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一年で一番寒い季節です。まだ雪は 降っていませんが西の方が真っ白い雲で覆われて今日は山沿いでは雪が降りそうです。風邪にご用心!私は聞こえない、聞こえにくい状態で三人の子育てをしてきました。大変だとはあまり思いませんでした。子育てを本当に楽しませてもらったと思います。何で楽しかったのかな?と思い返すと、主人の協力があったこと、それと家族で会話が多かったことです。何で聞こえないのに会話が増えるの?と皆さん不思議がります。それは、聞こえないと自然と口を読み取るし、それと同時に目で心を読むのです。しかも私が聞こえにくいので相手の話を一生懸命聞く・・すると相手も自然と向かい合って(真剣に)話してくれるのです。一生懸命話す、それは私が生きていくための基本でした。健聴者は何かをしながら会話ができます。手を動かしながら・・相手が目の前にいなくても同じ部屋にいればお喋りできますよね。でも私には、それができないのです。必ず相手と真正面で口を見ないと話せないのです。自然と読唇術が身についていたからです。ずっとそのように話してきましたので、子供達も相手と向かい合って話すことが当たり前になっています。すると心も繋がったように安心感を覚えます。主人の気持ちも読み取れていたし、子供達が何を言いたがっているのか、大体わかっていました。子供のことを信頼していましたので親子の断絶はまずありませんでした。子育てで何が大事かと言うと、子供たちと心が通じていることが一番大切だと思います。私は聞こえなかったけれど自然と口を見て生活できたことを感謝しています。最近地元の新聞投稿欄に私の拙文を掲載させてもらったので記したいと思います。「目見て話そう。心も読める。 最近は親殺し、子殺し、虐待、自殺など胸がふさがるような事件が多発している。社会が進歩して物もあふれ、よほどのことがない限り食べていける。なのに心が満たされないのか、次から次へと悲惨な事件ばかり。私たちもそれに慣れてしまって少々のことでは驚かなくなっている。人間対人間の触れ合いが廃れてしまったのではと心配である。 話すとき相手の目を見て話すことが少なくなっているのではないだろうか。親子間、夫婦間、家族や友人と小さなことを話すときでも、必ず相手の目を見て話したらどうだろう。目は心の窓といわれる。目を見て話せば嘘もつけないはずだ。目で相手の心も読める。心が通う。まずは小さな家庭から。皆さん目を見て話しませんか。」以上さて私は欲張りで、いつもあれをしたい、これをしたいと、すること、やりたいことが沢山あります。店、難聴の活動、難聴会の事務、会報作成、卓球・・それでこのブログの間隔を少し延ばしたい(空けたい)と思っています。細く長く続けていけたらと思っていますので今後ともよろしくお願いします。
2007年01月29日
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この頃は一月中旬過ぎとも思えない程、暖かい日が続いて助かります。雪も滅多に降りそうも無くありがたいです。このまま春になるとは思いませんが、やはり暖冬のようですね。難聴会の皆さんが楽しみにしていた新年会をT市の温泉で実施しました。年賀状でも「新年会を楽しみにしています」との書き込みが沢山ありました。高齢者が多いので(雨が降らないように・・寒くありませんように)との願いが通じて曇りだったけれど、まずまずの天気でした。まるで小学生の遠足のように楽しみにされている会員さんが、ニコニコ顔で次々とやってこられました。会員13名に要約筆記者が5名。送迎バスでは難聴者の間に要約筆記者が座って、私が話すことを書いて伝えてくれます。皆さんは、文字を追って目で聞く(読む)のです。「参加者のうちYさんとGさんは足が痛い、Oさんは血圧が高い、Sさんは家族旅行、と言ってお休みで~す」と私が言うと数分してから、筆記を見た方から「ありゃ~身体が悪いと困るね~」「折角だったのにね~」とか大きい声でワイワイガヤガヤ・・揺れるバスの中で筆記されてて、気分が悪くなられた筆記者もおられて気の毒でした。会場に着いて、席順も聞こえない方の隣に要約筆記者が座るようにして、ちょっと聞こえにくい方は少し要約筆記者から離れる席に座ってもらいます。難聴者に対して要約筆記者の方が少ないのでマンツーマンと言うわけにはいきませんができるだけ皆さんに情報保障ができるように配慮します。「自己紹介と近況報告を話してください」と進めると各自思ったことを気負い無く話されます。難聴会のいいところは(聞き間違いして笑われないだろうか?話の内容がわかるだろうか?何回も聞きなおしていいだろうか?)と考えないでいいことです。聞こえないと自分が話している音量がわからないので大きな声になりがちです。でも会では、そんな心配もしなくていい・・何回聞き返しても、大きな声を出しても笑う者はいない。自分の気持ちのまま話せるのです。だから皆さん殻を脱ぎ捨ててリラックスされています。本当にニコニコ楽しそうです。話の中でも「私は耳鳴りがひどくて聞こえなかったけれどK耳鼻科でいろんな補聴器を試聴させてもらって、今では会話もできるようになりました」等と言われると「その耳鼻科の住所を教えて(下さい)補助は出ると?」と色々な質問が出て、本当に情報交換の場です。二年前に入会された人は「家族の話も良く聞き取れなくて、孫も大きくなると、聞こえないからあまり話し掛けてこない」そうですが入会した後は家族から「顔が明るくなった」と言われるそうです。「この会が楽しみでね~。ずっと続けていきたい」と言ってくれると私も張り合いがあります。他に「補聴器はうるさくて頭が痛くなるから何十年も使ってなかった」と言う方に私がK耳鼻科を紹介して、何度も試聴してピッタリ合った補聴器が見つかった人もいます。それまでは全て筆談だったので家中メモと鉛筆を置いていたのが今ではメモも姿を消し、会話ができるとのこと。それでも「電話とテレビの聞き取りは難しいけれど一対一なら会話ができるので充分幸せです。主人が一番助かっています」とニコニコ顔で話されていました。本当に笑顔が増えられました。人間どんなに年を取っても最後まであきらめたらいけないとつくづく思います。食後ゲームをしました。ピンポン球をウチワで扇ぎながら早くゴールまで進めた人が勝ち・・とか、2チームに別れ、ズラ―ッと並んで背中に二文字を手書きで申し送りする・・など童心に帰ってはしゃぎました。ウタがフユになってたりネコがマネになってて爆笑です。腹の底から笑えるっていいなぁと思います。笑い皺が増えるのはいい。要約筆記者のおかげで話の伝達もでき大変楽しい時間を過ごせました。皆さんお疲れ様。また、お会いしましょう・・と笑顔で会場を後にしました。 では また・・
2007年01月21日
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一月ともなると、それなりの冷え込みで朝など霜が降りて寒いものです。これでも暖冬なのですが、早い春の訪れが待たれます。(本格的な寒さはこれからなんですけれど)この頃の大きな問題として政府主催のタウンミーティングがあります。つまり「やらせ質問」です。国民対話を目的としたもので構造改革、財政改革、教育改革、情報改革など多くの部署で多額の税金の無駄遣いが指摘されています。例えば閣僚が講演する会場に客が誰も来ず、質問を募ってもシーンと静まり返るのを恐れるあまり運営スタッフを動員して過剰配置、質問依頼者への謝礼金・・・など飽いた口が塞がらないほどの堕落です。こんな税金の無駄遣いができるのなら、福祉に回せないものでしょうか?腹が立ってたまりません。監視役がいないのか?いたとしても監視役も同類か??障害者自立支援法案で自己負担が増え、食費にも事欠く障害者もいるというのに・・政府だけかと思っていたら身近なところでも、似たようなことが行われています。某大学での〇〇フェスタに行かれた知人の話ですが△△分科会に仲間8人と参加したとき、受付では多大な冊子が積まれ、参加者も大学生が結構多かったそうです。話が始まって、暫くすると聴衆者は、いつのまにか自分たち仲間の8人と他少々・・・少しずつ退所していたのです。唖然としたそうです。動員されていることに違いなく、受付での人数が即参加者として記録されるわけです。まぁ、あきれた!「もぅ~けしからん!!あきれたよ!冊子なんかも沢山作ってあったのにポイ捨て同然!税金の無駄遣いよ!!!」と言ってました。この社会はおかしい!!政府からして「やらせ質問」するくらいだから国民に模範も示せない。その点(僭越ながら)去年12月、難聴会主催の講演会では質疑応答が続出しました。主催者としての私は(もし誰も来なかったらどうしよう・・どうぞ来てくれますように)と胸の中で手を合わせていました。嬉しい事に杞憂に終わり、質問も次から次へ・・・と時間が足りないほどでした。聞こえない悩みを抱えた方の必死の思いが伝わりました。講師も真剣に答えてくれました。小さな講演会でしたが熱気ムンムンで、胸を張って「成功した・・・」と言えます。せめて、真っ当に生きましょうよ。嘘偽りの無い行動をしましょうよ。いつも「これでいいのかな?間違ったことはしてないかな?」と自問しながら歩いています。堂々と胸を張っていけるように、自分に正直な人生を歩みたいものです。 では また・・
2007年01月14日
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北日本で厳冬の中、破綻した夕張市では手作りの成人式が行われました。予算がないとのことで全国からカンパされた230万円で、つつましく思い出に残る式を上げられた新成人・・・(それも全部使うのではなく、来年以降の成人式に繰り越すそうです。)彼らはこれからの人生の荒波にもきっと立ち向かってくれるでしょう。最近は小中学校でも福祉や人権問題に授業時間を割いて講和などが行われています。その中で障害者や高齢者などの擬似体験が結構あるようです。目の不自由な方の体験としてアイマスクや白い杖、足が不自由な方の体験に車椅子、高齢者体験に腕や足に重りをつけて行動力が落ちる体験・・・この中で唯一体験できないものがあるそうです。何だと思いますか??私も知らなかったけれど、私自身の障害でもある難聴なのです。自分自身、活動をするまでは自分の置かれている立場、疑似体験に難聴だけできない・・ことを全く知りませんでした。これを教えて下さったのは要約筆記会長Yさんなのですが、人間の耳はどんなに塞いでも全く聞こえなくすることはできないそうです。私も人工内耳を外したら今でも全く音の無い世界です。どんなに大きな物音がおきても全く聞こえないので難聴障害に変わりはありません。それで時々講和のとき、「テレビの音を消して画面だけ見て下さい。私たち難聴者の日常生活は、それが当たり前なのです」と話します。皆さんは音が全く入らないと生活感覚がつかめなくて不安でしよう??何の音が一番聞きたいですか?私は生活音もさることながら、人の話し言葉です。外に出たら、車の音が聞こえないと不便ですが、歩けない事はありません。でも会話が聞こえないと人間として生きている証が絶たれたように感じます。動物と人間が違うところは、会話がある・・ということです。人間は聞こえて初めて「嬉しい、悔しい、悲しい、ありがたい」などの感情が湧き起ってくるのです。その感情があるから生きている・・と実感できるのです。この頃人工内耳でテレビの話し声も理解できるようになりました。人の話し声って、凄い・・と感嘆しています。台詞ひとつ取っても、字幕で読めば内容はわかるのですが、台詞や話し言葉のイントネーションで心の動きまで表していることを新発見しました。言葉の力って凄い!!また、いろんな方との会話でも、小さな言葉の綾が感情を出していると、つくづく思います。人は人と関わってこそ人間らしく生きていけるのです。これらはすべて聞こえるからこそ・・・の感情です。またどうしても、聞こえない、話せない人にとって手話という素敵な言葉もあります。でも中途失聴者にとっては、やはり聞こえて話すことが自然なのです。たまにはテレビの音を全て消して、見てみませんか?こんな不便な生活をしている方のこともわかって欲しいです。音の無い世界・・音のある世界・・・両方体験した私としては、もう音の無い世界に戻りたくありません。少なくとも会話ができる世界にいたいのです。何の障害でも当事者にならないと本当の辛さはわかりません。でも、いろんな障害の人がいて当たり前・・の社会にしたいと思います。では また・・
2007年01月08日
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2007年の門出・・・皆さん良いお年を迎えられたことと思います。今年もどうぞよろしくお願いします。ところで相変わらずそそっかしい私のことですが、新年早々ドジをやってしまいました。娘とささやかな年取りのとき・・お屠蘇を頂いて、三宝の上の縁起物の昆布、するめ、削り節を取り、塩でつまんだところが・・・うぅ~ん??何かヘン?なんと塩ではなく砂糖でした。娘があきれて、「清めの塩になってないよね?」と。私が少々ドジっても慣らされていて驚きもしません。良かった~早く気付いて・・うっかり煮豆に塩を沢山入れるところだった。こんなふうで、そそっかしい性格は直りません。今年も数え切れない失敗ばかりでしょうね。今年の抱負・・・といっても去年と同じように難聴者に理解を得られる社会にしたいです。耳マークを行政機関に設置してもらったとはいえ、肝心の難聴の方々がまだ(聞こえないことを恥ずかしいことだ)と思っている人が多いのです。去年も、押し迫った暮れまで聞こえない悩みを抱えた方が店に来られました。ほとんどの人が「まわりに同じような難聴者がいなくて、自分だけと思っていた。聞こえなくなる不安に押しつぶされそうで辛い・・でも同じように聞こえなくてもmichiさんはどうして、そんなに明るくできるのですか?」と言われました。私もとても悩んでいたのです。でも悩んだって聞こえるようになるわけじゃない・・聞こえない自分自身を受け止めないと、いつまでたっても抜け出せません。聞こえないことを受け入れる・・・これが大事だと思います。相談に来られる方には「貴女だけじゃないよ。1人じゃないよ。一緒にいろんな方法を考えていきましょうね」と言います。凄くホッとされて安心したように帰られます。聞こえないことは外見からわかるわけではないので理解されにくい。反対に外見上わからないので、できるだけ健聴者に見られたいと思って肩肘はって必死で生きている方が多いです。そして共通するのがいずれも(人には負けたくない)と一生懸命なところ。ほとんど相手の顔や口元を見て聞き取ろうとしています。中には投げやりで人生を捨てたような人もいますが・・それは一般社会の中でもいろんな方がいますから一概に難聴だから・・・と区切りたくありません。今年も1人でも多く、悩んでいる難聴者の気持ちを軽くしたい・・笑って過ごして欲しい・・・要約筆記も広めたい・・・要約筆記者の方と共に広めたい。(なんと欲張り!!)これをモットーに歩いていきたいです。個人的には卓球の練習を頑張って試合で一つでも多くの勝星を上げたい。また孫に会えるのも、ささやかな楽しみの一つです。その他に社会でも、いじめ、虐待、親殺しや子殺しが無くなって欲しい。金銭的に豊かなことより、心が通じる社会が理想ですが現実はそんなに甘くありませんね。皆さんにとっても良い年でありますように願っています。 では また・・
2007年01月01日
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