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2010年04月24日
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「風早、風早、引いてるよ!」
「ありがとうございます、姫。」

 千尋のお弁当のために、釣れた魚を料理しようとあれこれ準備しているから、急いで来ても間に合わない。
 引き上げたときには、餌だけとられて針は空。

「ああ、逃げられてしまいましたね。」
「風早が来るのが遅いからだよ。」
「すみません。ちょっと手が離せなくて。」

 千尋は不満そうに風早を見上げていた。そもそも、今日は、この間羽張彦のせいで中止になったのの埋め合わせにと連れてきたのだった。がっかりさせないように、楽しい思いだけするように、あれこれ言葉をかけて出かけてきたのだった。
 と、千尋の顔が急に輝いた。目がいたずらっぽく笑った。可愛い唇が開いた。



 言うだろうとは思った。想定内の展開だ。

「大丈夫ですか? 池に落ちたりしたら……」
「大丈夫。気をつけるから。」

 風早は心配そうに千尋の顔を見た。手入れをしてきたとはいえ、自分で使うつもりで準備した竿は千尋の小さな手にはずっしりと重い。しかし、ここで駄目を出せば、千尋の不満は募るばかり。なんのために出かけてきたのかわからなくなりそうだ。
 風早は大きく嘆息した。

「仕方ありませんね。」

 竿が抜け落ちてしまわないように、竿受けの根元に紐を掛けた。竿の尻を深く地面に差し、そこを支えに竿を上げればよいようにした。

「なるべく竿の先を持つようにしてくださいね。そうすれば、姫の小さな手でも持ち上げることができますから。」
「わかった。」

 千尋の顔が笑顔に変わったのを見届けて、風早は竈を作りに戻った。石はほとんど積み上がっていたから、後は火をつけるだけ。火起こしを手に取った。千尋から目を離さないように、しかし、火の熾った隙も見逃せない。

「風早ぁぁぁぁ!!!」



「千尋!」

 先ほどまで見えていた姿が見えない。池に落ちたのに違いない。水音は更に激しくなる。

「風早、風早、早く来て!」

 言われるまでもなく、千尋の元へ急いだ。水辺に来た風早が目にしたのはしかし溺れる千尋ではなく、何かをしっかり抱えて水中でもがく千尋だった。

「何をしてるんです?」


 足の届く範囲だったのが幸いだった。倒れさえしなければ溺れることはない。波が千尋の危うい平衡を狂わすことがないように、風早は慎重に、しかし急いで千尋の側へ寄った。

「見て!」

 得意そうに千尋は抱えていた物を見せた。灰銀色の鱗が日に映えてきらりと光った。丸まると太った鯉だった。千尋の腕の長さほどもある、かなり大きい。魚は逃れようとして体をくねらせた。逃すまいと抱き締めた千尋の体が大きくぐらつく。風早はさっと腕を出して千尋を支えた。鯉はまだ針を飲み込んだままだ。風早は自分の広袖を網代わりにして、千尋に鯉を入れさせた。

「私が捕まえた!」
「竿を持ち上げなかったんですか?」
「持ち上げたけど、届かなかったもん。暴れて怖かったし。」

 だからと言って水に入らなくてもと風早は呆れる言葉を飲み込んだ。ぐっしょり濡れた千尋を水から引き上げる方が先だ。竿の先をぐいとつかみ、埋め込んだ竿尻を引き抜いた。竿を回すようにして岸へ向かい、まずは千尋を安全な場所へ下ろして、鯉の針をはずした。広袖に鯉を包み込んで、千尋の手を取り、竈を築いた場所へ行った。

「濡れた服を乾かしましょう。怪我はしていませんか?」

 千尋の捕まえた鯉は、風早の用意していた魚籠でぴちぴちとはねている。満足そうにいつまでもそれを見ている千尋を促して、衣服を脱がせた。傷がないか確かめながら柔らかい布で小さな体を拭くまではよかったが、風早は途方に暮れていた。着替えを用意してこなかったのだ。池に落ちることを想定しなければならなかったのに。
急いで水に飛び込んだとはいえ、長身の風早の衣服は、袴はともかく上着はほとんど濡れていない。鯉を包んだ広袖の先が少し濡れているだけだ。風早は上着を脱ぎ、それで千尋をくるみこんだ。

「風早は寒くない?」
「平気です。今日はこんなに暖かいから。」

 麗らかな春の日差しが眩しいほどの日だったから、千尋を外へ連れだしたのだ。

「千尋は寒くありませんか?」

 千尋は小さく首を振った。しかし、その肩がぶるんと震え上がったのを、風早は見逃さなかった。風早は千尋の体を引き寄せ、抱き締めた。

「こうすれば、暖かいですね……。」

 腕の中でこくんと頷く。「ごめんなさい。」とくぐもった声が聞こえた。

「どうして謝るんです?」
「だって……」
「千尋は悪くありませんよ。大きな魚を捕ってくれたのでしょう? そうだ、少し待っていてください。こちらを見ないように。」

 風早は千尋を下ろして、鯉を見に行った。千尋に見えないように体で隠して鯉をさばき、樫の焼き棒に差して竈に立てかけた。

 焼き上がるのを待つ間に、千尋の体も暖まるだろう。思いの外暑い春の日差しは、千尋の小さな軽い衣服などすぐに乾かしてしまうだろう。

「いい子で待っていましたか?」

 もういいの?と振り向く千尋を、思う様抱き締めた。煌めく水面を二人一緒に眺めた。この幸せがいつまでも続くといい……風早の中の白麒麟が独りごちた。





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最終更新日  2010年04月24日 12時32分13秒
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