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瑞穂区大喜町太古のこの地は西に海辺が迫り、東の瑞穂台地の麓に当たる場所田光八幡社から西方向へ歩き、2本目の細い路地を左折します細い路地を5分程歩いた左側に秋月院は鎮座します秋月院山門から本堂全景本堂はコンクリートの高床の上に建てられています弓頭山秋月院宗派 / 曹洞宗近代的な本堂の造りに比べ、木造瓦葺きの山門は浮いた印象を与えます歴史は古く「尾張名所図解」に記述も残り、創建は1598年(慶長3)と伝わります織田信秀の家来で小豆坂七本槍の一人と数えられた「中野又兵衛尉重吉」の妻で、「今川氏豊」の娘により開基されたと云われます寺号は妻の法名「秋月院殿花顔桂秀大姉」を寺号とし、山号は又兵衛が弓衆を統率する立場だったことから付けられたといわれます元は熱田神宮の東の田島に創建され1938年(昭和13)この地に移転したもの山門左に碑が並びます左の碑は「秋月院」の「へその緒」を祀ったもので、1596~1615年(慶長年間)に建立されたと伝わり、秋月院では最古の碑とされるものです右が「子安地蔵」地蔵自体は結構な年月を重ねているように見えます山門扉に金色に輝く五七の桐紋この寺紋の由緒、調べて見たが分からなかった、今川家の家紋でもありますが山門扁額の崩し字、達筆すぎて読めないシンプルな彫飾りの虹梁と軒下の母垂木の木組みも美しい山門の石段の先が寺務所になるようです寺務所扁額・・・・・崩し字検索サイトもヒットしない、お寺に教えを乞う事にしよう本堂右の水かけ龍上観音菩薩龍をあしらった鉢の上に水が満たされ、観音様が祀られています三十三の姿に変え、慈悲と知恵により人々を災いや煩悩から救う観音菩薩、悪運を断ち幸運を招くと云われる龍神、両者が一体となった「龍上観音菩薩」です石の色が示すように建立は新しく、2017年に寄付されたもの山門横の「秋月院」の「へその緒」の碑と子安地蔵、以前はこの場所に祀られていたようです入母屋の本堂全景近年改修された新しいもの、この位置から屋根を眺めると入口に向け流れる様は綺麗なものです本堂に掲げられる山号扁額本尊 / 愛敬薬師瑠璃光如来、 脇仏 文殊菩薩、普賢菩薩、十二神衆等 (本尊は弘法大師作と伝えられる秘仏)イベントや体験教室等、新しい取組を行っているお寺です、一度参加してみる事にします秋月院住所 / 名古屋市瑞穂区大喜町1-28℡ / 052-881-9541アクセス / 市営地下鉄桜通線「瑞穂運動場西」から田光八幡社経由で徒歩20分程
2018.07.31
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瑞穂区大喜新町「田光八幡社」熱田神宮からほぼ東に位置し、瑞穂台地を東西に横切る山手グリーンロード沿いに傾斜地を削り造成されたような敷地に「田光八幡社」は鎮座しています神社へは一本南側の街道の面影が漂う路地を東に進みます街中にしては立派な木々が茂る一画、田光八幡社鎮守の森が左に見えて来ます田光八幡社全景左に赤い鳥居と右に石鳥居を構えます境内では近隣のじっちゃん、ばぁちゃん方が集まり、境内の清掃をしながら井戸端会議や猫の餌付けの真っ最中でした神社を中心とした人のつながりが感じられる良い光景で、好きな光景でもありますそんな中をお邪魔し境内へ鳥居には橘の神門が刻まれています鳩の多い神社の印象です、境内、注連縄、扁額の至る所で鳩がくつろいでいます鳥居左に由緒書が掲げられています先程まで参道にいた鳩も見知らぬおやじが訪れた事から一斉に消え失せた真っ直ぐ伸びる参道の両脇には樹齢を重ねた大木が聳えます、その先に二の鳥居と拝殿が見えます二の鳥居の左に手水舎、天然石を彫り込んだ手水鉢、龍がいい仕事をしています境内全景(2枚の合成)左は田光稲荷大明神、右側に社務所、正面の拝殿とその右に見える小さな切妻屋根の建物が田光白竜社狛犬は子持ち、球持ち、吽形の狛犬の後ろの木は「和合の木」拝殿正面橘の紋が入った提灯と立派な注連縄で飾られた拝殿由緒 / 社の由緒によれば熱田神宮の神官守部公彦正の創建と云われる創建 / 782年(延暦元年)御祭神 / 応神天皇・仁徳天皇・神功皇后大楠の枝が屋根を覆うように伸び木陰を作りますシックな飾り金具と瓦で葺かれた落ち着いた佇まいは大楠が作る木陰の影響が大きいと思います拝殿右側の全景左から田光白龍社と弁才天、その右に境内社が纏められ更に右側が東鳥居と手水鉢大きな御神木の楠木の前に田光白龍社(左)と弁才天が祀られています社の前を良く見れば、へびです、蛇がこちらを見ています苦手な奴です上段 白龍社のへびは重軽石なのでしょうか?、良くわからないので触るのはやめておこう下段 弁才天の祠の中にも良く見れば色白のへびがいます(右下にアップを貼っておこう)上段 白龍社の右手にある八剱社(左)と白山社下段 右が秋葉社、左の小振りな社が黒龍社弘法七本楠1200年前この地を訪れた弘法大師は7本の楠を植えたと伝わります熱田神宮へ5本、1本は古井の坂、ここ田光八幡社に1本植えられたと云われます樹高40mを超える楠木の巨木で樹齢は1000年を超えると云われます堂々とした枝振りは拝殿から本殿を覆い尽くす勢いです根には白蛇が住むと言い伝えられ、今だ樹勢の衰えもなく聳え立つその姿は正に白龍社の御神体に相応しいものです二の鳥居脇にあるやや小振りの楠(黒龍様の御神木)と共に市の都市景観保存樹に指定されています上段 白龍社後方の龍神池下段 東鳥居の全景、住宅の続く細い路地に忽然と細い参道と小さな鳥居が現れます大楠を前面に拝殿から本殿全景の眺めそれにしても見事な巨木です、その枝は神社の上空を覆い尽くす勢いです白蛇がいてもおかしくない、そう思わせる堂々とした立ち姿です上段 拝殿左に朱の鳥居と提灯建があり、参道は田光稲荷大明神へとつながります下段 山手グリーンロードを背にして南を向いて祀られる社田光稲荷大明神の左に手水鉢が置かれています上段の手水鉢は4隅が窪んでいますが杯状穴の名残りでしょうか?上段 田光稲荷大明神の左にも奉納幟が並ぶ参道があります下段 参道は左に折れ、巨木の陰に隠れる様に東を向いて祀られるもう一つの社があります二の鳥居の左で参道を覆う様に聳える「夫婦和合の木」欅(けやき)と椋(むく)でもともと別々の木が成長の過程で一つに融合した老木を指します案内板によると作法にのっとり、願を掛ける事で子が授けられると云われ、更に夫婦円満、浮気封じと御利益がある優れものです境内にはこの他にも二の鳥居の手前に「黒龍様の御神木」もあり、こちらは体を御神木に寄せる事で体の痛い部分が治癒すると云われる古木があります、こちらも宜しければお試しください樹齢は不明ですが、潮騒の聞こえる瑞穂台地に古くから根をおろし、その根は一部が朽ちかけているものの田光八幡社と共に時を重ね、この地の移り変わりを見てきた生き証人達です参拝を終え帰りの参道で出会った鳩と猫たちじっちゃん、ばぁちゃん達は去り、おっちゃんに触らしてくれるのかな? その耳、警戒モードにはいっているな神社があり、老木が木陰を作る、そこに人が集い、動物が集まる、私が好きな神社とはそうしたものですそこに社格は影響しませんこちらの神社を訪れ改めてそう感じます2018/07/22住所 / 名古屋市瑞穂区大喜新町3-23 アクセス / 市営地下鉄桜通線「瑞穂運動場前」から徒歩で西に約15分
2018.07.29
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津島市今市場町1丁目津島市内を東西に走る県道68号線、今市場町2の交差点を過ぎ、西方向の天王川公園方向に歩きます県道沿いにの右側に「大圡社」は鎮座します右は低層のビル、左は民家に挟まれる環境の中に、石鳥居と社号標真っ直ぐ伸びた参道の先に拝殿が見えます大圡社社号標、土ではなく圡、「、」が付いています馴染みのない字です津島市内を散策すると、各町毎に右の写真の様に町名の由来が書かれた解説板があります訪れる観光客には嬉しい配慮がされ、地元の歴史を語り継ぐ良いツールだと思います鳥居を過ぎると苔むした子連れ、球持ちの狛犬が見つめ合っていますコンクリートの参道の先に唐破風を施した入母屋の拝殿まで進みます拝殿から社殿の眺め社殿前の狛犬拝殿から流造の社殿は渡廊で結ばれています一見地味なトーンで彩色された社殿ですが、大棟の瓦など所々に艶やかな彩色が施されています過度な彩色や飾りのない落ち着いたものです大圡社は「津島神社」の境外社創建 / 不明、古い祭礼図から1781年(天明元年)以前に遡る御祭神 / 大土御祖神末社 / 石神社、琴平社この二社、元は今町辻に鎮座していたが1910年に焼失、1914年にこの地に遷座したもの大圡社祭礼約300年前に始まったといわれる尾張津島秋祭りの一つとして、10月第1日曜日と前日の2日間にわたって開催されます、見所は、からくり人形をのせた山車七切、向島、今市場、神守の4地区から、100年以上の歴史を持つ16台の山車が曳きまわされますそれら全てが文化財に指定されているそうですお隣の延命寺参道側から見た境内全景社殿の裏側にはおもかるさんと呼ばれる、さすれば子宝に恵まれる重軽石もあります津島詣でマップ拝殿唐破風と社殿の屋根、妻飾りが・・・・・大圡社の東隣りには延命寺への細い参道が続きます大圡社住所 / 津島市今市場町1丁目アクセス / 名鉄尾西線津島下車徒歩10分程
2018.07.26
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名古屋市緑区有松地蔵堂からお天王坂を南へ歩く、国道1号線を超えると左側に高台が見えて来ます目指す有松神社はその頂にあります頂きの名は高根山麓から頂きは、へばり付く様に住宅街が広がりますこの立地は我が家の立地と瓜二つ、どこに行くにも坂しかないこの坂は高齢者には優しくないだろうし、降雪時にも大変な場所だと想像できる頂きの上までグーグル先生の御導きに従い登ってきたもののどうやら参道ではなかった様です、境内東側に石鳥居を構えた参道があります仕切り直して、鳥居から境内へ鳥居右側の社号標と緑の境内が広がっています手水鉢は鳥居の左にありましたが・・・・・鳥居から東方向の眺め、丘陵地に住宅街が広がりますそれ程登った気はないけれど、こうして見ると結構な高度差があります鳥居正面には有松神社社殿見慣れた狛犬も見当たらず・・・・・?狛犬ちゃんといましたね理由は分かりませんご覧の様に台座の上の狛犬が直接台地に置かれています、台風、地震等で被災したのだろうか?黄色と黒のロープに囲われ、随分低い位置から社を守っていますしゃがみこんで漸く視線を感じる事が出来ましたいい顔つきをしています、それだけにこの状況は可哀そう、早く復旧するといいですね有松神社社殿比較的大柄な神明造の社殿鰹木の一部はあっち向いてホイ!となっており有松の町名の付く神社、かみさんを誘っただけに、なんだろうこの気持ちは社殿北側からの眺め南側からの社殿狛犬と鰹木の並びが妙に目を引く鰹木の数はひとつ、ふたつ・・・・・6本偶数の鰹木は女神を祀るとも言われますが・・・・・社殿右日清、日露、第二次世界大戦この地から出兵し戦死された方々の慰霊碑「征清戯捷碑」「忠魂碑」が並びます有松神社もこれら戦没者を祀るために建立されたと云われています高根山は戦前から多くの記念碑があった事から「記念碑山」と呼ばれる事もある様です神社の鎮座する高根山は桶狭間の合戦でも要所として知られます高根山に陣を張った今川軍勢、ここからが鳴海の善照寺砦や中島砦など織田軍勢の動向を覗った場所とも云われれます境内に掲げられた布陣図、現在は住宅が広がります合戦当時には周囲の眺望が効き、陣を張るには絶好のポイントに間違いはない(頂きから善照寺砦方向の眺望)おけはざま山で本陣を張る今川義元を尾張名所図会でも描かれていました圧倒的な兵を率いる義元、誰しもこの先に起こる事は想定は出来ないものです「人世大逆転街道」と書かれた案内板数では圧倒的に劣る信長、正に大逆転の足跡を辿るルートがあるようです義元の最後の場や、兵の数は今も諸説あるようですが、何れにせよ数の論理から結果を予測する事はできないはずで、上洛の夢はここ桶狭間で絶たれることになります信長が自身の首を賭けて挑んだ唯一の戦略だったのかも知れません有松、短時間で巡るには歴史と見所が多い街です今の国会にも桶狭間のような出来事は起こらないものだろうか有松神社創建 / 不明、(1955年(昭和30)に慰霊碑とともに新たに社殿を作る)祭神 / 不明、(日清、日露、第二次世界大戦の当地戦没者)住所 / 名古屋市緑区有松町大字桶狭間高根アクセス / 名鉄名古屋本線 有松駅下車、神社へは徒歩15分程
2018.07.25
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彦根市古沢町佐和山の西麓に鎮座する龍潭寺(りょうたんじ) 桜を求め近江を訪れたのが2018/4/3名古屋ではピークを過ぎた桜も近江まで来るとまだまだ真っ最中東海道本線と佐和山に挟まれた龍潭寺駐車場から参道全景佐和山は歴史マニアには石田三成の居城(1560~1600年)として知られ、彦根城築城にともない1606年(慶長11)廃城となり、現在は「佐和山城跡」の看板だけがそれを語るのみです龍潭寺は1600年(慶長5)に井伊直政が佐和山城主となり、井伊家発祥地浜松にある井伊谷の龍潭寺を分寺、龍潭寺の五世住職昊天禅師を招き建立されたものと伝わります1602年(慶長7)に着工、2代藩主・井伊直孝の代の1617年(元和3)に龍潭寺の諸堂が完成、現在の伽藍が形造となった廃城となった佐和山城の建築物は彦根城やここ龍潭寺やお隣の清凉寺に一部移築されていると云われていますこちらのお寺とにかく苔の美しさが素晴らしい、山門に入った途端、木々の下は緑の絨毯その中にひっそりと三成の座像が置かれています夕陽を受け輝く苔参道を覆う木々と地表を覆う苔を眺めながら境内へやがて石段とその先にシックで重厚な佇まいの中門が現れます周囲の森の色合いに溶け込むように意図したのか、木の質感が漂う作り中門左の鐘楼(上)と山門の土塀(右下)は瓦が埋め込まれ銃弾を通さない戦国時代の名残りを感じさせます参道の右側に小さな御堂中門の正面に大洞観音堂と右に御告げ七福神が勢揃い観音堂と方丈は回廊で結ばれている中門左の方丈こちらで御朱印と拝観受付を行っています方丈入口の案内板こちらの襖絵と東庭は彦根市指定文化財となっています方丈内部には佐和山城で使われていた陣鐘「龍潭晩鐘」が吊るされています(上段右)方丈内部の襖絵の美しさは印象的龍潭寺は別名だるま寺とも呼ばれる事がありますその名の通り中には夥しい数のだるまが祀られています毎年4月の1日、2日には禅宗の祖、達磨大師に由来した行事「だるままつり」が行われ、だるま達の祈祷法要が行われます訪れた当日はその翌日、残念ながら祈祷法要はお目にかかる事は出来ませんでしたこの時に祈祷されただるま達は年間を通じて販売されます正面の見たこともない巨大だるまが祀られていますが彼は非売品だるまの睨むその先には見事な枯山水「ふだらくの庭」中央の石を観音さまに見立て、白砂を大海に見立て、船出する船を模した石、背後は水平線を表現しているらしい何より白砂とそれを取り巻く苔の緑のコントラストが美しい、時が経つのを忘れ、只々見とれるわびさびの空間がそこにあります方丈内の各部屋の襖絵は美しいものがあり、目を楽しませてくれます当日は閉館前だったこともあり、座り込んでじっくり鑑賞する事も出来ました鶴亀蓬莱庭園佐和山を背景にして山裾の斜面に造られた庭園 築山は地形をそのまま利用して高く築かれ、裾野の池へと繋がります右手の建物は書院になりますが、その南隅に高い滝口が組まれた美しく落ち着いた趣のある庭園です方丈の襖絵は56面と言われますが、それらは彦根藩士森川與次右衛門の子、森川許六により描かれたと云われています枚数の問題ではなく、これを全て描きったエネルギーには素直に感動蓬莱庭園だるま、佐和山を背景に苔生す庭園、方丈の襖絵と見所が多く、ゆったりとした時間を与えてくれるはずです龍潭寺建立 / 1601年(慶長6)宗派 / 臨済宗本尊 / 楊柳観世音菩薩拝観料 / 400円・小中学生150円 拝観時間 / 夏期9時~17時(受付は16時30分まで)、冬期9時~16時(受付は15時30分まで)住所 / 滋賀県彦根市古沢町1104アクセス / 名神高速彦根インターから車で10分程佐和山城址へは龍潭寺からのコースをお勧めします2018/4/3
2018.07.23
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春には多くの花を咲かせてくれた我が家のブルーベリー 多くの花は彼らに啄まれ、ようやく付けたピンクの実も日々減っていく今年は御裾分けして頂けるのか若干心配していたが ようやく収穫時期を迎え先ほど摘みに行ってきましたこ~んなに取れました・・・・・5粒、5粒かァ 網を張ればジャムやら酒やらできるくらい収穫できるのだが2年続けて網を張らないと当たり前の様にやってくる 最後の5粒、贈り物として権兵衛様が収穫させて頂いた君達は明日から他を当たってくださいなもう来年はないぞ 運悪く網の中から出られなくなったら、救済手数料としてハックル1枚を頂こうか警護担当雇うか・・・・・いや、やはりやめておこう
2018.07.21
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尋常ではない気温が続く毎日昨日の予報は39℃本屋に行こうと思い、家から外に出た途端に空気の膨張した時に感じるあの息苦しさこれは来てる、危ない!車にしよう、普段使ったことのない外気温表示に切り替えて見れば示した温度はなんと外気温43℃!異常だ!ならば部屋の温度計を持ち出して測定してみた、温度は上昇し続けていく39℃を指した時点で外出取りやめ!気象台から発表される気温は測定環境が非常にいいものですアスファルト化され、ビルの立ち並ぶ環境ではそれ以上になります不要不急の外出は控える、この異常気象から身を守るにはこれに尽きるとは言え今日も予報では37℃ありきたりだが、水分補給をしっかり行い自己管理するしかなさそうだ体は鉛のように重たいが会社に行くかぁ
2018.07.19
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天地社平針から県道58号線(飯田街道)を東進、赤池西の交差点を左折北上します、西武福祉会館南の交差点で左へ、道路の右手の奥まった場所に鎮守の杜と石鳥居が見えますアスファル化された広い参拝駐車場神社全周に石垣が積まれ周囲より高く盛られた敷地玉垣は全周を囲んでいます街中の住宅に囲まれた神社に比べ、郊外で周囲に民家が密集する訳でもありません田畑が残り解放感のある神社道路際から天地社の全景桐紋の刻まれた鳥居の先には拝殿が見えています、広く明るい境内の印象です天地社社号標(左)と日進市指定文化財の「天地社旧本殿」の標柱社号標の後ろは旧本殿石鳥居、石の扁額、桐紋雲一つない青空を背景に石の白さが浮き立っています石段を登り境内へ、左手が手水舎になります天地社由緒書き境内の手水舎と手水鉢龍から絶えることなく静水が注がれ、台地へと戻ります拝殿全景手入れされた広々とした境内に見慣れぬ狛犬が拝殿前で凛々しく構えた狛犬は陶製の様です滑らかに輝く表面の質感、まるで鎧でも纏ったようにも見えて来ます拝殿左に手水鉢破風や垂木の至る所に煌びやかな飾り金具、それらには桐紋が施されています押し出しの強い派手さではなく、上品な印象を受けます年月を重ねるにつれ、益々風格を増していく立派な建造物だと思います賽銭箱の金色に輝く飾り金具と桐紋拝殿扁額天地社御祭神 / 国常立命・伊弉諾命・伊弉冊命・須佐之男命創建 / 不明、棟札と思われる木札に1498年(明応7)再建の記載が残る社殿全景、右は境内社現在の社殿は1994年(平成6)に造営されたものですが、木の温もりを感じる落ち着いた佇まい本殿全体は見て取れませんが流造だと思います、屋根の曲線が綺麗です拝殿右の瓦葺の建物は?神楽殿なのか絵馬殿なのかわかりませんが、木鼻飾りや彫が施されたシックな美しさを感じます境内社右から御鍬社、天王社、山之神社、浅間社こちらの狛犬も拝殿前と同様の赤みの強い陶製でした旧天地社本殿現在の新社殿建築に伴い、鳥居右の現在地に移されたもの移転前の本殿周囲は塀で囲まれ、拝殿を備えていた旧本殿前の狛犬旧本殿には1705年(宝永2)に作られたと云われる木造の狛犬がありましたが、現在は岩崎城にある歴史記念館で保存・展示されています岩崎城歴史記念館/http://www.mf.ccnw.ne.jp/iwasakijo/覆屋の下に祀られる一間社流造の本殿棟札から1689年(元禄2)に再建と記されているそうで、日進市では最古の建造物として市の指定文化財に指定されています暗めの朱は随分と剥げ落ち、そろそろ「化粧直しをして欲しい」と訴えているようにも天地社田畑が残る郊外に悠々と鎮座する住所 / 日進市 赤池町屋下186アクセス / 地下鉄鶴舞線平針下車徒歩15分程
2018.07.19
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津島市瑞穂町今回の目的地「龍淵寺」は観音寺から歩いて10分程南に位置します県道68号線今市場町3の交差点を南に折れ、5分程歩きます町内の東側には名鉄尾西線が南北に走り、電車が通過する音を除けば、車の往来も少なく静かな住宅街曹洞宗『龍淵寺』はその道筋に建っています「津島市内19ヶ寺による霊場(朱印)巡り」の一つでもありますこちらのお寺、かわいい地蔵さんの絵が描かれた御朱印を頂ける事で女性には人気の寺山門がある訳でもなく、まるで民家の様な趣の寺そこが寺である事を示すものは、紫の幟と御朱印の見本くらいでしょうか表札は掲げられていますが塀の色と同化し分かりにくいかも寺務所入り口もご覧の様な感じ、御朱印見本が飾られていなければ民家の佇まいです矢印に導かれ本堂へ少し奥に入り込んだ場所に大珠山『龍渕寺』の本堂が全景を現します扉の開いた右側が御朱印受付窓口おや?かみさんの姿が見えない本堂へ入ります堂内金色の如意輪観世音菩薩像が輝いています、右手の奥に御朱印を書かれる住職の姿がある乙女心をくすぐるタッチの御朱印や御詠歌の書かれた色紙が飾られ、アートギャラリーの様な堂内に驚き龍淵寺本尊の如意輪観世音菩薩はじめ、地蔵菩薩等多種多様予約をされた方向けに描かれた色紙も並べられています色使い、タッチといい、かみさんが「行きたァい」とリクエストする訳だ如意輪観世音菩薩の「如意」とは意のままに願いを叶えることのできる如意宝珠のこと「輪」は煩悩を取り払う法輪を指し、その二つを手に持つ観音菩薩が 如意輪観音となります片膝をついた特徴的な姿の救済の観音様御朱印はかみさんに任せ、境内と周辺を散策してみた本堂正面に石地蔵と手水鉢更にその奥に社が祀られるが、由緒書きはなく詳細は不明南から見た龍淵寺全景こうして見ると寄棟の本堂が良く見えます、寺ですね龍淵寺の開基は賤ヶ岳七本槍衆の一人、秀吉家臣の平野長泰と云われます初めてお参りすると頂ける如意輪観世音の絵入り御朱印季節に応じ、かわいい地蔵の絵の入る御朱印が頂けるようですここからスタートという事です龍淵寺宗派 / 曹洞宗創建 / 1441年(嘉吉元年)本尊 / 如意輪観世音菩薩住所 / 津島市瑞穂町1-8アクセス / 名鉄尾西線津島駅から南へ5分程
2018.07.16
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南区呼続元町 安泰寺熊野三社の北参道口にある史跡散策路案内板に従って、民家が犇めき合う狭い道を北へ歩きますやがて視界の先に跨線橋がみえてきます、それと共に視界も広がります跨線橋の下は名鉄名古屋本線、ひっきりなしに電車が通過していきます上が呼続駅方向で正面の杜が目指す安泰寺の杜、下は笠寺方向になり、赤い電車の右側の森が熊野三社が鎮座する杜です左と右の標高差が呼続台地の地形を表しています跨線橋を渡った正面が安泰寺山門山門左に寺号標と史跡散策路案内板瓦葺のこぢんまりとした安泰寺山門右側には樹齢を重ねた巨木が聳えていますシンプルな木製の扁額に黒で描かれた山号山門の表札目立たないけれど重厚なものです安泰寺本堂全景本堂右が寺務所になるようです安泰寺宗派 / 浄土宗 西山禅林寺派本尊 / 阿弥陀如来創建 / 不明本堂左の六地蔵堂安泰寺は山崎城跡に建てられたお寺です三方に崖を備えた山城で、築城年は不明ですが蔵人浄盤の居城と伝わります後に加藤弥三郎へ主を変えていきます三代城主佐久間信盛の時に信長による「石山合戦」で思うような成果を出せなかった信盛は信長により1580年(天正8)高野山へ追放され、それとともに山崎城は廃城の道を辿ります城の荒廃後、当時笠寺観音の北側にあった宝珠庵が移り、現在の安泰寺へ形を変えたと言われます跨線橋の下を走る名鉄本線は山崎城の西堀を利用してレールが敷かれたものとも云われています境内を一回りしましたが城跡を示す痕跡に出逢う事はありませんでした山門の脇に聳える巨木、この地の変貌の生き証人なのかもしれません何れにせよ、古史にも記録が残る由緒ある寺である事に違いはない住所 / 名古屋市南区呼続元町16-22アクセス / 熊野三社から北へ徒歩約2~3分公共交通機関 / 名鉄名古屋本線「呼続」下車南へ徒歩約5~10分
2018.07.13
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名古屋市緑区有松身近な存在ですが、いつもは車で通過するばかりで街を散策する機会に縁がなかったかみさんと近隣からの帰り道に立ち寄ってみました有松の街並みを眺めつつ、中町の地蔵堂と有松神社を目指す事に有松駅南側にあるバスターミナルの近代的なモニュメント相変らずの踏切を渡り、駅前の看板を頼りに古い町並みを眺めつつ、中町地蔵堂を目指します有松駅と東海道をつなぐ山与遊歩道を西に向かいます旧東海道に架かっていた中川橋の石柱有松は桶狭間の合戦で知られる「桶狭間」にも近く、旧東海道有松宿の名残をとどめた街並みは国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定され、有松絞や山車など歴史と伝統が引き継がれています木造家屋が連なる落ち着いた街並みが東西に伸びています服部家黒漆喰のうだつが印象的です、こうした古い町並みが点在します、屋根神様との出逢も期待できそうな服部家白漆喰で塗られた土蔵となまこ壁、開けられた分厚い窓扉、街道情緒の漂う風景です古民家を改装したうどん屋さんも街並みに溶け込んでいます有松山車会館とその右に正面に東海道、側面に大府行縣道と彫られた道標山車会館向かいにある東町の山車「布袋車」を格納する山車庫ここ東町の「布袋車」、中町「唐子車」、西町「神功皇后車」と三台保存されており毎年10月第1日曜日の有松天満社の秋季大祭に曳き回されるそうですレトロな外観の歯医者さんの隣にある土蔵町並み保存地区案内板とイラストマップ、散策時の情報は豊富です通りすがりの境松1丁目で見かけた地蔵堂、詳細は不明です古い街なので近隣には寺社や史跡も多く、「ちょっと寄る」には奥が深い有松です絞り中濵商店と店の脇に置かれた歌碑、町内7各所に置かれているそうです中濵家土蔵こちらの土蔵は見慣れたなまこ壁ではないようですlink 文化財ナビ中濵家土蔵 / 服部家この先で南北に伸びる緩やかな坂が現れます、昔はお天王坂と呼ばれたそうですが現在は県道237号線中町地蔵堂へはお天王坂で左に曲がります長坂南交差点方向に進み二本目を右に入ります右手に小さなお堂が見えています、中町地蔵堂です中町地蔵堂の正面全景以前はお天王坂沿いにあったものを、道路整備に伴い現在地に移転されたそうです扁額も心なしか新しく、小さな堂の左には地蔵が祀られています堂内全景南無弘法大師と書かれた奉納提灯が両脇に吊るされ、その先に赤い帽子をかぶった弘法大師座像と大日如来が祀られています堂の左一見すると民家の扉、ピンポンは付いていない、表札は秋葉神社と書かれています良く見れば社の屋根も見えていますしかし境内へは扉から入るものなのか、門の右から入るものなのか作法が良くわからない扉から社に玉砂利は敷かれていますが、右からだと神に気付いてもらえない?迷いながらも右から境内へ火の神、火之迦具土大神を祀る中町の防火の神様「秋葉神社」玉砂利を踏みしめ社の前へ、賽銭箱が見当たらない、石段の上に失礼させて頂き参拝何か人様の庭に無断で立ち入っているようで今一つ落ち着かない現代風の門を構えた「秋葉神社」です中町地蔵堂/秋葉神社住所 / 名古屋市緑区有松1501今回徘徊したルート
2018.07.12
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津島市神明町と言うより「津島神社」の方が分かりやすいか門前町を西に歩き、神社の東大鳥居方向にやってきました平日にもかかわらず駐車場は結構一杯です、さすが東の津島と云われるだけのことはあります何回か参拝に訪れていますが、今回は津島神社ではありません境内の北側にある津島神社の神宮寺である「宝寿院」を訪れました鳥居を過ぎて右手に宝寿院の看板鎮守の杜で包まれ、手入れされた庭園を眺めながら参道を進みます小池の右は津島神社です狛象?が両脇で出迎えてくれる宝寿院入口です参道は左に折れ本堂に続きます狛象の左に掲げられた略縁記以下は宝寿院HPから引用今より1200年前、弘法大師(空海)が熱田社に詣でる道中津島に来臨されました。大師は人々が疫病に苦しむ様子を哀れみ、薬師如来を牛頭天王社(現在津島神社)弥五郎殿脇に奉安され、厄疫退散当病平癒の祈祷を勤修されました。以来、神仏混合の天王社は『東の津島、西の八坂』と称され、全国に末社三千の牛頭天王信仰を支えてきました。中でも信長、秀吉からは特に篤い信仰を受けたことでも知られています。明治以前までは宝寿院・実相院・明星院の三寺の住職が天王社神宮寺別当職を継承してきました。神宮寺の内一番西に位置する宝寿院は、地域の人々に「西寺さん」と呼ばれ親しまれてきました。ご本尊は薬師如来。子安地蔵、泉大竜神、弘法大師を奉安しております。真言宗智山派に属し、弘法大師より受け継がれてきた密教を伝えるご祈願のお寺です。明治初年の神仏分離令は全国の神宮寺に多大の影響を及ぼし、寺の存亡に関わる事となりました。尾張津島も例外ではなく、三つの神宮寺の内宝寿院以外は還俗(僧侶を辞めること)しました。そんな中、時の宝寿院住職・宥三は還俗すれば財産も身分も保証される中で孤軍奮闘。「いかに貧しくなろうとも 仏法捨てがたし」と、一年間寺社奉行へ日参し神宮寺の存続を訴えました。しかし願いは聞き入れられず、宥三はついに私財を投げ打って宝寿院住坊を買取り、神宮寺の仏像仏画・法具の数々を焼き討ちから守り今に伝えています。なんだか、HPの内容だけで充分な紹介です宝寿院の全景この境内の雰囲気は何と表現すればいいのでしょうか力強さとは対極の温もりを感じる女性的な趣が漂います狛象の右に寺号標と降魔成道(ごうまじょうどう)の釈迦如来坐像釈尊が悟りを開いて立たれるときに、それを妨げようと多くの煩悩が現れます、そのときに、お釈迦様はそれらの煩悩と戦い制圧、仏陀として悟りを開いたことを「降魔成道」と云われます煩悩を振り払ったお釈迦様の表情は穏やかそのものです参道左の子安地蔵と特徴のある丸い屋根が印象的な地蔵堂こちらの地蔵菩薩は、江戸時代まで現在の津島神社の東門十王堂で祀られていたものだそうです堂内全景水子地蔵尊後方の子地蔵象の次は亀境内の右手の釈迦涅槃像その表情はどこまでも穏やかです大師堂と修行大師像真言宗の宗祖弘法大師(空海)を祀ります本堂と右手は客殿(御朱印はこちらになります)1981年に再建されたもので、本尊の薬師如来が祀られます江戸時代までは津島天王社の本地堂(現在の津島神社弥五郎殿辺り)に祀られていましたが明治初年にこちらに移されたもの 神宮寺当時から秘仏と云われ、毎年元旦から1月8日の初薬師の間に参拝客に御開帳されるそうです一度は見ておかねば堂内本尊の薬師如来、日光・月光両菩薩、十二神将の他、大聖歓喜天が祀られているそうです本堂左の泉大竜神正面の建屋に祠が祀られています・・・・・嫌な予感亀の次は蛇苦手な奴がいました、しかもとぐろを巻いています重軽さまと呼ばれ、蛇の形をした重軽石です津島の森の守り神とはいっても、これは持てません水琴窟(左)と双連の樹、元は別々で芽生えいたものが何時しか根元からひとつとなり、一本の大樹(イスの木)となったもので、夫婦和合の願を叶えて頂けるそうですそういえば、かみさんが御朱印を頂きに行ったまま戻ってこない探して見れば、こちらで出逢った御朱印ガール?とずっと情報交換をしていますこれは長引きそうです津島神社参拝してくるかァ当日頂いた御朱印宝寿院HP住所 / 愛知県津島市神明町2番地アクセス / 名鉄尾西線津島駅から西へ徒歩15分
2018.07.10
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日進市赤池町「龍淵寺」日進市と聞くと遠い印象がありますが、龍淵寺は名古屋市平針に隣接する場所にあり、地下鉄鶴舞線「平針駅」から北に10分も歩けば訪れる事が出来ます車のすれ違いに苦労しそうな細い路地、その脇に龍淵寺の東参道が見えて来ます山門を目当てに歩いて来ましたが、山門はないようです、寺号標も見えて来ました左手に椎の木の巨木と植木で両脇を囲まれた参道を進むと境内が広がります参道先に本堂と手前にマニ車側面にサンスクリット語の文字が彫られたマニ車内部は経文が納められ、願をかけながら右に一回する事で、お経を一巻唱えたのと同じ御利益があると云われます境内の建物は、赤瓦が印象的な本堂、当日は法要が行われており、遠慮しながらの境内散策となりました本堂左泰安殿(右)と龍王堂龍王堂の左が如意輪観音像が祀られる小さなお堂とその左が秋葉三尺坊、その左は七福神が彫られた石標境内南側の大きな椎の下には立派な山門があるではないですか、後で見ていきますこの大きな椎の木は市指定文化財にも登録されている見事な枝ぶりの巨木です赤池城主・丹羽秀信により1573年(天正元年)龍淵寺が創建されますが、その際に植えられたものと言われます当初は複数植えられたようですが、現在残るのはこの木のみとなりましたが、樹齢400年を超える見事な大木です赤い瓦で葺かれた寄棟の本堂、屋根は緩やかな曲線を描き左右に広がり美しさを感じます龍淵寺宗派 / 曹洞宗創建 / 赤池城主の丹羽秀信の菩提寺として1573年(天正元年)建立本堂西側の墓地には今も秀信の墓碑がひっそりと現存します本堂扁額本堂左の鐘楼と半鐘泰安殿全景、堂内の拝観はできませんでした堂前の仏足石仏様の足跡を石の上に表したものらしく、仏様が自らの足で45年間の説法の旅を行った、その健脚にあやかって生まれたものらしい、初めてお目にかかりました龍王堂、泰安殿の左にあるこちらも扉が閉ざされ堂内は覗えませんでした観音堂龍王堂の左隣のの小さなお堂です内部には如意輪観音像が祀られる右手を頬にあて物思いにふける姿、あらゆる願いを叶えて頂けるありがたい観音様解説には1806年(文化3)製作とある秋葉三尺坊その左には七福神が彫られた四角い石標うしろに見える駐車場は以前は泉が湧き、その水は清浄で眼病に効いた事から閼伽水 (あかみず) と呼ばれたそうです湧水はやがて池となり、閼伽池と名を変え、やがて現在の赤池町の由来となる赤池と呼ばれていった現在はアスファルト化された駐車場に姿を変え、当時の面影を垣間見る事すらできません境内の山門の右には赤池の由来が記された石碑も置かれています境内南にある山門は境内側に「平成20年山門移動」と記されています東門から現在のこの場所に移築したものなのか?東門から一旦外に出て南門を正面から眺めました正面に「入口は東門」からの案内が老朽化による予防措置から封鎖したのか、そこまで朽ちてはいないだけに良くわかりませんこの山門が開き、そこから見える本堂を見たいものです山門右の表札伽藍的にもこちらが正門で違和感はないのですが南門の左平針の街を見下ろす位置に金毘羅大権現の祠が祀られています龍淵寺椎の木の巨木が歴史を語りかけてくるような、丹羽秀信が眠る寺です住所 / 日進市赤池町西組110アクセス / 市営地下鉄鶴舞線「平針」下車、北に徒歩約10分
2018.07.08
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名古屋市瑞穂区妙音通4熊野三社を訪れた帰り道、新瑞交差点角にある某銀行西側で玉垣が目にとまり立ち寄ってみましたあたかも郵便局の一部の様に、小さな堂が街に溶け込んでいます、随分と新しい建物ですこれまで気にもせず通り過ぎていたようです歩道から見えた僅かな玉垣、正面だけかい?横から見れば堂を取り囲む様に建てられていますそれにしてもこの光景から、ここに堂があるとは分かりません歩道に接する小さな堂は案内板がある訳でもなく、『妙音社』と彫られた石標と賽銭箱のみ後日、神社庁、瑞穂区等々調べて見るも分からず終い扉が閉ざされた『妙音社』正面全景です何もわからない推測ですが、呼続にある事、「妙音」と名が付く事となれば藤原師長(1138~1192)、彼の法名「妙音院」と所縁があると思われますかみさん「・・・・・だから?」そうなんです、しかし『妙音社』はそこにあるんです、気にならない?「ならな~イ、御朱印あるの」ない!『妙音社』詳細不明住所 / 名古屋市瑞穂区妙音通4アクセス / 市営地下鉄名城線新瑞下車 徒歩5分
2018.07.05
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名古屋市南区呼続名鉄名古屋本線「呼続」駅から、旧東海道の山崎の坂を南に10分程歩く住宅が密集する狭い道に街道の名残を感じさせますやがて左に石の鳥居と東海道と彫られた大きな碑が見えて来ます今回の目的地熊野三社に到着です社号標と宿駅制定400周年記念碑松巨嶋、あゆち潟、呼続の謂れが簡潔に書かれています一の鳥居から参道を進む、直ぐに二の鳥居と右に社が祀られています呼続台地の高台にありながら、随分と高く積まれた石垣の上に祀られた社残念ながら社名は分かりませんでした二の鳥居を過ぎると参道は左に折れます三の鳥居の先に境内が広がります鳥居の右に由緒書きと御神木の楠木樹齢は500年とも云われますが、この巨木が神社の歴史を物語っています熊野三社熊野三山は熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三つの神社の総称で、この熊野三山を総本社とする神社を指します御祭神 / 伊邪那美命、速玉之男命、事解男命創建 / 1558年~1570年(永禄年間)、山崎城主佐久間信盛が城中の守護神として祀った事から始まります、後の1627年(寛永4)に山崎村並びに付近一帯の住民の守護神として現在地に再建された ここから北に5分程歩くと安泰寺に至ります、そちらが旧山崎城址と云われています二の鳥居左にある歌碑三ノ鳥居の脇の狛犬何だろう、スフィンクスをイメージする顔はとても個性的で印象に残るものがあります以前どこかで会ったような気もするが・・・・・見事な枝振りの御神木です、空を覆うように葉が生い茂っています三ノ鳥居を過ぎた左に手水舎と手水鉢、水は清らかです手水舎脇の紫の藤に似た花が目にとまる、名前が知りたところです手水舎の参道を挟んだ向かいが社務所花の名前も知りたく訪ねて見ましたが生憎不在の様でした社務所の左に御誓文碑手洗松巨嶋「松巨島」と呼ばれるようになった由縁は、昔の熱田方面からこの地を眺めると、この一帯が「松の大きな島」に見えた事から呼ばれるようになったと伝えられ、古い地史にもその名は出てきます左の手水鉢は、何らかの理由で境内に埋められていたものを1960 年頃に掘り出されたもの、正面に「松巨嶋」と刻まれ、この地が松巨嶋と呼ばれていたことを伝えています社殿正面からの全体像社殿前の狛犬子付、玉付の受け入れやすい容姿をしています社殿内から本殿楠木の緑に包まれ、その下に切妻造りの拝殿緑青の青緑と背景の緑が印象的です社殿左の山崎稲荷社前のお狐様、妙に痩せて見えるのは気のせいか?上境内の右に西向きに祀られた浅間社(右)と津島社(左)下社殿右の南に向いて祀られる八王寺社(右)と八幡社(左)その奥に旧山崎城の掘り跡を名鉄名古屋本線が通ります、境内からは遮断機の音が良く聞こえてきます熊野三社、斜めからの一枚御神木の大きさが良くわかります上御神木と社殿全景、台風シーズンは御神木が風を受け止めるはずです歳が歳だけに心配な絵でもあります下社殿右のおたすけ石、謂れや取り扱い方が良くわかりませんおもかる石、あるいは力石的な感じ??楠木の古木に着生するシダ(ビロードシダか?)境内南に隣接する小路の脇にある地蔵堂、紫陽花が供えられていました小路から地蔵堂の全景後ろは熊野三社社務所になります堂内には三体の地蔵が祀られていますが、右側のお地蔵様の表情は当分忘れないでしょう境内に戻り社殿左から北の小路につながる参道があり、そちらを歩いて見ました民家の前を細い道が続く、歩く事数分狭い事に変わりはないのですが若干広い(軽自動車が精いっぱい?)道に出ましたまっすぐ進むと高架を渡り山崎城址に続くのですが左側の道の先に小さな祠らしき物が目にとまったので向かう事にしました(右側の消火器の先です)地蔵堂旧東海道、鎌倉街道等の街道も近い土地柄、周辺でもお地蔵様は良く見かけますこちらお地蔵様とは全くの初対面地蔵の左右に元号らしき彫が見えるのですが、コントラストの調整で読めるものと思っていたが甘かった、どの写真も読み取れませんでした得意の、後日詳細が分かれば追記する事にします地蔵堂の先を左に折れると再び旧東海道に出ます今回はこれで山崎橋方向に向かい帰途に付く事にします歩いてきて大正解の熊野三社です熊野三社住所 / 名古屋市南区呼続2丁目6アクセス / 名鉄名古屋本線「呼続」駅から徒歩約10分地蔵堂 住所 / 名古屋市南区呼続2丁目2アクセス / 熊野三社北側参道から徒歩数分2020/05下は新瑞から少し南の呼続2丁目の道筋。やっほさんのコメントがきっかけで再訪する機会を得た。それほど月日は経っていないながら光景は大きく移り変わっていました。以前にあった小さな地蔵堂は姿を消し、ここも移転先が分からないで終わるのか?通りがかりの方に尋ねたところ「安泰寺に移されたかも」と伺い訪ねて見ました。安泰寺本堂左の六地蔵堂を窺うと一つ増え、良く眺めると以前見かけたお地蔵さんがそこに祀られていました。後日住職に伺うと集合住宅建て替えに伴い安置したもので、以前はTVで取材されたこともあり、元は地元の方の墓石であったらしい、時の移ろいと共にお堂でお祀りし、地蔵として受け継がれてきたそうです。以前から気になっていた像の左に黒く描かれた「元」についても伺いました。TV取材の際に映像として分かりやすい様に揮毫に色を付けそれが褪色し現在に至っているようで、元号までは承知していませんとの事。「前掛け上げてスッキリしたいものですね?」と伺うと、「寺でお付けさせて頂いたものではないけれど、最初と最後に手を合わせ、拝んで頂ければお許ししてくれますよ」とのこと。すっきりしたいところだけれど、それは今後もやめておこう。すっきりしない事はあってもいい。このやり取りの中で中央の座像について「元はお墓にあったもので、この中で地蔵様かと聞かれれば一番馴染めない」そうです。最近昔を思い出しあちらこちら訪れている、訪れた場所の現況が当時と様変わりし、そこにあったものが無くなり、所在も分からない事が時折ある。短い時の移ろいの中ですら、こうした動きはとても速く寂しい思いが漂うけれど、別の機会に出逢うとそれは嬉しいものがある。
2018.07.04
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津島市天王通り津島神社へ続く古い道です、その界隈には古い寺社や観音堂、古い町並みが残ります名鉄尾西線津島駅方向を眺める雨の街並みはしっとりとした雰囲気が漂い、味のある一面を見る事ができます人通りの少ない天王通りを津島神社方向に歩いて行く南側に一段高く石垣の積まれ、玉垣に囲われた瓦葺の社が現れます何やら歩道沿いに由緒書きらしき札も見えます鳥居もない参道が目に入りますこちらは裏参道と勝手に決め込み、次の信号から南側に回り込んで見る事に民家の間の細い道を入った所に鳥居を構え、南を向いた社が見えて来ました『白山社』です『白山社』を正面から眺めます境内は霧雨でしっとりとした静かな佇まい鳥居をくぐった左に手水鉢がありますがこれは一寸・・・・・申し訳ないけれどご辞退させて頂く事に境内からの白山社全景個人的主観になりますが、小さな神社は今日のような情景が似合う奉納年月日を見忘れてしまいましたが、この雨で狛犬の苔の緑が浮き立ち、シックな雰囲気に一役買っています流造の瓦葺きの社雨に打たれる瓦も良いものです「白山社」について調べて見ましたが、それ程情報は得られませんでした由緒書きの1381年(弘和元年)、三輿村(現在の愛西市見越町)に創建、1608年(慶長13)当地に移転と、隣接する観音寺で見かけた一文「元は見越村(現在の愛知県愛西市佐織町)にあり、1608年(慶長13)白山社と共に現在地に移り、津島神社の社僧の列に加わり・・・・・」のみとなります。どちらも移転年度は符合しているのですっきりしますが、移転前のことまではさっぱりでした神木で隠れてしまいましたが、斜めから見る屋根の勾配は緩やかに流れ魅惑的でもあります裏参道から境内の眺めコンパクトに纏められた神社です鳥居を出て左に進むと、そこは観音寺本堂に至りますウオーキングで何度か訪れている津島ですが、のんびり時間をかけて徘徊したいと思う場所です2018/06/15白山社創建 / 1381年(弘和元年)、1608年(慶長13)現在地に移転御祭神 / 大国主命住所 / 津島市天王通り5丁目31アクセス / 名鉄尾西線 津島駅下車 西へ5分
2018.07.01
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