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オモコロ!これは面白い!★5つです!これはナンセンス漫画界の革命ですね。これまで「うすた以前、うすた以降」と言われていましたが、それに比するほどのレボリューションだと思います。ほんとにくだらない4コマなんですけどね、これはスゴイですよ。「容疑者Xの献身」も観ました!これは面白い!堤真一の演技がすごすぎて、福山の影が薄くなるほど。トリックも深すぎて、東野圭吾は天才だ!と思った。いやー、容疑者Xさん、献身してましたねー。オススメです、観てください。
2009年03月29日
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君子を目指せ小人になるなこれまたSBIホールディング代表取締役執行役員CEO、北尾吉孝さんの本です。この本はねえ、まずフォントがいい!なんともいってもフォントが美しいんですよ。文字の大きさも大きくてね、読みやすいです。まあ中国古典にまったく興味がない人はやめたほうが無難でしょう。そういう人は、まずはレッドクリフからですね。不況に克つ12の知恵松下幸之助さんの肉声CD付き500円の本です。CD付きなんですけどシングルなので3分くらいしかないのです。これはやられた!と思いましたね。文章のところは非常に面白かったけど・・・。やっぱり成功者は「ふつうのこと」しか言わないもんだよなあ。
2009年03月29日
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最近、会計の勉強をしたいなあと思っています。簿記取ったりするつもりはないのですが、貸借対照表とか読めたらいいなあと思うのです。今まで文系的な概念的な勉強しかしてこなくて、なかなか「武器としての知識」がなかったのですが、ここにきてついに具体的な勉強をしたくなりました。人の興味とは不思議なものですね。マンガでわかる!出社が楽しい経済学まずは経済学からです。「スタバではグランテを買え」の吉本先生監修のムックで、NHKの放送をコミック化したものです。経済理論の基礎の基礎がわかって面白いです。ほんと、お遊びみたいなものですけど、役には立ちそうな感じです。
2009年03月26日
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億万長者のカンニングペーパー平秀信さんという年収が2億円だか5億円だかある人の本です。これはなかなか面白くって、情報の時代を象徴している気がします。情報というのはこれからの時代の武器ですが、その収集術が見事。しかしマネできるか?すごすぎて。でも参考にはなります。最近は「金持ち本」がなんかすごく面白く感じます。ちなみに億万長者専門学校同じ億万長者ならこっちのが面白かったです。これは別に億万長者になりたくなくても勉強になる本です。勇気が出ますよ!頭が必ずよくなる!「手ゆる」トレーニング高岡英夫さんです。ぼくは信者ではないのですが、かなり好きです。これはかの「ゆる」の中でも手に特化した本です。といっても「手ゆる」のトレーニングはほとんど出てきません。ゆるについての説明がたくさん出てきて、さんざん読んだぼくとしては飽き飽きしてしまいました。そりゃあ70冊も本出していれば、同じこと書いたりもしますよね。でも高岡さんの本だったら、もっといいのがあると思います。からだにはココロがあるとか、こういう高岡概念の本がまずはいいと思いますね。ゆるも、自分ひとりでやろうとするとなかなか難しいし。
2009年03月24日
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いま愛することができなければ、将来<いつか>愛することもできない。
2009年03月23日
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はじめは中古のBMWに乗りなさいお金のことが勉強できる本です。投資信託とか金融とか今までまったく知らなかったのですが、この本をよんでキソ知識が身につきました。すごく勉強になりますよ。利息のこととか。ただ、最終的に著者が何が言いたいかわからんです(笑)たぶんね、他人の人生に口出しはできんわあって感じかな。「お金があればキャッシュでもいいし、でもキャッシュで買うくらいならローン組んで投資したほうがいいし、そもそも金がなければ・・・」みたいな調子が全編続いて、「で?」と言いたくなります。つまり条件によっていちばんいい「こたえ」は違ってくるので一概には言えません。みたいな。じゃあ、「中古のBMWに乗りなさい」なんて言うなよ、って話ですが、まあそこは商売ですから。なんかインパクトのあるタイトルをつけたかったんでしょう。でも内容としては「BMWなんて買うな」の論調のほうがつよい。最後の最後の一行で「やっぱり中古のBMWを買いなさい(笑)」的な強引なもっていきかたなのです。と、さんざん批判してしまいましたが、最終的に面白い本です。というか勉強になる。「この本、何が言いたいかわからないよ」といってる自分が、何を言いたいのかわからなくなって来ました。
2009年03月23日
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誰しもが、「わけのわからないもの」を持っている。言葉にできなくて、もやもやしてうずうずして、破裂しそうな衝動・・・。ふだんはおとなしい社会人の顔をしていても、「そんなのくだらない」なんてクールぶっていても、本当は心の奥底に、なんだかわけのわからない爆発的パワーを誰もが持っているはずなのだ。ぼくはそういうものを大切にしたいと思っている。もちろん仕事中には隠しているのだが、家に帰ってぎゃーと叫びたくなれば叫ぶし、おっぺけぺーと言いたくなったら言ってみる。誰が見ていなくても「コマネチ!」とやってみる。それが恥ずかしければ、「コマネティック、ルネッサーンス!」でもいいだろう。尊敬する野口三千三先生は、花の気持ちになってみようと思い立ち、ズボンを脱いで逆立ちして開脚してみたとのこと。(そんなような主旨が本に書いてあった)これは完全に変態ですよ(笑)でもね、人がいなければ何をやっても自由です。そんなことバカらしいし恥ずかしくてできない、と言う人は、ある意味正常ですが、わるく言えば、自分を守りすぎなのです。自分に自分をよく見せようとしすぎなのです。たまにはパンツをおしりに食い込ませて「ハイレグ!」とかやったらいいのです。本来、ヒトは変態です。それを社会が「人間」に規定しているのです。本能的なエネルギーみたいなものに理屈はないのです。なんかドパーっとしたものがあふれている。そうでないとイキイキしてこない。もっと言えばエロスですよ。べつにスケベじゃなくてもいいんですけどね、生々しい、つやつやとした、そしてどろどろのアレですね。なんでもかんでも理屈で考えるのはつまらんですよ。大人ぶって、はしゃがないのはつまらんですよ。屁のつっぱりは、いらんですよ。26歳にもなるとそういうものを忘れがちですが、子供のころに笑っていたものを笑えなくなるのはさみしいことだなあと思う今日このごろなのです。
2009年03月21日
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響きあう脳と身体武術研究家の甲野さんと脳科学者の茂木さんの対談本です。たのしく読めました。ただ最近は、自分の中で「武術」という言葉が響かなくなってきているので、いまいちハマり切らなかった。二人とも現代批判しまくりなのですが、どうもそこがね、気になってしまって。時代の弔辞の対談本。一般の人が読んでも面白くはないでしょう。頭のいいお金の使い方これはとっても面白くてワクワクして読みました。やはりお金は使い方なんですよねー。この本に「20代は貯金をするな」ということが書いてあって、貯金のないボクは嬉しくなりました。ほんと、「20代」という時間は30代になってからでは、何億円つんでも買えないからね。漫然と過ごしてしまったら、年を取ってからの後悔は物凄いのでしょう。いつからだってチャレンジはできます。「言い訳」さえしなければ。年老いた若者にはなりたくない。
2009年03月20日
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仕事には依存性がある。仕事というのは麻薬のようなものなのだ。ワーカホリック<仕事中毒>という言葉があるが、まさしく毒に中(あた)るがごとく、仕事にハマってしまうと、周りが見えなくなる。仕事にハマる、というとなんとなく口当たりのいい響きだ。またそのほうが成果もあがるだろう。しかしぼくは、仕事にハマってしまう心の奥底に、「自己不全感」があるのではないかと考えた。自己不全感というのは、なんというか「このままではダメなのでは?」という感覚といってよい。「自分が自分では足りないような感覚」とも言えるだろう。何かが足りないような気がするから働く。もちろん自分では気づいていない。仕事が好きで好きで仕方がない、というように自分では思っている。しかし心の深奥では、どこか欠乏感を抱えている。その「穴」を埋めようとして、必死に働いてしまう。こういう人は、がんばるのが好きだ。もっと言えば長時間労働が好き。ぼくはこのタイプで、たくさん(長い時間)働いた日などは、成果に関わらず「あー、よくやった」と思ってしまう。がんばっちゃう自分が大好きなタイプ。この性分は昔からで、中学校のころは冬休みに縄跳びをして持久力を鍛え、高校のころは日曜の朝からジムで筋トレしたり、夜、寝る前に毎日腹筋をしたり、大学の頃は元旦から公園で木刀を振ってたり、社会人になっても毎朝シコ踏んでるし、なんかやってないと気がすまない。気がすまないし、なんかやってる自分は大好き。なにか「努力」めいたことをしていないと不安になってしまうのです。カッコよくいうと努力家。ふつうにみれば、がんばり屋。しかし心の奥底をのぞいてみれば、どこか欠けた部分を埋めようとしえいるのだ。そもそも「好き」ということは、世の中でわりと手放しで賞賛されているけれども、実はけっこうアブナイ。というのは「好き」は「隙」から来ているとぼくは見ている。つまり「こころのすき間」に「好き」が入り込む。好きなものをぼくらは「欲しい」。で、「欲」という字を見てみると。「谷」と「欠」。谷はヘコんだ部分ですね。欠けた部分なのです。つまり欲望というのは、そのかけた部分、へこんだ部分を埋めたいという感情なわけです。で、話がカナーリそれてしまいましたが、「仕事が好き」というと一見、健全に聞こえるのですが、そこには危険が潜んでいるぞよ、と言いたいのです。たぶん、仕事って好きとか嫌いとかじゃないんでしょうね。業(ごう)っていうのかな。カルマですよ、カルマ。仕事たっぷりやってないと不安ってのもあったとしても、それを仕事中毒になって解決するのではなく、じぶんの心の奥底に目を向けて見ることで、ほんとうの解決があるのでしょう。そう、問題は外にあるのではなく、いつでも胸のうちにひそんでいるのです。
2009年03月19日
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男にとって仕事は誇りであり、生き甲斐である。仕事は鏡であり、本気でやるとどんどん面白くなり、テキトーにやると、どんどんつまらなくなる。生きるために働くよりも働くために生きるほうが断然おもしろい。仕事は男にとって犯されざるべき領域である。しかし仕事を神聖視してはいけないのでは?とも思ったりする。「仕事だから」この「理由(いいわけ)」はどこまで通じるのだろうか?親の葬儀があっても「仕事だから」親族の結婚式でも「仕事だから」子供がさみしがっても「仕事だから」。部下やパートさんが苦しんでいても「仕事だから」それでいいのか?どうなのだ?「仕事だから」というのは、すごくカンタンに言えて、なおかつ自分が正しいような気がしてくるし、なんとなーく自分がカッコイイような錯覚をさせてくれる、魔法のことばである。しかし、この言葉をどこまで使っていいのやら。「(友人から電話で)明日、ひさしぶりに遊ばないか?」「いやー、明日仕事なんだよ」これはふつうの会話だ。「よし、じゃあ仕事休みにするよ」というやつはいないし、もしいたら社会性が欠けている。「(奥さんより)あなた、明日は太郎(←息子)の運動会なのよ」「いやー、明日仕事なんだよ」これはギリギリのラインな気がする。それが「あなた、ついに明日、赤ちゃんが生まれそうよ」「いやー、明日仕事なんだよ」となるとちょっと狂気に近いような気もする。しかしその人の気持ちが分からないこともない。それにそういう人ほど仕事がデキたりする。なんといっても、仕事は男の誇りなのだ。時間の切り売りをしてお金をもらっているのではない。仕事を後回しにしてしまっては、じぶんに対する自信も生まれない。自信がなけりゃ仕事もできないから、稼ぐこともできない。そうなると家族を幸せにすることもできんのだ。かといって「仕事だから」というのは単なるわがままに過ぎないのかもしれないと思う。「仕事だから」というコンビーニエントなセリフを覚えてしまうとなかなか手放せない。しかし映画「フラガール」で南海キャンディーズのシズちゃんが、危篤のお父さんに会いにいかず、フラを踊ることを決心するシーンがあるが、ああいった「公(おおやけ)」を重んじる姿勢は、多くの人に感動を与える。しかし、当のお父さんはさぞ寂しかったことだろう。シズちゃんの(役名は忘れたが)名前を呼びながら死んでいったとのこと。いったい何が正しいのだ?ぼくはすごく迷う。百年後の名誉は、今そばにいる家族を幸せにはしない。なにを取る?何を選ぶ?それは、自分しだいなのだ。
2009年03月19日
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ぼくはこのブログでもわかるとおり、わりと多くの本を読むのですが、その内容に関してはほとんど覚えていません。ブログで短い感想を書くのがやっとで、「なにが書いてあったの?」と言われても、「うーん、なんだっけ?」となってしまいます。そんなのもったいないしバカらしい、と思う人もいるでしょうが、ぼくはそれでいいのだと思っています。本は教科書ではないのですから、一字一句覚えるものではありません。目安としては、本一冊につきワンフレーズ覚えていればいいほうです。本一冊で何万字かはありますから、そのなかでぱっと覚えてしまったワンフレーズというのは自分の中でかなり強烈だったということなのです。だからそれだけでも覚えていれば、かなり大きな学びになるのです。マグロで言えば、トロの部分ばっかり食べるようなものです。これはかなりぜいたくなのです。マズイ部分を一生懸命しゃぶっても仕方ないのです。ちなみに「覚えている」というのは語弊があって、本当は「思いだせる」と表現すべきなのですね。つまり右脳(もしくは潜在意識)はすべてを覚えているのです。「思い出せる」のは左脳(顕在意識)的な考え方です。茂木健一郎さんも言ってますが、とにかく大量に情報を詰め込むということが大事なのですね。脳の奥のほうにいろいろ詰め込んでおくと、意識的には思い出せなくても、あるときぱっと思いついたりするものです。いちいち本にふせんをつけたり、線を引いたり、ノートに内容をまとめたりというのは僕の性に合いません。だって面白そうな新刊が毎日毎日出るんだもん。同じ本より、違う本をたくさん読みたいじゃないですか。まあたしかにバイブル的な一冊を繰り返し読むのも大切なことだとは思います。しかしバイブル的な一冊に出会うためにも多読でいろいろな書に出会う必要があるのです。というわけでぼくの読書法を紹介してみました。
2009年03月18日
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斎藤一人の不思議な魅力論これは一人さんのことを柴村さんという人が書いた本ですが、やっぱり面白いですね。一人さん語録、みたいな感じです。カミサマを信じてない人は、読まないほうがいいかもしれません。で、あれ、おっかしいな。「ユダヤ人 最高の知恵」という本も読んだんですが、どうも画像が見当たりません。知的生きかた文庫です。がんさくこれはダウンタウンの浜ちゃんが書いた本です。これはオモロイわあ。浜田の考え方がわかって面白い。まあ多少美化してあるだろうし、たぶんゴーストライターが書いてると思うけども、それを差し引いても面白いですよ。浜田が松本のことをそんなに好きだとは思わなかった(笑)いやー、これはオススメですね。成功ってなんだろうって、考えさせられるし。ちなみに幻冬舎よしもと文庫というのが最近創刊されて、品川のドロップとか、松本と島田しんすけの「哲学」とかがラインナップです。お笑い好きなら本屋で探してみてください。
2009年03月17日
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日曜日に、いすみ鉄道、通称「い鉄」に乗ってきました。超ローカル線ですが、地元では有名で、線路脇に菜の花が見事に咲いています。ご他聞にもれず、列車はオンボロ、お世辞にもキレイとはいえないですが、さすがに味わい深いというか、鉄道好きにはたまらんだろなあという感じ。それで大多喜(おおたき)にいってきました。何があるというのではないのですが、ちょっと渋い街という感じ。大多喜城址にできた博物館を見てきました。兜のレプリカがあったので被って写真をとりました。あとはTVチャンピォンで作ったという駅にもいってきました。大工王選手権だったかな?TVチャンピォン出てみたいなあ。い鉄揚げというお菓子があって、それがめちゃめちゃ美味しかった。千葉駅でも売ってるので、コチラ方面に来た人はぜひ。そんなこんなで家に帰ってから「007 カジノロワイヤル」を見ました。あんまり面白くなかったなあ。やたらベタな感じで。それが一昨日です。昨日は野暮用で東京にいってきました。TOKYOってオシャレよねえ。やっぱり将来的にはいい街を自分で選んで住みたいな。はい、というクダラナイ日記でした。
2009年03月17日
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どんな本を読んでも、どんな話を聞いても、「じぶんを見つめる」力がないと、なにも変わらない。じぶんを見つめるということは、むずかしく言うと、「行動を抽象化する」ということです。これは、ある行動をもうひとつ上のレベルで捉える、ということです。たとえばつい「仕事がつまらなくてやってられない」と口に出してしまったとしましょう。それをすこし抽象化してみると、「愚痴を言う」ということになるのです。で、たとえば「カレシがケチでさあ」とも言ったとします。それも「愚痴を言う」という行動になります。それがもうひとつ上のレベルで捉える、ということなのです。つまり、いろんな具体的な行動をまとめる、ワンランク上の言葉があるのです。それがなんなのかというと、行動を抽象化できないと、本で読んだことが役に立たないのです。たとえば本に「愚痴を言ってはいけません」と書いてあったとして、「愚痴を言ってはいけないんだあ」と感動したとします。そして「今日から、愚痴は言わないぞっ」と決心したとします。でもその日から愚痴を言ってしまう人もいます。しかし当の本人は気付かないことがある。これはなぜ起こるかというと、じぶんの行動を抽象化できないからです。人は無意識的に行動することが90%以上と言われていますから、本を読んでも、ふつうに生活していては、なにも変わらないのです。オートマチックな生活をマニュアルに変えていかないと、じぶんの行動を変えることは出来ないのです。上記の例で言えば、具体的には「今のぼくの発言はあの本で言っていた、『愚痴を言う』ということにあてはまるのではないか?」ということをつねに自問するということです。人はえてして、じぶんのことを棚にあげてしまうのです。本で読んだことが、対岸の火事になってしまうのです。つまり「自分には関係ない」というスタンス。「愚痴を言わないように」という内容を読んで、「そうそう、愚痴を言う人ってヤダよねえ」と思ってしまう人です。じぶんの行動は、じぶんでは見れません。しかし、よくよく考え直してみると、ものすごくヒドイことをやっていたりします。ひとつひとつの発言・行動を見つめなおしてみる。それを矯正していくことで、行動が変わってくるのです。
2009年03月14日
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誰かからひどく嫌われるような人はたいてい、それはそれで友達がいるものだ。しかし、とくに誰からも特には嫌われてないのだけれど、なんとなく軽く見られている人というのがいて、そういう人は、友達と呼べる人があまりいない。
2009年03月13日
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人と違うことをやれ!著者は堀紘一さんという方なんですが、ぼくは知りません。「テレビ出演が・・・」とか「政治家の誰々が・・・」なんて出てくるので、なんか大物っぽいのですが、どうにも誰なのか分りません。なんとも言えませんが、なかなか面白い本です。自分を鍛える!これはジョン・トッドという人の本です。西暦1800年に生まれたというから、すこし昔の人ですね。これもまあまあ面白いのですが、さすがに時代が時代だけあって、インディアン(ネイティブ・アメリカン)に対する差別的な表現がところどころに出てきます。たとえば「勉強しなければ、インディアンのようになってしまう」みたいな箇所がぽつりぽつりと出てくるのです。時代とは、恐ろしいものだなあと思った。ユダヤ賢者の教え逆説ですねえ。ユダヤの考えはほんとうに賢いなあと思います。「人を見るには、顔だけでなく背中を見る」というのは、面白いと思った。たしかに、背中が寂しい人は、どこか空しさを抱えている気がするね。断る力勝間和代の新刊です。大手書店でもランキングに入っていたりします。うーむ、具体的。勝間さんの本は、いつも具体的ですね。むしろ僕にとっては、具体的過ぎる。もっと抽象論でも面白いと思うんだけどなー。それにしても「断る力」とは面白いもんで、たしかに、「断る」ということは自立への第一歩です。相手を傷つけず、しかし毅然とノーサンキューと伝える力。それは冷静力です。すぐにカッとなる人は、どうにも幼稚だなと思います。「言いたいこと」に対してやたら深刻になる人は自分大好きで、まわりに興味がありません。だから痛々しい。そういうのは冷静力がないのです。冷静に、しかし毅然と。それが断る力なのだと思います。
2009年03月12日
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去年の秋頃だったと思いますが、職場体験ということで、うちのお店に小学生が4人やってきました。事前に、先生から依頼の手紙と、小学生から「おねがいします」という手書きの手紙がきた。そこには「・・・めいわくをかけないようにがんばります」と書いていたのだけれど、これはまさしく子供、小学生の発想だなあと思った。オトナならわかると思いますが、仕事場に小学生が来るなんて、言い方は悪いですが、邪魔でしょうがない(笑)いたほうがいいか、いないほうがいいかと言えば、いないほうが勿論ありがたいのです。4人が交互に「次は何をすればいいですか?」って来るんです。そんなうまい具合に誰でもできる雑用なんて転がっているもんじゃあないのです(笑)そこで店長であるワタクシは「テメエら、迷惑をかけないなんて甘いこと言ってるんじゃねえぞ!来るだけで迷惑なんだよ」・・・とはモチロン言いませんでした。子供なりに、迷惑をかけないように頑張ろうなんて健気なもんじゃあありませんか。実際に思った以上に働いてくれました。草むしりもよくやってくれたし。しかしオトナになるにつれて、「迷惑をかけない」なんて不可能なことにチャレンジすることはなくなってくる。「迷惑をかけない」から「迷惑をかけてしまうけれども、お願いするしかない」になってくるのです。すくなくとも僕は、その過程を踏んだ。だから「お忙しいところすいません」に心がこもってくる。携帯だったら「いま、大丈夫?」とつい言ってしまう。それは「じぶんの迷惑さ」を自覚しているからです。しかしここもバランスが難しいところで、その相手に対して迷惑だとは思っていないのに、「俺、迷惑だよね。邪魔だよね」と言われると、なんだか複雑な気分になります。まあ当の本人も「迷惑じゃないよ」という一言をもらって安心したいがために言うのでしょうが、過剰に「迷惑かどうか」ばかり気にするのも考えものです。とはいえ気になる相手とキャッチメール(※何度もメールを続けること)をしていて、楽しんでくれているのか、眠いのに(もしくは忙しいのに)我慢して付き合っているのではないか、じぶんがメールを送ったら迷惑<ウザい>なのではないか、という不安に襲われたことがあるのは、ぼくだけではないはずです。気になれば気になるほど、その傾向は強くなります。で、面白いことに、まったく同じ不安を相手が抱えていることもある。というわけで、生きていく以上、どうしても誰かに迷惑をかけます。でも、それは仕方のないことなのです。必要悪というやつです。すこしくらい迷惑をかけたくらいで嫌われたんなら、それだけの縁だったということです。迷惑をかけないようにして全員から好かれようとすると疲労コンパニオンになります。いい関係というのは、ちょっと迷惑をかけあうというものだと思います。大切な人からかけられる迷惑というのは、どこか嬉しいものです。「おいおい」とか「も~」とか言いながら、どこか「必要とされているじぶん」を見出してしまったりするのです。だからオトナは「迷惑をかけない」という観点をあまり使わないほうがよいのです。ちょっとなら迷惑をかけてもいい。そう思うと、だいぶラクになったりするのです。
2009年03月09日
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【慇懃無礼】いんぎんぶれい表面の態度は丁寧だが、心の中では相手を軽くみている・こと(さま)。「―な態度」これは・・・あんまりよくないですね。不思議なもんでね、なんだか軽く見られているときって、わかるんだよねえ。あれはなんでなんだろう?なんか、雰囲気としか言えないよね。「バカにすんなよっ」って思うんだけど、表面上は丁寧だからケンカもしにくっていうか・・・。論理的じゃあないですが、「生理的にキライ」というやつですね。慇懃無礼というのはインキンタムシよりもタチが悪い。たぶん中身があんまりないというか、いろんな不安にさいなまれているんだと思うんです、慇懃無礼な人って。だからバカ丁寧な言葉遣いをしたり、わりと見事に笑顔作ったり、内面の悪さを隠したがるというか、人を小バカにしている気持ちを持っていないことを演じる必要があるのです。でも周りのほとんどの人にバレてしまうのです。内面って、ほんと顔に出るよねえ。(慇懃無礼な人は、どことなくアゴに特徴があるような気がする)ぼくはどんなふうに見られているのかなあ。
2009年03月09日
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よく言われることですが、光があれば影があります。何かが光って見えるとき、かならずその影を探しなさい。自信に満ち溢れた態度の人が抱えている、コンプレックスに目を向けなさい。やたら愛想の良い人が持っている、奥のほうの主張を聞き出しなさい。明るい人が負っている癒えない傷を見なさい。内気な人が携えているユーモアを愉しみなさい。表面ばかりに気を取られると、足元をすくわれるでしょう。その人が見せたがっている面の裏側が、内側が、「ほんとうのほんとうに言いたいこと」なのです。そしてそれは、とりもなおさず、「その人じしん」なのです。何かが光って見えても、けしてひれ伏してはならない。何かが曇って見えても、バカにしてはいけない。淡々と、その光と影を、見つめるのです。
2009年03月09日
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意識しようとしまいとぼくらは自分を演出しています。「人からこう見られたい」というのがたぶんにあるのです。ある人は幸福ぶる。幸せなふりをしてみる。感じているしあわせ以上に、しあわせだということを主張する。人生がうまくいっているのだと強調する。時間を有意義に使っている人なのだと人に思ってもらいたがる。ぼくなどはそのタイプで、ついついブログに楽しかったことを書いたりしてみんなに「楽しそうに生きてるなあ」「幸せそうだなあ」「いい生き方だなあ」「まっすぐ生きてるなあ」とか思ってもらいたい気持ちが少なからず、ある。となりの誰かから「幸せそうだね」と言われてはじめて、「ああ、ぼくは幸せなのだ」ということを確信できる。「幸せかどうかはじぶん自身で決める」ということを言っておきながらしかし、他人からの評価も欲してみたりする。それは「じぶんでは幸せだと思うけれども、他人から見たらただのオメデタイ奴なのではないか」という不安があるからなのです。だから他者の評価を参考にしようとする。そういう心があります。ほんとうのところ、幸せには主観しかなくて「客観的にしあわせ」ということはないと思います。けれども僕らは、人からさげすまれるのが嫌なのです。たとえばオタクの人がオタクであることをなかなかカミングアウトできないのは、他人からの評価が気になるからです。しかし人の評価を気にするなと言われても気になるものは気になります。だからそれでいいと思うんです。むりに「他者の評価が気にならないじぶん」を演じようとすると不自然です。不自然で、疲れます。「俺は俺、人は人だし」なんてしたり顔で言ってる人は信用がなりません。一見カッコイイんだけど、どこかうさんくさい。だから他人からの評価が気になる人は、それはそれでいいんです。要はバランスの問題で、じぶんの評価の割合が大きい人もいれば、他人からの評価が大きな割合の人もいます。大きく人間をふたつに分けると、「じぶんで幸せを感じたい人」と、「幸せに見られることで幸せを感じる人」の2種類がいるのです。もちろんその中間の人もいて、誰の評価を大切にするかは人によってさまざまです。ちなみに「じぶんで幸せを感じたい人」側に寄れば寄るほど、いわゆる「変人」と呼ばれるようです。逆に人の評価が気になる人ほど、まァ社会的には「ふつうの人」ということができるでしょう。しかし、そういうことがわかると誰かの不安をやわらげることもできたりするかもしれない。へコんでいる人に、「でも○○は、俺から見たら楽しそうに生きてるよ?」と言ってあげる。そうしたら言われたほうは「そうかなあ」と思いながらもその反面、「まあ言われてみれば幸せかもね」と人生の良い面を探し始めるのです。そういうことが幸せにつながります。人を幸せにすることは、とても幸せなことです。だんだんと何を言いたいのかわからなくなってきましたので、今日はこれくらいにしといてやりますが、「幸せかどうかわからなくなったら、ときには他人の評価にゆだねてもいいんだよ。でも最終的に、じぶんの幸せはじぶんで責任を持つんだよ」ということは言っておきたいと思います。おしまい。・・・ししまい。
2009年03月09日
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不幸というのは、不運よりも、むしろ怠慢から生まれる。
2009年03月08日
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仕事は「いまの自分」を如実にあらわす鏡である。仕事がつまらないなあと思っているとき、その人じしんが、つまらない人間になっている。仕事の問題がどんどん膨れ上がってしまうとき、じぶん自身の問題とむかいあわないで、逃げている。最近ちょっとモチベーションがダウンぎみで、なんだかぜんぜんダメな日が続いていました。やる気なくなる⇒ミス頻発⇒クレーム・叱責⇒自己嫌悪⇒やる気なくなる⇒続く・・・、みたいな。これはもうほんとうに見事なスパイラルなのですね。ヘタすると抜け出せない。ミスに対する言い訳ばかり出てきます。冷静に観察すると面白いですよ。「いや、あのとき時間なかったし」「まあもうちょっと本気出せばできたけどね」「決まりごとといっても、売上に関係ないし」「人件費の予算が少ないからさあ」「お店のみんなが言うこと聞いてくれないんだもん」「上司の言うことがぜんぶ正しいわけ?」「一生懸命やったつもりなんだけど」ぼくはじぶんに対して、そんな言い訳ばかりしていた。「逃げ」モードに入ってしまうとほんとダメですね。仕事というのは成果が大事ですが、ほんとうに大事なのは、成果よりも「誇り」です。「誇り」というのは「努力したつもり」にすこし似ているのでちょっと危険をはらみますが、「努力したつもり」との違いは、「じぶんに嘘をついていないこと」です。じぶんに嘘をつくと、どうあがいても「誇り」を持つことができません。じぶんの仕事にプライドがなくなるのです。そうすると叱責が怖い。逃げれば逃げるほど、叱責が怖くなるのです。そしてじぶん自身にたいする誇りもなくなってくる。じぶんの人生がみすぼらしく思えてくる。大げさに思うかもしれませんが、ぼくにとっては仕事というのはそういうものなのです。いつのころからだろう、打算で仕事をするようになったのは。「これくらいでいいや」なんてどうして恥ずかしげもなく言えるのだろう。給料が安いからやる気が出ないなんておかしい。給料と幸せはあんまり関係がない。もしそうであるなら、新入社員のころより、今のが幸せなはずだ。給料があがる以上に、ぼくが変わってしまったのだ。ちょうどいい機会なので、いろいろ考え直します。「仕事はじぶんを映す鏡」このことばを、忘れないように。
2009年03月07日
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ぼくらは誰しも「言いたいこと」があります。ぼくらは「言いたいこと」のためにはけっこう何でもします。たとえば反抗的態度というやつ。学校でも会社でもいいですが、反抗的態度というのは、言いたいことがあるからするのです。反抗したくて反抗するということはないのです。主張があるから、反抗する。(といっても無意識の場合もあります)反抗的態度をとると、なにかしら「注意」をしてくる人が出てきます。「なんだその態度は」と。反抗的だった人は、そこでやっと口を開くのです。「いや、アンタが〇〇だから」と。はじめから「アンタ〇〇だな。やめてくれ(変えてくれ)」と言えばいいのですが、人間なかなかそうは言えないのです。だからまずは態度で表す。で、それを指摘してきた人に対して、やっと自分の「言いたいこと」を主張するのです。人はそういうことをすることがある。「言いたいことを言う」というのはことばにするとカンタンですが、そうやすやすと実行できるものでもない。なぜなら社会があるから。人と人が押し合いへし合い生きているから。たまに「俺(わたし)って言いたいこと言っちゃう性格だから」みたいなことを言う人もいますが、「キャラ作ってるなあ」と思います。そういうセリフこそ、言いたいことが言えないから出てくるのです。ぼくだって、言いたいことの万分の一も言えない。もちろん友達づきあいであれば50%くらいは言えるかもしれないけれど、仕事のことや、もろもろを含めて考えるともうほんとに1%も言えていないのではないだろうか。だからこんなブログで発散しているわけで(笑)「言いたいことを言えない」というのはあんまり面白くないことですが、それは生きていくうえで仕方のないことなのです。だからいい意味で諦めるしかない。「明らめる」しかないのです。
2009年03月07日
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「ここ一番」に強くなれ!ドラゴン桜を書いている三田さんの著書です。三田さんの主張は激しくて好きですね。「社会人は毎日が本番である」なんてなんとなくドキッとします。ぼくはその気持ちで働いていたか?新卒のころの気持ちを忘れているのではないか?チャンスが来たらがんばろうではなくて、がんばるからチャンスが来るのだ。ただこの本は、やたらと過激な表現が多かったな。「〇〇なバカ」という言い方が目立ちます。資格ばっかり取るバカ、とか成功本ばかり読むバカとか・・・。基本的に人のことをバカだバカだという人は、「じぶんのことをもっと評価してほしい」という人です。「俺は天才!」って思っていないと、なかなか他人のことをバカだとは言えないです。そんなこんなで複雑な気持ちで読みました。シコふんじゃおうついに出ました。「シコ踏み」の本。シコは相撲の鍛錬法として有名ですね。ぼくはこの2年ほど毎朝シコをふんでいますが、腰・肚の使い方はだいぶ変わりました。肚の使い方を変えると指先が変わります。たとえばお札一枚扱うのでも、肚でさわると丁寧なのです。やってみないとわからないでしょうけども、そういう違いがあるのです。なかなかシコは難しくて、まあそもそもそんなものをやろうという人はほとんどいないでしょうけど、もし踏んでみたいというならオススメの本です。著者の方は、元力士らしいのですが高岡英夫さん大好きなご様子。「あっちの世界」の人なら誰でも知ってますね。ぼくもたぶんに影響を受けました。何をおいても、この本のいちばんいいところはシコのモデルが小林由佳だということです。あの空手美女の。その意味で、買いです。
2009年03月07日
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日本でいちばん大切にしたい会社わりと多くの人から絶賛されているらしく、大手書店でもどどーんと平積みされていたりします。泣けはしないけど、いい本。うらやましいなあと思いながら読む本です。会社、かいしゃ、カイシャ・・・。
2009年03月06日
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ぼくは「会話」というのが好きなのです。会話には、人間のいろんなことが現れる。最近気が付いたことに、「会話は無意識で行なわれる」ということです。あたりまえなんですが、大切な事実です。にんげんって不思議ですよね。しゃべっているうちに、自分がなにを言いたいのか忘れてしまう。途中から、話が自家撞着してくる。また、じぶんがどのようなことを言っているか気が付かない。たとえば、いつも否定ばかりしているとか、いつも自分の話ばかりしているとか。じぶんでは気が付かぬうちに、会話に「クセ」が出てくる。それこそイーグル・アイではないですが、鳥の目で俯瞰する能力がないと、わけのわからない会話になります。会話にもステージがありますから、会話しながら、「今はどのステージか」ということをそのつど感じていかないといけない。たとい矛盾しまくりだとしても、人には「どうしても言いたいこと」があるのです。そこを引き出してやる。嬉しそうに誇らしげに話す部分を、興味深そうに聞いてやる。すると、それはそのまま相手を尊重することになるのです。「言いたいこと」はその人そのものなのです。多くの人は論理的ではありません。もちろん論理大好きな人には論理で応戦し、感情的な人には、感情を尊重する。そのように「相手に合わせる」だけでストレスと言われるものの大半はなくなるものです。会話に夢中になってはいかんと思いますね、ぼくは。すくなくとも仕事中は。無意識の会話から、意識的な会話に切り替える。「相手が何を言いたくて、どのような『論理』を用いているのか、会話のステージはどこか」などを気にしながら、意識的に、そしてアグレッシブに会話していく。そうでもしなければ、優位な立場を保持することはできない。会話というのは、武器なのです。おあそびでは、ないのです。
2009年03月03日
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アカデミー賞の「おくりびと」を見てきました。3月中旬にDVDが発売なのになんで映画で見れるかというと、劇場でアンコール上映をおこなっていたからです。案の定、18時からの上映だったのですが、座席はかなり埋まっていました。1日は1000円で見れるからいいですね。さて、「おくりびと」。まあ、やっぱり泣きはしますよね。どうしても死を扱っていると。しかし作品を見るなら、「死」のプラスポイントを差し引いて考えないといけない。そうなると、そこまで名作でもないのかも、と思ってしまう。しかし納棺の動きのキレは見事。もっくんも「社長」も。多少の演技くささはいなめないとして、しかしあの触れ方、姿勢などは、「美しい」といって差し支えないだろう。あれがメインといっても過言ではない。それにしてもみんな演技がうまくて、不自然な人がいないのが、驚きです。ちなみに観てる人の年齢層がかなり高かったのですが、やはり笑いのツボがちがうらしく、毎回ヘンなところで笑うので、それがけっこう気になりました。DVDで「イーグル・アイ」も観ました。これは、よくわからん。監視カメラばっかりの現代に警鐘をならしたいんだろうけど、うーむ、スピルバーグ。アクション映画だからそんなもんなんだろうけど、そこまでクルマを破壊しなくても、みたいな。で、観てて思ったんですが、ぼくはかなり理解力が低いらしいのです。映画とか見てても、「は?これどういうこと?」みたいに、誰が誰だかわからなくなったり、ストーリーの展開の意味がわからないことがあるのです。なんでわからないんだろう・・・。まあ、いいか。
2009年03月03日
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