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岩波新書『思い出袋』を読み始めました。 著者は鶴見俊輔さん、御歳87歳、7年前から月間誌の「図書」に毎月書き下ろしていた短文を一冊にしたものです。鶴見さんといえば、べ平連のことがまず浮かびます。亡くなられた開高健さんや小田実さんらとその運動をリードした方です。 アメリカ留学中に日米が開戦、アメリカに残る選択も出来たのですが、あえて帰国を選び、交換船で帰国したのですが、その理由は日本の敗戦となったとき、その場に居合わせなかったことを悔いるより、徴兵を覚悟してもその国にかかわりたいということだったようです。 事実徴兵され、外地に派遣されてしまいました。幸い生き延び、戦後はリベラリストとして活躍されてきました。べ平連もその一環でしょう。この本を読んでいきなり「ジョン万次郎」の話が出てきたのには驚きましたね。 「水木しげるさん」のこともそのあとに出てきました。5年ほど前に書かれた章ですから、今テレビで観る『龍馬抄』や『ゲゲゲの女房』とはかかわりがありませんが、二人の生き様に自らを重ね合わせているのかと勝手に解釈していますが。 両番組ますます楽しみとなっています。ではまた。
2010.04.30
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昨夜の『助六』を最後に現歌舞伎座は、とうとうその60年の歴史を閉じてしまいました。 立て直されるまで3年、長いのか短いのか、その時にはまた出かけてみたいとおもっています。それにはまずは健康に留意しなければ、いまはそんな思いでいますね。 あらためて本棚に並んだ演目の内容を記した「筋書き」を眺めてみれば、この歌舞伎座との出会いは平成12年4月の中村勘三郎13回忌追善公演でした。ちょうど10年前ですから歌舞伎座の歴史からみればあまりにささやかな付き合いといえるでしょう。 その建つ東銀座といえば、東劇などの映画館に学生時代からしばしば通ってはいましたが、歌舞伎などの古典芸能にまったく関心の無かった身にはその姿すら目には入ってはいなかったものです。 やっと関心を持ち始めたのはそれから30年ほどたった50も半ばになってのこと、中村勘九郎ファンのさいの誘いによるものでした。 たしかに観客の9割方は女性ですから、こんなパターンは多いのではないでしょうか。敷居の高さも感じていましたし、食わず嫌いであったという一面もありましたからね。一度食べてみて、すっかりその美味しさにはまってしまった、といえるでしょう。 その初めての歌舞伎のときの役者さんが、勘三郎襲名前の中村勘九郎であったことが幸いしたかもしれません。彼ほどのエンターテイナーは歌舞伎界でも数少ないですからね。ではまた。
2010.04.29
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ここにきて検察審査会の存在がクローズアップされるようになりましたね。 今朝の新聞にはあの小沢さんについて起訴相当という議決がでて検察にその捜査を求めました。先だっては明石市の歩道橋事故、JR福知山線事故に関しては、二度にわたって起訴相当と議決し、強制起訴にいたっています。 まだ一年しか経ていない検察審査会法の改正のお蔭といえるでしょう。官僚としての検察の判断にに対して一般市民の立場からの疑問が効をそうしたといえるでしょう。裁判の結果はどう出るにせよです。 それにしても検察の仕事は大変だと思います。この記事のとなりには、殺人事件での高裁死刑判決が最高裁によって地裁へ差し戻されたとの報道が記載されています。 その理由が起訴したさいの検察の証拠が薄弱で弁護側の控訴を棄却できないというものでした。起訴にしろ、不起訴にしろまずは検察が警察からの送検をしっかりと判断することが求められているということでしょう。 冤罪を防ぐ最後の砦は最高裁、たまたま今回はそれが阻止してくれたともいえますが、21年ぶりというきわめて稀な事例であることには変わりありませんからね。ではまた。
2010.04.28
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沖縄米軍の普天間基地移設問題、県外国外どころか辺野古沖への県内移設に落ち着きそうな感じですね。 とはいってもその地の市民も反対と市長選で意思表示していますし、先だったの県民集会でも反対が表明されていますから、沖縄県民の総意は反対とおもえます。県外候補地も受入れ反対であれば、辺野古現行案を沖合いへとずらすことを妥協策としたようです。 海上基地なら、いくつかある海上空港にも似ていますし、自然保護という反対理由ならなんとかなるという思惑もあるかもしれません。さてどうなるのか。 ところでこの問題で、60年、70年の闘争時のような、安保破棄といった話がまったく出ないのが不思議というほかありません。 当時の理由とは真逆ですが、一度これを政府がアメリカ側に通知、改めて米軍基地をどこに置くか、ゼロから協議してもいいのではないでしょうか。真に必要な基地はそう多くは無いと思うのですが。 これを機に日本を侵略しようとする国があるとは思えませんし、その間は気概ある自衛隊が頑張ってくれるでしょうから、大丈夫ですよ。ではまた。
2010.04.27
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熊谷市の老舗デパート八木橋まえで、サイモン&ガーファンクルのレコードジャケットのようなポーズをしているのは何故、とお思いでしょう。 昨日歩いた中山道、鴻巣宿から深谷宿への途中の、この地の旧道がなんとデパートの中を通っているというのですから、野次喜多としては通り抜けることにしたわけです。変化の乏しい関東平野内の道中ですが、時にこんな楽しみもあるということです。 それにしても両宿場間4万2千歩28キロ、昼食時間除いて約7時間良く歩いたものです。自信がつきましたね。次回は深谷宿から高崎宿の約30キロ、なんとかなるでしょう。今回同様出発地へは車で行き、駐車場に停めておき、到着地からは電車で戻るのです。電車なら30分の距離、昔の人はよく歩いたものですね。ではまた。
2010.04.26
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昨夜の雨で午前中はテニスできず、きょうは無為に一日過ごした感あるが、それが無益とはならず、だ。 明日はテニス仲間二人の中山道てくてく旅に同行するゆえ、英気養う一日となったから。予定コースはJR高崎線の鴻巣駅から深谷駅まで、約28キロときつめの距離とあっては。 約7時間男3人の道行?、いや女っけないから歌舞伎に出てくるようなものではなく、ただの道中でしょうね。これは初体験の距離、はたしてもつか。結果は明後日にでも報告するつもりです。ではまた。
2010.04.24
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夕べはたっぷりと歌舞伎を堪能させてもらいました。 演目は『実録先代萩』と『助六由縁江戸桜』』、話の設定も舞台の様子も大きく異なりますが、ともに母が子をおもう気持が芯となった狂言芝居といえるでしょうか。それにしても歌舞伎というものは面白いものですね。 「先代萩」での中村芝翫丈、80歳近くながら、幼い子の母親という役どころを歳を感じさせることなく演じきってしまうのですから。しかも息子である橋之助にとどまらず、孫二人とも同じ舞台で共演しているのですから、役者冥利といえるでしょう。 「助六」にしても、それを演じる市川団十郎丈の息子である海老蔵が、この芝居のいわれを口上としてよどみなく解説してくれました。これは市川家がこの芝居をやるときのしきたりのようです。他の役者さんのときは確かにありませんでした。 さらにこの狂言の浄瑠璃を担当するのが、それを趣味とする素人衆であることも。口上で舞台セットの陰にいるその方々に礼を尽くして頭をさげるのも印象的でした。 世界文化遺産の伝統芸なのに玄人と素人の共演なんて、普通では考えられないことですから、テレビでいずれ録画放送されるとおもいますので、その節は是非ご覧を。ではまた。
2010.04.23
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明日は現歌舞伎座での最後の芝居見物に出かけます。 この4月公演を最後に解体、再建されるまでの3年間は、歌舞伎座とはお別れとなるのですから、今からちょっと興奮気味です。その上最終演目が市川家の歌舞伎十八番のなかでも最高といわれる『助六』とくれば、ますます興奮しますよね。 もちろん演ずるのは市川団十郎丈、演じきったあとには息子の海老蔵が口上をのべる段取りになっているようですから、この公演は市川家のためのものといってもいいのではないでしょうか。 しかも翌月の新橋演舞場で海老蔵が同じ『助六』を演じることになっています。それは、市川家の芸がまさしく継承されていくということをアピールするものであり、海老蔵も市川団十郎というの大名跡を継ぐ覚悟が出来たという証しなのでは。 そんな華やかな舞台、しっかり見届けたいと思っています。ではまた。
2010.04.21
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昨日は学生時代のクラブ仲間4人と新宿で落ち合い、旧交を温めてきました。 新宿の街に出る機会は本当に久しぶりです。先般、地下鉄の副都心線に当地からの私鉄が乗り入れるかたちで開通した時それを利用して新宿三丁目の伊勢丹に行ったことがありましたが。 学生時代は紀ノ国屋書店裏界隈に散在するジャズ喫茶を巡ったりしたものです。もちろん「危険な店」を避けつつです。 待ち合わせ時間までのいっときその近辺を歩いてみたのですが、昔の面影はありませんでしたね。風情が失われたというのでしょうか。俗っぽさといったものが横溢していました。今もあると聞いていた店も何処だったか見当たらず、がっかりしたものです。 LPレコードでジャズ、復古調すぎますかね。ではまた。
2010.04.20
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やっとテニスが出来る天気に戻りました。 先週の日曜日にして以来ですから、ちょうど一週間ぶりにしたことになります。本当に不順な天気のこの4月でした。終ってもいないのに。 桜は開花したものの、寒さ、雨にたたられてなかなか満開とならず、やっと満開となってもまたまた天気にたたられて散り際を失い、やっと二三日前に散り始め、追い討ちは昨日の雪でしたからね。 桜はともかく、この天気も明日までとか、また雨模様となるという。天気よくなるのは週末、明日もしっかりテニスしておこうと仲間と約束したものでした。ではまた。
2010.04.18
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関東は40数年ぶりの4月の雪となったようで、道路や鉄道も大きな影響を受けたようです。 何故か当地は雨降りのみ、本当かいなといったおもいでニュース聞いていたものです。それがバスに乗り、東京多摩地区の立川へと向かえば、その沿道は確かに雪で真っ白になりはじめ、納得したものでした。 なんで立川へ、それはわが町の自治会主催でその地にある東京消防庁の立川防災館での防災体験会があったからなのです。 これまでも地元消防署によって何回か訓練を受けていたのですが、この防災館ではそれらを効率的に体験できる設備が用意されているということで、自治会員を募り、出かけたというわけです。 そこには地震発生に備える対策方法や地震体験、人形を使っての応急救護体験、煙体験、消化訓練といったメニューが約3時間ほどのコースとして用意されていました。以前に受けた訓練とは方法も変更されたものもあり有意義でしたね。 また火災で煙発生した中での避難体験ははじめてでしたので、勉強になりました。視界不良の中、壁から手を離さずに、体を床に這わせるように歩くというのが原則でした。なるほどと納得したものです。「備えよ常に」はボーイスカウトだけの鉄則ではないようですね。ではまた。
2010.04.17
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松井選手が古巣ヤンキース戦でやっとホームランを打ち、本人もそうでしょうが、ファンとしてもホッとしたものです。 敵地ニューヨークでの初戦前、去年のワールドシリーズ制覇のチャンピオンリング授与式が、チームの仲間だった松井が所属するエンジェルスとの対戦に合わせるかのように行われたのですから、本人もさぞや嬉しかったことでしょう。 待機する顔は感激に満ちていましたし、ただ一人敵チームのユニホーム姿、それを囲む元チームメイト達の笑顔も素晴らしいものでした。彼が生涯忘れないだろうと述べたのも頷けます。 とはいえその後の試合ではノーヒット続き、悔しかったろうと思います。今日のホームランをきっかけに、次戦からはブーイング浴びながら打席につくようになって欲しいものです。それこそ選手にとっての最高の名誉ですからね。ではまた。
2010.04.16
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きのうはテニス仲間との月一のゴルフコンペに行ってきました。 前夜からの強風がやまぬ中でのプレーを余儀なくされましたよ。北海道では40メートルの風をふかせ、吹雪をももたらした低気圧で、関東では空っ風となって吹き荒れたというわけです。 先月は雪で中止となりましたが、この風に雨でも伴っていればまたまた中止となっていたでしょう。とはいえ強風の中でのゴルフは、われら素人衆にとってはもっとも苦手とする状況で、プロのようには上手くいきません。 普段ならあっというようなスコアを出す人がいるものですが。終れば皆、風を言訳にしての自己弁護に終始でした。 いずれにしてもみんなでワイワイのコンペ、楽しい集いであることにはかわりはありません。ではまた。
2010.04.15
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世の中、天才といえる人が確かにいるものですね。イギリスでのバドミントンの大会で準優勝した男子の田児選手20歳です。 このことは知っていたのですが、昨夜の報道ステーションでの松岡修造さんのリポートでその強さをはじめて知りました。プレースタイルはテニスのマッケンローみたいでしたね ご両親が共にバドミントン選手、門前の小僧ならぬコートサイドの小僧だったとか。意識しないうちからラケットを握り、コーチに教わるでもなくその柔らかなグリップを身につけてしまったようです。 それがシャトルとよばれる羽根を自在に操るための最大の要素であればこそです。これはテニスでも同様ですね。もちろんボールとシャトルの違い、コートの広さやネットの高さなどといった点など異なりますが、参考にすべきポイントは多々あるようです。フットワークなども。 これなど教えてもなかなか身に付くものではありません。幼い頃からの身のこなしの習得あればこそでしょう。バスケット日本リーグでチームを優勝に導いた田臥選手やフェンシングのグランプリで先日も優勝した太田選手なども天才プレーヤーといえるでしょうね。ではまた。
2010.04.13
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またまた紛争取材中の日本人カメラマンが射殺されましたね。今回は、前政権支持の大衆が現政権打倒を求めての行動が政権交代ごとに繰り返されるタイという国で。 現首相の国外追放で事態打開が図られようとしているようですが、これは前政権でもあったことですし、伝統的手法のようにもみえます。それがまた火種ともなるのでしょうが。 なぜ温和なこの仏教国、体制的には独裁国ではなく、その象徴としての国王への敬意も高い国なのに、軍によるクーデターも多発、民衆行動も過激というのはなかなか理解できないところです。国王の鶴の一声で収拾なんてこともザラですからね。 それにしても今回のような取材、はたして身を挺するほどの値打ちがあるものなのか、素人目には理解しがたいところです。ではまた。
2010.04.12
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中山道大宮宿から鴻巣宿まで約22キロ歩いてきました。 暖かさが戻り、心地よい旅でしたよ。途中さしたる名所もなく、ありきたりの商店街、住宅街の連続でしたが、ところどころに咲きほこる桜から舞い落ちる花びらをあびながらでしたから。 中山道は約70ヵ所からの宿場があるのですが、仲間二人はこれで、3日歩き8ヶ所を通過したことになります。はたしてあと何日で完歩出来るのだろうか。 私も少々は歩ける自信がつきましたので、その全部とはいかないまでも何日かは同行してみたいと思っています。この街道旅、はまりそうな楽しさ持っていますね。ではまた。
2010.04.10
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一昨日は中止となった中山道ウォーキング、明日実施となりました。 この道は、JR高崎線にさほど離れずに平行しているので、アプローチも楽ですし、到着後は電車で戻れることが出来るので日帰りも楽です。長野県に入ったらそうはいきませんが。 20キロから30キロ歩くのは初体験でもあるし、どんなものか楽しみですが、仲間二人は、すでに碓氷峠越えの横川・軽井沢間、日本橋・大宮間を経験済みですし、その足を引っ張らなければと少々心配ではありますが。 今日もテニスコートでこのことが話題となり、散々に冷やかされたものです。コートではフットワーク軽やかに走り回っていましたが。はたしてひたすら歩くということに目覚めるか、あるいは否か。まずは経験だ。ではまた。
2010.04.09
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今日は父母と岳父の墓参に行ってきました。 お彼岸に墓参りしたときはつぼみだった桜も見事に咲き誇っていました。散る花びらもほとんどないことから、満開となった矢先でしょうか。 その近くを群れ飛ぶ蜂のブーンといった羽音が静かな霊園に響いていました。日が出れば気温はそれほど高くならずとも、春爛漫と趣でしたね。 道途中の小学校では入学式の様子、父母に伴われた一年生の姿が散見できました。桜といえば入学式、今年はそんなイメージにふさわしいタイミングでの満開となってくれたようです。ではまた。
2010.04.08
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木村拓也さんの、わがGのコーチとなった矢先の急逝、本当に残念でなりません。 今朝のニュースでその訃報を聞いた時、目頭が熱くなるのを抑えられませんでした。プロとしての19年のキャリアのうち、Gでの現役生活は昨年までのたった4年でしかありませんでしたが、まるで新人のときから在籍しているような存在感がありましたから。 チームの窮地のときにこそ絶大な力を発揮してくれ、とくに投手以外の全ての守備ポジションをこなしてしまったのですから凄いものでした。その職人的役割は、元巨人でいまは中日のコーチとなっている、バント名手の川相さんを思い出しますね。 このような選手はもはや出てこないのではないでしょうか。確かに今のGのラインナップ、全てスター選手ですから。ではまた。
2010.04.07
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晴れ間がもどった今日の午前、近くの公園や川沿いを花見がてらのウォーキングをしてきました。 テニス仲間二人の街道歩きに明日同行することになっていたので、それ用のシューズの足慣らしの意味もあってです。さすがに土日の賑わいはありませんでしたので、ほぼ満開のソメイヨシノを満喫できました。 ところがその街道歩き、ひとりに午後所用が出来、中止となってしまいました。まさか残るひとりと二人で歩くわけにはいきませんからね。東海道中膝栗毛なら弥次喜多コンビ、奥の細道なら芭蕉曾良コンビ、ひとり欠けて代理がたったのでは変でしょう。コンビあっての道中同行ですからね。 またの機会ということになり、明日はいつもどおりのテニスとあいなりました。ではまた。
2010.04.06
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最近テニス仲間二人が新たにはじめたイベントにウォーキングがある。それもテレビでよく放送される、街道をゆく「てくてく旅」というやつで、コースは旧中山道です。 もちろん一気に完歩するのではなく、一日あたり20キロから30キロを歩き、日を変えてその続きを歩いて、京都まで行こうというものです。すでに2回実施していて、初回は足慣らしに街道途中の群馬県の碓氷峠越えをし、二回目から日本橋をスタート、埼玉県の大宮までを歩いています。 その続きを今週やるので一緒に行かないかとのお誘いがありました。そんな距離を歩いたこともないしちょっと不安ですが、さいとはいずれ四国の遍路をやってみたいものだと話していたので、まずは経験と連れて行ってもらうことにしました。 いきなり山道では躊躇してしまうでしょうが、大宮からなら関東平野の平坦地、そう負担にはならぬだろうと踏んでいるのですが。果たして新たなる楽しみとなるのか。ではまた。
2010.04.05
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想像も出来ない事故というか事件というものが時たまある。函館での幼児4人の自動車火災による焼死した件もその一つだろう。 24歳と21歳の両親をもつ4人の子供というから、何事もなければこの少子化の時代、立派だといえるが、事情はわかるにつれ首を傾げたくなる面も多いようだ。 原因が特定されていないのに、父親は、車内にあったとおもわれるライターが原因とではないかと言っているようだ。車内にゴミも散乱し、それに火がついたのではと。が捜査ではライターは見つかっていないらしい。 また子供が時々ライターをいたずらするのでしかっていたとか。夜遅く実家を訪ねたが、子供達が寝ているのでそのままにしておいたとも言っているようだ。 事故なのか事件なのか、今のところ定かではないが、どんな結論となるのか気にかかる。ではまた。
2010.04.04
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寒さに咲き渋っていた桜も各地でほぼ満開となっているようですね。 開花時期については気象会社ごとでバラバラとなっていたので、ちょっとした話題となりましたが、満開時期については寒さに間延びしてしまったせいか、静かなようです。それでいいのでは。自然任せですから、競い合って予想するのはいかがなものかと思いますよ。 それにしても満開がこの週末にピッタリはまるとは、なんとタイミングが良いことでしょう。きっと花見の人出は各地で凄いのでは。 そのためでしょう、今日のコートは普段のようなこみあいとならず、休む時間もなく試合できる状況でした。しかもコートサイドの一隅に何本かの桜が咲き誇っているので、ほかへ出かけなくとも、花見しながらのテニスとなるのですから、なんとも贅沢なこと、これも一興です。ではまた。
2010.04.03
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昨日は夫婦して何十年かぶりにJR常磐線に乗ってきました。 その沿線の柏に住む知人を訪ねてのものでしたが、当地からは一旦池袋に出て、山の手で日暮里まで行き、また乗り換えてという具合で、ちょっとした小旅行でしたよ。 常磐線の記憶というと、多数の死傷者をだした三河島事故がありますが、子供の頃でしたので、沿線にみえた「お化け煙突」の印象のほうが鮮明ですね。火力発電所かなにかの4本の煙突が見る角度によって様々に姿を変えていくからです。座席に窓向きに座り眺めたもでした。 それが無くなって久しいですが、今は工事中の東京ツリータワーが遠望できるという楽しみを経験できました。すで東京タワーの高さを超えているので周囲からは抜きんでた存在となっていましたね。二年後にこの倍の高さとなれば、さらに壮観な眺めとなることでしょう。 童心に返って行き帰り眺めていたものです。ではまた。
2010.04.02
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