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岡本太郎 1993.『自分の中に毒を持て』青春文庫.【初版】1988年【感想】「芸術は爆発だ」の彼の若者に贈るメッセージ.発見があって良かった.1.自分らしくある必要はない. むしろ,人間らしく生きる道を考えて欲しい. 最大の敵は自分自身だ. →自分を可愛がるなということ. 可愛がったら成長はないと. 自虐も「虐」の方向に可愛がる という意味では,同じかもしれない.2.幸福反対論者. 幸福とは,自分が安全でぬくぬくしている状態. 自分だけ幸せになろうと思うな. 人類全体の幸福はありえない. 死と対決する時の生きがいは「歓喜」. →ありもしないちっぽけな安心を求めるよりも.3.「美しい」は「きれい」と違う. 美しいというのは,お体裁のいい,気持ちのいい, しゃれているとかカッコイイものではない. 美しいものはもっと無条件で絶対的なものである. ほとんど醜い相を呈することもある. →願わくば,きれいよりも美しく.
2006.11.05
船戸与一 2003.『虹の谷の五月(上・下)』集英社文庫.【初版】集英社より2000年.【感想】2000年,直木賞受賞作.研究に必要な文献の検索をしていてキーワードに「闘鶏」と入れたらヒットしたもの.フィリピンで闘鶏を育てる少年が主人公なのだ.といっても,主題は闘鶏ではなく,社会問題,ゲリラ戦などに巻き込まれながら主人公が成長する話である.エンターテイメントという感じで各巻とも大学に行く電車の中で1日で読めた.ところどころに闘鶏の場面が出てくる.最後に,祖父を失った少年が「しばらくは闘鶏で生計を立てる」と決意するのが興味深い.現実に,闘鶏で生計を立てることはできるのだろうか.・・・村人に誠実に接する日本人医師は殺さないで欲しかった.映画でも小説でも,「この人は死んでしまいそうだな」「この人は生き残りそうだな」みたいなのがあるけれど,ストーリーの筋から言って,この医師は生き残る方が自然(もちろん誰も死んではいけないけれど)だと思う.医師に引き取られて跡継ぎとして修行をする少年は,主人公の弟分であり,主人公は,親代わりを失った弟分を医師にするためにも,闘鶏士になる決意をする.医師の死は,主人公の決意と成長を劇的にするために,仕組まれたものの気がする.・・・あと,金の力で村を混乱に陥れ,悪役の筆頭として書かれている女性,シルビアが面白い人物で,最も印象に残った.すれっからしなんだけれど,可愛い所がある.
2006.11.04
佐伯泰英 1981.『闘牛士エル・コルドベス1969年の叛乱』集英社.【感想】同じ人物を主人公にしているのに『さもなくば喪服を』とは随分違う印象である.『さもなくば…』がコルドベスが栄光を掴むまでを書いたとすると本書は,栄光を掴んだ後の話.いったん引退したものの43歳で復帰.「コルドベスは,かつての精悍な闘牛士とは 似ても似つかぬ肥満した中年男であった. 実業家,投資家として体を動かすこともなく, ウィスキー,ポーカーに明け暮れる怠惰な日々が 体重80キロを超える軟弱な肉体に変えていた.」P.22読者としては『さもなくば…』で感動したままで終わりたかった.続きを知らなければ良かったと思ってしまう.著者の関心は,観客の嘲笑を浴びてまで億万長者になったコルドベスがなぜ,闘牛に固執するかということにあるらしい.「ヤツはなんでも持っている. しかしひとつだけどうしても金では 買うことのできないものがある. 闘牛場のなかで響く拍手喝さい,あれなんだ」p.193著者の見つけた答えである.天から与えられた才能と,生身の人間としての弱さの両方の姿を闘牛によってさらけ出すコルドベス.今,どうしているのだろうか.
2006.11.03
椋鳩十 1991.『椋鳩十動物童話集15 やせ牛物語』小峰書店.【感想】椋鳩十といえば,国語の教科書にも載っていた,大造じいさんとがん.彼が宇和島の闘牛を題材に小説を書いていると,ネットで偶然知り,さっそく読んだ.すばらしい.闘牛を取り上げた小説の最高峰だと思う.動物に対する細やかな愛情が伝わってくる.他にも,闘牛を題材とした小説は少なからずあるが,闘牛は作家としての題材の選択肢の1つ,という感じで,史実を踏まえてはいるものの,主題はあくまでも人間のドラマにあるものが多い.その点,椋さんの作品は,牛の立場,人の立場を踏まえて両者の駆け引きと交流を書いていて闘牛でなければ書けない小説に仕上がっている.あと,牛の習性をとてもよく分かっている.牛の仕草がとてもリアルで,本人が牛を飼っているのではないかと思うくらい.例えば,「八郎が,声をかけたり, 首のあたりを叩いたりすると, たたかうことを,仕事としている闘牛たちでも, 親しみを感じるのか,先の方だけに ふさふさと長い毛のついているしっぽを 左右に,ふってみせるのでした. えさを,ゆっくりゆっくり食べながら, 顔もあげずに,しっぽの先だけで 親愛の情をあらわすのでした」牛がこういうことをするのを見たことがある.昭和30年代に,神戸にて徳之島VS宇和島の大会をした時に,横綱戦にて,たった1頭だけ徳之島の牛に勝った牛が主人公.試合自体は,実際にあったことで試合を組んだM氏のことも徳之島で何回も聞いていたため,その中の宇和島からの1頭を主人公にしていることにまず,衝撃を受けた.椋さんには,この牛を主人公にせねばならない理由があったのである.老いたこの牛が沖縄に転売された所に沖縄旅行中に椋さんは出会ってこの話を書こうとしたのだという.この牛の半生をきいた時のことを後書きで「聞かなければ良かった」と言っているのが,牛のたどってきた過酷な半生に心を痛めるこの著者らしい.その牛は,椋さんが以前に宇和島で会ったことのある牛だったという.もろく負けてしまった老牛のことが頭から離れず,「老牛がこの物語を私に書かせてしまったのです」.この牛を最初に見出してかわいがって育てた老調教師は,神戸からの凱旋行列の最後尾に参列する.「八郎は,杖にすがって, なみだを,ぽろり,ぽろりとながしながら いたむ足をひきずりひきずり行列に したがっていくのでした」物悲しいんだけれど,それを温かい目で見て,淡々と書く.こういう物語に出会えて良かった.
2006.11.02
木村元彦 2005. 『オシムの言葉』集英社インターナショナル.【感想】Mさんが「これはmawobeが読むべき本だ!」と大推薦.Mさんの「日本のサッカーチームの指導をしていること自体,奇跡のものすごい人」という解説が,この本のどのフレーズよりも強烈だった.もっとサッカーが好きだったらもっともっと内容が良く分かったかも.
2006.11.01
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