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『龍泉寺』の前の上り坂、突き当りに立派なお寺が見えています曹洞宗のお寺、長福寺が鎮座します長福寺の前の細い通りを右に折れると、道路に面した長福寺の壁の一画が途切れ狛犬の姿を見る事が出来ます長福寺の秋葉山が正解なのかもしれませんが、ここは井戸田の秋葉山としておきます寺の壁を一部切り取り、敷地内に堂が設けられています地元の方が通りすがりに瓦葺の小さな堂の前で拝んで往かれます堂前の狛犬は丸みを帯びた小振りなものです火之迦具土大神を祀る秋葉山静岡県浜松市天竜区に位置する秋葉山は古来より霊山として信仰されています秋葉山本宮秋葉神社の創建は709年(和銅2)と云われ、火除け、火伏せの神として身近な存在です龍泉寺の歯痛地蔵尊の解説でも語られていたように、戦時中の空襲では大きな被害を受けた様です周囲が焼失する中、この秋葉山は戦火から難を逃れた事から、この地域では更に崇拝されるようになったと語られています当時の光景は知る由もありませんが、焼け野原の中で秋葉山だけが建っている光景を目の当たりにすれば、そこに何か不思議な力が働いたと感じるのも当然かもしれません地元の方でしょうか、年配の方が手を合わせていく姿は戦災を免れ今も残る、秋葉山に対する畏敬の念からかもしれません戦争を知らぬ者には語れないものがありそうです細く入り組んだこの地に住まう、火伏せの神として身近な存在なのが良くわかりました住所 / 名古屋市瑞穂区井戸田町3丁目アクセス / 市営地下鉄名城線「妙音通駅」下車、北へ徒歩5分程
2018.08.31
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高野山 day2読経で目が覚めるものとイメージしていたが早朝の高野山はシケインを攻める車のエンジン音で目が覚める、時計は・・・・・4:30そっと社外に出て伸びをする、朝の空気を腹いっぱい吸い込む、秋だよねかみさんはまだ爆睡しているので、コンビニまでコーヒーを買いがてらぶらっと散歩修行の場、朝は早い印象でいたが以外に寺の朝は遅い、開門も遅い印象ランニングをする方、早朝の高野山を写真に収める方、シケインを攻めるバイク其々の楽しみ方があるようです駐車場に戻るとシュラフを片付けるかみさんの姿、おはようさん、寝れた?「寝れたけど、車の音ナニ?」世界遺産高野山でF1なんかやると面白いのでは?ここはその最大の見せ場かね?「なに、言ってるの?」ひとり言です・・・・・「距離、短くない?」聞こえてるじゃん、朝飯調達しにコンビニ行こう朝食を済ませ、かみさんより本日のコース指示まずは、「高野山中野橋駐車場へ車で移動、その後「一ノ橋」から陵墓を見つつ奥ノ院を目指す」了解ですエンジンスタート!(・・・・・動くかな)、車は快調なお目覚めです一路、中野橋駐車場に移動ですものの10分ほどで到着、立体駐車場の一階に駐車、一ノ橋まで歩いて戻ります駐車場で見かけた「青い鳥」、いいねェだるまデリカの目指すところでもあります、さあ、一ノ門まで歩こう!歩く事15分程、杉の巨木に抱かれて架かる「一ノ橋」に到着ですここ一ノ橋から奥ノ院弘法大師御廟まで三つの川があります「現世」「来世」「浄土」の境界を橋を渡ることで極楽浄土に行くことができると云われます手水舎で清め一ノ橋を渡ります杉の古木で覆われた、神秘的で厳粛な空気の漂う石道を進むことに空を覆う杉の巨木に差し込む朝陽が石道を照らす、道すがらに祀られる石地蔵にも間もなく陽が差し込みます、ここは、それまでとは明らかに違う空間です戦ではライバル同士の武将もここではお隣さんです名だたる戦国武将の墓所や廟墓が祀られ見るべきところは絞って来たつもりですが、時の過ぎるのは早い上段左 「汗かき地蔵」堂中の橋を渡った左にあり、堂の右に「姿見の井戸」があります井戸を覗いた自分の姿が映らない時は「三年以内に亡くなる」言い伝えがあるそうです上段右 「密厳堂」覚鑁上人興教大師が祀られ、覚鑁堂とも呼ばれるそうです切株の中、脇、至る所に様々な地蔵が現れます石道から左に登った高台に豊臣家墓所が広がります信長の墓所も石道から、少し登った左にひっそりと佇んでいますやがて右の視界が開け、御供所・頌徳殿、正面の「御廟の橋」の先に「燈籠堂」が見えていますここからは撮影、着帽、スマホ禁止の聖域です「燈籠堂」名前の通り、堂内は無数の燈籠に埋め尽くされています8人の僧侶により朝一番の読経が堂内に響き渡ります燈籠堂を回り込むと、その先に「弘法大師御廟」が祀られ、高野山にあって壇場伽藍と並び奥ノ院最深部の「弘法大師御廟」は信仰の中心であり、最も神聖な場所現在も空海はここで修行(禅定)に入っていると信じられ、毎朝「御供所」で食事が作られ、「嘗味地蔵」に味見をしてもらい、空海のいる御廟へ運ばれます昔から続く営みはこれからも続きますさて、高野山奥の院まで歩きました高野山とはお別れです、酒屋で般若湯を買い求め、昨日走った道を戻る事に高野山奥の院住所 / 和歌山県伊都郡高野町高野山550次なる目的地はおやじのリクエスト「丹生都比売神社」へくねくねとした下り坂をひた走る事40分程で丹生都比売神社第一駐車場に到着高野山の賑わいとはかけ離れた、山間の田園地帯の風景です「丹生都比売神社」も世界遺産に登録される神社、参拝客は多いと想定していましたが意外に少ない駐車場から鳥居を目指す道路の先には赤い鳥居と輪橋、その先に檜皮葺の屋根が見えてくる以前は高野山参詣の表参道である町石道の中間にある二つ鳥居から、丹生都比売神社に参拝し高野山に登ることが慣習だったと云われます上段朱も鮮やかな輪橋を渡った先に二の鳥居と楼門が見渡せる艶やかな神社、それが丹生都比売神社の第一印象下段輪橋全景楼門全景楼門と本殿の全景、緑に包まれ楼門と本殿の朱が映えています丹生都比売神社は古くから高野山の鎮守社として知られ、高野山と密接な関係を保ってきた神社1208年(承元2)敦賀国の気比及び安芸国の厳島両明神を勧請合祀し、以降は「丹生四所明神」として崇敬された明治の神仏分離令により仏教関連施設は悉く排除され現在の姿へ室町時代に復興され、朱塗りと彫刻、彩色を施した四殿が横一列に並ぶ壮麗な姿一間社春日造では日本一の規模を誇ると云われ、楼門とともに重要文化財に指定されています楼門から見て右から第一殿、第二殿と横一列に並び第四殿の左が摂社「若宮」丹生都比売神社御祀神第一殿 / 丹生都比売大神第二殿 / 高野御子大神第三殿 / 大食都比売大神第四殿 / 市杵島比売大神若宮 / 行勝上人以前から見たかった光景ですなんとか木々を避け撮れる場所はないものか?探し歩いてみたものの全貌は見せてくれませんでしたかみさんは社殿より御朱印の方がいい様です境内にはこの他に佐波神社や卒塔婆群などがあります、少し待ってもらい写真に収め丹生都比売神社を後にする住所 / 和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野さて次はかみさんリクエストの「慈尊院」を目指す事にここから車で山道を下り、県道109号線を20分ほど行った道の駅「柿の里くどやま」が駐車point「柿の郷くどやま」住所 / 和歌山県伊都郡九度山町入郷5-5道の駅から徒歩で10分程紀ノ川下流の方向に歩きます古い街中に古びた小さな山門が現れます慈尊院816年(弘仁7)弘法大師が政所として伽藍を創建その後、善通寺から訪ねてきた空海の母・玉依御前が滞在した事から女人結縁の寺として知られるそうです境内正面に多宝塔、右に鬼子母神、更に右に大師堂と並びます上段境内に入り左に空海の母、玉依御前の廟内にある弥勒堂鎌倉時代後期の宝形造で、国の重要文化財であり、世界遺産に指定されています慈尊院の本尊、木造弥勒仏坐像は21年毎にご開帳されるようです下段本堂、左側から弥勒堂の本尊を拝むための堂で高野山の奥ノ院の燈籠堂を模して造られたもの境内左に鐘楼、稲荷、弁才天、正面の高台の大師像の傍らに現代の名犬「ごん」の石像が仲良く並んでいます慈尊院の山門の先、中央の多宝塔の左に石段が上へ上へと続きますその先は「丹生官省符神社」境内に至ります石段の先には丹生官省符神社の赤い鳥居その先に丹生官省符神社拝殿が現れます、瓦葺のシックな佇まいですその先に本殿の朱が見えます参拝を済ませ横に回り込む丹生官省符神社も先ほどの丹生都比売神社と伽藍は似ています違いは本殿が三つである事創建 / 816年(弘仁7)空海によって創建御祭神第一殿 / 丹生都比売大神、高野御子大神、天照大御神第二殿 / 大食都比売大神、誉田別大神、天児屋根大神 第三殿 / 市杵島比売大神神が猟師に姿を変え、白と黒の二頭の犬を放ち空海を高野山へ導いたとされます境内には白と黒の犬、狩場明神と空海が出逢った際の大きな絵馬が掲げられています社務所の前は高野山遙拝所で、拝殿左の燈籠の上、遥か先には高野山のある揚柳山の頂が望めます二頭の犬に導かれ空海はここから高野山に辿り着き、唐から投げた三鈷杵に出逢う事になります住所 / 和歌山県伊都郡九度山町慈尊院八三五番地お腹も空いて来ました、慈尊院から道の駅に戻ります慈尊院から程近く、民家に挟まれた狭い一画、小さな「能光尊碑」と出逢う能光尊は高野山の中門の多聞、持国の二天王を彫刻した仏師とされます住所 / 和歌山県伊都郡九度山町入郷お昼は道の駅の前を流れる紀ノ川、そこに注ぐ丹生川に架かる丹生橋を渡り、真田庵を目指します真田庵の左隣が目指す「そば処幸村庵」、こちらで蕎麦を頂く事に大河ドラマの放送後しばらくはとんでもなく混んだようですが現在は落ち着いた様で、古民家の風情を生かした外観と店内、待ち時間なしで席へと案内されるかみさんは天ざる、私はざると鯖の柿の葉寿司2個蕎麦の風味はそれ程強烈ではないけれど、汗だくで歩いた後に頂くざる蕎麦火照った体をクールダウンしてくれます、価格も天ざるで1100円と良心的そば処幸村庵住所 / 和歌山県伊都郡九度山町九度山1404道の駅に戻り、柿ソフトを頂き帰途に付く心配した事故渋滞もなく、車もノントラブル、燃料も1目盛り残った全走行距離496km day2総歩数20,311歩充実の二日間でした
2018.08.30
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8/25~5/26かみさんの希望で和歌山県高野山へ行ってきました車中泊の予定なのでおやじの車の出番となるが、ほぼ一年は長距離走行していないだけに、今一つ信用ならないエンジンオイル、クーラント、バッテリー補充液、水、ブースター、パンク修理キットフル装備で出動燃料満タンで5:30に東名阪に乗って順調に御在所SAへ、ここで朝食を済ませ、一路名阪国道へと緊急車両を走らせる車は順調、アクセルに足さえ乗せていれば、高速定速走行は非常に効率的法定速度+10kmのロングドライブは楽ちんそのもの市内リッター5kmの車とは思えない名阪国道に入り、この車にとって試練が訪れる、南在家ICから加太トンネル間で事故通行止め前も後ろも大型貨物がピタッと止まって動かない、視界もない減らなかった燃料計は動き出す、おまけに路肩を走る車まで現れるやばいぞかみさん、う回路検索「近くにICがあるからそこで降りて」・・・・・と言われても前が見えない、また路肩を走る車が前どうなってるの?「降りて見ようか?」危ないからそれはダメ、今度動いたら思いっきり車間を取るから30分待って少し動いた、視界が開け見えたのはものの5m先に久我IC降り口が・・・・・なるほど、だから路肩走ったのね山道を走り伊賀上野を目指す、時折見える国道は相変わらず止まったまま程なく国道に復帰、そこから先は至って順調に西名阪、京奈和自動車道経由で世界遺産高野山の金剛峰寺前第2駐車場に10:00到着、燃料計は半分いっていない、無給油で帰れそうだ金剛峰寺前第2駐車場さて少し予定が遅れたが早速高野山第一日目、まずは高野山総門を目指すその前にエアーベットとシュラフをセッティングと移動の過程で見かける町石駐車場から北へ既に色付き始めた紅葉を眺めつつ、茶屋で買い求めた焼き餅を摘まみながらの歩きは鈍い歩く事20分弱、緩やかに登った長い坂の頂、朱に彩られた巨大な門が聳える「金剛峯寺大門」高野山のシンボル総門「大門」に到着、仰ぎ見るその大きさに圧倒される両脇の金剛力士像も大きさ、力強さともに門に相応しい高野山に入り意外に感じた事は圧倒的に海外からの旅行客が多くここ大門もフランス語、英語、ポルトガル語が飛び交うここから一旦街中に戻ります、総門から徒歩10分弱で中門に到着「中門」かみさんは既にお参りを済ませ御朱印の列へ私は国宝の金剛峯寺不動堂含め伽藍の全て見て回るそれにしても、これだけの建造物、この山奥によくぞ作ったものだ弘法大師が唐より帰国する際に、真言密教を広めるにふさわしい場所を求めるため、明州の浜から日本に向けて三鈷杵を投げたところ、雲に乗って日本へ向けて飛んで行ったとされます帰国後、弘法大師が高野近辺に訪れたところ、夜な夜な光を放つ松があり、そこには自らが唐より投げた三鈷杵が引っかかっていたそうですこれをもって、弘法大師はこの地が密教をひろめるに相応しい場所であると決めたとされますその松は三鈷杵と同じく三葉の松、縁起物でお守りとして持ちかえるそうです確かに三葉の松を見つける事が出来ました、お守りとして夫婦で持ち帰らせて頂く事に「金剛峯寺」赤い根本大塔から普通に歩けば徒歩5分程の所派手な色彩もないので「地味~」な印象を持たれるかも知れませんね真言宗の総本山、檜皮葺の落ち着いた建物と棟に設けられた天水桶シックで力強いモチーフの破風飾り、石庭「蟠龍庭」、襖絵どれもこれも見応えがある高野郵便局に程近い「花菱」で精進料理の昼食を取る事に「花菱」上品な味付けの精進料理を堪能した後は再び歩き出す我家は基本歩きます、バスの移動も容易にできるのでその方が楽ちんかと食後は花菱から歩いて5分程の5つ世界遺産登録されている内のひとつ「金剛三昧院」へ「金剛三昧院」高野山にある国宝建立物2つの内の1つで、ここの多宝塔は、国内2番目に古いもので北条政子の夫・源頼朝と息子・実朝の菩提を弔うために建立され、塔内部には運慶の作と言われる仏像が納められると云われます境内は石楠花、桜と植えられており、花の時期には彩を添える事でしょう「苅萱堂」金剛三昧院から県道53号線に戻り、奥ノ院方向へ15分程歩いた右側に建ちます右隣りの密蔵院の堂的な建物で堂内には苅萱上人と石童丸の悲話がストーリー仕立てで描かれています「苅萱堂」で御朱印を頂いた様ですが、堂のお坊さんの商人魂が妙に違和感と印象に残ります「密蔵院」苅萱堂の右隣り、静かで落ち着いた印象が残りますそれにしても、どの寺に行っても駐車場に止まる名車の多い事さて、今度の目的地は少し歩き応えがあるぞ、ここ「苅萱堂」から来た道を戻ります普賢院を右に見ながら交番の前を左折、普通に歩けば20分程の「女人堂」に向かいます「女人堂」かみさんには悪いが、自分の道草が多いせいで40分程かかり到着長い上り坂の頂に巨大な常夜灯、既に灯りが入っています高野山の北西入口に位置する不動口に建つ「女人堂」は1千年余り女人禁制の高野山の七つの入口に各々建てられていたそうです現存する「女人堂」はここ一箇所のみ、昔はここから先の女性の入山は許されなかった、謂わば女性専用宿坊的な位置付け金剛峯寺「金輪塔」女人堂からの帰りの道沿いにあります1834年(天保5)に再建、檜皮葺のこの多宝塔の内部には本尊に金輪仏頂尊を祀る、それ故に金輪塔と呼ばれるようです上回廊を持つ多宝塔で組み木の美しさ、軒下の垂木が檜皮葺の屋根と相まって、華やかさはないけれど、素朴で美しい塔です駐車場に戻った時にはとっぷりと陽は落ちるお寺は意外に門が閉ざされるのが早い、燈籠や提灯には火が灯り、昼間とは違う表情となる「みやさん」提灯とくれば、地元の赤提灯で晩御飯、人気店のようで満席、内部の写真は遠慮しましたが鳥が自慢の様で、焼き鳥、鳥皮などは腰のある肉質でボリュームもあり美味しかったですよ山のような短冊には和洋折衷なんでもあり価格もリーズナブルで全てがボリュームたっぷり、美味しいお店です二人で飲んで食べて4,000円でお釣りが来た、驚きの赤提灯それにしても、気持ちとは裏腹にそれ程食べれない事に歳を感じる地元にあれば・・・・・ほろ酔い気分で車に戻ります、星空は綺麗で風は秋を感じます総歩数 約2万歩般若湯で乾杯し眠りにつくday1 名古屋⇒金剛峰寺前第2駐車場金剛峰寺前第2駐車場⇒総門⇒中門⇒金剛峯寺⇒花菱⇒金剛三昧院⇒苅萱堂⇒女人堂⇒金輪塔⇒みやさん
2018.08.28
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中区橘、日置神社の西隣で伏見通に接する形で正法山高顕寺は建っています伏見通側から見た高顕寺、夏空を背景に白い本堂が聳えている南側の道路に回り込むと山門の正面に三重の石塔と境内が広がります右は日置神社の鳥居、隣り合わせです山門右には「光明山御分身 摩利支真天」の大きな石標が建っています光明山は静岡県天竜にあり秋葉山と並ぶ山岳霊場の一つ火の神の秋葉に対し、水の神の光明山として信仰されるようですその分霊がここ高顕寺に祀られている様です山門左に「不許葷酒入山門」の文字が刻まれた石標……飲んでないし正法山高顕寺、山門や表札には派手な飾りが少ない端正な佇まい見栄えがしないと取られるかも知れませんね山門から境内の眺め、庭石を配し、そこかしこに植えられた苔が印象的です降雨のない真夏のこの時期、苔に勢いはありませんが、この庭で水を得た苔が輝く様を見たいものです綺麗に敷かれた石畳、夏空の下に右が本堂、左に堂が建っています銅葺屋根の唐破風を持つお堂、両端の反りは鳥の羽ばたく様にも見て取れます堂内部右に不動明王、左に大黒天らしき姿が見て取れますが…ブレブレでしたね(……飲んでないし)昔は木造、葦葺の本堂、幾度かの補修・建て替えを経る現在は屋根は瓦葺、白いコンクリート造りの本殿に変貌しています左が本堂、右側が庫裏、寺務所の伽藍、更に右は白い塀を境に日置神社と接しています正法山高顕寺もとは清州の護国山東輪寺として永安寺の末寺であった、開基は孝國順天慶長遷府の際に現在地に移転、一時は大破するも1681年(天和3)に本堂を再建1689年(元禄2)、尾張藩主光友の命により万松寺の末寺へ、1693年(元禄6)現在の寺号に改め開山本尊は木造聖観世音菩薩坐像で他に木造千手観音菩薩坐像、開山卍室木像、十六羅漢木像等本堂両脇の柱には、さりげなく三つ葉葵の寺紋も入ります生憎本堂内で拝むことは出来ませんでした、ガラス越しに堂内の眺め本堂から眺める境内全景コンパクトな庭園です、苔の勢いがいい時期に訪れると新たな発見があるかも?また、境内は複数の手水鉢や石仏もあり、これを見ていくだけでも面白いと思います大正の頃に記された「名古屋市史」の中に「堂宇は本堂、秋葉堂、庫裏、門」と記されています先ほどの堂は秋葉堂ということでしょうか?真夏の真昼間、境内は陽当たりが良く遮るものは少ないです水蓮鉢の水草と朝顔がひと時の涼しさを与えてくれますなどと書いては見たものの、暑い! 日置神社の杜で涼む事にします日置神社拝殿横から神楽殿と壁を隔てた高顕寺の眺めさながらベルリンの壁の様相神楽殿を正面から見れば違和感を感じ得ませんしかしこの位置から見るこのフォルムに違和感を覚えます、何があったのか気になるところですそれにしても暑いゎ 大須で一杯ひっかけよう……結局飲むし正法山高顕寺宗派 / 曹洞宗創建 / 1693年(元禄6)本尊 / 聖観世音菩薩坐像住所 / 名古屋市中区橘1-3-23アクセス / 市営地下鉄名城線 上前津 下車徒歩15分程
2018.08.24
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津島駅から津島神社のある西方向に延びる県道129号線の天王通り3丁目県道の両側は以前の商店街の名残を感じる街並みやがて右側に常夜灯が建ち、瓦屋根の御堂と小さな御堂が仲良く並ぶ一角に出会う千体地蔵堂津島の街並みにさりげなく溶け込んで佇んでいます大きな寺社を目的に足早に歩いていると見過ごしてしまいそうな小さな堂です二つのお堂の間に津島市解説板が置かれる『津島市有形民俗文化財「千躰仏」、天王通り3丁目(旧小之座)この千体仏は円空最盛期の延宝年間の作。21センチの木尊「地蔵菩薩」を中心に約5㎝程の円空独特の小仏千八体が光背の形状に配置されている。小仏には地蔵尊などの形態が見られるが、五千余体発見されている円空仏の中で完全な千体仏として残るのはこの像のみである。この地蔵堂には千体仏の他に三像がある、仏法を守る護法神、この像の守護仏である韋駄天、各地の諸賢に教えを乞い巡る善財童子に姿を借りた円空の自刻像である』円空仏が祀られているようですガラス越しに中を拝見させて頂きました堂内は中央に厨子、その左に写真の石地蔵厨子の右に鉈で彫られた仏像が数体置かれています厨子の中で保管された円空仏を修復する際、その下から見つかった仏像をここに祀った様です詳細までは分かりませんが作者は円空ではないよう円空の千体仏は堂内中央の厨子の中扉が閉ざされ全容が分からないので、津島市の文化財一覧より画像を引用したものが上になります数える気にはなりませんが、小さな小仏が光背のように取り囲む躊躇うことなく振り下ろされた鉈で彫りだされた仏像荒々しく躍動的でありながら、微笑みを浮かべたその表情には優しさも感じさせるものです毎年8/24の地蔵盆に御開帳されるようです、明日じゃない?会社休んで見に行きたいところだが台風も接近してるし・・・・・千体地蔵堂住所 / 愛知県津島市天王通り3丁目 アクセス / 名鉄津島線「津島」駅下車、西に徒歩10分程
2018.08.23
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名古屋市瑞穂区井戸田町4丁目地下鉄名城線「妙音通」から5分程北へ歩きます頼朝の産湯の水を汲んだと言われる「亀井水」の井戸から東へ龍泉寺に隣接する様に最経寺「最上稲荷神社」が現れる車一台がやっと通れるほどの細い道沿い、住宅地に赤い幟がたなびいています左に寺号表と赤い鳥居を構えますなんだろう、民家の駐車場的な趣です1956年(昭和31)寺号を得て日光山最経寺となり、法華経守護「井戸田の最上様」として知られるようです前身は昭和6年法華経の布教から始まり、空襲で焼失し一旦は敷地の洞窟に御宝前を祀った時期もあった様ですが、1954年(昭和29)に本堂が建立され現在に至る赤い鳥居と山号扁額、何れも新しい日光山最経寺宗派 / 日蓮宗創設 / 1931年 鳥居左に手水鉢があり静水は清らか、奥には水蓮鉢と左に狐が祀られています鳥居右側より広くはない境内、庭の様に設えて置かれている手水鉢その奥の水蓮鉢、水面には緑も鮮やかな水蓮の葉が覆っています我が家の水蓮とは違い、上手に育てられている事に感心します水蓮鉢の左にお狐様です、台座は角があり、石の色も綺麗、新しさを感じさせます住職が夢で最上稲荷を見たことから、お稲荷様が祀られるようになったそうです最経寺の井戸水井戸は枯れる事なく現在も汲み上げられ使われているようです住所 / 名古屋市瑞穂区井戸田町4丁目89 アクセス / 市営地下鉄名城線 妙音通から徒歩5分程
2018.08.21
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津島下街道沿いに鎮座する大圡神社の右に細い参道が伸びていますその先は小さな山門へ続き「延命寺」境内に至りますまた、大圡社境内からも延命寺境内に直接つながっています私が見たところでは寺号表や表札は見当たりませんでした大圡社のあるこの一画、狭い地域に延命寺以外にも妙延寺、蓮慶寺、寶泉寺と4寺が集中しています境内から山門全景、こぢんまりとした素朴な山門です延命寺境内を眺める、本堂は飾りの少ないシックな佇まい小さなお寺です住職の方が不在の様でしたので、堂内を拝観させて頂く事は出来ませんでした、外観からは随分古い趣を感じられます延命寺扁額間野時綱の墓石があるとも聞いていましたが、由緒も含めはっきりしないものが残ります延命寺、妙延寺、延命禅寺・・・・・日を改め訪れるしかなさそうですその時まで下はブランクにしておこう延命寺山号 /宗派 / 創建 / 本尊 / 住所 / 津島市今市場町1-23アクセス / 名鉄尾西線「津島」下車、西へ徒歩10分
2018.08.19
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名古屋市中区橘一丁目国道19号線の東に接し「日置神社」が鎮座する織田信長と所縁の深い神社である南側の日置神社鳥居前から境内の眺め街中にありながら緑豊かな杜を持つ、境内へは、この他に西側と北側に参道入口があります真夏の強烈な日差しを遮り、日陰を提供してくれる都会のオアシス鳥居脇の狛犬戯れる子をあやす様な仕草が微笑ましい狛犬社号標と由緒書き、教育委員会の解説板上段 境内に入った左の一画、東向きに社が纏められています下段 解説板を見落としたようです、分かりません玉垣で囲われた一画に葵の紋の飾られた橘社尾張徳川家二代藩主瑞龍院殿光友公を祀り、津島社、熱田社、秋葉社が合祀されています参道の右の手水舎と手水鉢静水は澄み、絶え間なく注がれています手水舎の左の古木は椨(タブ)の木数百年の樹齢を刻み、以前は市の保存樹として指定を受けていたそうです1999年(平成11)の台風で被害を受け現在の姿となってしまいましたしかし脇枝は今もしっかりと成長しています境内左脇にある日置神社碑1560年(永禄3)5月、桶狭間の役に関する言い伝えでは、1560年(永禄3)信長は早朝に清州城を出て、日置神社に到り戦勝祈願を行った軍勢の終結を待ち熱田神宮に向かい、その後桶狭間に向かったそうです桶狭間で勝利した信長は、当地の神域に松千本を植えた事から、「千本松日置八幡宮」と崇められた明治維新の際、社合を「日置神社」に改め、1871年(明治4)郷社に列格、同40年神犠幣帛料供進神社に指定され、同42年隣接の村社「新明社」を合併し相殿に配祀現在、信長所縁の松は存在せず、1896年(明治29)に最後の松の根を漆で塗り固め保存、その一本からは香合が作られ、現在も保存されているそうです神楽殿南側に繭のような二個の力石が並ぶ左は「はちまん」と右は「いなり」と呼ばれ、この地で保存される同種の石では最大のものと云われます古くは石占いから始まり、後に村の若者の試力の技具となり伝承されていった江戸後期の文化・文政の頃が最盛期と言われています因みに少し触れてみたがこれを抱え挙げる猛者がいた事に驚く・・・・・腰が幾つあっても足りない上段拝殿方向の眺め、左が神楽殿、正面が拝殿の配置日置神社は1945年(昭和20)に戦災を受け、1958年(昭和33)に社殿が再建、その後平成に入り拝殿の屋根が葺き替えられ現在の姿となったそうです下段拝殿右は日置龍神社神楽殿正面当日は扉が閉ざされていましたので、以前撮った内部の写真を掲載します内部は下段の様に見事な襖絵が描かれています、描かれた歴史は不明なれど、個人的にお気に入りの絵今回訪れたのも改めて撮り直す事が目的でもありましたが、こればかりはまた参拝する機会を与えて頂いたと思う他ない神楽殿後方の建物は高顕寺上段 杜に包まれた拝殿全景下段 拝殿前の狛犬は突っ込む余地なし、凛とした姿です日置神社の創建は定かではない平安時代醍醐天皇の927年(延長5)に編算された「延喜式神名帳」に「尾張国愛知郡日置神社」と記される式内社として知られる室町時代の1364年(貞治3)に成立した「尾張国内神名帳」にも「従三位日置神社」と残る中世に山城国石清水八幡宮男山から八幡大神を勧請して合祀した御祭神 / 天太玉命 ・脇 応神天皇、天照大御神 境内社/ 日置龍神社、廣冨稲荷社・大黒恵比寿社拝殿の鈴と拝殿内から本殿方向の眺め、そこかしこに橘と麻の神紋日置は、古代「日置部」の置かれたところが地名、社名となって残った、日置部とは暦(日暦)を司る役所、暦は農をはじめ、生産の全ての指針であった日置龍神社境内の椋(むく)に住む日置龍神を祀ったもの、蛇は、、、いない解説板を見落としたか?、廣冨稲荷社奥の院か?拝殿左の廣冨稲荷社御祭神は宇迦之御魂神1918年(大正7)京都伏見稲荷大社より勧請、創建された様です大黒恵比寿社1961年(昭和36)出雲大社、三保神社から勧請、ここに創建された祭神 / 大国主命、事代主命拝殿の一番西側に芳勲塔この地から戦場に散った軍人を祀るものか西の鳥居から参道を進むと、杜の中に佇む摂社と本殿・渡廊・拝殿の伽藍が良く見える二の鳥居前の狛犬、奥には三の鳥居が見えています伏見通に面した一の鳥居、ここから境内へは3つ鳥居を潜る事になり、表情の違う狛犬達に出逢えます北側境内入口、芳勲塔横につながり、境内は左方向となります御朱印(かみさん提供)今回この御朱印が日置神社再訪のきっかけでしたが、また来なくてはいけないようですね日置神社住所 / 名古屋市中区橘一丁目3番21号℡ / (052)321-5241アクセス / 市営地下鉄名城線 上前津下車 西に15分程
2018.08.18
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我家のお隣さん随分前に高齢で亡くなってからは空家となっていた年に数回身内の方が訪れてはいるようだ最近厄介な事に軒先にスズメバチが巣作りを始め日に日に大きくなってきた最近では我家の庭に出ているだけで威嚇するようになり「取ってやろうか?」とも思うが、無人とはいえ人様の家、不法侵入で通報されかねない・・・・・困ったものだ交番に相談ダメだとは思うが何とかならない?A「持ち主を調査して連絡する」のみ取っちゃいたいが「不法侵入」だよね?A「・・・・・となります」お巡りさん立ち合いで一緒に取りませんか??A「本官たちは立ち入れないんです」ですよね、どうすればいいの?A 区役所(保健所)に「警察からこちらに相談するように言われた」と相談して下さい一緒に取らない?結構上手なんですが?A ダメ想定通りの回答保健所にその旨相談する回答はA「所有者調べて連絡する」威嚇してくるのだけれどA「現場を確認するが、原則、巣を踏み抜いたりして危険性が高いと判断した時以外は、所有者に連絡」危険性とは?具体的に公に被害が出た、想定されないと取らないのですか?A「という事です、そもそも蜂は捕食飛翔と巣を守る飛翔では違うんです・・・・・・」その道のプロは識別できるかも知れませんが、私達素人は襲ってくるかこないか分からないじゃないですか?蜂が旗でも振ってくれるんですか? 危険性の有無の判断基準は?被害があるか無いかですか?刺されれば取ってくれるんですか?A 「明確な基準はない、以前(10年前)は申し出があれば除去したが、今はやっていないじゃあ、今回の除去依頼の報告書に駆除復活を要望と書いといてください空家が増えていく中で行政のやってること逆行してません?無断で取れば逮捕されちゃうし、放置すれば襲われるし、私どうすればいいんですか?A 「便利屋さんなんか・・・・・」エ???結論は「持ち主に連絡する」のみ排除には至らない最近ホントに空家が増えてきているこの家はアライグマさんの家、蜂さんの御家、韓国イタチさんの御宅・・・・・ハチの巣以外に様々な問題が増えてくる、増えて来ていると思います現状は警察も行政も周辺に居住している者の期待には応えてくれないようです重い腰を上げるのにはどうしても既成事実が必要なようです・・・・・誰が取るのよ!?
2018.08.16
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瑞穂区井戸田町『龍泉寺』地下鉄妙音通駅から北に歩いて5分ほど緩やかな坂の続く傾斜地に曹洞宗龍泉寺(りょうせんじ)の寺号標と教えの書かれた掲示板が見えて来ます「人は死ぬことによって 生命が無くなるものではな天地一杯の生命が 私という思い固めの中から天地一杯の中に ばら撒かれたのだ」輪廻転生の教えを説いているのか?掲示板の右に黒いフェンスで囲われた一画、その前に白い石碑が建っています「亀井水」「府城の南一里三十町(約7km余)本井戸田なる村あり、井水すべて清らかなり 名ある清水七ヶ所ばかりあれど、亀井という清水こそ、名高くうるはし」(尾張志)龍泉寺山門の脇にある亀井水はまた、源頼朝の産湯の水を汲んだ井戸とも伝えられている 第二次大戦後しばらくの同名の通り、「亀」が水面をおおうほどに無数に生息していたものである」碑には源頼朝産湯の井「亀井水」と刻まれていますフェンスの中、今は亀の子一匹見られませんが今も水を湛えていますかみさん「なんでここで頼朝なの?」ここから近い津賀田神社の祠官「亀井六郎重清の母親が頼朝の乳母を務めた」という言い伝えもあり産湯の井があっても不自然ではないんじゃないの?こうしたものは素直に受け入れるもので、諸説ありなんです因みに頼朝の生誕地として、熱田神宮の西側に鎮座する誓願寺が知られ、山門前には「頼朝生誕地」の碑も建てられています山門へ向かう途中の左側、本堂を背景に赤い前掛けを付けた石地蔵が祀られています参道正面に赤い前掛けの付けられた地蔵「歯痛地蔵尊」全身に亀裂が入り、顔は半分欠けてしまい痛々しい姿、何事?傍らの随分朽ちた案内板「太平洋戦争中の昭和20年5月17日、B29の爆撃により旧本堂と共に被爆、お顔の半分を失い、お体もまっ二つに割れた」と記されています空襲で被災し本堂は焼け落ちても、地蔵は破片を集め復元されたんですね歯は痛くないが、歯痛地蔵さんにお参りしておこう歯痛地蔵尊の左に境内入口空襲で焼失し再建された本堂と山門も恐らく再建されたものでしょう山門扁額「亀井山」の山号は先ほどの亀井水から付けられた様です山門脇の掲示板「この試練を乗り越えよう・・・・・」よっし!気持ちを切り替え頑張ろう!山門から境内、正面の看板の言葉もいいよねお参りさせて頂きます境内に入った左の手水鉢井水を汲み上げているのでしょうか? 鉢は鉄分で赤く染まりますそれ程広くはないけれど緑豊かな境内奥に本堂本堂正面本堂扁額本堂から右手の寺務所、庫裡を眺める本堂の大棟には「亀井山」の山号瓦が入ります本堂左の笹の先に石が二つ右の石は平安末期の原始五輪塔と言われている昭和58年まで残っていたと言われる、大黒塚の塚上にあったもので大黒石と呼ばれる古石左が鎌倉時代の薬師寺開山覚一塔龍泉寺はかつて行基が開山した真言宗薬師寺を始まりとし五つ(龍泉庵、龍雲庵、福伝庵、妙喜庵、蔵伝庵)と言われる塔頭(たっちゅう)の一つ時の流れと共に本寺や龍泉寺以外の塔頭は消滅し、龍泉寺は曹洞宗へ改宗、1519年(永禄2)に熱田にある秋葉山円通寺の末寺となったここから南には藤原師長の謫居跡(嶋川稲荷)があり、配流された藤原師長は好んで「龍泉寺」を訪れたともいわれ、寺には師長公画像・師長公記(二巻)も所蔵されていると言われています『龍泉寺』頼朝が産湯を浴び、配流の身の師長が好んで訪れたという歴史を持つ宗派 / 曹洞宗創建 / 不明本尊 / 薬師如来(聖徳太子作と言われている)脇仏 / 不動明王(弘法大師作と言われる)、地蔵菩薩(聖徳太子作と言われる)住所 / 名古屋市瑞穂区 井戸田町4丁目90アクセス / 市営地下鉄名城線妙音通駅下車 北に5分
2018.08.14
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瑞穂区神穂町地下鉄名城線の堀田駅から150mほど南に行くと、松田橋交差点に出ます橋と地名はあるものの橋はなく、交通量の多い国道1号線に架かる歩道橋があるのみ歩道橋脇の名古屋高速3号大高線高架下に八丁畷(なわて)公園があります八丁畷は1575年(天正三)織田信長が四人の通路奉行を置いて、領地の道路を整備した際、浜の道(熱田~笠寺)も作られた事から始まり、後に1601年(慶長六)徳川豪康か伝馬制度を定め、その道は東海道の一部となり、この周辺が田と田の間を通っていたので八丁畷(なわて)といわれるようになった井戸田村から浜新開への用水がこの東あたりで北から南へ横断していた、そこに架けられていたのが松田橋でその橋の名前が地名として残っています当時の松田橋は現在はなく、保存されていた松田橋の親桂を便い八丁畷公園に一部復元されています今回の目的地は「東ノ宮神社」松田橋交差点の少し南に位置しますパチンコ店の南から北の八丁畷公園方向を返り見る国道は相変わらずの交通量ですそこから左に入ると直ぐに玉垣に囲まれた小さな杜目指す『東ノ宮神社』は地下鉄堀田駅からフラフラ歩いても10分もかかりませんフラフラとパチンコ屋に寄れば「lucky」なのか「unlucky」なのか、神のみぞ知るパチンコ店の南裏の交差点、角地に木の鳥居を構えた小さな神社南面を3枚貼り合わせて一枚にしてみましたが・・・・・無理があるね正面の鳥居から境内の眺め鳥居右に社号標、正面に社が3つ見えますビルが西陽を遮り、いい日蔭を提供してくれてます石のディテールをそのままに残した社号標その後方にある石標は明治天皇覧穫之所の碑があります覧穫之所とは何ぞや1936年(明治元年)、遷都のため京都から東京に向かう途中の明治天皇が当地に立ち寄った際、当時の藩主徳川慶勝に今年の稲の出来を尋ねた事からここ八丁畷で収穫の様子や収穫した稲穂を見せた事がこの碑の由縁のようです碑は1913年(大正2)に建てられたもの町名の神穂はこの奉納田があった事から付いた町名といわれているようです当時を偲ばせる絵は先ほどの松田橋の付近に掲げられています長閑な田園地帯に八丁も続く松並木、西には渚が迫る、少し前のこの辺りの情景です八丁は松並木の距離から来ています鳥居左の由緒書き祭神 /熱田大神、天照大神、素盞鳴尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命末社 / 多賀神社、秋葉神社、津島神社、熱田神宮、秋葉神社秋葉神社が重複している様ですが良くわからない境内左にカボチャの様な手水鉢(現在は使われていないようです)現在の手水鉢はまるで舳を南に向けた舟の様な形をしています手水鉢の左に社務所がありますが無人の様でした鰹木、千木が施された境内中央の社殿右側の末社左側の末社何れも詳細が記されていないので、ここに記すのは避けます詳細が分かれば加筆する事にさせて頂きます『東ノ宮神社』で印象的なのが碑上段左、「明治天皇八町畷御野立所」を右斜めから、右に1919年(大正8)と刻まれた碑下段左、「明治天皇八町畷御野立所」の左斜画像(昭和9年)、中央「永仰神徳」右は「明治天皇覧穫之所」と狭い境内に碑が複数建之されています残念ながら創建までは分かりませんでしたが周辺の呼続、新瑞方面に拠り所は多数あり、ここだけでは終わらないと思います『東ノ宮神社』住所 / 名古屋市瑞穂区神穂町1アクセス / 地下鉄名城線「堀田」下車、徒歩5分程
2018.08.12
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最近、食卓にパイナップルが妙に頻繁に出てきていたなんで?? 答えがお披露目されたおやじのテリトリー外で、ヘタだけ上手に切り取って水栽培をやっていたようですなるほど、観葉植物を育てようと瓶に入れられたパイナップルのヘタなにやら髭のようなものも出ているぞ偉いもんだ、自然の生命力はこのまま、実がなるといいのにネェ既に鉢植えになったものも見せてくれたいつの間に、良く見れば若葉もどんどん出てきている、これは根付いてるねで、何時頃実がなるの?2、3年位らしいよ・・・・・そんな先か「緑が綺麗だから観葉植物育てるつもりでいいんじゃない?」・・・・・アボカド育てた時は忌嫌われたものが、この違いが良くわからないまだ、外側の葉が生え変っていないけれど、すべてが生え揃えばきれいな緑を提供してくれそうだ必ず実がなるとは思えません毎日水を替え、根が生え、新芽が育っていく様を見ていくのは楽しいかも(小さなお子様が見える家庭では、葉の先が尖っているので切ってあげて下さい)捨ててしまうヘタですがこうした楽しみ方もありなんですねそれにしても3株か?パイナップル畑でも目指すのか?アボカドもなかなかの緑だったと思うのだが・・・・・我が家の庭では内緒で撒いた種から冬瓜も芽を出し始めました昔は「一人生え」なんてものが良くあったものです取り巻く環境も変わり、最近はお目にかからなくなったまずは何でも埋めて見よう?
2018.08.10
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毎日〃ア○イ!!35℃くらいだと涼しくさえ感じる今日この頃温暖化と共に人も進化の過程なのか?「富部神社」行ったことある? あるよ、車で直ぐだけど、行く? 行こっか! なぜ冨部神社? 御朱印ですか?スタンプなんだけど、季節によって変わるらしく、今はアサガオとカエル あってもいいのかなナンテ環状線をひとっ走り、陽の傾く冨部神社へ参拝してきましたかみさんは既に参拝を済ませ、社務所へ向かったようです夕陽に照らされた境内、参拝に向かう老人少し強調しましたが、とても印象的なシーンを見る事ができましたいつ来ても参拝に訪れる方は途切れない『富部神社』、すきな神社です冨部神社御朱印冨部神社住所 / 名古屋市南区呼続4-13-38TEL / 052(821)2909桜の冨部神社
2018.08.09
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名古屋市天白区塩釜口地下鉄桜通線「塩釜口」出口に掲げられた周辺の史跡案内今回の目的地は「塩竃神社」駅名の「塩釜口」の由来もこの塩竃神社への参拝口から付いたもの視界の開けたところから南を見ると、緑の濃い小高い丘陵地、目指すは「御幸山」です御幸山近隣は傾斜地を造成し、擁壁の建てたそんな住宅地が広がります若い頃に何度か訪れたこの道、そこを歩くのは初めて、何れにせよ坂ばかり坂の途中の塩竃神社案内板駐車場はこの先左です、歩きの私は鳥居を目指しここで左に折れます下りです、妙にうれしい目指す鳥居はこの先です右側に南向きに石鳥居、覆いかぶさるように杜が迫る「鹽竃神社」の社号標参道の石段は登りながらくねくねと曲がり境内へ続く参道の上を覆う緑は木陰を作り、涼やかな風が吹き抜ける、心地良いものです石段途中の右側に小さな鳥居、白龍神社です嫌な予感がする龍と付くだけに長い物がいるものと想像しました想像は外れ、社前にはシルエットだけ見ればパーマの効いた長髪の狛犬?らしき方がそれにしても山の中腹に龍を祀る?御幸山の東を見下ろすと眼下に植田川(天白川)が流れています元八事地域を河川の氾濫から守護する目的で創建されたものなのか?詳細の分からない白龍神社です確かだったのは長い物はいない事は事実上段白龍神社から石段は左に折れ山門の先に鰹木が見えて来ますどうやら境内の様です、石段から見る拝殿下段安産祈願で知られる塩竃神社拝殿で拝む一人の女性の姿は絵になる、ここにおやじはミスマッチ、そんな神社ですね石段を上がりきると左に手水舎と手水鉢、龍はいないが静水は清らか上段山門から見た塩竃神社全景、息子達がお世話になった神社ですあれから随分時が流れ、当時の印象が思い出せません、こんなに綺麗だったか下段拝殿全景シャープな印象の5本の鰹木と外研ぎの千木に視線が魅かれる男神をお祀りしているようです拝殿から本殿こんな綺麗だったっけ?塩竃神社略記より『御祭神は鹽上老翁神(しおつちおぢのかみ)古事記や日本書紀の海幸彦・山幸彦の神話等、神式天皇の御東征計画の神話等に見られ、遺憾なく博識ぶりを御発揮なさる教え導きの神とされております。また、潮流を司る海路の神ともいわれ出産は潮の干満に関係していることから、安産守護神として篤く信仰されております。御例祭 10月10日御由緒陸奥唯一ノ宮・東北鎮護の神社として篤い崇敬を集めている宮城県塩竃市の旧国幣中社『塩竃神社』より弘化年間(1844~48)に愛知郡天白村豪農の山田善兵街が御分霊を賜り、当地に社殿を建立し、崇め奉ったのが起こりと伝えられています』鹽上老翁神は製塩を伝えた塩づくりの神でもあります拝殿前のこの子達、風貌から20ウン年前にもいたに違いないが記憶にない当時は夫婦で昇殿できたものも、HPによれば現在は妊婦さん本人のみとなっているようです覚えているのは戌の日に安産祈願で訪れた大勢の妊婦さんとその中から名が読まれるのを聞き逃すまいと耳に集中していた事だけは覚えている私の周辺では塩竃さんと伊奴姫神を祀る伊奴神社が知られていますが少子化の昨今、こうした御祈祷のニーズは益々減っていくのかも知れないその中でも上手にやっているのでしょう、安産祈願≒塩竃神社と認知度は今も高いお祓いを済ませた腹帯を5ヶ月目の戌の日に巻くと安産に良いという事と子の成長を願う風習から来ている訳で、戌の日に巻くのは犬が多産、安産である事に肖っている拝殿の扁額と鹽竈桜の神社幕広く綺麗に手入れされた境内に佇む拝殿と客殿客殿脇の手水鉢鉢の正面で龍が此方を見据えています拝殿右に掲げられた由緒書きと絵馬、人気の程が見て取れます当日は時間も日柄も意識せず参拝に訪れましたが、参拝客も少なく境内に入れたのは幸運だったようです開門は時間制限があり、AM8:00~PM3:00まで戌の日は月に2~3回巡ってくるのでこの日は避ける必要があります何回かお世話になっていますが、何れも車で訪れていましたかみさんに「こんな綺麗だったっけ?」と尋ねる、彼女曰く「大昔の事だから・・・・・」子も成長し、改めて鳥居から参拝に訪れ、忘れかけていた大昔の記憶を少し呼び戻す機会になったようなところでかみさん、昨日の晩御飯のおかず「なんだった?」塩竃神社創建 / 1844~48年(弘化年間)御祭神 / 鹽上老翁神住所 / 名古屋市天白区御幸山1328℡ / 052-831-1633アクセス / 地下鉄鶴舞線「塩釜口」下車、南へ徒歩15分程
2018.08.07
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危険な暑さの続く毎日以前から名古屋の夏は暑いと云われていたものですがここに来て本領発揮、地元のプロスポーツが今一つ低迷しているなかでどんな形とはいえ、その日の気温全国一番に名古屋の名が連なった(やっと来たか)こう暑いと当然水分の摂取が増えるわけですが本屋へ涼みに行って「飲んではいけない飲みもの飲んでもいい飲みもの」に目が止まった文庫本の表紙に普段目にする飲料商品の写真がへっちゃらに掲載されいたので目に止まったのだろう飲んではいけない飲みもの飲んでもいい飲みもの (だいわ文庫) [ 渡辺雄二 ]ページを開いてみるこの種の本は暗に人工だとか合成と名のつくものが「健康に宜しくない」と煽るものが多いこの本の凄いところは、良い物、良くない物、どっちでもいい物とかのジャンルに分け、メーカー、商品名、写真、それぞれの成分、特性が記載され、著者の知見からいい子、悪い子、普通の子と分類されているところ書いてあることは正論そのものチクロや赤色○○号とか合成ものばかり摂取して育ち、なんとか還暦すぎまで生きながらえてきたそれなりに安全だった訳で、添加剤や糖の取り過ぎに過剰に反応する必要はない我が家はそれほど飲まないし、息子達の成長過程でも積極的に買い与えなかったいいとか、悪いとかではなく、単に糖分摂取量が多過ぎるのと最終的には口直しが欲しくなるから今もそこは変わらない、たまに流行りものは手にするがリピートしないこの本、普段飲み慣れている製品の素性を知る意味に於いて、見ても損はないと思う守秘義務で縛られた身から見ると、よくぞ掲載できたものだと、そこの部分で共感し拍手を送りたいそれにしても暑い、チューハイでも飲むか
2018.08.05
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名古屋市天白区御幸山地下鉄「塩釜口」から南を見て頂き、右方向の小高い丘陵地にこんもりと森が視界に入ると思います御幸山と呼ばれ以前は音聞山とも呼ばれた事も御幸山の謂れは明治・大正両天皇の御野立所(休憩地)の史跡あり、それを残すために御幸山と呼ぶようになったそうです駅のある塩釜口の名は安産祈願で知られる塩竈神社への参詣口として、塩竃口とついたと云われます八事神社と塩竃神社の認知度を比較しても後者の方が知名度は高いように思います目指す八事神社は御光山の南山麓を目差す事になります麓には塩竈神社と八事神社が隣接し鎮座していますが、訪れる参拝客は塩竈神社が圧倒的に多いと思われます八事神社のある御幸山南麓、現在は元八事と呼ばれていますが、昔は八事の中心八事と言えば地名を冠する八事神社ではないかなと思います上は1893年(明治23)とほんの少し前のこの辺りの地図(右は現在、左が明治)明治の八事周辺、山手グリーンロードや八事霊園などある訳もなく、どちらが開けていたかはこの地図でも分かると思います、ここ元八事を八事町としなかったのかは知る由もありません八事神社は元八事の中心地から少し北外れに位置し、古くからこの地の氏神として鎮座しています住宅地脇の一画、御幸山の杜に包まれた八事神社へ続く参道があります杜の入口に鳥居と狛犬が祀られ、石段の先に拝殿も姿を現しています境内に続く石段はそこそこ斜度があり、真っ直ぐ境内に続きます太からず、細からず、容姿のいい狛犬、爪の手入れをした方がよさそうな石段の先に拝殿が見えて来た、???以前訪れた時の拝殿は木造で味のあるものだった気がするが、建て替えられたのか、思い違いかコンクリート造りでガラス張りの明るい拝殿は新しくとても綺麗、思い違いではなさそうです自宅に戻り昔の写真があればと思い探して見る、整理が出来ない自分故に当然見つける事などムリ綺麗な拝殿、綺麗な扁額境内全景左から社務所、右の小さな社は秋葉社、手水舎、正八幡宮と一之御前社、高峯大明神、拝殿本殿は一際高く積まれた石垣の上、右は西側、左が東側からの眺め八事神社創建 / 不明御祭神 / 應神天皇・大伴武日命・高峰大神末社 / 山神社・白山社・富士社由緒創建は詳らかではないが、室町時代には既に村民の崇敬が篤かったことが記録から明らかである明治四十三年、現地の八幡社に壱之御前社、高峰神社を合祀、社名を八事神社と改称さらに、山神社、富士社、白山社を境内に移し祀った大正十三年、祝詞殿を建設。昭和十年に愛知招魂神社(現愛知縣護国神社)の拝殿を移築上段 拝殿左の手水舎下段 力石伝説によるとこの石は1650年頃のものと伝わり、天王祭りではこの石を担ぎ上げ力試しを行うそうです拝殿左には秋葉神社、この近くの「御野立所」で明治・大正時代の著名人が集い、俳句が詠まれる程この地は風光明媚な場所、ここで詠まれた歌碑が建てられ、由緒を後世に伝えるべく建てられた石標かつての景勝地であった事を伝える「音聞山勝地」石柱、これらがこの一画に纏められています確かに尾張名所図会でも音聞山として記録に残り、南に年魚市潟を望む立地であったと想像できます八事神社の記述は残念ながら探しきれませんでした「音聞山勝地」石柱の左に古い手水鉢が3つ、今も残ります以前の様相と少し変わっている八事神社ですが、広くて静かな境内と周囲の杜は今も変わりはないようです、陽射しを受けながら訪れると杜の木陰と吹き抜ける風がとても心地いい住所 / 名古屋市天白区御幸山1339アクセス / 市営地下鉄鶴舞線 塩釜口から南へ徒歩で約15分
2018.08.04
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猛暑が続き体は悲鳴を上げる そんな毎日が続いていますゴーヤやキュウリで緑のカーテンを作るのも我家では猛暑対策の恒例行事 今年も葉が青々と広がり、少しは室温上昇抑制に役に立っているようです何年も種を使いまわしているせいなのか実は小さくなる一方ですが そんなカーテンにも雌花が咲き、実を付けました鮮やかな黄に色づき、昨晩種用に収穫しておいた実 今朝見れば見事にはじけ、中からピンクも鮮やかな種が顔を出していましたこの種、表面の赤い部分は機会があれば口にしてみてください ほんのりとした甘みがあり、甘味料も含まない素朴な風味がありますアケビの糖度を下げた風味に近いものです 好むと好まざるにかかわらず、人口甘味料、着色料、保存料を摂取しますがこうした自然の味覚、パンチはないがほんのりとしたやさしい味わい 本来こうしたものだったのかもしれませんそれにしても美しい色合いです
2018.08.02
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瑞穂区津賀田町山手グリーンロードの瑞穂運動場西交差点から程近い、緩やかな丘陵地に津賀田神社は鎮座します駐車場を探すため周囲を一周、西側に駐車場がありましたが入口は△コーンで閉ざされ、「参拝者以外駐車お断り」だったかな?の看板と監視カメラのマークが・・・・・コーンをずらして駐車させて頂こうとも考えるもなんだか居心地がよろしくない車で神社を一回りするも、コインパーキングも見当たらず瑞穂台地に建ち、周辺は細い道路が入り組み、一方通行が多い場所三差路の角に津賀田神社社号標入口に提灯掛と参道には鳥居が幾つか見て取れます津賀田神社社号標と入口に掲げられた市教育委員会の解説『津賀田神社、尾張志に本国帳に愛智郡従三位津賀田ノ天神とある是也とあり、天照大神と仁徳天皇を祀る古社で、俗に若宮八幡とも井戸田八幡ともいった。また、社宝の書写大般若経は、「尾張志」に「此社に古写の大般若経六百巻を唐櫃におさめ」とあり、その大般若経の多くは南北朝ごろに書き写されたもので、このことから神社の創建は鎌倉末までさかのぼるとされる。』と解説されていますこちらの神社は格式も歴史もある事は理解できるが良くわからない事も多い神社のある瑞穂台地やここから南の笠寺台地にかけて古くより人が住み、多くの古墳が残ります津賀田古墳がありますが住所はこちらの神社の所在地の町名が符合します古墳の上に神社が建てられることは珍しい事ではないけれど、番地が違う様な道路を隔てて北側が古墳の所在地、車がなければひと回りしたいところ井戸田八幡の井戸田は以前この辺りは井戸田村であった事からこちらも符合します尾張名所図会でこの辺りの記述を調べて見た、前篇5の46頁に「津賀田社」として記述されていた北井戸田村にある。仁徳天皇を祭り、俗に若宮八幡と称す・・・・・本国帳に「愛智郡従三位津賀田天神」是なり・・・・・右大将源頼朝公誕生の地にして、其産土神なる故なりて・・・・・治承4年社を鎌倉にうつしまつり鶴岡下宮で 治承5年5月13日鶴岡造営のことは東鑑にしるされど、ここより勧請せしよしは見えず・・・・・・。又其誕生の地といへるは、熱田の誓願寺境内なるよし、すでに其所にしるせしごとくなれば、今何れか本所なるや、是非定めがたしの記述頼朝生誕地として誓願寺の他に瑞穂区には龍泉寺が知られているが正に「何れか本所なるや」俗に「若宮八幡と称す」、栄にある若宮八幡との関連も良くわからないあまり考えるのはやめておこうなぜならば参拝し、境内を良く見たいが車の落ち着く場所がないしかたなく、車から降り参道と解説板を収める参道入口の看板車でもう一回り、東側の車道から神社東側の眺め、延々と玉垣が続く東側に境内入口があるも△コーン、奥に拝殿が見えています車を降り、目一杯のズームで拝殿全景、本殿は見る事が出来ませんでした拝殿右は津賀田稲荷大明神の鳥居、境内には他に津賀田竜王神社が祀られているようです何れにせよ、参拝するには車は邪魔です、日を改めて参拝とします参道入口の注意書きと外周を一回りして見かけた禁止表示の数々大きく格式のある神社で住宅街に囲まれた立地、随分長い時間くるくる回っていましたがその間も訪れる参拝客をお見受けする事はありませんでした頑なに看板を建てるには何か理由があるのだろう大きくて静まり返った境内に異質な空間を感じる、尊厳というものだろう敷居が高いとでも表現すればいいのか、何か落ち着けない我家の子供達、私は夕涼みがてらベビーカーで彼らを連れ、近所の神社へ参拝に出かけたものです成長に伴い、虫かご片手に訪れもしましたいつしか宮司さんからも子の成長を見て声をかけて頂くように小さな神社で歴史も足元に及びませんがとても身近な存在、子が遊び、人が集うそんな神社だった津賀田神社創建 / 不明御祭神 / 仁徳天皇、天照大御神住所 / 名古屋市瑞穂区津賀田町3-4アクセス / 市営地下鉄桜通線「瑞穂運動場西」西へ徒歩10分程近隣の寺社 / 田光八幡社、秋月院
2018.08.01
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