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久々に過去の自分のブログを読み返していると面白れっす。書き始めの一年目なんかは、かなり試行錯誤の跡があって、ごつごつして野暮ったい。最近は若干シュッとして、こなれてきた感はある。まあ、あか抜けないのは変わらないけど。しかしまあ、つくづく僕という人間は、バカバカしくも、もの悲しい。もの悲しくも、バカバカしい。総じてそんな日記ばかりを書いているなあ。寅さんっつーか、藤山寛美つーか、そういった世界観が、何だか知らねーけど好きなのだなあ。笑えること、悲しいこと、それぞれ単体であれば、暮らしの中で湧き出る感情として、実に分かりやすくピックアップ出来るけれど、「笑えて泣ける」というこの複雑な感情は、その複雑さゆえに、けっこーみんな素通りしがちっつーか、無かったことにしがちっつーか。そこら辺の何ともモヤモヤっとした自分の気持ちを、逃さず、グッと捕まえて書いているあたりは、我ながら面白いかなと思うのである。そもそもは「夫が妻のことを書く主婦ブログ」みたいなものが書けないかと思って始めた。おそらくそこを突き詰めていけば、頭ひとつ抜ん出るブログになるであろうと今でも思う。んが、最近はすっかり自分のことばかり書いていて、何だかその本線からズレたブログになっている。でも、まあ、妻を主役に立てるという部分が、自分の中での多きな「照れ隠し」にはなっているので、軌道が大きくズレ過ぎた時は、速やかに修正するよう心がけている。アクセス数がグンと伸びる日記が書けたのであれば、立て続けにそれに類似する日記を発表し、ひたすらランキングを伸ばせばよい訳であるが、そういう時に限って僕は間髪入れず、いわゆる「評価されにくい日記」を発表したりしてしまう。今このタイミングなら本当に自分が書きたい内容を、少しでも多くの人に読んでもらえるチャンスだと思うからである。まあ、結果が伴った試しは一度もないが・・・。僕の妻は、僕のそこら辺のところを見抜いていて、いつもニヤニヤしている。例えば、うちの会社の社長に呼ばれておい、向こう一年のうちにブログ村ランキングで~位になり、月々アフィィリエイトを~円稼いで来い。これは、社長命令だ!みたいな話になれば、翌日からブログを事務的に分析し、連日手を変え品を変え更新し、業務として成果が出るまで努力をすることは、やぶさかではないのである。んが、この家曜日という趣味においては、そんな業務的な行為は無しでいたいのよね。気ままに、気楽に、書きたい時に書きたいことを書いていてーだよ。いわゆるトップブロガーと言われる人たちのブログを拝読していると、やりたいことをやる為に、やらなければいけないことも、ちゃんとやっている。本当に書きたいことを書く為に、不本意ながらも書かなければならないことを、嫌がらずに書いている。そこが自分のような駄ブロガーとの決定的な違いであり、実力の差であると思う。とは言うものの、かれこれ三年半もブログを続けていると、すっかり「書くこと」が、自分の日常の中にあって、けっこー好きな時間、とても大切な時間になってきていることは、これ否めない。それでも、決して悲観的な意味合いではなく、極めて前向きな展望として、この「家曜日」というブログは、僕が50歳になるまでには閉じます。少なくともこのタッチ、このモーションで書くのは、長くともあと4年が限界でしょう。惰性で続けたところで、偏屈なオッサンが見苦しい醜態をさらすだけのブログになってしまう。とはいっても、書き方や書く場所を変えるだけであって、書くこと自体は続けると思いますけどね。まあ、ずっとこんなマイペースな調子で続くのもよし。はたまた、突如として爪跡残しにやっきになるかもしれんし。U子さんという珍獣を、正しく世に出したいという気持ちも無きにしも非ず。ウンコとかチンコとか、懲りずに書き続けたいな。てな感じー。上記のことを踏まえてってな感じで、来年も書きまする。今年一年あざぁーしたぁー!来年もよろすこー! 元旦から書くぞバカヤロー!大一大万大吉「だいいち-だいまん-だいきち」1人が万民のために、万民は1人のために尽くせば、天下の人々は幸福になれる。関ヶ原の戦い、西軍総大将・石田三成の旗印。いまだ終息の兆しが見えないこのコロナ禍、今こそ心になびかせたい言葉です。それではみなさん、しばしのお別れ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!珍獣U子のルーム↓
2020.12.31

お待たせしました。それでは、家曜日を始めます。うちのアルコール除菌液、「パストリーゼ77」。一斗缶買いして専用のボトルに詰め替えながら使っています。手指消毒・衣類消毒はもちろん、食材にも直接噴霧出来るという安全性がニクイぜベイビー。ドーバー パストリーゼ77 (15kg) パストリーゼ 77 <スチール缶>77DOVER【JAN: 4510759690012】ドーバー スピリッツ 一斗缶 原産国:日本 アルコール度数 77% pasteuriser アルコール製剤 安全 食品 直接噴霧価格:27800円(税込、送料別) (2020/8/7時点)うちのコロナ対策として、僕は外から帰ると、先ず玄関先で、留置所に入る被疑者の如くションボリ頭を垂れながら、鍵、財布、携帯電話、弁当、水筒、ベルトなどの所持品を、身ぐるみ玄関先に並べるという手続きを済ませます。すると扉の向こうから取り調べ前の刑事のような厳粛な面持ちの妻が登場し、無言でこの「パストリーゼ77」を、僕の所持品に片っ端から噴霧するのです。このコロナ禍ですっかり定着した、我が家の日常です。「刑事さん、僕がやりました!」と、何も悪いコトをしていないのに、思わず自白してしまいそうになるその場の空気に耐え忍びながら、僕はそそくさと廊下を歩き、脱衣場に直行します。洗面台で入念に手を洗い、間髪を入れず風呂に入るため、服を脱ぎます。外から帰って脱いだ服は洗濯カゴに入れず、洗濯機に直接放り込みます。これも、このコロナ禍ですっかり定着した、我が家の日常です。すると僕の背後から、僕が歩いた廊下を除菌液で雑巾がけしつつ追いついた妻が、全裸の僕のチンコめがけて、この「パストリーゼ77」を、・・・シュ。ひゃっ!妻) きゃきゃきゃきゃきゃ。・・・このコロナ禍ですっかり定着した、我が家の日常です。その翌日も、僕は玄関先で所持品を並べながら、僕) 君ね。今日こそはチンコ除菌やめてね。縮み上がっちゃうからね。妻) ・・・・・・。僕) おい! やめろよ! 絶対にやめろよ!妻) ・・・はいはい、竜ちゃん。僕) 上島じゃねーぞ! お約束じゃねーぞ! その後、逃げるように脱衣場に直行し、大急ぎで全裸になる僕。三倍速で早送りした貞子のように、猛ダッシュな雑巾がけで廊下を這う妻。僕の股間めがけ、西部劇のガンマンのように滑り込んで引き金を引く妻。・・・シュ。びゃっ!僕) ・・・やめてよ。妻) きゃきゃきゃきゃきゃ。このコロナ禍ですっかり定着した、我が家の日常です。・・・シュ。んぴゃっ!僕) ・・・やめてってば。妻) きゃきゃきゃきゃきゃ。僕の妻、今年で四十路になりました。にほんブログ村↑ポチッと一枚!温かいコメントをいただいた!と、とても喜んでいた妻のルーム↓
2020.12.30

玄関にハングイットオールを増設しました。もともと、一個ついてたっす。んが、このコロナ禍で、外から帰ったら、着ていた服はすぐ洗濯機!洗わないコートやジャンパーは室内に持ち込まず、玄関先で消毒して干しとけ!と、うちの妻柱がおっしゃるのでね。最近の我が家の玄関のありさまといったら・・・わあ!な、なんじゃこらあ!あらやだ、ハングさんも、イットさんも、オールさんも、行方不明。衣類が、壁から滴り落ちる樹液のよう。つーわけで、買っといたから!と、たまのホリデーに妻が言う。ビスも下地板も、アタイが準備しといたから!あとは、アンタがつけるだけだから!と、モーニングっぱらから妻が言う。ちなみに、こちらでも紹介しています。↓一個だけの時は、たまたま既存の木下地の位置がドンピシャだったので、そのまま取付可能だったが、二連となると、どうしても下地がないところにビス位置がきてしまうため、このように下地板を流して、その上に取付をする必要があるのです。僕) ・・・ん? てか、これ寸法だいじょうぶ?妻) だいじょうぶだよ、ちゃんと測ったから。僕) また、いつものようにギリギリじゃない?妻) だーじょーぶだってば! ちゃんと測ったんだから!僕) だ、だよね、あはは。妻) アタイを信じてよ、あはは。・・・ギリギリアウトでした。ギリギリ、ビス打てません。・・・ほんの一瞬でも、信じた僕がバカでした。その後、何故か僕が、代わりの板を急ぎホームセンターに探しに走り、なんだかんだで、無事下地板の設置が完了。あとは、均等にハングイットオールを打ち付けるべし。ほい、完成。妻の呼吸、ムチャ掛けハングイットオール、二連。・・・ああ、いい。・・・なんて素敵なのだろう。正直、何も引っ掛けて欲しくない。こうしてアート作品として、ずっと眺めていたい。わあ!一気に生活臭ぷんぷんたる風景に戻ってしましましたが。まあ、これまでよりは、ずいぶんスペースに余裕が出来ました。ハングのお二人さん、間違いなく妻のムチャ掛け欲に火をつけたぞよ。ちゅーーーわけで、本日はここまで。西から昇る朝日に感謝。東に沈む夕日に深謝。それではみなさん、よい家曜日を。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.12.20

今から二十数年前。時は空前のアマチュアバンドブーム。 僕なんてな、自分のお気に入りのバンドが、インディーズで実力をつけ、 いよいよメジャーデビューなんて話題を聞くと、どえらい嬉しかったものだ。 んが、ずっと応援してきたバンドの成功が喜ばしい反面、途端にスーッと醒めてしまう自分がいたのも事実。 そもそもインディーズであれメジャーであれ、そのバンドの楽曲が大きく変わりはしなかったが、 大した理由も無く、だんだんそのバンドの楽曲を聴く気が失せるのだ。 今思えば、当時の僕は、心からそのバンドが好きだったのではなく、 知る人ぞ知る地下の無名バンドを聴いている自分が好きだったのだろう。 バンドそのものより「サブカルチャー通の自分」が好きだったってこと。 大人になってからも、僕には、こういった斜に構えた傾向が根強く残っていて。 例えば、世界中がその品質を認め、みんなが履いているナイキの靴だけは履いてなるものか! せめてアシックスだ!むしろプーマだ!あえてダンロップだ!・・・とかね。 流行やトレンドなんて糞食らえだ! 愛読書は「中原中也詩集」。好きなマンガはつげ義春の「ねじ式」。 好きな映画は石井聰亙監督の「爆裂都市」。好きなバンドは「あぶらだこ」。 好きなテレビ番組は「NHKみんなのうた」。好きな有名人は「風船おじさん」だコノヤロー!・・・みたいなね。 ただ、やっぱり、だんだん、分かってくる。 そんな自分のねじれたこだわりが、いかに自分の世界を狭めてきたかっつーかね。 流行と聞けば、反射的に飛びつく「流行の過食」の民が、愚かであるように。 流行だというだけで、反射的に受け付けないという「流行の喰わず嫌い」の民も、同じく愚かだぞと。 双方とも「吟味」していないという点で、人間の括りとして、実は同種。似たもの同士だぞと。 ずいぶん遅かったけどね。けっこー最近っつーか。 ま、ぎりぎりセーフって感じで。オラ、分かってきた。 若い時は、妻のお供でしぶしぶ行っていたディズニーランドも、 最近は、心から「うっほほーい!楽しー!」と思えるようになったしね。 このあいだなんか「鬼滅の刃」を子供と映画館に観に行って、 人目をはばからず、じゅるじゅると泣きじゃくるまでに成長した。 ちなみに、タピオカは、いまだに飲んでねーけどね。 てか、たぶんこれからも飲まないだろう。たはは。 ま、そういう「ねじれたこだわり」を完全にゼロにする気は、 本音のところ、さらさらねーんだけども。 ま、年々薄れてきてはいますね。 でさ。 僕からそんな「ねじれたこだわり」を徐々に薄めていく要因とは、はて何だろう?と考えた時に、 年齢? 妻? 子供? いやいや、案外この「無印良品」の存在ではないかと、思ったりなんか、しちゃったりするのである。 無印好きの妻のおかげで、 うちの生活に、僕たち家族の毎日に、無印良品は当たり前にあって。 それらを手に取り。 それらを使い。 それらを食べ。 そうするたびに、それらは、 「良いものは良い」という、ごく当たり前のことを教えてくれるのですね。 流行っているとか、いないとか。 有名だとか、無名だとか。 高いとか、安いとか。 コラボだとか、プレミアだとか、原産地だとか。 んーなこと、べつにどーだっていーじゃん。 良いものは良い。 それでいーじゃん。 無印良品が好きなのか? 無印良品が好きな自分が好きなのか? よくよく考えたら、そんな問いすら、愚問だ。 モノに自分を投影することなく、 そのモノだけを純粋に愛でることが出来れば、 答えは、おのずと出る。 好きなモノを、正直に好きと言えないような生き方は、 オラもう二度と、したくはねーだよ。 そんなこんなで、 僕は、無印良品が好きなのだと思います。 にほんブログ村 ↑ポチッと一枚! ベビームジラーの妻のルーム。↓
2020.12.16

ちーっす。前々回からの続きでーす。僕が部下に常々言っているコトは、笑っちゃうほどシンプルなこの三つ。① メモとれー。② 時間守れー。③ 片付けろー。んじゃあ、今回は最後に、「片付ける」について書きまする。ちなみに、だいたい想像つくと思うっすけど、いわゆる片付けのハウツー的な内容は皆無です。あらかじめご了承ちょーだい。さて。僕が働く建設業界では、最近でこそタブレットに図面データや資料を入力して現場で持ち歩く人も増えたが、現状はまだまだ紙が主流だ。公共工事においても、やっとこさ工事写真のデータ提出が定着した程度で、基本的な提出書類はいまだ紙ベース。受注額が三千万を超えるような公共工事ともなれば、役所への提出書類は、通常段ボール二箱にはなる。だから日頃から意識して事務所内を片付けておかないと、あっという間に書類の山、書類の山脈が出現してしまう。てゆーかホント、建設業界には書類を片付けられない人が多いのよ。「何かあった時の資料として残しておきたい」つってね、捨てらんねーのね。僕なんか、まわりがドン引きするぐらい、鬼捨てしちゃうけどね。社長によく叱られるもん「捨てすぎだ!舐めてんのか!」つって。ははは。その「何かあった時」が何なのかを明確にすれば、それ以外の書類は捨てられますね。なんつって、部下たちに助言するのだが、なかなか伝わらず、みんな漠然と片っぱしから保管している。とほほ。いやはや、そーいう社員ってどういう訳か、僕より年上だったり、かつての上司だったり、困ったことに業績がさほど悪いわけでもなかったりするので、なかなか厳しく注意しにくいのよ。まったく自分が不甲斐ない。ちなみに、僕の机の上には何も無い。書類どころか、ペン立てひとつ、カレンダーひとつ、皆が机に敷いている緑色の布と分厚いクリアシートひとつ、無い。事務員さんに「間違っても花瓶に花一輪とか置かないでね、死んだと思われるから」とお願いしてある。それぐらい、ひと気がないデスクだ。だって普段から、ちょー片付けているからね。これは僕が仕事のどこに重きを置いているかに繋がる。僕は仕事の始めと終わりだけは、我ながら珍しく真面目に実務を行う。先ずは仕事のはじめ、新しい物件の依頼が来たら、資料にくまなく目を通し、不足資料や必要書類などの細々とした手配までを地味ぃーに行う。この地味な事務作業を行うことで、内容全体の入念な把握を兼ねる。このような雑務は事務員に依頼したら?と言われることもあるが、違う。仕事の始めと終わりは同じ者が立たないと、総じて芯がなくなる。その代り、打って変わって中間のことは、ド派手に人にお願いする。精巧なキャド図面、商談の駆け引きに使う重要な見積り、プレゼンシート、公共工事の膨大な書類など、他の者が「ここは重要、あえて自分で」という業務を、僕は何とかして人に依頼する流れにもって行く。あとはポイントごとにチェックするだけ。まったくアッパラパーなもんだ。そしてその物件が竣工したら、その膨大な書類やデータの整理と片付けを、着工時と同じように、我ながら珍しく真面目に行う。僕は多くの業務のなかで、この片付けに一番ウェイトを置き、一番時間をかける。片付けや整理整頓を軽視してはならない。捨てる資料と、残す資料を仕分けしながら、僕はその物件を総括をしている。評価点や問題点をピックアップしてメモをとり、残った資料は、ただそのまま保管するのではなく、必要に応じて資料を作り直し、重複する資料をひとつにまとめ、紙の枚数を極力減らし、その後、第三者が参考資料として活用できる精度に仕上げる。無論データ管理も同じく。片付けや整理整頓を事務員さんなど他人に任せる社員が多いが、僕は、片付けこそ、人任せに出来ない大切な業務だと思うのだ。正直、順調な物件などは、早く資料を取りまとめたく、片付けるのが待ち遠しかったりする。僕としては、終わった仕事の資料を、片付けながら総括し、更には次の仕事の試行錯誤を、すでに始めている感覚だ。仕事とは、片付けで終え、片付けから始まるのだ。あんだすたん?と、ここまで三回に渡り、俺様ドヤ的日記を長々と書いといて何ですが、一回目の記事を読んだ矢先の妻から、異議あり!なんつって、超ド級の猛抗議を受けた、このアタシ。なんかね、家では「メモをとる」も「時間を守る」も「片付ける」も、からっきし出来ていないらしいですのよ、このアタシ。嘘こけ。ポリポリ(←ポテトチップスを食べる音)ちゃんちゃらおかしいわ。ポリポリ(←尻をかく音)・・・だ、そうです。まあ、アレだ、何と申してよいのか分かりませんが、まあ、アレだ、つまりは、そういうことです。にほんブログ村↑ポチッと一枚!ポリポリな妻のルーム↓
2020.12.12

突然ですが、長女の画力がなかなかな件。さて、学歴は高卒、入社時は小汚い現場作業員、その後、ちょっとしたきっかけで監督となり、オフィスで大卒の社員に馬鹿にされコキ使われているうち、何故か気が付くと部長になっていたというこの僕が、部下に常々言っているコトは、笑っちゃうほどシンプルなこの三つ。① メモとれー。② 時間守れー。③ 片付けろー。というわけで、今日は前回からの続き。「時間を守る」について書きまする。僕ね、時間や期日には、かなりうるさいです。例えば、業者会議のトイレ休憩などで、約束の開始時間に平気で遅れてくる部下などを見ると、たとえ一分の遅刻でも、こいつはいったいどーいうつもりなんだろうと思うレベル。そんな社員には、けっこーキツく言います。なにしろ関係各所にダイレクトに分かりやすく御迷惑をかけてしまうし、出来るだけ本人にも、自分にも、会社にも、恥じをかかせたくはないからである。もちろん、僕は時間も期日も、ばりばり厳守っす。やっぱあれだね、会議や打ち合わせ・待ち合わせには、10分から15分前には必ず到着しておくのがいいよね。人が見ている時計にはズレがあるものだし、人それぞれの感覚的な時間の捉え方ってのもあって、5分前の到着を「遅い」と感ずる先方も結構いるので、そこらへんを配慮して、最低でも10分前には到着・着席するというのは、確かに理に適っていると思う。うちは毎週末に営業職と工事監督が集まって会議をするのだけれど、やっぱちょいちょい遅刻する社員はいる。いつも同じ顔ぶれだ。先の打ち合せが長引いた。現場でトラブルがあった。渋滞に巻き込まれた。理由はそんなとこ。僕は司会なので、時間になったら「さあ、みなさん、定刻となりやしたぁー」つって、さっさと会議を始めたいのだが、遅刻者から「すみません!あと五分で着きます!」的な連絡があれば、社長が「五分ぐらい待ってやらんか?」とか何とか言いやがるので、しぶしぶ待つ。んが、そんな社員が、連絡通り五分で着いたためしはなく、大抵はもう10分遅れて到着するといったぐあいだ。うちの会議は速やかに30分程度で済ませることを目標にしているので、僕はスタートが遅れた分を差し引いて、「さあ、みなさん、今日の会議は15分で終わります!」と宣言してから始めたりする。兎にも角にも一人の遅刻者の為に、会社全体の業務が遅れることは避けなければならない。時間や期日を守れない人に共通しているのは、こちらに対して形式的な謝罪はあるものの、なんつーか、堂々としているっつーか、開き直ってるっつーか、こちらの厳しい注意にも「悪気はなかった」「不測の事態だった」なんつってケロっとしているところだ。てゆーか、そもそも「悪気がない」なんて、当ったり前じゃーねーっすか?遅刻に限らず、入力ミス、計算ミス、誤送信、失言、あらゆる仕事の失敗に悪気がないのは、大・大前提だ。みーんな悪気なく失敗している。それでも指導・処分されている。遅刻だって同じ。「悪気はなかった」で済まされる話ではない。たった一分の遅刻だって、失敗は失敗。少なくとも僕にとっては、しばらく落ち込むほどの大失敗だ。時間や期日を守らないから不測の事態が発生する。その不測の事態に追われているうちに、また別の不測の事態が生まれている。その不測の事態に追われているうちに・・・これぞ不のスパイラル。だから時間にルーズな人は、自分の仕事量や業績に反比例して、いつも忙しく、いつも騒がしく、いつも気が休まらず、年がら年中疲れ切っている。だいたい、不測不測っつーけど、仕事をしている以上、不測の事態なんてつきものだ。あるていどの不測は加味してスケジュールを組むべき。なーにを毎度毎度翻弄されとんじゃい。いい加減、不測の事態が起きることぐらい予測して仕事をするべきだと思う。時間や期日を守る、愚直に守り続けるって、すんげー頭使うのよ。「時間を守る」という単純な行動は、自分を成長させてくれる様々なきっかけに発展してゆくからね。例えば、遠方での打ち合わせの後、会社の会議に遅れずに戻るつもりなら、事前に打ち合わせが長引かぬよう、話をまとめる力がいる。たとえ途中でも、当たり障りなく中断を申し出る話術がいる。その後、この中断した内容をどうしていくかの応用力がいる。期日内に見積や図面を提出するのが困難なほど多忙な時は、他の誰かに依頼をしてでも間に合わせなければならない。その為には、その体制・人材をあらかじめ作っておかねばならない。その為には、普段から風通しの良い人間関係を構築しておかねばならない。絶対遅らせることの出来ない工期がタイトな現場があれば、今日はどこまで工事を進めるべきか、という計画が必要だ。となれば、午前中にはどこまで進めておくべきか、という計画が必要だ。となれば10時にはどこまで、9時にはどこまで、今から30分後にはどこまで。そして、計画より実施が遅れれば、工事の速やかな立て直しが急務だ。そんな調子で、時間さえ愚直に守り続けて仕事をしていれば、いつのまにやらびっくりするぐらい、自分ってなあ成長しているものだ。僕が一介の現場作業員から監督になった時、オフィス内で高卒は僕だけだった(今も)。僕はチビで、きゃしゃで、体力もなかった。人前で上手に話せなかった。てか、敬語を知らなかった。電卓を叩いても、間違いだらけだった。パソコンなんて、まともに使えなかった。ネクタイすら、まともに締められなかった。そんなだからか、当時の事務員さんが、僕にだけ明らかに欠けた湯呑でお茶を出し続けた。まったく、まわりとの能力の格差というものを、嫌というほど思い知らされる毎日であったが、たったひとつ、まわりと僕に平等に与えられているものがあった。それが、時間だ。神様は、僕たちに、時間だけは平等にあたえて下さった。時間の与えられ方においては、学歴も、体力も、見た目も、関係ない。時間はいつだって、フェアだった。だから僕は、この大切な時間を正しく使うということに、執拗にこだわった。社会人としての最低限のルールなどと言われながら、実のところ、ほとんどの社会人がまるで出来ていない、時間を守る。このことに、僕は今も、異常にこだわっている。気が付いたら、部長になっていた。仕事なんてなあ、やたら難しく考えず、時間さえ守っていればいい。これでいーのだ。だから、僕にはビジネス書なんていらない。にほんブログ村↑ポチッと一枚!買ってくれた人がいたらしい。ものすんげー嬉しそうだった妻のルーム↓
2020.12.11

僕は、会社では「業務部長」という役職に就いている。うちは小さな会社なので、部署は「営業部」と「業務部」しかない。したがって「営業部長」が管理する営業に係る仕事以外は、必然的に全て僕が管理することになっている。工事監督、職人、事務員などは、役職上全て僕の直属の部下にあたる。んでもって、立場上、年齢男女問わず、僕は部下たちに「指導」なるものをせねばならぬわけであるが、普段から僕は部下に対して、声を荒げて怒鳴ったり、ネチネチと粘着チックな指導をしたりはしない。我を見失うほど感情的になったり、だらだら無駄に時間を割いたりするほど、正直言って他人に興味を持てないのだ。僕が、彼彼女らに一貫して言うことは、たった三つのこと。笑っちゃうほどシンプルな三つのことである。それは、① メモとれー。② 時間守れー。③ 片付けろー。ははは。その時々で言い回しは変われども、基本的にこの三つのこと以外は言っていない。何故なら部下のミスをよくよく検証すると、ごく単純に、この三つのうちのどれかが、訂正になされていないのが原因だからだ。はっきり言って「ばりばり仕事の出来る人」になりたいのであれば、メモをとり、時間を守り、身のまわりを綺麗に整理整頓し続けていればよいのだ。どんな仕事も根本は同じ。単純な仕組みだ。僕はそう断言できる。そして、んーなアホな、んーなもん初歩だぞ、と思われるほどシンプルなこの三つのコトガラを、何故かみんな愚直に続けられない。ちょいちょいサボる。出来ない人があまりにも多い。というわけで、今回はその三つのうちの、「メモをとる」について、僕の見解を書いてみたいと思いまする。以前、うちに入社したばかりの若手社員を、一般のお客様宅の調査に同行させた時、打ち合わせの内容を事細かにメモをとる僕の横で、その若手社員は、お客様の目を真っすぐに見ながら、ただフムフムとお話しにうなずくばかり。ぼ、僕は、びっくりらこいてしまった。打合せの後「あのさ、君は何でメモをとらないの?」と問うと、「僕、記憶力いいんで。あれぐらいの情報、頭に入ります。」とのこと。ぼ、僕は、愕然としてしまった。あのね、職場は記憶力を競うところじゃないよね。仮に君の記憶力が、神がかり的によくても、僕はそれに対して君に微塵の評価もしないよ。例えば君の家に二社の水道業者が調査に来たとして、一方は懸命にメモをとり、もう一方は「僕、記憶力ちょーいいんで」なんつってる。どっちが安心? どっちが誠意ある? どっちの業者に依頼したい?君の記憶力なんてのは、せいぜいプライベートのトランプゲームで披露してくれればいいから、仕事中は、どーかこのとーり、メモをとってちょーだい。君がどうしても職場でその自慢の記憶力とやらを発揮したいのであれば、百歩譲って上司や取引先やお客様の前では、せめてメモをとるフリだけでもしてちょーだい。ね、先ずはそこから始めよう。まあ、その後はぺーぺーなりに、ちゃんとメモをとるようになったが・・・。彼に限らず、僕はいつも、出会うビジネスパートナーがメモをとらない人だと、凄くあせる。こわっ、と思ってしまう。とても不安になる。我々建設業界では、両手がフリーになるような、胸ポケットに入るサイズのメモ帳を持つ人が多いが、僕はかなり大きめのスケジュール帳を愛用している。胸ポケサイズじゃあ、とてもじゃないけど書ききれないからだ。大きめの月割り予定表欄に、その日の予定・業務・発注材料・注意事項・恐妻の指令にいたるまで、ありとあらゆる要件を事細かにメモしていく。要件の済んだ事項は、そのつど赤ペンで横線二つで消し込む。その日の要件が全て消し込まれたら、完全に終了した証として、その日付のメモ全体を大きなバツ印で潰す。例えば月曜日に書いた要件が週末になっても済んでいなければ、とても焦る。早くバツ印で潰したくなるので、優先的に要件を済ませにかかるのだ。また、白紙のフリーメモ欄には、現場での調査事項や打ち合わせ事項を記入したり、先方やお客様との打ち合わせの際に、施工説明や今の自分のロジックを図にして説明するのに使用する。その際、僕は黒・赤・青・緑・ピンクのペンを必要に応じて使い分けて記入する。だから僕はどこへ行くにも、大きなメモ帳と大きな筆箱をワンセットで持って移動している。このように入念にメモをとっていると、おのずと自分で書いたメモを軸として、まるでメモに自分が突き動かされるように仕事をするようになる。最近は、現場調査や打ち合わせの時も、スマホのカメラや、ボイスレコーダーで記録が簡単にとれるが、僕としては、それと並行して、あえて手でメモを書くことを部下にすすめている。手で書くことによって、その情報に対して明らかに脳が動き出す実感があるからだ。また、メモをとるからには、その情報の要点を掻い摘んで、瞬時に簡潔な言葉に置き換える作業が必要なので、情報の本質を速やかに掴む訓練にもなる。ちなみに、僕は仕事の資料を読みつつ、同時に片手でメモをとり、その資料をもとに作成するレジメなどの構成を、その場でさっさと考え始めたりしている。人の記憶ほど、あてにならないものはない。今日あった出来事など、明日憶えているはずがない。それを大前提に仕事をしない人を、僕は信用できない。そういう人は、いつも不毛な言った言わないの論争ばかりしている。メモをとる。記録に残す。仕事の、基本の「き」だ。今自分がどんな情報を得たのか、書くことで瞬時にアウトプットしてみる。業務の、いろはの「い」だ。人の記憶ほど、あてにならないものはないが、メモをとる。これだけは、常に記憶の片隅に置いて仕事をしたいものだよ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!仕事ん時の僕は、けっこー認めている妻のルーム↓
2020.12.09

なるほどー、保護色ってこういうことかぁー。みなさん、こんにちは。今日の「家曜日」、主役はうちのフレンチブル、ウリ嬢です。御覧の通り、毛並み・毛色が、ソファーとの擬態感、ぱねえっす。あのさ、君はさ、いったいどんな敵から身を守っているの?そう聞きたくなる衝動を禁じざるを得ません。おや?・・・ふて腐れておりますな。・・・見事なまでの腐れっぷり。あたい、今、ちょーご機嫌斜めですから!そんな彼女の心の声が聞こえてきそうです。あたいはしょせん かごの中の鳥 束縛の身 かーごーめ かーごーめ・・・そんな彼女の心の唄が聞こえてきそうです。あーいあーい、分りやしたよ、お散歩っすね。お散歩連れてきゃよろしいんでござんしょ。というわけで、今回は妻こだわりのワンちゃんリードを紹介しまーす。こちらは「2cm幅の強度2頭引き肩がけリード」といいまする。妻のルームでも紹介してまっし。↓本来は、中型犬を2頭一緒に散歩させる目的のリードなのですが、妻は、このように首輪とハーネスの二つにリードを繋げて使用しています。なんかね、散歩中に首輪が抜けそうになったことがあるんだって。妻、顔面蒼白。だからといって、ウリちゃんは腰が弱めだから、ハーネスでぶいぶい負担かけるのもどうかと。ということで、このように二刀流で不測のピンチに備えているとのことです。心配性の妻らしい。肩掛けなので両手がフリーになります。モデルは、妻のU子さん。なんかね、車がびゅんびゅん走る車道に飛び出し、逃げ回るビーグルと、それを追いかける、うっかりリードを放してしまった飼い主さんを、街中で目撃しちゃったんだって。妻、顔面、限りなく透明に近いブルー。ということで、このように不測のピンチに恐れおののきながらお散歩するんだって。ノミの心臓の妻らしい。あの、モデルさん、両手フリー感、もっと分かりやすく伝わるように。とお願いしたら。短い両手を天高く、思いっきりバンザイして下さいました。おい!ゆるキャラ!家の中では、着ぐるみを脱げ!そう叫びたくなる衝動を禁じざるを得ません。ちなみに、一応はリードのしつけが出来るようにと、このように、手で持つ所をオプションしています。これも、完全オーダーメイドならでは。というわけで、ウリちゃんと、初冬の夜の公園をお散歩。そもそもフレンチブルは興奮すると、わーっとなって歯止めが利かなくなるタイプの犬種なのですが、ウリちゃんは、その中でも、群を抜いてわーっとなるタイプなので、散歩のはじめは、引っぱるわ暴れるわ、しばらく手が付けられません。確かにこのリードは、僕らの強い味方なのです。普段から「これは大変良いモノだから、くれぐれもウリちゃんに噛ませないでね」なんつって妻に再三忠告されてはいるのですが・・・・・・あたやだ、噛んでる。噛みちぎるほどに。燃えたよ・・・。まっ白に・・・燃えつきた・・・。まっ白な灰に・・・。このように、散歩から帰ると、しばらく「あしたのジョー」の最終回状態です。最近は少し気性が安定してきたかなあ、とは思うものの、まだまだ、やんちゃガールなウリちゃんなのでした。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.12.06

【原始人の会話①】草原で焚火を囲み語らう原始人A・B・C。原始人A 「あのさ、僕、思うんだけどさ」原始人B 「ウホ?」原始人C 「ウホ?」原始人A 「僕ら今さ、ウンコとか、道端でしてんじゃん、あれってどうなの?」原始人B 「え、何、何、あらたまっちゃって。てゆーか野グソって、僕らの常識でしょ」原始人A 「今さ、怖い病気が流行ってんじゃん。いっぱい人が死んでんじゃん。伝染病っつーの?これ、野グソが原因だと思うんだよね。よくよく考えたら野グソって、ものすげー不衛生じゃね?」原始人C 「たしかにそーね。てゆーか、そもそも人前でお尻丸出しで脱糞ってどーなのって話よね。やっばい、私、ちょー恥ずかしくなってきたんですけど」原始人A「だからさ、これからは排泄行為は限定した場所で隠れてするようにしねえ? さしあたってその場所を【トイレ】とでも呼んでさ」原始人B「俺はそんなの認めねーよ! 俺はこれまで通り、好きな時に好きな場所で脱糞するからな!だいたいトイレの効果だって限定的なものだろ!このトイレ脳!」原始人A 「いつの時代もいるよね、こーいうヤツ。てか、ほっといて、先ずは始めてみようぜ」原始人C 「ウホ」こうして人類は、いつしかトイレで排泄をするようになった。その結果、伝染病の死者は減少したという。やがてトイレは人類の文化や常識として根付き、例えば、まわりに誰もいない無人島のような場所であっても、ごく自然な行動として、限定した場所で隠れて排泄をするのである。【原始人の会話②】草原で焚火を囲み語らう原始人A・B・C。原始人A 「あのさ、僕、思うんだけどさ」原始人B 「ウホ?」原始人C 「ウホ?」原始人A 「僕ら今さ、全裸で生活してんじゃん、これってどうなの?」原始人B 「え、何、何、あらたまっちゃって。てゆーか素っ裸って、僕らの常識でしょ」原始人A「今さ、怖い病気が流行ってんじゃん。いっぱい人が死んでんじゃん。流行り風邪っつーの?これ、全裸が原因だと思うんだよね。よくよく考えたら全裸って、ものすげー不衛生じゃね?」原始人C 「たしかにそーね。てゆーか、そもそも人前で乳放り出して生活ってどうなのって話よね。やっばい、私、ちょー恥ずかしくなってきたんですけど」原始人A「だからさ、これからは動物の毛皮や植物の繊維を身にまとうことにしねえ? さしあたってそれらを【服】とでも呼んでさ」原始人B「俺はそんなの認めねーよ! 俺はこれまで通り、すっぽんぽんのぶ~らぶらで生きていくからな!だいたい服の効果だって限定的なものだろ!この服脳!」原始人A 「いつの時代もいるよね、こーいうヤツ。てか、ほっといて、先ずは始めてみようぜ」原始人C 「ウホ」こうして人類は、いつしか服を着るようになった。その結果、流行り風邪の死者は減少したという。やがて服は人類の文化や常識として根付き、例えば、まわりに誰もいない無人島のような場所であっても、ごく自然な行動として、服を着て生活するのである。【原始人の会話③】草原で焚火を囲み語らう原始人A・B・C。原始人A 「あのさ、僕、思うんだけどさ」原始人B 「ウホ?」原始人C 「ウホ?」原始人A 「僕ら今さ、素顔で生活してんじゃん、これってどうなの?」原始人B 「え、何、何、あらたまっちゃって。てゆーか素顔って、僕らの常識でしょ」原始人A「今さ、怖い病気が流行ってんじゃん。いっぱい人が死んでんじゃん。新型コロナウイルスっつーの?これ、素顔が原因だと思うんだよね。よくよく考えたら素顔って、ものすげー不衛生じゃね?」原始人C 「たしかにそーね。てゆーか、そもそも人前で顔面むき出しってどうなのって話よね。やっばい、私、ちょー恥ずかしくなってきたんですけど」原始人A「だからさ、これからは口元を布で覆い隠すことにしねえ? さしあたってその布を【マスク】とでも呼んでさ」原始人B「俺はそんなの認めねーよ! 俺はこれまで通り、むき出しのツラ晒して生きていくからな!だいたいマスクの効果だって限定的なものだろ!このマスク脳!」原始人A 「いつの時代もいるよね、こーいうヤツ。てか、ほっといて、先ずは始めてみようぜ」原始人C 「ウホ」こうして人類は、いつしかマスクをするようになった。その結果、新型コロナウイルスの死者は減少したという。やがてマスクは人類の文化や常識として根付き、例えば、まわりに誰もいない無人島のような場所であっても、ごく自然な行動として、マスクを装着して生活するのである。ちなみに、会話の①と②は、ネアンデルタール人あたりの原始人を想定して書いた。また、会話③は、数万年後の未来人から見た我々現代人を想定して書いた。我々が、ネアンデルタール人も、クロマニョン人も、北京原人も一括りで「原始人」と呼ぶように、数万年後の未来人から見れば、ネアンデルタール人も我々も所詮は一括り。サルが二足歩行をはじめて間もない時代の、同じウホウホ扱いであろう。酷な話かもしれないけれど。一度排泄を覆い隠した以上、人がそう簡単に野グソフルライフに戻れないように。一度服を着てしまった以上、人がそう簡単に全裸フルライフに戻れないように。一度マスクをする生活が定着してしまった以上、現実問題、そう簡単にノンマスクライフなんて戻ってこないと思う。良くも悪くも、この新型コロナウイルス禍において、我々は、他人の吐く息の恐ろしさに気が付いてしまったのだ。例え新型コロナウイルスが完全に終息したとしても、恐らくマスクや消毒の文化は根付くと思われる。泣くな。喚くな。で、あるならば、したたかに進化あるのみ。お前さんはひょっとして、我々が人類の最終形態であると思うたか? そいつぁ~おこがましいにもほどがある。お前さんはひょっとして、今を末世と嘆いているのか? そいつぁ~おこがましいにもほどがある。しょせんウホウホ。まだまだウホウホ。僕らは、今だ、進化の途中なのだ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!恐るべき愛妻のルーム↓
2020.12.04
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