日本語で話そう

June 19, 2013
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カテゴリ: インドネシア2013.5
インドネシア旅行記、毎日のこのムシムシする天気の中、カビが生えないうちに書き上げよう。

イスラム教の人と思い浮かべたら、日本の人は一番最初に何を考えるだろうか。
やっぱりテロリスト?

あんなのはほんの一部の一部の人だけで、ほとんどの人たちは人懐っこくて、親切すぎるほど親切で、宗教を大切にして、世界と人々の暮らしと、自分の心に平安が訪れるように一日に何回もお祈りをして、自分が間違った道に行かないか、人の道に外れないか、常に心と向き合っている人たちなのである。

毎朝、16歳の男の子フェリは私にコーヒーを入れてくれ、朝ごはんを用意してくれた。
だれもそうしろと言わないのにだ。
彼は勉強が嫌いだけど、料理が大好きだから、将来は料理人になるんだという願いを持っている。

彼が作ってくれたタコ焼きは、日本のどこで食べても引けを取らないほどおいしかった。



私は毎日たくさんのノビさんの親戚の男性に握手をして挨拶をした。


朝、16歳のフェリ、18歳のナスティティ、18歳のララは目上の人に挨拶する時、自分の右手で相手の右手を取って、目の位置まで上げ、自分の額にくっつけて挨拶をするのである。

今の日本の若い子が見たらひっくり返るかしら。
大人を敬う。心から敬う。イスラムの世界がそうさせるのか、インドネシアの気質なのか。



人々は陽気で親切ですぐに仲良しになる。友だちの友達は皆友達。

滞在4日目、ノビさんのいとこが迎えに来て、高原の高級リゾート地のレストランでご馳走してくれた。そして新たなる友達を作ったのである。

チルボンバティックのお店を開いている友人宅にも連れて行ってもらった。初めて会ったのに前からの知り合いみたい。
友達になった。


ノビさんの一番上のお姉さんの勤め先の社長さん、結婚式で紹介された人。その人が高級レストランの夕食に招待してくれた。インドネシアでは数少ない仏教徒の彼、同じ仏教徒の私にお守りや湯飲みをお土産にいっぱいくれた。


インドネシアの女性は強い。お祈りの場所は分けられているのに、社会進出している女性はいっぱいいる。
皆快活で、積極的でぱっぱと物事を決めて行く。

辛いものが食べられない私の為に、郷里のカリマンタン風ソトアヤムを奥さんのアトゥンが私のちょっと早い誕生祝いに作ってくれた。涙が出そうになった。




アメリカの友人の家やドイツの友人の家にホームスティしたことは有るけれど、なんだか今回は現地の言葉を覚えに行く高校生の気分。


別れの時、一番最初に泣いたのはララ。フランス語の勉強頑張ってね。
家を出るとき、一家の主のノビさんのお兄さんの顔がくしゃくしゃになった。
アトゥンも涙ぐんでハグしてくれた。英語は出来ないから、一番の私のインドネシア語の勉強になったアトゥン。いつも物静かなアトゥン。ご飯おいしかったよ。

そして空港で、フェリーさんが泣いた。

わたし達、facebookでも、Lineでも繋がっているからね。いつでも、英語でも、インドネシア語でも、習い始めた日本語でも会話しよう。


ウサギは泣いたかって?
テレビでウルルン何とかってやっているでしょう?
たった5日でも一度家族になってしまえば、あの気持ちがようくわかる。
テレビではいつも最後にナレーション。

「そして別れの時」と。

別れは新しい再会の始まり。


    完

長い文章の旅行記読んでくださった方がいたら、ありがとう。
お疲れさま。

  • IMG_0672.JPG








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Last updated  June 20, 2013 01:25:15 AM
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