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2026.09.20
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カテゴリ: ユマニチュード
「ユマニチュード」という革命  ユマチチュードの4つの柱「2 話す」その2

p.197 言葉を返してくれない認知症高齢者を前に、私は考えました。そして言葉と結び付けられるような音楽を探そうということを思いつきました。たとえば、フランスの国家「ラ・マルセイエーズ」を鼻歌で歌えば、フランス人なら頭の中で歌詞やメロディーが浮かんできます。それと同じようなことができないかと考えんした。 ケアをするとき、流れ続ける音楽に相当するものがあります。それは手です。ケアをしているあいだ、ずっと私の手が動き続けています。ひらめいたのは、自分の手が何をしているかを言葉で表現しようということでした。 これなら、私と相手とのあいだに回路がつくれます。「オートフィードバック」という名前を付けました。返事がないから黙るのでは、エネルギーの循環はつくれません。相手からの返答で充電するのではなく、自分の手の動きを言葉にすることで、自分にエネルギーを与えるのです。フィードバックの場合は相手がエネルギーを供給してくれましたが、オートフィードバックは自分の頭上にソーラーパネルを置き、それによって自分のエネルギーを自家発電しているようなものです。 まずは質問します。そのときに返事がないか、意図した反応や答えが返ってこないときには、オートフィードバックを始めます。言葉ではなく、私の手が語ります。「いまから背中を洗いますよ」とか、「いま、右腕を触っています」といった内容です。自分のすることを実況中継のようにしゃべるのは、独り言のように見えます。けれども、この行為は相手がいないと成立しません。相手に行うことを言葉にするのですから、私と相手のとのあいだで起きているコミュニケーションなのです。 これを行うことで、コミュニケーションの時間はものすごく増えます。場合によっては15倍になったケースもあります。このようにしていけば、沈黙することなく言葉を発し続けることで、ケアの場に言葉をあふれさせることができます。


「映画館は“ボディ”だ」濱口竜介、三宅唱、三浦哲哉が「急に具合が悪くなる」ロングラン上映を記念して特別鼎談イベントを実施 その49/8(火)https://news.yahoo.co.jp/articles/fbab5f602d46e7951fec8ad98b5a13a022453477映画中盤の大きな山場として語られたのが、長塚京三演じる清宮吾朗が、急に具合が悪くなった真理の部屋を訪れ言葉を交わす一連のロングテイク(長回し)だった。三浦はその場面について、「長塚さんの芝居がものすごく素晴らしくて、あそこで本当に魅力の全容が現れる。本当に素敵なシーンで、僕らがどれだけ感動したか」と熱を込める。ベッドの真理を見つめる長塚、窓から差し込むようなオレンジ色の光、木の影が揺れ、途中から青い光へと変化していく、そこへ智樹が入ってきて「おかえりなさあい」と言葉になっているかどうか微妙な声を発しながら現れ、さらに入れ替わるようにマリー=ルーが現れる。三浦から、このワンショットでたくさんのことが起きるシーンがどう撮られたかを尋ねられた濱口は、「実際に施設の部屋に照明を作って流し込んで、それをだんだん絞っていくというのを、芝居の進行と合わせながらやった」と説明。照明部にはかなりの苦労を強いたが、明らかに人工的な照明になっており、「(演出として)果たして成功しているかと言われたら、分からない」としながらも、そこは「この映画で、時間の推移に関してはぜんぶ変で構わない」と割り切ったという。「この映画には、マジックアワー的な時間がものすごくたくさんあるんですけど、実際の光の具合とはだいぶ違う。特に(前半の)セーヌの岸辺の場面と、(終盤の)京都の山の場面ですけど、あれは2時間くらいの光の変化が10分くらいの場面に圧縮されてるわけです。実際に体験してみたら、あんな風に日は暮れていかないし、あんな風に夜明けは明るくならない。でも『映画ってそういうもんでしょう』っていうスタンスでやっているところがあり、その延長として、(長塚さんの)照明で作ったシーンもいいんじゃないかと思っています」と濱口。この場面は、吾朗が次の公演に出るため、真理との最後の別れになる可能性がある場面でもある。三宅は、 「俳優としては、当然その感情のレベルを用意してくる。もしそれが何かのきっかけで崩れてしまうと考えると、夕陽なんかやってる場合じゃないと考えることもできると思う」 と指摘。にもかかわらず照明作りを実行した濱口に対し、 「そういう監督の人でなしの部分と、現場の両立って、どう考えているんですか」 と問う。濱口は、あの場面の演技が簡単ではないことは十分理解したうえで、 「なんども繰り返せるように」 あの照明を採用したとし、そのうえで、 「ああいう場面は、リアリズムに基づく強度とは違う、自分がこれまで見てきた映画としての強度、どっちかというとフィクションとしての強度っていうのが求められているっていう感じがある」 と語る。あの長塚演じる吾朗が本当に信じられる存在として見えるためには、俳優の演技がベストであることに加え、フィクション的な要素も必要で、その両方がすごく大事だったと言うのだ。なお、この場面では、何も残せずに死んでいくと話す真理に対し、吾朗が 「何も残さなくてもいいじゃないですか。あなたと稽古していた時間は楽しかったですよ、その一瞬一瞬以外に何がありますか」 という、本作屈指の名台詞を発する。濱口はこの場面も、(正面ショットではないにもかかわらず) 「編集しながら泣いてしまう場面」 だったと明かす。





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最終更新日  2026.09.20 05:00:05


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