、毎日の食生活に無理なく取り入れられますトマトジュース 血圧トマトジュースには血圧を下げる効果が期待でき、特にリコピン、GABA、カリウムの成分が作用します。血圧を下げる成分トマトジュースには以下の成分が含まれ、血圧改善に寄与するとされています:リコピン:強い抗酸化作用があり、血管の老化を防ぎ、血管を収縮させるホルモン(アンジオテンシンII)の働きを抑制することで降圧効果が期待されます GABA(ギャバ):交感神経の働きを抑え、血管を広げる作用があり、血圧を下げる効果があります カリウム:体内の余分なナトリウムを排出し、血圧を正常に保つサポートをします効果の実証日本国内の研究では、無塩トマトジュースを1年間毎日飲んだ場合、収縮期血圧が平均約4mmHg、拡張期血圧が約2mmHg低下した報告があります海外でも、トマトエキスやリコピン摂取による血圧低下が確認されており、軽度高血圧の方に効果が期待できるとされていますまとめトマトジュースは血圧コントロールの補助として有効で、特に軽度から中等度の高血圧の方に向いています。リコピン、GABA、カリウムのトリプル効果により、毎日適量を継続して摂取することで、ゆっくりと血圧を改善する可能性があります。
2026.08.05
「ユマニチュードへの道」イブ・ジネストp.52 プロとして、どうコミュニケーションするか? 皆さんがこれから医師や看護師、介護士になって、患者の前に立つときに大事なことは何でしょう。 私がみなさんにお願いしたいのは、「相手は自分とは違う状況にある」と自覚することです。 私たちは他者と容易に関係を結ぶことができます。しかし、脆弱な状況にある人にとって、それはなかなか難しいのです。とりわけそのような人に対してみなさんがどうコミュニケーションするかによって、相手の受け取るものは大きく変わります。優しさをうまく届けられれば、相手は身体的にも精神的にも「人間として扱われている」「自分らしくあることを尊重されている」という感覚に基づく、人としての十全性が満たされ、より人間らしい暮らしを取り戻すことができます。 相手を回復へと導くカギは、みなさん自身が相手とどう絆をつくるかにかかっているのです。 私は、「優しさと愛を届けるプロフェショナル」として働いています。みなさんも同じようにプロとして、相手に「自分は大切にされているな」「自分の尊厳はこの人によって保たれているな」と感じてもらうための技術を身につけてください。 これまでの人生で十分な愛情を受け取れてこなかった人に対しても、プロフェショナルとして「あなたは人間です」「あなたは大切な存在ですよ」と伝えることで、彼ら彼女らに「自分はいま大事にされている」という気持ちを持ってもらうことは可能です。ユマニチュードとはユマニチュード(Humanitude)は、フランスの体育学教師であったイヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティが開発した認知症ケアの技法である。40年以上の実践を通じて体系化され、現在では世界13カ国以上で導入されている。日本では2012年頃から本格的に紹介され始め、2026年現在では全国の介護施設や医療機関で広く実践されている。ユマニチュードの基本理念は「あなたは人間である」というメッセージを、ケアのあらゆる場面で相手に伝え続けることにある。認知症が進行しても、人間としての尊厳は変わらない。この理念を具体的なケア技法として落とし込んだのが、4つの柱である。第1の柱:見るなぜ「見る」が重要か認知症の方は、相手が自分を見ていないと「無視されている」「存在を認められていない」と感じやすい。ケアを行う際に、作業の手元ばかり見ているスタッフは、利用者にとって「自分に関心がない人」と映る。実践のポイント正面から、水平な目線で、近い距離で、長い時間見ることが基本である。正面からのアプローチは「あなたに正直に向き合っています」というメッセージになる。上から見下ろす視線は支配を、横からの視線は無関心を意味してしまう。水平な目線は対等な関係性を示す。椅子に座っている利用者に対しては、こちらも膝を曲げるか椅子に座って同じ高さに合わせる。距離は20センチ以内が理想的である。この距離は、親密な関係にある人同士の距離であり、「あなたを大切に思っています」というメッセージとなる。第2の柱:話すオートフィードバックユマニチュードでは、ケアの最中に自分が行っていることを実況中継のように言葉にする「オートフィードバック」という技法を用いる。例えば、清拭の際に「今から温かいタオルで腕を拭きますね」「右腕を持ち上げますよ」「気持ちいいですか」と、一つひとつの動作を言葉にして伝える。認知症が進行した方でも、言葉のトーンや雰囲気は感じ取ることができる。穏やかで肯定的な言葉を繰り返すことで、ケアに対する抵抗感が軽減される。声のトーンと速度低めの落ち着いたトーンで、ゆっくりと話す。高い声や早口は、緊張感や急かされている印象を与える。沈黙の時間を恐れず、利用者が反応するまで待つことも大切である。認知症の方は情報処理に時間がかかるため、話しかけてから反応が返るまでに10秒以上かかることもある。第3の柱:触れる触れ方の原則ユマニチュードでは、触れる際に「つかまない」ことを原則としている。腕をつかんで移動させる、手首を握って体位変換するといった動作は、拘束や制圧の感覚を呼び起こす。代わりに、手のひら全体で広い面積を使って触れる。背中をさする、肩に手を置く、手を下から支えるなど、包み込むような触れ方が基本となる。触れる場所の優先順位最初に触れる場所は、腕(前腕の外側)か肩が推奨される。顔や頭、体幹部分は親密度の高い部位であるため、関係性ができてから触れるようにする。手を握る際は、上から握り込むのではなく、下から支えるように手を差し出す。利用者が自分から手を乗せてくるのを待つのが理想的である。第4の柱:立つ立位の意義人間が人間であることの身体的な象徴は二足歩行である。立つことは、血圧の安定、筋力の維持、骨密度の保持、消化機能の促進など、身体面で多くの効果がある。ユマニチュードでは、ケアの中で立位を取る時間を意識的に確保することを推奨している。目安として1日20分以上の立位時間が望ましいとされる。日常ケアでの取り入れ方トイレ介助の際に、便座から立ち上がってからすぐに座らせるのではなく、数十秒間立位を保持する。着替えの際にベッドの端に座らせるのではなく、立った状態で行う。清拭の際に立位で背中を拭く。このように、特別な時間を設けなくても、日常のケアの中で立位の時間を確保することは十分に可能である。ケアの5つのステップユマニチュードでは、すべてのケアを5つのステップで構成する。ステップ1:出会いの準備居室に入る前に、ドアを3回ノックし、3秒待つ。反応がなければもう一度ノックし、3秒待つ。これは「あなたの領域に入ることの許可を求めている」というメッセージである。ステップ2:ケアの準備居室に入ったら、まずケアの話をせず、正面から近づいて目を合わせ、名前を呼んで挨拶する。2秒以内に目が合わなければ、視線が合うまで正面に回り込む。ステップ3:知覚の連結見る・話す・触れるの3つを同時に行いながらケアを実施する。「見ているけれど話していない」「話しているけれど見ていない」という状態は避ける。ステップ4:感情の固定ケアが終わった後、「気持ちよかったですね」「一緒にできてうれしいです」など、ポジティブな感情を言葉にして共有する。認知症の方は出来事の記憶は失われても、感情の記憶は残るためである。ステップ5:再会の約束「また明日も来ますね」「また一緒にお話しましょう」と次回の約束をして離れる。この約束は、次回のケアの導入をスムーズにする効果がある。スタッフへの導入方法ユマニチュードを施設全体に導入する際は、まず2~3名のスタッフが研修を受け、その後OJTで他のスタッフに伝達していく方法が効果的である。日本ユマニチュード学会の認定研修は2日間の基礎コースから始められる。施設への出張研修も実施されている。導入後は、定期的にスタッフ同士でケアの様子を振り返る時間を設ける。ビデオ撮影による振り返りも効果的だが、利用者・家族の同意を得た上で行う必要がある。ユマニチュードの導入により、ケア拒否の場面が減少し、スタッフの心理的負担が軽減されたという報告は数多い。利用者とスタッフの双方にとって良い循環が生まれることが、この技法の大きな価値である。
2026.08.05
大智禅師偈頌講話 沢木興道 仏成道 その3 仏成道(一)【佛成道】 歴劫操持成法身 (歴劫を操持して法身を成ず)體如明鏡浄無塵 (体は明鏡の如し浄くして塵無し)老僧用箇翳晴術 (老僧箇の翳晴の術を用いて)教儞面南看北辰 (儞をして南に面して北辰を看せしむ)「歴劫を操持して法身を成ず」長い間かかって、そうして、三大無数劫の間―ちょっと一遍坐禅したらいいのではない。三大無数劫の間坐禅した。草履をまっすぐにぬいて、小便垂れかけんようにして、飯を音をささんように食って、そうして、どんな人からも、いやしいとか、下品に見えるとか、馬鹿者といわれんようにするー。 人間というものはけったいなものじゃ。人と一緒におっても、ウン、あいつはオッチョコとか、でれ助とかヒョットコ、とか、難癖をつける。それも顔を見ただけでいう。そうすると、顔つきもうっかりした顔つきはしておれん。それは難しいものだ。「娘の見合いの時だけしっかりした顔をしよう」それでは通用せん。それは年百年中しっかりしておらんならん。歴劫操持である。操持ということは操行をかたく保つ、行儀をかたく保つことである。 歴劫というのは、雪隠の中でもーだれやら「和尚のおる間は、坐禅が出来る。和尚が死んだら、おれはもう坐禅は出来んと思う」と、こういうたやつがある。和尚に義理立てというか、だまされてというか、引っ張られってというか、なんというか知らんが、「和尚がいなくなったら坐禅が出来るものか」それでは歴劫ではない。 そうすると、自分のものとして操持し、そこではじめて仏道修行が日常そのままになったのが法身である。仏道修行が日常そのままになった。つまり、慢性になったやつなら、歴劫に操持して法身を成ず、というてもいい。そうなれば、寝ても起きてもころんでも、もう間違いがない。思うことぐらいではない。分ることぐらいではない、本当に仏道修行が慢性になってしまう。つまり仏祖とぶっ続きになる。寝ても起きてもころんでも、仏祖と波長が合う。(大智禅師偈頌講話p.131-132)
2026.08.05
「大磯町史」より1 当時の大磯宿 当時、大磯宿海岸沿いは、南下町、北下町の二町で構成されていた。天保14年当時漁師家196軒を含む300軒余が軒を連ねていた。(『東海道宿村大概帳』)2 天保の飢饉時の打ちこわし「大磯宿打ちこわし」は首謀者23名を含む、参加者585名の宿民によって引き起こされた。天保14年当時の宿内人別3056人であるから、宿内の約2割が参加したことになる。 打ちこわしは、天保7年(1836)7月29日の夜8時頃から真夜中の午前1時半過ぎまで、5時間にわたって行われた。対象は穀屋で回船問屋の川崎屋孫右衛門をはじめ、米の小売業(質屋・酒屋兼業)の7軒である。これらの店と店続きの居宅を土破り、打ちこわした蔵からは、米・麦・豆などを持ちだして、店内や往来にまき散らし、酒、醤油を井戸へ投げ込んだ。3 なぜ打ちこわしが起こったのか?打ちこわしの状況は? 首謀者の一人清七の口書(くちがき:供述調書)より(町史2近世89) ちなみに清七は宿内の北組の属し、農業の傍ら旅籠(はたご)屋を営んでいた。 天保7年はまれな凶作でした。米の値段も次第に高価となり、7月18日の夜には大風雨と大時化(しけ)によって、大磯の浜には津波同様の高波が押し寄せて宿内南組の家54軒がつぶれました。その後も不漁が続き、いろんな物が高値が続き、小前の百姓は難渋しておりました。 宿内の米屋は、米を買い入れることができないからと、一斗買い求めようとしても、五合しか売ってくれず、旅籠屋を営む者にとっては、旅人の休憩や宿泊にも差し支えるようになってきました。 7月21日、南・北組の小前百姓の主だった者が寄合いし、米価が高くなり小売りの米も少ないことで困っていると宿役人に相談しよう、南組の者は北組役人へ、北組の者は南組役人へ出向くことを決めました。 北組の長七郎・伝八・卯兵衛と主だった者が南組名主勘兵衛方へ出向いて相談すると「南組役人へ北組の百姓は用事がないはずだ」と殊のほか腹を立ててののしった。 南組の主だった者は北組の年寄才三郎(大磯宿本陣)へ出向いて小前の難渋を訴え、才三郎は南組役人とも相談しようと答えたが、南組名主勘兵衛が不承知で腹を立ているから、この件は無かったよう才三郎に申し入れを行った。この後両組の寄合は行われていない。 7月27日、宿内の小売値段が一升につき148文が、46文値上されて194文にはねあがった。 穀屋孫右衛門は7月、米価が高値になる前に安く買い入れた米を持っていた。天保4年の米価高値の際に、宿の役人の取り計らいで、金一両に一斗安の米を売りだし、なおかつ50両を困窮の者へ割渡したことがある。 私(清七)は、北組長七郎へ孫右衛門は大家だから、小前の身分で掛け合っても通じないから、大勢が寄り合って打ちこわしをするよう掛け合えば直安の米を売りだすことになると相談すると、長七郎は同意した。同日(27日)長七郎は、家の前を通りかかった伝八を呼び込んで、この話をすると同意した。29日、北組百姓喜八・彦七・卯兵衛・佐次右衛門へも同様の話をすると一同同意して、29日夜、浜辺で寄り合うよう示し合わせた。 夕方7時頃、私は股引き・わらじで家名古三河屋と入った提灯を持って、長七郎らを誘って浜辺へ行きました。 南・北組の小前の者共が話を聞き伝えて、大勢の者が集まって来た。そこでこれまでの経緯や今後の掛け合いの方法を決めた。 この話し合いの最中に、彦七・佐次右衛門・弥吉・吉右衛門・平三郎・作右衛門・九兵衛・紋右衛門・要助・次兵衛・甚右衛門・平右衛門の12名は、孫右衛門と同じ町内の者であるから、孫右衛門への掛け合いは任せてくれるよう申し出た。そこで12名の後に、大勢の者が付き従って、掛け合いの様子を見守った。 孫右衛門の留守を預かっていた利右衛門は「一斗安ではなく、五升安売りの米しか売り出せない。これに不承知であれば、打ちこわしなど勝手に致すべし」と言った。この一言に、掛け合いに行った者共が孫右衛門方へ押し入り、有り合わせの棒やなどで、戸や障子その他を打ちこわした。 私は、孫右衛門が値上がり前の直安の米を持っていることから、その米を売りだされることが目的でしたが、打ちこわしが現実になり、取り鎮めようとしましたが、大勢のことゆえ何分にも行届かず、孫右衛門方はじめ、孫七・喜右衛門・喜四郎・新八・徳蔵・権兵衛方までも打ちこわすことになってしまいました。なぜ、米価のことを宿役人へ相談する時、南組・北組と係り違いに、北組の者が南組名主勘兵衛方へ出向いたのか?元来。宿内米価の値段の取り決めには、南組名主勘兵衛が重要な役割を担っていた。しかし南組の者は、常日頃から勘兵衛の勢いを恐れ、勘兵衛への掛け合いを譲り合い、先だって相談しようという者がいない。また組下の小前ばかりで相談にいっても勘兵衛は取り上げてくれるか、取り上げてもなおざりにされると考えられる。宿内は南北の両組に分かれているが、一宿一体である。入れ替わりに出向いて相談すれば、相談も行届き、互いの様子も知れてよいということで、それぞれ組違いに相談に出かけました。なぜ、米価のことを宿役人へ相談する時、南組・北組と係り違いに、北組の者が南組名主勘兵衛方へ出向いたのか?元来。宿内米価の値段の取り決めには、南組名主勘兵衛が重要な役割を担っていた。しかし南組の者は、常日頃から勘兵衛の勢いを恐れ、勘兵衛への掛け合いを譲り合い、先だって相談しようという者がいない。また組下の小前ばかりで相談にいっても勘兵衛は取り上げてくれるか、取り上げてもなおざりにされると考えられる。宿内は南北の両組に分かれているが、一宿一体である。入れ替わりに出向いて相談すれば、相談も行届き、互いの様子も知れてよいということで、それぞれ組違いに相談に出かけました。穀物商孫右衛門に対する一斗安の掛け合いは、ちょうど江戸表へ他出していた孫右衛門の留守を預かる親類の利右衛門と孫右衛門の世話で商売する孫左衛門と、大磯北町の彦七・佐次右衛門・弥吉・吉右衛門・平三郎・作右衛門・九兵衛・紋右衛門・要助・次兵衛・甚右衛門・平右衛門の12人の掛け合い人との間で行われた。 利右衛門と孫左衛門は、孫右衛門が留守であることを理由に、最初二、三升安売りを主張し、掛け合い人との間の交渉はなかなか進まなかった。米の一斗売りを要求し譲らない掛け合い人たちに対し、利右衛門は五升安売りを最終回答として提示する。そしてこれが聞き入れないなら「打ちこわしも勝手しだい」言い放てしまった。 この言葉に掛け合いの様子を見に集まった大は激高した。北組百姓の久内、亀五郎、南組百姓の七左衛門、金次郎、久兵衛、定七の6名が、最初に孫右衛門の戸・障子を打ちこわした者たちである。この行動をきっかけにおよそ600人の宿民が、次々と孫七、喜右衛門、喜四郎、新七、徳蔵、権兵衛の居宅、土蔵、、その他を打ちこわして行く。 打ちこわしの被害者は、宿内きっての穀屋で、回船問屋でもあった川崎屋孫右衛門、穀物小売商の喜右衛門、穀物小売と質屋を営む喜四郎と近江屋新七、穀物と酒小売りを営む徳蔵、酒・醤油・味噌・油の小売りと質屋を営む油屋権兵衛である。 清七の口書によると、油屋権兵衛は前々より奇特の者で、荒波の被害の時は被害にあった者たちへ施しをした者であるが、一夜に二度も打ちこわしされた。清七自身は打ちこわしに参加していないし、騒動を取り鎮めようとしたが、何分大勢の事ゆえ、行届かなかったと供述している。 この七軒の持ち高は、権兵衛が31石、孫右衛門が23石二斗六升、徳蔵が22石4斗、喜四郎が12石2斗4升、新七が4石9斗3升、喜右衛門が4石8斗6升、孫七が3石4斗8升であった。 孫右衛門の被害の状況 川崎屋孫右衛門の穀屋としての営業は大規模なものであった。川崎屋は、代々北下町の大泊(おおとまり)海岸近くに居宅を構え、回船問屋として近在から買い入れた米穀類や塩を中心に、米・大麦・大豆・小豆・小麦・塩・酒など手広く取り扱っていた。 打ちこわされた場所は、下町の通りに面した間口五間奥行三軒の土蔵造の店、間口五軒奥行七間半の土蔵続きの居宅、間口三間奥行三間の塩置き場、間口三間半奥行二間半の別座敷であった。 米穀類は米50俵、大豆211俵、小豆3俵、大麦69俵、舂麦27俵のすべて、小麦560俵、塩166俵が俵を切り崩されて蔵内や往来へまき散らされた。 無事に残った穀類は米30俵、もち米2俵、小麦457俵、塩4俵に過ぎなかった。(二宮尊徳全集20) 孫右衛門の口述によると、米穀類の大半は、下総国花輪村高梨兵左衛門や、近在近郷の者たちからの預かり分であると主張した。たとえば米80俵のうち、8俵は板戸村(伊勢原市)甚兵衛よりの預かり分であり、大豆211俵のうち15俵は十日市場村(秦野市)与五左衛門、194俵は浦賀(三浦氏)与右衛門へ既に売渡が決まっていた分で、孫右衛門所持の大豆はわずか2俵にしか過ぎなかった。小麦1017俵のうち過半の550俵は下総国花輪村高梨兵左衛門よりの預かり分、119俵は高麗寺村平右衛門よりの預かり分、9俵は粕屋村(伊勢原市)源右衛門よりの預かり分、4俵は白根村(伊勢原市)弥吉よりの預かり分であった。(二宮尊徳全集20) 高梨兵左衛門は「野田の高梨」といわれ、後のキッコーマンであり、醤油醸造家の筆頭であった。 野田における醤油醸造用の小麦として、最も多く使われていたのが「相州小麦」であり、相模川から西の箱根・小田原付近までの小麦が最良とされていた。5 処罰 大磯宿を所轄していたのは韮山(静岡県韮山)の江川代官だった。 江川は、打ちこわし発生後、手付の斉藤勘兵衛らを差し向けて、首謀者、被害者、組役人、参加者、宿役人の順で取り調べを開始させた。関係者を韮山代官所の牢に入獄させたのは事件発生後20日ほどを経た8月20日である。関係者は宿預かり、または手鎖宿預かりとなって口書(調書)を提出し、双方の関係者全員が韮山に送られ、入牢を申付けられた。 2年後の天保9年(1838)5月12日、打ちこわした者たちと、打ちこわしを未然に防ぐことができなかった村役人及び宿役人の罪科が確定し、刑の執行が行われた。 打ちこわした側の刑罰は、打ちこわし頭取の清七に重追放(江戸10里四方及び相模国に立ち入ることを禁止、清七の田畑・家屋敷は没収)。清七の発意に同意した首謀者に数えられる卯兵衛・彦七・佐次右衛門・伝八・喜八の五名に所払(居住地への立入禁止)。孫右衛門方へ掛け合いにいった者と最初に打ちこわしを始めた弥吉・吉右衛門・作右衛門・九兵衛・紋右衛門・要助・次兵衛・甚右衛門・平右衛門・久内・亀五郎・七左衛門・金次郎・久兵衛・定七の16名に過料銭5貫文。打ちこわしに参加した563名に村高100石につき2貫文の過料銭が課せられた。 一方、打ちこわされた側の孫七・喜右衛門・喜四郎・新七・徳蔵・権兵衛・孫右衛門に、3貫文ずつの過料銭と急度叱(きっとしかり)。打ちこわしを未然に防ぐことのできなかった名主勘兵衛には過料銭5貫文。名主作右衛門・柳助、問屋久右衛門には過料銭3貫文ずつ、年寄才三郎ほか6名には急度叱り、打ちこわし人と掛け合った孫左衛門・利右衛門に急度叱の罪科が確定した。 罪科の確定は、罪に処せられる者たちが印鑑持参で韮山代官所へ出向き、罪科を記載した差紙を受け取ることで決着することになっていた。そのため村役人は名主・組頭を代表してそれぞれ1名ずる。宿役人代表2名。打ちこわし参加者563人を代表して2名、その他、弥吉・吉右衛門・作右衛門・九兵衛・紋右衛門・要助・次兵衛・甚右衛門・平右衛門・久内が韮山に出向いて罪科の申し渡しを受けた。 清七は天保7年(1836)8月20日から罪科確定の天保9年(1838)5月21日までの2年ほど入牢した。利右衛門・孫左衛門は天保7年(1836)8月20日から天保8年(1837)12月晦日までの1年6か月ほど入牢した。打ちこわし首謀者の一人長五郎は獄内で病死した。52歳であった。6 孫右衛門の入牢 孫右衛門は、打ちこわし直後の8月下旬に韮山の江川代官所に召しだしとなり、20日には取調べの上、入牢を申付けられた。被害者が入牢を命じられることは珍しい。これは代官江川太郎左衛門英龍(ひでたつ)から飢饉の時は指定の値段で米を放出するように説諭されても、半年間頑(がん)とはねつけたからだといわれている。孫右衛門が出牢したのは翌年天保8年(1837)3月29日であり、8か月近く入牢したことになる。出牢してからも宿預け(訴訟や裁判関係者を宿泊させた公事宿(くじやど)・郷宿(ごうやど)に身柄を預けること)となり、未決勾留者として預けられたのである。7 孫右衛門の引き続く不幸 9月5日、大磯宿を大火が襲う。 夜の4つ半(午後11時頃)から昼の4つ(午前10時頃)まで燃え続け、宿の家数666軒の、75%にあたる501軒が焼失し、30名もの焼死者が出た。この大火事は、北下町の半七宅が火元であった。同じ町内の孫右衛門の自宅と店も焼失した。 当時身重の妻は、孫右衛門が韮山で入牢するや心労で大病を患い、赤子を生んだものの十月十一日に亡くなった。残された赤子は、伊勢原の加藤宗兵衛家に引き取られたが、間もなく亡くなる。孫右衛門は愁嘆言語に尽しがたく、欝々茫然と打ち過ごすしかなかった。(『町史』2近世100) 孫右衛門ら関係者に判決が下ったのは天保9年(1838)5月21日で、孫右衛門は「急度叱(きっとしか)り」(江戸時代の刑罰の一種で叱責)が申し渡された。 判決が降りてようやく帰宅した孫右衛門は、居宅は打ちこわされたまま、類焼の場所は修繕の跡がなく、妻も子もいない。そのありさまに愁涙に耐えることができなかった。孫右衛門は、大磯を離れ隣の高麗寺村にある酒造蔵に移住したいと言いだして、相談を受けた親類は、祖先以来相続の家株を一度くらい障害があったからと放り出すなら、家名に傷をつけるだけでなく、第一に祖先に対して不孝にあたる、まずは一生懸命家業に励み、再び華々しき渡世となって人々を見返したらどうだと説得した。しかし、これだけ災厄が積み重なれば、家業を相続する手段もないと、大磯の店は別家の伊三郎に任せ、孫右衛門自身は高麗村山へ引っ越すことを決意する。『報徳記』の大磯宿打ちこわしの内容と『町史』の史実には大きな事実の違いがある。1 打ちこわし当日、孫右衛門は江戸にいて、打ちこわし連中と交渉にあたったのは、伊三郎ではなく、利右衛門と番頭の孫左衛門であった。連中の代表として同じ町内の彦七・佐次右衛門・弥吉・吉右衛門・平三郎・作右衛門・九兵衛・紋右衛門・要助・次兵衛・甚右衛門・平右衛門の12名があたり、一斗安を要求した。利右衛門・孫左衛門は最初2、3升安売りを主張し、場合によっては打ちこわすと脅迫する連中に対して、利右衛門は五升安売りを主張し、これが聞き入れないなら「打ちこわしも勝手にすべし」と言い放った。この言葉に久内・亀五郎・七左衛門・金次郎・久兵衛・定七の6名は有り合わせの棒や真木で孫右衛門の戸・障子を打ちこわしていって、この行動をきっかけに600人の宿民が群集心理にかられて打ちこわしをはじめた。(原因の一つとして南組の名主勘兵衛が普段から居丈高で怒りっぽく、南組の小前の百姓たちは誰も勘兵衛に交渉しようという者がなく、北組の小前の百姓が交渉に行くがなぜ北組の者が来ると勘右衛門が激高し、結局孫右衛門の店との交渉の場に名主や村役人は同席していなかった。そのため紛糾した事態を取り鎮める者がいなかったということもある。)2 伊三郎は孫右衛門の別家であり、使用人ではない。事件後、孫右衛門の打ちこわされ、焼失した家と店の管理をまかされていた。事件後、事情を報徳関係者に語ったのが伊三郎で、打ちこわし当日の番頭で当日の交渉にあたったと誤り伝わったのではないか。3 『報徳記』では、孫右衛門は度重なる災難に宿民に復讐を誓い、牢獄内でわめきちらし、3年にわたって入牢したとあるが、判決が下った天保6年5月22日(事件は天保7年7月29日)には叱責(急度叱り)されて帰宅している。4 孫右衛門は帰宅して打ちこわされ更に火災にあった店と妻子を失った悲しみに隣村に引っ越そうと考えるが、親戚一同に先祖代々の家株を盛り返して打ちこわした宿民を見返すべきだと説得される。『報徳記』の記述は、伝聞もあり事件が非常に単純化されて、聴きやすいように編集されているようである。これは『報徳記』の高慶が尊徳に師事する以前の他の事案にも共通するようで、高慶自身がこれらは伝聞であり、信頼できるかわからないと記述しているとおりである。これらを史実と違うからといって、『報徳記』を一概に史料的価値がないと切り捨てる向きもあるが、第一次史料と第二次史料とを混淆したもので、『報徳記』の史的・思想的価値を損なうものではない。
2026.08.05
66報徳外記第二十五 報徳 全功その2(現代語訳)私の道もし行われれば、日本や日本以外の廃地を開墾し、無尽の穀物を生産し、毎年これを巨大な船舶に積み、これを窮迫の地に施すならば、なんと痛快なことであろうか。日本以外の廃地を開墾し、無尽の穀物を生産するとはどういうことか。幕府は公村八百万石、租税収入十年の通計を以て、国用の額となし、その余は荒地はいうまでも無く、原野、廃れた川、湖、沼、砂地に至るまで、地の利についてき、これを開墾し、その出産した穀物を集めて、分度外の資財とする。これは国が興った以来の廃地であって、変貌して出産するところは、すべて公村の分度外に帰する。そうであれば永く異国の民を恵む資財としてもまた差支えはない。ただしその異国に施すのに道がある。天地が開けて万国となる。小大同じくないといっても、おのおの変えることのできない命分が有って存する。その命にしたがい、その分を守って、分内を倹約して国内を恵み、分外を譲って海外に及ぼすところである理屈を、よくよく繰り返し告諭すべきである。そうでなければ異国の求めは窮まりが無く、諸外国の望みを達することはできない。だから始めに施す時にあたって、明確に厳しく諭し、その胆をつぶして後に、これを与えるべきである。いくつかの異国によろしくこれを分け与えればよい。分け与える数が無くなれば、よろしく毎年交互にこれを与えるべきである。このようであれば外国が願い求める心が消え、報恩の心が興り、天朝に服従する、なお東隣りに柿を施して西隣りは徳に報い、二家とも調和して永安を得るようなものである。いやしくも幕府が分内を譲って恵沢を国内に施し、分外を譲って海外に恩を推譲する。実に天下の長計であって、仁政はこれより大きいものはない。ああ、諸藩は困窮を免れて、守備はおさまり、兵気は振るい、倉庫は穀物で満ち、仁沢が国内にあまねく、施して海外に及ぶならば、すなわち赫々(かくかく)たる神州は、万国と対峙し、終古富士山の安きを得るであろう。これが報徳の及ぶ所であり、我が道の終わりである。(終わり)我が道若し行はるるを得ば、則ち神州土外の廃地を墾し、無尽の粟を産し年に之を巨艦に積み、以て諸を窮迫の地に施さば、則ち痛快言ふべからざるなり。何をか土外の廃地を墾し、無尽の粟を産すと謂ふ。幕府は公邑八百万石、租入十年の通を以て、国用の額と為し、其の余は荒蕪は論ずる無く、原埜廃河湖沼沙洲に至るまで、地の利に就き、以て之を墾辟し、其の産粟を集め、以て度外の財と為す。是れ国初以来の廃蕪にして、変じて以て産する所、尽く公邑の度外に帰す。然らば則ち永く撫蕃の資と為すも亦た何か有らん。但し其の之を施すや道有り。天地開けて万国と為る。小大同じからざる有りと雖も、而も各々不易の命分有りて存す。其の命に率ひ、其の分を守り、分内を倹して以て海内を撫し分外を譲りて海外に及ぼす所以の理、宜しく曲折反復告諭すべし。然らざれば則ち彼の求め窮まり無くして、諸蕃の非望塞ぐ可からず。故に始施の時に方り、明確に厳愉し、其の膽を奪って後、焉れを与ふべし。数蕃宜しく之を頒つべく、頒つべきの数無きに至れば、則ち宜しく歳を逐ひて更互に之を与ふべきなり。此の如くんば則ち外蕃顗覦の念銷じ、報恩の心興り、天朝に賓服する、猶ほ東隣柿を施して西隣徳に報ひ、二家輯穆以て永安を得るが如きなり。抑も幕府分内を譲つて以て沢を海内に施し、分外を譲って以て海外に恩を推す。実に天下の長計にして、仁政焉れより大なるは莫し。嗚呼、侯伯窮を免れ、守備脩まり、兵気振るひ、倉廩満ち、仁沢海内に洽く、施して海外に及ばば、則ち赫々たる神州、万国と峙し、終古富嶽の安きを得べし。是れ報徳の及ぶ所、我が道の終はりなり。
2026.08.05
「ユマニチュードへの道」イブ・ジネスト p.50 あるとき、入居して1年以上ものあいだ言葉を発さず、誰ともコミュニケーションをとらない女性に会ってほしいと、ケアに呼ばれました。 私はどんな状況である人に対しても、必ず「見る」「話す」「触れる」というユマニチュードの基本の柱を用いて、コミュニケーションを試みます。 数秒の時間を要しましたが、私が顔を近づけ視線をつかみにいくと目が合って、アイコンタクトが成立しました。彼女の脳にスイッチが入った瞬間です。優しくゆっくり触れ、近距離で目を合わせながら話しかけると、彼女が声を発しました。1年以上、誰も聞けていなかった声です。 そこで私は彼女の手をとり、私に触れてもらいました。すると彼女は話しはじめました。そして、彼女は私の頬にふわりとキスをしたのです。 この女性に別れを告げて部屋を出ると、驚く光景が目の前にありました。車いすに乗ったたくさんの方々が私を待っていました。みなさんが私に向かって手を伸ばし、「ハグをしたい」「触れたい」と並んでいたのです。 確かに、触れられるのが得意でないという方もいらっしゃるでしょう。ただ、正しい触れ方をされれば、人は心地よさを感じます。人間として、そう生まれついているからです。 欧米だけでなく、これまでに訪れた中国や韓国、タイ、シンガポールなどアジアの国々も含め、どの国の患者さんも、みなさんまったく同じ反応をします。人間として誰もが、「触れる」喜びと、それによって伝わる愛と優しさを本能的に知っているのです。 相手に自分の顔を触れてもらう行為は、動物行動学的には「私はあなたにとって敵ではないですよ」というメッセージを意味します。サルの世界では、喧嘩で負けたサルは、相手の手をとって自分の顔に触れさせます。サルの手の爪は鋭いので、相手は自分の目を潰すこともできる状態とするのです。そうすることで負けた側は降伏を伝え、自分に敵意がないことを示します。 相手に私の顔を触ってもらうことは「私はあなたのもとにいますよ」「攻撃していませんよ」と、優しさと愛を届ける霊長類としてのテクニックなのです。
2026.08.04
大智禅師偈頌講話 沢木興道 仏成道 その2 行き着くところまで行き着いて見るとおもしろい。釈迦は、「ああ奇なるかな、奇なるかな、吾れと大地と有情無情同時に成道、草木国土悉皆成仏」スポッともう晴れやかになった。いままではくよくよしておった。だがこの悪魔を克服して見れば、ああ奇なるかな、奇なるかな、吾れと大地と有情無情同時に成道、迷わすものがいろいろあったが、もう迷わすものはなんにもない。一切の山川草木も、有情も非情も同時に成道、みなことごとく道である。これがすなわち仏成道である。 いままではみな悪魔であり、敵であった。周囲界隈がうらめしいものであった。ところが気づいてみれば周囲界隈がみな宝の山である。迷いの衆生は一人もおらん。世界がころっと変わる。世界は変わるものでらう。形が変わるばかりではない。考え方も変わる。だから道を成就するということは世界が変わることである。いままでは自己を冒涜しておった。「おれみたいなものはつまらない。ハハア、こんなことになってしまってはなんにもなりません」こんなことではどうしようか知らんと思っておった。ところが、それがころっと変わった。 お釈迦さんは晴れやかになった。いままでは長い間悩んでいた。向こう向いていて、何か持ち帰るものがあると思っておった。だが、持ち帰るものがあるのではない。自分そのものが本当にこれ目的物であった。そうして、見渡せば、奇なるかな、奇なるかな、吾れと大地と有情無情同時に成道、草木国土悉皆成仏。世界中ことごとくこれ仏道成就である。それを時間に表現されたものが三祇百大劫ともいうものである。 これを、三大阿僧祇劫ともいう。阿僧という阿という字は、いつまでも無である。だから、無数劫。一劫とは、四十里四方の石を、天人が三年に一回やってきて羽衣で一遍シュッとこすって、その石がなくなってしまうまでの時間をいうんだから、ずいぶん長い時間である。その長い時間が無数である。その長い時間が無数である。その無数を三つ合わす、それが三大阿僧祇劫。こんなことをいったん風呂敷をひろげるように、いろいろな表現法でいうておると、非常にたくさんな時間がかかる。とにかく、本文に入る。(大智禅師偈頌講話p.131-132)
2026.08.04
「富田高慶日記抜粋 (表紙の裏) 覚一 金一七五両為替金手形。 右は先生より受取阿部氏方に預け帰国の上会所(役所)へ差出受取申すべき事。一 一村中百姓給人入交り居り候へば定めて世法これ有るべく、区別故障もこれ有り哉。御仕法の義は廃を挙げ開闢の古を思ひ一円に起すの法なれば、一村中いかようの面々入交りありとも、皆平等に仕法取扱うべし。若し村中平等にては迷惑の筋聊にてもこれ有るは此の村は先ず差し置べし。上の威厳を以て令を下さば随ふべけれども其の令其の好む所に反するなれば必ず手を引き見合すべし。青田を威を以て赤くせんとする是れ成らざる事なり。(現代語訳)一村のうち百姓や給金の人が入り交っていればきっと世法があろう、区別や故障もあろう。御仕法の意義は廃を挙げて開びゃくの古えを思って一円に起す法であるから、一村のうちどのような面々が入り交っていても、皆平等に仕法を取り扱わなければならない。もし村中が平等に取り扱っては迷惑というのが少しでもあるようなら、この村はまず差し置くべきである。上の威厳で命令を下すならば随うようだけれども、その命令はその好む所に反するから必ず手を引いて見合すことになるであろう。青田を威令で赤くしようとしてもこれは成らない事である。一 両村趣法相初め候には其の発返金其の国より出せば上下の人情穏かならず、殊に成就不成就も計り難し。依て当方より年々村方積立候米金縄代金だけ倍増に差し遣し村方平均外に合し、出精人入札壱番札より三番札迄金子貸付難渋相救い、其の余は鍬壱弐枚宛相施し、其の余一同へは鎌にても施し候て村方の模様を見候へば人情相進申さざる哉の事。(現代語訳)両村の仕法を初めるに当たり、その起し返す資金をその国から出させると上下の人情は穏かではない。ことに仕法が成就するかどうかも計ることが難しくなる。だから仕法役所から年々村方で積み立てた米や金、縄ないの代金を倍増にして遣わしてやって村で積み立てた平均外の資金と合わせて、仕事に精出す人のうち入札の一番札から三番札までお金を貸し付けて難渋している者を救い、そのほかは鍬一、二枚あたり施し、その他の一同には鎌でも施して村の模様を見れば人情が進んでいくのではないか一 翌年より御領中一体の平均外出候はば、其の内両村土台外計は年々当方趣法金同様取扱、一体の土台外は当方の引受にこれ無き候間、若し二ヶ村立直り候趣き聞き及び相進じ候村方もこれ有るべく、其の時は諸郷代官銘々村方入札の上一村へ趣法施し候とも、又平均外多分に無之諸郷へ及び申さず候はば、諸郷くじ取にて平均外米金引受取扱一村興し候とも、時宜に従ひ然るべきか。左候へば諸郷よりの趣法にて夫々村方立直り申すべく、両村立直り候上は是よりも他村へ推し及ぼし、詰り御領中に及び申すべき候事。(現代語訳)翌年から領中一体の平均外が出るならば、その内両村土台外ばかりは年々仕法役所の仕法金と同様に取り扱って、一体の土台外の収入については当方の引き受けていないところであるから、もし成田村・坪田村の二村が立ち直ったと聞き及んで、ぜひ自分たちの村にも仕法を実施してほしいという村もあるだろうから、その時には諸郷の代官がそれぞれに村で入札した上で一村へ仕法を施そうとも、又平均外が多くは無く諸郷へ及ぼすことができなければ、諸郷のなかでくじを行って平均外の米金の引受を取扱う一村を興そうとも、その時・場所に従って実施すればよい。そうであれば諸郷からの仕法でそれぞれの村が立ち直るであろうし、両村が立直った上はこれから他村へ推し及ぼし、つまり領中に及ぶべきである。一 百姓年来の困窮に陥り、只々不足の事のみ相計り人情卑しく相成り居り候義に付き、井水を汲むが如く無尽の米金年々差出取扱申さざるには、何共世話致し候ても人情一変致さず候に付、当方より年々繰入候義は一同の惰心相除申すべき要用の事。(現代語訳)百姓が年来の困窮に陥って、ただ不足の事ばかりで人情が卑しくなる。だから、井戸の水を汲むように無尽の米金を年々差し出し取り扱わなければ、どれほど世話しても人情が一変しない。このため当方から年々繰入れる場合は、一同の怠惰の心を除くべきことが肝要である。一 村方一同の目鑑を以て入札致し、高札の者より三番迄五両四両三両も下され切り(無償支給)に取り計らい候て村方人気の為に相成り候はば下され切りも然るべく、去り乍ら恩義になれ後々の為に如何に候はば金高を増し五年賦十年賦にも貸付候方然るべき哉。且つ壱人弐人の落札人には鍬壱枚宛か鎌壱枚宛か下され候方然るべきの事。(現代語訳)村の者の一同の目鑑(かがみ)で入札し、高札の者から三番まで五両、四両、三両も褒美として無償支給して村の気風がよくなるようであれば無償支給でもよい。しかし恩義になれて後々のためにいかがかということであれば金額を増して五年賦、十年賦で貸し付けたほうがよい。かつ一人、二人の落札した人には鍬一枚とか鎌一枚とか褒美として与えてよい。一 入札両三度も取計い候へば村方人気大抵人気の模様相分り勧善の道自然説かずして相顕れ申すべく候事。(現代語訳)入札を二、三度も行えば村の気風もたいてい分ってくる。勧善の道も自然と説かなくても顕れてくる。一 村方極難の者雨露の凌ぎも出来ざる者は、わらにても宜しき候間当座凌ぎに屋根替え又は家普請等一同の入札を以て取計い申すべき事。(現代語訳)村の極難の者で雨露の凌ぎもできない者は、ワラでもよいから当面のしのぎとして屋根を葺き替えたり、家の修繕を一同の入札をもって実施するべきである。一 格別の働きを以て事多端に取扱い候ては大望の義に付き宜しからず。唯々善人を賞し候位の事にて人々も案外の思ひをなし、あれ式の義は誰にても出来候事と申し合わせ候位にても、後々は多端にて致し方これ無き程に相なるべく候間、別段の働きこれ無き方宜し候事。(現代語訳)特別の働きで複雑で多岐に取扱っては相馬藩復興という大望のことであるから、よろしくない。ただ単に善人を賞したくらいの事では人々も報徳仕法もこんなものかと思い、あれくらいは誰にでもできるなどと言い立てることであろう。後々はいろいろと起っていたしかたが無いほどになるであろうから、特別の働きは無い方がよい。一 扶持給の義は何程にても下され候はば残らず村趣法金に差出申すべし。御領中に余り候物は唯此の扶持のみにて、是の如く余る物を取り計らい候へば村方立直り申すべし。余計程村方早く立ち直るべく候間辞するに及びまじく事。(現代語訳)扶持給(給与)は何ほどでも下されたら残らず村の仕法金に差し出すがよい。領中に余っている物はただこの扶持だけで、このように余っている物を計らうならば村は立ち直ることであろう。余分にあるほど村は早く立ち直るであろうから辞するに及ばない。一 大丈ふに出来候趣法に付き、出来ざる物と相心得見切り候て後手を下すなり。趣法を行者違なしといへば人其の手違を唱ふ。我より手違ものといつて初むれば人嘲らず。人の嘲る者を我唱る是手違これ無き証拠なり。恩義を受れば人気不穏のみならず、内外の嘲あり。夫のみならず事のもつれに至る。手を引離し一金も受ざれば悉く安し。事むつかしき事あらば直に手を引く誰も可不可を論ずる事なし。(現代語訳)立派な男であってできる仕法であるから、できないものと心得え、見切った後に手を下すのだ。仕法を行う者が間違いないといえば、人はその手違いを言い立てる。自分から手違い者といって初めれば人は嘲らない。人が嘲る者を自分から唱える、これが手違いが無い証拠である。恩義を受ければ人々の気風は不穏であるばかりでなく、内外の嘲りがある。それだけでなく事のもつれとなる。手を引き離し一金も受けなければ全て安らかだ。難しい事があればすぐに手を引けば、誰も可不可を論ずる事がない。(略)一 人富む時は内優かなる故に善心ありて恥をしる。困する時は内優かならずして善心隠れ恥を忘る。恥を忘る時は至らざる所なし。大抵此の如き人情の所外に恥を知らしむる道なし。故に入札して善を称すれば、人皆方角を知て進む。テンビンの半ばを一分よれば其の重き方にかたむくなり。一村百軒なれば五拾壱弐軒善を知れば残らず恥を知る。恥を知らざる時は年貢の無きを表に立て大声にて年貢なきを話す。米なきを罵て借る。是皆恥を知らざる故なり。恥を知れば貢のなきを恥、米なきを恥、ひそかに言て是を借る。内外表裏して是の如し。百軒残らず入札終るにあらずして人情恥を知る。村五拾軒よき者あらば四五人入札して能き方に加ふれば残り皆恥を知つて善心発るなり。(現代語訳)人は富む時は内がゆたかであるから善心があって恥を知る。困窮する時は内がゆたかでないから善心が隠れ恥を忘れる。恥を忘れる時は至らない所はない。たいていこのような人情の所で外に恥を知らしめる道がない。だから入札をして善を褒め称えれば、人は皆方角を知って進む。テンビンのなかばを一分よればその重い方に傾くものだ。一村で百軒あれば五十一、二軒善を知れば残らず恥を知る。恥を知らない時は年貢を納めていないことを表に言い立て大声で年貢がないことを話す。米がないと罵って借りる。これは皆恥を知らないからである。恥を知れば年貢を納めていないことを恥じ、米がないことを恥じ、ひそかに言ってこれを借りる。内外表裏してこのようである。百軒残らず入札が終らなくえも人情は恥を知る。村五十軒よい者があれば四、五人入札してよい方に加えるならば残りは皆恥を知って善心がおこる。一 国を治るは譲にあり。今公用を置て私国を先するは先生撰するの道にあたらず。人一盃の酒を譲る。況や国を起すをや。(現代語訳)国を治めるのは譲にある。今公用をおいて私国を先にするのは先生が選ばれる道にあたらない。人は一盃の酒を譲る。ましてや国を起すのはなおさらである一 今時始るの理はあらざるに似たれども、白米を飯にたき書を其の侭置く時は空しくなり。此の飯のみにあらず。郡中米飯を焚くの念を損ぜんか。(現代語訳)今の時に始める理はないようであるが、白米を飯にたき、書をそのまま置く時は空しくなる。この飯だけでなく、郡中米飯をたく思いを損じるであろうか一 大井村の姿、譬ば屋根屋来るを知て何の用意もせず坐して待つ。屋根屋何んぞ至らん。邑を起すそふだと見物して居る村方へ何ぞ求めて是より法を下さんや。(現代語訳)大井村の姿は、たとえば屋根屋が来るを知って何の用意もしないで坐して待っているようなものだ。屋根屋がどうしてこようか。村を起すそうだと見物している村へどうして求めてこちらから仕法を下そうか一 帰国の砌は、先づ村方は差し置き、御役々御一同に諸帳面篤と御披見の上、何ぞ差支もこれ無き哉御相談致し、文言等も御国通用のふり合を用、弥(いよいよ)相決し候所にて村方へ相発し申すべき候事。(現代語訳)帰国の際は、まず村は差しおいて、係の役員一同と諸帳面をじっくりと開いて見た上で、どのようにも差し支えが無いか相談し、文言等も御国で通用している文体を用い、いよいよ決したところで村に仕法を始めるべきである。」
2026.08.04
66報徳外記(現代語訳)第二十四 全功(下) 国を興し民を安らかにするのは大業である。どうして名誉や利益を求めるやからの企てが及ぶところであろうか。いやしくもこれに従事する者は、禄位や名利の念を絶っち、わずかに飢えや寒さを免れることを自らの俸給の分度とする者でなければ、成功を全うすることはできない。いやしくも禄位や名利の念を絶たなければ、その始めは忠実を表わして、ついに一身の栄利を求め、その実業に敗れる者は、とうとうとして皆これである。そのために大業に従事して、その成功を全うしようと願う者は、よろしく禄位を辞退して、一身に奉ずるに、木綿の衣服と飯と汁を分度となすべきである。そもそも木綿の衣服と飯と汁は、自分の身を助けるものである。その余はホコをさかしまにして自分を責めるだけである。綿は、人力をかりなければ、生ずることはできない。人もまた木綿の衣服でなければ寒気をふせぐことはできない。綿は人によって生じ、人は木綿によって活きる。実に両全というべきである。飯と汁の身命を養うことは、汁は飯を導く。また一方を廃することはできない。これが私が自らの俸給の分度とする理由である。人がいやしくも食を得なければ飢える。衣服を得なければ凍える。飢えと寒とが迫れば身命を害する。ああ、衣食は身命の係るところで、一日も離れることはできない。しかし、中を得るならば、身を保ち功を全うし、過ぎれば身をそこない事業が失敗する。これが私が飢寒を免れることを分度とする理由である。人がいやしくも飢寒を免れれば、充足する。どうして錦の衣を着て贅沢な食事を食べるなど自分の身をそこなうものを用いることをなそうか。そして名利の徒は、その志を得るに及ぶならば、俸禄と官位で自分を利し、賄賂によって飽食や暖衣ほしいままにする。道が行われているときは、害の無い者のようでも、風波が一度起これば国を興した成績は、ばくぜんとして聞こえることは無く、そしてその賄賂や贅沢は、人々が指弾するところとなる。たとえばカタツムリがはい回った跡が壁に残っているようなものだ。ここにおいて、さきの自分を利したものが、突然ホコをさかしまにして、すぐに罰を与える道具となる。自分を責むるものでなくて何であろうか。このために大業を成就しようと願う者は、木綿の衣服と飯と汁によって身を奉じ、賄賂を禁じ、請托を絶って、禄位を辞退し、高く分度の外に出て、独り代々浴したところの君恩に報いることを思念とし、勤め励んで力を尽すならば、たとえ微力であっても、その験しは必ずあらわれ、遂に衰村を興し、廃国を挙げ、その成功を全うするに至る。もしそれ半途において風波が起こり事実を曲げて悪しざまに訴える人が追い出そうとしても、また虚偽の告訴やありもしないそしりで罪におとしいられるのを免れ、かつ主君がこれを退けて功臣を廃したという悪名を免れさせる。これをこれ全功の道というのである。第二十四 全功(下) 国を興し民を安んずるは大業なり。豈に名利の徒の企て及ぶ所ならんや。苟も斯に従事する者、禄位名利の念を絶ち、僅かに饑寒を免るるを以て自俸の度と為す者に非ざるよりは、則ち其の功を全ふする能はざるなり。苟も禄位名利の念を絶たざるや、其の始め忠実を表して、遂に一身の栄利を求め、以て其の業を敗る者、滔々皆是れなり。故に大業に従事し、其の成功を全ふせんと欲する者、宜しく禄位を辞して身に奉ずるに綿衣飯汁を以て度と為すべきなり。夫れ綿衣飯汁は、吾が身を助くものなり。其の余は則ち戈を倒にして我を責むるのみ。蓋し綿の草たるや、人力を仮らざれば、則ち生ずる能はず。人も亦た綿に非ざれば則ち寒を禦ぐ能はず。綿は人に因りて生じ、人綿に因りて活く。実に両全と謂ふ可し。飯汁の身命を養ふや、汁は飯を導く。亦た以て偏廃す可からず。是れ我が自俸の度と為す所以なり。人苟も食を得ざれば則ち飢ゆ。衣を得ざれば則ち寒ゆ。飢寒迫れば則ち身命を害す。嗟呼、衣食は身命の係る所、一日も離る可からず。然りと雖も、中を得れば則ち身を保ち功を全ふし、過ぐれば則ち身を害い業を敗る。是れ我が飢寒を免るるを度と為す所以なり。人苟も飢寒を免るれば則ち足る。何ぞ錦衣玉食吾が身を害するものを用ひるを為さんや。然り而して名利の徒、その志を得るに及べば、則ち禄位を以て我を利し、賄賂を以て飽暖を逞しうす。道の行はるるに当たるや、害無き者の若しと雖も風波一度起これば則ち興国の成績、漠然聞こゆる無く、而して其の賄賂飽暖、人の弾ずる所と為る。譬へば蝸涎の壁に跡するが如し。是に於てか向の我が利する所のもの、俄然戈を倒にし、直ちに罰を加ふるの具と為る。我を責むるの非ずして何ぞ。是の故に大業を成さんと欲する者、綿衣飯汁を以て身を奉じ、賄賂を禁じ請托を絶ち、禄位を辞し、以て高く度外に出で、独り世々浴する所の君恩に奉ずるを以て念とし、俛焉以て力を尽さば、則ち縦令微力なるも、其の験必ず著れ、遂に衰邑を興し、廃国を挙げ、其の成功を全ふするに至る。若し夫れ半途にして風波起こり讒人の黜くる所と為るも、亦た武こく誣罔の冤罪を免れ、且つ君をして之をの黜くるも亦た功臣を廃するの名を免れしむ。此れを之れ全功の道と謂ふなり。
2026.08.04
2025.11.11マンゴーと糖尿病予防:最新研究が示す「低糖質より効果的」な理由2025年、科学誌「Foods」に掲載されたフロリダ州立大学の研究対象:50〜70歳の成人24名(糖尿病診断なし)期間:24週間(約6ヶ月)グループ 摂取内容 糖質量 カロリーマンゴーグループ 新鮮なマンゴー(毎日) 32g 同等低糖質バーグループ 低糖質グラノーラバー 11g 同等研究チームは以下の項目を追跡しました:血糖値(グルコース)レベルインスリン感受性体脂肪の変化マンゴーグループで確認された改善:血糖コントロールの改善食後血糖値の安定化血糖値スパイクの減少インスリン感受性の向上インスリンが効きやすい体質に膵臓への負担軽減体脂肪の減少特に内臓脂肪の減少傾向代謝的に健康な体組成へ❌ 低糖質バーグループ:同様の改善効果は確認されず統計的に有意な変化なしピッツバーグ大学医学部の内分泌学専門医、Jason Ng医師「これは、果物に自然に含まれる糖と、グラノーラバーなどに添加された糖との潜在的な効果の興味深い対比です。一部の果物には多くの食物繊維が含まれており、糖の吸収を減らすのに役立ちます。また、代謝を維持するのに役立つ抗酸化特性を持つ化合物も含まれています。」
2026.08.03

「ユマニチュードへの道」イブ・ジネストp.46 人間は、母親や周囲の人からのまなざしを受け、声をかけられ、優しく触れられることで「あなたは人間ですよ」とメッセージを受け取り、ユマニチュードに迎え入れられます。自分が人間であることをこうして自覚するのです。 そして人生を通じて、周囲から多くの視線や言葉、接触を受け、立位によって人としての尊厳や深部知覚、空間の概念などを獲得することで、自分が人間であり、社会的な存在であることを認識しつづけます。 では逆に、長いあいだ誰からも見つめられず、話しかけられることも、触れられることもなくなった人はどうなってしまいますか?孤独になる?では孤独になった人が失うのは何でしょう? 第2の誕生で得た社会性を失って、他者との絆も弱まり、人間として扱われているという感覚が薄れてしまうのです。さらに立つことができなくなって、寝たきりになってしまうと、人はその尊厳を保つことも困難になります。 これが今、病院や施設で寝たきりを強いられている多くの患者さんが経験していることです。 だからこそ、私たちがその状況を理解し、希薄になってしまった絆を積極的に結び直していく必要があります。長らく人間扱いされずに、社会性を失ってしまっている人たちが再び人間の世界に戻ってこれるように、みんさんが絆を結び直すのです。 その絆を再度結び直すための具体的な技術として、ユマニチュードでは「見る」「話す」「触れる」という人間関係を構築する柱を使います。そして、本人のアイデンティの柱として、4つ目の柱「立つ」が実現できるよう援助します。 人間の脳には、他者に出会い、関係を構築する仕組みが生物学的に備わっています。たとえ言葉による通常のコミュニケーションが不可能になっても、この4つの柱を使うことで、相手を再び私たちの世界へと迎え入れることができる。すなわち「第3の誕生」を迎えることができるのです。本田先生とユマニチュードの出合い 本田 2008年頃にユマニチュードを紹介する記事を偶然読んで興味を抱き、ずっとそのページをクリップしていたんです。2011年にジネスト先生に連絡して活動の様子を見学させていただきました。 ユマニチュードの研修にも参加して実践したところ、「着替えをする」「歯磨きをする」などのケアがとてもうまくいき、自分でも驚きました。言葉が通じなくても、ケアの経験がなくても、ユマニチュードを使うと患者さんと意思疎通ができるんです。「これはすごくいいな」と思いました。 日本に戻って周囲の看護師さんにその話をしたら、多くの方から「自分もユマニチュードを学んでみたい」と言われました。みなさん、それだけ患者さんとのコミュニケーションに困っていたのでしょう。ジネスト先生とマレスコッティ先生に相談すると来日してくださることになり、それがきっかけで日本にユマニチュードを広めていく活動が始まりました。本田 話しかけても返事のない患者さんは少なくありません。そうすると、こちらもだんだんと返事をもらわないことが普通になってきます。たとえば病室に入る際も、ノックはするけれど、患者さんの反応を待たずに扉を開けてしまうようになります。普通だったら、相手の了承を得てから入りますよね。でも、ある環境や文化、関係性のなかではそれが忘れられがちなのです。 患者さんに対して礼儀正しくありたいと心がけているつもりでも、行動は「あなたの意思を聞くつもりはありません」というメッセージを表出してしまっている。そんな関係になると患者さんはなかなか信頼してくれません。とくに、認知機能が落ちている患者さんはおびえてしまい、ケアの拒否につながることがあります。そういうことが、医療現場ではたくさんあったように思います。 ジネスト フランスの介護施設を調査したところ、医師や看護師や介護士など1000人のうち半分は患者さんの部屋に入る際にノックをせず、半分はノックをしたけれど返事を待たずに入っていたんですよ。昔は病室に扉がなかったので、ノックをする文化が根付かなかったのでしょうね。本田 ユマニチュードでは、ノックをして相手の返事を待ってから入室し、目を見て挨拶するところから始めます。それによって患者さんは「この人は自分のことを気にかけてくれているんだ」と感じ、ケアを受け入れやすくなるのです。 ジネスト ある病院では脳出血の後遺症で10年間言葉を発していない患者さんに対し、看護師が必要最低限の声かけをするのみでアイコンタクトをせずに黙々とケアを行なっていました。でも、ユマニチュードを学んだ後はコミュニケーション量が25倍になり、患者さんは見違えるほど表情が豊かになりました。そしてなんと、10年ぶりに言葉を発したのです。反応がない相手であっても、ひとりの人間として丁寧に接することが本当に大切なのです。本田 フランスでは多くの方に知られていますが、すべての病院が取り入れているわけではありません。日本ではトレーニングを受けた人は1万人を超える位だと思います。医学部や看護学部の先生も興味を持ってくれて、教育現場でも取り入れられるようになってきました。 医療者としてある程度経験を積むと、往々にして「最新の治療法やすばらしい設備を持っていても、相手が受け取ってくれないと始まらない」という壁にぶつかります。それをなんとか解決したいと悩んでいる人がたくさんいるから、ユマニチュードの技法が求められているのだと思います。本田 東京藝術大学が進めているケアとアートのプロジェクトに呼ばれてユマニチュードを紹介したところ、とても興味を持っていただけたんです。高齢者や障害のある方とともにアートを鑑賞する際にもユマニチュードは使えるのではないかとご相談いただき、ユマニチュードを川崎市民のみなさんにお伝えすることになりました。 本田 ユマニチュードはよく、「認知症患者や高齢者に対するケア」と紹介されます。それは間違ってはいませんが、正確ではないんです。ユマニチュードは人が人に何らかのサービスを提供する場面すべてに応用できる技術です。ともに良い時間を過ごし、届けたいものを受け取ってもらう技術。ですから、アート鑑賞プログラムにおいてもユマニチュードは役に立てると思いました。また、「アートそのものよりも、アートを通して心が動くことが重要」という話を聞き、ユマニチュードと近いものがあると感じました。ユマニチュードも、「ケアの内容よりも、ケアを通して良い関係を結ぶことが重要」と考えていますから。本田 ユマニチュードの基本、「あなたのことを大事に思っている」というメッセージを相手にどう伝えるかについてお伝えしました。そのときに必要なのは、相手を人間として尊重することです。では、人間とはどういう存在なのか。ジネスト先生はいつも、「生まれただけでは人間になれない」とお話されます。 ユマニチュードでは、生物学的な誕生を「第1の誕生」、自分は人間であると認識し社会性を身につけることを「第2の誕生」と呼んでいます。子どもは、周囲の人から人としてのまなざしを受け、声をかけられ、優しく触れられることによって、自分と社会とのつながりを感覚として受け取ります。人間として成長していくには、「あなたのことを大事に思っている」というメッセージが必要なのです。 ただ、病気になったり、歳を取って家族や友人を亡くしたりして、人との温かな接触が絶たれてしまう場合があります。こうした環境に置かれた人は、「人間として扱われている」という感覚を得づらくなり、自分の殻に閉じこもっていきがちです。話しかけられても反応しなくなったり、ケアやサービスを受け取れなくなったりする。そういうときに、誰かがもう一度意識して「見る」「話す」「触れる」をして「あなたのことを大事に思っている」というメッセージを伝えると、その人はもう一度生まれ直して、人間らしさを取り戻すことができるんです。ユマニチュードではこれを「第3の誕生」と捉え、大事にしています。 ジネスト 歳を取っても、病気になっても、私たちはひとりの人間として誰かに愛されたいと願っているのです。私が病院を訪問すると、高齢の患者さんが自らハグやキスを求めてくれることがあるんです。日本には初対面の人とハグやキスを交わす文化はありませんよね? でも、体のどこかにそういう感覚が眠っていて、心を開くと自然と求めることができるのだと思います。日本人の多くは、自分がそのように生まれついていることに気づいていないのではないでしょうか。本田 「塞ぎ込んでいる親戚やご近所さんに対しユマニチュードの技法を意識して接したら、とてもいい時間を過ごせた」という声を何度も聞いています。講座を受けたアートコミュニケータのみなさんも、ご家族に対して、またはまちのなかで実践してくれました。誰もがユマニチュードの担い手になれるのです。本田 病院や施設に限らず、地域で暮らしているけれど一人暮らしで孤独を感じていたり、家族と暮らしているけれどコミュニケーションがうまくいっていなかったりする方がいると思います。あるいは、孤独や問題を抱える人に対して何かしたいけど、どうしたらいいかわからないと思案している方もいらっしゃるかもしれませんね。そういう方々を支える“インフラ”のようにユマニチュードが浸透していくといいなと考えています。 具体例を挙げると、福岡市の福祉局内にユマニチュード推進部があり、病院や消防署、救急隊の職員がユマニチュードを学んでいます。市民やまちで働く人が基本的な振る舞いとしてユマニチュードを身につけると、社会はより安心できるものになっていくでしょう。川崎市でも、アートコミュニケータのみなさんを入り口として、取り組みが広まっていくことを願っています。
2026.08.03
4福山瀧助翁 第九章 翁の面影の感化一、仕法から仕法へ 翁は各社の巡回と年二度の小田原社及び二代先生訪問が晩年二十六年間の日課であった。 各社を巡回するのに先ずその日、参会の定日になっている社の人名簿を朗読し、その平安を祈って宿舎を出立されるのを常とした。草鞋(わらじ)、脚絆(きゃはん)に菅笠(すげがさ)、腰には墨斗(すみいれ:矢立)をさし、背には書類入の竹梱(たけこおり)を納め、大きな風呂敷包を背負い、杖をつき実に質素ないでたちであった。翁を迎えに行く人々、しばしば富山の薬行商に間違えた程であった。 道に農事をなすものに会うと必ず「ご苦労」と言葉をかけ、加入金、元恕金は高とする相撲番付を造って奨励された。 社員集まると正面に坐し、藤曲、宮原の二趣法書を朗読し講話をし、その後社員の質問に応じた。二、蓑笠で暮らせ 翁は各社を巡っては「蓑笠で暮らせ」とよく教えられた。蓑も笠も皆下を向いている。自分より不幸な人を、不運な人を見て、これに同情を寄せると共に身の幸福を感謝して暮らせというのである。周智郡宇刈村の某報徳社長の宅に今年七十になる老媼がいる。この婦人がまだ十九の頃、福山翁身辺の世話を申し上げたとて五十年の昔を思いながら、ぼつぼつと次のような事を物語った。「先生はよく『人間は蓑笠で暮らせ』と口癖のように教えられたものです。『苦しい中にも必ず有難い事があるものだ。苦しい中から有難い事を拾いながら暮らせ』と教えられた。私は八人の孫を残して長男に先立たれ本当に不運な者ですが、まあこんなに不運でも八人の孫が元気でいるから、自分も体が丈夫だからと、良い点のみを考えて感謝のうちに日を送りました。お陰様で孫も戦地でお国のために働けるようになりました」と。 この老婦人の話を聞いていると、この老人の中に福山先生のお姿が浮かんで来るような気がする。これは一例にすぎないが、この地方の人々の血液の中には先生の教えが今なお脈々として生きている。
2026.08.03
大智禅師偈頌講話 沢木興道 仏成道 その1『大智禅師偈頌』のうちに「仏成道」という詩がある。成道、この成道ということは、道を成就する。成功することをいう。よう「誰やら成功した」「いや、あの人は村一番の成功者でー」という。では成功者とは、いったいどんなことをした人のことをいうのか、「百万円金を貯めた」なんじゃ、気が小さいな。「千万円金を貯めた」気が小さすぎる。千万円や百万円で成功したというのだから、もとの生まれは貧乏で見る。 すると、成道とはいったいどういうことが成道か。わたしは、悪魔から奪われておる自己を、奪い返すことであるという。悪魔という妙なものがあおおて、この自己が奪われておる。本当の自己というものは、いったいどんなものか訳が分からんでおる。月給の多い者は月給を自分と思っておる。「先生が月給順に並びけり」という。 ある非常なシャンを嬶に貰ったやつがある。あまり別嬪を嬶に持つといかんげな。ところがその男、道を歩くのでもなんでも細君と二人、別嬪の嬶を持って連れて歩いておる。道を歩くといっても、ちょっと遠いと歩かせ申すのはまことに相済まん気がして、自動車にお乗せ申したいとなる。それで、ありもせん銭で自動車に乗って、ピュッと戻って来る。それから、重役からなんやら小言を聞くと、「はばかりながらおれはなんやら女史の婿どんじゃ。あんな獅子鼻の重役から文句を言われて、ジッとしておれん」それから飛び出してまたしてもルンペンになる。そんなことをして、いつまでたっても月給は上がらん。 それで美しい嬶を持ってみたが、それはたいがいの嬶を持った方がいい。そうすると、人間成功ということは、美しい嬶を持つことでもなければ、金を儲けることでもなければ、百まで生きることでもない。ここでわれわれは成就する、成功するということについて、よく考えなおしておかんならん。 成就せんならん。だが、何を成就するのか。それは道を成就するのである。その道とは、菩提ということである。そして、菩提心を発するということは、『大日経』には「実の如く自心を知る」とある。それでわたしは道を成就するということは、このいろいろなもののために自己が奪われておる。この奪われておる自己を奪いかえして、本当の自己になることであることであるという。(大智禅師偈頌講話p.129-131)
2026.08.03
66報徳外記(現代語訳) 第二十三 全功(中) 衰えたものを挙げ、廃れたものを興すのは、聖賢の道であり、人君の職である。このためにに身をゆだね、力を尽して、その成功するのは、家老の任務である。創業の家老が禄位を辞退して、その成功を全うするのは、前論で述べたところである。そうして国を興す大業は、どうして家老一人の力でなすことができよう。成功は必ず役人に頼る。いやしくもその人を得るならば成功し、その人でなければ失敗する。けだし末世の人心は、おうおう名誉や利益の外には出ない。その心は名誉や利益にあり、上につかえれば相手に気に入られようとこびへつらい、下にのぞめば残忍で酷薄であり、国君が是といえば、答えて是といい、家老が非といえばば、答えて非という。黙々としておもねり、諾々としてへつらう。ひどいものになっては、禄位を貪ったり賄賂を釣ったり、人民の努力で得た利益をさらって自分の一身を利し、一国の興亡や人民の安全・危険においては漠然としている。詩にいう。赤くて狐でないものはなく、黒くて烏でないものはないと。ああ、廃国の俗人は、水がどんどん流れるように皆このようなものである。もしこの輩をして大業に任じ仁政に与からしめば、則ち徒らに攫竊を資くるのみ。縦ひ偶々忠直の臣有り、いったん激しく憤って、一身を報国に忘れても、志を得て道が行われるに及ぶと、一身・一家の得失の念が生じ、高位・重禄を期待し、こびへつらい面前では服従し、逆らわずに言いなりになって、終いに厳しく税を取り立て利益を得させる、人民をそこない国を滅ぼすようになる。また雇い人と異なることはない。雇い人はもとからその者のようである、忠義であり正直な者すらなおこのようである。ともに成功を全うすることができないのはなぜであろうか。国を興すのは、もともと聖賢君子の道であって、雇い人の関与するところではないからである。人民を安らかにするのは、もともと王公・国君家老の業務であって、小臣や召使や下男の任ずるべきところではないからである。その関与すべきでないことに関与し、その任ずべきでないことに任ずる、これが大業の成功を全うすることができない理由である。そうであれば大業はついに成功できないのであろうか。そもそも国は功臣の忠義に興って、代々の臣家の無為無能で禄を受けて廃れる。今、まさにその廃れたものを挙げようと願って、地位にみあった仕事をしない者と行いを同じくする。これはなお屋根の上に坐って、その家を興そうと願うようなものである。地位にみあった仕事をしない者は屋根の上にある者である。屋根を降りなければその覆ったものを興すことはできない。禄や位を去らなければ、その廃を挙げることはできない。だから大業に任ずる者は、必ず先ず禄位を辞して、淡泊に甘んじ、節操を励まして、賞を与えるといってもこれを辞退する。朝から夜まで一生懸命に勤め、数えられないほどの苦労や困難を尽すところは、ただただ代々の賜った君恩に報いるだけである。どうしてまたた、成功した後に賞を求める心があろうか。しかし衣食が無ければ、どうしてその任務に堪えることができよう。ここにおいて家老が辞退した所の給与で荒地を開墾し、そこで産出した穀物を代々その家が受けていた俸禄に変え、職務を行う資本とする。なぜならば、一国の荒地は、数十年たたなければ、開墾しつくすことはできない。数十年開墾しなければ、荒れた田や原野のままで、開墾すれば産出した穀物も、またなお原野の草のままである。 第二十三 全功(中) 衰へたるを挙げ廃れたるを興すは、聖賢の道にして、人君の職なり。之が為に身を委ね力を尽して、以て其の功を成すは、大夫の任なり。創業の大夫禄位を辞して其の成功を全ふするは、前論備はれり。然り而して興国の大業、豈に大夫一人の得て為す所ならんや。成功は必ず胥吏田(しゅん)に頼る。苟も其の人を得れば則ち成り、其の人に非ざれば則ち敗る。蓋し叔世の人心、往々功名利禄の外に出でざるなり。其の心功名利禄に在るや、上に事へば則ち阿諛苟合、下に臨めば則ち残忍酷薄、君是と曰へば、対へて是と曰ひ、大夫非と曰はば、答へて非と曰ふ。黙々以て阿り、諾々以て諛ふ。甚だしきに至りては、則ち禄位を貪り賄賂を釣り、民の膏血を浚つて己の一身を利し、国の興亡、民の安危に於けるや漠然たり。詩に云く、赤くして狐に非ざるは莫く、黒くして烏に非ざるは莫しと。嗚呼、廃国の俗、滔々として皆是れなり。若し此の輩をして大業に任じ仁政に与からしめば、則ち徒らに攫竊を資くるのみ。縦ひ偶々忠直の臣有り、一旦憤激し、身を報国に忘るるも、志を得て道行はるるに及ぶや、身家得失の念生じ、高位重禄を覬ひ、諂諛面従、唯々諾々、終ひに附益聚斂、民を残ひ国を滅ぼすに至る。亦た庸人と以て異なる無し。庸人固より彼が如く、忠直尚ほ是くの如し。倶に成功を全ふするを得ざるは何ぞや。国を興すは、固より聖賢君子の道にして、庸人の与かる可きに非ざればなり。民を安んずるは、固より王公君大夫の業にして、小臣僕隷の任ず可きに非ざればなり。其の与かる可からざるに与かり、其の任ず可からざるに任ず、是れ大業の功を全ふする能はざる所以なり。然らば則ち大業終ひに成る可からざるか。夫れ国は功臣の忠義に興り、世臣の素餐に廃る。今将さに其の廃れたるを挙げんと欲して、尸位素餐と行を同じふす。是れ猶ほ覆屋上に坐して、其の家を興さんと欲するが如きなり。尸位素餐は屋上に在る者なり。屋を下らずんば則ち其の覆を興す可からず。素餐を去らずんば則ち其の廃を挙ぐる可からず。故に大業に任ずる者、必ず先づ禄位を辞し、澹泊に甘んじ、節操を励まし、賞有りと雖も之を辞し、其れ夙夜黽勉、千酸万辛を尽す所以のもの、惟だ惟だ世々沐する所の君恩に報ゆるのみ。豈に復た後賞を求むるの意有らんや。然りと雖も衣食無くんば、則ち何を以て其の任に堪へん。是に於て大夫辞する所の禄粟を以て荒蕪を墾き、其の産粟を与へて以て世禄に易へ、任職の資と為す。蓋し、闔国の荒蕪、数十年経るに非ざるよりは、墾尽する能はざるなり。乃ち数十年墾さざれば、則ち蕪田原野のみ。然らば則ち其の墾田産する所の粟も、亦た猶ほ原野の生草の如きなり。
2026.08.03
熊本県宇土市出身の小結・義ノ富士 地震発生時は帰省中で「死ぬかと」父経営の焼肉店の被害も明かす大相撲夏巡業が2日、岐阜市で開幕し、熊本県で最大震度7を観測した7月28日の発生時、実家がある宇土市で被災した小結・義ノ富士(25=伊勢ケ浜部屋)が被災状況を語った。 父で元競輪選手の草野信一さんが、隣接する宇城市で営む「焼肉草野」共々、大きな被害があったとし「死ぬかと思いました。突き上げるような縦揺れで久々にビビりました。実家は電気、水が止まった。壁にヒビが入って窓が取れ、はめられなくなった。トイレのタンクも飛んだ。半壊かな。墓石も倒れた。店も当分できない」と語った。 義ノ富士は復旧作業を手伝った後、巡業参加のため1日に岐阜入りした。「みんなから(活躍で)元気づけてと言われる。それしかできない。でも電気が通ってなければテレビを見てもらえない。どうすればいいのか…」。岐阜入りした1日は「ホテルの部屋で久々に安眠できました」。努めて明るく振り返ったが、状況の困難さがうかがい知れた。
2026.08.02

シークワーサーシークワーサーは血糖値の上昇を抑制する効果があります。シークワーサーに含まれるノビレチンやルテオリンなどのポリフェノールが、血糖値の上昇を抑制する働きを持っています。これらの成分は、インスリンの感受性を高め、体内での糖の代謝を促進する効果があると考えられています。研究によると、シークワーサーの果汁を継続的に摂取することで、血糖値の上昇を有意に抑制できることが示されています。ただし、シークワーサーだけに頼るのではなく、バランスの取れた食事や適度な運動が重要ですシークワーサーは血圧に良い影響を与える可能性があります。ノビレチンという成分が血圧を下げる効果があるとされています。これは血管を拡張させ、血流を改善することで血圧を低下させることが研究で示されています。 シークワーサーに含まれるビタミンCも血圧の安定化に寄与しています。 ただし、シークワーサーと血圧の薬を併用する際には、相互作用に注意が必要です。シークワサーはレモンやすだちほど酸味はありませんが、苦味があるのが特徴です。12月頃に収穫される完熟したシークワサー は、糖度が増して甘酸っぱくなるので生のまま食べる事ができますが、ノビレチンは育成と共に減少してしまうので注意が必要です。シークワサーに多く含まれるノビレチンは未熟な緑色の物に最も多く含まれ、12月頃に収穫されるシークワサーのノビレチン含有量は、8月頃の約30%になってしまいます。シークワーサーのノビレチンの含有量は同じ柑橘類のカボスの約3倍(89mg/100g)、温州みかんの約10倍(24mg/100g)も豊富に含まれており、他の食品と比較しても最も含有量が多いです。アディポネクチンは体内の脂肪細胞から分泌されるため、食品から摂取することはできません。アディポネクチンは内臓脂肪の増加によって分泌量が低下するので、日々の運動に加え、食生活を改善する必要があります。ノビレチンは、アディポネクチンの分泌を促進する働きがあるので、ダイエットだけでなく、高血糖や高血圧・肥満の方にもおすすめの栄養素です。シークワーサーは健康面だけではなく美容面にも嬉しい栄養素が豊富です。①ポリフェノール|抗がん・抗炎症作用ポリフェノールはワインやブドウなどに含まれているイメージですが、シークワーサーの皮にも多く含まれています。ポリフェノールの抗酸化作用には老化を遅らせる働きがあり、マウスの実験では抗がん剤と併用した場合、がんの増殖や転移を抑制することが確認されています。また関節炎、アレルギー症状、内臓の炎症を抑える働きがあるたんぱく質を活性化させるため、抗炎症作用も期待できるとされています。②ビタミンC・クエン酸|美肌効果ビタミンCは体内でコラーゲンを作るときに必要な栄養素であり、不足すると肌のくすみやたるみの原因になります。ビタミンCは単体では壊れやすく、水に流れ出やすい性質です。しかしシークワーサーにはヘスペリジンという、ビタミンCを助けてくれる相性の良い成分があるため、より多くを吸収できます。またクエン酸も疲労回復効果だけではなく、血流改善効果があり新陳代謝を促すため、美肌効果が期待できる栄養素です。③リモネン|精神の安定・代謝促進皮に含まれているリモネンは、虫や紫外線から身を守るための成分であるファイトケミカルの一つです。シークワーサーに含まれるリモネンの柑橘類特有の芳香成分は、気持ちを落ち着かせリラックスさせるので、精神の安定に役立ちます。またリモネンは交感神経を刺激し、血流改善されるため代謝を促進する効能があります。
2026.08.02
先日、BS時代劇で「銀二貫」シリーズを放映していて、見ていた。大阪・天満の井村屋という寒天問屋が舞台である。侍を捨て商人として生きる道を選んだ松吉は厳しい修行としつけを受けながら日々成長していく。なにわ商人の誠が心にしみる温かな人情時代劇。寒天から糸寒天や新しい小豆餡入りの和菓子を創作する苦労話なども面白かった。そんなわけで、最近、ところてんを買ってきて、よく食べる。・ところてんは主成分が食物繊維で糖質がほぼなく、血糖値をほとんど上げない食品と考えられますが、添えるタレやシロップの糖分には注意が必要です。→たれの代わりにシーカーサーをいれて、血糖値に留意している。・寒天に含まれる「アルギン酸」という物質は、血管の中の塩分を体外に排出する働きがあるため、血圧が低下します。 この作用は、野菜を食べたり、減塩したりするのと同様の効果です。 また、寒天は「食物繊維の王様」と言われるほど、食物繊維が豊富な食材寒天の3つの特徴食物繊維が豊富で腹持ちがいい寒天は、「繊維のかたまり」といえるほど食物繊維が豊富です。寒天繊維は約100倍の水を吸収し、ボリュームが大きくなり腹持ちをよくするので、ダイエットの時はたっぷりとるほど効果的です。また、便通を促し、腸内環境をよくする働きもあります。ほぼノンカロリーで無制限に食べられる食物繊維を穀類や豆類などで摂収しようとすると、エネルギーも一緒にとってしまいます。しかし、寒天は食品自体がほぼノンカロリーなので、安心して食べられます。また、WHO(世界保健機関)の食品規格部会では、寒天を「ノーリミテッド」、つまり制限なしに食べられる食品に分類しています。このことから寒天は、いくら食べても安心な食品であるといえます。ほとんど無味無臭なので、いろいろな食べ方が楽しめる寒天は、それ自体がほとんど味も香りもないので、食べ方のバリエーションが豊富で、飽きずにおいしく食べられます。このことも、ダイエットに非常に好都合です。2寒天は、糖の吸収スピードを遅くする。夕食前に寒天を食べる驚きの研究結果!寒天を常食すると、肥満や糖尿病などにどんな効果があるのか、以下の方法で調べました。肥満を伴う軽度の糖尿病の患者さん76名を二群に分け、どちらにも同様に栄養士による食事指導を行ったうえで、一方の群だけは、夕食前に寒天を食べてもらいました。食べてもらったのは、角切りにした寒天ゼリー(寒天を水で煮溶かし、固めたもの)に、甘さを控えめにしたきな粉や黒みつなどで味つけしたものや、トコロテンなどです(トコロテンは、厳密にいうと寒天の原料になるものですが、ここでは寒天製品として扱います)。1回の量は175グラムで、ごはん茶碗一杯より少し多いくらいです。食物繊維量は、メニューによって違いますが、2.5~4.5グラムでした。こうして3カ月間の追跡調査を行い、前後の体重や体脂肪率、血糖値などの検査値を比較しました。すると、体重、体脂肪、肥満の指標であるBMIなどは、寒天を摂収した群のほうが明らかに減少していました(BMIは体重(キログラム)を身長(メートル)の二乗で割った数値で、22が適正、25以上が肥満)。空腹時血糖値や、過去2カ月程度の血糖値の指標となるヘモグロビン、血中コレステロール値なども、やはり寒天摂取群で明らかな低下がみられたのです。体重や体脂肪、BMIが減少したのは、ほぼノンカロリーの寒天をとることで、夕食の量が減って無理なくカロリーダウンできたからでしょう。一方、血糖値やコレステロール値の改善は、肥満の改善によるほか、寒天の食物繊維が直接的にも働きかけた結果と考えられます。コレステロールは肝臓でこわされ、消化液の一種である胆汁酸の材料となって小腸に流れこみます。通常、これが再吸収されてまたコレステロールの材料になります。しかし、腸内に食物繊維が多いと、胆汁酸が繊維に吸着され、排泄が促されます。すると、体内にコレステロールの材料が減り、コレステロール値が下がるのです。また、腸内に食物繊維が多いと、糖質が吸収されるスピードも遅くなります。その結果、血糖値やヘモグロビンも下がるわけです。寒天の常食は、肥満対策ばかりか、血糖値やコレステロール値などの改善にも効果的なことがわかりました。この研究結果をまとめた論文は、イギリスの医学専門誌に掲載され、外国の研究者の関心も呼びました。寒天は、現代の食生活の問題点をカバーする低エネルギー・高繊維食品です。日本人に不足がちなカルシウムも豊富で、現代人にとって理想的な食品といえます。ぜひ寒天を見直していただきたいと思います。
2026.08.02

町内会長は17歳、広がる輪 名古屋、なり手不足救う8/2(日)名古屋市南区で4月、高校3年生の町内会長が誕生した。高齢化で引き受け手がいなかった泉楽中町内会で手を挙げたのは、市内の高校に通う加藤瑞稀さん(17)だ。人工知能(AI)など新しいツールも導入し、自分なりの町内会長を目指す。加藤さんの熱意や取り組みに周りの住民も応え、輪が広がり始めた。町内会で月1回開く定例会合には部活動終わりに参加。開催のお知らせは、学校で配られるプリントを参考にAIも駆使して作る。オンライン会議も併用したことで、引っ越してきた妊娠中の女性が参加してくれた。 5月には学校の友人や先生の協力も得て、ごみの分別方法を説明する多言語のポスターを作って掲示した。「外国の人が多く住んでいると意識していなかった」。生まれ育った町を知るきっかけにもなった。 会長を決める会議があったのは2025年10月。母親(45)が出席したが、高齢や体調を理由に断る住民が続出した。打診された父親(53)も仕事との両立が難しかった。両親の会話を聞き「私がやろうか」と立候補した。 「この地域が好きなので」。理由はシンプルだ。幼い頃から両親と祭りや清掃活動に参加してきて、お世話になった住民の助けになりたいと考えた。難しい議題は周囲の大人のサポートを受けながら進める。役員を引退する予定だった高齢の女性は、加藤さんに背中を押され続投を決めた。住民は「町が明るくなった」と口をそろえる。 任期は2年。大学受験も控えるが「引き受けたからには最後までやる」と意気込む。全国で町内会、自治会の解散が相次ぐというニュースに、寂しさも覚える。「同世代の町内会長が増えたら、SNS(交流サイト)で相談し合いたい」との計画も温めている。
2026.08.02
「ユマニチュードへの道」イブ・ジネスト p.44 人と人が絆を結ぶためには、まずお互いに「人間ですね」と認め合う必要があります。では、人はどのように相手を認め、互いに認め合う関係を築いていくのでしょうか。これは「人はどうやって、自分を確立していくのか?」という問いにも置き換えられます。 人間について考える前に、動物の哺乳類の絆について考えてみましょう。 羊のあかちゃんが生まれました。お母さん羊は、あかちゃん羊を懸命になめています。 なめる目的は単にきれいにするためだけではありません。生まれてすぐにお母さん羊があかちゃん羊をなめることで、「あなたは羊ですよ」「あなたは私の仲間ですよ」と子羊に伝えています。羊の種に迎え入れる、つまり「羊チュード」を行っているのです。 哺乳類には必ず、2つの誕生があります。第1の誕生は、生物学的な誕生。母親の胎内から外界に出た状態です。 第2の誕生は社会的な誕生。つまり同じ種に属する仲間として迎え入れられた状態です。この行為はとても重要で、母親になめてもらえなかった哺乳類のあかちゃんは、哺乳できずに死んでしまいます。 他の哺乳類と同じように、人間も二度、誕生します。一度目は生物学的な誕生で、これは哺乳類のヒト科としての誕生です。そして二度目の単葉は、自分が哺乳類のヒト科に属する存在だと認識する社会的な誕生であり、羊ではない、猫ではない、犬でもない、自分は人間であると認める段階です。 これを私は「ユマニチュードに迎え入れられる」と表現します。Three Births of Life ( 人 生 に お け る 3 つ の 誕 生 )― 「『あなたは大切な存在です』と伝えるための哲学・技術・科学」イヴ・ジネスト ユマニチュードは、病院・介護施設でのケアの実践の中から生まれたケアの技法です。ケアの対象は新生児から高齢者まで幅広い年代にわたり、「ケアをする人とは何か」「人とは何か」という命題を対人援助において考え、実践します。人は、まず生物学的な誕生を迎え、帰属する家族や社会に迎え入れられる社会学的な誕生を迎えます。これをユマニチュードでは、それぞれ「第一の誕生」「第二の誕生」と呼んでいます。第二の誕生、すなわち周囲の大人から「あなたは人間です」「あなたは大切な存在なのですよ」という愛情に満ちた療育環境を与えられなかった子どもに生じる典型的な例は、チャウシェスク政権崩壊後のルーマニアの孤児院で発見され世界を震撼させた孤児のアタッチメント(愛着)障害に伴うさまざまな症状です。この子どもたちに生じた変化は、ごく普通の生活を送っていた高齢者が、認知機能の低下やその他の脆弱な状況に陥り、周囲の援助なしでは生活できなくなったときに再び重要な意味を持ちます。このような高齢者は、周囲とのコミュニケーションを断ち、ケアを行う人も「仕方ない」とあきらめてしまいがちになります。しかし、ここに重大な問題が生じているのです。ケアを行う人は、たとえ相手を大切に思っていても、相手にそれが分かる形でその気持ちを表出できなければ、ルーマニアの孤児院で発見された子どもの状況と変わらない、ということに無自覚なのです。ルーマニアの孤児たちが、引き取られ、愛情豊かな生育環境のなかで、過ごすことでどのような変化を遂げるかを検証したブカレスト初期療育プロジェクトが、第二の誕生を迎えることの重要性を示したように、ケアを行う人が「あなたは大切な存在なのだ」と相手に理解できる形で伝え続ける技術を身につけることができれば、多くの認知症高齢者と再び豊かなコミュニケーションを双方向的に行うことができるようになるのです。これを私は「第三の誕生」と呼んでいます。今回の講演では、人の「第一の誕生」「第二の誕生」「第三の誕生」について、その哲学、それぞれの誕生を促すために必要なコミュニケーションの技術と、その技術がもたらす変化についての考察を行いました。
2026.08.02
福山瀧助翁 二、遠江国の仕法を始める 翁森町に到り山中氏を訪ね、岡田氏よりの紹介状を示し、事の次第を話したところ、山中氏大いに喜び、我が家に招じ入れ、報徳について種々懇談し、その理想とする仕法について問うた。そこで翁ここに七日間滞在して無利息貸付の雛形六十ヶ年分を書き上げて山中氏に説明したところ、山中氏大いに喜び早速森町社に授けられん事を請うた。 しかしこの度は秋葉山参詣がその目的とするところであるからと一先ず辞し、秋葉山に参り、遠江地方の仕法の成就を祈願し、小田原に帰省しその月の中にまた森町に到り、前の法を授けたのである。 続いて遠江地方を一巡し、その実状を視察しようとして浜松に至り、小野江善六に面接し、羽鳥村に松島授三郎氏を訪ね、気賀町に鈴木徳右衛門を訪問し、五月五日小田原に帰り、早速今市の二代二宮先生を訪ね、先生並びに富田高慶に面接し、近況を報告した。二代先生も非常に喜び、その志を賞した。
2026.08.02
大智禅師偈頌講話 沢木興道 不落不昧の話錯時直須徹底錯 (錯(しゃく)の時は直に須らく徹底錯なるべし)親時更要徹底親 (親(しん)の時は更に徹底親ならんことを要す)不落不昧論来久 (不落不昧論じ来ること久し)何曾夢見野狐身 (何ぞ曾て夢にだも野狐身を見ん)「錯(しゃく)の時は直に須らく徹底錯なるべし。親(しん)の時は更に徹底親ならんことを要す」仏の説く道は、如来常住、無有変易、再び因果のないのが当り前である。常住不変である。そんなら一面かといえば、ベタ一面ではない。山あり川あり千差万別、高い低い、うまい味ない、甘い辛い、なんともいわれん。同じ世界がいろいろに見える。差別の時には徹底差別なるべしじゃ。平等とはいわれん。毎日変化はある。日々是れ好日であって、日々昨日と同じではない。食い物も違う。毛色も違う。雨も降る。風も吹く。嵐も来る。それは天気が良くって暑い日もあるし、寒い日もある。しかし、日々是れ好日。今、錯(しゃく)の時は直に須らく徹底錯なるべし。 同じ日を心一つに住み替へて捨つるはやすき我が身なりけり 千変万化、差別はないといわれん。昨日今日、あんた、わたし。眼と鼻と耳と口、皆これ差別である。錯(しゃく)の時は直に須らく徹底錯なるべし。だが、この四海同胞、天地同根、万物一体。親の時は更に徹底親ならんことを要す。諸法の時は諸法、実相の時は実相、この諸法と実相とゴッチャにするのではない。そうして、この諸法が実相であり、実相が諸法である。 しかるに「不落不昧論じ来ること久し」やれ不落因果というたら野狐精に落ちたとか、やれ不落因果というたら助かったとか。―不落の時は徹底不落なるべし。不昧の時は徹底不昧なるべし。しかるにこれを不落は悪い、不昧はいい。いや不落不昧を一荷に担うて、合わせて一つであるとか、いや、不落でもない不昧でもないとか、不落不昧論じ来ること久し。長い間そんなことを口先でいうたり、妄想分別したりしておるものがあるが、それはみな、わが身可愛さからである。 自分がこんなことをしていたら狐になるとか、いや狐になりともないとか、狐になりともないから不昧因果というておこうとか、不落因果というたら狐に落ちるとか、狐がいいとか、狐が悪いとか。―しかし問題は、そんな処にあるのではない。本当の問題はもっともっと大きい。 われわれこの地球ぐるみ、太陽の黒点の中にパッとブチこんだら、そこになにがあるか。百尺竿頭一歩を進めねばならん。本当にこれは自己の問題である。昔話でも、歴史の話でもない。だから道元禅師も「言を尋ね語を逐うの解行を休すべし。須らく回光返照の退歩を学すべし」といわれた。不落不昧論じ来ること久し、そんなことを口でいうておるなら「何ぞ曾て夢にだも野狐身を見ん」野狐で一生終わるであろう。で、この野狐の話はどこどこまでも野狐の話である。(大智禅師偈頌講話p.127-129)
2026.08.02
66報徳外記(現代語訳) 第二十二 全功(上) 国家衰廃の時に当って、その衰えたところを挙げ、その廃れたところを興し、国家を富士山のように安泰としようと望むのは、なんと大業ではないか。古来、大丈夫が志を立てて道を行い、廃国を興し、善政を行ない、主君を中国の聖王堯や舜のように行い、人民をして窮りのない恩恵をこうむらしめようと願う者があっても、しかも往々にして初めは有っても、終わりはない。どうしてその思慮がまだいきわたらず、その道がまだ尽きないのか、なぜならば国の費用を制するに、王制の法にしたがえば、国家は富盛となって衰廃の患いは無い。物事が次第に衰え、出費に筋道が無く、贅沢が行われて、国用に節度が無い。いやしくも出費に筋道がなく、国用に節度が無いならば、一年の歳入を尽してもまたなお足りない。増税してこれを足し、これを他に借りてこれを補う。これが衰国の常である。この時に当って、志の有る家老が、その衰えたところを挙げ、その廃れたところを興そうと願うときには、必ずまず悪い政治を改め、贅沢を禁じ、歳入を量って歳出を制し、倹約を行って民に厚く施す。そもそも国家の衰弱は、租税を減じ、いやしくも歳入を量って支出を制するならば、上は公用から下士の給与に至るまで、その分度によって減ぜざるを得ない。いやしくも武士の給与を減ずれば、必ず言う。私の給与は、先君が私の祖先の百戦の勲労に報いたものである。主君はなぜこれを私されるのか。これは主君ではなく、家老がやったことだと。いやしくも人民に厚くすれば言う、四境が恐れ無くて社稷を安んじるものは、虎のような臣や、多士が多くいるためではないか。どうして人民に厚くして武士に薄くするのか。これはどうして主君の思慮であろうか、必ずや家老の行うところであると。家老がなければこの困窮や苦労は無いと。盛衰の天分を知らず、先例を引用し家株を守り、いたずらに給与の減少を憂いとする。衆の口は金をとかし悪口讒言で堅いものでも溶かしてしまう。咎が無いのに咎を帰し、罪が無いのに罪に陥しいれる。これが大業のその終わりを全うすることができないゆえんである。身分の卑しい男がご飯茶碗を持てば蠅が必ず集まる。職録が高ければ怨望が必ず集まる。ご飯茶碗を棄てれば蠅が集まる患いは無く、職録を去るならば怨望はすぐに解けてしまう。家老がいやしくもその衰廃を興そうと願うならば、まず職禄を辞して、使わない家具はもちろん家宝や大切な家財といえどもこれを売りさばき、荒地を開墾し、僅かに自ら生産する穀物で自らを養えば、小臣や貧しい武士と衣食を同じくし、日夜休むことなくこれに従事すれば、必ず言う、国を憂えられる家老は、なお重禄を辞して、田を開墾して自らを養い、衣食は私たちと同じである。私もどうしていたずらに録を食(は)むことができようか。まして禄の減少は、もとからその所である。徒食を恥に思う心が急に起こって来て、禄が減じて怨む心はすっきりと消える。そして小・大おのおのその分を知って、その貧に安んずる。論語にいう、国をたもち家をたもつ者は、すくなきを患えずして、ひとしからざるを患う。貧しきを患えずして安からざるを憂う。なぜなら均しければ貧しきは無く、和らげばすくなきは無く、安ければ傾くことは無いと。八人の貧しい家が、たまたま一つの衣を得る、一人がこれを取れば七衣が足らない、これを祖父に献ずる。祖父は言う、老体どうしてこの新しい衣を用いることをなそうと。これを長子に与える。長子はこれを弟に譲る、弟はまたこれを甥に推し譲る。しまいに七人ともあまねく皆辞する。これを取りあえば七衣が足りない。これを譲れば一衣が余る。家老が一たび禄位を辞して、一国の武士は自ずからその分を知って、その貧に安んずる。これが大業がその終わりを思慮して成功を全くする道である。しかし道を信ずることが篤(あつ)く、国の為にその身を忘れる者でなければできないことである。 第二十二 全功(上) 国家衰廃の時に当たり、其の衰へたるを挙げ、其の廃れたるを興し、国家を富嶽の安きに措かんと欲するは、豈に大業ならざらんや。古より以来、大丈夫志を立て道を行ひ、廃国を興し、善政を布き、君をして堯舜と為し、民をして無窮の沢を蒙らしめんと欲する有りと雖も、而も往々初め有りて終はり莫し。豈に其の慮ひ未だ周ねからず、其の道未だ尽さざるや、蓋し国用を制する、王制の法に循へば、則ち国家富盛にして衰廃の患無きなり。此の陵夷して、費出経無く、奢侈行はれて、国用節無し。苟も費出経無く、国用節無ければ、則ち一歳の入を尽すも亦た猶ほ足らず。賦を加へて以て之を足し、諸れを他に借りて以て之を補ふ。是れ衰国の常なり。是の時に当たり、有志の大夫、其の衰へたるを挙げ其の廃れたるを興さんと欲する。必ず先づ弊政を改め、奢侈を禁じ、入を量りて以て出を制し、倹を行ひて以て民に厚うす。夫れ国家衰弱、租税随って減ず。苟も入を量りて以て出を制せば、則ち上は公用より下士禄に至るまで、其の度に由りて裁減せざるを得ざるなり。苟も士禄を減ずれば則ち必ず曰く、我が禄や、先君吾が租百戦の勲労に報ひたまふなり。君何ぞ之を私したまはんや。君に非ざるなり、大夫なりと。苟も民に厚うすれば則ち必ず曰く、四境虞れ無くして社稷を安んずるもの、虎臣矯々、多士済々の故に非ずや。何ぞ民に厚うして士に薄うするや。此れ豈に君の慮ならんや、必ず大夫の為すところなり。大夫微んば則ち此の窮苦無しと。盛衰の天分を知らず、例を引き株を守り、徒らに禄の減少を以て憂ひと為す。衆口金を鑠し積毀骨を鎖す。咎無くして咎を帰し、罪無くして罪に陥る。是れ大業の其の終はりを全ふする能はざる所以なり。匹夫餉器を持すれば則ち蠅必ず集まる。職録高崇なれば則ち怨望必ず帰す。餇器を棄つれば則ち蠅集の患無く、職録を去れば則ち怨望頓みに解く。大夫苟も其の衰廃を興さんと欲せば、則ち先づ職禄を辞し、閑家具は論ずる無く家宝重器と雖も之を鬻ぎ、以て荒蕪を墾き、僅かに其の産粟を以て自奉と為し、小臣貧士と衣食を同じうし、日夜孜々として此に従事せば、則ち必ず曰はん、憂国の大夫、尚ほ重禄を辞し墾田を以て自奉と為し、衣食我に如かざるなり。我豈に徒然として録を食むべけんや。況んや禄の減少、固より其の所なりと。徒食の耻心勃然として興り、減禄の怨心釈然として解く。而して小大各々其の分を知り、其の貧に安んず。語に曰く、国を有ち家を有つ者、寡きを患へずして均しからざるを患ふ。貧しきを患へずして安からざるを憂ふ。蓋し均しければ貧しきは無く、和らげば寡きは無く、安ければ傾く無しと。八口の貧家、偶々一衣を得、一人之を取れば則ち七衣足らず、乃ち之を乃租に献ず。乃租曰く、老髐何ぞ此の新衣を用ひるを為さんと。之を長子に与ふ。長子之を弟に譲る、弟又た之を甥に推す。終ひに七人の徧くして皆辞す。之を取れば則ち七衣足らず。之を譲れば則ち一衣余り有り。大夫一たび禄位を辞して、一国の士自づから其の分を知り其の貧に安んず。是れ大業其の終はりを慮りて功を全ふするの道なり。然れども道を信ずること篤うして国の為に其の身を忘るる者に非ずんば能はざるなり。
2026.08.02

「ユマニチュードへの道」p.42 ユマニチュードの理念は「絆」です。相手も私も人であること。そして私たちが互いに関係性を築いていること、絆を結んでいることを確認しつづけるのがユマニチュードの哲学です。 みなさんと私は同じ人間です。互いに自由であり平等であると認め合ったとき、そこに力関係はありません。ケアする人とケアを受ける人の関係も同じです。どちらか一方だけが力を持った状況で、相手の自由と自律が叶うことはありません。 けれども今、多くのケアの現場では、ケアする人とケアを受ける人のあいだに力関係が生じてしまっています。ケアする人は、「これがあなたのためですよ」という力を無意識的に行使し、ときに本人の意思に反する強制的なケアをしてしまっていることに無自覚です。強制的なケアとはすなわち、相手の自由と自律の否定であることにケアをする人は気づかなければなりません。 相手の自由と自律を尊重するのであれば「強制する立場」と「従う立場」という関係にはなり得ません。では、強制する立場に立たずに、どうケアをおこなえばいいのでしょうか? その関係性は「絆」であると、私は考えます。 私のお願いをあなたに聞き入れてもらうために必要なのは、あなたと私とのあいだのよい関係です。だから、ケアを受ける人とケアする人との間にもよい関係が必要です。 患者とのあいだによい関係の絆ができていれば、「この人の頼みなら聞いてあげよう」と患者は私のお願いを聞き入れます。私を好ましく思っているからこそ、一緒に浴室まで来てくれるわけです。 私がケアをするとき、その中心にあるのは「ケアを必要とする人」ではありません。ましてや、その人の病気や障害でもありません。 中心にあるのはいつも、私とその人との「絆」です。この絆によって、ケアする人とケアを受ける人のあいだにポジティブな関係を確立させることができるのです。「依存すること、ユマニチュードの価値」人間には、他の哺乳類同様に2つの誕生があります。「第1の誕生」は出産により母胎から生れ落ちる、生物学的な誕生です。「第2の誕生」は「第1の誕生」同様に欠かせないもので、社会学的な誕生、種の仲間に迎え入れることです。母犬は子犬をなめることで、「お前は犬だ。羊でも人間でもない」と伝え、子犬を犬の世界に迎え入れます。人間も同様に、出産後に、フランスの精神科医ボリス・シリュルニクが「絆の合図」と表現した時期が始まります。大人が新生児の世話をし始めると、両者の間に関係性ができ、小さな人間である新生児は周囲の人間との交流と刺激のネットワークに入り、「ユマニチュード=人間らしさ」の特徴を発達させていきます。この関係性は、ユマニチュードの基本の柱「見る・話す・触れる・立つ」の根底にあるもので、柔らかさ、愛情、優しさ、親密な距離、愛撫、深いまなざし、温かな言葉など感情的基準と正確な技法につながります。人間の脳はこうして感情の基礎を形作り、「第2の誕生」を通して感覚神経回路を発達させ、それにより人生の長きにわたり愛情や友情といった他者との良い関係を築くことができます。私たちの感情記憶は人生最期の時まで残り、この人間らしさという特徴を持ち続けるには、人間が「人間の群れ」の一員と認められていると感じることが必要です。そして、この良い関係と絶え間ない交流によって、自己のアイデンティティと尊厳を感じることができます。第2の誕生がなければ、子犬は死んでしまいますし、人間は発達に大きな困難をきたします。人間は、病気や障がいによって自分が人間だと感じられなくなることがあります。その時こそ、そばにいる人がユマニチュードの柱を用いて「誰も私を見たり、話しかけたり、触れてくれることがなくても、私はまだ人間だろうか?」と感じるその方の命の支えになる必要があります。ユマニチュードの人間らしさの関係性を保つことで、他者に囲まれた人間と感じられるようにするのです。しかし、時として他者が存在しない状況が生まれることがあります。私たち人間にとって、自分を認めてくれない人を優しく見つめたり、言葉を発しない人に話しかけたり、自分をたたく人を撫でてあげたりすることは困難です。病気はこうして、目に見えない無意識の罠をたくさんしかけて、ユマニチュードの関係性を消滅させようとします。ユマニチュードの絆を結ぶには感情的な相互依存が欠かせません。このユマニチュードが無ければ、つまり「私が私である」ための他者の存在が無ければ、人間は人間でなくなってしまい、自分の殻に閉じこもり、引きこもってしまいます。もし、その方がみんなの心の中でまだ人間であれば、他者に囲まれた人間、つまりユマニチュードの状態にあります。一方、他者との関係性がなくなれば、その方の皮膚は鎧となり、拘束衣となり、城壁となり、その方の生活は自分との関係だけで完結してしまいます。自身の心臓の鼓動、まだ生存している唯一の証の音を聞くだけになり、いわば老年性疑似自閉症のような状態です。しかし、「年老いた胎児」は、人間として生き返ることができます。近しい友人や家族、ケア専門職が意識してユマニチュードの4つの柱を行うだけでよいのです。そうすると、再び微笑んでくれたり、時には話しかけてくれたり、時には立ち上り…といった驚くべき贈り物とも呼べる、この「第3の誕生」を起こすことができるのです。そして、関係性を消滅させようとするこうした罠を避けてユマニチュードの柱をすべて行うことで、アルツハイマー病の方の中にも明るい兆しを発見することができたり、優しさの絆においては、異なるケアのアプローチが必要なことを私たちに学ばせてくれるのです。優しさの絆を私は与え、そして私もお返しにそれを受け取ります。そして、私は優しさの絆を受け取るからこそ、私が私として存在するのです。このユマニチュードの絆を結ぶには感情的な相互依存が欠かせず、これがあるからこそ日々の疲れも癒され、一人ひとりの出会いをかけがえのないものに感じさせてくれるのです。ロゼット・マレスコッティイヴ・ジネストLe Lien de l’Humanitude より
2026.08.01
福山瀧助翁 第八章 遠江三河両国の仕法一、翁、遠江国へ報徳仕法に赴く そもそも遠江国の報徳は弘化四年安居院先生の同地の教化より始まる。 ところが文久三年八月十一日に享年七十三歳で安居院先生が歿せられたからは、報徳の世話をし、指導する人がなくなり、遠江の報徳は次第に衰運をたどるばかりであった。これを見て、遠江の有志達は大いに憂え、何とかしてよい師を迎え、報徳の仕法を継続せしめようと考究したのが、遂によい方策を得ることができなかった。 慶応二年三月安居院先生の三回忌を兼ねて大参会を豊田郡一言村智恩院に開き、この事を議したところが、相模国は二宮先生の誕生地で報徳発生の地であるから、ここから我々の師匠を迎えようという事になった。そしてその交渉方を倉見村の岡田佐平治、浜松の小野江善六の二人に委託した。小野江善六は浜松の大きな呉服屋であり、手代はしばしば江戸との間を往復していたので、手代をして相模国前川(現在の足柄下郡前川村)の瀧澤庄右衛門を訪問させ、良き師の推薦方を依頼させた。瀧澤庄右衛門は前川の豪家であり、前に安居院先生の仕法を受けた事のある家であるからである。 その所で庄右衛門は早速小田原に行き、新宿の浜田屋に至り、翁を招いてその意を告げ、遠江の仕法に出馬せんことをすすめたが、その仕の大なるを思ってなかなか承諾しなかった。 岡田佐平治の息、良一郎は福住正兄と同門であった。この関係から福住氏に依頼して翁の遠江国仕法を懇請したところ、重ねての依頼には断るも失礼と思い、意を決して遠江の仕法にたとうとした。 しかし遠江国の実状を全然知らなかったため、秋葉山の参詣を名として遠江の実状を視察し、而して後に進退を定めようと慶応三年三月小田原を発し、一路遠江に向かったのである。翁五十一歳の時であった。翁、遠江に到り、まず岡田佐平治に面会し、報徳に関する意見の交換をしたところ、報徳の精神においては変わりないが、その実践方策には遂に意見の一致を見る事が出来なかった。 岡田氏は掛川侯の大庄屋を勤め、その理想とのするところは難村復旧法であり、翁の小田原社で行う仕法は同志相集まって行う永安法である。即ち前者は病者に対する手当の如く干渉助長の仕法であり、後者は健康者に対する摂生の如く自治共済を望むものであった。精神の帰一点は一であるが、互いに相容れる事が出来ず、翁は明朝辞して秋葉山に向かおうとしたが、岡田氏もさすがに遠江まで来てくれた志を諒とし、その途次森町の報徳者山中里助への紹介状を渡したものあった。
2026.08.01
大智禅師偈頌講話 沢木興道百丈野狐の話 その3【百丈野狐の話】 迦葉佛時先百丈 (迦葉仏の時先百丈)分明今日野狐精 (分明なり今日野狐精)諸方若是覆盆下 (諸方若し是覆盆下ならば)此話更参五百生 (此の話更に参ぜよ五百生) われわれの一生もレールに乗って、シュッシュッゴトゴトと引っ張られるような、そんな単純なものではない。われわれのやっていることは、狐や狸以上かもしれん。怒らんならんときは怒る。ドヤさならんときはドヤす。笑わんならんときは笑う。泣かんならんときは泣く。われわれの人生、全くこれがお化けである。だから分明なり今日野狐精。もうお互い野狐精である。 ところが、これがただ罪業所感であるか、罪業所感でないか、ということは、銘々回光返照して見んならん。同じ川に入ったのでも、飛び込んだのと落ちたのと違う。落ちても今度は潜り上って、飛び込んだのと同じように活躍するものもある。それは昔話ではない。仕事をするのも、自分がこうしておるのも、一体落ちたのか、飛び込んだのか、考えねばならん。川に落ちた人間は余裕はない。アップアップやっておるばかりだが、これがココに一つ、シュッと抜き手を切って泳ぐか、溺れるかという違いがあるんだ。だから今日分明なり野狐精。これは遠方の問題ではない。昔話ではない。唐の時代の百丈山の非人ではない。銘銘自己の足下に、このおれの野狐精は何をしておるかを見んならん。「諸方若し是覆盆下ならば」その百丈野狐の訳が分らんならば、覆盆下、不分明、分らんならば「此の話更に参ぜよ五百生」この化け方が分らんならば、更に参ぜよ五百生。銘銘自分この話について五百生工夫せねばなるまい。と、こういう訳で、今度は「不落不昧の話」である。(大智禅師偈頌講話p.126-127)
2026.08.01
66報徳外記(現代語訳) 第二十一 教化(下) 孔子は言われた。「これをみちびくに徳を以てし、これをととのうるに礼を以てすれば、恥有り、かつただし」と。そもそも、徳をもって民をみちびくのは、もとから教化の本であって前論で言っています。なぜ礼をもってととのえるというのでしょうか。 先生は言われた、「礼の本質は譲にある。譲は分に生ずる。分とは何か。今、百軒の家の村が有って、田畑の総収穫を千石とする。これが村の天分である。天分とは何か。天地が二つに分かれて大地の変えられない分が定まる。大地が二つに分かれて万国となり、郡が別れて千石の村となり、千石が別れて十石の家となる。これによってこれを観るならば、分というものの本源は天に出ていて変えることができないことは明らかである。そうであればこの村に生まれた者は、天の時により地の利について、十石の田を耕作し、耕し草をとり肥料をやって養い、その力を尽して秋の収穫を収めて納税し、種子を貯えてその残りの数を四等分し、その一つを貯蓄とし、その三を十二月、三百六十日にこれを節制し、仰いでは父母を養い、俯しては妻子を養う。これがこの村に生きる村民の道である。道とは何か。天が開けてその後に天地の間に生ずるものは、人類を論ずることもなく、獣や鳥、虫、魚及び草木まで皆自ずから止まる所の天命があって生存する。松が山の峯に生じ、柳が水辺に生ずるのは天命である。鳥や獣が山野に生じ、魚や亀が川や海に生ずるのもまた天命である。人民が中国に生まれ、日本に生まれる、皆、天命にないものはない。いわんや千石の村に生まれるのはもとより自然の天命である。そうであれば千石の村に生まれ、十石の分を守るゆえんのものは、本原がまた天に出てそして変えることができないことは明らかである。そして千石の村、百軒の家の村民について、これをひとしくするときには、一戸十石であって、これが一家の命分であり、一村の中庸である。しかしながら祖先が徳を積んだか積んでいないかによって、互いに増減を生じて、大小、貧富の差をなす。何を大というか。一戸の収入が、天分以上であるのを大とする。何を小というか。一戸の収入が、天分以下であるのを小となす。大、これを富といい、小、これを貧という。富むものは天に位する。天命は貧小であるものを覆い育てることにある。貧しいものは地に位置する。その天命は天が覆い育てることを受け、勤労してその徳に報いることにある。天分が十石の村に生まれ、五石を増して富大の幸福を得る者が有るのはなぜか。五石を減じて貧小により苦しむ者が有るためである。我に増すならば必ず彼に減ずる。彼の小は我の大、我の富は彼の貧である。そうであれば大小貧富はもとより一つの物であって互いに離れないことは、なお天地が一物であって男女が一体であるのと同じである。なぜならば天に余りがあって地に足りないところがある、余りの有るものは、必ず足らないものを補う。だから天は覆い地は載せて、天気は下に降り、地気は上へ昇り、もつれあい和して万物が生ずる。男の女におけるのもまた同じである。男女が互いに和して子孫が生まる。富の貧におけるのもまた同じである、貧富が互いに和して財産が生ずる。もし天地が互いにそむくならば万物は生じない。万物が生じなければ、人類もまた滅ぶ。貧富が互いにそむけば財産は生じない。財産が生じなければ貧富はともに滅んでしまう。このために富んだ者は天分に止まって、余財を譲ってこれを貧者に推譲し、貧しい者は朝から夜まで勤労し、余力を推譲してその徳に報いる。貧富大小がおのおのその分に止まって、その職業を楽しんでその生活を安らかにする。このようであれば、貧富は互いに和して、一村は一家のようであろう。富んだ者は長く富を失わない、貧しい者はついに離散したり亡滅することを免れて、一戸は足り人は満足し、孝弟忠信が行われ、政治は刑罰を実施しなくてもよいようになり、教化する必要がなくなるのはどうしてであろうか。天分を明らかにして、推譲の道が行われるためである。 第二十一 教化(下)孔子曰く、之を道くに徳を以てし、之を斉ふるに礼を以てすれば、耻有り且つ格ると。夫れ、徳を以て民を道く、固より教化の本にして前論既に之を言へり。何をか礼を以て斉ふと謂ふ。曰く、礼の実は譲に在り。譲は分に生ずるなり。何をか分と謂ふ。今、百室の邑有りて、田畝の秩を千石と為す。即ち邑の天分なり。何をか天分と謂ふ。天地剖判して大地不易の分定まる。大地判れて万国と為り、郡判れて千石の邑と為り、千石判れて十石の家と為る。此れに由りて之を観れば、分の本源は天に出でて而して易ふ可からざるや審かなり。然らば則ち此の邑に生まるる者は、天の時に因り地の利に就き、十石の田を樹芸し、耕耘培養して其の力を尽し秋穫を収めて賦税を出し、種子を蓄へて其の残数を四分し、其の一を以て儲蓄と為し、其の三を以て十二月三百六十日之を節制し、仰ぎては父母を養ひ、俯しては妻子を育つ。此れ是の邑の生民の道なり。何をか道と謂ふ。天開けて而る後両間に生々するものは、人類を論ずる亡く、禽獣虫魚及び草木まで皆自づから止まる所の命有りて存す。松の山嶺に生じ、柳の水辺に生ずるは命なり。禽獣の山野に生じ、魚鼈の河海に生ずるも亦た命なり。人類の漢土に生まれ、皇国に生まる、皆命に非ざるもの莫し。況んや千石の邑に生まれるは固より自然の天命なり。然らば則ち千石の邑に生まれ、十石の分を守る所以のもの、本原又た天に出でて而して易ふ可からざるや明らかなり。然り而して千石の邑、百戸の民、之を均しくするときは、則ち一戸十石にして、是れ一家の命分、一邑の中庸なり。然りと雖も祖先の積徳せると否とに因りて互ひに増減を生じ大小貧富の差を為す。何をか大と謂ふ。一戸の秩、天分以上なるを大と為す。何をか少と謂ふ。一戸の秩、天分以下なるを小と為す。大、之を富と謂ひ、小、之を貧と謂ふ。富めるものは天に位す。則ち天命は貧小なるものを覆育するに在り。貧しきものは地に位す。則ち天命は覆育を受け、勤動して以て其の徳に報ゆるに在り。夫れ天分十石の邑に生まれ、五石を増して以て富大の福を得る者有るは何ぞや。五石を減じて以て貧小に苦しむ者有るが故なり。我に増せば必ず彼に減ず。彼の小は則ち我の大、我の富は則ち彼の貧なり。然らば則ち大小貧富は固より一物にして相ひ離れざるや、猶ほ天地の一物にして男女の一体なるが如きなり。蓋し天余り有りて地足らず、余り有るもの必ず足らざるを補ふ。故に天覆ひ地載せ、天気下降し地気上謄し、絪縕相ひ和して万物生ず。男の女に於けるも亦た然り。男女相ひ和して子孫生まる。富の貧に於けるも亦た然り、貧富相ひ和して貨財生ず。若し夫れ天地睽けば則ち万物生ぜず。万物生ぜざれば則ち人類も亦た滅ぶ。貧富睽けば則ち子孫生まれず、子孫生まれざれば則ち人類も亦た滅ぶ。貧富睽けば貨財生ぜず。貨財生ぜざれば則ち貧富倶に滅ぶ。是の故に富者は天分に止まり、余財を譲りて以て之を貧者に推し、貧者は夙夜勤動し余力を推して以て其の徳に報ゆ。貧富大小各々其の分に止まり、其の業を楽しみて其の生を安んず。夫れ是の如くなれば、則ち貧富相ひ和し、一邑は一家の如く然り。富者は長く富有を失はず、貧者は遂に離散亡滅するを免れ、戸足り人給し、孝弟忠信行はれ、政は刑を措くに至り、教化の能事終はるは何ぞや。天分を明らかにして推譲の道行はるるが故なり。
2026.08.01
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