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【 Leon Russell / Leon Russell 】これはスーパースターとセットの曲なんだろうと思う。カーペンターズ自身両方歌っているが、どちらもラッセルさんの書いた曲ですな。レオンが歌うそんぐ~は、カレンの歌うすーぱ~の(なんかいやな表現になってしまい恐縮ですが)‘アンサーソング’として聴けるんですね、歌詞内容が続き物的だから。私は物を知らないので、勝手にそう思っているだけなのであるが(笑)とにかく、2曲ともむちゃくちゃいい、どちらも名曲であることは間違いない。レオン・ラッセルは、歌唱自体とっても素敵なんだけれど、この2曲を書いたという事実、それだけで、そらもーど え ら い と思う。そのくらい両方とも好きな曲、というか、好きな、歌だ。
Jan 31, 2005
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【 Wayning Moments / Wayne Shorter 】ライナーノーツというものを、あまり読まないのだ。輸入盤で買うことが圧倒的に多くて、英語が不自由なせい(笑)かもしれないし、それ以前に解説はどうでもいいやと思ってしまうので・・・結果、知識が増えない。たまたま日本盤の紙ジャケで買ったこれは、日本語のライナーノーツがついているのだが、いまさっき初めて、読んだ。感想を日記に書こうかなと思ったがための、仕込み作業だったわけですが。そしたら、表題の言葉に出くわす。4曲目、Dead End 。解説によると「やや前近代的な手法をとりまぜながらもモード手法を展開」しているのだそうだ。はあ?残念ながらあたくしは、聴いただけでコード進行とテーマとソロを採譜できるような絶対音感を持ち合わせていないので、よくわからんのだが、これの、どこが、モードなんじゃろ?テーマは、ばりばりコードプログレッションがありますよね?どう聴いても、So what ・・・ではまだ分かりにくいか、んじゃMaiden Voyage みたいな、楽譜からしてDドリアンモードが記されるところの、いわゆる「モードで作曲された」曲ではありませんよね?たとえばブルースを一発でアドリブするっつうのとか、コードチェンジ毎にアベイラブル・ノート・スケールを設定するとかっつうのは、音列を使いはするけど、モード手法というのとは、違いますよね??sus4 フローティングがバックで、トライトーンをアボイドすりゃ、これがモード手法ってことになるんすかね???はぁー。わっからーん。どなたか、教えて。んもう、バークリ帰りのティーチングプロにでも、弟子入りしようかしら・・・このアルバムは、ミスタショータものの中では珍しく、文句があったり、それゆえに聴きどころがあったりするように思うんだ。今日は時間がないので、忘れないようにここに書いたから、もう、お風呂入って、寝よう。
Jan 24, 2005
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【 Bach : the Goldberg Variations / Glenn Gould 】'55 のモノラル録音盤の、CD。ということはこれは、モンクさんのエリントンもんのアルバムとか、ロリンズ御大の Work Time の録音された年なんですわな。ジャズピアニストの佐山雅弘さんがゴルドベルグを、東京文化会館で弾くということは知っていたのだが。行かなかった。このホール付属の音楽室は、古今東西?クラシックのアルバムをたくさん所有していて、ただで何枚も何時間も聴くことができたので、学生時代にはよく通ったのだが、平日の昼間仕事をしだして、おのれでCDを買う小銭を稼げるようになってからは、とんとご無沙汰で・・・あ。彷徨えるオランダ人を聴きに行ったなぁ。そのくらいだ。その佐山さんのマサちゃんずライブについ先日行って、氏のMCで、ゴルドベルグはミスタ.グールドが録音した‘ゆえに’メジャーになり、たくさんのピアニストがその後取り上げ続けたのだよーと教えられ、物を知らないあっしとしては、ちょと、びっくりした。へぇ。そうだったのか。つうか、他のゴルドベルグを、まともに聴いたことがないですし(爆)これといい、平均律といい、つまりどこが革新的であったのか、あっしにはまるでわからないわけですが(笑)グールドさんの演奏が基本、あっしのデフォルトがこれになっているという。それだけのことで。ゴルドベルグは、ランダム設定で聴きながら、寝るのだ。
Jan 21, 2005
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禁煙時間 0年 0月 5日10時間28分吸わなかった煙草 163本浮いたタバコ代 2445円延びた寿命 0日14時間56分ニコチンの、いわゆる‘禁断症状’を、手持ちの禁煙本では「離脱症状」と表記している。なるほど。禁断症状、というと、実に後ろ向きな語感。辞書では「モルヒネ、コカイン、アルコール、ニコチンなどの習慣作用によって慢性中毒になったとき、その摂取を中断すると現われる身体および精神の状態」/国語大辞典(新装版)小学館 1988同じ症状なのであるがそれを、薬物依存からの「離脱」過程であるとの視点から称する、ということで。こう称するだけで書き手の、プレ禁煙者への温かい視線と、希望が充分に感じられるではないか!これは、みそ、だなぁ。よく言われるように。180cc入るグラスに半分、90ccの、例えば大吟醸酒が、入っているとして。これを「あとまだ半分もある」とうけとるか、「もう半分しかない」と感じるか。それは、パーソナリティーやら、考え方の癖やら、前後の脈絡、またはアセトアルデヒド分解酵素を所有する身体かどうか、などいろいろなファクターによって、どちらかを感じるのだろうけれど。実際は、どちらの表現も正しい。最終的に、どちらを採用するかは、恣意的なので。ええい、何が言いたいんだ、あたくしは?そう、つまり、寄って立つバックボーンと、着地しようとする未来によって、同じものが、違って見えるということなんで。だから、好きなように、できれば、己にアドバンテージがあるように、よく考えて、そこから見ればいいわけなんだよなー(笑)人は言語を使って考えるので、一旦表現してしまうと、それに囚われてしまうんだろう。おなじものが、呪いになり、祝福にもなる。言霊。言葉の霊力は、その霊験を、今日もあらたかにしている。
Jan 13, 2005
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【 Rubber Soul / the Beatles 】さて。ビートルズに関しては、何のネガティブなコメントも受けつけないわたくしである。両手を揚げて、どこからどこまでも好きなので(笑)そのなかで、このアルバムを、心から愛する。なぜかといえば・・・なぜだ?え?単に、好きだから?はい(笑)この後ビートルズは、ロック史的に、エポックメイキングな数々のアルバムをリリースするわけであるが。次のリボルバーから、楽曲の素晴らしさは一層際立つとしても、バンドとしての勢いや熱さは、緩慢として、以後、ばらけつづけていくように思う。多分、クレジットそのままの Lennon/McCartney が文字どおり脈動し、十全に機能しているのは、実際は、このラバーソールまでだと思う。例えば、サージェントは別の統合の仕方、単なる、でも、芸術的な、ポールの思いつき(笑)で、あそこまで前人未到のアルバムをぐぐっと引っぱり、成り立たせている。ホワイトに至っては、思いっきり「ばらばら」なところが逆に魅力となっているし。ビートルズの凄みはここにあるのかもしれない。実は、出たとこ勝負の、一発ねらい(笑)一枚一枚、時空が移ろうにつれ、ばらばらな聴きどころ、とか。最後のアビーロードまで・・・んにゃ、とりあえず、レットイットビーまででいいかな?アビーロードはレットのリベンジ、と言ってはだめでしょうか?後家の踏ん張り、みたいな・・・これで終わりというのがみんなわかっているので、ここは、お互いすべてを飲みこんで力を尽くそう、みたいな。ある意味全員、バンドとしての将来を諦観していたがために、ああなった、みたいな。だから、アビーロードは、全篇エキサイティングの極みなのだが。ポールはポール、ジョンはジョン、ジョージはジョージとして、別の方向を視野に見ながら、ビートルズとしてそれぞれが踏みとどまって造ったアルバム。でも、ラバーソールは。これは、ビートルズとしての、どこまでも、バンドとしての、ゴールデンイヤー。楽曲が素晴らしい。この辺が、これぞ、レノン/マッカートニー。You won't see me , Nowhere man , The Word , I'm looking through you , In my life なにも言うことは、ない。快楽♪
Jan 7, 2005
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【 RA / Utopia 】XTCを聴いて寝ようかと思ったのだが、そこから、自由連想したのか?銘盤「スカイラーキング」の偉大なるプロデューサー、トッドが聴きたくなってしまった。あたくしは、万一トッドに請われたならば、第18夫人にもなるであろうというべろべろどろどろのトッドファンなのだが、ユートピアの真髄は、このアルバムまでだろう。これは、断言しちゃおう。いや、ま、最後まで、いいんだけどさ、ユートピアは。五反田のコンサートは、まじ、泣きました。確かニアリーヒューマンの頃のツアー、あれは、酩酊した。でかい会場で、ここまで音自体でくらくらさせられたのは、後にも先にも・・・って先はまだあるけど、いまのところ・・・ワン&オンリーだ。別に、肉体的にとか、顔が好きとかでは、全くないから、つまり、あたくし的には珍しくも、ミーハーな要素はなにもない、皆無なのだから、トッドは、すごい。あ。XTCのアンディ・パートリッジも比較的、同じ部類の人なのだが。ボウイ、ボランは論外、ポール・マッカートニーもグールドもクライバーも、大坂昌彦も、この点ではだめ。だって、顔も好きだもん(笑)でも、だからこそ、もう一度、言っちゃおう、ユートピアの真髄は、このRAまでだと思います、それほどまでに、ここまでが、素晴らしいんです。まぁ。バントと称していているとはいえ。全篇、どこまでも、トッドなのだけどもー(笑)
Jan 5, 2005
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生中継を聴けなかったので、今朝、やっと見ました、マゼールさんのウィーンフィルニューイヤーコンサート。今年は指揮者のせいかな、若干重いかなぁと思いつつ,ペットが一瞬出をとちったような(笑)気の迷いか・・・などと、例年どおり、だらだら聴いていたのだが、あらあら、まさかのドナウで終わってしまうではないか!なんとも、こう、宙ぶらりんで、どーにも気持ちが悪い。ラデツキーは、このコンサートのラストに演奏される恒例の、ヨハン・シュトラウス(父)による派手な凱旋マーチで、確実に年に一度しか聴かないのだけれど、聴けないとなると、こんなにがっかりするものだとは思わなかった。やっぱり、楽しみにしているもんなぁ。ぼんやり聴いていたので、なんだかわからず、どうしたのかしらと検索をかけてみましたら、年末に災害を受けた世界中のみなさんに配慮して、あえて演奏をみあわせたらしい。あの「ラデツキーのなかった年明け」として、後年まで、記憶に残るだろう。来年は、世界中のみなさんと一緒に、最初は小さく、そして大っきく手拍子しながら、ラデツキーを楽しみたいなぁ。
Jan 3, 2005
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【 Misterioso / Thelonious Monk Quautet 】今年の一発目、というか、ま、年中、ベビロテものなのだが。タイトルトラック、訥々として単調な、それでいて他の誰も書かなそうなこのテーマは、続くグリフィンさんのこなれたどブルースのソロと対照的なこともあり、実に、際立つ。なぜに、こんなに切なく、美しいんだろう?グリフィンさんは、あたくしのお気に入りのテナーの一人で、コングリゲーションなんぞも・・・あ?これは、名盤というものに含まれるのかなぁ?・・・肩の力を抜いて、だるだると楽しめるアルバムだ。縦横無尽にして、いい感じにハスッパなところが好きだなぁ。ブローイング・セッションの、どりゃーという腹黒すれすれ、でもここまでやれば、清々しいぞというのも、またよろし。でも、やっぱり、モンクさんがらみのグリフィンさんは、特別。In Action りずまにんの「ぷっぷっぷー」の素敵で見事な軽さは、尋常ではないと思う。(以上、今日は、3日。さっき、ラデツキーについて書いてしまったので、前の空きに記しとく)
Jan 2, 2005
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