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今年も桜を見逃したかと思っていましたが、なんとか間に合いました。大阪は既に葉桜で、湖東の草津辺りでも散り始めていましたが甲賀町ではちょうど満開になったところでした。 コンビニどころか、自販機さえないのどかな里で蒼い空と春の風をたっぷりと楽しませてもらいました。今回の訪問地は甲賀市甲賀町の油日という所。 安土町や、野洲の朝鮮人街道の神社を廻りすっかり近江国の神社に魅せられてしまいました。と、いうことでまたもや、湖東の草津辺りから甲賀に向かったのです。 今回もレンタサイクルでのんびり廻りました。最初に向かったのは油日神社。ここも期待に違わぬすばらしい神社でした。安土町の沙沙貴神社楼門もすごかったですが、油日神社の楼門も、なかなか気品がってそれでいて力強さも感じるすばらしい楼門だと思います。 続いて向かったのは櫟野寺(らくやじ)。せっかくここまでやって来たのだから、油日神社だけではもったいない。そんな気分でついでに寄ったようなお寺ですが、気持ちの良い境内でした。この辺りは女性に人気の随筆家、白州正子氏の著書の舞台となった場所。 甲賀と言えば連想するのが忍者。JR草津線・油日駅の駅舎は、忍者屋敷をイメージしたものだそうです。伊賀上野辺りは、けっこう「忍者の里」をアピールしていましたが油日周辺ではイラストひとつ見かけませんでした。駅舎 しかしこの駅舎、甲賀忍者の屋敷をイメージしているためか今でも伊賀者から狙われているのでしょうか?地元の方々は警戒しておられるようです。 「油日駅を守る会」素敵な駅舎なので、しっかり守っていただきたいと思います。そう思った瞬間、目の端でとらえた怪しい影。伊賀者か・・・。 大丈夫。伊賀忍者ではありませんでした。そこにいたのは、とっても雑な(笑) 飛び出し坊やでした。 .
2011.04.20
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さて、真の継体天皇陵と言われている今城塚古墳。最寄り駅はJR摂津富田。徒歩で約30分。または高槻市営バス奈佐原方面行き氷室より徒歩5分。近くにもバス停がありますが、どの路線なのか知りません。以前は「福祉センター前」というバス停でしたが現在は「今城塚古墳前」に名称が変更されていました。詳しくは摂津富田駅前の高槻市営バス案内所でお聞きください。 付近の大きな地図は → こちら(MapFanWeb)隣接の「今城塚 古代歴史館」では、付近の歴史や今城塚古墳から出土した埴輪、復元された石棺などが展示されCG映像で今城塚古墳や遺構、埴輪の解説が常時行われています。しかも常設展会場は無料です。甲冑の試着や、勾玉製作の体験コーナーもあります。古代史ファンなら半日くらいたっぷり遊べるでしょう。さて、この歴史公園で驚いたのは墳丘部です。 内濠だったところは、大部分が芝生広場になっています。今後いろいろと整備されて行くのでしょうが、内堤部は遊歩道になっていて、墳丘部全体を眺めることが出来ます。そして内濠部に下りるだけでなく、墳丘部も開放されていたのです。これには驚きました。鎌倉時代に盗掘にあい、戦国時代にはその名の通り城が築かれ大地震によって崩れたり、石室も石棺も破壊されしかも大量の土砂も無くなってしまっているとは言え天皇陵と推定される古墳なのです。墳丘部前ではさすがに緊張し、一礼してご挨拶を述べてから入らせていただきました。 後円部にあたるこの付近は、石組み遺構が発見された場所です。現在は埋め戻されているようです。古代史ファンとしてはゾクゾクするような体験ではありますが、同時にふと疑問にも思えました。 ここを訪れていたのは、ほとんどが歴史愛好家の方々と思われましたが子供たちの遊び場にもなっているようでしたし、早くもゴミがけっこう落ちていました。天皇陵であったかどうかはともかく、やはり高貴な人のお墓なのですからもう少し見学方法に配慮が欲しかったと思いました。しかし私個人としては、非常にありがたいことだと思いました。畏れ多い気持ちもありましたが、墳丘部に入る興奮の方が勝っていたのです。 前方部付近は、築造当時の様子を再現して内濠に水が張られていました。ただし、あまり深くはないようです。これならフナやブラックバスを放して釣りをしようなんて輩は出ないでしょう。整備前の濠では、けっこう釣り人の姿を見かけた記憶があります。 埴輪のレプリカも今後が心配ですし、墳丘部も荒らされてしまうような気がしないでもありません。古代史ファンで興味のある方は、自由に見学するのは今がチャンスかも。今後は制約や、立ち入り禁止部分が設定される可能性も考えられます。 古墳に隣接して建てられた「今城塚古代歴史館」そんなに大きな博物館ではありませんが、古代史ファンにとっては充分に見学する価値ありの場所です。 .
2011.04.14
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大阪府高槻市にある、今城塚古墳。今世紀に入ってから、日本最大の家型埴輪を含む即位か葬送の儀式を思わせる大量の埴輪の発見や巨大な石室を支える石組み遺構などが見つかっています。2007年3月に行われた石組み遺構の現地説明会には私も参加しました。その時の様子は、下記リンク先の過去記事をご参照ください。 今城塚古墳現地説明会その1 今城塚古墳現地説明会その2あれから4年。今城塚古墳周辺が歴史公園として整備され先日、待ちに待ったオープンの日を迎えました。 墳丘の周辺の遊歩道と、発見された遺物が展示される施設。歴史公園と言っても、その程度のものだと思っていました。しかし、思ったよりもすばらしかったです。歴史に興味のない人にとってはただの緑地公園なのですが、私たち古代史ファンにとってはたまらなく興奮する公園が出来上がりました。 先ずは埴輪群。発見された場所に、発見されたままの配置でレプリカで復元されています。博物館の展示室で見る埴輪と違って、当時の様子がよくわかります。堀の周囲や墳丘部にずらりと並んだ円筒埴輪は6000個ほどあったと言われています。 この埴輪列の先頭は、馬とこの正装した武人。周囲に並んだ円筒埴輪も含め、これらは全て素焼きの焼き物のようです。お好きな方は、早めに見に行きましょう。間違いなく、悪戯や事故ですぐにあちこち壊れると思います。 武人の後に控えしは、力士たち。手前に写っている影は私ではなく、力士の埴輪の影です。念のため。 家型埴輪の周辺で踊っているような埴輪は巫女だそうです。高床式や入母屋造りの家型埴輪や、鶏の埴輪も並んでいますね。 最大の家型埴輪は高床式の祭祀場でしょうか。大王の居住した家かも知れません。これらは隣接の「今城塚古代歴史館」で、実物や復元されたものを見ることができます。また歴史館内ではCG映像で、これらの埴輪の解説が行われています。 申し遅れましたが、この今城塚古墳はただの前方後円墳ではありません。ほぼ間違いなく、真の継体天皇陵だと思います。宮内庁が管理する天皇陵や皇族の墓、そして陵墓参考地は発掘調査はおろか、学者の立ち入りすら原則として認められていません。しかし継体天皇陵は現在、茨木市にある太田茶臼山古墳が比定されているためこの今城塚古墳は長年の発掘調査に加え、こうして一般にも公開されました。 ついつい興奮して、埴輪群にスペースを費やしてしまいました。次回は、この「いましろ大王の杜」でもっとも驚いたことをたっぷりとご紹介したいと思います。 .
2011.04.13
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