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暫くご無沙汰していました。昨日は四月と思えないほどの暑さで上天気だったのに今日はうって変わっての雨の一日でした。上着を脱いだり着たり・・の季節です。お客様で来られた方から聞いたのですが、県内西部で人工内耳をされた五才の子供さんの親が「人工内耳をして良かった。補聴器の頃と違ってとても性格が(明るく)変わって発音が明瞭になってきた」と言われていたそうです。「五歳で人工内耳の手術をされましたが、言語習得の前の二歳くらいで手術した方が良いみたいですね。五歳では言語をおぼえるのに遅いくらいですよ」とのこと。五歳で遅いなら五十歳を過ぎて人工内耳の手術をした私はどうなんだろう・・・私は人工内耳をして、とてもよかったと思っています。何歳でも遅い・・・ということはないようです。私も「発音が明瞭になった」と言われるので人間の身体って凄い可能性があるのだなぁと思います。発音が明瞭になったのは聞こえるようになったことに加え気持ちにゆとりが出てきたこと、それで自信もつき声がはっきりとなったように思います。最近孫が産まれ、別にtomoの子供とも身近にいるようになりました。以前は幼児の声が聞き取り難く、孫から話し掛けられてもはっきり聞き取れないので返事もあやふやになったりしていましたが人工内耳装用後の今はよく聞き取れます。孫も「ばぁば、遊ぼう、、風呂もばぁばと入る」と懐きます。もし人工内耳を装用していなかったら孫の話に答えられません。大人の声は判りやすいので補聴器と読唇で何とかなっていましたが小さい子供の声は(私の場合)補聴器で判り難くかったのです。自分が子育てしている時は、子供の目や口をシッカリ見て読唇が殆どでしたが(それはそれでよかったのです。真剣に顔を見て話すので心の動きまで読み取っていたからです)今は、かなりのゆとりを持って話ができます。このように孫と会話ができることは、なんと幸せなことか・・・もし健聴者だったら、孫と話すことも当たり前なんだろうけれど人工内耳のお陰で「こんなに聞える・・・」と会話ができる小さな幸せをしみじみ感じています。二ヶ月ほど前に人工内耳のリハビリで聴力検査をしましたら25デシベルまで聞えました。もし健聴だったら絶対感じ取る事ができない達成感、なんと有難いことか・・・不便な事は入浴や就寝時に外さなければならないこと。(スピーチプロセッサー”体外装置”は磁石で内部と繋がるので激しい運動時や入浴、就寝時は外さなければならない)1人でいるときは聞えなくても不便さを感じないけれど孫と入浴中にはお喋りができない。何とか読唇で話の内容をつかみたいけれど残念ながら読唇力が落ちている。就寝中に何かあっても聞えない。これにも困るけれど補聴器でも就寝時や入浴時は外すので不便さは同じでしょうね。人工内耳の手術を受けて二年八ヶ月になります。1人でいる時には人工内耳のスイッチを切るときもあるので今でも音のない時間帯があります。スイッチを入れたとき(聞えるって有難い)といつも感じます。人工内耳はもう私の体の一部なので、ないと非常に困ります。残念な事は佐賀に人工内耳手術が出来る病院がまだ無いので人工内耳のことを知らない難聴者が沢山いること・・・其の方達にもっと情報を伝えなければならないと思っています。まだまだ私がしなければならないことは沢山あるようです。人工内耳、要約筆記、、、と周知に力を入れていきたい。 では また・・
2008年04月23日
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四月に入ったけれど肌寒い日が続いています。でも桜は満開で一年中でも希望に溢れる時期ですね。店に来られる難聴のお客様と、聞えない事の不便さを話しました。其の方Aさんは70歳前後で7年前から徐々に聞こえ難くなったそうです。Aさんは商売を手広くやられて、それはそれはやり手の(以前は)眼光鋭い方でした。私の店は以前は普通の喫茶店で亡き主人がいた頃の常連さんだったので前から存じていました。だから健聴者だとばかり思っていました。(其の頃は健聴者だったのです)私が店を”難聴者が経営する喫茶店”としてリニュアールして暫く経った頃店に来られて「私も耳が聞こえ難くなったんです」と言われたときはとても驚きました。眼光鋭い以前の面影は薄れて優しい目つきの人になっておられました。「まぁ驚きました」と言いましたら、次から次へとこの7年間の事を堰がきったように話されました。最初のころは他の人が小さな声で喋っていると、勘違いして「もっと大きい声で話さんと、わからんじゃないか」と言っていたそうです。すぐ耳鼻科にも行ったが「神経性の難聴で治らない」と言われとてもショックだったそうで、誰にも会いたくない、家から出たくない、鬱の一歩手前までいった・・・と。何よりも客商売をやっていたので会話がスムーズにいかないことに腹立たしさを覚えたがどうする事もできない。人から話し掛けられると聞こえ難いので不安・・・補聴器を使ったが喧しくて頭が痛くなる。耳鳴りはする・・・役所などに行った時「聞えないから宜しく・・」と言うと、最初のうちは大きい声で話してくれていても発音は当たり前なので、相手が聞えないことをつい忘れがちになって、自然と声が低くなる・・・・そしたら話が聞き取れない・・・もう疲れて、疲れて・・・「聞えない事がこんなに大変な障害だとは考えたこともなかった。経験してみないとこの大変さはわからないですね」としみじみ言われました。特に店の経営者なので聞き間違いしてトンチンカンなことを言っても従業員が注意しにくい。この頃に「団塊の世代」という言葉が流行りAさんはずっと”だんきのせだい”と言っていたそうです。年下の者は注意しにくいのでしょう。何年間も「だんきの世代」と話していた数年後ある目上の方が「それは”だんかいのせだい”と言うんですよ」と教えてくれて「はぁ?”だんかい”なんですか?」と初めて知ったそうです。「何年間も恥を掻き続けていた・・」と笑って話してくれたけど本心は複雑だったでしょうね。「俺が若かったら注意してくれたんだろうけど、年下の者は言い難かったんだろうね。この耳が聞えたら”商売も誰にも負けんぞ~”と何度思ったかしれない。聞えないって本当に大変な事だ」と心の内を話されました。聞えないとテレビの聞き取りも難しいのでニュースを見てテロップが流れてもルビが無いから自己流で読んでしまう・・・これを声に出さないと誰にも笑われる事はないが、自己流で読んだまま話すと???と 相手の顔が怪訝そうになる。こりゃ~耐えられない・・・・私も今まで読み違いは数え切れないほどあったけれど小さい頃から聞えないから慣れてしまう・・・でも人生を一通り健聴者で過ごしてきた人にとっては受け入れ難い事でしょう。治らないなら難聴を受け入れないとしようがない・・「5年以上かかりました」とAさん。今でこそ笑い話だけど・・・と淡々と話しておられました。テレビのニュースでも流行の言葉にはルビを入れて欲しいですね。このテレビなのですがAさんは漫才や落語が大好きだったが、其の楽しみもなくなってしまったとのこと。奥さんがあまりのしょげように心配して落語のテープを買ってきてくれたりしたが、其のテープも聞き取り難い。漫才などの本も買ってみたが「漫才は耳から入ってこそ面白いんだ。間の取り方一つで笑えるからね。本当に聞えない事で自分の生活そのもの(ラジオを聞く楽しみなど)がなくなってしまった」と言われました。私などは幼少の頃から聞えないのでラジオの楽しみも知らないし、間の取り方・・・と言われてもピンとこなかったけれど人工内耳の現在はわかりますね。こんなわけで一通り人生を過ごしてから難聴になった方は別の意味での辛さがあるのだなぁと認識させられました。いずれにしろ難聴である事を受け入れないといつまでたっても苦しいものです。店にもいろんなタイプの難聴の方が来られますが1人として同じような難聴者はいません。それぞれに悩み苦しんで受け入れてまた歩き出すのです。なくしたもの(難聴)を悩んでもしようがない。前に進むしかありません。でも1人じゃないんだよ。仲間はいるよ。他の楽しみを見つけて生きましょう。 では また・・
2008年04月02日
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