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2026.08.28
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カテゴリ: 坐禅
大智禅師偈頌講話 澤木興道

  元旦 その6

   元旦
【元旦二首】
新年佛法問如何 (新年仏法如何と問わば)
開口不須説似他 (口を開いて他に説似することを須(もち)いざれ)
露出東君眞面目 (露出す東君眞の面目)
春風吹綻臘梅花 (春風吹き綻ぼす臘梅花)


 「露出す東君眞の面目」説くに及ばん。眼を開かば月、耳をそばだつれば松風、いわゆる遍界かつて蔵さず、天地いっぱい。ここらのことをなんと一口に説くか。新年の仏法は天地いっぱい。日の出、そうもいわれん。日の出という一つの象徴もよかろうが、雨が降ったらどうするのか。大吹雪がやって来たらどうするのか、要するに、遍界かつて蔵さず、この遍界不曾蔵の道理、つまり天地いっぱいのこの元旦。
 われわれが子供の時に、なんぞおいしいものを親類から貰うて食べるというと、「どんだけおいしいか」という。一メートルおいしいとか、一寸角おいしいといわれん、よう子供の時に、どれだけおいしい。これだけおいしい。雲に百杯おいしい。天地いっぱいおいしい。
 元旦はどんな元日はどんな元日か。餅を食うだけが元日でもなければ、屠蘇を飲むだけが元日でもない。朝起きるだけが元日でもなければ、カルタ取るだけが元日でもない。その元日の全面をここに露出する。諸法実相である。実相を一法に纏めてしまったら、それは実相ではない。実相は、諸法でなければならん。その諸法の実相が露出す東君眞の面目。
 東君というのはなんの象徴か。お天道さんは東からポッと出る。元旦はこれに越した象徴はない。東から、山なら山の根から、東の海岸なら、太平洋の海の際から、真っ赤なホオズキの親方みたいのがボーっと雲を染めて出て来る。これ元旦の諸法の象徴である。
「春風吹き綻ぼす臘梅花」春風に梅の花が咲いた。臘梅花、これは去年の梅が今年咲いた。春風とともに開いて来る。今年開く梅は、去年の梅、人間もその通りなんである。つねに新しいものであるが、若い時に、子供の時に習うた「いろは」を今でも憶えておる。「エエ、子供の時に習うたのは、子供の時であって、なんにもならんのであります」そんなことはないな。ところが、子供の時に正直者であっても、年が寄って少々手癖が悪うなったら、子供の時に正直であったから、差引勘定をしてくれというわけにもいかん。
 去年の梅が今年咲く。永遠に古いものがつねに新しい。その新しいと古いの交錯。ここが仏法の極意である。仏法の極意というものは、この新しいばかりでもいかん。つねに新しいばかりなら、それは断見外道である。去年なく、来年なく、因果なくー。それならば断見外道である。去年の梅が今年咲くだけならば、それは常見外道である。因果歴年といえば、常見外道である。
 この春風、春風という象徴はなにか。正法眼蔵涅槃妙心のこの春風に逢うて、去年の梅が今年咲く。永遠に古い真理がつねに新しく参究される。春風吹き綻ぼす臘梅花。ここにわれわれは参究を新しくする。この春風によって、その内容を豊富にし、つねに新しいものとする。仏の道をわれわれの手足で、この昭和の真っただ中にいかに綻ばすか。これがわれわれの実事参究、この参究である。
 次は同じく元旦の詩である。(大智禅師偈頌講話p.164-165)





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最終更新日  2026.08.28 02:00:04


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