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名古屋市天白区大根ケ越針名神社の北側に隣接する秋葉山『慈眼寺』木々に覆われ真っ直ぐ伸びる緩やかな参道参道入口の曹洞宗の文字が消された寺号標秋葉山休跡斎の碑・・・・・とは?京都御所炎上の鎮火祈願で京に上った遠州秋葉山の三尺坊尊、帰路この地に立ち寄り創建したとあるが、この跡はその事を指しているのか?駐車場脇の由緒書き御嶽神社もあるようです参道入口右の戦没者慰霊碑と顕彰台平和な日々を過ごせることに感謝、お参りしてから参道へ天白区史跡散策路「姫街道とハイキングコース」より明治の戦争に従軍した人々の忠魂碑と昭和の戦争での戦没者を祀った顕彰台などがあり、毎年4月に慰霊祭が行われている。参道中ほどの左に「徳又迦龍王堂」に導く看板、行ってみました龍王とは雲を呼び雨を降らせる神力をもつと云われ、雨乞いや止雨の祈願の神として信仰されるそうです法華経の守護神八大龍王は仏教を守護する天龍八部衆の一つ、龍族の難蛇(なんだ)龍王、跋難蛇(ばつなんだ)龍王、沙竭羅(しゃから)龍王、和修吉(わしゅきつ)龍王、徳叉迦(とくしゃか)龍王、阿那婆達多(あなばだった)龍王、摩那斯(まなし)龍王、憂鉢羅(うはつら)龍王の八王を指すようです徳叉迦龍王は雨を司る神として崇められます一方で龍王の怒りに触れ、龍王に凝視された者は絶命するという怖い反面を持ちますメドゥーサのような、かみさんのような堂は左に折れてすぐ山の斜面にへばり付く様に建つ小さなものです堂内は御嶽講のシンボルマーク山○三の香台が目に入りますその上にとぐろをまく蛇石が祀られています徳又迦龍王堂を後にほどなく広々とした空間が開けます正面左は手水舎と石段、中央がスロープその先は慈眼寺に、右が御嶽神社へつながります石段左の手水鉢と龍両脇の奉納幟と石段の先の本堂慈眼寺本堂全景木肌の色、各所に施された彫飾りといい、光物はないけれどシックで落ち着いた建物です秋葉三尺坊大権現と毘沙門天を祀る本堂掲げられた扁額も味がある(・・・・・はぐらかしては見たが、すっきりしないので正直に、実は最初の字が読めない)『秋葉山慈眼寺』 天白区史跡散策路「姫街道とハイキングコース」より809年(大同4)、京都御所炎上のとき、遠州の三尺坊尊が火災を鎮めるため京へ上り、その帰路当地に立ち寄り「鎮防火燭」の直筆を残された。これによって創建されたその後、1560年(永禄3)織田信長が桶狭間の合戦の折、この山に祈願して勝利を得たので、三尺坊の尊像を奉納した。現在も、神仏混合の珍しいお寺で、神仏の行事が修行されている。参道には、藤棚としだれ梅、ぼたん桜の並木がある。なお、毎年12月16日に火渡り神事が行われる。堂の左に大太鼓太鼓を三回打ち、置かれている黒豆を歳の数だけ祈念して三宝にうつすと、まめでくろじになるそうです小さな境内から本堂全景本堂右の観音堂、「聖観世音菩薩」と「十一面観世音菩薩」が祀られますこちらの堂前には四角い開運大太鼓が置かれています「家の四隅を払って、福は内、鬼は外、厄よけ・入学成就・家内安全・身体健全・交通安全・七難即滅・七福即生を祈念して、太鼓を三回打って福豆を歳の数だけ、三宝へうつして下さい」との事大変な作業です観音堂の右にある龍王堂近年補修されたばかりの御堂は八代龍王を祀ります徳叉迦龍王はここでも祀られている事になります龍王堂の更に右奥ノ院へ導く案内板と石標、その左に御堂が見えますがそれだと嬉しいが暗い堂内に大天狗、小天狗の奉納提灯神仏分離以前の神道と仏教が混在する寺です奥ノ院へ続く山道の先に奥ノ院が見えて来ます堂の扉が開いています堂内に祀られる、剣を持った大日大聖不動明王良く覗えないものの、相変わらず怖そうな表情です慈眼寺の境内右側にある御嶽神社山○三の紋が入る霊神碑が並びます手水舎の横から境内に入るもう一本の参道を下ってみる事に参道は慈眼寺から民家の前を通り北側道路につながっていました入口に針名神社と「秋葉山 慈眼寺」の標、ここは裏参道にあたるのかな?ここから慈眼寺方向を見上げる修験霊場として信仰される山も、今では住宅の広がる丘陵地ですが毎年12月16日の「秋葉山火渡り神事」は今も引き継がれています秋葉山 慈眼寺創建 / 809年(大同4)とされる本尊 / 聖観世音菩薩、十一面観世音菩薩、八大龍王、大日大聖不動明王等住所 / 名古屋市天白区天白町大字平針大根ケ越206アクセス / 地下鉄鶴舞線「平針」下車 徒歩15分程
2018.06.30
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名鉄名古屋本線「鳴海駅」で下車駅からは北に向かいます、扇川を越え、乙子山方向を目指す約20分程のウォーキングです鳴海(成海)は北に鎌倉街道を背にし、昔は南に成海潟と呼ばれ、港のある海辺の高台でしたやがて海岸線は後退、江戸時代には東海道の宿場町として栄え、知多半島へも通じる交通の要所として賑わいましたもとは鳴海町字城28番地地付近に鎮座していました1394~1428年頃(応永年間)、足利氏の武将安原備中守宗範がここに根古屋城(鳴海城)を築くため、現在地に奉遷されたものです江戸時代から明治にかけて刊行された地誌に残された当時の成海神社現在の周囲は宅地化され、住宅が広がります右下の鳥居辺りに「一ノ鳥居より入れば此処へいずるなり」と書かれています一の鳥居が下の写真になります成海神社一の鳥居の前の道はまだまだ登っています成海神社社号標と一の鳥居扁額境内に入った左側に絵図には描かれていない「成海神社南鳥居跡」の石標参道を進んだ右に二の鳥居と玉砂利が敷きつめられた境内、拝殿が広がります鳥居を過ぎた右側の手水舎と手水鉢参拝客の途切れる事がない神社、蓑亀の口から清水が注がれる上は成海神社社務所下はだるま塚優美な屋根勾配でながれる屋根、唐破風を持つ拝殿石段脇の狛犬境内全景右から直會殿、翼廊で拝殿と参集殿につながれ、落ち着いた堂々とした佇まいをしています外界とは明らかに違う、気配のようなものを感じる空間です筋肉隆々とした彫の深い拝殿前の狛犬です成海神牡由緒より鎮座地 名古屋市緑区鳴海町乙子山八十五番地ご祭神 日本武尊 宮署媛命 建稲種命 祭礼日 十月第二日曜日 ご由緒成海神社は天武天皇の686年(朱鳥元年)熱田神宮神剣、飛鳥の都より御遷座のときの創立と伝えられています。890年(寛平2)の記録である「熱田大神縁起」の中には嗚海に関する日本式尊の御歌が四首ありますが、その一つ「ナルミラ(鳴海浦)を見やれば達しヒタカチ(火高地)にこの夕汐に渡らへむかも」は、その場所は現在「城」と呼ぶ鳴海駅北の高台で、太古は波打ち際でした。鳴海潟が干拓となって室町初期、応永の代(約600年前) 安原氏がここに築城すろ際、神社は現在の地に御遷し申した今も例祭に際し、扇川畔で「御船流の神事が行われる由緒も尊の御東征の遺志に依るものです。当社が古来「東宮大明神」「東宮さま」の神号でこの地方に広く敬仰されたのも熱田神宮東宮として創立当初から神宮とは格別の緑故があったからで、今川義元を始め戦国武将尊崇の記録数々蔵し、尾張の明神大社として古地誌にも喧伝され、戦前は県社に列し、尾張の明神大社として古地誌にも喧伝され、戦前は県社に列格されていました。昭和61年には創杷千三百年を寿ぎ、式年大祭を盛大に斎行し、社殿造営・境内整備を記念事業として執り行い、いやちこに高き神威を敬仰されています。ご社宝 扁額 伝小野道風筆「東宮日月歩」 古丈書 1557年(弘治3) 今川義元 社領安堵状 等々五七の桐に笹竹が入る神紋、木目が美しい拝殿内から本殿を覗う拝殿の全景昭和に入って建て替えらていますが、重厚で趣があります本殿は千木と鰹木をおさめるのが精いっぱい全景を覗う事は出来ませんでした地誌では参道脇に点在していた摂社でしたが、現在は拝殿左に整然と纏められています上左から子安社、北野社、風神社、愛宕社、今宮社、住吉社、八劔社、八幡社、氷上社・源大夫社合殿下左から日割金刀比羅社、御井社、道祖祓島社、山神社、白山社、宝田社、熊野日向社、神明社一の鳥居の左側は参拝者駐車場となっており、西側に隣接して東宮稲荷社参道入口があります入口の石標参道は延々と奉納鳥居が立ち並ぶ参道中ほどにある手水舎、手水鉢宿中安全東宮稲荷社全景大きな杜に包まれて佇む東宮稲荷社、緑の背景に朱色が映えます教育委員会解説板と緑区史跡散策路「千鳥塚コース」マップ、周辺の立ち寄り処は豊富です今回訪れたのは、かみさんのリクエストでこちらの御朱印帳を手に入れる事が主目的絞の御朱印帳はシンプルで味のあるものです成海神牡虫取り網を持った子供達が戯れる身近な存在ではないものの、地域を代表する規模と歴史を持つ由緒ある神社です御祭神 / 日本武尊 宮署媛命 建稲種命創建 / 686年(朱鳥元年)祭礼日 / 10月第2日曜日住所 / 名古屋市緑区鳴海町乙子山85番地HP / 成海神社アクセス / 名鉄名古屋本線「鳴海駅」から徒歩約20分
2018.06.28
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津島神社と名鉄津島駅を東西に結ぶ天王通天王通り5交差点の手前を左に曲がりましょう右側に赤い奉納幟と赤い鳥居が見えてきます、そこが『観音寺』です右が三吉稲荷で左が観音寺一二支御本尊礼拝殿小さなお寺の観音寺ですが、アートな御朱印で近年知名度が急上昇津島界隈のアートな御朱印の火付け役となったお寺と言って過言ではないでしょうかみさんは年明けから予約が取れなくて漸く取れたと大喜び予約当日も大勢の人が順番待ちで列をなしていました中では一心に御朱印を書く副住職の姿が見える左の大きな数珠は「厄飛ばし大念珠」と呼ばれ、108の大きな珠が連なります両手で引いてカチカチと音を鳴らす事で心の悩み、迷いを吹き飛ばし正しい道へと導いてもらえるそうですまずは本堂でお参りです地蔵が並ぶ参道の先の右が本堂になります書き置きの御朱印が並びます最近、御朱印帳も販売されているようです、13時から15時まで受付なのでご注意を本堂前の御詠歌の刻まれた石碑「阿りが多や 八十八のみほとけをこのひにをがむ極楽の山」と刻まれています昭和11年頃の創建だそうですが、本四国霊場(四国八十八ヶ所)を巡るには、お金も日にちもかかり簡単に行けるものではありません観音寺には四国八十八ヶ所全てお参りしたのと同じ功徳が頂ける本四国霊場が安置され、一度にお参りができる身近な巡礼地、この上もなく幸せであるとしてこの御詠歌が歌われたそうです本堂を正面から眺める(上)観音寺略縁起より山号を牛玉山(ごおうざん)、寺号は観音寺真言宗智山派に属し、本山は京都の東山七条の智積院に持つ1515年(永正12)快祝法師が中興、元は見越村(現在の愛知県愛西市佐織町)にあり、三輿山廻向院観音坊といわれた織田信秀の頃より白山信仰の先達として寵愛を受け、豊臣秀吉、徳川家康の信頼も厚く、1608年(慶長13)祝蔵法師の時、白山社と共に現在地に移り、津島神社の社僧の列に加わり、牛玉山(ごおうざん)神宮寺と呼ばれた本堂前には煩悩を打ち払い、厄除のご加護がある五鈷杵(ごこしょ)が置かれています本堂内全景中央の本尊不動明王座像は1399年(応永6)良辨作、右が弘法大師、左が阿弥陀三尊、薬師如来、歓喜天、地蔵菩薩が祀られます堂前には温もりを感じる手書きの由緒書き次は観音寺の右にある三吉稲荷へ参拝手水は蛇口をひねってト三吉稲荷の由緒書きも副住職の手によるものなのか三吉稲荷本尊 / 荼枳尼天胎蔵曼荼羅には恐ろしい情景で描かれます予約した時間が近付いてきました、かみさんは御朱印を書いてもらいに礼拝殿へ、おっさんは西隣の白山社に参拝です続々と予約された方が訪れます3ページを使い描かれた御朱印副住職渾身の力作体調が芳しくないようで、これまでの様な対応は見直していかれるようです観音寺創建 / 不明本尊 / 不動明王住所 / 津島市天王通り六丁目43番地の1アクセス / 名鉄津島駅西口を直進、一つめの信号を左折
2018.06.25
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一宮市三条字宮西『御裳神社』境内を彩るあじさいで知られる神社で毎年あじさいまつりが開催されます今年は6月9日(土)~16日(土)の開催でした近年は手水鉢に浮かぶ紫陽花が脚光を浴びる神社ですが開催期間中、近くを徘徊する機会があり、かみさんに「参拝する?」と尋ねると助手席でスマホから情報を収集、凄く賑わっているらしいので敬遠する事に実家の老夫婦にも知らせているようでしたが、こうしたイベントものには乗らないと思っていたが最終日に出向いたらしく下の写真と書置きの朱印が届く臨時駐車場も満車、手水鉢は人だかりだったそうです送られてきた一枚が上、確かに綺麗なものだと思います話しによれば人の隙間からやっと撮る事ができたそうです手水鉢に紫陽花を浮かべる寺社は以前からあるなかで、こちらは近年人気があるようです御裳神社創建 / 1045年(寛徳2) 「尾張国神名帳」に従三位上御母天神と記される古刹祭神 / 天照大神、日本武尊、迦具土神住所 / 一宮市三条字宮西1145
2018.06.24
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おやじの街には今も豊かな森が点在します「やもりさん」、我家の守り神として以前は玄関先で見かけたバリ島のチチヤとよく似ています、現地でも守り神として大切にされていますここ数年彼の御姿を見る事はなかったその背景には近隣の森の急激な伐採、宅地化が進んでいる影響が関連するような5月にウグイスの初鳴きを聞くもそれ以降は聞かれない、何か少しづつ変わってきているそんな近況で久し振りに彼と遭遇したのはかみさんでしたこの写真を見せてもらい、何気に嬉しいものを感じます扉の色に一生懸命同化しているつもりでしょう、しかし動いちゃいけない老眼の入った彼女でもロックオンされるはしぶとカラスの制空権です、気を付けないといけない長いものと足の多いものは夫婦揃って嫌いだが君たちは歓迎しています気を付けて頂きたいものです散歩道で見かけた❤の葉伐採の進む森の片隅に年代物の自然薯を見つける子供の頃は掘りに行ったものです嬉しいよね、こうして残っている事が見かける事がなくなったものが多いだけに、なんとか残って欲しいものですおっと掲示板ではカタツムリがデットヒートの真っ最中優勝のご褒美はあじさいの葉の上で記念写真は如何でしょうか?そういえばモウセンゴケも見つけられなかったもう一度良く見て見よう
2018.06.23
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名古屋市瑞穂区土市町東西に延びる妙音通の「妙音通3」の交差点を南に入りますマンションに挟まれた僅かな敷地、大きな松の下に鳥居と赤い奉納幟が見えます窮屈そうに『嶋川稲荷』は鎮座しますこの先は山崎川に突き当たります鳥居正面からの全景ようやく赤い鳥居も視界に入ってきました石の鳥居に掲げられた『嶋川稲荷』扁額区画整理などで移転を余儀なくされ、現在地に落ち着いたそうです細長い境内その先にお狐様と祠が見えます小さい神社ですが立派な狐です屋根に覆われ、その下に祀られる祠『嶋川稲荷』創建 / 詳細不明1743年(延享2)、「愛知郡村邑全図」に井戸田村の稲荷と記載が残る1822年(文政5)当時、現在の地下鉄妙音通駅の北側出口から北側は嶋組と呼ばれた地区、その中の南前田と呼ばれた場所に鎮座していたと言われますその後、明治、大正とその地にあったが、1926年(大正15)に道路整備の為、藤原師長公配所屋敷跡のあった田嶋に移転する更に1939年(昭和14)道路拡張の為、藤原師長謫居碑と共に現在地に移転された祠の右にある藤原師長(もろなが)の謫居趾の碑と左の碑は読み取れない藤原師長1138年(保延4)藤原頼長の次男として生を受ける、保元の乱のあと土佐に配流された後に白河院政のもとで太政大臣、従一位となるも、1179年(治承3)平清盛のクーデターで当地に配流された配流後の龍泉寺で理覚と改め出家、仏門に入る箏、琵琶の演奏に優れた才能を発揮、彼の琵琶は「白菊の琵琶」と呼ばれる1181年(治承5)清盛の死後、京へ召還となります師長に仕えた村長の横江氏の娘に白菊の琵琶を形見として残します娘は現在の枇杷島まで師長を見送り、悲しみから琵琶と共に身を投じましたそれと共に師宣の琵琶は幻の琵琶となります(後に白菊の琵琶は宮内庁所蔵と判明)1192年(建久3)55歳死去。法名は理覚、号は妙音院妙音通、師長町、枇杷島の町名や神社から南の山崎川に架かる橋の名も「師長小橋」これらは藤原師長にちなんだものと云われます現在の瑞穂区土市付近を描いた尾張名所図会(上)師長とその左に白菊の琵琶が描かれています海を臨み琵琶を奏でる、リゾート?的配流嶋川稲荷住所 / 名古屋市瑞穂区土市町1丁目アクセス / 市営地下鉄名城線「妙音通」下車 徒歩約1分2018/6/17絵図の山崎橋を起点に近隣の神社を落して見ました秋葉神社(河岸町)と山崎橋 秋葉神社(呼続町) 迦具土神社ともろなか小橋
2018.06.22
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天白区天白町平針大根ケ越住宅地へと変貌した平針周辺、神社を取り巻く杜が浮島の様に点在しています針名神社は地下鉄鶴舞線「平針」駅から南へ徒歩15分程、秋葉山の麓に鎮座します神社西側には広大な駐車場を持ち車でのアクセスも良いところです駐車場から西参道の鳥居は目の前神馬と狛犬が建つ西参道スロープが整備され車椅子で参拝も問題なさそうですマッチョで凛々しい狛犬です鳥居から西参道両脇を玉垣と木立に包まれ伸びる参道は如何にも聖域である事を感じさせます杜は多くの野鳥を育んでいるようですこの杜で見かける野鳥の案内板や神社に纏わる情報が掲示されています参道の左側に手水舎と奥に社務所が見えてきます龍神の口からは絶え間なく水が注がれています社務所神門前から歩いて来た西参道を振り返る透かし塀を持つ趣のある神門から拝殿を覗う神門に掲げられる扁額と脇に置かれた由緒書き創建は、900年(延喜年間)作成の『延喜神名帳』に従三位針名天神と記載されている事から、それ以前には鎮座していた云われます創建当時は現在の社地から約800mほど北の元郷付近に鎮座していたと云われますその後、1596年~1615年(慶長年間)に家康により平針街道(姫街道)が整備されるのを期に、現在の社地に部落と共に移され平針宿とした余談になりますが犬山市にある針綱神社は、針名根命とその父の尾綱根命を祀っている五三桐の神紋を横目に境内へ重厚な向拝を持つ拝殿正面からの全景現在の社殿、社務所、手水舎は1956年の昭和天皇御即位50年の奉祝記念事業により再建された新しいものです参拝当日は本殿が補修工事の真っ最中で全景を覗う事ができませんでした機会があれば再訪したいと思います拝殿に掲げられている扁額拝殿内の全景延喜式内社で尾治(張)氏の末えい尾治針名根連の命を主祭神として祀る相殿神として大巳貴命、少彦名命、応神天皇(1909年合祀)が祀られる神門の右にある神蔵、それほど歴史を重ねたものではなさそうです神蔵の左に赤い鳥居の稲荷、「針名稲荷社」鳥居の先の竹林へ伸びています鳥居を抜けた左に新たな鳥居が続き、大きな覆いの下に祠が祀られます角の取れた小柄の狛犬が守りを固める大ぶりの祠神明社、知立社、山神社、御鍬社、洲原社、金刀比羅社の六柱が祀られています神明社の左、穏やかな顔つきの撫で牛二つの祠は右が針名天神社と天王社神門の左に御円木向かって左が檜、右が杉で同じ根から生えており、縁結びの御利益があるそうな神門の前から南へ伸びる参道があります登りきると小さな鳥居と狛犬、その脇の社号標は西参道のものより若干古い表参道と裏参道で言えばこちらが表参道?針名神社HPの境内図では何もコメントされていませんが、ここからだと参道を下った正面が神門となります西参道の途中から秋葉山「慈眼寺」の案内板があります参道から5分もかかりません、立ち寄られては如何でしょうか針名神社(はりな)創建 / 不明延喜式神名帳の”従三位針名天神“の記載がある事から、約1100年以上前と推察延喜式内社で尾治(張)氏の末えいをとして祀る主祭神 / 尾治針名根連命相殿神 / 大巳貴命、少彦名命、応神天皇境内社 / 針名稲荷社、神明社、知立社、山神社、御鍬社、洲原社、金刀比羅社、針名天神社、天王社住所 / 名古屋市天白区天白町平針大根ケ越175アクセス / 地下鉄鶴舞線「平針」駅から南へ徒歩15分程
2018.06.19
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名古屋市南区呼続元町地下鉄妙音通駅から南へ5分程歩くと山崎川に架かる「もろながこはし」に至ります川面の色に合わせたかのような緑に塗られた「人専用橋」です橋を渡ると南区です橋から上流新瑞橋方向の展望 太古のこの辺りは海岸線でしたが、開拓と共に河口は沖へ伸びていき堤も伸びていきました現在はコンクリートの堤防が延々と続きます 新瑞や呼続周辺は古くは鎌倉街道、東海道、塩付街道、平針街道等旧街道が整備され下流の山崎橋から東海道を経て京都、伊勢に至る交通の要所でもありました この界隈は狭い道が多く、当時の名残りを感じさせます迦具土神社は「もろながこはし」を渡った左に鎮座します 目印は堤にある駐輪場ですね堤から一段下がった民家との僅かな敷地鳥居や狛犬はありません西側に境内に入れる裏参道がありますが、自転車で塞がれた表参道入口から境内へ 紫陽花の咲く迦具土神社と社号標神社全景大正15年と彫られた旗杭裏参道の社号標祠は東方向を向き、堤と同じ高さまで盛られた上に祀られています 白い鉄製の柵で囲われた祠は扉が開けられ 中に収められた神札に「正一位秋葉・・」と見て取れます明治以降に秋葉社から迦具土神社に変わった? 何れにせよ地元の方に大切に受け継がれているようです元町「迦具土神社」 民家と駐輪場の僅かな敷地に受け継がれる小さな神社創建 / 不明御祭神 / 火之迦具土神住所 / 名古屋市南区呼続元町7アクセス / 地下鉄名城線「妙音通」から徒歩で約5分
2018.06.16
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かみさんの希望だった津島界隈の御朱印巡りへ行ってきましたなのに生憎の雨今日の天気は紫陽花か水蓮だナと決めた名古屋を9時に出て、庄内堤をひた走る1時間ほどで津島天王川公園駐車場に到着津島天王祭りや藤で知られる公園です周辺の寺社を巡るには平日無料の駐車場はありがたいかみさんは御朱印の予約時間が気になる様子少し待ってもらって丸池の水蓮を撮らせてもらう中之島に架かる赤い橋の周辺は、毎年水蓮の可憐な花を見る事が出来ます盛期には少し早い様ですが、それでも結構咲いています雨に打たれて咲く水蓮鉛色の空の下、水面に咲く花の白さが浮き立ってきます岸際でも随分開花してるのでコンパクトカメラでお気に入りの一枚が撮れると思いますかみさん、時間がとても気になる様子これくらいにして雨の津島を歩く事にします住所 / 第一駐車場 津島市宮川町1丁目
2018.06.15
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名古屋市南区呼続「秋葉神社」瑞穂区河岸町の「秋葉神社」から山崎橋を渡り対岸の南区側へ渡ります山崎川の堤の下流側に鎮座します橋の正面に東海道の道標と白い石標が視界に入ります左は宿駅制度制定時に建てられた旧東海道の道標 右の角の欠けた石標は・・・・・廻り込んで見ると大きく「山崎橋」と彫られています 明治の頃に作られた「山崎橋」の親柱(欄干の端に立つ太い柱)と呼ばれるもので当時のものが今も残ります、角が欠けた理由はなんでしょうね?山崎橋を渡った下流側に呼続「秋葉神社」が鎮座します対岸を眺めると正面に川岸町の「秋葉神社」が見渡せます ここからは社が見えるのみ、如何に堤防が高いか良くわかります山崎川の流れは天井川の様相を見せています呼続「秋葉神社」の手前にある石標、これは対岸で見た物と対の様です堤の上にさらに一段積まれた上に社が祀られています、見えていた玉垣はこれです こちらは鳥居も狛犬も見当たりません 住宅に挟まれ、対岸の河岸町「秋葉神社」以上に窮屈そう 堤防の南側は旧街道の名残りが漂う狭い道沿いに住宅が犇めいていますその様な立地だからでしょうか、このあたりには秋葉神社が点在します堤から境内に入った右側に社はあります こちらも神社当番の方により、手入れされているようです以前、私の町内にも神社を中心として、住民同士の交わりがあったものです しかし、それも神社の荒廃と共に気が付けばなくなっていました火伏の神として創建、今も受け継がれる呼続「秋葉神社」南区呼続「秋葉神社」創建 / 不明御祭神 / 火之迦具土神住所 / 名古屋市南区呼続1丁目アクセス / 地下鉄名城線「妙音通」下車南へ7分程ミャー子から「山崎橋」の親柱、角が欠けた理由はなんでしょうね?」の記述に対し「昭和20年5月17日の空襲空襲により欠けた」と教えを頂きました。なかなかそこに辿り着けませんが、ひとまず「全国主要都市戦災概況図」から周辺の被災状況を掲示させて頂きます。
2018.06.15
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瑞穂区河岸町 赤い電車が山崎川の鉄橋をゆっくりと通り過ぎる、右手は名鉄名古屋本線「呼続」駅 川面に赤い車体が映りこむ情景が見られる場所旧東海道山崎橋、旧街道の名残りを感じさせる狭くて入り組んだ道が残ります それ故に狭い範囲に多くの寺社が点在しています山崎川の堤沿いを下流に向かうと山崎橋に辿り着きます橋から下流を見ると山崎川右手の堤防脇に神社が見えます 堤防の変形した法面の僅かなスペースに見事に収まっています高い堤防が迫ります 参道入口はここからではなさそう、先にある階段の様です 道路側は玉垣、反対側は山崎川堤防に囲まれた長三角形の敷地道路側からの全景、二つの社と狛犬が見える鳥居はなく社号標も見当たりません堤防に出て右に広がる境内 海岸を埋め立てそれに伴い河川堤防も伸びて出来た土地柄地盤沈降から左の燈籠も川側に落ち込んでいる境内に右の「御大典記念」石碑(左) 天皇が皇位を継承する即位の礼、これを記念して建てられたもの燈籠の奉納年月日(右上)から推測になりますが昭和天皇と思われます社の左脇に纏められた石鳥居の部材、過去には鳥居を構える神社であったと思われますが 空襲により損壊したものか、自然災害に依るものなのか・・・・・考えない境内右の手水鉢 こちらにも「御大典記念」と彫られています水は・・・・・龍がいない社全景 秋葉社と金毘羅社定期的にどなたか手入れされているのでしょう、境内は至って綺麗に保たれています 神社を起点に人が住い、崇め、住まう人の繋がりが生まれるタイトな場所に鎮座する小さな神社ですがその役割は大きなものですこの繋がりがなくなると神社は荒廃し、それによる人の関わりも希薄になり「隣は何をする人ぞ」 私の町にはそうした社が点在します、幼少の頃の記憶を頼りに訪ね、今を見るにつけ形容できない寂しいものを感じます社前の狛犬 ふっくらとした丸みのあるフォルム社全景 右が・・・・・と書きたいところですが、私はこれを識別する事が出来ません後に分かればこの部分は追記します(出たァ得意技)何気に堤防の対岸に目をやれば 山崎川を挟み対岸にまたも玉垣が見えます、先生曰く「秋葉神社」の様です山崎橋を渡り向かう事にします橋の手前にある公園の角に「明治21年・・」と刻まれた石標と風化により読み切れない左の道標 PCで加工すれば読めると思っていましたが甘かったようです秋葉神社創建 / 不明御祭神 / 火之迦具土神住所 / 名古屋市瑞穂区河岸町4丁目アクセス / 地下鉄名城線「妙音通」下車南へ徒歩5分程
2018.06.13
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千種区丸山町地下鉄池下駅から南に区役所や住宅の立ち並ぶ丘陵地丸山神明社はこの丘陵地の頂きに鎮座します昔の名古屋の街は名古屋城を中心に城下町が取り囲む南北に長い形をしていました城下町を外れた東は小さな谷を挟んで台地が広がり、村が点在する農村地帯が広がりますこの辺りは江戸時代に丸山村と呼ばれ、現在の町名や丸山通りはその名残りです丸山神明社正面全景鳥居左に1584年(天保5)建之された「村中安全」と彫られた秋葉常夜灯が残ります鎮守の杜で囲まれた境内では、毎月1と6の付く日にこの境内で野菜の朝市が開かれ、地元の方々で賑わいます境内左の由緒書き社号標とその奥は丸福稲荷社の鳥居境内全景境内左の手水舎と注連縄の巻かれた古井戸境内右に丸福稲荷へ続く鳥居が連なります鞘堂の下、朱も鮮やかな板垣に囲まれ丸福稲荷社が祀られています隣接し西を向いて境内社が纏められています右から、八幡社、春日社、津島社、秋葉社、洲原社と並び、唯一南を向いて山神社が祀られます境内中央の周囲を植え込みで囲まれた一画内側には池と橋もあり、その先の小島に弁天社が祀られています拝殿前の狛犬と五三桐の神紋拝殿全景入母屋造りで瓦葺の拝殿は、木造の小さなものですが村の神社の趣が漂います丸山神社扁額拝殿から本殿の全景拝殿軒下には奉納絵馬が掲げられています、新しいものですがしっかり描かれています(上)拝殿と社務所は渡り廊下でつながります(下)拝殿右、これが神楽殿なのか神饌所なのか良くわかりません拝殿左の聞き慣れない木霊社 木々に宿る精霊を祀ったものなのか、林業の神を祀ったものなのか詳細は不明としておきます境内の左にある大宰府北野雨宮御分霊丸山天神 境内右に網で囲われた小さな撫で牛があります網の一部に穴が開けられ、そこから触れる様です、集中的に撫でられて鼻が輝いています 北側の丸山公園からも参道入口があります 鳥居の左が参拝者駐車場、木々が残っているので2~3台か?丸山村から現在に至るまで様相は変われど、公園では子供が戯れ、市が建ち人が集まる 古来より崇められる神社なのは間違いないようです丸山神明社創建 / 元亀天正年間(1570~1592)祭神 / 天照皇太神摂社 / 應神天皇、春日天神境内社 / 丸福稲荷、八幡社、春日社、津島社、秋葉社、洲原社、山神社、木霊社、辨天社、丸山天神住所 / 名古屋市千種区丸山町1-38アクセス / 地下鉄東山線「覚王山」下車徒歩10分程
2018.06.10
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東海地方も梅雨入り 昨晩も稲光と共に警報が出るほどの降水量適度に降ってほしいものです 台風の影響で明日から雨の予報、茶屋ヶ坂公園の紫陽花を見にひと歩き夕陽を浴びて芝の明暗が美しい 茶屋ヶ坂池を左に見ながら池沿いを歩く木陰を吹き抜ける風は日中の火照った体をクールダウンしてくれる やがて紫陽花園が視界に広がる先日に比べ開花は進み、6分咲きか? 普段は人気のないこの公園夕涼みがてら来られているのか、photocon用なのかコスプレして写真に収めていたりこの時だけは人で賑わうチャチャっとひと回りして収めたのが上になります 群落を前にスケール感のある写真がない、相変らず・・・・・です紫陽花はそぼ降る雨が似合う、色合いにも艶が出て一番趣があっていい まだ当分は楽しめるだけにカタツムリ持参でまたチャレンジしてみよう茶屋ヶ坂公園住所 / 名古屋市千種区鍋屋上野字汁谷アクセス / 地下鉄名城線「自由ヶ丘」下車北へ徒歩10分程
2018.06.09
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赤こんにゃく 御存知の方も多いと思います滋賀県の近江八幡から琵琶湖東岸で身近に買い求める事ができます 息子を訪ねる機会があると必ず買って帰る、最近お気に入りですこんにゃくは濃いグレーか白が一般的ですよね 初めて見かけた時には赤トウガラシを練り込んだ「辛いこんにゃく?」スーパーのおばちゃん曰く「そんなのは入っていないヨ、炒り煮にしてごらんおいしいよ!老舗の味 近江名物「赤こんにゃく」330g試しに一個買い求め、かみさんが炒り煮にしておかかを添えて出してくれたこのメニューは地元の学校給食でも提供されているらしい見た目は肉質感たっぷり、色もまた肉をイメージさせる 精進料理で使えそうな・・・・・質感も肉に通じる、触感も肉に近い、何となくレバ刺し的な食感 刺身用もあるらしいのですが、これはまだ試していません炒り煮にすると味は当然醤油ベースで鰹の風味が漂う味わい お酒の進む一品です赤トウガラシで染めていると思われ、敬遠されがちの赤こんにゃく 成分にはトウガラシは全く含まれていません赤色の正体は三二酸化鉄(鉄分)、健康に不可欠な鉄分が摂取できる健康食品の様です 地元では一昔前までは、この赤こんにゃくしか流通していなかったそうですおばちゃん曰く「学校給食にも出てくるよ」との事でした赤こんにゃくの発祥は定かではありませんが、信長の赤い陣羽織にあやかり赤く染めさせたとかetc 地元には複数の製造元があり全メーカーを制覇してみようと考えています一緒に買ってきた「純米吟醸長濱」、これも飲んだ事がない かみさんと一緒に飲める日を楽しみに狭い冷蔵庫で冷やしておこう
2018.06.08
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天白区平針山の続く土地柄だったが、現在は宅地化され丘陵地の住宅街へと様変わり 南北に名古屋第二環状自動車道の高架とその下を国道302号線が走る交通のアクセスも良くなりました国道302号線の平針北5丁目交差点の東旧飯田街道の名残りを感じる通りの北側に建つ小さな御堂が御嶽社です御嶽社の正面 山丸三の紋が入った瓦は御嶽社である事を主張、堂前の左右には不動明王の石仏が祀られています境内右に手水鉢でしょうか?上四国西国秩父坂東霊場順拝供養塔下堂前の左に祀られる不動明王、剣を持ち厳つい表情をしています右は弓を引く不動明王堂内 山丸三の紋は山は霊峰御嶽、○は宇宙を現す、中の三本の線は上から不動明王、中央が大日如来、下が摩利支天を現します提灯の位置からすると右に不動明王が祀られているようですが拡大も限界です左に岩崎御嶽山を創建(1860年)した明寛霊神の提灯も見られます 本店を長野県木曽郡木曽町の御嶽山木曽本宮とすれば、支社は長久手市岩作と日進市岩崎にある「御嶽山」、こちらは平針営業所的な位置付けでしょうか?何れにしてもどこもかも山丸三の紋が入ります両脇で不動明王が睨みを利かせる平針「御嶽社」住所 / 名古屋市天白区平針5アクセス / 市営地下鉄鶴舞線平針下車南へ徒歩10分程
2018.06.07
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長久手市富士浦の『富士社』を訪れました長久手市役所から香流川を渡り、県道60号線を右へ徒歩15分程の御旗山に鎮座します県道脇に富士社の石鳥居が見えて来ます鳥居の先は白い石段が一直線に上へと伸びています比較的新しい白い石段と社号標新しい石段を登りつめると二の鳥居、右側には富士浅間社の社号標二の鳥居の前は下から延びる参道の様です石段の先には屋根が見えています両脇を木々に覆われ、木陰の下を登っていきますそれ程広くはない境内、正面に社殿だけが建っています右には若干緩やかな参道左には手水鉢が置かれています水は注がれていないものの手水鉢の水は澄んでいます社殿だけが鎮座するので意外に解放感のある境内です御旗山の木々に囲まれ、境内を抜ける風は心地よい富士社全景切妻の小ぢんまりとした社殿シンプルな富士社扁額、飾りがないだけに文字が生きてきます富士社記によれば1617年(元和3)の創建とありますが、1970年(昭和45)に改修を行うも1985年に火災で焼失1991年(平成3)崇敬者の支援により再建されたもの子供の虫封じ御利益があると云われています江戸時代になって青山重太夫が富士浅間神社から勧請し建てたのが『富士社』と云われる社殿脇の社記富士社の社殿右側に御大典(即位)記念碑同じく社殿の右、こんもりと盛られた上に「御旗山」と刻まれた石標 境内の史跡案内板1584年(天正12)の長久手の合戦で徳川家康が陣を張ったのがこの御旗山です家康は自軍の先遣隊が桧ケ根で秀吉軍の堀隊に敗れ敗走してくるのを見て、兵の一部をこの山に向かわせ頂きに金扇の馬印を立て喚声をあげさせ堀隊を威嚇しました堀秀政は山頂の馬印を見て家康本隊が迫っていることに驚いて兵を退却させたその御旗を立てたのがこの御旗山になります後に富士浅間神社(富士社)を祀った事から御旗山は富士ヶ根とも称されるようになったと云われます上から見下ろす石段、結構怖いものがあります二の鳥居から南方向の眺め、見通しが効き今は住宅が広がります御旗山『富士社』創建 / 1617年(元和3)御祭神 / 木花開耶姫命住所 / 長久手市富士浦602アクセス / リニモはなみづき通り駅下車東へ15分程
2018.06.05
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長久手市岩作色金県道57号線沿いの安昌寺を過ぎ、道は香流川に沿って左に緩やかに曲がっていきます左の山は色金山歴史公園に至りますやがて小さな堰が見えて来ると岩作色金の『馬頭観音』は目と鼻の先です左岸は岩作御嶽山になりますこの小さな堰は、香流川の水を周辺の田畑に潤す水源になっています色金山歴史公園の東、県道57号線沿いの山肌にへばり付く様に小さな堂と左右に石碑が二つ見えてくると思います、岩作色金の『馬頭観音』です堂の左側の石碑何やら沢山刻まれていますが、拡大するも読めませんでした堂の右側は歌碑の様です「ここはやざこか、安昌寺よこか、むかしじゃのでたいのはな(猪の鼻)か」と刻まれています 言い伝えによると、井のはな(猪の鼻)は、古代より岩作川上の聖地とされてきた所だそうです上古神代の時代には龍神が棲息していたと伝えられるそうです当時の猪の鼻は、村の外れで人家もない場所だったそうですそこには大蛇が棲んでおり人をおどしたりしたそうで、ここから近い安昌寺の雲山和尚が退治したという伝説も残っているそうです長久手合戦の戦死者を弔い、首塚を築いた雲山和尚、蛇退治までされたという事の様です歌碑の左の三面八臂坐像の馬頭観音1900年(明治33)に馬車引きの人々により建立されたもので、台石には馬車有志中と刻まれています馬頭観音菩薩は七観音の一つであり、行き来する人々の安全祈願と災いを祓う道祖神として崇拝されています現在の堂は2005年(平成17)に再建されたもの同じ様な観音様はここ以外にも岩作御嶽山の他、土橋の馬頭観音等でもお目にかかるお顔です観音様の前を通るのが馬から車に様変わりしても、この場所で佇み見守っています住所 / 長久手市岩作色金 アクセス / リニモ長久手古戦場駅下車北に徒歩35分程
2018.06.04
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