October 31, 2025
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カテゴリ: 気になるTV番組
2025年NHK大河ドラマ
『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 のあらすじ及び感想日記です。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

寛政4年(1792)、須原屋市兵衛(里見浩太朗さん)が身上半減に
罰せられました。
蔦屋重三郎(横浜流星さん)がその理由を尋ねると、幕府から発禁
処分となっている林子平の『海国兵談』と『三国通覧図説』を出版
したからで、版木も没収されました。

市兵衛は幕府の目を気にしながらも、『海国兵談』には皆が知って

いいことを知らせてやる務めがあるという信念を持っていました。

そして引退を決意した市兵衛は「死ぬ前にもう一度、昔の浮かれて
華やいだ江戸の町を見たい。」と重三郎に思いを伝えます。
若い頃から市兵衛には世話になっている重三郎は、市兵衛の思いを
引き継ぐべく、年明けに新作を山ほど出すことを決めました。


さて歌麿(染谷将太さん)の描いた大首絵が刷り上がりました。
出来栄えを見た重三郎はもう少し華やかさが欲しいと感じたので、
人物の背景を「雲母摺」にするとどうかと提案しました。

重三郎は歌麿の「十躰」をバカ売れさせて、歌麿を当代一の絵師に
したい、蔦屋の名も上げたい、江戸を湧きあがらせたい、と様々な
意欲に満ち溢れていて、歌麿も仕方ないなと思っていました。



歌麿に面と向かって「男色か、両刀か?」と絡んできました。
歌麿は瑣吉の話をうまくかわしたけど、その様子をつよ(重三郎の
実母;高岡早紀さん)が心配そうに見ていました。

つよは後で重三郎に、歌麿のためにも思ったままを無神経に言う
瑣吉を店から追い出すように言いましたが、人の気持ちにはどこか

つよは歌麿をもっと大事にするよう、重三郎に忠告しました。

つよは時折り歌麿を訪ね、歌麿の心の内を聞いてやっていました。
重三郎への思いがまだ消えていなかった歌麿。
つよは歌麿を気遣っていましたが、歌麿は自分の描いた絵によって
自分がこの時代に生きた証が残ればいいと割り切っていました。
そんな歌麿につよは「重三郎の義弟だから私の息子だ」と寄り添い、
歌麿も「おっかさん」と呼んでつよには心を開いていました。


その重三郎ですが、妻のてい(橋本愛さん)が出した本の案の中に
これならいけそうだと思うのを見つけ、ていと共にかつて田沼派で
閉門を受けたことのある和学者の加藤千蔭(中山秀征さん)を訪ね、
交渉を始めました。

ていは、本当は学問を成したい数多いる女子のために、眺めるだけ
でも楽しい女性に受けそうな本を作りたいと考え、千蔭流の美しい
書物を求めたと千蔭に強く訴えました。


さて人物の背景を雲母摺にした大首絵が出来上がったので、歌麿も
仕上がり具合を見てみました。
陽の光で見ても美しいし、暗い所で灯りをともしてかざすとさらに
美しい錦絵になり、歌麿も思わず感嘆の声をあげました。
後はこの錦絵をどう売り出すか、重三郎は知恵を巡らせていました。


一方でそのころ幕閣内では老中首座の松平定信(井上祐貴さん)が
水野為長(園田祥太さん)から、老中・本多忠籌(矢島健一さん)
たちが新しい一派を作り始めていて、一橋治済(生田斗真さん)に
接近している、と報を受けました。

本多らは、定信に政を任せておくと本当にオロシャの船が江戸の
海に入ってきたら国が滅びてしまう、と危惧していました。
報を聞いた定信は激怒しましたが、定信自身も将軍補佐の役割が
もうじき終わって今の権力がなくなる立場にありました。

そこで定信は徳川御三家で尾張の徳川宗睦(榎木孝明さん)に会い、
政での一橋の横槍を訴え、自身も将軍補佐のお役御免が近いことを
宗睦に匂わせました。


ちょうどそのころ第11代将軍・徳川家斉(城桧吏さん)に嫡男の
竹千代が誕生し、定信は祝いに参上した際に「将軍補佐」「奥勤」
「勝手掛」の辞職を願い出ました。

突然の申し出に驚く家斉、するとそこへ尾張の宗睦が来て、今は
日の本の国を立て直しさらに外国の船が日の本を窺っているとき
であり、この局面を乗り越えられるのは定信だけと進言しました。

定信は将軍補佐と勝手掛を続行することになりましたが、これは
全て定信と宗睦が密かに打ち合わせた読み通りのことでした。


ところで重三郎はというと、市中で大流行りしている人相見を
利用して、店に客を呼び込んでいました。
そして人相見の後で客に合う錦絵を勧め、錦絵を今買った方には
喜多川歌麿先生の名入れが入ると宣伝して、歌麿の名を高めつつ
錦絵をどんどん売っていきました。

また妻のていは雲母摺の錦絵を見て、背景で印象が変わることに
気がつき、次に出す本を文字を白に、背景を黒にしてはどうかと
提案、重三郎も賛成し、『源氏物語』の一部を抜粋して千蔭流で
書かれた書物の『ゆきかひふり』が出来上がりました。


重三郎が本の商談で尾張に向かうことになり、出発の日につよが
髪を結い直すと言い出しました。
つよは重三郎の髪を結いながら、まだ子供だった重三郎を父母が
揃って捨てた(駿河屋に預けた)理由を語りました。

つよは重三郎を幼名の「珂理」で呼び、重三郎が強く生きてきた
ことを認めました。
でも同時に、たいてい人は強くなれなくて強がっている、それを
わかって有難く思うよう、思いを伝えました。

話を聞くうちに気持ちが柔らかくなったのか、重三郎はそれまで
「ババア」と呼んでいた母を「おっかさん」と呼びました。
息子と母がやっと互いに認め合えた瞬間でした。


さてこちらは江戸城で、京から武家伝奏の正親町公明(三谷昌登
さん)が使者として来ていて、帝(光格天皇)が父・閑院宮に
「太上天皇」の尊号を与える件が、一橋治済を通して話が進んで
いるとのことでした。

自分が不承知な件が勝手に進んでいて、激怒した定信は治済に
会って苦情を言いましたが、治済は定信が将軍補佐として家斉に
出した「御心得之箇条」を引き合いに出し、帝が父に尊号を贈る
ことに定信が反対するのはおかしいと反論しました。

しかし定信はそれでも引き下がらず、ご公儀の威信に関わること
なので自分に任せて欲しいと言い、尊号をとりやめる文を自ら
したためて朝廷に訴えました。

そうこうしている最中に、オロシャの船が来航したと報が入り
ました。(1792年9月、ラクスマン、根室に来航)

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Last updated  October 31, 2025 03:13:03 PM


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