おしゃれ手紙

2026.04.11
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テーマ: 国内旅行(1756)
カテゴリ: 国内旅行



名瀬のホテルから近いところにある奄美博物館に行った。

奄美の文化は、日本文化を基盤としながらも、琉球国統治時代には琉球文化の影響を受け、薩摩藩統治時代には鹿児島文化の影響も強く受けながら醸成された独特のものです。
奄美と沖縄の歴史は、江戸時代以降、大きくちがっていきます。
その歴史のちがいが、奄美と沖縄の似て非なる文化を生み出してきました。

奄美とは奄美大島および奄美諸島全域をさす。
古くは 「海見」「阿麻弥」「奄美」 と表記されていた。

奄美地区は、1609年(慶長14年)の島津氏による琉球侵攻以前、琉球(沖縄)国に属しており、 その名の由来は、琉球国の始祖「阿麻弥久(アマミク)」がこの地に降臨したことによるといわれる。



▲太陽のことを「てぃだ」というのは、沖縄も同じ。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

西郷隆盛が藩主・斉彬の急死で失脚し、
安政6(1859)年から文久元(1861)年まで奄美大島に身を潜めた際に過ごした屋敷跡に行った。

(▲紫色の〇)

西郷が愛加那と息子・菊次郎のために建てた新居で、土地の選定にあたっては西郷自ら歩き探したという。
新居は文久元年(1861年)11月20日に完成した。
しかし、薩摩藩からの召喚状が届き、西郷がここで生活したのはわずか2ヶ月だった。

当時の木造家屋が原型をとどめており、勝海舟の揮毫(きごう)による石碑や縁の品が公開されています。

▲家と勝海舟の揮毫(きごう)による石碑。

西郷隆盛は、奄美大島到着後、三度も居住宅が変わっており、記念碑があるのは最後に暮らしたこの場所だけです。
この近くの小浜の家からは、龍郷湾と対岸の美しい山なみを望むことができ、その山並みを西郷は、桜島に見立て眺めていたと地元には伝わっています。


持ち主の方の説明があった。


その後復帰するが、新藩主島津忠義の実父で事実上の最高権力者の島津久光と折り合わず、再び沖 永良部島に流罪 に遭う。
しかし、家老・小松清廉(帯刀)や大久保利通の後押しで復帰し、元治元年(1864年)の禁門の変以降に活躍し、薩長同盟の成立や王政復古に成功し、戊辰戦争を巧みに主導した。
江戸総攻撃を前に勝海舟らとの降伏交渉に当たり、幕府側の降伏条件を受け入れて、総攻撃を中止した(江戸無血開城)。

奄美:奄美パーク/田中一村
3/26-1■ 奄美:マングローブの森をカヌーで行く
3/26-2■ 奄美:作家・島尾敏夫と島の戦地跡巡り

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Last updated  2026.04.12 00:25:56
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天地 はるな@ Re:昔語り:父の方言(01/26):追加 ●手にあわん 手ごわい、悪い・・・。 悪…
天地 はるな @ Re[1]:天声人語:消えゆくブログ(06/06) 七詩さんへ 今や主流は、インスタやxの時…
七詩 @ Re:天声人語:消えゆくブログ(06/06) そうですか?消えゆくブログではなく、消…
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