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「逆算力」が大事です。ぼくらはふだん「逆算」しながら生活しているのです。9時から勤務の場合は、8時45分に職場に到着しないといけない。それには8時の電車にのらないといけない。そのためには7時45分に家を出ないといけない。そうなると、7時には起床しないといけない。となると前日、夜の1時には寝たいものだ。じゃあ、風呂は12時くらいに入らないと・・・というように、無意識のうちに「逆算」をして生活していることが多いのです。その「無意識のうちに」というところがポイントで、それはつまり潜在意識の領域だということです。逆算は、人によって具体性がぜんぜん違います。逆算は、具体的にやらないと成功しないのです。たとえば遅刻が多い人で、「明日こそは9時に間に合うように!」と決めたとします。しかしそれを決めても、ただ「がんばる」だけでは、何も変わらない。気持ちだけが空回りして、けっきょく遅刻するでしょう。逆算力というのは、具体的にイメージする力です。つまり上に書いたように、「ひとつひとつの行動を、順番にイメージする」ことが大事なのです。この逆算力は、明日あさっての話でなく、もっと大きな「人生」というステージでも発揮されます。ぼくがつねに考えているのは「3年後、10年後、30年後、そして臨終の間際、いったいぼくはどうなっていたいのか?」ということです。かなり先から、自分を観ているのです。そして、その未来の自分がイメージできたら、現在の自分との差を考えます。そしてどうやったらその差を埋めることができるのか、それを「具体的な行動」として考えていきます。「なれそうにない」とか「むずかしそう」とか「できない」というのは禁句にして、「どうすればできるか」という視点で考え続けるのです。そうすると、必然的に「いまやるべきこと」が見えてきます。「こんなことをやっている場合」なのか「こんなことをやっていてはいけない」のか、ということが、歴然とわかります。それが逆算力のすごさです。誰しもときに立ち止まり、「このままでいいのか?」と思うことがあるでしょう。そんなとき、役に立つのが逆算力なのです。逆算力の具体性こそが将来を決めると思っています。
2009年01月28日
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エンゼルバンク ドラゴン桜外伝(5)5巻でました。いやあ、面白いねぇ。最近はオトコ漫画でいえば三田紀房さんですね。少女マンガでいえば、「君に届け」です。コミック死ぬかと思った(1)かの有名な「死ぬかと思った」シリーズですが、コミック版が出ました。これは声をだして笑いました。人は、すぐに死んでしまうようで、なかなか死なないものです。しかし、なかなか死なないと思いきや、いきなり死んでしまうこともあります。「死」は遠くにあるのではありません。「死」はいつでも、「ここ」にあるのです。
2009年01月28日
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問題解決というのは、和語でいうと「ほとけ」であります。仏さまの「ほとけ」ですね。「解(ほど)ける」ということです。もつれ、からまったものがほどけていく。しかし何がほどけるのかというと、そこは勘違いされる方が多いと思います。「問題がほどける(解決される)に決まっているじゃないか」と思うかたもいるでしょうが、ぼくの考えは違います。問題解決のときにほどけるのは、「じぶん」なのです。というか、問題を解決するときには、「じぶん」をほどかないといけない。自我を捨てないといけない。ぼくらはついつい、「他人の問題」を解決しようとしてしまいます。「『あなたは』こうしたほうがいい」「『この組織は』そうしたほうがいい」そういったアドバイスは岡目八目で的確ということはあるかもしれませんが、実際にはあまり効力を持たないものです。なぜなら、どれだけアドバイスしようと、「他人の問題」である以上、説得力がとても弱いのです。「対岸の火事」を消すことはできないのです。ですから、どんな問題を解決するときにも、「じぶんの問題」として考えないといけない。自分ひとりで責任を背負い込むというのとは違うのです。それはそれで、自分勝手な考え方で、傲慢だ。そうではなくて、つねに「いま、自分にできることは何か」という視点で考えるのです。他人を変えるのではなく、自分を変えるという発想を、つねに持つということです。その意味でも、問題解決力とは、自己責任力なのです。そして自己責任力とは、「自我をほどく力」なのです。
2009年01月28日
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何を欲するのも自由である。高級ブランドのバッグでも大きな家でも、高級車でも、高級時計でも、美人な奥さんや、高収入のダンナさんでも、なにを欲しがるのも自由である。それはにんげんの権利だ。物欲・名誉欲・俗欲・・・。「あってはいけない欲」などない。それよりも、欲しいものを欲しいといえる勇気が大切なのだ。しかし、「ほんとうは何が欲しいのか?」たとえばぼくは高級な時計が欲しいと思うけれども、誰かに買ってもらいたいとは思わない。どこかの大富豪と仲良くなって、プレゼントで高級時計をもらっても、それを誇りをもって身につけることはできないだろう。もちろんもらったらもらったで嬉しいだろうけど、自分で買ったのとは大違い。つまりぼくは本当は高級時計が欲しいのではなく、名誉とか、自分に対する自信とか、仕事に対する誇りが欲しいのだと思う。このように「本当に欲しいもの」があってそこから「俗物的に欲しいもの」が発生する。そういった見方をしないと「高収入なのに不幸」「大きい家に高級車でも不幸」ということが起きてくる。
2009年01月27日
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考える人よりも、実践する人・実行する人のほうが偉いのだ。
2009年01月27日
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ミリオネア・マインド大金持ちになれる人これは本田健さんが訳した本ですが、面白いですねぇ。俗に言う「金持ち本」は、くだらないと思う人も多いでしょうが、夢をかなえたい人には大いに役立ちますよ。つまりお金が欲しい人にも欲しくない人にも役立つのです。男の作法池波正太郎さんです。本屋のクセに池波正太郎を読んだことがなかったのです。というのは小説がキライだからですね。ぼくは小説は読めないのです。最後まで読まないと結論が出ないでしょう?それがイヤなんですね。場合によっては最後まで読んでも結論ないし。ビジネス書のようにもうタイトルから答え言っちゃう、みたいなものが好きなのです。でも池波正太郎という名前に興味があったので、エッセイを読んでみました。1分間でわかる「菜根譚」菜根譚は16世紀の中国の書物で、カンタンに言えば「たのしく明るく生きていく方法」を著したものです。老荘思想の影響をたぶんにうけていると言われています。古典と呼ぶにふさわしく、現代でも充分に通じる知恵を授けてくれます。この本は、それをかなりカンタンにして解説してくれているので、ぼくでも読めるわけです。こういうのから古典に入っていくのはぜんぜんアリだと思います。あー、新幹線というのは本がたくさん読めていいですねえ。
2009年01月27日
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好き嫌いの次元より、感謝の次元のほうがワンランク上です。感謝は、好き嫌いを超越しています。嫌いな人に感謝することもできます。逆に、感謝があれば、「嫌いな人」がいてもいいのです。好きな人に感謝しない人は不幸です。好きだけど感謝していない人は、好きな人を利用しようとしているのです。嫌いな人を無理に好きになることはありません。本能である好き嫌いを操作するのは、とても難しいことだからです。ですから、好きとか嫌いとかを超越してしまって、「けっきょく自分にとってありがたい存在だ」と相手を認めてしまう。そうしたことで、幸福への道が開かれるのです。
2009年01月25日
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中国古典からもらった「不思議な力」ライブドアの堀江さんの件で、いちやく有名になった北尾吉孝さんの本です。これはタメになりますねー。ビジネスマンのみなさんは、ぜひ中国古典に触れてみてください。ぼくも詳しいわけではないですが、ワンフレーズ覚えるだけでも、今日から使えるくらい古典には力があります。「兵は拙速を尊ぶ」とか、有名だと思いますが、「ああ、仕事はミスなく100%やることより、スピードが命なんだな」ということに気づかされます。というか仕事で気づいてから読むと、「自分は間違ってなかった」と思えるわけです。自分勝手な解釈をしては、元も子もないですけどね。ワンフレーズ知っているだけでも、「こいつ、やるな」と思われます。やりすぎると衒学的だと思われますので注意。中国古典で読みやすいのは守屋洋さんです。よかったら読んでみてください。
2009年01月23日
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どんな仕事も、極端に言えば、「人の不安をとりのぞく」ということに集約できるのではないだろうか。
2009年01月23日
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人は、言葉のうえでかならず矛盾している。いや、人間の複雑さが、言葉というツールの限界を越えているのだ。言葉であらわせることには、限界がある。だから人間をとらえるときには、言葉以外のものに頼らなくてはならない。それは「こころ」であり、「こころの動き」である。それを観るのは、言葉では不可能。言葉を捨てて、「まるごと全体」を観ないといけない。そうしてはじめて、人間が見えてくる。
2009年01月23日
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「自己責任」というのは「じぶんの責任」という意味なのだから、他人に言うべきことばではない。「これはあなたの自己責任だよ」というのは、矛盾している。自己責任というのは、自分がやるべきことをやることなのであって、「真実」で相手を苦しめることではない。
2009年01月23日
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じぶんでじぶんの「いいウワサ」を立てることです。人から良く言われれば、なおさら良くなろうという意欲がわきます。いいウワサを立てるにはどうすればよいか。それは他人を喜ばせることです。他人の期待以上のことをすることです。ぼくが何かしたことで喜んでくれた人は、かならずや誰かに吹聴します。「ozekeyがね、〇〇をしてくれて・・・」人は感動経験を他人に話したいと思うものです。つまり他人を感動させるといいウワサが立つのです。商品でいえば口コミですね。そういう観点があると、人にやさしくなれます。「他人の評価を気にする」というと俗物的な感じがしますが、自分が誰かを喜ばせて、そのウワサが広まる、というのはステキなことだと思います。関わったみんながハッピーになれるのです。ぜひ喜ぶまえに、喜ばせてください。そして相手が喜ぶ顔を見て、自分が喜ぶ。そうすると、「仕組み」として喜びがつねに2倍になるのです。いいウワサを立てる、というのはそうしたことなのです。
2009年01月22日
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苦しくても意味のある人生加藤諦三(かとうたいぞう)先生です。ひさびさに読みましたね。加藤さんの本は、高校時代に衝撃を受けていらい、何冊か読んできましたが、やっぱりいいですね。「他人に依存するとはどういうことか?」「精神的に成熟するとはどういうことか?」そういった疑問が氷解します。「ほんとうのやさしさ」ってなんだろうと考えていたぼくに、ひとつの明解な答えをくれたのは加藤さんの本でした。とても厳しい本ですけどね。グサグサ刺さってきますよ。でもそれに耐えることができれば、かならずや成長する。この本は読む価値ありまくりです。
2009年01月22日
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仕事力にはいろいろな要素があるが、その中でもっとも大きいものは「人間関係力」であると言える。もちろん職人さんで、技術さえあればぶっきらぼうでも、という仕事もあるかもしれない。でもたとえばぼくの仕事なんかは、もうほとんど人間関係で、それさえできればあとは特に何をすることもない。旧友に「店長になった」と自慢すると、(別に自慢することでもないのですが、「それなりの名前」がつくのは嬉しいことなので、ついつい主張してしまいます)「店長って何をするの」と聞かれることもあるのですが、よくよく考えてみると、大したことはしていないことに気づきます。店長の仕事1:ハンコを押す店長の仕事2:あいさつをする店長の仕事3:笑わせるそれくらいです。うちの会社は仕組み化がよくできているので、書類の仕事なんかは「誰でもできる」ものがすごく多いですね。ほとんど「ぼくがやらなくてもいい仕事」です。まあまかせる人がいないから自分でやっていますが・・・。おっと、話がそれてしまいました。で、言いたいのはあれです。「仕事力は恋愛で鍛えなさい」どうです、ビジネス書のタイトルみたいでしょう(笑)ぼくが思うに、恋愛というのは人間関係力を鍛える最高の場であります。いわゆる「お付き合い」が始まる前でもはじまってからでもいいのですが、恋愛ほど相手を思いやる場はないでしょう。「どうしたら相手が喜んでくれるか?」「どうしたら相手の笑顔が見れるか?」恋愛とは、そういった問いの答えを始終かんがえることです。そのなかで、いろんな「ひとのこころ」が分かってきます。人間として共通ポイントもあるし、ひとりひとり「うれしがるツボ」というものある。そういうことが分かってくる。見えてくる。深く観察することで、なぜ相手がそのような状態になっているのか、ということも分かってきます。その意味でも、恋愛で相手の気持ちが知りたくてやきもきする、という経験はとても大事だと思いますね。恋愛で得た人間関係力は、かならず仕事に生きてきます。そして逆もまたしかり。仕事でえた人間関係力を恋愛に活かすことも可能です。人が生きるということは、人間関係を調和していくということです。メイワクな存在でなく、役に立つ人間になる。それには人間関係力を鍛えていくしかないのです。
2009年01月21日
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はっきり言って、ぼくはブログを書きすぎだと思う。それは自分で分かっています。ときには朝5時に起きてブログ書いているなんて、どんな中毒だと思いますが、しかし書かないことには、どうにも生きていかれないのです。これはブログじゃなくてもいいんです。ぼくは15歳くらいから7,8年ですが、ノートに日記をつけていました。それから文章を書くのが好きになったんですね。大学時代には旅行記やエッセイを書いてみたこともあります。ブログをはじめてからは、ほぼ毎日と言っていいほど、記事をアップしてきました。そのブログももう5年目です。無理に続けているわけじゃないんです。書きたいことがあふれてくるので、仕方なくそれを書いているのです。カッコよくいえば、「表現の欲求」とか言うんでしょうか。読書量は普通の人より多いので、つまりインプットがかなりあるので、アウトプットしていかないと、「情報の便秘」になってしまうのです。だから書いている。書かずにはいられないのです。この感覚、分かってくれる人は少ないでしょうけど、分かってくれなくてもかまいません。ただそれも「言いたかっただけ」なのです。この思いをいつか本にしたいなあと思っています。そんなことを考えています。
2009年01月21日
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オトナになるにつれて「ウソ」がどんなに大事なことかが分かってきます。「ウソをついてはいけません」子どものころには、そう教えられる。しかし今となって思うことは、「ウソをつかなければいけません」事実がどれだけ正しかろうが、事実というのはあまり役に立たないものです。場合によっては、見ないフリをする、知らないフリをする、それがオトナの振る舞いであります。子どものころは、ウソで塗り固められたオトナが嫌いでした。「こちらつまらないものですが」「いやいや、こんなものをいただくわけには・・・」「いや、どうぞお受け取りください」「いえいえ、このようなものは・・・」「なにをおっしゃいますやら」「では・・・おことばに甘えまして・・・」といったやりとりを「ムダ」だと思っていた。しかし今思うには、これらのやりとりはムダどころか、充分に必要な緩衝材なのだ。社会に出ると言うことは、イヤな人と付き合うこと。嫌いな人に笑顔を向けることだ。そして自分が嫌いなあの人は、きっと自分のことを嫌っている。おたがいに嫌いどうしなのだ。そんなとき「ウソの技法」があれば、おたがいなるべくイヤな気持ちにならなくて済む。また「ウソ」を言うことによって、人の気持ちを明るくすることもできる。「ウソ」を言われたほうも、たとえばそれがお世辞だと分かっている。しかしその「ウソ」を言ってくれる気持ちが嬉しい。「この人はじぶんを喜ばせようとしている」そのこころを感じれば、「ウソ」にだまされる余裕がでてくる。ほんとうのことを言っても、「そんなこと分かっている」と言われるのが関の山だ。基本的に相手が喜ぶことなら、ウソだろうと本当だろうとどんどん言えばよいと思います。もちろん根も葉もないウソでは、バレたときに信用を失うだけだが、相手を思いやったウソならば、どんどんつくべきだと思う。自分だけには、ウソはついてはいけない。しかし、他人にウソをつけない人をオトナと呼ぶことはできないだろう。にんげん、本当のことだけは言われたくないものだ。
2009年01月21日
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ぼくが話を聞くかぎりでは、多くの人は問題を解決しようとしていない。「問題がある!」「問題に困っている」「問題をどうにかしてくれ」「問題があるからイヤだ」「問題がなくなればいいのに」「なぜ問題があるのか」ほとんどは上の6パターンにあてはまるフレーズを言っているだけ。そして口は動かすのだが、手や足は動かしていない。つまり行動しようとしていない。問題を解決したいなら、問題を解決すればよいのです。どんなに大きな問題も小さく区切って、ひとつひとつ、解決していけばよいのです。
2009年01月20日
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決断とは、捨てることである。
2009年01月20日
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「夢」が「現実」に変わる言葉これまた福島正伸さんです。借りて読みました。これはスゴイですよ。文字数がすくなくて30分くらいで読めます。なのに勇気が出ます。現実ばかり見て、笑いたい人は笑えばいい。しかし「夢を見る人」が夢をかなえたとき、現時ばかり見て言い訳をしていた人は、笑えなくなるだろう。
2009年01月20日
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まずは負けること。負けを認めること。負けを認めるから、勝負がはじまる。負けを認めるから、勝ちたいと思う。負けているなら、負けている事実を受け入れなければならない。負けを受け入れたとき、コンプレックスは解消される。負けをすなおに認めることができると、明るく勝負することができる。こころまで勝負に乗せてはいけない。真剣にゲームしても、深刻になってはいけない。明るく勝負することを心がけよ。まるで明るく恋をするように。「いやあ、負けたなあ。でも見てろよぉ」ボーリング大会だろうが、年収競争だろうが、明るく楽しくゲームに参加する。これはオトナのたしなみである。
2009年01月20日
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勝負をするには、かならず土俵がいるのです。土俵があるから、勝ちと負けがある。世間には、いろんな土俵があります。どの土俵に乗るのかは、自分しだい。学歴、年収、肩書き、名誉、幸福度、自由さ、モテ度、面白さ、精神の成熟度、クルマの値段、クルマのカッコよさ、服装のセンス、パートナーのすばらしさ、こどものすばらしさ・・・いろんな土俵があります。土俵が違うと、勝負にならない。たとえばどんなに年収が高くても、自給自足の生活で、こころから満足している人にはなんの自慢にもならない。たとえばどんなにカッコイイクルマに乗っていても、相手がクルマに興味がなければ、なんとも思ってくれない。つまり土俵が違うと、比べることができないのです。この年になると、やはり年収という土俵が広がってきます。多くの人がこの土俵にあがって戦おうとする。それは悪いことではないと思います。というのは、ぼくの考えではにんげん何かしらの土俵にあがることは、成長のために必要だからです。たしかに、臨終のまぎわにおいては、「なにもいらない」という境地にたどりつくかもしれません。しかし、やはり社会で生きていく以上、どこかしらの土俵に乗らないと面白くないでしょう。「年収?気にしてないよ。やりたいことやってるもん。 モテないけど、気にしてないよ。人の評価を気にするのはやめたよ。 服やクルマもなんでもいいや。興味ないし」では、なんとも味気ないとぼくは思うわけです。けっきょくすべてがゲームです。せっかく目の前にゲームが転がっているんだから、遊んでみてもいいじゃないですか。何にもこだわらないで、老子のように無為自然に生きるのも悪くないかもしれません。しかしぼくはまだ若いのだから、いろんな勝負をしたいと思います。勝負をやめるのはいつだってできるけど、勝負できる時期はそんなに長くない。勝つか負けるかが重要なのではない。勝負にエントリーすることが大事なのです。「どうせ」いつかは死ぬんだし、目いっぱい楽しんだほうがお得だと思います。でも実は、勝ち負けと幸福には、とくに関連性がありません。「勝ち」が幸福というわけではない。「負け」が不幸というわけではない。幸福とは、勝ち負けを超越したところにあります。ですからまずはささっと幸福になってしまう。そのうえで、気持ちの余裕をもって勝負に参加するのです。たとえば「年収」の土俵に上がってみる。そのような心がけが大切です。では、ゲームスタートです。
2009年01月20日
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その人に真実を言うてみよ。その人は、きっと否定するだろう。
2009年01月19日
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誰しもがこころの病をかかえています。目立ちたがり、自慢したがり、自己卑下、甘えベタ、心配性、傲岸不遜・・・どんなに立派に見える人でも、いくつもの「こころの病」をかかえています。もちろんここでいう「こころの病」とは、お医者さんがいう「病気」ではなく、「こころのクセ」のことです。たとえばぼくを傷つける存在というのは、「こころの病」があるから、それを補填しようとして、ぼくを傷つけるわけです。またその人は、きっとぼくの「こころの病」によって傷つくのでしょう。そうして無意識に傷つけあう。かなしいことです。「こころの病」は心がじぶん自身を守ろうとするはたらきです。誰しもがこころの傷ついた部分を持っていて、そこが痛くてしょうがないのです。というか「触れられたら痛いに決まっている」というおもいこみを強く持っているのです。そのおもいこみこそが、こころの病なのです。しかし、ほんとうは痛くない場合も多い。傷口を隠そうとすればするほど、治るのが遅くなる。しかし傷口を空気に触れさせていると、すぐに「こころのかさぶた」ができて、思ったよりもカンタンに治ってしまうことがある。「こころの病」を治すのはカンタンといえばカンタンで、そのコツは「事実を認める」「現実を受け入れる」というだけです。同じような意味では「ゆるす」ということばもあります。人は「ゆるす」ことで「ゆるむ」ことができます。また人は「ゆるされる」ことで「ゆるむ」ことができます。しかし「ゆるされたい」「ゆるされよう」とすると、どうしても相手の判断にゆだねられる部分があります。そうなると「人のせい」にしてしまうことが増えるのです。「あの人が〇〇だから・・・」「彼女が〇〇してくれれば・・・」そのような思いは、まさに「ゆるさない」思考です。じぶんを変える前に、相手を変えようとする行為は、相手のこころもじぶんのこころもカタくしてしまいます。「変わってくれ。変わって欲しい」と言われれば言われるほど「変わってたまるもんか」と思うものです。たとえばカレシにもっとカッコよくなってほしくても「もっとカッコよくなって」と言ってはいけないのです。「カッコよくなってほしい」というのは「あなたは今カッコよくない」と言う意味が言外に含まれるのです。で、その「言外」というのがいちばん堪えるのですね。「なんとなく認められてない感じ」「なんとなく否定されてる感じ」その雰囲気は「ダサいね」と言われるのと同じくらい、もしくはそれいじょうにグサリとくるのです。そんなことではカッコよくする気もなくなりますよね。だからカレシには「カッコイイよね」ということだけ言っていればいいのです。それが真実でなくてもかまいません。ことばの魔力とはそういうものです。「カッコイイよね」といわれたら、たいていの男子は嬉しいのです。そしたら勝手に「(お前のためにも)もっとカッコよくなろう」と思うでしょう。なのに、「もっとカッコよくなって」と言われたら、「今やろうとしてたとこだよ!」とカレシは思ってしまいます。勉強しようとしたところにおかあさんに「勉強しなさい」といわれてやる気をなくす子供と同じです。それほど「あなたは変わりなさい。あなたに変わって欲しい」という欲求は相手を傷つけるものなのです。そしてその欲求こそが、まさに「こころの病」です。「じぶんのこだわり」を相手に押し付ける。これがただしいのだ、これが正常で、これが世の中のふつうで、これが常識なのだ、という顔をして、「じぶんのこだわり」を押し付ける。言ってしまえば、「こころの病」というのはほとんどこれなのです。そして、この「こだわり」を捨てていくこと。「あなたはあなたのままでいい。 あなたがここにいてくれて嬉しい。ありがとう」ということを全身で表現するということ。これがぼくの思う、感謝であり、幸福であり、愛であります。これは三位一体です。感謝・幸福・愛なんてなんだか宗教じみてキモイと思う人もいるでしょう。まあこれはぼくの勝手な考え方なので、べつに信じることもないですが、ぼく自身はその考えがなんとなく分かったころから、世界が変わりました。誰しもがこころの病を持っているので、それじたいは悪いことではありません。しかし、その病にいつまでも気がつかずに、人を傷つけるばかりではいかんのです。なぜなら、かならずその報いは自分に返ってくるからです。ですからみずからの「こころの病」に気づき、それをどんどん捨てていく。それは苦しい作業であります。じぶん自身が徐々にくだけていくような不安とじぶんを否定する苦しみと、じぶんがなくなっていくむなしさを伴うからです。しかし、それは一度は通らねばならぬ道。徹底的な自己崩壊を通じて、「こころの病」を捨てていく時期が必要なのです。あなたの「こころの病」とはなんですか?なぜ、その「こころの病」にかかったのですか?」どんな環境のせいで、その「こころの病」になったのですか?そしていかにすればその「こころの病」を取り除くことができるのか?一度にこころの病を捨てることはできません。しかし、ひとつひとつ「こだわり」を捨てていくことで、幸福につながっていくのです。
2009年01月19日
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「人との出会いを生かせる人」の共通点「あなただけは特別な人」と思われる人の共通点齋藤茂太さん2連発です。モタ先生は、歌人・齋藤茂吉の息子さんだったんですね。知りませんでした。2冊とも、反省させられるけど、心があったかくなるような本です。プロ論。(才能開花編)これは面白いですよ。いま、第一線で活躍している人のかつての苦労話や、仕事についての考え方が載っています。勇気が出る本ですね。「みんないろいろあるんだなあ」大局観を養わないと、人生が狂う。「ほんとうは何がしたいのか」答えがすぐに出ないからといって、この疑問から逃げてはいけない。すごい「実行力」著者の石田さんは「行動科学マネジメント」という学問の権威のようです。これは非常に面白いですね。(とくに仕事が)うまくいっている人の方程式を見事に取り出していると思います。また、むかしの武道の達人の稽古法も、この理論で説明がついてしまうというのが面白いところですね。つまり汎用性がかなり高いということです。でも、これを読んで「仕事ができない人」が「できる人」に変わるとは思えません。けっきょく読むだけでなく、それを実践してみることが大事です。
2009年01月19日
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16日~18日まで、ほとんど休まない3連休でした。16日は、昼過ぎに千葉を出発し実家のある名古屋へ。19時から学生の頃バイトしていた居酒屋の仲間と終電まで飲みました。(人によっては終電を逃していました)まったくくだらない会話で、どう考えても20代後半とは思えません。やたらと「仁丹」の話で盛り上がり議論百出、喧々諤々のトークになりました。けっきょく、加齢臭というのは仁丹のにおいということでよいのでしょうか?2年ぶりでしたが、時の経過を感じさせることない会合で、なんだか不思議な気分でした。17日はお昼12時半から、学生時代の友人の結婚式に参加させてもらいました。はじめて披露宴というものに出席したので緊張しました。そこで中学時代の同級生にばったり会ってびっくりしました。料理が食べきれないほど大量でした。最近買ったデジカメで写真とか撮りまくって、「ああ、俺も現代人になったんだなあ」と思いました。新郎新婦はなんか、経歴から容姿からサマになりすぎてちょっと非の打ち所がありません。なんやかんやの大御所の夫人みたいな人が出てきてちょっとなんかオイオイ、すげぇなという場面もありました。15時か16時くらいまで披露宴があり、その後はマリオットアソシアから伏見に移動して、2次会でした。また料理!もう食べ切れません。2次会は・・・、ゲームとかやってはしゃぎました。ゲームの景品で入浴剤あたりました。ディズニーシーのチケット欲しかった・・・。恒例のブーケトスをはじめて間近で見ました。あれは緊張しますね。女性の「ブーケは欲しいけど、がんばりすぎるのはカッコ悪いけど、ブーケをさけるのは変だし、かといって、人のところにいく分まではとりたくないけど、じゃあ、あたしが取っていい範囲ってどこなのよ、ねえ誰か教えてよ、あ、次のやつきた!、あ、もう、ほら取られちゃったけど、別に本気で取りに行こうとしたわけじゃないし、まあ悔しくないしね、でも、次に自分のところに来たら取ろうかな、といっても自分のとこに来なくてもいいけどね」みたいな緊張感が伝わってきて、すごくドキドキしました。3次会でお決まりのカラオケに行きました。GLAYの「口唇」の出だし、「♪くちびるが乾いてる~」で一世を風靡したのが、その日のぼくのヒット賞でした。え?このネタ?どうぞ使いたい人は使ってください。というかカラオケの十八番が10年前から進化していません。で、その日も終電近くまで歌っていました。18日は朝5時に起床し、実家を6時に出発し、一路千葉へ。新幹線の車中寝ていて、気がついたら新幹線が停車していたので、東京に着いたと思ってあわてて飛びおりたら品川でした。仕方がないので品川そばを食べました。品川駅はきれいですね。そんなこんなはありましたが、11時半ごろには自宅に到着したので、それから鴨川シーワールドにいくことにしました。クルマを1時間くらい走らせると、そこには・・・鴨川シーワールドがありました!いわゆる水族館です。魚とかいっぱいいました。イルカとかジャンプしてました。ぼくもジャンプすることはありますが、イルカにはかないませんね。3時間くらいは遊べたのかな。入場料が2800円とわりかし高いので、もし行くなら茨城は大洗の水族館のほうをオススメします。そのあと帰ってきて、家の近くで地魚料理を堪能しました。いつでもいけると思っていったことはなかったのですが、めちゃめちゃいいところでした。1500円の定食で鬼のような量の刺身が出てきてしかも脂がのってぷりぷりで旨かったです。田舎でヤダヤダ言ってますが、海の幸のおいしさに撃沈しました。と、いうようなぼくにとっては激しい3連休で、すごく楽しかったですね。そして来週も名古屋に戻らねばならず、なんともせわしないですが、これくらいの生活って、なんか好きです。というとりとめのない備忘録でした。最後まで読んでくれた人ありがとう。
2009年01月19日
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榊原式スピード思考力話題の新刊です。新刊といっても1ヶ月くらい経ってますが・・・。これは・・・売れてる割には面白くなかったですね。いや、タメにはなるんですけどね、なんか文章に面白みがないっていうか、マトモすぎて「ふーん」っていう感じになる。榊原さんと内田樹を足して2で割ったらちょうどいいのに。島田紳助はなぜ好きな事をして数十億円も稼ぐのかあっぷる社の本です。いつも思うんですが、あっぷるの本のデザインは独特すぎます。自費出版かと思ってしまう。かならず赤と白と黄色と黒なんですよね。中身はなかなか面白いですよ。島田紳助好きだし。文体とかは、かなりラフな感じですね。この表紙とぴったりな・・・。ビジネス書というよりは、サブカル的な色合いが強いです。さあ、今日は実家に戻ります。明日は友人の結婚式です。
2009年01月16日
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誰しもがなんらかの劣等感を持っている、のだと思います。ナルシストで自分大好きに思われているぼくも、もちろん劣等感をもっています。「みんなはできるのに自分にはできない」「みんなは持っているのに、自分は持っていない」劣等感というのはそういうものだと思います。先日3人の旧友にあってから、なんだか頭の中がぐちゃぐちゃです。数年ぶりの再会は、刺激が強すぎたのかもしれません。いい生きかたってなんだろう?幸せってなんだろう?そんなクダラナイことをつらつらと考えている自分がいます。まあこんな悩み期はほおっておけば治るんですが、せっかくなのでぐちゃぐちゃになるまで考えてみたりします。こういう時期にいろんな発見があるんだよね。しかし考えすぎてはいけません。「答え」は考えて出るものではない。しかし考えないと「答え」は出ないのだ。考えて考えて、考え抜いたすえにぽっと考えが浮かぶ。それは努力ではできないこと。「ひらめき」は神のしわざなのです。誰しもが、苦しい時期を経験します。それを耐える。乗り越える。ぼくは我慢するのはキライで、なんでも工夫して乗り切ってしまうのですが、やはり我慢しなければならない時期もあります。いまは「劣」に甘んじていますが、このまま終わるわけにはいかない。別に今だって幸せです。あんまり新しくないアパートの2Fで質素に暮らしていますが、たまに「俺は世界一幸せなんじゃないか」と思ったりもします。だけどこのまま大過なく生きていくのは、あまりにももったいない。せっかく生まれてきたのに!!「ほんとうにやりたいことってなんだろう」「本当は、何になりたいんだろう?」そんな疑問をくれた友人に深く感謝しています。「
2009年01月15日
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真剣とは、滑稽に生きることだ。本気とは、滑稽に生きることを怖れないことだ。
2009年01月14日
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仕事が夢と感動であふれる5つの物語これまた福島正伸さんです。これはいい。またしても涙してしまいました。年をとると涙腺がゆるみますな。涙腺といえば、昨日うちのレンタルこーナーで、あるお母さんが小学校低学年の子供に「あんた、『母べえ』とか見ないとダメだよ」とオススメしていて、子供が「やだよ、泣いちゃうから」って言ってたのが可愛かったです。さて、そんなことはさておき、福島さんのオレンジ本ですが、ステキな話が5つ載っているんです。心温まりますよ。でもね、「そうはうまくはいかないんだなあ」と思う自分もいるんです。「社会」に接していれば、まだまだ価値観は基本的にひとつ、「お金」なんだなあと思います。徐々に友人のものの考え方も変わってきている。そしてもちろん僕も。お金のもつパワーの強さ。これがいかほど強力か。わかっているつもりでも引っ張られる。学生のころのぼくの考えが、いかに甘かったか。今になって思い知らされる。ロハスだ、スローライフだと言っても、けっきょくはかなりの部分が学歴社会だったりするわけです。「いい大学いって、いい会社入る」という価値観がどれほど根強いことか。「何が大切かは、自分で決める」口で言うのはカンタンです。ブログに書くのもカンタンです。だけど、実際に実行するにはものすごい勇気がいる。いろんな価値観があっていいと思う。だけど、自分にウソをつくのだけはいけない。自分にウソや言いわけをしてはいけないのです。欲しいものを欲しいといい、いらないものにいらないと言う。それだけできれば、ハッピーであることには違いないと思う。
2009年01月13日
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なんか年の初めからツキまくっているというか、なんだかスゴイことになりそうな予感です。1月3日に小学校の同窓会がありました。3分の1くらいは集まって、懐かしい会話を楽しみました。みんないい人ばかりでビックリ。「嫌なやつがいない」集まりってのは、最高ですねぇ。1月の4日ですが、親孝行と称してミッドランドスクエア41Fのすし屋におかんとおとんを連れていきました。300メートルの上空で食す上質なお寿司はなんとも美味しかったですね。やっぱり緊張しますた。回らない寿司は生まれて初めてなので・・。しかし両親も喜んでくれ、ぼくはとっても嬉しい気持ちになりました。レジでおかんが「今日は息子が払ってくれるんです♪」とお店の人に自慢していました。おやじはおやじで「俺は高い店にいっても緊張なんかしない。普段と一緒でいいんだ。トレーナー着ていこうかな」とか言っていたくせに、いざ出発のだんになって、いきなりスーツを着だしたので、なんだか笑えました。革ジャン出してくるし・・・。きのう、1月10日は中学校の同級生と2年ぶりくらいに遊びました。愛知で育った3人がTOKYOで集まるなんてなんだか笑える会合でした。けっきょくクソくだらない話を朝の7時までして、ぼくはTOKYOでヤボ用があったので、そのまま1時間だけ寝て、出発しました。ヤボ用を済ませた後に、大学のころの友達と会い、ごはんを食べました。その彼とは名古屋で偶然すれ違い、いきなり予定がきまりTOKYOで会うことになったのです。これもスゴイ奇遇ですよ。お互いほとんど変わってなくて、楽しい時間を過ごせました。というわけで久しぶりに友達たちに会いまくりました。みんなスゴイですね。成長しまくりで、みんな優秀だし、情に厚いし、気が利くし、友達思いだし、いい人ばかりです。そう思うと、ほんとうに人に恵まれているなあと思います。と同時に負けていられないなあと思います。2009年スタートダッシュは大成功です。今年も「夢」と「感謝」と「幸福」でたまらなくワクワクする1年になりそうです。
2009年01月11日
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現実なんてクソ食らえだ。現実は、いつも絶望だ。だけどぼくらには夢がある。希望がある。そうでなくって、どうして生きていけるだろう?現実を言いわけにしていたら、何も変わらない。現実ばっかりみていたら、「できない」って思ってしまう。夢を見たっていいんだよ。誰かが笑われようと、みんなにバカにされようと、そんなことを気にせずに、見たい夢を見てもいいのだ。夢をかなえるためにまずすること。それは、夢を見ることなのです。見てもいない夢が、かなうことはない。現実よりも、夢を見よう。そして現実という絶望を、歩いていこう。
2009年01月10日
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最少の時間と労力で最大の成果を出す「仕組み」仕事術泉正人さんという人の本で、ディスカバーから出ています。これを読むと、うちの会社はなかなか進んでるなあと思います。というのはうちの会社はかなり「仕組み化」に特化した会社だからです。そのつよみをいかして、生産性はよいんじゃないんですかね?しかし、本やCDが「リアル書店」で売れなくなってきている。みなさん、ダウンロードするのは勘弁してください(笑)「誰にでもできる」仕組み化。悪い言葉じゃないんですがね、もちろん仕事は仕組みでやると効率がいんですがね、それだけを盲目的に追求すると、なんだかね、味気なくなるんです。「誰にでもできる」っていいことなのかな、悪いことなのかな。銀のアンカー(6)ドラゴン桜の三田紀房さんの、これは「内定請負人」のシリーズです。これはぜんぜんハマりませんでした。もうもう就活終わってるしね。ぼくはぜんぜん適当に就活したので、がんばって活動する人をみると「俺ももっと、頑張っておけばよかったなあ」と思ったりもしますが、よくよく考えるといまの会社でよかったですね。運命とはおそろしくもおもしろいものです。ちなみに「エンゼルバンク」は面白かった。効率が10倍アップする新・知的生産術勝間和代さん、またもやいっちゃいました。これはね、まあまあですね。具体性を追求しすぎてあまりにも話が細かいのです。たしかに「今日からマネできる」かもしれませんが、かといってぼくは「勝間和代」になるわけじゃないですからね。もっと考え方やら何やらを聞きたいというのはありますね。とはいえ、ビジネス書のいいところは著者がビジネスツールを教えてくれたりするところです。最近はネットがすごいのですね。「こんなサイトあるのか!」と目からウロコのHPがたくさんあります。・・・勝間さん、近いうちに育児書を出す気がしますね。どんな仕事も楽しくなる3つの物語福島正伸さんです。珍しいことに、借りて読みました。これはね、良本ですよ。「難しい本はキライ!」と言う人でもスラッと読めます。文字の量はとても少ないです。しかもカンタンな話で「仕事とは何ぞや」というのが理解できます。ぼくは「仕事がつまらん」という感覚がよくわからないですが、もし仕事がつまらんと思う人がいたら読んでみてください。さて、1月9日です。時の経つのは早いものですね。来年の1月9日は、ぼくはどこで何をしているのでしょうか?明日はお休みです。TOKYOに行くかもしれないし、行かないかもしれないです。
2009年01月09日
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予感力同じく西田文郎さんです。これはホントに面白かった。もう一行一行がバチバチくる感じ。「そうそう、そうなんだよね~」と納得しながら読みました。西田さんの本はなんでもいいから1冊は読んでみてください。人によっては目からウロコだと思います。
2009年01月09日
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薄氷の踏み方これは「武術家」の甲野善紀さんと精神科医の名越康文さんのマニアックな対談本です。かなり世間一般からいったらズレた人たちの対話なので、とても面白いです。が、「ふつうの人」にはオススメしません。きっと何言っているかわからんでしょう。東洋哲学的なものに、すくなからず興味があれば、まあ面白く感じるかもしれませんね。本の中で「整体入門」について触れています。整体入門整体創始者、野口晴哉先生によれば、人間というのはカラダのクセによって10種類にわけることができるそうで、第1種~第10種まであります。(正確には12種ですが・・・。)ちなみにぼくは頭でっかちな1種ととことんまでのめりこむ9種が混ざっています。ストレスが胃にくる4種的な部分もありますね。さて、あなたは何種でしょうか?↓ ↓ ↓ ↓ ↓http://www.hilightallstars.com/~ebato/taiheki/testing/test.html体癖を覚えて人を見ると、面白いですよ。「あの人は何種だな」とか思いながら接するとばっちりハマってたりします。ちなみに体癖論がなんだかむずかしそうという人には、こちら、名越式!キャラわかりがオススメです。これなら分かりやすいでしょう。名越先生の本です。それからこの季節風邪の効用は超オススメです。別名「風邪を引くのが楽しみになる本」。風邪はカラダの修正作用。むりにクスリで熱を下げずに、風邪をチャンスととらえて、その機にカラダを治す。ぜひ読んでみてください。
2009年01月08日
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高級料理もたまには良いです。けれど、やっぱりいちばんおいしいのは「毎日のみそ汁」だと思うのです。朝、さわやかに目覚め、かるく体操をし、おなかも動き出したところで白いごはんと、みそ汁と、場合によってはたまごと納豆、おしんこ・・・。「ありがとう、いただきます」毎日の朝食が、ありがたいですね。けっきょくはそういうことなのです。しあわせとは何なのか?それは、あたり前のことが、奇跡に思えることです。なんでもないことが、ありがたく思えることです。毎日のみそ汁がうまくない人は、どんな高級料理を食べてもしあわせにはなれないのです。
2009年01月07日
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ぼくはね、これは単なる持論ですが、男というのは二人の「おかん」さえ大事にしていればじゅうぶん幸福になれると思うんですね。一人はほんとうの母。人は、いわゆる奥さんです(カノジョでもいいですが)。どっちも「おかん」と呼ばれることがありますね。(さすがにカノジョをおかんと呼ぶ人はいないでしょうが)自分を作ってくれた人と自分を作ってくれる人です。そのふたりをメメントモリで愛する、メメントモリで大切にするのです。メメントモリは、あれです。直訳すると「死を想え」という意味らしいんですが、ぼくの解釈では「終わりを想像せよ」ということなんです。出会った人と人は、かならず別れます。なぜなら人は本質的に孤独だからです。しかしぼくらはそれを忘れてしまう。目の前にいる人が今日もあしたもあさっても目の前にいてくれると思い込んでいるのです。しかし本当は、違う。目の前にいる人が、いつ何時いなくなるかなんてだれにも皆目わからないわけです。だから、だからこそ目の前にいる人を「いま」大切にしなきゃならんのです。ぼくはいつも言っているのですが、「もっと愛すればよかった」と後悔することはあっても、「愛しすぎて損した」ということはありえないのです。ぼくは自問自答します。「目の前のこの人があした突然いなくなっても、『もうあれ以上は愛せなかった。よくやった』と胸を張って言えるか?」と。厳しい現実を言ってしまうと、いま、あなたのそばにいる人は、いつかいなくなります。でも多くの人は、その事実から目をそむけている。知らんぷりしている。だから目の前の人を雑に扱ってしまうのです。疎ましく思ったりもする。それでは感謝の心も、もちろん幸せもないのです。男にとっていちばん近しい女性は母親と奥さん(カノジョ)というふたりのおかんです。ふたりのおかんを幸せにしようという気持ちはものすごいパワーになるのです。そうしたら仕事がうまくいったり、結果的にいろいろ良いことはあります。誰かのために、という言い方はあまり好きじゃないですが、人を幸せにしたいという気持ちを持てることは、とても幸せなことなのです。
2009年01月06日
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世の中には「ふつうの人」と「変な人」がいます。「変な人」「変わった人」「変だとよく言われる人」は「ふつうの人」と話が合いません。それでとても苦しんでいる人が多いですね。その苦しみは「自分は変なのでは?」というより、「自分はダメ人間なのでは?」という感情です。「ふつうの人」はマスコミが流す「これが幸せだ」という刷り込みを素直に楽しめる人です。他人が規定する幸福を求めることができる人は、「ふつうの人」です。変な人はそれが納得がいかないのです。自分の好きなことがしたい。みんなではなくて、自分が大事。そんな発想です。そういう考えだから、ことあるごとに人とズレてしまう。しまいには、自分の考えを外に出さなくなる。そうやって「ふつうの人」みたいな顔をして生活している人もいます。でも内心では苦しんでいる。「なんでわかってくれないのか」「なんでおれ(あたし)はみんなのことが理解できないのか」「なんでわたし(ぼく)はみんなと違うのか」そんな思いを悶々と抱えながら生きているのです。でもぼくは、そんな変な人って「みにくいあひるのこ」だと思うんです。まあ実際には、「白鳥の子」ですけどね。マイノリティってどうしても、「俺は間違っているのかな?」って考えてしまいがちです。でも少数派でも正解することはいくらでもあると思います。もちろん多数派が正解することもあります。でもほんとうは、正解するとか間違えるとかはあまり関係がないのです。大切なことは「自分で考えたかどうか」「自分で責任を負う覚悟があるかどうか」です。マジョリティかマイノリティかは大きなことではありません。しかしマイノリティ、少数派には有利な点があって、それは「思想」が生まれることです。そもそも「思想」というのは、ぼくの考えによれば「少数派のくるしみ」です。苦しいと考えますからね。自分が生きる意味とか。で、考えが進めば進むほど、ふつうの人とは話が会わなくなる。でもそういうひとたちは「白鳥」になれる可能性を秘めているのです。「ふつうの人」が世の中で活躍してますか?大活躍しているのは、ほとんど変人でしょう。だから変な人、他人と話が会わない人は自分を責めない方がいいのです。「自分は白鳥なのだ」と胸を張っていればいいのです。もちろ白鳥としてはばたけるかはばたけないかはその人の努力しだいですが、そういった意識で自分をほこらしく思うことは大事だと思います。
2009年01月06日
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正直者はバカを見ると思いますか?それとも報われると思いますか?ぼくは思うのです。正直者に2種類あるのだと。ひとつは「規則や、ルールに正直」もうひとつは「自分に正直」です。もちろん、バカを見ないのは「自分に正直な人」で「ルールに正直」な人はバカを見ます。理不尽な、と思う方もあるでしょうが、実際に周りを見ているとそうだなあと思うでしょう。ルールに正直な人って、どこか「期待」しているんです。「自分はルールを守っているから正義だ」「ルールさえ守っていれば、間違いはない。安全。」というような傲慢さがあるのです。自分に正直な人は、「原罪」というかつねにどこか罪の意識を背負っています。それは法や規則に対する罪の意識ですね。ルールに正直な人は、自分に対して罪の意識を持っているのです。もちろん、ルールを破れといっているわけではないのです。ルールは守るためにあって、みんなが守るから、秩序が保たれます。しかしルールさえ守ればいい、というようにルールが基準になるとおかしくなる。はじめにルールありきではなく、はじめに人ありきなのです。何のためのルールなのか、そういったことを考えないでルールだけ守る。そういう人は、えてして人にもルールを強制するのです。ルール人間は、どうしても人が離れる。規則規則で苦しい人はみんな嫌いなのです。それでバカを見る結果になるのですね。ですから「自分に正直者」にならないといけません。「ルールに正直者」になると、バカを見ます。ルールを言いわけにして、ズルイ心を起こすとバカを見ます。ルールの急処と意味を知り、うまいことルールを使えば、バカを見ることはないのです。
2009年01月06日
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伊藤真の兵法またまた伊藤塾の伊藤さんの本です。これは面白いですね。基本的には孫子の兵法に言及して、現代にどういかすか、みたいな話です。中国古典好きにはたまらない一冊35歳までに必ずやるべきことポケット版そうとは知らずに買ったんですが、わりと売れてる本みたいですね。名古屋の三省堂でもがっつり積んでありました。35歳まで、あと9年しかありません。しかし、9年もあります。9年前のぼくなんて、17歳の雑魚でした。そう思うと、9年あればかなりなんでもできます。逆に何もしなければ、9年なんてあっという間です。26歳と言うのは、まさに「これから」の時期ですね。35歳、同期や同窓がどう変わるのか、楽しみです。ちなみにこの本、とくに35歳とか関係ないです(笑)単に顧客のセグメンテーションっていうの?細分化しただけみたいですね。「たまごかけごはん用のしょうゆ」みたいなもんです。ツキの大原則当ブログではおなじみ、「ツキ」の第一人者、西田文郎さんです。はっきり言います。この本は、「買い」です。三笠書房の知的生きかた文庫、単価は本体価格で571円です。ISBNコード978-4-8379-7758-2本屋でもネットでもなんでもいいですが、とりあえず買って読んでみてください。成功本はこれ1冊でOKというような内容になっています。ちなみに本の画像をクリックして、楽天で買うこともできます。ネットショッピングに慣れている人は、それでもよいでしょう。最近の新刊です。斎藤一人お金に愛されて百戦百勝タイトルがあまりに俗物的で、マジメな人に嫌われている本がありますが、タイトルにだまされちゃあいけません。「相手をあやつって自由自在」とか「100日でモテモテになる・・・」とか「なめてるな」みたいなタイトルでも、内容がしっかりしていることがかなりあります。要は、本から何を読み取るかですね。ラクしようと思う人は、回り道をしてしまうのです。王道が、近道です。ちなみに、不覚にもこの本で涙してしまいました。「人に気を使わせないことが大事」という項目があるのですが、それがすごく刺さって痛かったのですね。今でもすこしありますが、ぼくは気難しいというか、機嫌やというか、「人に気を使ってもらいたい」という気持ちがあって、それをすごく反省させられたのです。これまでぼくはどれだけ人に気を使わせたろうか。どれだけ周りの人が嫌な思いをしたのだろうか、本当にすまなかった、申し訳なかったということを考えていたら自然と涙が出てしまいました。新幹線の中だったのに。やっぱり近しい人に甘えてしまいますからね。ぼくは外面(そとづら)は悪くないと思いますが、近くにいる人はけっこう苦労させたと思います。今は・・・どうなんだろ?ああ、ちなみに精神的に成長したい人は加藤諦三先生がオススメですよ。たとえば↓これなんか。感情を出したほうが好かれるかなりキツイ物言いで、グサグサ刺さりますが、読み終わった後はなんか爽快です。
2009年01月06日
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年収が10倍アップする超金持ち脳の作り方苫米地さんの本です。ついつい買ってしまいます。すでに洗脳されてしまったのかもしれません(笑)図解働かないで年収5160万円稼ぐ方法働かないで5000万円なんてすばらしいと思いましたが、読んでみたらやっぱり違います。小手先のテクニックを多用して儲けてもぜんぜん楽しくなさそうです。すくなくともぼくにとっては。「お金さえあれば幸せになれる」という単純明快な脳の持ち主ならいいですけどね、ぼくにとって仕事は自分の誇りそのものですから、「仕事はしてないです。でも稼いでます」というのは嬉しいことではないのです。年収2000万円稼ぐ!ハイパフォーマンス仕事術ハイパフォーマンスというのはいい言葉ですね。どんどん生産性を上げないといかんです。いま、うちのお店は人件費の危機に立たされていますので、もっともっと効率よくやらんといかんのです。なにが問題なのか?それをしかと見極めること。ヒト・カネ・モノ、そして情報。どこかにロスがあるはずだ。かならず見つけて、ひとつひとつツブしていきます。
2009年01月03日
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ぼくは極度の感化され男です。本でも映画でも、すぐにその気になってしまいます。もののけ姫を見たあとに女性に会うと「そなたは美しい」と言ってしまうくらいです。だから映画を見たあとのぼくは滑稽です。このまえ「ウォーリー」を見たあとなんかは、完全にロボになっていましたからね。(ロボチガウ ロボチガウ ロボチガウ・・・)という感じの恥じ多き感化され男なんですが、でもこの資質は良かったと思っています。というのは本を読むとすぐにその気になるからです。書いてあったらなんでもやってみます。するとかなり効果のあるものが多いです。「テクニカルすぎてでばれないかな?」とも思うんですが、意外にばれないのですね。今日はちょっと面白いのをやってみました。それは「1000円募金する」というのです。これは本田健さんが本に書かれていたのですが、「金持ちだったら1000円くらいどうってことないだろう。1000円を募金する金持ちの気分を味わってみよう」と思いやってみたそうなんです。いわゆる「お金持ちのメンタリティを学ぶ」というやつですね。で、ぼくも真似してやってみました。これはなかなか恥ずかしいのですね。店員が見てる前で1000円も募金できまセンエン。「こいつ何者?」って不審がられそうだし。それに一日分の食費を失うのはわりかし怖いものです。「募金って損するのでは?」って思ってしまうのです。しかしここは勇気を振り絞ってやってみました。店員に見られたくなかったので、店員の少ないコンビニのレジにそっと千円札を突っ込んできました。気分は・・・、なんかコソコソしたのでお金持ちの気分どころじゃなかったですね(笑)こういう遊びは面白いです。ビジネス書を読んで「はあ?」と思ったものをやってみる。本を読んでそれを実行するのは全体の5%くらいしかいないそうですよ。だから本を読んで実行するだけで「上位5%の人材」になれるのです。ちなみにお金持ちの家はトイレのフタがしまっていることが多いそうです。トイレのフタをしめておくだけで、金運がアップするとのこと。本気の本気で信じているわけじゃありません。でもこういうのを楽しむ遊びゴコロがあったほうが楽しいのです。「そんなんウソに決まってる!」と目くじら立てる前に遊びで実験してみてもいいじゃないですか。遊びの実験はリスクもないですし、PDCAサイクルを活用する練習にもなります。だからみなさんも感化され男・感化され子になってください。じぶんのからだを使って、いろいろ実験してみてください。きっと面白い結論が得られると思います。
2009年01月02日
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喜ぶということはたいてい「良いこと」だとされています。「かなしむ」より「よろこぶ」のほうがなんか良いことだと思っていませんか?しかし、「かなしむ」も「よころぶ」もただの感情ですから、それ自体には何の意味もないのです。多くの人は「かなしむ」には気をつけているのです。マイナス思考はいけないよ、ポジティブに考えよう、なんて世間で言われているので、「かなしい」ということには注意が向いているのです。しかし「よろこぶ」までには気が及ばない。「よろこぶ」ことは良いことだと思っているような感じがある。しかし喜びすぎるのは危険なのです。それは「じぶんの前提」に関わってくるからです。最近、格闘技は見てませんが、ぼくが見ていた頃はヒョードルが最強でした。エメリヤーエンコヒョードルです。彼はめちゃくちゃカッコよかった。というのは勝っても喜ばないからです。勝利を収めても、いつでも冷静でした。なぜ喜ばないのか。それはヒョードルにとっては「勝って当たり前だったから」です。言い換えれば「勝つことが前提になっているのです」。この世界では「あたりまえのこと」「前提としていること」が起こるようになっているのです。じぶんのなかの「ジョーシキ」というのがあって、それ以外のことは起こらないようになっています。もし起こったとしても認識できない。それですぐに、いつもの「ジョーシキ」に戻ってしまうのです。試験に合格しても、仕事が成功しても、そんなに派手に手放しで喜ばないことです。ぼくらは北嶋康介ではないのですから。勝って喜ぶというのは勝負がギリギリだったことを潜在意識に刷り込んでしまう。しかし勝っても喜ばなければ、勝つことを「あたりまえ」として潜在意識に取り入れることができる。そうするといわゆる「常勝」の状態になるわけです。「負けることが想像できない」という状態です。試験でよい点をとって喜ぶのもいい会社にはいって大はしゃぎするのも、「自分にはそれほどの能力はない」ということが前提になっているのです。だからそれが「じぶんのあたりまえ」「ジョーシキ」になっていく。淡々と事実を受けいれる。「ほー、そうかい」という心持ち。「勝ってあたり前」が続くと、「勝つ」という概念がなくなります。「負け」なくなるのですから、「負けってなんだっけ」と忘れてしまう。負けというものがなくなると、もちろん「勝ち」というのもなくなりますね。そうなってしまうともう天才です。世間的にはうらやましいくらいの常勝なのに、本人は勝っているかどうかすら気にしていないのです。これはすごくカッコイイことだと思いませんか?ぼくはこれを書いているうちにどんどんそんな人になりたいと思ってきました。よーし、やるぞー!
2009年01月02日
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よく、ものの本には「与えなさい。あなたがほしいものを与えるのです」「ギブ&テイクでなく、ギブ&ギブなのです」というようなことが書いてあります。しかしぼくはそれとは違う見解を持っています。というのは、潜在意識系の本には「世界はひとつ」ということが書いてあることが多いです。集合的自意識ではないですが、もともとみんなひとつであるというようなことがよく書いてあるのです。でもその本に「与え、そして与えるのです」というようなことが書いてある。そうすると「ん?」となりますよね。もともと「ひとつ」だったら、ギブもテイクもないはずです。与えるということは、自分がいて、つまり他人がいてできることです。だから「与える」という意識があると、それは自他を区別する、「ふつうの世界」のお話なのです。ふつうの世界では「ギブ&テイク」が常識です。お金を払って本を買うというな交換がふつうです。「あっちの世界」ではすべてがひとつなのですから、与えるというコトバは存在しないのです。そもそも「ひとつ」であるなら、言葉じたいが存在しない。そうなると、どういった行為をすればあっちの世界につながるのでしょうか。ちょっとコトバ遊びのようになってしまいますが、「与えさせていただく」というのが納得のいく表現になるのではないでしょうか?これは自己卑下や極度の謙遜ではないのです。この表現をとることで、みずからが幸福になろうとしているだけなのです。ちょっと話はそれますが、ほんとうに幸福になろうとする努力は周りの人にとってもいい影響があるのです。それは自分だけの幸福を考えていてもいいのです。自分だけの幸福でも「ほんとうの幸福」でないといけませんが。つまり「自分だけ儲ければいい」「自分だけ評価が高ければいい」というのは論外で、「ほんとうの幸福」というのは「感謝力が極限にまで高まった状態」を言うのです。「これでいいのだ」の世界ですね。感謝力が高い人の近くにいるのは嬉しいものです。何をしても「ありがとう」と言ってくれるのだから、それはこちらも嬉しくなりますね。それでもっと喜ばせようと思うでしょう。それに対して相手がまた「ありがとう」と言ってくれるから、また嬉しくなってしまう。そういうすばらしいサイクルが生まれているのです。だから「ほんとうの幸福」であれば、自分の幸福のことだけ考えていても充分なのです。嘘っぱちで「家族のために」なんていっても押し付けがましいだけです。「誰のために働いていると思っているんだ!」ってやつですね。そうやって言うひとはまさに「与える」という意識を捨てきれない人です。「与えている」と思っているから、見返りを求めてしまう。「俺がしてやってあげている」というふうに考えるのは悪いこと、というか不幸なことです。そんな考え方をしたら、人も去っていくし、自分で自分を苦しめているだけです。だから「与える」という意識を捨てないといけない。「本にギブ&ギブって書いてあったから実行したのに、何にも良いことが起こらない」って思いっきり「テイク」を期待してるし(笑)つまり本に書いてあることを「実行しているつもり」じゃダメなんです。実際に実行しないといけない。感謝力を磨くと、与えるという意識はなくなるはずなんです。「〇〇してあげている」と考えている人は、きっと不幸なはずです。不幸な人は、きっと押し付けがましい考え方を持っているのです。
2009年01月02日
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自分で言うのはなんですが、最近はじぶんの「感謝力」がアップしたように思います。だからこそ、ほとんどイヤなことが起こらないのですね。感謝と幸福はいったいです。ありがたいと思うから幸せになり、幸せだと思うから、ありがたいと思うのです。さて、ぼくは仕事でよくポカミスをやらかすのですが、このまえもシフト作りでミスをしてしまいました。シフトに自分の名前を書いたのに、最上段に「店長休み」と書いてしまったのです。シフト作りで頭を悩ましているうちに、混乱してしまったらしいのです。で、ぼくはその日を休む気マンマンで、どこに遊びにいこうか計画していたくらいでした。そしたら夜にパートさんから電話がかかってきて、「店長は明日、来るんですか、来ないんですか?」と言うわけです。「休みますが」と言うと「名前がありますけど」と返され、すぐさまお店に飛んでいきました。調べると出勤しないといけないようです。で、そのとき怒りもせず、ヘコみもせず、「そっか、じゃあ出勤しよう。教えてくれてありがとう」と思えたのです。いわゆる自責の人だと「なんで俺はこんなミスをしたんだ」とじぶんを責めます。他責の人だと「なんでもっと早く教えてくれないんだ」となります。つまりじぶんを責めようと、他人を責めようと、けっきょくはじぶんが傷つくわけです。魂がよごれる。そのとき「感謝力」が発揮されるとよいのです。「教えてくれてありがとう」と幸福な気分になれます。「じぶんはなんて運がいいんだ」と思えてくるのです。にんげん誰しも、ミスを犯します。そしてたいていは、誰かがそれを指摘してくれるのです。(だからミスがミスだと判明する)そのときミスをした自分を責めるとつらいのです。もちろんミスを指摘してくれた人を責めるのもつらいのです。そうではなくて、「ミスを教えてくれてありがとう」なのです。つまり、最後の部分に「ありがとう」を持ってくる。「~でありがとう」と言うカタチに強引にまとめてしまう。これを心がけるだけで、どんな出来事がおこっても幸福でいられます。そうなると、どんなできごとが起こるか不安や心配も一緒になくなるのです。とはいえ、いつなんどきでも「ありがとう」と唱えるには、非常に心のパワーが必要になります。コドモにはできない。精神的に未熟な人には、ぜったいにできないのです。心を鍛えるには、筋肉を鍛えるようにトレーニングをしなければなりません。そして「心を鍛えるのだ」という意志がないといけません。そうでないと「また嫌なことが起こった」「不運な出来事が続く」「つらいことばかり」という動物的な短絡思考にはまってしまうのです。感謝力はにんげんの力です。感情にはいりこまず、一歩上の目線でとらえる。だからどんな出来事にも感謝できるのです。「じぶん」に入り込んだらできない。自分が悲劇のヒーローになってしまっては、感謝もクソもない。「自分はつらい境遇だけどがんばっている」という考えを潜在意識に植え込んでしまうのです。そうなると自分によってしまい、顕在意識とは別に、嫌なことが降ってくるように行動してしまうのです。「つらいことばっかり」と言う人は、かならず「つらいことが起こるような行動」をとっているのです。感謝力を鍛えるのです。そうすれば、仕事のどんなミスだって怖くありません。むしろミスというのは、他人に感謝するチャンスなのです。「誤り」は「謝り」によって完結します。その意味で、感謝力はミスをカバーするのです。
2009年01月02日
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「そうは見えない」と言われるのが好きです。そもそも人を笑わせたり、驚かせたり、嬉しがらせたり、まあ言ってみれば、サプライズが好きなのです。(これは人をコントロールしたいという欲求です)ぼくは中学から6年間、卓球をやっていたのですが、だいたい「そうは見えない」と言われます。これは嬉しいですね。「うん、卓球っぽい」って言われると、ぼくはあんまり嬉しくない。あと、お酒がほとんど飲めないのですが、「えー、がんがん飲めそうなのに」とよく言われます。これも嬉しいですね。「うん、お酒に弱そうだよね」と言われるとカーコンビニクラブでも直せないくらいヘコみます。あとは「文学部出身には見えない」というやつですね。そう考えていくと、やはり確固として「そう見せたい自分」があるのです。「そう見せたい自分」って原型はいったい誰なんでしょうか。「他人に〇〇と思われたい」というのはなんだか不思議な欲求ですよね。たとえば多くの人は仕事ができるようになりたいのではなく、「仕事ができると人に言われたい」のではないでしょうか?それとか、実際にそんなにモテてなくても「モテそうだよね」と言われるだけで嬉しいものです。しかしここで「他者の評価を気にせずに、自分のやりたいことをやりなさい」なんていう単純な話はしません。ぼくはやっぱり、自信もある程度、他者評価から来ると思うんです。自分に自信がなくても、周りの人全員が「すごいよ」「ステキだよ」「カッコイイよ」と言ってくれたら、「そんなことないって」とか言いながら、「俺も捨てたもんじゃないな」なんて思うでしょう。ぼくなんて一人からでも褒められたら、一日ルンルン気分になります。ぼくが「そうは見えない」と言われて嬉しいのは、「他者評価を操作している快感」なんでしょう。他者評価は大切です。自分の他者からの評価が気に入らない人は、まず外見から変えていくことです。自分のことをよく知らない人であれば、外見で8割くらいだませます。うまくイメージ付けができると、その後の人間関係も築きやすいですね。ああ、話しがズレまくりでいかんですね。でも三が日だからゆるしてちょんまげ。
2009年01月02日
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じぶんを愛してあげてください。人生を認めてあげてください。起きてしまったことは仕方がないのです。過ぎ去ってしまったことは、とりもどしようがないのです。今、ここから、歩き出すしかないんです。社会がイヤだ、自分がイヤだ。会社がイヤだ。イヤだイヤだと言っても何も変わりません。イヤであろうがなかろうが、時間は過ぎていくのです。どうすれば楽しく生きることができるのか?どうすれば、幸せになることできるのか?考えて、具体的に行動するしかないのです。行動することを前提に考えるのです。今できることは何か、ということを考えて実行するのです。そのようにしていると、イヤなことは何にもなくなります。ぼくは2008年中は、なんにも悪いことは起こりませんでした。ありがたいこと、幸せなこと、嬉しいこと、楽しいことはたくさんありました。タイミング的にもすごくツイていることが多かった。幸運でした。それは2009年も続きます。なぜなら、できごとに依存していないからです。何が起きようと、自分のためになるのです。「学び」という観点を持つと、不幸なことはなくなります。考え方ひとつです。見方一つで、世界はごろんとひっくり返ってしまうのです。
2009年01月01日
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