October 23, 2025
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カテゴリ: 気になるTV番組
2025年NHK大河ドラマ
『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 のあらすじ及び感想日記です。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

寛政3年(1791)老中首座の松平定信(井上祐貴さん)は老中・
本多忠籌(矢島健一さん)と松平信明(福山翔大さん)から今の
改革が厳し過ぎるからもう少し緩めるよう進言されますが、耳を
貸すことなく、さらに厳しくしていきました。
そして自分にうるさく言う者たちは遠ざけ、お気に入りだけを
傍に置くようになりました。



とった商売も続かなくなりました。
そこで次の一手として昔の面白い版木を刷り直して本にしようと
考え、鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)に版木を安く売ってほしい
と頼みました。

喜右衛門は山東京伝(本名は北尾政演;古川雄大さん)の新作が
取れたら古い版木を譲ると言ってくれ、二人で京伝を訪ねました。
でも京伝は手鎖の刑の後でもう書く気はすっかり失くなり、その
代わりに京伝の家に居候している滝沢瑣吉(後の曲亭馬琴;津田
健次郎さん)を重三郎に紹介しました。


戯作者の瑣吉はやたら気が強くて自信家で、書いた作品も全体に
独りよがりでしたが、どこか面白いものを感じました。

(後の葛飾北斎;くっきー!さん)もかなりの変わり者で、瑣吉
とは反りが合わずに会う早々いきなり喧嘩に。
でもそんな二人でしたが重三郎にうまく乗せられて、京伝の名を
借りた作品を二人で1冊仕上げました。


重三郎は新作を持って日本橋に来て以来ずっと良くしてもらって

黄表紙を他の国にも売りたいから地方の書物問屋を教えて欲しい
という重三郎の頼みを市兵衛は快諾してくれました。

ただ狂歌絵本はこれからどうなるのかを考えたとき、絵師の歌麿
(染谷将太さん)は栃木のご贔屓のところに行ったきっり江戸に
帰ってこないし、狂歌師の宿屋飯盛は江戸払いになっています。
黄表紙は教訓的になり狂歌は格調高いものに、錦絵は相撲絵や
武者絵が流行りになり、松平定信の望み通りの世になっていって
ました。(ただ定信本人も少々思うところがあるようです)


こんな世の流れの中で歌麿が描いた亡ききよの絵を見た重三郎は、
今なら女絵を出せば間違いなく人々の目を引く、歌麿が当代一の
絵師になると確信しました。

重三郎は、今は自分から遠ざかり絵を描く気力もなくなっている
歌麿に、諸々の思いを吹き飛ばして描きたい思いを起こさせる
手立ては何かないかと考えました。


重三郎はその材料探しに瑣吉と一緒に市中の美人詣でをしました。
瑣吉は最近は茶屋のきた(椿さん)や煎餅屋のひさ(汐見まとい
さん)が美人で評判で男たちに人気とのことでした。

これは不景気で吉原に行けない分、巷の美人に男たちが群がると
いうことでもあり、そんなことを考えていたら義兄の次郎兵衛
(中村蒼さん)が蔦屋に来ていて、最近の吉原では相手の人相を
見ていろいろ判断する相学が流行りだと教えてくれました。

「女絵と相学」ーーこれだ!とひらめいた重三郎は、栃木にいる
歌麿に会いに行きました。


歌麿は贔屓にしてくれる栃木の釜屋伊兵衛(益子卓郎さん)の
家で仕事をしながら世話を受け、静かに暮していました。
庭の草木や虫を眺めてふと生命を感じた時、あの時に重三郎から
「生き残って命を描くんだ!」と言われたことを思い出しました。

そんな時に重三郎が江戸から栃木までやってきました。
重三郎は歌麿にまず「鬼の子」と言ったことを詫び、かたくなな
歌麿に錦絵を出して欲しいと、手をついて頭を下げて頼みました。


歌麿は「金に困った蔦屋を助ける当たりが欲しいだけ。この機に
重三郎の名を上げたいだけ。」と迷惑そうに返しました。

重三郎は歌麿が以前きよを大きく描いた絵に「婦人相学 清らか
なる相」と付箋を付けて出し、こういうのを描いて欲しいと言う
と、同席していた釜屋伊兵衛が相学のことを尋ねてきました。


重三郎は伊兵衛に、江戸では相学が大流行りの兆しを見せている、
相学の本を出すには女のタチを描きわける絵師がいるが、それが
できるのは喜多川歌麿しかいない、と説明しました。
そして歌麿に「どうかお願いします。」と改めて頭を深く下げて
頼みました。

それでも歌麿はきよのために女は描かないと言うので、重三郎は
「歌麿の絵を見たいと思うのは贔屓筋ならみな同じ。自分を見て
絵をいっぱい描いてもらったきよは幸せだった。あの世で自慢
している。」と思いを伝えました。


そして最後に「描くかどうかは歌麿が決めればいい。」と言うと、
歌麿は江戸に戻ることになりました。
重三郎は歌麿が描くための見本となる女を集めて描かせました。

自分が描いた絵に後から後から注文をつけてくる重三郎に歌麿も
さすがに時折りは嫌になりました。
でも重三郎の「思わずじぃーっと見てしまう絵が欲しい」という
言葉に納得したのか、歌麿は小道具を使ったら?とか自分で案を
出したりして、作業を進めていきました。


ところで、もう執筆活動はしないと決めていた京伝は次の仕事を
煙草入れの店を始めることにし、資金集めが必要でした。
重三郎と鶴屋喜右衛門が段取りをして京伝の書面会を開くことに
なり、当日は広い座敷に大勢の贔屓が集まりました。

京伝は初めは派手過ぎると気おくれしていましたが、いざ座敷に
入って人々から歓声が上がると、やはり気分は良いものです。
皆から名入れを求められ、歌を歌って注目が集まると、やっぱり
書き物を続けたくなってきました。


結果、重三郎に乗せられたかもしれないけど、京伝自身の中にも
もてたい・書きたいという“欲”があったからでした。
同様に、歌麿にも描きたい“欲”がよみがえっていたのでした。

そんなことを思いながら重三郎が喜んでいたら、須原屋市兵衛の
ことで何か報せが入りました。

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Last updated  October 23, 2025 03:13:58 PM


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