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毎日寒い日が続き、日本全国、寒波到来です。一年中で一番寒い時期、チャリンコの私は寒風に向かってペダルを漕いでいます。運動々々と言い聞かせながら・・・一通り、子育てを終え、人生の半分を生きてきて近頃は何故だか祖母や母のことが思い出されています。何でだろう・・・自分の生き様が祖母や母の生き方に重なっているように感じる事があるからです。私は女ばかり四人の中で育ち、結婚も姉妹の中で一番最初でした。だから親の面倒も後継ぎも妹達のうち誰かがやってくれるだろう・・と気楽に考えていました。ところが他の姉妹は全て長男の嫁として嫁ぎ、結果的に私が主人共々、実家に戻り後継ぎになったのです。(実家は父が長男の本家です。だから200年以上前からの仏様を祭っています)父は 私が高校三年の時に胃癌でアッという間に亡くなりました。胃癌が見つかって五ヵ月後に・・・激動の日々でした。祖母、母、私達姉妹を遺して・・当時これほど辛い事はない・・・というほど父が亡くなった事はショックでした。小さい時は祖母がよく私を”耳が治るように滝の神様””ご先祖さんに耳を治してもらうように墓参り”へ連れて行ってました。幼少の頃は漠然と「ストマイ注射の副作用」だと思っていたらしいのですが、当の祖母にとっては、聞えない私を不憫がって藁にもすがる気持ちでお参りに連れて行っていたのだと思います。漢方薬がいいと聞けば私の手を引いて漢方薬の店へ連れて行き、煎じたものを飲まされ、とにかくありとあらゆることを試してくれました。何で母じゃなかったのか不思議なのですが、当時は妹達が小さかったこともあり、明治生まれの祖母が絶対的な権力を握っていたので母は祖母の言う事に逆らえなかったのだと思います。私達には優しい祖母でしたが、母にとっては厳しいお姑さんでした。祖母はとても信心深い人でした。毎月、篠栗観音や川上不動産、粟島神社など数ヶ所、また墓参りも欠かすことがありませんでした。勿論、毎日朝夕、仏壇の前に座りお経も上げていましたし、神仏様の花の水替えも祖母がやっていました。私に向かって「ほんにのぅ、おとん(お前)の耳がきこゆっごとなっぎのぅ(聞こえるようになったら良いがね~)」といつも心配そうに、語りかけていました。今思えばお参りして聞えるようになるなんて本当に非科学的な事ですが、当時の私は祖母のその気持ちが充分伝わっていましたので素直に従ってお参りに行っていたのでした。祖母が仏壇の花の水替えや墓参りに行っていたとき、母は殆ど関わった事がありませんでした。祖母がやっているからいい・・・と思ったかもしれませんし、祖母の仕事だと思って手出ししなかったかもしれません。私が結婚する時、祖母も母もとても喜んでくれました。本心は私が結婚するだろう・・・と思っていなかったかもしれません。というより耳が聞えない私を貰ってくれる人がいないだろう・・と思っていたようです。結婚しtomoが生まれたことをそれはそれは、喜んでくれました。tomoが生後八ヶ月のとき祖母は脳溢血で一晩で亡くなりました。本当にあっけないほどの最期でした。私は死に目にも間に合いませんでした。母と嫁姑の葛藤があってお世辞にも上手くいっていたとは言えず、私達姉妹はいつも胸を痛めていました。でも結果的には介護の手を取らせる事もなく子孝行、嫁孝行だったと思います。祖母が亡くなり(その五年前には父も亡くなっていたので)今度は母が仏壇の花の水替えや墓参りに行くようになりました。祖母が存命中は殆ど行ったことがない母が・・祖母がいた頃は母が墓参りに行くなんて考えたこともありませんでした。勿論、私もそんなに墓参りに行っていたわけではありません。父が亡くなってから少し墓に足を運ぶようになっていましたが、それでもそこまで必然を感じていませんでした。母が墓参りしているからいいだろう・・・と。せいぜい盆、正月に墓参りに行くくらいでした。ところが十年前に主人が亡くなり母も主人の四十九日の翌日(正確には主人がなくなった五十日後)母も亡くなりました。当時が私の人生で一番辛い日々でした。ショックで片耳が全く聞えなくなりました。主人も母も三年間、入退院してたので看病している時は気が張っていて辛いと思ったことはありませんでしたが、亡くなって暫くは、昼間は店で気が紛れるものの夜になると涙ばかりでした。特に主人が亡くなったことは人生最大のショックで現実感がなく雲の上を歩いているようでした。父、祖母を送り、主人、母まで送って、今、私に怖いものは何一つありません。主人の両親は既に亡くなっていたので、もう私は送られる立場です。そして今まで墓参りも、あまり行ったことがなかったのに現在、月に二回墓参りに行っています。主人の命日が15日、母が2日なので丁度、花が枯れないくらいの時に行っていることになります。よほど用事がある時は行かない事もありますが、私の墓参りは義務で行っているのではなく、ただ(行かないと淋しがっているだろうな・・)その気持ちだけです。(いつも無事に過ごさせてもらってありがとうございます。見守っていてください)と胸の中でつぶやきます。不思議なもので母から「墓参りに行きなさいよ」と言われたこともなく、小さな頃から祖母が墓参りに行っていた事が無言の教えになっていたのかもしれません。漠然と、お経を上げていた祖母の姿が刷り込まれていたのかもしれません。今は私が仏壇を守っていかなければ、墓参りに行かなければ・・・という責任が心底に生まれたようです。きっと祖母や母もそうだったかもしれません。知らず知らずのうちに順送り・・・になっているのです。亡き父や亡き主人はお互いに会ったこともありませんが共通の事をよく言っていました。「他の宗教は何もしなくていい。ただご先祖さんだけは大事にしなさい。ご先祖さんがいたから自分達がいるのだから・・」と。同じ考えだったのです。こうして親から子へ、子から孫へと人生は順送り・・繋がっていくのですね。 では また・・・
2008年01月24日
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早くも一月の半ばとなりました。風邪のあとも体調がすぐれず、まだ本調子ではありません。若い頃に比べて体力が落ちているなぁと感じています。でも店は殆ど休まないで開けています。1人のお客様でも迷惑をかけたくありませんから。先日久しぶりに二人の友人と話し込みました。二人ともいろんな活動をされている方で以前から私の活動のことでいろいろとアドバイスを下さっている方たちです。私は主人が元気だった頃は店と家事、子育てのみで何の会にも属した事はありませんでした。それだけで時間が足りないほど忙しかったし主人がいるだけで充分でした。主人が亡くなってから、暫くしていろんな会に属するようになり数えてみたら今では7~8ヵ所あります。一番のメーンは会長をさせてもらっている難聴協会です。そのいろんな会の中で長いこと属しているにも関わらず、今でも難聴のことを引きずっている私がそこの会にいるのです。こうしてブログを書いている私は全て難聴のことを受け入れて平気に過ごしているように見えるかもしれません。でも、まだ難聴の悩みがもたげてくる場所があるのです。あえて、どことは言えませんが仮にA会としましょう・・・このA会で(何で聞えないのだろう)と時々悩んでいる私がいるのです。勿論どこでも私が聞えないことを話していますし、その他の会では有難いほど配慮して頂いているので卑屈にならないですんでいるのですが・・そのA会ではたまに、どこかに行くことがあります。その車の中で聞えない辛さを味わうのです。私が聞えない事は話しているのですが、つい私だけ会話から外れたりする。車の後席だと前の人の話が聞き取り難い。それが何回かありました。それで友人にこのことを話しました。まるで愚痴を聞いてもらうように・・・すると友人のMさんが「そんなに悩むんだったら何でその会を辞めないの?」「だって、それ以外はそんなに不満はないから・・」と私は答えました。「じゃ、聞えないからこっち見て話して・・・と言った?」ともう1人のKさん。「言ったよ」「何回も言ったの?理解してもらおう・・・としたの?」とMさん。「言ったけれど何年たっても同じ・・・やっぱり聞えないと(会話から)外れるよ」と答えたら「プライベートでその会の人と遊びたいと思う?」「イヤ思わない」と私。「michiさんは聞えないせいにしているけれど違うよ。気が合わないんだと思う」とMさん。「michiさんは自分の耳のことを理解してくれる人はいい人・・・で、その他は良くない人・・と思っているみたい。それ違うよ。私だって気があわない人いるよ。いろんな人がいて当たり前じゃない?」とKさん。私の痛いところを突かれた。そう・・・耳のことを理解してくれる人はいい人に見える・・・でもそうじゃない。根本は気が合うか・・・合わないか・・・なのだ。この二人と話していると時間が経つのが早くて、楽しくて真夜中まで話したこともある。私が聞きとれないと二人ともちゃんとわかるように言い直してくれる。とても有難い友人だ・・・だから遠慮なしにズバッと本音を突いてくる。私だって他の難聴の方が悩んでいると「理解してくれない人は別世界に住んでいると思って切り替えた方がいいよ」と言ってるくせに、自分のことになるとこのザマだ。そしてMさんがこう言った。「中途半端だと愚痴がてる。いいかげんだといいわけがでる。一生懸命だと知恵がでる」多分、相田みつをさんの詩かな?二人は「愚痴るくらいなら愚痴らなくて済むように(改善せよ)考え方を変えよう」と言った。「michiさんがA会のとき車の中だけが不満なら”私を乗せて行ってくれている”と思いなさいよ。それができないなら(愚痴るなら)辞めたがいいよ」とMさんが言った。私を理解しよう・・・という気持ちで話してくれているのがグングン伝わる。私はまだまだ修行不足だ・・・と痛感した。心の底から話せる友人がいる有難さ・・・感謝です。二人の凄いところは、誰にでも真剣に向き合ってくれるところです。これがダメなら、この方法は?それでもダメならこうしたら?と次から次へとアイデアを出してくれる。見習わないといけないなぁ・・・二人とも忙しくて、そんなに会えないけれど、会ったときは話が弾んで時間が経つのも忘れるくらい楽しい。話した後、心の中はホンワカと温かい風が吹いている。日々の暮らしでいろんなことがあるけれど悩みを聞いてくれる人がいる・・・それだけで勇気が出る。もし難聴の活動をしていなかったら知り合えてなかった人たちだ。人との巡り合わせ・・不思議だけど人と出会う・・・って心の財産だなぁ・・・こんな財産はもっともっと欲張ってもいいかな・・・・明日からまた頑張ろう!!
2008年01月14日
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明けましておめでとうございます。皆さん、良いお年を迎えられましたか?私も年末からずっと忙しくしていました。娘と孫が年末、泊まりに来ていて一歳五ヶ月になる孫が、マメで少しもジッとしていなくて嬉しい悲鳴・・・というか後を追うだけで・・・体力も要りますね。正月も新婚の娘夫婦も加わって賑やかに過ごせました。店は4日から開けたのですが、多くはないけれど、開けたすぐからボチボチ若い難聴のメンバーや常連さんなど来て下さって立ちっ放し、喋りっ放しで少々疲れました。でも難聴のメンバーの方と常連さんは、同じカウンターに座って、(常連さんも難聴に理解のある方ばかりなので)私がさりげなく紹介すると、すぐ打ち解けて話が弾むのは嬉しいことです。常連さんも心得たもので「どっちが聞きやすいですか?」と聞いてくれて聞きやすいほうに椅子を詰めてくれたり、聞き取れない時は書いてくれたり・・・それが自然にできる方ばかりなのです。有難いなァと常連さんにも感謝しています。難聴の相談では新年早々、家族の方が「人工内耳関連は、どこに行けばいいですか?」と来られました。残念なことに佐賀では人工内耳の手術ができる病院がないのです。「高齢の主人なんですが、補聴器をつけても、なかなか聞き取れないし、話さなくなってしまって呆けないかとそっちの方が心配でたまらない」と奥様が言われてました。「人工内耳の手術は検査が必要だし、もし手術されたらリハビリに通わないといけないので距離的には福岡が近くていいかもしれませんよ。でも私は長崎で手術しましたし、九州では宮崎に続いて長崎が手術例が多いので、長崎もいいですよ。どちらかご希望の所にいかれたらどうですか?」と答えました。人工内耳の手術をする前の私を知っている人は、皆さん一様に驚かれます。「以前に比べたら、すごく聞えているね~表情も明るくなったね」と。でも、誰もが手術をすればすぐ聞えるようになるわけではなく、個人差があるので、その点を納得されて手術に臨まれたほうがいいようです。私は手術成功率がとてもいいほうだから・・・でも、こんな私でも人工内耳を外せば全くの聾なのです。その事を理解してもらわないと、人工内耳で健聴者に戻ると誤解される方もいるのです。耳に関して話す・・・となると自分が知っていることは何でも伝えたい、私で役に立つなら何でも聞いてください・・・という気持ちなので話の時間が長くなってしまいます。本当に1人でも心が軽くなって欲しいです。それに、この頃は難聴の方ばかりではなく、躁鬱で悩んでいる方も来られています。私は躁鬱のことは、あまり判らないのでアドバイスはできないのですが、とにかく一言も聞き漏らさないように話を聞くだけです。話を真剣に聞いてもらいたいのだと思います。寂しいのだと・・障害は違うけれど悩んでいる苦しさは同じなので「自分を受け入れた方がいいよ。どんなに悩んでもすぐ治らないなら、気持ちを切り替えたほうがいいよ。健康な人だって、気が合う人、合わない人がいるから、全ての人に理解してもらおう・・なんて無理。理解してくれないなら別世界に住んでいる人だと思って気持ちを楽にしたほうがいいよ」と言います。すると今までの辛かった事を次から次へと話されるのでジッと聞いています。「貴方がここで話そう・・・と思ったことは自分で動き出した証拠だから、動けば変わるよ。焦らないで・・・話したいときはいつでもきていいよ」と言っています。難聴者のために・・と思って店をしているけれど、来るもの拒まず、去るもの追わず・・・の気持ちなのでいろんな方が来られます。誠実に向き合っていきたいと思います。もしそれで来なくなっても、それはそれで私を必要としないほど自立できたかもしれないし、私では無理だったかもしれないのです。あるがまま、来るもの拒まず・・・で自然体で今年も過ごしていきたいと思います。 では また・・
2008年01月05日
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