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2026.10.15
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カテゴリ: 神社仏閣・御朱印
前回掲載した弥栄神社から1.5kmほど西、三好町宮ノ越に鎮座する三好八幡神社、今回はこちらを掲載します。

上は昭和34年当時の地図で、鎮座地は当時の三好町東端のなだらかな南垂れの丘陵地に位置します。
 東隣に中部小学校、西隣に三好中学校があり、その場所にはかつては三好城があったとされるが、遺構は残っておらずそれを伝える城址碑などは見られない。

社地の南側に社頭を構え、広い参拝者駐車場も用意されており、車で訪れても駐車場に困る事はない。
 石垣で四段に社地が築かれ、社殿に向かって石段が伸びています。
社頭の右には「八幡社」と刻まれた大きな社標と鳥居があり、その先に神門の姿がある。

社頭の石段の先は玉砂利が敷き詰められた広い境内となり、規模の大きな社殿が広がる。

境内右には殉国戦士之碑、日露戦没記念碑などの碑群と右手に大きな山車庫がある。

中には町指定文化財の三好上区と下区の山車が保管されている。
毎年10月第3土曜・日曜日には、囃子の音色とともに区内を曳き回し、夜になると多くの提灯に灯が入れられ、幻想的な秋の祭りを繰り広げる。



社殿全景。
 祭壇の前をよく見れば蜷局を巻いた白蛇が安置されている。 

白龍社建立の由来。
 「平成3年5月、八幡社境内の神木に1.2mほどの白蛇が出現し、「広報みよし」に掲載され話題となった。
その後6月にも再度姿を現した。
 白蛇は神の使いともいわれ、これを記念して三好上、三好下両区の奉賛を受け、平成3年に白龍社が建立された。
長寿・延命・開運・招福・商売繁盛、子守りとして崇敬されている」
 祭神は白山比咩神、伊邪那岐神、伊邪那美神。

市街化の進むみよし市ですが、いまだ自然豊かな地であり、アルビノの蛇も生息できる環境が残されています。

境内左の八幡社由緒碑。
「鎮座地 西加茂郡三好町大字三好字宮ノ越三〇番地一。三一番地
御祭神 主神 誉田別尊 寛仁三年(1019)勧請、応神天皇。
相殿神 菊理比売命 延喜二十二年(992) 三好(字上178)番地・勧請。
 同 大碓命 勧請年不詳 。
 同 国常立命 永正五年(1508) 三好字八和田八八番地・勧請。
 同 軻遇突智命 明治四年(1767) 三好字蜂ヶ池一番地・勧請。
 明治六年(1873)白山社・神明社・秋葉社の三社ともに廃止、村社八幡社合併、同九年復旧公許す。
 明治四十一年(1908)出願、同四十二年元無格社 白山社、神明社、秋葉社及び白山社の末社猿投社、共に
 八幡社に合併し、現在に至る。
境内社
 三保社 祭神 五十功昆古命、大同四年(809)勧請とある。
 五穀社 祭神 倉稲魂命、天明四年(1784) 旧領主 大岡紀伊守 勧請とある。
 三好神社 殉国者之霊 日露戦役 明治三十七年以降の戦没者霊一一九柱を祭神とする。昭和二十四年勧請。
昭和六十二年十月吉日健之」

愛知県神社名鑑では以下のように記されていました。
「十等級 八幡社 旧指定村社
鎮座地 西加茂郡三好町大字三好字宮ノ越三〇番地
祭神 誉田別尊 菊理姫命 大碓命 国常立命 軻遇突智命
由緒 社伝に寛仁三年(1019)二月十五日の勧請なり。
社家竹谷氏代々奉仕し江戸時代藩主大岡候の崇敬あつく、明治五年十一月、西大平県より郷社に列せられ、明知、打越、乙尾、宮口、黒笹、三好、井ヶ谷、七ヶ村と定められた。
同六年に改めて村社に列格し三好村鎮座の白山社、猿投社、神明社、秋葉社を合祀したが同九年三月三日の復旧分離する。
同四十年十月二十六日、指定社となる。
同四十二年二月二日、前記の四社を本社に合祀した。
尚、合祀の白山社は延喜二十二年(922)九月九日、神明社は永正五年(1508)九月十六日、秋葉社は明和四年(1767)八月二十七日勧請と伝う。
例祭日 十月十四日
社殿 本殿 八幡造、幣殿、社務所
特殊神事 神輿渡御(例祭日)、山車上・下各一車(例祭日及前日)、お鍬祭(七月十一日)田巡りの神事を行う。」

由緒碑の縁起の延喜二十二年(992)の西暦や、軻遇突智命の「明治四年(1767)」は、明治四年の西暦が1871年に当たることから、元号または西暦の誤記なのかもしれません。
後者は明和四年(1767)の元号の誤記とも考えられます。

江戸時代、徳川吉宗の側近として知られる大岡忠相は、寛延元年(1748)に1万石の大名となり、三河国額田郡西大平に陣屋を置いて西大平藩を立藩しました。
西大平藩の領地は一か所にまとまっていたわけではなく、三河国の加茂郡にも5村があり、幕末には現在のみよし市三好町にあたる三好村もその一つでした。

三好町内には社格を持つ神社が10社ありますが、「延喜式」に記載された式内社は見当たりません。
とはいえ、八幡社はみよし市内では最古の神社とされ、元禄四年(1691)から安政四年(1857)にかけての棟札が残されています。宝暦三年(1753)、同四年(1754)の棟札には「臣勢大和守」、文化五年(1808)から安政四年(1857)にかけての棟札には領主の「大岡越前(紀伊)守」と記されており、藩から篤い庇護を受けていたことがうかがえます。
『西加茂郡誌』(1926)にも八幡社についての記載がありましたが、今回の内容に付け加えるほどの記述は見当たりませんでした。

境内二か所にある手水舎。


傍らの境内マップ。

神門前を守護する狛犬と社殿の眺め。

化粧された狛犬もまた新しい。

神門もコンクリート造、切妻屋根の四脚門で左右に透塀が伸びている。

神門から境内の眺め。

神門をくぐった先の境内は、左に社務所、正面に趣のある社殿。



八幡社造営記念碑。
 創建以来幾多の災害に見舞われながらその都度再建されてきたが、昭和59年に不慮の災火に遭い消失するも、三好上・下の氏子・崇敬者の支援もあり、昭和61年に現在の社殿に生まれ変わった。

鳥居から一段上がった左の境内社 三好神社。

左から五穀社、三保社、三好神社の三社が祀られている。

拝殿はコンクリート造の入母屋平入で、尾張造風で正面の大きな唐破風向拝が印象に残るもの。
 火災で焼け落ちる前の社殿の姿も知りたいところだ。

紫の幕には神紋の左巴紋が入る。

拝殿妻壁に掛けられている「八幡社」の額も大ぶりのもの。

拝殿内から金色の御幣が輝く幣殿方向の眺め。

社殿右方向から鞘殿の眺め、三本の鰹木と外削ぎの置き千木が載るもので、神社名鑑によると本殿は八幡造ということだ。

参拝を終え境内から社頭方向を眺める。

三好八幡神社
創建 / 寛仁三年(1019)勧請
祭神 / 誉田別命 菊理姫命 大碓命 国常立命 軻遇突智命
氏子域 / 園原、西陣取山、東陣取山、東蜂ヶ池、三好町
祭礼日 / 10月第3日曜日
境内社 / 三保社、五穀社、三好神社、白龍社
所在地 / みよし市三好町宮ノ越30
参拝日 / 2026/09/12
弥栄神社から車アクセス / ​ 西へ1.5km、約5分ほど ​
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Last updated  2026.10.15 00:00:11
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