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2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』のあらすじ及び感想日記です。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政4年(1792)、須原屋市兵衛(里見浩太朗さん)が身上半減に罰せられました。蔦屋重三郎(横浜流星さん)がその理由を尋ねると、幕府から発禁処分となっている林子平の『海国兵談』と『三国通覧図説』を出版したからで、版木も没収されました。市兵衛は幕府の目を気にしながらも、『海国兵談』には皆が知っておいたほうがいいことが書いてあり、本屋は正しい世の中のためにいいことを知らせてやる務めがあるという信念を持っていました。そして引退を決意した市兵衛は「死ぬ前にもう一度、昔の浮かれて華やいだ江戸の町を見たい。」と重三郎に思いを伝えます。若い頃から市兵衛には世話になっている重三郎は、市兵衛の思いを引き継ぐべく、年明けに新作を山ほど出すことを決めました。さて歌麿(染谷将太さん)の描いた大首絵が刷り上がりました。出来栄えを見た重三郎はもう少し華やかさが欲しいと感じたので、人物の背景を「雲母摺」にするとどうかと提案しました。重三郎は歌麿の「十躰」をバカ売れさせて、歌麿を当代一の絵師にしたい、蔦屋の名も上げたい、江戸を湧きあがらせたい、と様々な意欲に満ち溢れていて、歌麿も仕方ないなと思っていました。そんな話をしていたら瑣吉(後の曲亭馬琴;津田健次郎さん)が歌麿に面と向かって「男色か、両刀か?」と絡んできました。歌麿は瑣吉の話をうまくかわしたけど、その様子をつよ(重三郎の実母;高岡早紀さん)が心配そうに見ていました。つよは後で重三郎に、歌麿のためにも思ったままを無神経に言う瑣吉を店から追い出すように言いましたが、人の気持ちにはどこか鈍感な重三郎には伝わりません。つよは歌麿をもっと大事にするよう、重三郎に忠告しました。つよは時折り歌麿を訪ね、歌麿の心の内を聞いてやっていました。重三郎への思いがまだ消えていなかった歌麿。つよは歌麿を気遣っていましたが、歌麿は自分の描いた絵によって自分がこの時代に生きた証が残ればいいと割り切っていました。そんな歌麿につよは「重三郎の義弟だから私の息子だ」と寄り添い、歌麿も「おっかさん」と呼んでつよには心を開いていました。その重三郎ですが、妻のてい(橋本愛さん)が出した本の案の中にこれならいけそうだと思うのを見つけ、ていと共にかつて田沼派で閉門を受けたことのある和学者の加藤千蔭(中山秀征さん)を訪ね、交渉を始めました。ていは、本当は学問を成したい数多いる女子のために、眺めるだけでも楽しい女性に受けそうな本を作りたいと考え、千蔭流の美しい書物を求めたと千蔭に強く訴えました。さて人物の背景を雲母摺にした大首絵が出来上がったので、歌麿も仕上がり具合を見てみました。陽の光で見ても美しいし、暗い所で灯りをともしてかざすとさらに美しい錦絵になり、歌麿も思わず感嘆の声をあげました。後はこの錦絵をどう売り出すか、重三郎は知恵を巡らせていました。一方でそのころ幕閣内では老中首座の松平定信(井上祐貴さん)が水野為長(園田祥太さん)から、老中・本多忠籌(矢島健一さん)たちが新しい一派を作り始めていて、一橋治済(生田斗真さん)に接近している、と報を受けました。本多らは、定信に政を任せておくと本当にオロシャの船が江戸の海に入ってきたら国が滅びてしまう、と危惧していました。報を聞いた定信は激怒しましたが、定信自身も将軍補佐の役割がもうじき終わって今の権力がなくなる立場にありました。そこで定信は徳川御三家で尾張の徳川宗睦(榎木孝明さん)に会い、政での一橋の横槍を訴え、自身も将軍補佐のお役御免が近いことを宗睦に匂わせました。ちょうどそのころ第11代将軍・徳川家斉(城桧吏さん)に嫡男の竹千代が誕生し、定信は祝いに参上した際に「将軍補佐」「奥勤」「勝手掛」の辞職を願い出ました。突然の申し出に驚く家斉、するとそこへ尾張の宗睦が来て、今は日の本の国を立て直しさらに外国の船が日の本を窺っているときであり、この局面を乗り越えられるのは定信だけと進言しました。定信は将軍補佐と勝手掛を続行することになりましたが、これは全て定信と宗睦が密かに打ち合わせた読み通りのことでした。ところで重三郎はというと、市中で大流行りしている人相見を利用して、店に客を呼び込んでいました。そして人相見の後で客に合う錦絵を勧め、錦絵を今買った方には喜多川歌麿先生の名入れが入ると宣伝して、歌麿の名を高めつつ錦絵をどんどん売っていきました。また妻のていは雲母摺の錦絵を見て、背景で印象が変わることに気がつき、次に出す本を文字を白に、背景を黒にしてはどうかと提案、重三郎も賛成し、『源氏物語』の一部を抜粋して千蔭流で書かれた書物の『ゆきかひふり』が出来上がりました。重三郎が本の商談で尾張に向かうことになり、出発の日につよが髪を結い直すと言い出しました。つよは重三郎の髪を結いながら、まだ子供だった重三郎を父母が揃って捨てた(駿河屋に預けた)理由を語りました。つよは重三郎を幼名の「珂理」で呼び、重三郎が強く生きてきたことを認めました。でも同時に、たいてい人は強くなれなくて強がっている、それをわかって有難く思うよう、思いを伝えました。話を聞くうちに気持ちが柔らかくなったのか、重三郎はそれまで「ババア」と呼んでいた母を「おっかさん」と呼びました。息子と母がやっと互いに認め合えた瞬間でした。さてこちらは江戸城で、京から武家伝奏の正親町公明(三谷昌登さん)が使者として来ていて、帝(光格天皇)が父・閑院宮に「太上天皇」の尊号を与える件が、一橋治済を通して話が進んでいるとのことでした。自分が不承知な件が勝手に進んでいて、激怒した定信は治済に会って苦情を言いましたが、治済は定信が将軍補佐として家斉に出した「御心得之箇条」を引き合いに出し、帝が父に尊号を贈ることに定信が反対するのはおかしいと反論しました。しかし定信はそれでも引き下がらず、ご公儀の威信に関わることなので自分に任せて欲しいと言い、尊号をとりやめる文を自らしたためて朝廷に訴えました。そうこうしている最中に、オロシャの船が来航したと報が入りました。(1792年9月、ラクスマン、根室に来航)◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
October 31, 2025
2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 のあらすじ及び感想日記です。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政3年(1791)老中首座の松平定信(井上祐貴さん)は老中・本多忠籌(矢島健一さん)と松平信明(福山翔大さん)から今の改革が厳し過ぎるからもう少し緩めるよう進言されますが、耳を貸すことなく、さらに厳しくしていきました。そして自分にうるさく言う者たちは遠ざけ、お気に入りだけを傍に置くようになりました。さて蔦屋重三郎(横浜流星さん)ですが、身上半減の罰を逆手にとった商売も続かなくなりました。そこで次の一手として昔の面白い版木を刷り直して本にしようと考え、鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)に版木を安く売ってほしいと頼みました。喜右衛門は山東京伝(本名は北尾政演;古川雄大さん)の新作が取れたら古い版木を譲ると言ってくれ、二人で京伝を訪ねました。でも京伝は手鎖の刑の後でもう書く気はすっかり失くなり、その代わりに京伝の家に居候している滝沢瑣吉(後の曲亭馬琴;津田健次郎さん)を重三郎に紹介しました。戯作者の瑣吉はやたら気が強くて自信家で、書いた作品も全体に独りよがりでしたが、どこか面白いものを感じました。絵師の勝川春章(前野朋哉さん)が連れてきた弟子の勝川春郎(後の葛飾北斎;くっきー!さん)もかなりの変わり者で、瑣吉とは反りが合わずに会う早々いきなり喧嘩に。でもそんな二人でしたが重三郎にうまく乗せられて、京伝の名を借りた作品を二人で1冊仕上げました。重三郎は新作を持って日本橋に来て以来ずっと良くしてもらっている須原屋市兵衛(里見浩太朗さん)に相談に行きました。黄表紙を他の国にも売りたいから地方の書物問屋を教えて欲しいという重三郎の頼みを市兵衛は快諾してくれました。ただ狂歌絵本はこれからどうなるのかを考えたとき、絵師の歌麿(染谷将太さん)は栃木のご贔屓のところに行ったきっり江戸に帰ってこないし、狂歌師の宿屋飯盛は江戸払いになっています。黄表紙は教訓的になり狂歌は格調高いものに、錦絵は相撲絵や武者絵が流行りになり、松平定信の望み通りの世になっていってました。(ただ定信本人も少々思うところがあるようです)こんな世の流れの中で歌麿が描いた亡ききよの絵を見た重三郎は、今なら女絵を出せば間違いなく人々の目を引く、歌麿が当代一の絵師になると確信しました。重三郎は、今は自分から遠ざかり絵を描く気力もなくなっている歌麿に、諸々の思いを吹き飛ばして描きたい思いを起こさせる手立ては何かないかと考えました。重三郎はその材料探しに瑣吉と一緒に市中の美人詣でをしました。瑣吉は最近は茶屋のきた(椿さん)や煎餅屋のひさ(汐見まといさん)が美人で評判で男たちに人気とのことでした。これは不景気で吉原に行けない分、巷の美人に男たちが群がるということでもあり、そんなことを考えていたら義兄の次郎兵衛(中村蒼さん)が蔦屋に来ていて、最近の吉原では相手の人相を見ていろいろ判断する相学が流行りだと教えてくれました。「女絵と相学」ーーこれだ!とひらめいた重三郎は、栃木にいる歌麿に会いに行きました。歌麿は贔屓にしてくれる栃木の釜屋伊兵衛(益子卓郎さん)の家で仕事をしながら世話を受け、静かに暮していました。庭の草木や虫を眺めてふと生命を感じた時、あの時に重三郎から「生き残って命を描くんだ!」と言われたことを思い出しました。そんな時に重三郎が江戸から栃木までやってきました。重三郎は歌麿にまず「鬼の子」と言ったことを詫び、かたくなな歌麿に錦絵を出して欲しいと、手をついて頭を下げて頼みました。歌麿は「金に困った蔦屋を助ける当たりが欲しいだけ。この機に重三郎の名を上げたいだけ。」と迷惑そうに返しました。重三郎は歌麿が以前きよを大きく描いた絵に「婦人相学 清らかなる相」と付箋を付けて出し、こういうのを描いて欲しいと言うと、同席していた釜屋伊兵衛が相学のことを尋ねてきました。重三郎は伊兵衛に、江戸では相学が大流行りの兆しを見せている、相学の本を出すには女のタチを描きわける絵師がいるが、それができるのは喜多川歌麿しかいない、と説明しました。そして歌麿に「どうかお願いします。」と改めて頭を深く下げて頼みました。それでも歌麿はきよのために女は描かないと言うので、重三郎は「歌麿の絵を見たいと思うのは贔屓筋ならみな同じ。自分を見て絵をいっぱい描いてもらったきよは幸せだった。あの世で自慢している。」と思いを伝えました。そして最後に「描くかどうかは歌麿が決めればいい。」と言うと、歌麿は江戸に戻ることになりました。重三郎は歌麿が描くための見本となる女を集めて描かせました。自分が描いた絵に後から後から注文をつけてくる重三郎に歌麿もさすがに時折りは嫌になりました。でも重三郎の「思わずじぃーっと見てしまう絵が欲しい」という言葉に納得したのか、歌麿は小道具を使ったら?とか自分で案を出したりして、作業を進めていきました。ところで、もう執筆活動はしないと決めていた京伝は次の仕事を煙草入れの店を始めることにし、資金集めが必要でした。重三郎と鶴屋喜右衛門が段取りをして京伝の書面会を開くことになり、当日は広い座敷に大勢の贔屓が集まりました。京伝は初めは派手過ぎると気おくれしていましたが、いざ座敷に入って人々から歓声が上がると、やはり気分は良いものです。皆から名入れを求められ、歌を歌って注目が集まると、やっぱり書き物を続けたくなってきました。結果、重三郎に乗せられたかもしれないけど、京伝自身の中にももてたい・書きたいという“欲”があったからでした。同様に、歌麿にも描きたい“欲”がよみがえっていたのでした。そんなことを思いながら重三郎が喜んでいたら、須原屋市兵衛のことで何か報せが入りました。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
October 23, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 のあらすじ及び感想日記です。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政2年(1790)最愛の妻・きよを失い半ば狂ったようになった歌麿(染谷将太さん)は何日も食事をとらず、まるできよの後を追うかのようでした。歌麿を案じた蔦屋重三郎(横浜流星さん)は母・つよ(高岡早紀さん)を呼び、つよには少し心を開く歌麿の見守りを頼み自身は仕事がたまっている店に戻っていきました。老中首座の松平定信(越中守;井上祐貴さん)による出版統制が続き、なんとかしなければと考える地本問屋の皆は鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)が代表になって、水面下で奉行所の初鹿野信興(田中美央さん)らとやり取りを重ね、寛政2年10月、正式に地本問屋の株仲間が発足となりました。これにより自主検閲での本の出版が許され、やはり定信の改革のせいで苦しい状況にあえぐ吉原の皆を救うために、重三郎はその内容に好色が含まれる本を出そうとしました。行事の吉兵衛(内野謙太さん)と新右衛門(駒木根隆介さん)はこの本は出せないと判断しますが、重三郎は「教訓読本」の袋に入れて中を見せないようにして出せばいいと強く主張。吉兵衛と新右衛門は渋々認めて出版となりました。重三郎が打ち合わせから帰宅すると、栃木に行く歌麿に同行するためにつよが旅支度をしていました。自分から離れたいと言う歌麿に、あの時の言葉の真意をわかってもらおうと重三郎は歌麿に会いに行こうとしました。しかしつよから、それは重三郎が自分の気持ちを歌麿に押し付けたいだけだと叱られ、重三郎は思いとどまりました。明けて寛政3年(1791)、重三郎は山東京伝(本名は北尾政演;古川雄大さん)が書いた『錦之裏』『仕懸文庫』『娼妓絹籭』の3作を袋に入れて販売し、売れ行きは好調でした。しかし3月、その内容がお上に知られて重三郎と京伝は奉行所に連行され、本は絶版となりました。奉行所での詮議では、重三郎はご公儀を謀ったとして老中首座の松平定信が見分に出てきました。重三郎は定信に対し、臆するどころか皮肉を交えた挑発するかのような物言いで自分の考えを堂々と述べていきました。ただやはり、その不遜な態度は定信のカンに障って怒りとなり、重三郎は引っ立てられて厳しい責めを受けることになりました。夫・重三郎の身を案じるてい(橋本愛さん)のために地本問屋の仲間が公事宿の知り合いの飯盛の男を呼んでくれていました。飯盛は「厳しい裁きは朱子学の説くところと矛盾している。」と教えてくれ、ていは重三郎の命乞いをするために長谷川平蔵宣以(中村隼人さん)を介して、定信の師である柴野栗山(嶋田久作さん)に会い、栗山に朱子学で問答を挑みました。てい:子曰 導之以政 齐之以刑 民免而無恥 導之以德 斉之以礼 有恥且格栗山:君子中庸 小人反中庸 小人之反中庸也 小人而無忌憚也「重三郎は二度目の過ちであり、赦しても改めぬ者を許し続ける意味がどこにある?」と問いました。てい:見義不為 無勇也重三郎は、女郎は揚げ代を倹約令のために値切られ嘆いていると言っていた、だから本で遊里での礼儀や女郎の身の上などを伝え、礼儀を守る客を増やしたかったのだろう、と栗山に述べました。さらに「女郎は親兄弟を助けるために売られてきた孝の者であり、不遇な孝の者を助けるのは正しきこと。」と考えを述べ、最後に「どうか儒の道に損なわぬお裁きを!」と強く訴えました。その後、それぞれに裁きが下りました。京伝は手錠鎖50日、吉兵衛と新右衛門は江戸所払いに、そして重三郎には「身上半減」という罰が下りました。ただ奉行所のお裁きが下る場であっても重三郎には真摯な態度が見受けられず、ていはたまらず進み出て重三郎に平手打ちをして、いつも自分の考えを言いたいだけだと泣きながら責めました。そして後日、地本問屋の皆に詫びを入れるときでもまたふざけてしまい、その場の誰もが腹立ちの顔になって、ふだん温厚で声を荒げない鶴屋喜右衛門から「そういうところですよ!」と叱られてしまいました。さて身上半減で重三郎の店がどうなったのかというと、金だけでなく店にある全てのもの---看板・のれん・畳・版木・在庫の本など、あらゆる物が半分にされてしまいました。定信の几帳面さに呆れたり、ていは情けなくて涙したり。しかしその様子を見に来た大田南畝(桐谷健太さん)は面白くてたまらず大笑いし、集まっていた町の人たちも笑い出しました。「世にも珍しい身上半減の店」でひらめいた重三郎はこの状況を逆手にとって「罰を受けても生き残る。縁起がいいよ!」と店に残る本を売り出して賑わっていました。その様子は松平定信にも報告が入っていました。定信は「あまりに厳しい処分は朱子学との矛盾を生み、ご公儀の威信を損なう。身上半減を与えられる者こそ賢者にふさわしい。」という栗山の助言を受けいれたのでした。ところでそのころ江戸では押し込み強盗が市中を荒らしていて、強盗は平蔵が捕らえて厳しい処罰をしたものの、この件について老中たちからは定信に、これらは倹約令の反動であり、倹約令や風紀の取り締まりを切り上げるべきだ、と進言がありました。本多忠籌(矢島健一さん)は定信に「帰農令があっても、生活が苦し過ぎる百姓にはもう戻りたくない。人は正しく生きたいとは思わない。楽しく生きたいのです。」と切に訴えました。また松平信明(福山翔大さん)は、このままでは田沼以下の政と誹りを受けると進言し、老中2人の言葉は「自分は常に正しい」と信じて強気で改革を進めてきた定信には堪えるものでした。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇今回、蔦屋重三郎(横浜流星さん)を見てつくづく思ったこと。それは何かにつけてすぐにおちゃらけて笑いを取ろうとする人は、時と状況を間違えるとマイナスになって、周囲を凍りつかせるか怒らせるかになる、ということでした。また奉行所で松平定信(井上祐貴さん)に詮議を受ける場面では、一言一言いちいちカンに触る言い方をして定信を怒らせ、自分で罪を重くしています。重三郎は自分の考えに自信があり、自分が必死に訴えれば相手はわかってくれると信じる人なのでしょう。でも自分に思いがあるように、相手にも思いがあるのです。重三郎の必死の訴えを「受け入れる」かどうかは相手次第です。歌麿(染谷将太さん)は今は聞きたくなくて重三郎から物理的に距離を置いたし、定信は自分に逆らうとは許せん!となりました。このドラマはこれまで、重三郎のプラス思考で困難を乗り越えてきたようでしたが、今回は重三郎のこのおめでたい思考が各所で相手をイラつかせた感じがしました。
October 15, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 のあらすじ及び感想日記です。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政2年(1790)蔦屋重三郎(横浜流星さん)は山東京伝(本名北尾政演;古川雄大さん)が別の本屋から内緒で本をだしていて、しかもそれが倹約令で自分たちを締め付ける老中首座の松平定信(井上祐貴さん)が喜びそうなものであることに腹をたて、京伝とは喧嘩別れの状態になりました。歌麿(染谷将太さん)の弟子の菊麿(久保田武人さん)からきよ(藤間爽子さん)の容態が悪いと聞いた重三郎は、医者を連れてきよを見舞いました。医者によるときよはそう毒(梅毒)に侵されていて治る見込みもないとのことでした。きよが目を覚ましたとき、歌麿は重三郎と話をしていたのですが、その光景を見たきよは激しく心を乱してしまい、歌麿はやむなく重三郎に帰ってもらいました。歌麿は今は愛する妻のきよの看病がなにより大事なので重三郎は仕事を頼むことができず、他の絵師を当たっていました。そのころ市中では倹約令による不景気から町の治安が乱れ、悪玉提灯を手に暴れ回るならず者が各地に続出し、これは松平定信の政が原因と人々にささやかれていました。ただ当の定信は、こうなるのは初めから見込んでいた、田沼病の者たちがあぶり出されたと全く驚いてませんでした。ただ対策の必要はあるので、定信はならず者を取り締まっていた長谷川平蔵宣以(中村隼人さん)に人足寄場を作って彼らを更生させるよう命じました。平蔵は自分には無理だと固辞しましたが、定信から町奉行にしてやってもよいと言われ、亡き父のためにも役目を引き受けました。さて京伝と喧嘩別れになっている重三郎は今後の仕事のためにも鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)の仲介で京伝と再会しました。重三郎と喜右衛門は京伝に自分たちの仕事を最優先でやることを条件に、作料に加え年30両を支払うと伝えました。しかし京伝は、自分は好きな仕事を楽しくやりたいだけで、世に抗うとか難しい仕事は嫌で、浮雲みたいに気ままに生きていたいと、笑いながら言うだけでした。甘えが許されない吉原の女たちを見てきた重三郎は京伝のそんな態度に腹が立って「気ままに生きていけるのは周りが許してくれてたからだろう!」と怒りを露わにしました。そして「今こそてめえが踏ん張る番じゃないのか?」と京伝に強く迫っていたら喜右衛門が二人の口論を止めました。喜右衛門は奉行所から呼び出しを受け、戯作や浮世絵などを出すときの規制を言い渡されました。それは松平定信が、黄表紙や浮世絵は贅沢品であり世によからぬ考えを刷り込み風紀を乱す元凶と考えたからで、今後一切新しい本を仕立ててはならぬ、とありました。喜右衛門と重三郎は対策のために、すぐに江戸の地本に関わる人たちを一同に集めました。そのお達しの文面から重三郎が出した黄表紙が取締りのきっかけとなったことは明らかで、重三郎は土下座して幾度も謝りました。しかし地本問屋たちの怒りは収まらず、怒号が飛び交いました。喜右衛門は皆を静め、重三郎に何か手立てがあるのか問いました。重三郎はお達しの中にある「新規の仕立てをどうしても作りたい場合は奉行所の指図を受ける」という部分を逆手にとって、江戸中の地本問屋が山のように新作の草稿を抱えて、次々と奉行所に指図を受けに行くのはどうかと言いました。仕事が増えた奉行たちが音を上げて、そのうち指図なしでよいとなるのでは?という考えでした。とはいえ草稿はすぐに作れるものではなく、地本問屋たちはまた声を荒げて批判するばかりなので、その様子を見かねた勝川春章(前野朋哉さん)が戯作や絵師の仲間たちに重三郎の助太刀を呼びかけました。春章たちが協力を申し出るとその様子を遠巻きに見ていた京伝も動き出し、重三郎は嬉しくて目に涙がにじんできました。そして喜右衛門が地本問屋の皆に呼びかけると彼らもここは一つ一緒にやるべきだと思い直し、その後はいくつかの組に分かれて草稿作りが始まりました。後日、地本問屋たちがそれぞれ山のように草稿を抱えて奉行所を訪れて指図を仰ぐと、狙い通り役人は悲鳴をあげました。重三郎は次は長谷川平蔵宣以への根回しを始めました。吉原に呼んでもてなし、平蔵は初めは警戒していましたが美味い酒を飲むと「やはり吉原はいい」と気分を直しました。その時、二文字屋の女将のはま(中島瑠菜さん)と先代のきく(かたせ梨乃さん)が入ってきて、平蔵に50両差し出しました。賄は受け取れないと拒否する平蔵。でも重三郎が、これはかつて花の井のために平蔵が出してくれた金であり、実はそれで二文字屋が救われたのでこれは返金になると説明すると、平蔵は花の井の名で昔を懐かしんでいました。それから重三郎は、人足寄場のお役目のために何かと持ち出しが多い平蔵のために利息として50両を差し出し、さらに駿河屋市右衛門(高橋克実さん)が50両を平蔵に差し出しました。「倹約が続いてこのままでは吉原も地本問屋もだめになる。人足寄場でならず者を救うように、身を売るよりほかない吉原の女郎たちを救って欲しい。」と市右衛門と重三郎は平蔵に懇願しました。切羽詰まった吉原のために、平蔵は松平定信からある言葉を引き出すように頼まれていました。平蔵は定信との話の中で上方のことを引き合いに出して将軍家の威光を第一とする定信から狙い通りに、地本問屋も株仲間を作り、その中で改めを行って触れに触らぬ本を出す許しを得ました。後日、重三郎と喜右衛門は京伝が本を出した上方の大和田と会い、黄表紙を盛り立てるためにも株仲間に入るよう言いました。しかし大和屋にそのつもりはなく、上方では黄表紙が人気だから安く仕入れさせて欲しい、京伝はこのまま鶴屋と蔦屋のお抱えでいいと決着が着きました。ただ重三郎が定信のお触れへの対処で奔走していたころ、歌麿の妻のきよはあの世に旅立っていました。最愛のきよの死で心の支えを失った歌麿はおかしくなり、きよの遺骸の傍で何枚も何枚もきよの絵を描き続けていました。重三郎が歌麿を力づくで押さえ、傷んだきよの遺骸を弟子の菊麿たちが運び出しました。「お前は鬼の子なんだ。生き残って命を描くんだ。それが俺たちの天命なんだ!」重三郎の言葉を受け入れられない歌麿はわめいて暴れるだけでした。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
October 7, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 の感想です。この回から感想日記の形式を変えて、全体のまとめを最後にもってくることにします。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政元年(1789)、老中首座の松平定信を皮肉るために恋川春町の『悦贔屓蝦夷押領』を刊行したことで定信の怒りを買い、春町を自刃させてしまった蔦屋重三郎(横浜流星さん)。『鸚鵡返文武二道』を書いた朋誠堂喜三二(本名は平沢常富)は国元に戻ることになり、大田南畝は処罰を恐れて筆をおき、他の地本問屋が抱えていた武家の執筆者たちも次々と本を書くことをやめ、その影響は地本業界を悩ませることにもなりました。あと頼みの綱となるのは町方の執筆者たちで、重三郎は山東京伝(本名は北尾政演;古川雄大さん)の弱みをついて何か書かせることにしました。一方で歌麿(染谷将太さん)は歌麿の絵を贔屓してくれる栃木の豪商・釜屋伊兵衛(益子卓郎さん)から依頼を受け、伊兵衛の屋敷を飾る襖絵を描くことになりました。帰宅して妻のきよ(藤間爽子さん)に大きな仕事をもらったと報告し、きよと一緒にいれば何でもできると幸せをかみしめていましたが、きよの体には何かの病の異変が出始めていました。文武と質素倹約を奨励し遊びや贅沢を禁ずる松平定信(井上祐貴さん)の政策に重三郎らは息がつまる思いで暮らしていましたが、定信は自分が良しとする政策をさらに強化していきました。その一つが「棄捐令」で札差から武家が借りた金を帳消しにさせ、武家の借金を救うというものでした。その案はあまりにも乱暴で他の老中たちは先々を危惧しましたが定信は耳を貸さず、本多忠籌(矢島健一さん)は定信のやり方を特に案じていました。遊びを禁ずる定信のために政策で市中の遊女たちは行き場を失い、大勢の遊女たちが吉原になだれ込みました。また厳しい倹約政策のため吉原全体でも客が減り、貸した金を棄捐令で踏み倒された札差たちも吉原に来られなくなり、吉原の親父衆たちは皆どうしたものかと頭を抱えていました。吉原を救いたい重三郎は歌麿と政演(京伝)を呼び、歌麿には絢爛豪華な錦絵を、政演には倹約のやり過ぎを風刺する話を書くように依頼しました。ところがその時その話を廊下で聞いていたてい(橋本愛さん)が我慢できなくなり、二人にどうか書かないで欲しいと話に割って入ってきました。ていはそれをやると二人だけでなくこの蔦屋もどうなるかわからない、夫・重三郎の吉原を救いたい思いは立派だが所詮は市井の一本屋、自分たちが倒れたら志を遂げられない、黄表紙は今は控えて、人の道を説いた昔の青本でどうかと主張しました。政演は温故知新で青本もいいと賛同でしたが、重三郎はそれでは春町の気持ちが報われないと反対、しかしていは春町は自刃することによってこの蔦屋を守った、春町だってお咎め覚悟のことは望んでいない、と強く言い返ししました。重三郎の頑なな態度を歌麿は、春町や田沼意次や平賀源内らの他、吉原の人たちへの思いを抱えていることも、上からの締め付けは立場の弱い者たちにだんだんとツケが回っていくという重三郎の考えも理解していました。そんな話をしながら政演が歌麿が描いた襖絵を見たとき、歌麿のありのままの心を政演は深く感じていました。新刊をどうしたらと考えた歌麿と政演は後日、重三郎に黄表紙ではないけど女郎と客をネタにした「いい客を増やす、育てる本」を出したらどうかと提案しました。さてそのころ江戸城では、松平定信が大奥の無駄遣いを徹底的になくそうと、反物や小物や参詣や遊山など削れる部分を一覧表に書き記した指図を老女の大崎に渡していました。ただそれはあまりに締め付けが厳しく、大崎は一橋治済(将軍・家斉の実父、生田斗真さん)にこれでは御公儀の威光に関わると嘆願し、治済から定信に話がありました。治済に強気で反論する定信に治済は別件で、朝廷より話がきている帝の父に太上天皇の尊号を贈ることについて問い、定信は御三家とはかったうえでと返答しました。御三家で紀州の徳川治貞(高橋英樹さん)の具合がよくないと聞いた定信は、すぐに見舞いに伺いました。治貞は定信の締め付け的な政に対する周囲の意見を耳にしていて、「物事を急に変えるのは良くない」と和学者の本居宣長が言っていたと伝え、定信の考えは間違ってはいないが急ぎ過ぎると人はその変化についてこられない、と諭しました。治貞は続けて「全ての出来事は神の御業の賜。それを善だ悪だと我々が勝手に名付けているだけだ。己の物差しだけで測るのは危うい。」と定信に説きました。それでも定信は、我が信ずるところを成し得なければならないと治貞に考えを述べました。何日かたって政演(京伝)が新作『傾城買四十八手』を書きあげ、歌麿と一緒に原稿を重三郎のところに持ってきていました。それを重三郎は表情を変えずに読んでいて、廊下を通りがかったみの吉(中川翼さん)に声をかけ、原稿を読んでもらいました。みの吉は重三郎が声をかけたのも気づかぬほど夢中に読み進めていて「自分がこの場にいるみたいだ」と言い、重三郎自身も正直なところ「景色が目にうかぶ」と言い、同じ感想でした。重三郎は政演の才能を認め、原稿を買い取らせて欲しいと深々と頭を下げました。政演は吉原に月の半分ほど通ってしまう惚れた女、座敷餅花魁の菊園(望海風斗さん)がいました。この暮れには年季が明ける菊園は政演に自分を身請けして欲しいと言い、政演に1冊の本を差し出しました。それは当時流行っていた心学の本で、政演と仕事がしたいという他の本屋が菊園に口利きを頼み、礼も弾むとのことでした。一方、江戸城では太上天皇の尊号の件を定信が不承知と返答したことを一橋治済は改めて定信に問うていました。定信はこれは御三家も老中も同じ意見だったから上奏するように決したと言い、定信の生真面目さが治済は面倒なようでした。そこへ老女・大崎が罷免されたと報が入り、それは大崎が不正を行ったことによる定信の判断だったのですが、大崎は一橋治済の腹心でもあったので、治済の内には密かに怒りが湧いていました。明けて寛政2年(1790)正月、蔦屋では新刊が並びました。しかし世は質素倹約で客足は少なく、店は寂しいものでした。そこに鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)が入ってきて、政演が別の本屋から出した『心学早染艸』の本を差し出しました。本の内容は松平定信が喜びそうなものであり、重三郎の考えとは対極のものでした。腹が立った重三郎は吉原にいる政演のところに乗り込みました。「こんな面白い本だと皆が真似をして定信を担いでしまう!」と怒る重三郎に政演は「どっちの味方とかどうでもよくまずは本が面白いことが大事だ!」と反論しました。それでも聞く耳もたずで自分の考えを押し通そうと怒る重三郎に政演は嫌気がさして、もう重三郎の仕事はしないと宣言しました。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇今回気になったのは、自分の考えを強気でどこまでも押し通そうとする、対極にいる2人の男ーー蔦屋重三郎(横浜流星さん)と松平定信(井上祐貴さん)でした。どちらも聞く耳持たずで、まあ良い言い方をすれば自分という人間に対して自信があって超プラス思考なんでしょう。でも自分の考えが絶対だというのが顔にも現れていました。特に為政者である筆頭老中の定信に対し、彼らなりの人生経験からそれはまずいのではと案じる老中たちがいて、その中でも本多忠籌(矢島健一さん)がここは思い切って進言すべきかと悩む姿が印象的でした。また御三家で紀州の徳川治貞(高橋英樹さん)は遠縁でもある定信に何かと味方してきたけど、ますます勢いで突き進もうとする定信を案じていました。定信を優しく諭しても、定信は「でも自分はこうする」というのが見えて、彼の心に響いていないのが残念そうでした。若さの勢いを案じる人生のベテランさんたち。これはいつの時代も同じ光景があるのでしょうね。ただ物語の流れとは別に、さすがベテランの演技と思ったのが扇屋宇右衛門を演じる山路和弘さん。ラストで重三郎が乗り込んできてドタバタになり、迷惑をかけた隣りの客に謝りながら直しているシーンです。画面手前のメインを壊さないよう、でも「背景の人物たちはこうしている」という動きが印象的でした。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #大河べらぼう #べらぼう
October 1, 2025
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