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猛暑、猛暑で身体がばててしまいそうです。水分ばかり欲しくなり却って疲れます。この頃は卓球の練習もハードになり球が一秒毎に飛んでくるのを打ち返さなくてはなりません。練習時に頭から汗ビッショリになり人工内耳のスピーチプロセッサーに汗が付着して少々不安になります。汗を拭き拭き卓球を頑張っています。ところでテレビ放映の後いろんな方から(他県からも)人工内耳に関してのFAXを今でも頂きます。テレビの影響ってすごいなぁと思います。一番多い質問は聞えの事です。初めて聞いた音が沢山あるのですが誤解されやすいのが「聞こえるようになった」という私の言葉をそのまま受け止められることです。私が聞える・・・というのは以前補聴器で生活していた頃に比べて聞える・・ということを言いたかったわけですが、殆どの方が健聴者と同じように聞える・・・と勘違いされているようです。決して健聴者と同じに聞えるようにはならないと思います。私は2歳の頃から少しずつ聞えないようになっていき小学校4年生のとき障害手帳の4級社会人になった20歳の頃は既に重度難聴2級でした。それで本当の聞こえ・・・というのを覚えていません。健聴者がどれほど聞えているのか実感として知りません。物に音がある・・というのは人工内耳を装用して初めて知ったのです。きいたことが無い音が沢山ありました。自分の足音、虫の声、水道の水の流れる音、ガスのバーナーの音、お湯が沸いた音、時計の秒針、小鳥の声、枝葉の風で揺れる音・・数え上げればキリがないほどです。人の話し声は補聴器で入るけれど言葉が判別できないので全て読唇で50年以上を過ごしてきました。目を閉じればどんな言葉の判別も出来ませんでした。だから私が聞えているのは自分が以前補聴器で生活していた音より聞えている・・・ということなのです。このテレビをご覧になった方が私を訪ねてきて「あなたの発音は普通の方と全く変わらないですね。どうやって言葉を覚えたのですか?」と驚かれていました。私のほうこそ(自分では当たり前に話しているつもりだが、どうして驚くの?)と却ってビックリしています。どうして聞えないと発音が悪いのが当然・・・と思っているの?と疑問に感じるほどです。私の場合は周りに助けられたからでしょうね。友達が発音を注意してくれていたから・・・でも人工内耳装用後「発音がより良くなった」と言われます。その尋ねてこられた方は「聞えないでどうやって言葉を覚えたのか不思議でたまりません」とのことでした。私としては「自然にこんな発音になりました」としか言いようが無いです。その方は「知らない事が沢山あった。要約筆記派遣制度、中途難聴者協会など」といわれ進んで難聴会員になってくれました。「情報が欲しい」そうです。そんなテレビ放映が好評だったためかNHKTV、7月24日(木)14時10分~15時まで全国放映されることになりました。「元気列島」です。良かったらどうぞ・・先日は若い難聴者の集まり「こうひいらびっと」で初めての飲み会を行い、おおいに盛り上がりました。たった一人の方の「若い難聴者と知り合いたい・・・」との希望から始まりもう10回目を数えました。相変わらず耳の話が多いですが皆さんお喋り大好きで本当に仲間という言葉がしっくり来るようになりました。こうして1人でも聞えで悩んでいる人の気持ちを軽くしたい,ほっておけない・・・この気持ちで進んでいきたいと思っています。
2008年07月22日
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このところ猛暑が続いています。ちょっと前までは夜も涼しかったので(今年は冷夏かな?)と思っていたのですが、梅雨が明けたらやはり猛暑・・・これから1ヶ月以上も続くのでしょうね。先日主人が亡くなってから12年目の祥月命日を迎えました。毎年和尚さんにお経をあげてもらっていますが、今年は子供達、三夫婦、孫4人の家族が増えました。和尚さんも「オー―ッ賑やかですね」とビックリされていました。主人が亡くなってから二年近くなってから始めた卓球・・・淋しさを埋めよう・・・身体を動かした方がいい・・と思って卓球クラブの門をたたきました。運動神経が鈍い私はなかなか上達しません。最初は球が天井へいったり、隣のコートの人に当たったり失敗の連続でした。サーブ、スマッシュ、試合のルール・・・知らない事ばかり・・・あまりの下手さに注意されてばかり・・上達しないので教えてくれる方に気の毒で「すみません」と、つい口に出る・・・球もコートからオーバーばかり・・・ヒョロヒョロ転がり落ちる。それでも最初の一年間は一回も休みませんでした。練習は店が終わってから7時から9時まで、週二回です。店のお客様が遅くまでおられると練習へ行く時間も遅くなります。雨の日も合羽を着てチャリンコで20分ほど・・・「とにかく休まずに真面目だから」と卓球クラブ会長よりラケットのラバー張替えをご褒美に頂いた事もあります。下手でも続けていくと少しずつ、少しずつものになっているみたいです。相変わらずヒョロヒョロした球を投げてスピードもありませんがバックも何とかできるようになりました。一番困るのは試合時の≪蚤の心臓≫です。練習の時は、少しはバシッと打てるのですが試合になると途端に球に切れ味がなくフワーッとした球しか打てません。手が動かなくなるのです。「私、蚤の心臓で試合は全くダメなのよ」と言うと、皆さん「嘘~嘘ばっかり」と言われます。却って沢山の人の前で話す講和は全く平気なのです。ドキドキもしないし、(難聴関連の講和の依頼を受けますが)誰かが乗り移って喋っているのではないか・・・と思うほどあがらずに話すので、それを知っている人は≪蚤の心臓・・≫が信じられないようです。卓球の試合は平均して大体、月に一回ほどあります。難聴会の用事がない限り卓球の試合も殆ど出ています。ところが蚤の心臓なので勝ったことがない。せいぜい一回戦を突破するくらいです。こんなに勝てないのに何故試合に行くのかというと、帰りの温泉が目的で行っているようなものです。第一に温泉、第二が県外の試合会場まで車で行くのでドライブ気分を味わえる、第三に試合が目的・・・というように不謹慎なのです。ところで佐賀では聴覚障害者の卓球人口が極めて少ないそうです。それで数年前から「障害者国体に出場してみたら?」と言われていました。聴覚障害者・・というだけで卓球の種目に出場できるらしい(嘘みたいな本当の話)今年の国体は大分大会で九州という近場だから店をあまり休まなくて良いので承諾しました。すると俄然、火が点いた??半月ほど前の障害者卓球九州大会では初心者の部、敗者復活戦トーナメントで、あれよあれよ・・・というまに準決勝まで行ったのです。6回試合しました。いつも一回戦を漸くクリアするくらいだから私自身、ビックリでした。そして先週、長崎での試合は(勿論初心者の部)のトーナメントで決勝戦まで行って負けました。仲間がビックリする事・・(あの下手なmichiさんがねぇ)とても喜んでくれました。いつも指導してもらっている監督も私の試合を見ていたけれど「蚤の心臓だから見ないで下さい、あっちの方に行っててください」と頼み込んでコートから離れてもらいました。誰かが応援してくれると緊張してダメなのです。表彰式でも現金なことにマイクを通した私の名前が聞えました。「二位、佐賀のmichiさん」勿論すぐ賞品を頂きに行きました。ラッキーな事にコーヒースプーンでした。こんなふうで何でも努力すれば報われる日がくるんだなぁと実感しています。これからも下手な卓球を続けていきたいと思っているこの頃です。
2008年07月18日
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梅雨明け宣言の後いきなり真夏日がやってきました。今までは例年より気温が低く涼しく感じていたので、暑いのは堪えますね。先日人工内耳のことでNHKTVに出ましたが知人、友人から「見たよ」「良かったよ」と多数のメールが入りました。見ていただいてありがとうございます。当日NHK放送局の方にも数件の問い合わせがあったそうです。地元のNHK放映後、翌朝は九州全域でも放映されたので他県からの問い合わせもきたそうです。それでNHK担当者から「michiさんの住所やFAX番号を教えていいですか?」とのことだったので勿論すぐに承諾しました。実を言えばNHK放送局からは去年も取材依頼がきていました。その時は私の子供達も一緒に出演してくれないか・・・とのことだったのでお断りしました。末娘は「私のお母さんは耳が聞えないって考えたこともない。私にとっては普通の一般のお母さんと同じなので、聞えないお母さんから育てられたと一度も思ったことはないから取材を受ける必要性がない」と言うのです。私は家庭では(聞えないから子供達にすまない)と口にしたことは一度もありません。むしろ普通の親より厳しく育てていましたので、子供達が「普通のお母さんと全く変わらない」と言うのは当然のことです。このような経緯があり、今回は家族は出なくていい・・・とのことだったので取材を引き受けることにしました。本当のことを言えば顔も出さずに難聴のことを世の中に訴える方法がないのか?と思う。でも自分が発言した事には責任を持たなくてはなりません。4分程の放送時間の取材は本当に大変です。今度で5回目のテレビ出演ですが毎回取材者の大変さに同情しています。こんなに沢山のフィルムを回すのか?こんなに時間がかかるのか?私生活まで入り込まないと内容がいいものができません。テレビの内容は人工内耳に関することです。佐賀では人工内耳の手術が出来る病院がないので難聴者自身が人工内耳のことを知りません。これでは選択の幅が狭められてしまいます。人工内耳は賛否両論ありますが、医学が進歩した現代では副作用も少ないし補聴器で効果がない方の最後の手段と言われるほど難聴者にとっては希望の光なのです。これを私だけの胸に秘めておくのは勿体ない。「こんなにいいのがあるのよ」と知って欲しい・・・ただその気持ちで取材を受けました。子供達も「お母さんが難聴の活動をしたいならしたほうがいいよ。知らない人に広めたいならお母さん自身が取材を受けることを決めたら?」と理解してくれたので・・・思ったとおり人工内耳のことを初めて知った・・・という人たちが家族を通じてFAXや、尋ねてこられた人もいます。私に会われた方は「こんなに聞えるのですか?」とビックリされています。何でかというと付いてこられた家族の方の普通の低い声でも聞えて会話ができるからです。「希望が見えてきました。自分は一生耳と関わりのない生活になるのかと思っていたが貴女を見て勇気が湧いてきました」と60代の方も話されていました。「要約筆記がありますよ」と言ったら、とても喜ばれて「知らなかった。本当にいいものがあるのですね」と言われ、情報を伝えていく必要性を感じました。人間は可能性があるならあきらめないで欲しい・・・同じ人生なら少しでも良い方法を見つけて楽しく生きて欲しい・・・いつもそれを原点に情報を伝えていきたいと思う。店に来られた時に暗い表情だった方がパァーッと明るくなって帰られていく・・・・本当に私まで嬉しいです。今までのテレビ放映は耳マーク、要約筆記だったけれど佐賀で馴染みのない人工内耳が 一番の反響だったようです。私に出来ることを気負わずに続けていって情報発信をしたいと思っています。 では また・・・
2008年07月07日
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