キリスト信徒やまひでの心の窓

キリスト信徒やまひでの心の窓

2006年01月08日
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カテゴリ: 信仰
使徒信条によるメッセージ「ポンテオ・ピラトの元で苦しみを受け、十字架につけられ」

 バッハは「クリスマス・オラトリオ」の中に、イエスが十字架で受難なさったコラールを入れている。クリスマスの喜びが、どんなに声の限りに歌われようと、イエスが十字架のお苦しみをお受けになるためにお生まれになったことは、離れることはない。クリスマスと十字架はイエスの御生涯の中で一つのものだった。
 この世で、イエスほどの苦しみを味わったかたは、ほかにおられない。ピラトの元での告発、十字架の上でお受けになった蔑み、茨の冠を頭に被せられ、手足に釘を打たれ、極悪人として十字架の上に立てらた。
 ピラトが主を「有罪」と言う時、その時、全人類の罪がイエスの上に覆いかぶさった。

 イザヤ53:6b「わたしたちの罪をすべて、主(神)は彼(イエス)に負わせられた」

 イエスはボクたちと全く同じ人間としてお生まれになったが、罪だけは犯されなかった。イエス様がピラトに「有罪」の宣告を受けられた時、罪人の一人と数えられた。主は罪を担われて、ボクたちと同じ人間と同じになられた。

ガラテヤ3:13「木に掛けられた者は皆呪われている」(死刑にされた者の即日埋葬の決まり・申命記21:23)。
 パウロは、イエスが天のお父様の呪いをお受けになった聖句として引用している。

 愛される御子が、愛する御父から呪いをお受けになる。これはただごとではない。人の犯した罪というものが、天のお父様からご覧になって、どんなに極悪かがわかる。


 イエスは祈られた

「主よ彼らをお赦し下さい。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)。

イエスは、「彼を十字架につけよ」と叫んだ周りの人々のために、赦しを祈られる。

 昔のヨーロッパの多くの人々は、イエスを十字架につけたのはユダヤ人だから、ユダヤ人を憎み恨んで、ついにあのユダヤ人を200万人以上も殺したヒットラーを生み出した。
 えっ? ボクたちは一体、イエスを「十字架につけよ」と叫んだ人々の中にいなかったのだろうか。これがボクたちのキリスト教信仰の原点である。ボクがもしあの時代に生きていたら、そうだきっとボクの自己中心、欲望の深さを思うとき、ボクがそこにいたら、本当に清い主を十字架に追いやった人々の中の一人だっただろう。
 そう認めることが出来るなら、イエスの赦しの祈りは、現代のボクたちにも、向けられている。イエスの十字架の上の赦しの祈りが消されない限り、いや天と地がなくなっても彼の御言葉はなくならないのだから、いつでも、どこでも、どんな罪人も完全なゆるしを頂くことが出来る。





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Last updated  2006年01月08日 07時42分49秒
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